閑話.籠の鳥Ⅱ
それから毎日、本当にセージは僕に勉強を教えてくれた。
学校で習うよりもわかりやすく、日常では何に使われていて、覚えておくと何に役立つのかまで事細かに、それは丁寧な説明だった。
聞けば僕と同じ歳だと言うのに、彼はあまりにも僕とかけ離れた頭脳をしていた。
でも、セージを見ているとそんな現実を卑下することもおこがましいと思えるほどだ。
「セージ。君は、どんな時も本を手にしているな」
「僕は武力を捨てて、頭脳に全ての才能を振った天才だからね」
「……本当に凄いよ」
こうして僕に勉強を教えている今も、セージは常に本を読んでいる。
僕がユウガオと剣術の稽古をしている時も、食事時も、トイレにさえ本を持ち込もうとする。きっと、起きた直後から寝る直前まで彼はそうなのだろう。
「なぜ、そこまでできる?」
「ねーちゃんのためだよ。僕を助けてくれたねーちゃんのために、僕はひたすらに知識を求める。知識と経験だけが、僕らが救われる唯一の道だから。それより王子様、ここ間違ってるよ」
「え? あぁ、本当だ……」
同じ年齢のはずなのに、セージは時折大人びたことを言う。
経験の差、と言うものなのだろうか。七年もの間、諸外国を旅していたセージと、そのほとんどを王城と学校で過ごす僕とでは見てきた景色が違い過ぎるのだろう……。
「セージ、今……おや、アイリス王子と勉強中でしたか」
「サンダーソン、僕なら構わない」
セージと勉強をしていると、サンダーソンが姿を見せた。
「どうしたの?」
「例の職人から試作品ができたと」
「すぐ行く! 王子様も行こう!」
「行くって、どこへ?」
「屋外授業だよ!」
そう言ってセージは僕の腕を引いた。
この国の参謀であるサンダーソンからも一目置かれるほどの彼は、なんだか僕よりもよっぽど王子にふさわしい気すらした。
セージに言われるがままついて行くと、王城の敷地外にある訓練場へとたどり着いた。
「サンダーソン、あれは?」
「鍛冶師たちです。軍で使う武器の改良などをお願いしています」
「鍛冶師……」
目的の場所へ着くと、セージは僕を置いて鍛冶師たちと話し始めた。
「外の世界の人間はどうですか?」
「え?」
「あなたはいつも、窓の外を見ていますからね」
「サンダーソン、もしかしてわざとセージを……」
「あなたはもっとわがままになっても良いと、私は思いますよ。鳥籠の鳥でさえ、自由に囀るのですから」
幼い頃からずっとそばにいたとは言え、サンダーソンが僕をそんな風に思ってくれていたのには驚いた。
「王子様、良いものが見られるよ!」
「良いもの?」
「僕らの勉強が何に変わるか、その目で見られる」
「一体何の話だ?」
サンダーソンと話していると、鍛冶師たちと話を終えたセージが嬉しそうに戻って来た。
「まぁ見てなって」
そう言って彼が視線を向けた方向には、大砲と簡易的に作られた石壁がいくつも重ねられていた。
「二人とも、ちゃんと耳を塞いで」
何が始まるのだろうと思いながらも、セージの言う通り僕は両耳に手を当てた。
――ドーーン!
そして、セージの合図と共に大砲が放たれ、重ねられていた石壁が吹き飛んだ。
「どうやら、威力はだいぶ上がったようですね」
「いや、こんなんじゃダメだ。僕の計算ではもう少し威力が出るはずだ」
サンダーソンの言葉に、反論したセージはまた鍛冶師たちの所へと向かい、武器の改良案や話し合いが続き、何が起こったのか理解しきれていない僕は積み上がる石壁の瓦礫を見ていた。
セージが更なる改良案を鍛冶師たちに指示し、その日の実験は終わった。
「セージはすごいな」
「そりゃ、僕にかかれば強固な城壁がビスケットに早変わりするからね」
「君はまるで錬金術師だな」
「……は?」
図書室へ戻る道を歩いている中、そんな話をしているとセージが僕の言葉に足を止めた。
「僕が錬金術師? 王子様、あんなのはペテンだよ。石や鉄屑は金にはならない」
「そ、そうなのか? まだ誰もその方法を編み出せていないだけではないのか?」
「断言する。僕ら平民やそれ以下の人間がどう足掻いても王族にはなれない様に、ベースメタルがレアメタルになることはない。そんなのはただのメッキで、本物じゃない」
足を止めたセージの方へ振り返ると、彼は今までになく本気で怒っている空気を醸していた。
「王子様、この数日で何を勉強していたの?」
「いや、だって君が城壁もビスケットにできると言ったんじゃないか」
「じゃぁ、王子様は明日ベトワールの王様が全く知らない別の人になっても、そう言うものだって受け入れるの? 参謀総長や軍団長が入れ替わっても? ずいぶん薄情なんだね」
