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現代神話物語  作者: 弧川ふき@ひのかみゆみ
第三章 錨の錠

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4

 鉄の音。鉄の感触。鉄のにおい。辺りのほとんどが錆だらけで、苦々しく彼を惑わせた。

(どこだ……?)

 那岸なぎし将次郎しょうじろう。彼は震える口の中で、嫌気と戦っていた。気配を探る自信を失ったわけではない。が、それは元々、容易ではないし、相手は上司にあたる人物。

(なんで戦わんといかんとやって。……処分?)

 この任務で猿の魔物を保護してから、将次郎は何かのうごめきを感じていた。それが何なのかはわからない。何のためであるのかさえ。

(とにかく……――? あれ? 待てよ?)

 ある考えが頭に浮かぶ中でも、攻撃が彼を襲う。

 相手は魂玉こんぎょくを幾つも出して槍を放った。激しい連続音を立てながら、それは壁や床を削ったり、そこらに刺さったりした。

「うわ!」

 将次郎は壁に背を預けていたが、前からそれが来るや否や横っ飛びに避けた。暗闇で、夕明かりの届きにくい中で、肉眼で捉えようとする。

 少しは暗闇に慣れていた。将次郎の方が先に船に入ったから、その分、有利。だが果たして、それが、彼と、彼が名も知らぬ対魔警軍軍人との実力差をそこまで埋めるだろうか。

 そんな不安と期待の中、

(戦わなくて済むならその方がいい)

 と将次郎は思っていた。実際もう戦っているが、ほこを納めてくれればと。だが、彼のそれは切望でしかなかった。大きな絶望の中の、だ。

「聴いてくれ!」

 先程、情けない悲鳴を上げた自分を忘れ、自信を持って対応すべきだと彼は考えた。だから力強くそう言い放ったのだが、そこに言葉が続く。

「取引だ! 俺はこいつを処分なんてできない! あんたと戦いたくもない!」

 暗いそこかしこを見ながら。相手を探しながら。将次郎はまだ続けた。

「あんたは処分の邪魔をするような俺とは戦おうとしてる!……それは……上が怖いからだろ?」

 言葉の途中で、目の前にひとつの影が現れた。やや右側から。

 それに向かって、声を張り上げる必要がなくなった結果、その後半は、静かな問いとなっていた。

 互いににらみ合う。夕日の中の廃船で。その船内で。

「何が言いたい?」

 そうき返した男の手には、黄色の二又の槍がる。同色の魂玉から出現させたもの。将次郎は闇色の輪で切断できるが、その相手の槍には何ができるのか。先程から壁や床が削られているのは能力の効果か、どうなのか。彼の具体的な力を、将次郎はまだ理解していない。

 相手は、槍を消した。魂玉だけを、右肘のすぐ右側に浮遊させている。油断を誘う為か。その可能性はある。

 相手はその状態で近付いた。

 ふたりのあいだにあるのは、たった数歩の距離。

「ただ……」

 と、将次郎が、言いながら、肩の上の猿に目線をやった。

 すると、歩を止めていた方の男が――

「ただ、何だ?……はっきり言っておくが、私は前任の者とは違う」

「やっぱり……あの手錠は誰かが。あんたじゃなく、軍の別の人が掛けたんだな」

 その考えが将次郎の脳裏に浮かんだのは、ついさっきだ。

 それへの返答はない。

 数秒間の、船のただの揺れが、静寂を際立たせた。

「その前任者の処遇を知っているから命令にしか従わないんだろ?」

「ほかに、何に従えと言うんだ?」

 灰色の制服を着ている将次郎の前へと、似た青の制服の男が、一歩、間合いを詰めた。

 将次郎は足を肩幅に広げた。そして右足を前に、左足を後ろに若干動かし、素早く反応できるように軽く構えた。更に、右腕を軽く前に出し、そこにあるものを意識した。魂玉。その黒さと、そこから生み出される細さとを。

「信念だ。自分の! 心の底にあるあんた自身の気持ちにだ!」

 将次郎のその声に、もう迷いは込められていない。

「ふん、そんなものはない」

 青の背徳者は、迷うことなく、静けさへと声を溶けさせた。

 一気に音が引く。っても光ることのない電灯の下で、廃船の黒い闇の床の上で――

「それを持ち合わせていればこんなことを言ってはいない。違うか?」

(違う!)

 将次郎が声に出せなかったのは、返事が悲しかったからだった。

「違わないだろう」

「……違う」

 やっと声になった。だが現実を直視していないようなものだと、将次郎は思うしかなかった。遠くを見るようにして、彼は、まるで無心のうちで懸命に、だからこそ途切れ途切れに――

「そんなことを言うのは……いちいち確認するのは……言わせるのは……あんた自身が迷っているからじゃないか……!?」

 将次郎はそう信じたかった。そして、もうそれ以上言葉にできなくなっていた。

「迷ってなどいない」

 その声の揺れのなさは、答えでしかなかった。

 青き軍人は、その言葉と共に、また一歩、間合いを詰めた。そして彼の黄色の魂玉こんぎょくから『魂素流こんそりゅう』が漂い始めた。

 その威圧力に、将次郎は圧倒されそうになる。

 咄嗟とっさに――彼もまた、からすのような黒の魂玉から、天使の輪のような、それでいて闇色でしかない広げた手の大きさの輪を呼び出した。それを刃として相手へと、

(放つしかないのか)

 という、その時だった。

 魂素の集合がひとつの流れとなる。流動する。黄色のそれが同色の魂玉を包み込み、同じ色の靄が生まれた。靄は、あふれんばかりに魂力こんりょくが込められたという証。

 そのうちの、こぼれた魂力が、触れる。精神に障る。力の差を感じ取り、だがそれへの恐怖を振り払い、将次郎は見つめ返した。そして、もう仕方ない、と思ったその時――

「提案していただけだ」

 青い制服の男が言った。そしてその瞬間。

 ドッ――

 魂玉から放たれた黄色の槍が、二又の銃弾のように将次郎の肩の上を通った。彼の肩が軽くなり、そしてその音が鳴ったのだ。

 彼は振り返った。

 目に映ったのは、壁に突き立った槍。そして、その槍に貫かれて動かない猿。さっきまで触れ合っていた命……。

「猿坊……」

 一瞬の出来事だった。振り向きも、そして構えを戻して向き直るのも、まるでスローモーション。理解さえも。闇がそのあいだだけ、白くなった――将次郎にとっては、そんな気さえしたのだった。わかってもらえるかもと思ったからこそ。

 次の瞬く間に、将次郎は、闇色の魂玉から出現していた巨大な漆黒の円を、男を中心にして上から被せるように動かし――彼の胴の高さに浮かせた。

 将次郎がその場で床を踏み締めると、その円が縮んだ。男の腕ごと、青い制服の腹部が締め付けられていく。

「ぐっ!」

 男の、太いうめき声。

 その声を上げさせた将次郎は、先程の相手の靄の続きのようなもので包まれていて、こちらもまたその魂力が障り、胸と顔が圧迫される。

「ふざ……けんなよ……!」

 苦しさの中で将次郎が言い終わるのと同時だった。視界が水気に揺れる。心がこれ以上の傷を拒否している。――身体からだだけは動く。

(あいつは……もう動かないのに)

 心の雨が、透き通るガラスのもろさを思わせるように、彼の頬を、少しだけ冷たく伝って落ちた。

 その時だった。

「キッ」

 地獄に足を踏み入れそうだった。そうさせまいとする、聞き覚えのある声が、将次郎の耳に届いていた。

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