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「だ……誰やァ!!」
言って振り向きながらも、揺れる目線を向ける。道に出てきて歩いていたが、怪しげな足音が左手の森からしたのだった。
見詰めることを理性は求めたが、本能は拒む。もし恐ろしい敵だと判明できてしまえば、逃げ出したい――身体は小刻みに震えては止まる。
名前を名乗れば援軍となるわけでもない。敵か味方か。具体的な立ち位置を知りたかった。
慎重に何度か呼吸をした時――姿が見えた。
誰なのかと問うた彼の前に現れた人物は、黒い魂玉を宙に浮かせていて――
「俺は、那岸将次郎。ここの校舎の人間やけど?」
意外にも丁寧に返され、彼は奇妙な気持ちになった。そしてその最後は、彼にとって「そうだと知ったらどうするのか」という問いに聞こえた。
「……や、別に。何もあらへんけど……。なんやねんおっちゃん、めっちゃ怖いわぁ」
「は? ま、どうでもいいけど」
将次郎は耳の裏を掻いた。話を変えたいという想いもあったからで。だから続けた。
「というかこの騒ぎはなんなん? やっぱり俺らの上司使って何か企んどう奴の仕業かいな?」
「……? 知らんけど」
互いに質問し、答えもあったのに、ほぼ何もわかってはいない。味方は増えた。それだけ。それが心強くもあるものの、不安は消えてはいないことを、風が教えていた。冷たい風が通り過ぎる。この季節、もう十分暖かくなった頃だったが、魂力に中てられたせいか、ちょっとしたことで背筋が震える。
その震えから解放され、溜め息を吐く。
半田健司のその一瞬の隙を衝き、獣のように飛び掛かった存在があった。それは反対側の森の縁から姿を露わにしていた男で――
「――っ!」
相手に魂術能力を使う暇を与えない、そのくらいの俊敏さで、十分に判断し、動く。
一瞬後には、何かが空中をスライドする音と、銃声とが鳴った。
ボンレスハムのように、その身を、宙を舞った何かで締め付けられ動きを封じられたまま、男は撃たれた。と言っても、その箇所は足首。
一瞬の動転と短時間の痛み。その男はそれらだけを感じていた。地面に打ち付けられると、気絶。その肉体から魂力が消え失せた。連動して、男の胸元に実はあった魂玉も同様に。
打ち付ける為に念力的に操られた黒い輪を、将次郎が消し去った。そのタイミングで将次郎が、
「もー、危険やなぁ。……さ、校舎のほうに行こう、まずは安全確保せんといかんけん。走るよ」
「お、おう」
(博多人なんかな)
走る彼を追うことになった。追いながら健司は、速度を一時的に上げ、途中から横に並び――そして周囲の気配を探ることにも集中した。
黒い魂玉を共に携え、軽快に走っている。その様はさながら一対の演舞者たち。
……来た道を戻る途中、今日初めて通った時と同じだと健司が思えたのは、今まさに南中しようとする太陽の輝きの強さだけ――彼がそう錯覚するくらいに、何もかもが違った。
紫眼に対して答えた男。彼は、
「違う」
とだけ言った。その青い制服は対魔警軍のもので、その姿からはもっと別の返事があるものと少女は思っていた。
彼女からしても、その姿はニュース等で見たことがある程度。警戒した彼女は、三つの角の白馬・紫眼の腹や脚を前にして身を隠した。首だけひょいと出し、観察する。
「私は確かめに来ただけだ」
と、男から述べた。回答の続きだ。
『何をだ』
「…………」
『若しや、任務の真の意を……ではないのか?』
すると、男は、鋭い目を一瞬だけ大きく見開いたあとで、それを更に鋭い目にして。
「……そうだ」
紫眼のほうを向いている彼の背後に、近付く音があった。自然の音楽以外の音。
無言のまま、彼は、右肘辺りに浮かせた魂玉から、左手で武器を取り出した。
黄一色の、二又の槍。
彼がそれを取り出すのは一瞬のことで、そして彼は素早く振り向き、それを投げた。投げられたそれは、見事に目標物を首を木に叩き付け、さすまたのように完全に身動きを封じた。その勢いで後頭部を激しく打ち付けた相手は、気を失った。
魂力を収束させ、投げた瞬間に一気に爆進させる。彼がいつもやっていることだった。そうすることで攻撃速度を上げ、ほかに費やせる時間を稼ぐ。
「……まだいるな。私は校舎に行くが、お前たちはどうするんだ?」
後ろだった方向を身体の前方にしたまま、彼は、目もやらずに言って新しい槍を呼び出した。どもまでもレモンのように眩しい槍。
『同行するに決まっている。森の果てまで生きて逃れられると思っているのか?』
男と槍を視界の端で捉えながら、紫眼が太い天声を響かせた。
少女――亜紀は、一歩前に進み出ており、辺りを見回していた。ビクビクとしながら。
紫眼と男は、そんな彼女に一瞬だけ目をやった。
「さあ、な」
『お主……槍を投げているあいだに、その形を遠くから変えられぬか?』
魂術能力を唐突に訊かれ、適当に手元の槍を投げた男は、森の中から悲鳴がしたのを確認してから、振り向いた。
「できるが。動いているあいだにとなると、イメージも同じ速さで動かすのに近いことになるから、魂素の消耗は激しいんだが……それがどうかしたのか?」
『この娘の能力が、どうやら『速さ』らしいのでな』
「一回一回が疲れなくなるよっ」
元気一杯の、だが少しだけひそひそとした亜紀の返事。
『と、いうことだが……投げるものが小さければ小さいほど有利だろう。だが小さ過ぎれば、首元目掛けて飛ばしたところで、貫いてしまわぬとも限らぬ』
「なるほど。ふむ。速さの面では自分の魂素を消耗しないで済む、だからその分、武器を欺け、と」
彼は、紫眼のそばでオドオドとする亜紀に視線をやり、ほんの僅かにだけ口角をコミカルに曲げた。
「よし。そうすることにしよう」
紫眼の首の横でいつの間にか蹲っていた亜紀が、立ち上がって、魂玉を創り始めた。
青い、不透明な――磨りガラスの大玉のような――
それを見下ろして、同行者の準備が完了したことを確認すると、彼は黙して歩き始めた。暫く経ってから、一体の守護体へと、
「前方は私とこの子が。誰の守護体かは知らないが……お前には後方を頼めるか?」
『無論だ』
注意を払いながら歩くのは想像以上に疲れる。
そんな中に少女がいる。
怯えながらも、先程よりは安心し、明るい顔を見せる。
ああ、これを守らねば――と、どこからか力が湧いて来る、そんな想いを彼は感じた。
そう耽りながらも頭の片隅では気配を読むことを忘れない。そんな中、五十歩ほどを歩いた頃――
前方から、血の臭いが立ち込めてきた。




