8.密会
深夜、冷たい風が吹き付ける中、私は王城の中庭にあるマーガレットのお墓に向かって一人喋っていた。
「アイリス王子はマーガレットにそっくりだね。顔も、性格も。でもさ、素直で可愛いアスターって誰のこと? なんか、思ってたのと全然違ったんだけど」
ずっとここに来てマーガレットと話がしたいと思っていたはずなのに、口から出てくる言葉は当たり障りのないどうでもいいことばかりだ。
「七年……。マーガレットがいなくなってから色々あったよ」
本当は、あれからのこと、最近のこと、話したいことは山ほどあって、あの時のこと、今の私のこと、聞きたいことも山ほどある。
「会いたいよ……マーガレット……っ……」
でも、丸い水玉がはじける様な、凛と響く大好きな声はもう聴くことはできない。
七年前のことが昨日のできごとの様で、必死で笑って見せるのに、涙が次から次にこぼれてくる。
「うぅ……っ……ぐすっ……」
言葉にできない、整理できない感情が涙となって溢れ出す。
吹き付ける風にざわざわと木々が揺れ、流れる雲の隙間から時折月明かりが墓標を照らし、また雲が月を覆う。
「キユリ……」
静寂の中そっと、心配そうに私の名前を呼ぶユウガオの声がした。
いったいどれだけの間私はここで泣いていたのだろう。
「戻ってこないから、見に来た」
少し出かけてくると言って全然帰ってこない私を心配して、ここまで探しに来たのだろう。
私は、少し乱暴に腕で涙を拭うと、ごめんと言ってユウガオの方へ振り向いた。
「……大丈夫か?」
「うん。戻ろう」
迎えに来てくれたユウガオに並び、サンダーソンが用意してくれた王城の客室のある方へと歩き出した。
私は、最後に中庭から出るところで、お墓の方を振り返った。
「また来るね。……お母さん」
***
「皆様、お集まりいただきまして誠にありがとうございます」
翌日、私はサンダーソンに頼み謁見の間へ王城にいる人間を呼び集めてもらった。
最初はアスター、サンダーソン、王城の警備兵だけだったのに、話を聞いた国王が何をするのか見たいと言ってやってきて、ついでに何人かの大臣までぞろぞろとやってきた。
戦中の真っただ中だと言うのに、暇なのかと疑ってしまう。
ちなみに、ヤロウは用事を終えると早々に戦場へ戻ったらしい。せっかちな男だ。
「こんなにぞろぞろと人を集め何をしようと言うのだ。私たちはそう暇ではないのだぞ」
城で働く人間の六割が集まったあたりで、国王の側に控えていた大臣が訝し気な表情で尋ねる。
あんたらに来いと言った覚えはないわと、心の中で悪態をつきながらも、私は努めて笑顔で名前も知らない大臣に言葉を返す。
「僭越ながら、この城の警備があまりにもお粗末なため少々助言をと思いまして」
私の言葉で、謁見の間にいた警備兵たちが一斉に眉間にしわを寄せた。
「警備がお粗末とはどういうことだ、キユリ。ここには、国王陛下の身を守るために十分な警備兵が置かれている」
ざわざわと険悪な空気が漂うと、アスターが前に出て私に問いかけた。
「その必要十分な警備兵による警備が十分ではない、と言うより、隙だらけで本当に国王陛下の身を守る気があるのか不安だって言ってるんですよ。この程度の警備なら、私だって正面切って王の首を取れますよ?」
この先、ベトワールとイグランとの戦争は激化の一途をたどる。
そうなった時、戦場に立つ私ではアスターは守れても、国王やアイリス王子の方にどれだけ気を配れるかわからない。
東側周辺諸国にいた時と違い、イグランによって陸地を他国と分断されているベトワールには情報が入って来ないのだ。
だからこそ、その自覚を持たせるために、わざと周りにいる兵たちを煽ってみせる。
「言葉を慎め! 下賤な平民の分際で、無礼だぞ!」
「そうだ!」
案の定、私の挑発に苛立った兵たちが声を上げる。
ベトワールは他国に比べ選民思想は薄く、民は皆平等だと言われているが、実際貴族の大半が心の内でははっきりと貴族と平民を線引きしている。
そんな彼らに平民の私が偉そうなことを言えば、たちまち火がつくに決まっている。
