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対魔警軍の一員になる者などの為の、校舎のグラウンド。
周りの緑を押しやって降り立ったそれは、音を出さなくなるまで時間を掛けてしまった。そのヘリコプターから人が降りる。ひとり、ふたり……全部で五人。ただ、そのうち三人は人型の魔物ではあったが。
「泣かなかったな」
「ええ。強い子よね。高い場所は好きなのかも。ふふ」
抱かれたままの赤子がその女性の胸の上でふっくらとした頬を見せつけて眠っている。
「じゃ、俺たちは」
と、矢川正継が話し出した。
「副責任者の遠野先生に任務報告をしてきますけど……一緒に行くことにした方が、ええんかな?」
振られたのは勿論、同行していた洲田悠汰だ。
「まあ、見て問題ないって思ってもらえれば、それに越したことはないワケだし。待ってることにしても、どこで待つか……。どうせなら一緒に行きましょうか。その方がいいですよ、やっぱり」
話し相手を変更してきた正継に対しては同意し、その後、悠汰も視線を変えた。男性に。その人型魔物の一家の家主、与斗に。だから今度は彼の番。
「そうだな、そうしよう」
与斗の返事で話が付いた。
その話し終わりと同時に悠汰は足を踏み出していた。
校舎の中からは、さして音がなかった。悠汰は不思議に思った。
(あっれぇ? もしかしたら宿舎の方に戻ってるのかも……? うーん……。人がいるとしたら、職員室か校長室?)
無言のままとりあえず進み、途中の職員室に先に着く。
「失礼します。遠野先生……は……」
と、入って正継が言ったが、そこに教師は、たったひとりしかいない。
この時間、誰も校舎生が来ないであろう職員室横の廊下に兼倉家を待たせ、そっと入室したものの、見当違いの状況に彼らの方が驚いた。新しく建てられたというのに、あまりにも静かで。
「あれ? ほかの先生たちはどうしたんですか?」
悠汰がそう問い掛けた。
いたのは、遠野数学教師ではあった。しかしそのひとりだけだという事実は、悠汰たちにとって、なぜか不気味に思えた。とりあえず、既に訊いたから返答を待ったが――
遠野教師は、
「あー、半数は課外授業で外へ行ってるよ」
と。正継は不思議に思い、
「半数?」
と、つい訊き返した。何の半数なのかという意味だったが――
「全年代の、だよ。校舎生の全年代の一クラスずつが、出払ってる。静かだね」
そう言うと、遠野教師は、何やら資料のようなものを自分の卓上に態と大きく音を立てて置いた。
「全年代……え……半数? 何の必要があってそんな授業」
悠汰にとっても、正継にとっても、それは今まで聞いたことがない授業参加人数だった。
実際、課外と言っても、訓練校舎の人間が出て行けるのは周りの山々とのあいだの森の中くらいだった。別に複雑な都会のような地形での訓練はできもしない。遠足かと思うほどの人数の話だがどういうことなのか。その中途半端加減に気付いていたならば、態々時間を掛けて大人数でやるより、小分けにして時間をずらし、義務付けた方が手っ取り早い筈だった。
「実践で技術を身に着ける為だろうけど。グラウンドだけじゃなく……ね」
ふう。と、そう息まで吐くと、深く座り込んだ。遠野教師のその顔には、何か負の感情が滲み出ている――と悠汰は感じた。
「じゃあ、ほかの半数って」
「宿舎で休憩中。教師もね。僕らにも休みはあるからねえ」
「……」
「あ、それはそうと」
遠野教師は、そう切り出すと、机に肘を立て、その手の甲にあごを載せた。そのまま、
「帰ってきたら伝えることがあったんだよ、君たちふたりに」
と。だから悠汰が先を気にした。
「何です?」
姿勢のほとんどを変えずあごから上だけで、遠野教師は――
「次の任務だよ」
「はぁ!?」
悠汰の方が遠野教師に近い所にいて、正継はその後ろ。彼の近くにちょうどいい机があったから、正継はそれを叩いてしまった。
