7.ユウガオとアイリス
互いに剣を交えたまま睨み合っているスリフトとユウガオ。
スリフトは少し驚いた顔をしながらも、すぐに気持ちを切り替えた様にいつも通りの笑顔で剣を握っている。
「君は、セトの領主の屋敷で見た子だね。警備兵は何をやっているのかな?」
「この城、穴だらけ。国王、簡単に殺せる」
「あはは、恐ろしいこと言うね!」
「俺、国王に興味ない」
「それは何より。では、なぜ僕は君に剣を向けられたのかな?」
「キユリに剣を向ける奴、全員殺す。俺より弱い奴、キユリと戦う資格ない」
ぼそぼそと、まだ少し流暢とは言い難いなりに、言葉を発しスリフトを牽制するユウガオ。
漆黒の色をした髪と瞳は、闇に隠れるにふさわしく、彼はいつでも私の影となり動いている。
けど――。
「こら!」
しかし、私はそのユウガオの後ろに立ち、がら空きな頭をぱしっと叩いた。
ユウガオが力を抜いたため、スリフトも剣をおさめる。
「痛い……」
「手合わせしてただけでしょ、邪魔しないの」
「俺だって、キユリと手合わせしたい。ずっと、暇だった」
「頼んだことがあったでしょ?」
「……あいつ帰ってきた。俺、もういらない」
「私はユウガオに頼んだんだよ?」
「……ごめん、なさい」
「ふぅ。まぁいいや。来ちゃったものは仕方ない。スリフト、悪いけどちょっとユウガオと手合わせしてあげて」
私に怒られしょんぼりするユウガオを見ていると、どうにも無下にはできない。
「え? 俺、キユリの能力確かめるために、ここに立ってるんだよ?」
「大丈夫よ。ユウガオも十分強いから」
「キユリは、俺より強い。だけど、お前、俺にも勝てない」
「言ってくれるね~」
「アスター、それでいい? とりあえず二人の試合終わったら私もやるから」
「あぁ」
「ユウガオ、私との手合わせは、スリフトに勝ってからね。それと、殺しちゃダメ」
「……わかった」
「じゃぁ、始め」
私が適当に出した合図で、ユウガオがスリフトに激しくぶつかっていくが、スリフトも負けてはいない。
しっかりとユウガオの剣を受け止め、反撃に出ている。勘や反射神経は良い方かもしれない。
「セトで、仲間と言っていたな? 異国の民のように見えるが……」
「ユウガオは、山の民の生き残りなの」
「山の民? あの、全滅したロームの一族か……?」
「そう」
ユウガオは、ベトワールから遥か東。イグランを越えた先にあるロームという国にいる戦闘民族、山の民の一派、ウリ族の生き残りだ。
九年前、イグランとロームとの戦争で山の民はローム軍に加勢した。けれど、ローム軍が敗北した折に、山の民が住む場所を含む大規模な領域がイグランに奪われてしまった。
その際、ローム軍に加勢した報復として山の民は全員イグランに粛清されてしまったのだ。
その時、一族がなんとか逃がし、生き延びたのがユウガオだった。
初めて会った時、彼は言葉すら忘れ、人を殺し歩くただの獣だった。
家族や一族が殺されてから人と話すことはなく、イグランの小さな町や村を襲っては兵も市民も関係なく牙を剥き暴れ回っていた。
大切な家族や仲間を殺された恨みだけで、九年間も生きていたのだ。
大切なものを奪われる痛みも、奪った奴への憎しみも、奪われる自分の弱さを許せない気持ちも、私は知っていた。
だから、ユウガオに手を差し伸べないなんていう選択肢は、私になかった。
「サンダーソンが、私に何かあったらユウガオのことも保護してくれるって」
「そうか」
「ま、世間知らずではあっても強いから、私なんかいなくても大丈夫だと思うけど」
キンッキンッっと剣のぶつかり合う音がする方を見ると、ユウガオとスリフトがヒートアップしている。
「へぇ。ユウガオ相手にスリフトもやるねぇ」
「当たり前だ。第一王子の右腕だぞ」
「スリフトはその第一王子より強いの? 弱いの?」
「さてな」
戦場で見たアスターの剣捌きはかなりしっかりしていた。
同世代の騎士たちはおろか、ベトワール軍の中でもかなり強い方だろう。
「山の民か……」
「あ、戦場に出そうとか考えないでよ。それは保護者として却下だから」
「何が保護者だ」
キンッ! キンッ……!
飛んだり跳ねたり、縦横無尽に動き回るユウガオの速さにスリフトはよくついて行ってる。
あの速さで襲撃されたら、大概の兵はひとたまりもない。
カンッ! キンッ!
