3
同じ階から魂力を感じるのとは違う。悠汰、伸彦、稜の三人はそう感じていた。順に見てきた部屋には誰もいなかった。残るは――
「ここじゃないなら」
告げようとした悠汰に、
「屋上か!」
と、伸彦と稜が、同じ言葉を言って、走り出した。悠汰も追う。
ひしひしと怒りが伝わるような速さ。悠汰は必死について行く。
ついて行けない速さではなかった。体調もいい。自分に一番合う走りをできているのかもしれない――と、悠汰は感じた。
上がり切って、扉を開け、出た。
そこに悠汰が見たのは、伸彦と稜が見詰める人物――見知らぬひとりの男性の姿。
「君が、やったのか……」
やっと訊けた。伸彦が訊いた。知りたいのは核心。
それぞれ構えて魂玉を圧縮した。既に作ってはいた。伸彦のそれは赤く熱を籠もらせる。稜の黄色のそれは、一本の槍の柄を、中から押し出していた。
その様子を見たからか、彼が。
「何のことだ?」
「とぼけるとはな。そんなに死にたいのか?」
一ノ宮伸彦教師長が睨み付ける。三人が足並みを一致させて、ジリジリと……近付く。
「ふう。計画通りにいくと思ったんだがな」
彼が後ろ手に隠していた魂玉を露わにしてそう言った――のは、三人の耳に届いていた。
そして次の瞬間。
羽音がした。
その音を、悠汰は聞いたことがあった。というよりさっき聞いたばかりだった。
(くっ――!)
すぐ横に、急に現れた存在があった。白蝙蝠。あの女性はまだその足にぶら下がっているが、ジェレインは飛び降りてきて、
「はっ!」
その気合いと共に、彼女は仲間のほうへと駆け出した。それから半秒も掛からずに、稜の懐に潜り込んだ。そんなジェレインの右肘が、稜の左鎖骨に向けて、一直線に近付く。
稜はゾッとした。
「くァあッ!!」
魂玉をも左に動かしながら、槍を真右へと丸々引き出し、胸の前へと、横長の盾のようにする。位置を微妙に調節しつつ、それで弾く積もりだったが、そんな稜に向かって来た右肘は途中で止まった。
「がフッ!!」
稜は衝撃を受けた。右鎖骨に。
ジェレインがしたのは向きを変えての裏拳。左拳の裏がそこを砕いたのだった。
彼女の体捌きは超高速だった。その魂術で、摩擦と衝撃の力を操作している。彼女は、一秒後にはその身を沈ませ、踵で稜の足を払った。
稜の膝が落ちる。
右腕をうまく動かせない稜は、左手をコンクリートの床に差し出して、それのみで支える。
「――ぐッ!!」
伸彦からの熱線が飛んだ。ジェレインはその時には伸彦を捉えていて、飛び出た肉厚なレーザーを後ろへ跳ね飛ぶように避け、着地後、体勢を整えた。すると彼女は、
「死ね」
と、死んだような目で言って、飛び込んできた。次には伸彦もまた倒されてしまうのか――という時、飛び込んでくる彼女の胸元では、灰色の魂玉が今までで一番の輝きを見せた。
その時。
「がああアアアッ!!」
悠汰の声が、空に響いた。
それと同時に、ジェレインが倒れた。一瞬前に起こったのは、あり得ないほどの電流の迸りと、ジェレインの身体の浮き沈みだった。雷を受け、一瞬浮き、そして仰け反ったあと倒れ、その辺に転がる。その際にどこかをそんなに強く打ってはいないらしい――と悠汰は観察し終えた。
悠汰の魂玉は入れ替わっていた。青から菫色に。それは白蝙蝠とジェレインの事態に気付いた時のことで――
「ほう……その調子で仲間を殺すのか? 少年くん」
悠汰は既に怒っていて、
「勘違いするな。今のは気絶させただけだ」
もう、自分の口調になど構ってはいなかった。ドスを利かせている。
そして睨んでいる。
まだ相手の背後に女性が茫然と佇んでいる。それを視界に入れ、そちらにも気を配りながら、悠汰は。
「何の為だっつうんだよ、この野郎」
