32:好きと愛と。
突っ伏したままのヘンドリック殿下の頭にそっと手を伸ばしました。
柔らかで艷やかな髪。
サラサラのシルクのような手触りで、いつまでもこうしていたいと思ってしまいました。
撫でたりしている内に、殿下が横を向きました。
結び漏れている横髪が顔に掛かっていたので、手櫛でそっと耳に掛けると、目を細め気持ちよさそうな表情をされました。
――――なんだか、猫みたい。
撫で撫で、撫で撫で。
なぜか頬を撫でてしまっていますが、止められません。
「くっ…………ティアーナは、やはり悪役令嬢だ」
ヘンドリック殿下のお顔が真っ赤になってしまい、びっくりして手を止めたのですが、「頭撫でて」と言われてしまい、また撫で撫でを再開しました。
これ、何の時間なのでしょうか?
「ティアーナ」
「はい」
頭を撫で続けていると、ヘンドリック殿下がむくりと起き上がられました。
「ティアーナ」
「はい?」
「この気持ちを理解してもらえるか分からないが…………ただ名前を呼ぶだけで幸せな気持ちになるんだよ」
「っ!?」
その感覚は、私も同じでした。『ヘンドリック殿下』と声に出すたびに、胸が温かくなります。心が浮き立つような気持ちになるのです。
「そんな相手に、婚約者の『ふり』なんて言われたから、ちょっといじけていたんだ」
「あ…………」
「ねぇ、ティアーナ。私の婚約者になってくれないか? 本物として、ザンジルに行こう?」
「っ、はい」
「今度、婚約式をしよう」
「っ…………は、い」
喉がキュッと詰まって、声が出ません。絞り出すようにどうにか返事をしました。
「悪役令嬢になりきれないティアーナ。君が好きだよ」
ふわりと微笑んだヘンドリック殿下のその言葉に、心臓が破裂するかと思いました。
ありのままを見てくださって、ありのままで受け入れてくださって、それでも私の目指したいところのために背中を押してくださる。
前を向こうと思えるようになったのは、地に足をつけようと思えるようになったのは、この人を絶対に裏切りたくないからなんだということに、やっと気が付きました。
「私も好き――――いえ、愛しています」
この気持ちは、『好き』よりも『愛』なのです。