「では、あなた方は私から国王陛下を守れると? もちろん、全員で、木剣ではなく真剣で守っていただいて構いません」
「馬鹿にしているのか! 何人いると思っているのだ!」
数で勝てると思っていることが、そもそもの間違いだとなぜ気づかないのか。
屋内という空間では、むしろ数が不利に運ぶことも十二分にあると言うのに。
「国王陛下、アスター王子、よろしいでしょうか?」
「私は構わないぞ。キユリ、そなたの実力を私に見せてくれ」
「よろしいのですか? 父上」
「私は、皆を信じている。何も問題はない」
陛下の返事に少し困惑しながらも、アスターは勝手にしろといった感じで、やれと顎で合図をしてきた。
アスターの隣では、また面白いことが始まったとスリフトが私の方を見てニヤニヤとしている。
「では、私が合図をしましょう」
サンダーソンの言葉に、私はひとつ頷き、国王から一番離れた場所、すなわち入口へと向かう。
謁見の間の入り口に私が立ち、真正面の王座に座している国王との間を兵たちが陣形を取り埋めていく。
「キユリ、見たところあなたは手ぶらですが、武器の類は持たなくてよろしいのですか? あなたの刀は、まだ私が預かっておりますが」
「必要ないわ。現地調達すればいいもの」
「そうですか。では始めましょう」
今から私が何をするかだいたいわかっているのであろうサンダーソンは、はいはいといった感じで淡々とことを進めていく。
「始め!」
「陛下、お命頂戴いたします!」
サンダーソンの合図と同時に、私は態勢を少し屈ませ、そのまま勢いよく右足を蹴り走り出した。
手始めに、少女相手に真剣を抜いていいものかと迷う兵の懐に入り、瞬時に無力化していく。
相手が例え子供であろうと、女であろうと敵は敵だ。そんなことで迷われては困るのだ。
「こんなものですか、王城の兵士とは!」
「抜け! 剣を抜け!」
そして、みぞおちに一発、次に来る攻撃を躱しつつ無力化した兵の剣をするりと頂戴する。
左手に奪った剣で、カンッ! キンッ! と攻撃を受けては流し、受けては流し、するすると兵の合間を縫って行く。
「ほらほら! 王の首取っちゃいますよ!」
人数が集まれば剣を下手に振るえない。けれど、一対一では剣が流される。
兵たちは守備の陣形を保ちつつも攻めあぐねている様だった。
「はぁ……。これなら私の十二歳の弟でも勝てますよ。本当に残念です」
ベトワールの兵は決して弱くない。
けれど、世界には一騎当千の猛者や、誰にも気取られずに人を殺す暗殺者がいる。
そして、イグランには倫理観に欠けた頭のおかしい、そう言う奴らがたくさんいるのだ。
「少し、本気を出すとしましょう」
「何……?」
「私の利き手は本来、右手なのですよ」
今まで本気ではなかったのかと驚いた表情を浮かべる兵士たちを他所に、私はすぅっと息を吸い込んだ。
「このっ……!」
兵が振り上げた剣が、振り下ろされる頃私はもうそこにはいない。
「スリフト! あんた気抜きすぎ!」
「うぉっ!」
壁際で、見世物でも観劇しているかのように腑抜けていたスリフトの元まで行くと、本気ではない腹パンを軽くいれ、腰の剣を奪い右手に持った。
そして、両手に剣を持った私は、そのまままっすぐに国王の元へと走り出す。
「なっ……!」
キンキンキンキンッと導線上の全ての剣をいなし、兵たちが振り向いた頃にはもう――。
「そこまで!」
私の剣は、国王の首元にあった。
「陛下っ!」
サンダーソンの言葉で、私は国王へ向けていた剣をさっと下す。
謁見の間にいた大多数が血相を変え、顔を青くしていたが、私がすぐに剣を下したことで胸をなでおろした。
「これがこの国の、あなた方の現状です。前大元帥がいなくなってから、いったい何をやっていたのですか?」
「……」
「七年前の出来事をお忘れですか? いざという時に守れなければ、怠慢では済まされないのですよ? それとも、既に平穏ではないこの状況下で、守れなかった、ごめんなさいで済ますのですか? 今度は、花一輪ではなく、イグランに国そのものを明け渡すことになるのですよ」