別人のように態度を変えたまま、問い掛けた。その最中、悠汰はまた違和感を覚えた。
「……ふっ。言うわけないだろ? 俺が、どうして、教えてやらなきゃいけない? んん?」
(狂ってる……そうさせる能力があるのか。でも……)
言われながらも悠汰は考え、理解を深めようとしている。
「おら、この女を殺してしまおうか? 俺を逃がせよ。当然そうするだろ? こいつを死なせたくなけりゃあなぁ……」
相手から言葉が届く中で――
悠汰は思い出していた。嘗て対峙した魔物。『黒い犬』がその能力の根源なら、それを使えば、紫眼との出会いの時に邪魔されなかったに違いない。だが、あの犬の力は、恐らく、抉る力だ。さっきの死体もそうされていた、紫眼と同じように。しかも守護体の精神でさえもこの男は操れる。そうでなければ、人質に成り果ててしまった女性の力の源、白蝙蝠の行動の説明がつかない。
(つまり……こいつの魂術能力は、ふたつ……かもしれない)
別の可能性はまだあるが、そんな可能性もあるのでは――悠汰の頭にあるのはそんな考え方だった。だがどこか悠汰の中では腑に落ちない。
(そう言えば。教師長の知り合いがさっき死んでた。あの人の話になったのはなんでだったっけ……)
「その女性を放せ」
伸彦がそう言った。
「うん? 俺に命令? あんたそれでいいのか? 馬鹿だねー、殺しちゃうよ、この女もあんたも……ヒヒっ」
男は明らかに狂っている。
「その、女性を、自由にしろと、言っているんだ――っ!!」
伸彦が、区切りながらまた威圧した。そんな伸彦の頭では――
(ちっ、まともに言うのが馬鹿らしくなってくるだろうが。何なんだ……いや、待てよ? もしかして……)
答えが出掛けていた。
相手も状況を判断できる、だからこそ今まで隠し通せてきた筈――『なのに』という感覚が、悠汰にもあった。
(なんで逃げないんだ?)
それはそんな言葉にもなった。思考が収束。
(逃げることを許されていない? いや、その許しすら必要としていない……? まさか)
そう思った時だ。
男は赤黒い魂玉を目の前に浮かせていたが、それを、その身に戻すように、吸い込むように消した。
そして悠汰の目の前に――正確には男の頭よりも上の高さに、一体の魔物が現れた。それは彼の守護体……と悠汰にも察しは付いた。大きな鳥型の守護体。
それを見た瞬間、悠汰は、
(終わった……!! くそっ……!)
絶望していた。今、予想している彼の中では、防ぐ手立てがない。結論はそうなっていた。なぜなら――彼の能力のひとつが、精神を操るというものである可能性が高いから。
「教師長!」
逃げてくださいという意味で、彼は叫んだ。
だがそれは遅かった。
「あ……アァ……! あああ……っ!!」
突然、伸彦は泣き出した。何がそうさせるのか。その想像は簡単だった。先程見つけた遺体は友人のもの。きっとそれに関する感情を増幅され、泣くところまで持っていかれた――悠汰はそう感じ取った。
稜も、槍を放つことさえ忘れ、痛みと恐怖の中にいた。そして蹲っている。彼らしくないのは操られているからで。
悠汰は、今ここで動けるのは自分だけだと理解すると、
「もういい」
『諦めたのか、小僧』
いつかと同じ声が話し掛けてきたのが、悠汰の耳に入った。その話者は、向かい合う男の足元にいた。後ろに隠されていたが、前に出て来ていた。小さいが、大きく見える。黒い犬の魔物。
(いや、多分、あれはあの死んだ人の守護体。あれも操られてる……口止めに殺された!?)
『どうやらお前を操れぬ。なぜだ……頭の辺りに魂素の混在を感じるな……』
赤黒い巨鳥に言われながら、悠汰は理解した。
(紫眼……紫眼の御蔭なのか……僕が操られないのは……紫眼の御蔭なのか――!!)