「帰ってきてまたですか!? 冗談じゃない! 疲れてるのに!」
「仕方ないんだよ、これは。上の命令なんだし」
「う、上って」
正継がそう言って呆れると、
「命令はどこが出して――?」
ふと、悠汰は気にした。不安が胸を過ぎったから、頭の中で整理を。
(資料は……危険度や住民に対する迷惑度だけで、詳細は記載されていなかったけど……それは当然だ――えっと、それがわからないから調査をしに行くのであって、対処するからで……それが任務なんだ。だから、と思ってたけど……)
その思考は、すぐ近くの出口に引っ掛かって抜けなかった。本能的な感覚、理解までたどり着かず、故に言葉が詰まる。
「あ、あの……その任務ってどんなものですか?」
「ん、まあ詳しくはわからないんだけどね」
「……」
無言で、悠汰は険しい顔を見せることとなった。
「ん?」
「あ、いや、別に……」
「ふん?……ふむ。まあ、これが丁度その資料なんだけど」
遠野教師はさっき机に置いた資料を、あごを載せていない方の手で示した。そして説明の追加も。
「空港でね。日本を脱出しようと試みている魔物がいるそうなんだよ。危ないから退治ってことで」
彼の机に彼自身が置いた資料。それを見る。と、そこには、新日本大都空港の文字。
「大蜥蜴……ってレベルじゃないっすね、人よりデカい」
正継が説明した――資料上部に留められていた写真というのは、偶然どこぞの旅行者か空港の関係者が撮影したもののように見える。実際そうだった。蜥蜴を大きく収めたもの。それが人より大きいというのは相当な恐怖だ。
「この蜥蜴をやっつけてこい、と」
正継がそう言うと、
「そうだなぁ」
と、飽くまで陽気に、何の不安もなく、正継たちの表情など気にも留めずに。そんな遠野教師の反応の所為で、緊張感を維持できなくなってきた悠汰は、いきなり、
「対魔警軍が、自軍を以てこれを制圧して退治してしまえばそれで済みますよね?」
と。
自分たちの属することになるであろう軍の話など、悠汰にはする気がなかった。だが、少しは考えてほしいと思ってしまった。何かが気になり始めていた。何がなのかは自分でもあまりわかっていない悠汰ではあったが――
「あ、ああ。でも……ん? そういえば、任務に年功序列ってないよなあ。洲田君、何歳だっけ?」
と遠野が。
「十八です。あの、おかしいと思いますよね? 力を比べてみれば、多分、誰が任務を負ってもいいってわかる筈で……ある程度強ければ誰でもいいんですよ、それに、こちらに送られてくる任務は全部、送る暇があるなら本軍がやればいいんですよ……多分ですけど……」
言葉から自信が削げ落ちて、悠汰は、まるで生気を失うかのようにそこに佇むだけとなった。
返事は、同感を露わにしたものではなかった。
「ま、でも、社会っていうのはそんなもんだから。気にしない気にしない」
もやもやしたものが悠汰の心に生まれている。的中しているとまでは言わない気持ちなのだが、もし間違いでなければ、一歩遅かったというだけでも何かが起こりそうで怖いのだ。
(……ここの責任者まで対魔警軍に呼ばれてる。しかもここは、日本中の、魂術能力者が集う場所……でも、まだ戦闘に特化し切れていない人も多い。前線に出るタイプじゃない人もいる――ここはそういう、能力の訓練学校。だから……)
考えながら、背に走った悪寒を振り払う。一瞬の身震いでそれは済んだが、危うく、悠汰は、自身が作り出した途方も無い不安感に、心を潰されそうになっていた。
(まさかな。でも……。半田君にひとつ、頼んでみるか)
その不安感を脳の片隅にギュウギュウに押し込んで、胸を張るように決意。助けが必要になるかもしれない。だが――もしそうなった時の、起点のひとつとならんが為に。
悠汰は、関西弁の返事を想像してみた。
(まずまずの反応を聞くことになるかな。でも……どう思ってもらえるのか)
