5
音が届く。棚が倒れる音。ガラスが割れた音。壁に穴が開いたのか――木の割れるような、それでいて籠もったような音も。
家の中だということを、これを見る彼は、うんざりするほどわかっていた。
次の瞬間には、甲高い悲鳴が木霊した。
暫くは、それが誰の声なのか理解できなかった――当時は。
「うぐっ……」
身を起こそうとした彼は、その時になってやっと、自分が大怪我を負っていることに気付いた。必死に痛みに耐えて立ち上がり、声のする方へと向かった。
この時ばかりは、自分が能力者で良かったという感覚になった彼だったが。
彼の妻は、見つけた時には、既に、とても見られたものではなかった。
(――っ!)
「あ、起きました?」
声の方向は、正継から見て真上だった。
世界を、まだ漠然としか受け止められない。ぼんやりした視界をとりあえず向け、正継は眉間にしわを寄せた。……最初は枝葉が揺れていることしか彼にはわからなかった。
だんだんと見えてきた少年の輪郭を、はっきりと捉えることができるようになってから、正継は言いたくなった。
「お前、怒ると怖いんだな」
先の夢見から逃れる為に、少年――悠汰を利用して現実へと逃避したのだった。
「……あー……まあ……や、そんなことを言ってる場合じゃないんですよ」
言われて、
(自分が倒れていることも不都合か?)
正継はそう思い、立ち上がった。すると。
「校舎に誰もいないんです。恐らく森に課外授業と称して呼び出されて、集団暗殺を謀られたんだと思うんですけど」
根拠は、これまでに聞いたすべての言と、これまでに見たすべての現。確実な証拠ではないが、確実な疑問点ではあった。
「わかった。授業場所へ急ごう」
彼の声を聞いてから走り出した。向かうは――もしかすれば自身の死に場所ともなり得る所。深々たる墓。
森を渡る。蔓延る木の根に引っ掛かって困ることがないようにと、あらかじめ広い道が作られていた、そこを渡る。実践の研修が行なわれている場所へと。
彼らは、今はもう、自分の通る道が死への道程だとは考えることもしなくなっていた。さっきまではそうだったが、ただ自分の身を護る戦いで精一杯の者たちの為に、すべての力を駆使して安全を確保する、その想いで満ちていた。その想いゆえ、
(持ち堪えてろよ、俺は……もう……)
と、正継の脳裏にちらついたものがあった。それは――女性の死に様。
(もう、見たくない)
彼は思わず口に出してしまいそうだった。
木々が揺れ、風が鳴る。実際には葉と葉や枝が、叩き合ったり擦り合ったりした音。いつにも増して激しい狂想曲。
そんな中、ふたりは、かなり進んだ所で走りを緩め、立ち止まった。暫くは息を整えるのに時間を費やしたが、すぐに戦闘態勢に入った。
――何かがいる。
ザッザッザッザッザッザッザッザッ……
右は森、左も森、道は前後に開かれていて、それは前方から聞こえてきた音だった。森の儚さの中を擦って歩く雑音。
魂玉を出す。青い靄が悠汰を、緑の靄が正継を包んだ。一旦、身体を取り巻くと、それぞれの意思に反応し、術者の固定させたい位置に浮遊。空中にて止まる。悠汰の右手に青い魂玉。正継は二つに分け、両手に。
脇の茂みから、前に現れた――のは、見覚えのある校舎生だった。
「制服……? なんで!!」
彼女の、色白の喉が震えた。更に続けて――
「もう誰も死なせない!」
その眼に、滲むものがあった。
若い女性。彼女の長い髪を風が揺らす。その手に、灰色の魂玉が作られようとしていた。
その厳かな雰囲気に、正継は、少しだけ見惚れた。
そんな彼が、はっとして自分を奮い立たせるように声を掛けようとする。見覚えはあるのだ。ただ、知り合いでもない。しかしこんな状況下だ、どう声を掛けるべきかと迷い――
「ちょっと待って!」
と、悠汰が話し始めた。
「僕らは奴らの味方じゃない。ていうか君らの味方だよ!」
奴らと言っても、その全容は、まだわかってはいないが。
無駄な戦いはしたくない、これはしなくていい戦い――両者にその想いがあった。だが、互いに心など見えない。互いにそう信じるだけ。
だからこそ、男らふたりは魂玉を消し去った。
(信じて)
悠汰は訴えた。心の中で。
今、作動に十分となった――完全となった――その灰色の魂玉を、女は空気に散らし、
「……本当?」
警戒を緩めた。




