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廃船を出てすぐの所で人と出会った。
将次郎が見たのは――漁夫。
(うん?)
倒した梯子から出てきて、使われていない船着き場の地面に確りと立った彼を――待ち構えていたように、十数人が包囲。
「おいっ、その猿をどうするつもりだ!」
中央の、一番手前の若い人物がそう言った。手には銛を持っていて、こちらに突き付けるようなポーズを取っている、男。
神か何かの気まぐれか魔物が蔓延るようになって、その対策でそういった武器を持つ者は多くいる。その銛の矛先を、男は、かなりの距離を保ったまま、将次郎に向け続けている。
「そいつは魔物だ、わかってるのか!?」
「わかってますよ当然。それに、あなたがた、こいつの面倒なんて見られないんでしょ? あそこにいたまんまだったし、怖がってるし……俺はこいつを保護したい。ってことで――」
「そうはいくか!」
将次郎の左横の年配者からそう反対されてすぐ、将次郎の右前の男もまた、
「あんたらが魔物を保護してどうなる!」
と声を上げた。彼が続ける。
「この前みたいに! どうせ魔物の抹殺しか考えていない連中に殺されるだけだ!」
「はぁ?」
将次郎は、そうさせないことを約束しようとした。だが、
「そうだそうだ!」
と周りからは野次が。
すると、最初の、銛の人物がまた銛を僅かに動かして。
「確かに魔物は怖いけどな! 扱いが難しいだけだ! 要するに! 俺たちにとっては、そいつは腕白な幼稚園児みたいなもんなんだよ!!」
「え、ま、待って! ちょっとタンマっす!」
(どういうことよ)
将次郎は整理しようとした。彼らもまた将次郎の肩にいる猿の魔物を守ろうとしている。
そして確かに、魂術能力者の中に、性格の悪い者がいなくはない。だが、
(この前みたいにって?)
それは別件の証言。既に別の魔物が犠牲になった、そうに違いなかった。
(魔物の抹殺しか考えてない奴らって言ったって……俺たちは別にそうじゃないし……というか俺らは今回が初任務。まあそれは関係ないか)
そこで、将次郎の脳裏に、船内の、猿のいた辺りの壁の傷が浮かんだ。
(まさか誰かが。そんな情報を得られるのは……。任務を寄越すほど情報はあった……。ええ? 公にいたとしても、そこまで集団でできるのは……対魔警軍しか……)
彼の肩の上で、猿が笑った。歯をすべて見せたがっているかのように、口を横いっぱいに広げている。
(こいつは、ここのおやっさんにとっては、危険がある――かもしれないって程度……なんだよな)
では、なぜ手錠を掛けられていたのか。
(もしかしてあの手錠も、対魔警軍の誰かが? 勝手に?)
断定はできないが、漁師たちがやるようには思えない。想いがあるからだ。それに手錠をどんな者が持っていて掛けたのか。更には、それによって魔物が瀕死に陥っても構わない放置というやり口。
(どれだけの時間あのままだったんだ? 外せなかったんかな。いや、もしかしたらこの人たちは存在を知らなかった? いつからかああなってた? こいつに手錠をした奴は、適合者を探したりもしなかった……?)
もし対魔警軍の誰かなら、その規律を、無視しているのではないかと、将次郎は考えた。
(そんな人物が?)
「よし。わかりました。俺はこいつが死なないように、ちゃんと面倒を見ます。だから信じてください。ねっ。……なあ?」
最後に、将次郎は猿の方に綻んだ顔を向けた。猿に同意を求めたのだ。『それでいいだろう?』と。言葉で言い繕うよりは、そういった態度こそ大事だろうと思ったからこそだった。猿に手をやって戯れさせ、命を想い、答えを待つ。
「……」
「で、でもなぁ」
返答は遅かった。だがそれで良かった。急がせることに意味はない。
「キキッ」
彼の右肩の上のその小さな猿が、彼の近付けた右手の指を掴み、軽く手を繋いだ。赤黒い毛並みと彼の黄白色の肌が繋がっている。
「喜んでる。あ、あの猿坊が……」
銛を持っている男が、それを将次郎に向けなくなって、そう言った。
彼らの前で、西日に照らされ、三十代の将次郎とその肩の猿とが、顔を向け合った。猿の表情はよくわからないが、彼は笑みを向けている。
その様を、そこの全員が見ていた。言葉だけではないその示しが、銛の男を突き動かした。
「わかりました」
遂に承諾。そこに気持ちの曇りはない。
「猿坊を君に任せ――」
だがその時だ。
「ここで何をしている!」
不意の声。それは、すぐ隣の、5番倉庫と書かれた建造物の屋根の上からだった。
将次郎と、彼を囲う漁師たちを見下ろしているその誰かは、そのまま更に。
「そいつはこちらで処理する! お前は校舎に帰れ!」
太い声だった。激しさはないが冷酷な声。灰色の制服を着ている将次郎を見て、部下のようなものだとわかって言ったのだった。彼はと言うと青の制服で身を包んでいる。対魔警軍だ。
(処理……? そんな)
何かそこまでの決まりがあるのだと将次郎は認めたくなかった。折角、救えそうなのにと。この手で救えそうなのにと。だから彼は心のうちで嘆きながら、魂玉を練り出し始めた。遅れて相手も。
だが完全な魂玉を、お互い同時に出現させた。対魔警軍の彼の方が僅かに速度がある。
黒い魂玉と黄色のそれが出ると、周囲の漁師は、その場から少々離れた。自分たちには手に負えないからだ。
そして、将次郎から、
「どうしてなんですか! 一体何の権限が――!」
「任務だ!」
聞いても端的。冷たさしかないように――まるで実際に冷気を大量に浴びたかのように、将次郎は感じた。
「そこに居続けるなら、お前も死ぬぞ! 犠牲になりたいのか!」
そう告げられ、出したい言葉が喉に詰まる。
明らかに将次郎の方が不利。経験の差がある。魂術能力者を育てる校舎から任に就いた初の組なのだ。それまで温かい環境で学んだだけ。対して男は対魔の軍。実践者だ。
それだけに、様々な点で覚悟が違う。欠点を補えるのは本能と知恵のみ。
「誰の命令なんスかそれは! 理由は!」
屋根の上へと将次郎が叫んだ。
「ふん。訊けば言うと思ったのか!」
逃れられない――と将次郎は悟った。戦うことになると。
(殺される? 殺し返す? いや相手は人間なんだ! できるワケが!)
思っても、まだ何もしないでいた。相手からも攻撃は何も来ない。だが言葉は――
「お前の手で処分してくれるのならそれも構わないんだがな!」
そう言われて、彼は呆然としてしまった。
(俺が、こいつを――?)
彼の背に、ゾッとする感覚が走った。魂の拒否。自分の存在意義を失うような恐怖。そんな決断を下すことはできない。そう思うと同時に、彼は、命令してくる男に、その鋭い眼光を向けた。
「俺は殺さない! こいつも、そこのみんなも! あんたも!」
言いながら、船の中へと走り出した。無言で、息も継がない。
すぐ後ろをついて来られている? 振り向くとすぐ近くまで迫られているのでは? そんな怖さから、彼は、一切、振り向けなかった。




