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山奥の校舎の裏。そこにて――
青く、長い、大きな龍に声を掛けられ、たじろいだ三人衆は、なかなか言葉を吐けずにいた。
「な、え……!」
三人それぞれが恐怖を覚えた。そのそれぞれの悲鳴が心にしか木霊しない。
彼らは互いを見ると、急にハッとし、一目散に逃げ出した。
「こんな力だから、僕は独りがいいんだ。――独りでいい」
黒髪の少年、洲田悠汰は、小さな声でそうこぼした。その二言三言そのものが、溜め息であるかのようだった。
召喚された悠汰の守護体、青い龍を見て、前にいた男は、言葉を否定したかったが、
(そんなことはないやろ……)
と、思うに留まった。続く言葉を捻り出せなかったのだ。
――過去。
現れたのは、ひとつの箱。空を駆る、漆黒の。まるで鴉のように、死者の宴をするように飛んできたそれは、ある森の中央付近に隕石のように落ちた。
箱。
黒いそれは、開ける運命を人に強いて、そこから悪魔をもたらした。
その悪魔たちのシルエットが破壊的であろうとも、何かが壊されることは少なかった。が、無いわけではなかった。
事件として処理するにはそれなりの施設、組織が必要だった。それを作ろうとした者は、人を集めた。選ばれし者を。箱の出現とほぼ同時に超常現象の力を持つ者がなぜ出現したのかは分からないが、そんな者を、創設者になろうとした者は集めた。
『対魔警軍』と名付けられたそれらの組織団体は、更なる組織力を生む為に、能力者の徴兵を執行した。十代以下の子供から、六十代の老人まで。健康な男女が、性別の区別も勿論なく。
対魔警軍のような機能を期待して、その徴兵された者のうち有能な者には、任務が与えられることになった。軍長は、校舎の建設と同時に、能力者の選別を行なった――
「遠野先生、数学の――」
「あれには驚いたなあ。桃色の鳥って。でもって目ぇ無いんやで? ホンットに驚いたわぁ」
悠汰と、その目の前の男とが話している。
遠野教師。
彼がそうだった。能力の研究者。
超常現象を起こす能力をその不思議な能力で見定める。まるで神の世界。世は一変した。あの箱の所為で。
そうして建てられた校舎で、一ノ宮教師が校長役を兼任。対魔警軍の軍長と同じくらいの地位になる。正直、彼には能力に関さないところの威厳がある。
それでも悠汰には、教師と戦って勝てる自信があった。魂素量が十万威だから。但し、それは一対一というような場合に限るが。
「魂素色は青いんやな」
「ああ、うん。何か参考になったかな」
「ん? や、まあ……なったんやないか?」
魂素色、そのままの意味で、それは魂玉の色でもある。
別段、どうでもいい会話に聞こえるかもしれない。いい色だな、と言う程度の。だがそれが、悠汰にとっては嬉しかった。
恐れず、逃げもしない。
悠汰と接し続けているのは、彼くらいのものだった。
そんなやり取りを終わらせると、教室に戻る。
いつもの授業がすべて終われば、いつものように宿舎に戻れる――そう思っていた。
放課後。
校内放送が二つの空間で響く。この山奥の校舎の放送室とその外で。スピーカーを通して反響する。
「これから呼ばれた者は、至急、校長室へ来なさい。至急、校長室へ。……十代の一組、洲田悠汰。二十代の二組、矢川正継。三十代の三組、那岸将次郎。繰り返す――」
黒髪の少年、洲田悠汰にとって、校長に呼び出された理由の想像はついていた。
実質が対魔警軍の代わりの組織と成ろうとしているほどの学校なのだ。だから、十中八九、任務を負わされるに決まっている。魔物に関する、魔物に関わろうとする、魔物の為に起こる、人の為の任務。人間のエゴの塊の任務だ。
「ふぅ……」
悠汰にとっては、溜め息が出るほど慎重にこなしたいことだった。
「お前、呼ばれたな」
「うん。じゃ」
気にしない振りをして、彼は教室からほとんど無音で歩き去った。
校長室。
先の三人に態々見せた青い龍のことを想う。友に挨拶をさせる意味もあったが、何となく邪魔に感じた三人を威嚇するという使い方をしたことを、詫びる気持ちで。
そうしながら歩いて、目的地の前に着いた。最初にノックを。そして。
「失礼します」
別に失礼なことをする気はないが――という気持ちを胸に秘め、だが礼節を弁え、静かにドアを開ける。変なことを急に考えた――と苦笑しながら、それを掻き消すようにドアから目を離し、室内の人の気配の方へと、悠汰は顔を向けた。
そこにいるのは、ひとりの教師と、ひとりの能力者。一ノ宮教師と、二十代の男性、そのふたり。
(なんて名前だったっけ……矢内? 矢岸?)