「箱から出た時、もうひとり居たんだな、それがそこの男」
悠汰がそう言うと、鳥が嘴を動かして、
『うん? ああ。そうだ。あの時からひっそりと、な。それで、どうした。諦めたのか?』
「……諦めてなんか、やるもんか」
静かに、悠汰は言い放った。
男、巨鳥、黒犬。この三者が目の前にいる。
自分のみならず、他人の意志まで含んだような、そんな眼光を、悠汰は、まず、巨鳥に向けた。
「俺は」
この時だけは、口調が違った。
「お前という『魔物』を、もう許さない」
それから、黒犬に初めて正面からまともに視線をやった。しかし、まったく畏怖の念を抱かなかった。まるでその菫色の目に籠もった自信が、そこだけではなく全身に巡っているような――そんな感覚を悠汰は得ていた。
そして大きな鳥へも視線を。
男の頭の上に浮いているのは、三本足の鳥だ。そのうちの二本は一対になっていて、脚として支える機能を有する形。残りの一本は、前方に、腹から出ていた。その一本は、折れ曲がった先で、手招きをするような手の形で、何かを掴んでいた。
――眼球。一つのその目が悠汰を見詰める。
『ふむ。気付いたか』
それは思考を読み取ったが故の言葉。悠汰にはそうとしか思えなかった。実際そうだった。
『では……私を拒むのだな?』
「どういう意味でだ」
何がどうなっているかを悠汰はかなり理解した気ではいたが、この鳥の目的をわかってはいない。宿主の男さえも操って何をしたいのか。
『魔物を、殺したことはあるか?』
「……ある。それがなんだ」
泥臭さが付き纏うようなどす黒い赤色の鳥。それが宿主を介さずに問う。足先の目も顔の目もぎらりと輝かせながら。
雲が空を覆って、悠汰の灰色の制服と雲とが憂いを増させた。迷信を信じるならどことなく嫌な気配となる今、奮い立たせた気持ちで不安を掻き消しながら、悠汰は――
(こいつの目的は、『魔物』にとっての脅威を消すこと……か? 対魔警軍とその下位の宿舎生も、何もかも。すべての可能性を殺すこと……? 現に、ああやって殺された)
自分の意志を確かめた。
そして、揺るぎ無い魂玉の輝きを見せる。菫色が、今まで以上に薄く、光の明るさを極度に含んだ煌めく色となる。
悠汰は、相手とその魂玉と、両方に意識を集中した。
すると、ふと、その嘴が――
『そなたは――そなたらが設けた制度が魔物を締め付けているとは、思わなかったか?』
と、淡々とした声を届けた。
「……? 何の話だ」
『そなたは――そなたらの所為で魔物が自由ではないと考えなかったか?』
「ふざけるな。そんなこと思ってない。だからこうして仕事ができるんだよ、俺はな」
『そなたは――そなたらの超自然的な力で以て、自然を護れているのか?』
「あ?……それが」
『自然とはなんだ?』
「……は? 何が言いたいんだ」
『私は、魂術能力者のすべてを消し、魔物が自分を個として存在させられる世界を創る』
「その為にこの問答が必要だって言うのか?」
(馬鹿馬鹿しい)
当たり前のことだった。答えは出ている。自分は自分でしかない。個は個そのものより大きなものにはならず、個未満にもならない。魔物が話を聞かないなら――赤狼なんかがそうだったが――駆除はしても、話せる者は違った。いつだって悠汰の中にはその想いがあった。そんな個の在り方では駄目なのかと、悠汰にはそんな想いが生まれて当然だった。
「俺は……お前を殺す。魔物の世界を創るだと?……それじゃ同居することができないだろうが! そもそも! それによってもたらされたのが約五百人の死体だ! これ以上ふざけると――」
それ以上は言えなかった。その三本足が遮って――
『そなたは――そなたらの行ないすべてが、魔物の為になっていると思っているのか?』
(魔物の為にしていてもってことだな……というか、この問答、いつ終わるんだ)
悠汰は嫌になりながらも。
「思ってる。ああ思ってるよ。そう思っていなければ……こんな行動を取っていない! 何度も言わせるな」
『……相容れぬか……』
鳥のその声が聞こえた瞬間、あの犬が、飛び出してきた。唐突に、腐った血の色の鳥の命令に従って、恐らく魂術能力も使う積もりで。
犬は、悠汰の眼前ではなく背後へと、横から回り込んだ。
悠汰が振り向いて見やったその視線に先にいるのは、庇を支える鉄骨の柱を蹴って跳ねるように飛び掛かってきた犬。
