59:呼び止められて。
ヴァイラントの者たちとは、交渉後の動きを事前に話し合っていました。
できる限り速やかに。
必要最低限の荷物で。
誰ひとり欠けることなく。
ヴァイラント帰国まで気を抜かない。
ヘンドリック殿下にエスコートされながら、足早に歩いて馬場に向かっている時でした。後ろから聞き覚えのある声。
「ティアーナ嬢!」
ちらりと振り向くと、ザンジル王太子――ジスラン様が走って駆け寄って来られました。
ヴァイラントの騎士たちがヘンドリック殿下と私の周りを固め、剣の柄に手を添えましたが、大丈夫だと伝えて警戒態勢を解いてもらいました。
「ティアーナ嬢」
「はい」
「君だけでも……生きていてくれて良かった」
「私は、私だけ生き残ったことを恨みましたが」
「っ、すまない! 本当に、すまない。君を探していたんだが……」
ジスラン様がそう言いながら、チラリとヘンドリック殿下を見ました。
つられて私もヘンドリック殿下に視線を移すと、殿下は真顔で「ヴァイラントに戻ろう」とだけ言い、エスコートの手をクイッと引き、歩き始めてしまいました。
「ティアーナ!」
ジスラン様に悲痛な声で呼び止められました。
なぜ、彼はこうも私を気遣うふりをするのでしょうか。アロイス様の救命のため?
「ジス――――」
「ジスラン殿。私の婚約者を呼び捨てにしないでいただきたい」
「っ、婚約者のふりではなく……?」
「それ以上の発言は侮辱とみなす」
ヘンドリック殿下が振り向かずに、低く唸るようにそう言うと、再度歩き始めました。今度は立ち止まらない、とでもいうように、繋いだ手を強く引き。
ガラガラと車輪の立てる音だけが響く馬車内。
ヘンドリック殿下は、馬車に乗り込んでからずっと目蓋をきつく閉じたままです。
眉間に寄った皺が、話しかけられたくない、と言っているようで、ただ隣に座っているしかできませんでした。
一時間ほど経ったころ、ヘンドリック殿下が俯き両膝に肘を置くと、大きなため息を吐き出されました。
「ティアーナ、君に伝えていないことがある」
真っ赤な髪に隠れて殿下のお顔が見えません。
「何でしょうか?」
聞きたくない、と思ってしまったのは、彼が醸し出す雰囲気のせいなのか、彼が今から言いそうなことが何パターンか脳内に浮かんでしまったせいなのか。
――――言わないで。
どうか、一番聞きたくないことだけは言わないで、と願わずにはいられませんでした。





