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「あと数分って話だから早くしろよ」
洲田悠汰に、矢川正継がそう命じた。それは、任務の為にヘリコプターを待っているが、到着までに用を済ませて来いという意味だった。
悠汰は宿舎に戻った。
魂術能力者として育つための校舎のすぐ近くにそれはある。
宿舎の構造は簡単で、その意外性を利用して不法侵入等を妨げている。鍵は銀製。だが近代の形をしていない。木製の札のような、大昔に使われたような形をしている。そして合鍵を作りにくい構造。
数階上がって廊下を進んだ悠汰は、自分の部屋の前で止まった。
向かいが悠汰の友人の部屋。
廊下の窓から外の暗色が見える。日没直後の木々の揺らぎを見る中で、悠汰はノックをした。
「いる?」
この時間帯、相手がその部屋にいるということを悠汰は察していた。いつもならそうだった。
「洲田だけど」
もう一度、中指の第二関節で扉を叩くと――
「あん?」
と、まずは、投げやりに聞き返す声。
「頼みたいことがあるんだ」
悠汰は、そう言っておきながら、いい返事を待とうとはしなかった。強引にでも聞いてもらおうとしたのだ。そうしなければ取り返しがつかなくなる、そう判断した。
「何や、お前か、帰ってきとったんか」
「うん。今回の任務はひとまず解決したんだけど、次の任務が既に与えられてて」
その時ガチャンと音が鳴った。
ドアの室内側の鍵穴に、洲田も持っているタイプの銀の鍵が入った音。水平に入った木札のキーの音――そのあとで、中から押し開かれた。
開いたドアが壁と直角になって、その蝶番の付近に、半田健司が背を預けた。このドアを閉めまいと。そして彼よりも茶色がかった黒髪の少年、悠汰に向けて、
「まあ入れや」
と彼は誘ったが。
「いや、ここでいいよ。もうヘリが来るから」
悠汰は、どう言うべきかを迷った。左腕の肘から手首に掛けてを壁に押し付けて頭を掻いてしまう。そんな姿勢の悠汰に、健司は、
「そか。その服……かっこええのう。任務時の制服なんよな?」
「そう。だけどお下がりみたいなもんだよ」
悠汰は壁に預けていない方の腕を大きく広げた。対魔警軍の制服と色は違うがデザインは変わらない、こんなもんだという感じで。
大して経費を掛けていなさそうだということで、悠汰はまたも奇妙な感覚に陥った。
「で? 次の任務の話かなんかか?」
「任務の話じゃないんだ。やばいことが起きてる……かもしれない。何か変な気がしてるんだ」
まっすぐに立って、健司に応じる。
「……何が? 何が起きてるって」
「それがわからないんだ。でも……気になるんだ。こんなに重なるかなって」
「重なる?」
「最高責任者の不在。それに受任者の不在――僕らはヘリで少し遠くに行くから。それと、全年代の各一クラスの不在。こんなに重なるかなって。だから警戒してほしいんだけど」
「……何にやねん」
「だから、多分……課外授業で外に出たら狙われるかもしれないし、校舎内にいる時に狙われるかも。とにかく手薄で狙われやすい状況に――」
「やから、何にやってゆうとんじゃ」
悠汰は返答に困った。だが勘違いとは思いたくなかった。勘でしかないが。次の任務がこんなにすぐに来るだろうか。同じ人物にやらせるだろうかと。そして一クラス丸ごとの不在などなど……。
悠汰は周囲に目を配った。不穏な気配はない。今ここは大丈夫だろうか。ふと、静寂が、彼の心に影を落とす。もし何かあったら。この予感が当たるとしても、健司に頼むことは変わらない。今を逃したら、いつ頼めるのか。
思いながら、悠汰はふと気付いた。別の可能性もあるとは思いながら――
「……対魔警軍……」
霧の中で見えない道を辿る感覚が彼にはあった。
僅かな晴れ間から覗いた答え。
(そうか。そういうことだったのか……!)