悔しい気持ちはあれど、実際に国王の首までたどり着かせてしまった兵たちは、何も言えずに下を向き黙っていた。
「そこまで。キユリ、兵たちをあまり責めるな。皆、国のために尽力してくれている」
先ほどまで黙っていた国王がおもむろに口を開いた。
「兵に課せられる仕事は私を守ることばかりではない。街の治安維持や配給などにも人手はいる。訓練ばかりともいかないのだ」
国王の言い分もわからなくはないが、それで国の王が死んでは元も子もないだろう……。
「戦場に出ている間に、七年前と同じことが起きては困るのです……」
盛大なブーメランに、弱々しくも苦笑いを浮かべると、国王もまた困った顔を浮かべた。
「警備については再考しよう。兵たちが思うように訓練できるよう何か手を打つと約束する」
「ありがとうございます、陛下。私からも、いくつかサンダーソン様に案を上げておきます」
私は、片膝をつき国王へと頭を垂れた。
「うむ。では、私は少しキユリと二人で話がある。皆、下がってくれ」
「父上! 二人というのは問題です。私も残ります!」
国王の言葉に、アスターが口を挟む。
まぁ、まだまだ素性のわからない私と二人きりと言うのはどう考えても危ないと言うのは正論だろう。
大臣や兵たちも下がれと言われたものの、アスターの言葉に賛同するようにその場を離れようとはしない。
「アスター、キユリが私を害そうと思うのならば先ほど私の首はとうに飛んでいた。問題ない」
「ですが……!」
「息子よ。どうか、父の願いを聞いてはくれぬか?」
「……かしこまりました」
滅多にそんなことは口にしないのか、国王の言葉を聞いたアスターは驚いた表情を浮かべつつ、諦めたように謁見の間を出て行った。
アスターが了承したことで、大臣や兵たちも渋々と言った感じでこの場を後にした。
謁見の間から人の気配がなくなると、ほんのわずかな無言の時間が私には永遠の様に感じた。
これから、私がこの人から受けるであろう言葉を永遠の中で無意識に考えていた。
「さて、キユリ。もっと近くへ来て顔を見せておくれ」
「はい」
私は立ち上がり、国王の側へと寄る。
「あぁ、やっと会えた。妻の忘れ形見に、娘に会うのをどれほど待ちわびたことか」
「怒って、ないのですか……?」
七年前、最愛の妻マーガレットを殺されたこと、その原因になったであろう私が、その後何も言わずにこの街から姿を消したこと。
私のことを全部知っているであろうこの人から、どんな責め苦を受けても、どんな罰を言い渡されても、全て受け入れるつもりだ。
「娘が無事で、何を怒ることがある?」
「……っ!」
国王のその一言に、これまでこらえていたものが一気に壊れていくのを感じた。
「こめん、なさい……ごめんなさい……グスッ……」
「あーあー、そんなに泣いては可愛い顔が台無しだ。それに、私がお前を泣かせたのだと、マーガレットに怒られてしまう」
「ずっと、あなたに謝らなくちゃと……だって、マーガレットは……!」
約束の日ではなかったにしろ、マーガレットがスラムに来ていた理由など、私に会いに来ていたからしか考えられない。
あの日、きっと私に会いに来たところを待ち伏せされマーガレットは殺された。
守ると言ったのに、守れなかった。
「キユリ、お前のせいではないよ。マーガレットはいつだって自分の意志で動いていた。私もそれを許可していた。悪いのは犯人で、他の誰のせいでもない」
国王の言葉に、私は首を振った。
「でも、守れなかった……!」
「お前が無事ならそれで良い。あれから七年、ずっとお前を探していたんだよ」
そして、私の頬をそっと右手で触った。
「国王様……」
「お父さんとは、呼んでくれないのかい?」
ん? と優しい笑みを浮かべる国王の言葉に少し驚いたけれど、この人がマーガレットの愛した旦那様と言うやつなのだと思い知った。
力の抜けた私は、目の前の人を見てふっと笑いが溢れた。
「マーガレットに怒られますよ」
「どうしてだい?」
「最後までマーガレットのこと、お母さんって呼べなかったので。国王様だけ呼んだら、マーガレットが怒るかなって」