「あの剣、音が……」
サッサッサッサッサッ……。
「誰か来る」
「人払いはしたぞ?」
剣の音に何か違和感を感じていると、訓練場の外から音の軽い足音が聞こえてきた。
「一旦止めよう」
「なぜだ?」
「このままじゃ死人が出る!」
そう言って、私は白熱している二人の間へと飛び込んだ。
「これで最後だ!」
「それはどうかな!?」
「そこまで!」
ユウガオが力一杯踏み切り剣を振り下ろし、スリフトがそれを払おうとした瞬間、私は二人の間に入り、さっき手にしたふたつの木剣のひとつでユウガオの剣を受け止め、もうひとつでスリフトの剣を振り払った。
すると、スリフトの剣先が折れ、くるくると飛んでいき近くの木へと刺さった。
「兄上! うわぁっ!」
兄を驚かそうとでもしたのだろう、隠れた木から顔を出した瞬間、真横の木に剣先が突き刺さり、アイリス第二王子は驚いて尻もちをついてしまった。
安全確保のために一番狙いやすい木を狙ったが、タイミングが悪かった。
「アイリス!」
「アイリス様!」
慌てて駆け寄ったアスターとスリフトに手を取ってもらいアイリスは立ち上がると、パンパンと尻についた土を払った。
「怪我はないか?」
「大丈夫ですよ、兄上。訓練場に急に顔を出してしまった僕が悪いのです。申し訳ありません」
アスターとは十歳離れたベトワール第二王子アイリス。
十二歳と言えど、幼くしてマーガレットを失くし、頑張っている兄の背を見て育っているせいか、しっかりしている。
「アイリス、何しに来た?」
「父上から、兄上に新しい女性の側近がついたと聞いたもので、つい……」
どうやら、アイリスは私に会いに来てくれたようだ。
「初めまして、アイリス王子。私が、その新参者のキユリと申します。お怪我はありませんでしたか? あら、頭に葉っぱが……」
私は、アイリスの前まで行き、視線を彼の高さに合わせ少し屈み、彼の頭についた葉をそっと取った。
マーガレットが生きていれば、きっとアイリスもまだまだ甘えたい年頃だろう。
マーガレットにも、会わせてあげたかったな。大きくなったアイリスに。
「母上……」
「え?」
「あ、いや、すまない! 君の笑った顔が記憶にある母上と似ていたような気がして……」
耳を真っ赤にして顔を背けるアイリスは、しっかりしていると言ってもまだまだ子どものようだ。
「マーガレット様に、ですか……? とても光栄ですが、恐れ多いです」
「忘れてくれ……」
「いいえ。胸に秘め、一生の宝物にいたします」
「私の弟で遊ぶな」
アイリスの言葉は純粋に嬉しかったし、マーガレットに似て純真無垢で可愛いなと思っていると、頭上から口うるさい兄上様の声がした。
「別に遊んでないって。私の弟も、アイリス様と同じ年だから親近感がね」
「キユリには弟がいるのか?」
「はい、アイリス王子。頭が良く勉強熱心なのですが、その知恵をいたずらばかりに使うので、いつも手を焼いております」
「頭が良いとは羨ましいな……。私は、全然ダメだ」
「そんなことはない、アイリス。お前はよくやっている」
少し落ち込んだような顔を見せたアイリスに、すかさずアスターがフォローを入れ頭を撫でると、アイリスは嬉しそうに照れた。
「これから国を背負うための勉強をしているアイリス王子と、好きなことやいたずらをすることばかり考えている私の弟では、勉強の類が全く違いますよ」
「そう言うものなのか? ……会ってみたいな」
「私の弟に、ですか……?」
「そうだ。ダメだろうか?」
「いえ、私どもは下賤な身ですので、弟が城に入ることはできないかと……」
「キユリは兄上の護衛なのだろう? ならば、キユリの弟を私が客人として迎えることに問題はないはずだ。……私は、外の者に会ってみたいのだ」
「外、ですか」
「私はあまり城や貴族学校以外の外を知らない。昔、母上が外は広いとおっしゃっていた。だから、外の世界に触れてみたいのだ」
そう言えば、寝物語に市井の話をアイリスに毎晩聞かせているとマーガレットが言っていた。
七年前とは言え、しっかりと覚えているのだろう。
「アイリス。十八になれば、お前も外に出られる」
「兄上は十六歳で戦場へ出ていたではないですか! あと六年も、僕はこの城から出られないのですか? 僕も、もっとこの国のためになることがしたいのです。僕だけ戦争のことも、この国がどんな状況におかれているのかも知らされていません。いつも除け者です」
「別に除け者になど……」
十二歳でそんな重荷を背負う必要などないと、皆思っているのだろう。私ですら、知らずに生きて欲しいと思ってしまう。
けれど、それではもどかしくて、自分だけ蚊帳の外だと孤独を感じるのもわからなくはない。
「では、アイリス王子、貴族学校の試験で、実技または筆記のいずれかで最優秀をお取りください。力であれ、知識であれ、己の身は己で守れると示すのです。そうしたら、きっとアスター王子が国王様に口添えをしてくれるはずです」
「本当ですか、兄上!?」
「おい……」
「いいじゃん、それくらい」
「だがな……」
「大丈夫。私の弟、びっくりするくらい腕っぷしは弱いから」
そう小声でアスターに耳打ちすると、アスターはしょうがない、とひとつため息をついた。
「そうだな。キユリはいずれかと言ったが、実技と筆記で最低ひとつずつ。二つは最優秀に選ばれなくてはダメだ。だが、それができたなら、私から父上に口添えしてやろう」
「ありがとうございます、兄上! 必ず最優秀を取ってきます!」
「応援している。さて、そろそろ剣術の稽古の時間だろう?」
「そうでした。キユリ、また城へ来たら私と話をしてくれるか?」
「もちろんです」
そう言った私の言葉に、アイリスは満足したような顔で訓練場を去って行った。
「弟君にはとっても優しいのね」
「どういう意味だ?」
「別にー」
「それより、先ほどの件、礼を言う」
「結局尻もちつかせちゃったけどね」
「それくらい構わん。また家族を失うなど、もうごめんだ」
「……」
当時十歳だった私ですら、七年前の記憶は鮮明に残っている。
十五歳だったアスターならなおさらだろう。
マーガレットがどれだけ家族を大事にしていたか、私は知ってる。
愛する母を失った痛みは、私なんかより遥かに大きいのだろう。
――マーガレットは弱っちーからな。しょうがないから、私が一緒に守ってあげるよ。
「……守るよ、絶対に」
「何か言ったか?」
「なんでもない。それより、私たちも一試合しようよ」
そのために、私は強くなった。
もう何も、誰も奪われないために。
マーガレットが大事にしたもの全部を、私が守るために――。
そのためには、まず警備がお粗末なこの城からかな……。