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彼は言った――彼女かもしれないが。
「魔物が蔓延るようになった頃、神が人を試すであろう。力を授け、溺れるか、導けるかを見るであろう。超自然的な現象を以て、いずれ世界は魔物と人を共存させるであろう。神が人の行く末を定めるのである」
顔を出さなかった者の言葉だ。
パンドラの箱を開け、魔物が世に広められた所為で、その予言は現実となった。
それらから人を護るべく、か。いつしか超常現象を引き起こす能力を手に入れた者が現れ始めた。
それらの人間をまとめ、護り、護らせることで地位を確保し、市民への大義名分を立たせる為に、学校が作られた。それらは後から採って付けた目的であり、本来の目的はその能力を厳重に管理することと、道徳的な観念を育て、悪用させないことだった。
日本で、神話や伝説の魔物、聞いたこともない化け物などの姿が見られるようになって、もう、どれだけの時が過ぎただろうか。
二か月。
洲田悠汰という男が、この時の全員とその学校に集まってから、それだけの月日が経った。とはいえ、今はあれが全員ではなかったかもしれない、などと、彼も考えているわけだが。
悠汰は、ふう、と溜め息を吐いた。周りには誰もいない。そんな空間を自ら作っていた。自分はそういうヤツだから仕方ない――と慰めるように考えると、彼は、寄り掛かっていた背凭れから背中を剥がし、立ち上がった。
鐘の音が鳴り響く中で、ひとり、給食所に向かっていた。高校で言う食堂だった。
自分のクラスが二階にあるので、一階だけ下へ。
床を擦るようにして廊下を歩き、階段を下りる場合でさえも音を立てないように頑張ってみた。それを上手くできるようになったのが嬉しかった彼は、空しくなるくらいに声にせずに微笑んでから、苦笑した。
「よお」
突然、横から声を掛けられた。
悠汰は、階段から下りてすぐの一階の廊下を右に進もうとしてすぐ前の位置に、見慣れた顔を発見した。そして顔中に溜め息を詰まらせたような顔をして――
「何? 先に給食所に行きたいんだけど」
「おう、ええよ。一緒に行こうや」
相手はそう言うと、気安く肩を組み、明るく接する。静かな雰囲気を好む悠汰にとって、リズムを崩す彼はほんの少し不愉快でもあり、頼もしくもあった。そもそも話し相手は彼だけだった。彼を大きく認めている。
給食所に着いて。手前左側のレール上にある、最も入口に近い所にある白いトレイを取って、すでに並んでいる行列の最後尾に足を進めた。
同じ動作をして後に続いてくる彼が、そうしながら口を開いた。
「お前さ、後ででええから、『守護体』見せてくれんか」
「なんで?」
「や、見たいやん。見たないんか?」
守護体というのは力の源のこと。これが体内に宿っている者が力の発動者となり得るのだが、その正体は善良な魔物が多かった。表現すればそういうことになってしまうのだが、そもそも魔物と言っていることが間違いなのかもしれない。同じ物から飛び出してきたにせよ、それを訂正したり、その言葉自体の意味の改正をしたりしないのは、人間の恐怖心からだった。余りに利己的な恐怖だった。
「別に他人のを見ようとは思わないけど」
言い返す時、悠汰は、いつも相手の目を見詰め続けることをしなかった。十分に見たと思えばすぐに逸らす。自分の手元に集中している。
「え~。じゃあ……『魂玉』だけでもええから。な?」
まだ言うか、と悠汰は思った。
(別に見せたくないわけでもないんだけど……今は食べるのに集中したいし、後から態々というのも面倒なだけだけど)
魂玉は、能力を使う為に造る球状の物体のことだ。運動で使用する道具にあたる。球技の為のボールや、バトンやリボンのような。そういったモノを造ることで、それを操り、力を発揮し、皆の生活を護るのが彼らの役目だった。
「――まあ、別にいいよ。後でね、後で」
トレイに完全に、この昼の食事をすべて載せ終わってから、彼の方を向いてはっきりと伝えた。
「おう、この後な」