そこが問題ではあった。
と考えてから、悠汰から、
「最初の任務の報告ですけど」
と言い始めた横で、正継が言い始めた。
「狼の魔物の集団は退治できました。恐らく全部をって感じですけどね。最後はまとめて掛かって来られたので。……また被害が出たら、誰かの任務になるんでしょうけど。もし巣があるなら、そこを叩く任務を、これから誰かにやらないとですね。巣の場所、わからないんで」
「そうか。ふむ……。で、君は?」
遠野賢。彼は、あごを手の甲から解放し、背もたれに深く身を沈ませてそう訊いた。
悠汰は廊下を意識した。更に、そちらにいる与斗たち――人型魔物一家に目をやりたくなりながら、
「僕の任務も、んー、現場に関しては解決できました。でも、対象を殺すことでの処理じゃなくて、その……今、彼らはここにいます。職員室の前で待ってもらってますが――」
「そうか、じゃあ呼んで」
「はい」
一歩下がって軽く礼をすると、悠汰はそれから退室した。
「入ってください」
そう言って彼らを連れて悠汰が戻った時、遠野は、正継に対して、こう話していた。
「――適合したモノもだけど、猛訓練しているのを僕は見てる。だからかな。計ったのも、僕が最近作った『魂素計』でだったんだよ」
「十万威か。道理で。って遠野先生の能力だったんスか」
「ああ、そうなんだよ」
悠汰にもその話の流れは理解でき、
(あの魂素計って遠野先生の能力で作ったんだ? 正継さんが今そう言ったよな。にしてもそんな話ばかりしなくていいのに)
と、居た堪れなくなった――のと同時に、彼の胸に温かなものが生まれた。見てくれていて、認めてくれている者がいる、それが何より彼の心に響いたか。悠汰は遠野賢に感謝の目を向けた。
「彼らがそうです」
割と明るさの滲んだ顔で、悠汰がそう紹介した。
赤ん坊の幸也は珠水の胸元で抱かれ、ぼんやりとしている。目の焦点がどこにも定まっていないようで、それは、
(うとうとしちゃってる。可愛い~)
と悠汰が思うほどの、ぷくぷくとした天使。
その子とその親ふたり、計三人に、遠野と正継の目が向いた。
悠汰も、幸也に釘付けになっていた目を、遠野に向けた。すると。
「彼らの保護が問題……と」
「はい、そうなんです」
そうして返答を待つ悠汰にとって間は苦しいものではなく、考えてもらえることへの感謝の時間だった。どんな返事かと期待した悠汰の耳に、彼の声が――
「よし、任されるとしようか」
その瞬間、悠汰の顔は綻んだ。ほか数名も。
遠野の声は続いた。
「僕の宿舎に寝泊まりさせることにする。食事は給食所の販売で何とかできる。赤ちゃんの世話は、売店で必要な物を買って寄越すことにする。いいですね?」
「はい」
「お願いします」
珠水、与斗の順に、そんな返事があった。
未だ守護体を従えておらず――まあ悠汰は魔物が魔物を守護体にできるのかをわかっていないが――自らが守護体でもない。そんな彼ら。兼倉家。守護体になってしまえば、きっと味の楽しみなどを感じることはない。守護体になってしまえば安全じゃないかという考えは、彼らの中には当然、ないのだった。
彼らの返事は凛としていた。ただ、そこには切なさも込められていた。自分たちのことで周りに何か思わせないでいられるようになる――それは救いだった。
「じゃ、君らはグラウンドへ出てて。空港行きのヘリがあと数分で来ると思うから」
「わかりましたぁ」
「失礼します」
その返事の前に、理解を示したのが正継だが、悠汰は、彼のことを気の毒に思った。休んでやっと、少しは魂術を使える程度だろうからと。
そして職員室を退出していった。
あとは任せればいい。
ふたりでそこを出るまでに、悠汰は、遠野と与斗たちが何をどう話すのかを気にした。今後の助け合い方を心配していたが――
(……笑ってる…………よかった)
そう思うと、彼は目を離し、正継の少し後ろを歩いた。静かな廊下を、またヘリに乗る為に。




