4.獅子の慟哭
「行くわよ!」
それぞれの隊に分かれ、必要な場所へと移動する。
私たち四人は予め私が用意していたルートで闇に紛れて街の中へと入る。
イグランの領地からも近いここ、セトは防衛のために街全体が塀で囲まれている。
出入口は全部でニつ。西に行商人や住民たちが出入りする門があり、東に隠し扉がある。
東の門は主に街に敵が攻めてきたときなどに領主たちが隠れて逃げるために作られたもので、その先には深い森が続いている。
「取り残された住民の姿は見えないな……どこか建物の中か? キユリ、ベトワールの住民がここにいるなら作戦は難しいぞ」
「大丈夫よ、スリフト。場所はわかってるから作戦通りで問題ない」
取り残された住人たちが東にある領主の屋敷に全員収容されていることは、昼の偵察で確認した。
問題は、そこで行われていることの方だろう。
「全員、作戦通りに」
合図と同時に、ヤロウとアスターが敵兵の首を斬りに走りだす。
「なんだ……! 敵兵か!? ぐはっ!」
一瞬前まで隣にいた人間が斬られ倒れていく。
そして、異変に気付いた兵が家屋の外に出てくるとたちまち私とスリフトが待ち構え矢が飛んでくる。
ベトワール軍の奇襲か、盗賊か、異変はすぐさま街中の兵たちへと伝わっていく。
「敵襲! 敵襲!」
「街の南だ!」
「十分ね。逃げるわよ!」
騒ぎを聞きつけた他の部隊が、向かってくると同時に、私たち四人は西の門へ向けて走りだす。
「ベトワールの残党だ! 奴らを逃がすなー!」
「追え! 追え!」
たった四人だと、軍勢は私たちを追いかける。
「外は上手くやってるだろうか」
塀の外へ置いてきた兵士が気になるのか、ヤロウが街の外へと視線を向ける。
「難しい事は何もないわ。万が一、あり得ないほどの鈍間がいて失敗しても、死ぬだけよ」
「残酷な聖女様だ」
「嫌ならさっさと戦争を終わらせることね。ほら、前見て!」
昼、野営地との連絡で襲撃がバレることも警戒したけれど、連絡隊の行き来はなく、野営地へと兵糧を運ぶ隊がひとつあっただけだった。
もちろん、運んでいた兵を縛りあげ、食料はありがたく頂戴した。
まさか規律を重んじ、戦争を嫌うベトワールの兵が昨日の今日で奇襲をしかけてくるなんて夢にも思わなかったのだろう。
もしくは、野営地に残して来た民兵のことなどどうでもいいクズな貴族騎士しかいないか。
どちらにせよ、イグランは数の暴力だけが取り柄で、余程の指揮官が要る戦場でない限り、現場は穴だらけなことも多い。
「門の方が騒がしくなってきた。外の部隊もちゃんとやってるようね」
ヤロウに頼んで用意してもらったのは、拒馬、柵、杭木、板、等々……要するに出入り口を塞ぐための道具だ。
私たちが街で騒ぎを起こせば、一時的に門番は中の様子を確認するために薄くなる。そこを隠れていた兵が多勢で攻め、門の見張りを無効化し出入り口を封鎖。向かって来ようものなら待ち受けるのは矢の集中砲火。とは言え、逃げても背中に矢が刺さる。
ご愁傷様案件だ。
「放てー!」
門に蓋をしたら、火矢を放ち街中に火をつける。
街は火の海、出入口では待ち受ける矢を構えたベトワール軍。
「今よ! スリフト、叫んで!」
「や、矢に毒が塗ってあるぞ!」
「ほら、アスターも」
「……毒だ! 気を付けろ!」
「なんだと!?」
指揮官よりも大きな声で、偽りを語れば、恐怖は瞬く間に兵士へと伝わっていく。
突然訪れた敵襲による混乱と夜闇の中でどこからともなく聞こえてくる声を、敵味方判別できる者などいない。
「構え! 放てー!」
「に、逃げろ……!」
「嫌だー!」
そして、第ニ、第三と空から矢の雨が降り注げば、そこはもう地獄絵図。