実際、それがわかって得することはそんなにない。思考を止めて、教師ではない方の右横に並ぶ。目の前に大きな机がある、よくある構図だ。
「あと、もうひとり――」
全権を握る一ノ宮教師は座っている。校長の机の椅子に、だ。座ったまま言い始めたのだが、その途中で、勢いよくドアが開いた。
「すんません、遅れました!」
(三十代の人だっけ)
その男性が入って来た。ルーズな感じがしない程度のぼさぼさな髪型をしていて、全身を黒と赤を基調とした服で包み、意外とキッチリと着こなした風を見せつけている。
悠汰はと言うと、今日は学生服を着ている。
今日はと言うのは、いつもそうではないからで――大抵は長袖に長ズボンで肌を隠している。自分の能力の影響を強く受ける可能性からそうしている。
そして二十代の方の青年は、スーツ姿で個性は抑えられているが、細かな所ではその性格が露わだ。舐められないための髪型、そういう風だ。
「――まあいいだろう。遅れたのを咎めることで時間を無駄にはしない」
冷静と言うより計算高い、寛容なのではなく感情を今は使っていない、そんな言葉のあとは、一瞬、息を止め、深く吸い込んでから彼は続けた。
「君らに任務を与える。洲田悠汰。君にはある団地に棲む魔物の生殺を頼む。状況を見て、自分なりに行動してくれていい。問題を解決してから帰ってくること。いいな?」
「……はい」
返事は一種類しか許されていない、そんな空気がそこにはある。そして正直、悠汰は不安に思っていた。どのくらいの期間で済むのかと。
排除だけが任務ではないと暗に示す命令に、優しさを少しばかり感じはするものの、それが精一杯の返事。
「矢川正継。君には狼の魔物の退治を行なってもらう。この魔物の所為で既に使者が多数出ている。殺す積もりで行け。……洲田悠汰の行く団地の近くだ。途中まで一緒で構わないだろう。二人の資料はこれだ」
そう言うと、一ノ宮教師は、彼の目の前にあった資料を手に取り、少年や青年の手元へと差し出した。パサッと、それぞれの前で音が鳴る。
資料というのは、数枚の紙を強固なクリップで止めたもの。
「そして、那岸将次郎。君はある廃船に隠れ棲んでいる魔物の生殺だ。……ああ、制服があるからそれを着ていけ、第四更衣室にある」
最後だけ思い出したように言うと、一ノ宮は椅子から立ち上がった。
そして彼だけがドアに向かった。
「俺はこれから対魔警軍の本部に行かなければならない。任務完了まで連絡は一切行なうな。誰が聴いているかもわからないからな」
「……?」
まるですべてを信じていないような――何か特別な理由が? と悠汰は訝しんだ。
一ノ宮教師が部屋を出てから、数秒遅れで三人も出て行った。
この校舎の一階には、悠汰がまだ入ったことのない部屋があった。それが第四更衣室。その部屋の様子は、磨り硝子やカーテンなどの所為で外からでは窺えず、どんな制服があるのかさえわかっていない。予想はできた。対魔警軍の制服と同じか、もしくは似たデザインか。違うデザインかもしれないが。
静か過ぎる廊下が足音を大きく聞こえさせる。
そうして歩いた先に、その部屋を発見。
悠汰は、ルームプレートの字に意識的に目を向けた。緊張している。が、興味や高揚感もまたあった。多からずだが。
それを尻目にさっさと入っていく矢川。それを追うように、那岸、洲田の順で入室。
中は基本的に真っ白でロッカーだらけ。
(誰がどれを使っても?)
