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現代神話物語  作者: 弧川ふき@ひのかみゆみ
第五章 任地の岩

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4

 最早もはや思うことさえも皆無だった。ほんの数秒ずつに気の抜けない瞬間がやってくる。

 悠汰ゆうたは話をしたかった。そのために重い氷を落とさずにいたが――そうしていたら、守護体しゅごたいを召喚された。

 一ノ宮(いちのみや)伸彦のぶひこ――彼にとっては、それしか打開策がなかった。

 その、伸彦の守護体がかなりの力の持ち主なのだと、悠汰は知らなかった。まあ、伸彦が炎使いということも、ほぼすべてをだが。

 それは虎だった。燃える色の虎。壁となった氷を吹き飛ばすほどの力が、その虎にはあった。

「出っ――!」

 そして、だから逃げざるを得なかったのだった。

 まさかこれほどの強さとは――ということを、悠汰は、想像してはいた。それは地位が教えてくれていたからで。

(教師長……対魔警軍を仕切っていた人物……! 対魔警軍を創設する前は警視庁の幹部だったって話だけど……)

 その威厳は一目瞭然だった。しかも頭脳明晰。そしてその頭で彼が弾き出した最善の手段を行動に移せるその運動能力もまた。

 あらゆるものが卓抜としている。

 屋上。

 悠汰も召喚し、青さのある氷の龍――蒼天そうてんに乗り、そこへ降り立っていた。

 飛ぶだけでそこへ行けた悠汰とは違い、伸彦は、赤い虎の背に乗り壁を駆け上がる必要がある。が、それでも、屋上に行くことが伸彦にもできた。それほどの力がその虎にある。この守護体の力もまた脅威。

 伸彦の辞書にひるむという字はない。悠汰はそのことを、目の前に、その存在感と共に感じていた。そして互いの視線が交差する。ただし、悠汰の左目には白い眼帯。悠汰から刺すのは右目の視線のみ。

 お互いが守護体から降りた状態になった。そのタイミングで。

「今からでも遅くはないと思うがな。大人しく捕まるんだ」

 命令でしかない。

 言い終わると同時に、虎が悠汰に襲い掛かった。それも命令。

「蒼天!」

 悠汰も命じた。それは内容を言わずに心に伝える行為――連帯感に満ちていた。蒼天が飛び付く。

 冷気を携える――青く澄み渡った、透き通る牙。

 熱気を従える――赤く澄み渡った、不透明な牙。

 交錯する守護体たちの四肢のあいだから、炎がこぼれた。それが悠汰を襲う。

「戻れ!!」

 一瞬の判断で蒼天を呼び戻し、体内にまで戻す。魂玉こんぎょくを新たに創る。中に空間があれば人が丸々入れるほどの巨大な青い魂玉を、前に差し出すように動かし、そして両手を前にして――

 念じる。強烈に。厚く重いイメージ。そこに神殿でも呼び出すかのように。

 ゾンッッッ!!

 激しい音を立てて、氷壁が建った。火はそれの向こう側でとどまり、行き場を失って消えた。

 悠汰は、伸彦とその守護体の力を、だいたい理解した。何か隠されていれば――と思うからこそ、それはだいたいと思うに留まる。

『火』

 と言っても、それの発生源を創って操作する程度で、どこにでも生み出せるわけではないらしい。自分の氷もそうだ、手元で生み出せはしても、それを動かさなければ意味は無い。だから魂術こんじゅつ能力としては魂玉の位置が大事になる。召喚してからでは守護体しゅごたいの位置が大事になる。

火牙いぇんやあ……」

 透明度の少ない氷河のような氷の壁を生み出され、目標を見失った一ノ宮伸彦教師が――そうつぶやいた。微かに聞こえていて、

(技の名前か、守護名しゅごめいか)

 と悠汰は考えた。

 目の前にさっきまでいた伸彦の守護体が消えた。それを氷の壁が大き過ぎて悠汰は察知できていないが――屋上のどこにもいない。主人の身体からだに一瞬で戻ったのだ。

 悠汰からは、氷の巨壁のせいで伸彦のことも見えていない。無音でその冷たい壁を回り込む。左側から一気に彼のふところまで跳び込もうとした悠汰だったが――

 頭上から降ってきた虎が目の前に。立ちはだかった。

 その眼光を、悠汰は右目だけで受け取る。目の数は関係ないが、それのせいで身がすくみ――

 心の中だけで、雄叫びが完了した。

 勇気を振り絞り、踏み込む。

 氷を生み出す。最初と同じ、氷龍のイメージ。だが若干だけ違う――創造部位が首から先だけだった。

 悠汰は指をかぎ爪のように曲げた状態でこわ張らせ、無理矢理に力を込めた。そうすると魂素を込めるのがしやすいと感じていたからだった。そして小刻みに揺れ、まる感覚を得、そして一気に放出する。標的を一気に引き千切って足下に叩き付けるように、貫くように、壊すように――