あれよあれよと指揮官を無視して逃げたす兵士のオンパレード。
大国イグランの兵は数こそ多いものの、使い捨てのように戦場へ出されるため統率の取れていない兵士も大勢いるのが現実だ。ベトワールの訓練された兵とは訳が違う。ベトワールの兵は真面目過ぎて気付いていないが、恐怖さえ煽れば勝機は見えてくる。
そしてそこで――。
「うぉぉぉぉおーーーーー!!!」
空気を震わせ、地をも揺るがす勢いの慟哭が、劫火のセトに響き渡る。
門から引き返すイグラン軍の逃げ道の先には、先ほどまで敵襲だと追いかけていたはずのヤロウが立っていた。
「なんという声だ……」
「文句言ってたくせに、ノリノリじゃん」
眉をしかめたアスターの横で、私はニヤリと笑った。
「我が名はヤロウ。我らが兵をいたぶってくれた礼をしに来た」
「負けた軍の分際で何を……!」
「その首、頂戴する!」
ヤロウは、低く姿勢をとったかと思うと、一気に駆け出し、敵の指揮官の首を一発で切り落とした。
ヤロウの実力は立ち振る舞いからして、相当強いとは思ったけど、予想以上だ。
「私と闘いたい者は前に出よ! 降伏すれば捕虜として迎えよう。……それでもまだ、全員でかかってくると言うのならば、貴様らが戦場で我らに見せた様に、私も今ここで虐殺の限りを尽くしてみせよう」
火の海の中、返り血を浴びて山の如くそびえ立つヤロウの姿はまるで獅子のようで、言ってと言った覚えのない台詞まで最後に付け足し周りを圧倒するなんて、部下を大勢殺され内心相当怒っていたのだろう。じゃなきゃ、相当の役者だ。
「決着はついたね。裏から逃げた奴らも今頃は今朝の二の舞になってるだろうし。アスター、後は任せた」
「待て、どこへ行く?」
「領主の屋敷よ。ベトワールの住民は皆そこにいる」
「ここはヤロウと兵に任せれば十分だ。私とスリフトも行こう」
「……良いけど、後悔しても知らないよ」
「どういうことだ?」
「……行けばわかる」
私は、この場で語るのを避け、目的地へと歩き出した。
街の中心地から東の外れに位置するのは、領主の屋敷。
「ユウガオ、いる?」
屋敷近くまで移動し小声で名前を呼ぶと、木の上から一人の青年が音もなく降りてくる。
「誰だ!」
「大丈夫、味方だから。……どうだった?」
すぐさまアスターとスリフトが剣を抜くがそれを止め、ユウガオに尋ねる。
「全員倒した。奴はまだ屋敷の中にいる」
「わかった、ありがとう」
礼を言うと、ユウガオは再び闇の中に消えていった。
「行こう」
「キユリ、今の彼は?」
「私の仲間。スリフト、今後も関わるだろうから、彼を切らない様にちゃんと顔を覚えておいてね」
暗闇の中、屋敷の前へと辿り着くと、初老と言った年齢の見張りの兵がひとり立っていた。
「君らは、ベトワールの兵か……」
「えぇ。見張りでしょ? 応援を呼ばないの?」
「街に煙が見えた。だが、私はそれを上に報告しなかった」
「なぜ?」
「私は、この屋敷の中で何が行われているかを知っている。これまでにも、何人が死に、どれだけの人が犠牲になってきたのかを。一人の人間として、とても許し難いと思っても、私にはそれを裁くほどの力も、勇気もない。だから待っていた。誰でも良い。この地獄を止めてくれる者を……」
「あんた、名前は?」
「……ハギ。しがないイグランの老いぼれ兵だ」
「ここ、通るね」
「待ってくれ。私をここで殺して行ってくれ。ずっと……ずっと見て見ぬふりをしてきた。私も同罪なのだ!」
「私にあんたを裁く権利はない。全部終わったら、きっとベトワールの王子があんたを裁いてくれるわ」
そう言って、私はハギの横を通り屋敷の扉を開いた。
ハギの言っていたことの意味を知りたいだろうアスターとスリフトも、ただならぬ事態が起こっているのを感じてか、終始無言で私の後を着いてきた。
