1:「殺さないでくれ!」と言われましたが。
「殺さないでくれ!」
裏切り者の元婚約者が目の前に跪き、縋り付きながら懇願してきます。
私はそれに侮蔑の眼差しを送りながら、左手に持った杖で払うようにして彼の頬を打ちました。
「私って、悪役令嬢ですわよね?」
金品に目がくらみ、私を『悪役令嬢』と罵り、私の家族に『売国奴』と無実の罪を着せ、公衆の面前で断罪してきた元婚約者である母国ザンジルの第四王子――アロイス様。
彼のおかげで、私たち家族は国外追放に。
両親と妹は…………追放後に予定調和のごとく起きた馬車の事故でこの世を去りました。
運良く一命を取りとめた私は、復讐の鬼と化したのです。
「貴方が私をこうしたのですよ? これは、因果応報です。甘んじて、死になさい」
少し乱れてしまった黒髪を耳にかけ、スッと右手をあげると、処刑人たちがアロイス様の両腕を掴み、引きずるようにして断頭台へと連れて行きました。
「嫌だぁぁぁ! 死にたくない! 父上っ……助けて」
自慢の金髪を振り乱し泣き崩れるアロイス様から目を背けるようにして、ザンジル国王陛下が斬首を命じました。
「嫌だ嫌だ嫌だいギャ……ダ………………」
ゴトリと落ちたそれに、急いで布が覆い被せられました。
「…………満足かね?」
「あぁ、満足だとも。私はな」
私が返事をする前に、隣に立っていたヘンドリック様がそう答えていました。
ヘンドリック様は隣国の王太子殿下で、私を保護してくださっている方です。彼がいなければ、私はこのように復讐ができなかったでしょう――――。
◆◆◆◆◆
壊れた馬車、死んでいる馬たち。
そして、両親と妹の亡骸の側に座り込み、ただ呆然と満月を眺めていました。煌々と光をまき散らすそれは美しくもあり、忌わしくもありました。
私を裏切った元婚約者のようで。
「――――大丈夫か!?」
男性の声が微かに聞こえました。
耳鳴りが酷くて、上手く聞き取れません。
「怪我は!?」
ポンと肩に手を置かれ、そちらを振り向くと燃えるように赤い髪をひとつ結びにした、どこかで見たことのある男性。
「君は…………」
大きく見開かれた、印象的なエメラルドグリーンの瞳。
――――あぁ。
隣国の王太子殿下。
私が断罪された建国祭の夜会に参加されていました。今の反応からするに、私が誰か気付いたのでしょう。
このまま立ち去るだろうと思い、彼に向けていた視線を憎い満月へと戻しました。
「っ……失礼する」
そんな声と同時に、視界がぐらりと揺れ、ふわりとした浮遊感。何が起こったのか理解できないままに、両親と妹の亡骸のそばから離されてしまいました。
「や……ミーナ、お母様、お父様っ…………いやっ」
彼の腕から逃れようと身じろぎするも、びくともしませんでした。
「心配するな。彼らは丁重に弔うと約束する。先ずは君の怪我からだ」
「…………怪我?」
「っ、気付いてなかったのか……すまん」
申し訳無さそうな瞳で謝られた意味は、直ぐに理解できました。人は、怪我を認識した瞬間から痛みを感じますから。
ズキンズキンと痛みだす左脚に目を向けると、膝から下がぐにゃりと変な方向に向いていました。
「でんっ…………ヘディ様」
――――ヘディ?
慌てた様子で駆け寄ってくる執事服を着た男性。
彼が王太子殿下に向かって掛けた名前に、違和感を覚えました。王太子殿下のお名前は、確かヘンドリックだったはず。
もしかしたら、身分を知られたくない?
「座席は空けたか?」
「はい…………ですが、彼女は」
――――あぁ、知られているのね。
眉間に皺を寄せ嫌悪感をあらわにする執事に、少しだけ同情しました。こんなにもトラブルにしかならない場に遭遇し、主人はトラブルの元凶であろう私を助けそうなのだから。
「殿下、どうぞ何も見なかったことにして、立ち去られてください」
「っ――――! 気付いていたのか」
「ええ。貴方様の立場で私に手を差し伸べるのは、得策ではありません」
笑顔を貼り付けてそうお伝えすると、明らかにホッとした顔になる執事。そして、怒りをあらわにしたヘンドリック殿下。
「……馬鹿にするな」
低くただそれだけを言うと、ずんずんと進んで行きました。彼らが乗っていたであろう馬車に向かって。
馬車かごの中に入れられる瞬間に「怖いだろうが、我慢してくれ」と言われました。
ヘンドリック殿下は、なんというか優しすぎる気がします。
馬車かごの中は明るく温かで、急激な眠気に襲われました。
落ちそうになる目蓋を必死に押し上げていたのですが、ヘンドリック様が私の頭をそっと撫でながら、寝ていいと仰ってくださいました。
彼の抑えの効いた低い声に妙に安心してしまい、意識が深く沈んでいくのを感じました。