「はっはっはっ! そうか! それは怒られるな。夢で良いからもう一度会いたいと思うが、あれに枕元で文句を言われるのはごめんだ」
マーガレットはいつだって自分の感情に素直で、泣いたり、怒ったり、笑ったり、いつも忙しなく表情が動いていた。
その奔放さと真っ直ぐさが、誰からも愛された理由だったのだろう。
「キユリ、戦場に立つのは辛くないかい?」
「……自分で決めたことですから」
不意に聞かれた質問に、なんと返せばいいか分からず、私は曖昧な笑みを浮かべそう答えた。
「アスターと一緒で平気かい?」
「マーガレットの言う、可愛いアスターがあれだったのには驚きましたが、マーガレットの側で育った息子がどんな奴なのか、この目で見届けます。それに、今度こそ私が守らなくちゃ」
「そうか。だけど、嫌になったら、辞めたくなったら、いつでも戦場から離れて良い。弟たちと共にお前を保護すると約束する。お前を戦場に縛るものは何もないのだと覚えておいて欲しい」
その言葉に、マーガレットのため戦場に立っている私の具体的な理由を国王に話していなかったと思い出した。
「それがあるんですよ。私を縛るもの」
私は、まっすぐに国王へと視線を向けた。
「マーガレットとの約束です」
「約束?」
「マーガレットの宝物を守るって」
「マーガレットの宝物?」
「あなたと、王子たちですよ。それから、この国の人間、物、景色、この国を形作るもの全て……要するに、この国そのものです」
その言葉を聞いた国王は少し驚いた後、困った様に、そして僅かに呆れた様に、眉をハの字にした顔を浮かべた。
「……あぁ、私の妻はまたえらく大きなものを娘に託してしまったのだな」
「だから止めても無駄ですよ。必ず守ると誓ったんです。そのために私は強くなったんです」
「お前を戦場に出したとなれば、私が怒られそうだがな……」
「その時は、心配ないって伝えてください」
「だがなキユリ、一つだけ私とも約束してほしい」
「なんでしょう?」
「必ず生きて戻ってくると、約束してくれ」
国王は真っ直ぐに私の目を見つめる。
その眼差しに、私は目を伏せ、もう一度国王と視線を合わせた。
「それは、お約束できません」
国王の言葉にはっきりと断りを入れると、国王は少し困ったような顔をして小さく笑った。
「ある日妻が、娘ができたと私に報告してきた。執務の合間を縫っては娘に会いに行くのが彼女の楽しみで、どんな話をしたのか、どれほど可愛いのか、いつも私に教えてくれた。私は、ずっと話ばかり聞かされる娘に会いたかった。だが、あれが死んですぐにお前を探したが、妻が愛した娘はもうスラムから姿を消していた。七年間、私は娘を見失った。わかるかい? やっと会えたのだ。やっと、あれが残してくれた私たちの娘に」
国王は微かに肩を震わせるながら、静かに私の肩に手を置いた。
「お前まで失っては、私はもう立ち直れない」
私のせいで愛する妻を失ったのに、それでも私を受け入れるなんてこの人はどれだけ優しいのだろう。
そんな風に言われてしまっては、私にはこれ以上強く否定することなんてできない。
「できる限り努力します……。それで良ければ」
「あぁ。アスターとスリフトとしっかり協力しなさい」
「はい」
絶対とは言えないが、国王は納得してくれた。
私にとって、私の命の優先順位は低い。それはこの先もきっと変わらない。
だけど、この国に平和が戻るまではなんとかやってみようと思った。
「あ、そうだ。近々ツヅミを城へお返しします」
「最初の手紙以来音沙汰もなく、恐らく一緒にいるだろうとは思っていたが、やはりか。帰ってきたら、私からも急に置いてけぼりにされた兵たちからも、山ほど小言があると伝えておいてくれ」
「苦い顔するのが目に浮かびます」
「置き手紙ひとつで軍団長を辞めた大馬鹿者への罰だ」
「伝えておきます」
もう少し、あと少し、まだ国王と話をしていたかったけれど、あまり長居をするとアスターが心配で乗り込んできそうなので、私は話を切りあげ謁見の間を後にした。