「ここを降りる」
領主の執務室に入り、本棚を移動すると、そこには地下へと続く階段がある。
「二人とも、最初に言っておく。住民は生きてる……女と子どもは。でも、男と捕虜になった兵士はもういない」
「既にイグラン領に移されたのか?」
「違う。いないんだよ。もう、いないの……」
言葉通りだ。
今から開く扉の向こうにいる男が、ずっと戦争中にどんな悪逆非道をしてきたのか、私は知ってる。
どんな人間にも、生きる権利はある。だけど、あの男だけは生かしておいたらいけない。
私は、大きく息を吐きだし、扉を睨みつけた。
「……見ればわかる!」
そして、地下にあった木の扉を一気に蹴破った。
「なんだ? 何者だ!」
そこには、服を剥かれた女たちと、傷だらけの子ども。それと、だらしない体型を恥ずかしげもなく披露しているイグラン軍の大将がひとり、ローベル。
「な、なんだ……これは……!」
「こんなことが……」
「ローベル。イグラン国王ナルシサスの庇護の下、周辺諸国だけに飽き足らずベトワールにまで手を伸ばし、破壊と略奪、そしてこう言う非道をずっと繰り返してきた男よ……!」
戦争において、規律を重んじ、弱者には絶対に手を出さないベトワールの兵には、あまりにもこの光景は刺激が強い。
例えそうでなくとも、この光景はあまりにも人道に反する。
アスターとスリフトもまさかこんなと狼狽えている。
「なんだ、お前ら? 見張りは何をしているのだ!」
「残念だけど、あんたの部下は死んだし、兵は降伏したわ。状況を知らずにいるのはあんただけ」
「降伏? 何を馬鹿なことを」
ふんっ、とでっぷりとした腹を揺らすローベルはまだ事の重大さに気付いていないようだ。
「ん? お前……?」
「馬鹿なこと……? 貴様は、私の国の民に何をしている?」
私を見て、何かに気付いたような顔をするローベルの言葉を遮るように、さっきまで狼狽えていたアスターが私よりも前へ出た。
冷淡で寡黙だと思っていたアスターの、低く強い声色は彼の内から湧き上がる怒りを感じさせた。
「私の……? お前、ベトワールの生き残りの兵か。まったく、全員殺せと言ったのにまだ残っているとは」
「私は、何をしていると聞いている!」
「小僧。ここは昨日、我らイグラン軍が占拠した。よって、ここはイグランのもの。そこにいる民をどうしようと我々の勝手だろう」
「ならば、ここを取り返した今、貴様をどうしようとそれは私の勝手だな」
「な……に……?」
もう一歩、踏み出したと思った瞬間、アスターの剣がそのままローベルの首を刎ねた。
思わぬアスターの行動に私も驚いたが、一番驚いたのはあっという間に頭が身体と離れ離れになったローベル自身だろう。
いざとなれば、女を盾にとでも思っていただろうローベルの反撃すら許されなかったのだから。
「戯言を。……キユリ、すぐに女性と子どもたちの手当てを頼む。スリフトは兵を数人呼んで来い。マントなどの着られる物も一緒にだ」
「わかった、すぐ戻る!」
「遅くなってすまなかった。さぁ、これを」
「騎士様、汚れてしまいます……」
「構うものか。誰かを守り温めることもできないのでは、マントが可哀想だ」
アスターはテキパキと支持を出すと、すぐに自分のマントを取り、子どもたちを優しく包み込んだ。
――……うっ……ぐすっ……。
――ほら、これで涙を拭いて。
――いいよ、汚れる。
――いいのよ。誰かの涙さえ拭えないんじゃ、ハンカチが可哀想でしょ?
あの時、そう言ってマーガレットは真っ白なハンカチを何のためらいもなく泥だらけの私の頬に流れる涙を拭いた。
マーガレット。アスターはやっぱりあんたの息子なんだね。