案内する積もりではなく、結果的にそうなっただけだが――空いている席に彼を連れていきながら、悠汰は座った。
そこからの外の景色は格別だった。
山奥。窓辺。
そういった場所なだけあって、この景色の夏は緑に生い茂り、青々としていて、秋は紅葉が目の前に舞い、赤々としていてくれるのだ。悠汰はその頃を待ち遠しく思っていた。
「よ……っと」
さっきから悠汰と話している男が椅子を引いた。右手でだ。左手では同じく食事の載ったトレイを、そんなに音もなく机に置きながら、
「ここの授業形式って辛いよなー」
と。そして腰を落ち着かせた。
彼の言う授業形式とは、『力』、『数』、『物理』、『戦術』、『農耕術』、『社会』、『化学』、『自然』の八教科と、『体育』、『保健』、芸術の内の『音楽』『美術』のどちらかとで計十二教科だった。それを一クラス約五十名で受ける。特に、力と戦術の授業は今までどこにもなかった所為か、難しいの一言に尽きた。
「確かに。何とかやっていくだけで精一杯だよ」
と悠汰が同意をすると、彼が、
「でさ――」
と。肉の一切れを一口頬張ってからも。
「――お前の『魂素量』の話ってしたっけ?」
「んー……してない」
口の中が空になってからそう言うと、また彼が。
「どんくらいなん?」
最初に彼と会った時にも悠汰は驚いた。今はそうでもなくなった。彼の言葉の端々に、相手のことを考えていないようで考えている、その安心感があったからで、悠汰にとって彼の存在はやはり大きい。
その問いの後に、悠汰は少なからずの躊躇を見せた。暫く待たせるように間を空け、勿論、食事を喉の下に飲み込んで、口が空洞になってから、悠汰は、
「……十万九千、十八威」
と、小さく呟いた。
「な、なんやてぇ!」
「静かにしてよ。でも、事実なんだよ」
それは神の領域だった。神が存在するとしてではあるが、そう想像させるほどだったのだ。
「お、俺は七千二百二十威やぞ? 幾らなんでも……何やぁ、一線超えてしもうとるがなそれ」
『威』というのは、能力に用いる『魂素』と呼ばれる消費物の量の単位。運動に於いて言う所の体力。平均の魂素量は、六千威で、やはり彼の言う通り異常な数値なのだ。
食事を終えた。食事も昼休みの中で済ませなければならず、残りは四十分ほど。
校舎裏の休憩所のひとつ、広場に来ていた。
黒髪の少年――悠汰は、一本だけ大きく立っている木に背を預け、少しだけ丘になったその場のふもとにいる関西弁の少年を、仕方なく見下ろしていた。
「じゃあ――目を逸らすなよ」
「わかっとるがな。こっちから頼んどるんやけんな、そらぁ」
彼の声を聞いてから、悠汰は、そこから見える二階の窓を見上げた。そこにいる者からも見られるかもしれない。
守護体を見せ合っている者は、いなくはない。とはいえ悠汰にとって、しょうがないという気持ちが大きかった。
(手早く)
深く息を吐き、開放するような感覚を自分の中に作る。そして一気に力を込める。筋肉を瞬間的に酷使するように――目の前に念じた。
そんな悠汰に、誰かが、
「何やってんだ? んん?」
絡んだ。それは三人衆のひとりで、
「さっきの、聞いてたぞ。あり得ねえだろあんな値」
「十万威? だったらそんなに能力も強いのか? ああ?」
と、残りのふたりも。
確かに、能力は、魂素量の多さに比例するとは限らない。だがそれだけ持続力があるということに他ならない。しかし、悠汰の自信はそこから来るものではなかった。
「うるさい」
飽くまで静かに、守護体を呼び出す。これを召喚と呼ぶ。議員招集などに使う言葉と同じだが、分ける必要もないと感じられたのだろう。守護体たちと会話し、組織した人間があらゆることを決めた時点からそう言っていたのだ。ビデオゲームなどで子供が言う言葉にもそういったものがある。その召喚を完了する。
と、そこに現れたのは――
青い龍。
全長で六メートルはありそうな、そんな、細長いといよりは太長い身体を見せつけて、黒髪の少年、悠汰に巻きつき、言葉を投げ掛ける。
『なんぞ――用があるのか、小僧ら』
絡んで来た三人衆は、明らかに動揺を隠せないでいた。