 氷龍の牙を突っ込ませる。

 瞬間的に、毛並みの虎が筋肉を委縮させたのが、悠汰にも見えた。虎はコンマ数秒遅れで飛び退こうとしたが、もう遅い。

 虎は後ろに突き飛ばされ、赤い血を――これは赤い守護体しゅごたいとしてのものであり生命としてのものではないが――き散らしながら、体積を減らすように、霧散するように消えた。

 しかし再び。息をく間も無く、その主が魂玉こんぎょくを再構成。

 悠汰が氷をすべて――龍の首も壁も――消すと、伸彦が遠くにいるのが、彼の目に映った。

 少々歩いて近付いてから、伸彦が声を届ける。

「お前が、こちらの言っている魔物を殺していないという証拠はあるのか、どこかに」

「今更じゃないですか……信じる気はあるんですか? もし無いなら――」

「そんなことは、無い」

 言いながら、伸彦は手のひらの上に浮かぶ魂玉を限りなく小さくしていった。密度が増し、輝きが増し、その深紅の光しか見えないくらいになる。

「君がここまで強いとは思わなかった」

 急に、何かを惜しんでいる、と悠汰は考えた。つまりそれは、殺すからではないか、とも。悠汰は全身に集中すべきだと考えた。そして――

「こんな気持ちを……俺は……押さえ込んでいたのか。そうかもしれないな。自分が創設した軍を信じずに、ほんの十数年生きただけの少年を信じるなど、できないと考えていた……多分」

 それだけの声があってから、新たに間が生じた。伸彦が次の言葉を考えるまでの間。息を整え、先の台詞の続きを言うまでの。

 そして言う。この時の木々のざわめきが届く中で、風に消すように。

「今の俺なら、君を信じる気はじゅ」

「僕は違う」

 聞き終えずに悠汰ゆうたが答えたのは、何を問われるかわかっていたからだった。そして先を急ぎたかった。

「殺してない。そもそも何のことか」

「馬だ。白い」

 そこで、悠汰の顔色が変わった。

「三つの角の、な。途中までの目撃例はあるのに――」

「それなら。本当は魔物なんて、殺されてもいない」

「何?」

 そこで、今度は伸彦のぶひこの顔色が。

「殺そうとした者が、ほかにいるのか?」

 一ノ宮(いちのみや)伸彦――教師長は、今度は親身に耳を傾けている。

 胸にひとつの光を灯す。温かさを感じた悠汰は、

(最初っからそれを聞いてくれたらよかったのに……)

 とは言わないことにした。

(まあいいや)

 そして魂玉さえも消した。ただの青い魂素流こんそりゅうへと変化させ、身体の表面へと移動させる。付着すればそれは肉体に吸い込まれる。そう促しながら――

「はい。ほかにいます」

 それだけを答えた瞬間、別の何かの声を聞いた気がした悠汰だったが……彼は気にしないことにした。また伸彦が口を開いたからで、その声を聞きたくて彼が耳を澄ますと――

「フッ――」

 伸彦はこの方向に話が進むことも予想の範囲に入れていた。なるほど、こうなったか、という納得。そして、まだ何かあるかも、という顔。

 その瞬間、凝縮された赤い魂玉から、何かが放たれた。

 前に見た時は、()()自体が太く、もっと低温だった。それでも死を連想するほどだったが。だから、細いそれが何なのかを、悠汰は一瞬、理解できなかった。

(死ぬ――!)

 その瞬間、目の前に、黒い何かが建った。視界を埋め尽くしはしないが、それほどの何か。それが彼を護った。護った何かは、その背を悠汰より高くすることはなかった。そうなろうともしていない。悠汰にはそう見える。邪魔になっていないから、悠汰は伸彦を見ることができていて――

 そこに、また何かが現れた。その新たな黒いシルエットが別の物に見える気もして、それから、

(あ、そっか)