触れる訳にいかなかった。その魔物には抉る力がある。
故に、悠汰は遠退いた。
悠汰がいなくなった地点の付近に犬が着地、その牙や足が悠汰に触れはしなかったが、その着地点から先の地面が、消失した。跡形もなく、音も無く、スッと消えた。
その範囲は広かった。悠汰は落下し、下の階の床へ。
何とか着地した。その瞬間、悠汰は放った。心の引き金を、無言で、心の中で叫ぶように引いて――雷の一撃を。そこに間などない。まさに一瞬の出来事。
黒犬は、悠汰の前へと飛び降りて来ていて、その落下途中で電流を喰らった。微かな悲鳴の後で地に落ちる。それでもまだ動こうとし、犬は立ち上がった。
その黒犬は、そこで、一声鳴いた。それは人語ではなく、魔物の声としてではない、犬そのものの声で。そして優し気な目を悠汰に向けた。
(えっ――なんで)
悠汰は見やった。その温和な顔に、引き込まれた。
目の前で、犬は、再び険しい表情を見せ、自分の腹を噛み千切ろうとした。
気付いた時には遅かった。魂素の流動を形状記憶できずに、その犬の姿は朽ち、どこかへと――舞って消えた。
悠汰が守護名さえ知らぬ犬。死因の、自らの行動を除外すれば、鳴いたのが、それの最期。
悠汰は思わず目を逸らした。青い魂玉を創り、氷を生み出し、足場にして上へ戻ると――穴の上から見ていた鳥の前へ、悠汰は戻った。そして見た。辺りには、蹲った数名の姿。
一ノ宮教師長。対魔警軍所属、相越知稜。川元ジェレイン。ジェレインを仕方なく気絶させはしたが、すべては操られた所為だった。
悠汰は、どこも見たくないと思った。目を閉じるしかなくなる。
「人の心を……同族の心までをも、弄びやがって……っ!」
悠汰がそう浴びせた後、鳥型の魔獣は、
『枷を幾つか取り払っただけだ』
「箍を外させたの間違いだろ」
――心理操作、故に。
もうそれ以上、悠汰は話す気になれなかった。目を向けることも、何もかもを放棄した。目を瞑る。本人は息を止めたような気さえした。が、どうしても血流だけは止まらない。
(止まる者をこれ以上見たくない――)
『私は完遂する。少年よ――』
間が空いた。その時、その鳥類の悪魔は、自分で攻撃しなかった。この時利用されたのは蝙蝠。……本当にそこに心など無いのではと、悠汰は悲しみを抱いた。
「蒼天」
一言で事足りる。悠汰はそう信じた。
目を瞑ったままでの召喚に成功。白蝙蝠の動きを束縛させる。巻き付かせる。相手は翼を広げることができなくなり、その足は宙を掻くのみ。
悠汰はそこで目を開け、腐った血の色の鳥を見た。
『おのれ……っ!!』
稜が立ち上がって黄の魂玉から幾つもの槍を取り出す。そしてそれを放とうとして――
悠汰の怒りは頂点に達した。
「迸る稲妻に抱かれよ……」
静けさを愛するように、静寂を呼び込むようにそう言うと、悠汰は、あらん限りの魂素を込めた。
さっきよりも強く。どんな時よりも強く。
そう願われた電流が直撃。
闇と血の色の鳥は、動かなくなった。その後で、無意味に佇んでいただけのその鳥の宿主が、意識を……
「うっ」
取り戻した。彼は事態に気付いたが。
「ヒヒヒ……」
彼は不気味に笑い、鳥を宿し直すと、悠汰に向かって手を伸ばした。白蝙蝠の宿主の女性に対しても手を伸ばした。操ろうとしたのだ。が、それが悠汰には効かない。女性だけが――さっき一瞬自分を取り戻したのだが――彼の意のままに動く。
男は、そうだとわかると、悠汰から退き、女性を盾にしようとした。
(ごめん。僕は心を鬼にする)
悠汰の雷は、彼にも落ちた、女性を避けるようにして。
男が倒れ、動かなくなると、その体から、血のように魂素が溢れ、流動体を作り、それが――どこか遠くへと、一直線に飛んで行った。
経験したことの無い無常感が押し寄せる。そんな中で、悠汰は、全身で、雲の切れ目からの熱を感じていた。そこに現れた青空を見て、複雑な感情を得る。
もう不穏な気配のないその場所で、悠汰は口にした。
「僕は……人も、魔物も、救ってやるって決めた。それは生かすことをするってだけじゃないかもしれない。悲しいこともあるかも。でも……絶対に、そんな存在の為のことを。これからも。ずっと」
彼の後ろで、目を覚ました者たちの気配。彼らがそれまでと同じ空気感を漂わせていることを、悠汰は、嬉しく思った。