そうでなければいいとも思いながら、悠汰は壁を叩いた。手のひらが熱くなる。
そして健司の方を向いた。
確りを彼を見詰めた悠汰の口から、発せられる。
「校長も似たことを考えたかもしれない。だから頼んだんだよ。……じゃ、よろしくね」
言い切ったあとに、森のざわめきが通り過ぎた。その音が消え掛けたのを合図に、悠汰は背を向け、そこから遠ざかっていった。
「お、おう」
その返事は、悠汰の耳に深く届いてはいなかった。部屋から差す明かりに照らされた外の森は、闇の中で、何かを暗示するように風を受けていた。
「あと数分って話だから早くしろよ」
と彼は言っていた。
矢川正継。彼は既に自分の部屋でできるすべての用事を済ませてグラウンドに戻っていた。
この広場を挟んで校舎と宿舎がある。
宿舎から戻った彼は、宿舎側からの出入口付近にある旗竿を囲む鉄の枠に寄り掛かって立っている。そして遥か上空で棚引くものの音を聞いていた。
校舎の紋章を表した旗。首を後ろに倒して、彼はそれを見上げた。季節外れの雪でも待つかのように、流れ星でも待つかのように。
新緑が黒く染まって風に踊る。そんな中で。
「蜥蜴……ねぇ」
その魂術能力を予想しようとした彼だったが、それは困難を極めた。まるでヒントが無いからだ。
(魔物だと認識されたのは……その巨大さからかな)
実際、能力を使わないモノを魔物だと認識する場合には、その体色しか手掛かりとなるものがほぼ無い。その体色さえも実際にいそうな灰色で、黒斑の多い模様なのだと、彼らの資料にはある。
(コドモオオトカゲかコモドオオトカゲか……どっちか忘れたけど。そんくらいのデカい生き物がいるんだっけ)
奇妙な能力を持っていることを、そしてそれを行なっているのが自分だと、その蜥蜴は知られてしまったに違いない。
(だから魔物と認識された――それもあるか)
「で……これも、ストックされていたのかも、か」
悠汰の言っていたことを半ば信じている自分に苦笑してから、深く溜め息を吐いた。正継には、その可能性を肯定した覚えはない。が、否定した覚えもまた、ない。
問題となる魔物が守護体としての存在ならば、話し合うことができた。だからと言って、話したがる者などいない。その巨体に言葉を投げ掛けろと言うのは、死ねと同義かもしれないのだ。
「大体が……知ろうとしなさ過ぎだ、非――魂術能力者は」
正継は同情を欲しがったわけではない。知識として知ってほしかったのだ。単に何も知らずに罵倒する者を嫌って。自分たちでさえ、危険なことはあるからで――
深い沈黙が続いた。たったひとりで、溜め息も出さなくなった。
長い静寂。たった一つの音が待たれた。
星光を受け、夜の彼方を見詰め、風の演奏を聴き、母なる大地をその足裏に感ずる。声が歌なら、自然はそれの自然らしさを認めるだろうか。正継はふと考えていた。時折そうする。小難しく、自分でも意味のない考えだと思うようなことを、彼は考える癖があった。
それが微笑む声なら、自然へと溶け込めるのか? 場合にもよるか――
続きを考えている彼の元へ、騒音が近付いた。そして森然とした闇を押しやって、空から分け入って来るものが姿を現した。別の何かの可能性は……なくはない。が、それは空気を裂く音を出している。それから邪悪な魂力を感じはしない。
降下してきたそのヘリコプターが着陸を果たすという時まで、舞い上がる礫が目に入らぬようにと、正継は腕で顔を隠した。今、目を傷つけては任務どころではない。
水平回転翼が止まり、静止ののちに開扉。その後で、その降り立った地点――グラウンド中央へと正継は近寄った。
出てきた自衛隊の隊員が、彼に向けて、
「校舎生殿! 人員の運搬のため参上致しました!」
と、堅苦しく言ったので、
「あ、ああ……ご苦労様です」
と。正継は調子が狂うのを実感した。だがこうも思う。さっきまでの自分も妙な考えをしていた、と。お互い様だ。
そして互いに敬意を表するのはありがたいこと。だが声の張り上げ方が尋常ではなかった。まあそれが実直さ故ということなら――と、彼はまた、小難しく考え、
(こういう人がいるのもありがたい)
と、結論付け――頭を掻いた。その時だ。
「よろしくお願いします」
不意に、自衛隊員の後ろから声が発せられた。隊員は、身体を一瞬跳ねさせ、素早く振り返った。
「校舎生殿……でありますか?」
「はい」
足音もあった。正継が待っていた音。強い眼光と共に現れた少年、洲田悠汰。彼を運搬員の左肩越しに覗いた正継は、
「遅かっ……何だそれ」
と発言内容を変え、あごで示した。
それは、悠汰の左目に白いゴム製の眼帯があるからだった。その部分に軽く手を添えた悠汰は、位置を調節しながら。
「やっぱり気になります? 守護体を一体だけ解放したんですよ。変、ですかね?」
「うん? っておい! それここで言っていいのか!?」
「大丈夫ですよ。ここには変な人はいないでしょ。この人もきっと違う」
「……?」
自衛隊員の合点が行かない表情をあいだに挟んだまま――
「お前、どうやってもう一体を……?」
「身体の一部にしたんですよ。この目にね」
そしてもう一度、今度は人差し指だけで、悠汰は示した。トントンと微かに音を立てる程度に。
右耳の上と左耳の下には紐が。それは後頭部のベルトと繋がっている。左耳裏のベルトとの接合部の付近で蝶結びで調整され、持て余された紐が、そこから白く垂れ、髪の毛に交ざっている。
「じゃあ、なんで眼帯を?」
正継はつい聞いた。彼の目は見える筈だと知っていた。解放とはどんな意味なのか。それを知りたいと思って答えを待った。
「無いんですよ、ここに……眼球が。だから空洞を見せたくなくて」
悠汰は、その言葉で事足りたと信じた。だから見せはしなかった。
「じゃ、行きましょうか」
とは、悠汰が。そして続けた。
「もう腹が減って腹が減って」
「ん、あ、ああ。そういや俺もだ」
話しているあいだに自衛隊員が密かに後部座席用のドアを開けていた。
悠汰、正継の順に乗り込むと、それを確認してから自衛隊員が操縦席に座り込んだ。更に、彼は、後ろを振り向いて何かを確認した。後ろのふたりのシートベルトのことだった。確りと、ふたりの両肩と腰が固定されているのを見て――
「それでは出発致します」
そんな折、悠汰は、右手にある強化ガラスの窓から窺える風景に目を向けた。




