5
動きを封じ合う廃船の中。夕明かりは、あっても、ほとんどふたりを染めてはいない。対魔警軍の男は腕ごと黒き魂玉から出た円にて封じられ、将次郎は彼の黄色の魂玉から出た靄にて顔や胸を圧迫されていた。
そんな中で、声があった。顔を緩ませる声。
(あの猿のコは死んでない……!?)
だが油断してはならない。確認するために――将次郎はまず、円を奥へと、
「ふん!」
と押しやった。魂力を込めてそうすれば、男は身動きを封じられたまま壁に叩き付けられるのみ。
ただ、相手も何もしないわけがない。彼も黄色の魂玉に力を込め、黄色の、二又の、鋭い槍を生み出し放った。
相手の靄に捕まっている将次郎だったが、相手が吹き飛ばされ始めたタイミングだったからか、避けようと思った瞬間、身体が動いた。
壁に槍が突き立った。
男は反対の壁に激突。
将次郎は槍を避け、涙を払って猿に駆け寄った。背の方から呻き声が聞こえるが、彼はそれを無視した。
「お前――」
「……キィ……」
静かに鳴きながら、手を伸ばしてくる。弱々しい。
その手を取ると、猿は――跡形もなく消えてしまった。
消えた。目の前にはもういない。
また、将次郎は泣き出しそうになった。
その場に残っているのは、負の感情以外を消し去ってしまいそうな、闇と槍だけ。
その静けさの中で、彼は、脳裏に焼き付いている猿の魔物を想い、喉を震わせた。
「坊……」
彼は名を呼んだような気がした。まあ実際呼んだのだ。語り掛けた。だが応答を期待してはいなかった。できなかった。猿は既に……。
そう思う彼の前に――
『んきゃっ』
現れた。
猿だった。死んだ筈の猿の魔物。船の外では漁師たちが猿坊と呼んでいた――さっきまで一緒にいた、あの猿そのままの姿なのだ。
「あ……え?」
『よんだ?』
「ええっ!?」
一瞬だけ背後を気にした。将次郎の後ろで、あの男は既に立ち上がっていたが、何もしてこない。
その目を、彼はまた猿の方へと向けた。
言葉でも動きでも焦りを露わにした将次郎に、猿坊は得意げに語り始めた。
『ボクね、人と同化するってことがどういうことか、わかんなかったんだ。だから、タマシイに棲むってこともわかんないし、一部になるってこともわかんなかったし。でもね、今さっきわかったんだよ。ほら、かみのけ一本一本がボクなんだよ? 任せられるって信じることだったんだなぁって、今なっとくした』
「あ、ああ……」
(よかった)
将次郎は噛み締めた。今の想いを。ただ、
(同化ってなんだ? まあいっか)
と不思議に思ってもいる。知らない言葉ではないが、知らない現象だ。彼は、こんな宿し方など聞いたこともないのだ。
(ああ~、ニヤけてしまう~!)
謎を脇に置き、喜ぶことにした。震えが止まらない。安心が夕闇の幕を照らし返しているのではと思うほどの気分に、闇さえ明るいのではいう気分に、彼はなっていた。なぜか敵に恐れをなしてすらいない。
「なあ」
猿を肩に乗せ直した――そして向き直り、対魔警軍の男に向けて、将次郎がそう呼び掛けた。
「これであんたの思惑から外れたよな。魔物はもういない。守護体になったからだ。ってことは、任務の対象にはならないよな?」
「……確かにな」
その返事を聞いてから、将次郎は魂玉を消し去った。連動するように、相手を縛る黒い円も消える。
青い制服の警軍の男は、心の中では微笑んでいた。
(ふん……一番望んだ結果かな。これでいい)
前任の者は死んでいた。それを、彼は知っていた。事故だった。だが幾つか不明な点がある。それが微妙に隠されていたのだった。この船の壁の、幾つかの赤さも。
「じゃあな」
最後に、意味ありげに、意地悪な笑顔でそう言った軍人は、さっさと行ってしまった。来た道をそのまま。
それを将次郎も辿る。共に暮らす新たな仲間を肩に乗せ、より多大な魂素量を蓄えて。
「うっし、帰るか」
『おー』
(にしても二体目の守護体になるなんて。こんなこと知らんかったぞ)
彼はそう思いつつ頭部に触れ、気付いた。
「ちょっと俺薄毛になってないか?」
『さっきそこに同化したからだよ! ボクを戻したらボクがかみのけになるからね!』
「そ、そう……」
そんな会話をしながら船の外へ。
猿坊のことを心配していた漁夫たちの喜ぶ顔を見た時、また、将次郎の目に、別の涙が溜まった。彼は、くしゃっと崩した顔で漁師たちとの会話を終えてから、帰還の為の一歩を踏み出したのだった。