 と、悠汰は気付いた。

 見覚えがあった。今、合点が行った。その現れた黒い盾と魔物とを見て、それからまた教師長へと視線を。

 彼のレーザーは、彼の左手のひらの手前に浮いている極小の魂玉から発せられ続けている。この状況になったことで、悠汰の顔面のほうへと角度を上げようとしていた。

 悠汰は――ある程度は焦りもある中で――低くて黒い壁の向こうに、まずは一瞬で魂玉を創り出した。そして一度言ったことのある言葉を。

「氷よ、目覚めよ」

 次の瞬間、レーザーの通り道を塞ぐように、四つもの正六面体の氷が、道のように並んで盾となった。

 その背丈は十分。だから悠汰の頭も、もう相手からは見えない。ただ、相手はレーザー。だから並べた、厚みが必要で。

 そして一つだけ、遠くに魂玉そのものを飛ばし、そこから出現させた別の氷を、背後から――

 悠汰は見えず仕舞いだったが、伸彦の背中に氷を当てることはできた。

 不意の一撃――のせいで、伸彦は前へと押しやられ、前頭部を、目の前に並んだ氷の最前面に強打。集中が欠けた彼の魂玉は元の大きさに戻った。そしてレーザーは消えた。

 悠汰もすべてを消し去った。盾の氷もすべて。攻撃に使った氷も。

 相変わらず魂玉だけは携えて――無事を確認。伸彦はうめいてはいる。すぐに立ち上がるだろう。もう少し話が必要か……という時、黒い壁が消えた。悠汰自身の影の中に。

 近過ぎるし薄い盾だった。だがそれはレーザーをものともしない。熱学や光学の法則を無視している存在。

 悠汰は感謝した。すると、遅れて現れた黒いシルエットは、尻尾を振った。

「くっ」

 伸彦のうめきとは別に、悠汰は、また声を聞いた気がした。聞き慣れた……頭に響くような声。

 どこから――と思った悠汰と伸彦とのあいだに、ひとつの存在が現れた。

『のう、主よ。私はそなたと共にると、誓ったはずだな……?』

 現れたモノの言葉。見覚えのある毛並み。その色。片方だけの目。

紫眼しがん!!」

 嬉々として叫ぶと、そのタイミングをあらかじめ知っていたように、それは自ら宿主の眼球へと、吸い込まれるように変貌を遂げた。

 悠汰は、左目の神経や筋肉等、すべての感覚を取り戻したのを理解すると、左耳裏の眼帯の紐を解き、その左手でズボンの左ポケットに、眼帯を畳んで突っ込んだ。そしてそこから手を出し、一言。

「当たり前だよ……」

 屋上に、悠汰と、伸彦と、子供の蜥蜴とかげ。しかし、それはそのどれに対するものでもない。

 今度はその三角獣の白馬を想いながら、すみれ色の魂玉こんぎょくを創り出した。「当たり前」と言った自分の声を合図にするように、素早く。その瞬間に発せられる魂力こんりょくは、異常なくらいに増していた。

「それは……?」

 肌で実感しながらの、伸彦の質問。

「僕のもう一つの魂玉です」

 満たされた気持ちと共に答えたが――この答えでは不十分だ、と悠汰は少し経ってから気付いた。改めて。

「殺したとか殺していないとか、論じていた魔物の、正体ですよ」

「なにっ!?」

「今、僕の中にいる。僕の中に生きてる。守護体しゅごたいとなって……だから、僕は殺怪犯さっかいはんじゃない。というか……『殺怪犯は僕じゃない』」

 言い終わった悠汰が見詰めていた先から、め息が漏れた。どんな意味の息か――彼の想いを察する余裕ができた気がして、悠汰は考えた。

(諦めたのかな……というか、新たな事実に気付いたとか? 紫眼に対しての気持ちとか……は、わかってほしいけど)

 思っても今は場違いなことだと言えたかもしれないが、そんなことを悠汰は思ってしまった。そしてあらゆることを察する能力が高いのは当然であろうからと、そんな伸彦を尊敬する積もりでいた。

 伸彦はと言うと、どうも悠汰を認められないでいた。こんな風に背の低い、線も細い少年が……? と思っている。それがあの強さと、今のこの魂力の圧を……? と。どこか憎らしい。が、しかし憎めない、と――

 思ってしまった。その溜め息だった。

 顔も穏やかになって、そして。

「誰がやった?」

「え? えっと……黒い犬です。黒い犬の魔物が」

 互いの顔が清々しくなるまで時間はそんなに掛からなかった。認め合う態度があったからだ。

 しかし、すぐにその伸彦の表情が曇った。黒い犬の魔物――という証言があったからだ。

(そんな馬鹿な……そんな。あいつが……?)

 魂術能力者を育成する校舎の教師長であり、対魔警軍創設者である伸彦だからこそか、思い当たる者がいた。が、彼はそれを認めたがらなかった。

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