「国王は父上以外いない! 次代の王は兄上ただ一人だ! それに、サンダーソンもルドベキアも変わりなんていない!」
「なんだ、わかってるじゃん」
僕の言葉に、セージは僕の元へと歩み寄った。
「僕がやっているのは数学や物理学に基づく適材適所。錬金術なんて必要ない。鉄には鉄の、金には金の使い方があって、彼らに合った場所や使い道を考えているだけ。石を金に変えるだとか、永遠の命を求める研究なんて、ハッキリ言って時間の無駄だね」
「適材適所……」
「そう。王様が明日農夫になっても何の役にも立たないでしょ? もちろん、サンダーソンが漁師になっても、ルドベキアが鍛冶師になっても同じこと」
「父上が大臣たちを任命するのに似ているな」
「そう言うこと」
「そんなこともわからないから、僕は何も教えてもらえないのだろうか……」
セージはこんなにも色々なものが見えているのに、僕は城の中で立ち止まったまま。
だから、父上や兄上は僕を遠ざけるのだろうか……。
「王子様、何の話?」
「セージ。そんなにも色々なことがわかる君から、僕はどう見える?」
「どうって、引き籠り?」
「ひ……きこもりとはまた、ストレートな言い方だな」
「どう見えるって、聞くから。学校行ってる以外いっつも城にいるし、好きでそうしてるんじゃないの?」
「それは……」
王子様が聞いたんでしょと肩をすくめるセージに、僕は気が抜けた。
遠回しな言い方や、僕が第二王子だからと真実を話さない者はたくさんいる。けれど、彼は……。
「セージ、君は母上がどうやって亡くなったのか知っているか? どんな場所で、どんな最期を迎えたのか」
「息子なのに知らないの?」
「父上も兄上も、城内の者たちも、みんな僕には教えてくれないんだ。母上のことだけじゃない。今国が置かれている状況さえ、僕の前ではみんな口をつぐむ。僕が、幼くして母を失った可哀そうな王子だから……。僕は父上や兄上と共に国のことを考えたり、昔の母上の話をしたりしたい。僕も一緒に戦いたいのに、現実は守られてばかりだ。城に籠ってるのだって好きでそうしてるわけじゃない。父上や兄上が、僕が外へ出るのを嫌がって許してくれないから……」
僕はいつものけ者なんだ。
何も知らなくて良いと、見えないヴェールで覆われ、守られるしかない可哀そうな子。
「ばっかじゃないの?」
「ば……ばか……?」
「気になるなら行けば良いじゃん。嫌なら、王子なんだから話せって命令すれば良いじゃん」
「命令なんてそんな……!」
「なら、自分で調べれば? 掴みたいものを指くわえて待ってたって、誰もくれはしないんだよ」
そう言って、セージはまた肩をすくめ言葉を続けた。
「本当に、何を勉強してたの? 言ったでしょ。知識は世界を変える。王子様の世界も、自分で変えられるんだよ」
ニヤリと笑ったセージは、城内の廊下だと言うことも憚らず紙を広げ、すらすらと何か図のようなものを書きだした。
「それは?」
「城内の簡単な見取り図。衛兵の配置わかる?」
「あ、あぁ。ここと、ここ……」
「交代の時間は?」
「昼の休憩時と、夕方。確か、この順番で――」
「となると、厄介なのはユウガオの見回りか……」
セージから来る質問に次から次へと答えていくと、セージは紙にすらすらと計算式を並べた。
「よし。このルートで行こう」
「行くってどこへ?」
「外だよ! 僕の考えたルートなら、衛兵に見つからず城の外へ出られる」
「城内の衛兵に見つからず外へ出るなんて不可能だ!」
「学問はただ学ぶだけじゃ意味がない。それをどう使い、何に生かすかなんだよ。僕は何も戦争の道具を生み出すために学問を究めてるんじゃない」
――頭が良く勉強熱心なのですが、その知恵をいたずらばかりに使うので、いつも手を焼いております。
いたずらに笑うセージを見て、キユリの言葉が僕の脳裏をよぎった。
「行こう! その目で確かめれば良い。マーガレット王妃の、最期の場所を」
あぁ、母上。僕は、父上や兄上を失望させてしまうでしょうか。
それでも、あなたの最期を知りたいのです。
「アイリス!」
籠の中の鳥はもう嫌なのです。
「誰もと自分を卑下するくらいなら、自分も役に立つことを、できるってことを証明すれば良いんだ! 諦めさえしなければ、僕らはもう十分戦える。いつまでも子どもじゃないんだ!」
この手を取らなければ、僕はきっといつまでも囀りもしない籠の鳥だから。
「アイリス、ほら!」
「うん! 行こう、セージ!」
僕は、眩しいほど輝く彼の手を取った。
それが、後の僕の親友で大賢者となる男との始まりだった――。