悠汰の頭にふと疑問が。
だがすぐに解消された。ネームプレートが入っている。前以て高成績者から任務を行なわせる為の人選をしていたのだ。
一番手前に洲田と書かれているロッカーを見つけ、悠汰は納得し、開いた。
既にロッカーを開いていた矢川は着替え始めており、那岸もロッカーを探し終えていた。悠汰も遅れぬようにと手を伸ばした。
制服を手に取る。
そのデザインを悠汰は見たことがあった。しかし色が違った。テレビを通して嘗て見た彼の対魔警軍の軍服は、警察服の色彩、青系統を使っていた。
これは灰色だ。
悠汰は色を意識から逸らしつつ全体を意識した。シャツから靴に至るまでのすべての着心地が良好。材質がいい。ポケットは、胸ポケットとしては二つ。ズボンの方に、横から手を突っ込める普通のものが前に二つと、右尻に四角のものが一つ。
柄はグレーを基調に黒のライン。線は前側中央の上から下までを完全に縦断していて、中央上部に伸びたそのラインは襟全体を染めて後ろまで浸食。その襟の裏までもが闇色で、そこからまた背に同色のラインが縦に引かれている。その上着の中心を通る漆黒の横線が、腹と背の両側で、十字架に似た模様を作っている。
肩にはラベルがある。
悠汰は最初、それが何なのかわからなかったが、ロッカーの扉の裏にある説明書きを見て、階級を示すのだと理解した。このラベルには黒い線が二つ。これが一つの場合は教師を示すらしい。
一通り着終わって、上着にもう一度目を通す。カッターシャツを身につけた自分の腕。その所為で太くなった袖には、肘から手首までを三分割する地点に一本ずつ黒い線がある。
悠汰は、今度はズボンに目を。
ズボンの柄は、足元には四十五度傾いた十字、所謂バツ印がある。その裏には、前のバツ印から上へ伸びる二本の線でMが描かれている。下に、伸びる余地のない残りの二本は、その裾をなぞっている。
ズボンの右腿の右側面と左腿の左側面には、二つずつのラベルが縫いつけられている。そこで手を休めることができそうだ。が、これは武器の携帯の名残。警察関係の制服として、それを受け継いでいる。
靴下も灰色。靴は黒のブーツ。
(これで確認は済んだかな)
悠汰は思いつつロッカーを閉め、資料を持ってその部屋を出た。
それからは別行動だった。
「じゃあな」
悠汰に目を向けずに那岸がそう言って、廊下をスタスタと進み始めた。姿が遠退く。
しかし。
「聞かなかったけど、何を使って、その、場所に――」
悠汰がそう声にすると、那岸は一度だけ振り向き、
「ヘリだよ、外にあった」
推測かもしれないが、見たならそれかと考え、悠汰は目で資料を追った。足は向かい、手はページをめくる。頭は幾つかの思考で熱を帯びた。
やっと資料を読み終えると、丁度、校舎の出入口に到着。
那岸の言った通り、校舎の前の広場には、ヘリコプターの姿が。
「自衛隊の村西です。操縦を承りました」
その一つに近付いていた那岸に向かって、既にそこで待っていた男がそう告げた。
今や日本のみの組織とは言い難い対魔警軍と校舎の類だが、その活動力だけでは人民の保護など不可能だった。だから日本では自衛隊の力を借りる。彼らの経験を積ませると共に、対魔警軍や校舎の者にも役立ってもらう。一石二鳥だ。まあこの方法しかないというのが現状ではあったが。
(何か得る時、損もどこかでしているのかな……ま、これが限界?……かな)
考えながら、悠汰は、自分の名を呼ぶ自衛隊員のヘリコプターに――那岸とは違うものに搭乗した。




