38.悪い知らせ
「枢機卿、お会いできたこと感謝いたします」
「おや、素で話すのは終わりですか? 舞姫」
話が終わり、ツヅミたちと合流すべく教会の扉に手をかけようとしたところで、私は振り返り枢機卿に頭を下げた。
「あんまり素で喋ってると殿下に怒られますから」
枢機卿クラスに無礼を働けば、王族たるアスターは冷や汗ものだ。
関係ないと私を切り捨てられるなら良いけど、あの王子にそれは無理だろう。
「殿下に散々無礼を働いているあなたがそれを言いますか」
「良いんですよ。国王陛下には許可貰ってますから」
「まったく、どこまで計算尽くなのか。恐ろしい方ですね」
「あら、教会ほどではありませんよ。それと、舞姫の真意については枢機卿の胸の内に秘めておいてください。これは、始まりから一緒にいるツヅミにすら言っていませんので」
「……随分重たい秘密を共有されてしまったようですね」
眉を寄せ苦笑いを浮かべるモクレンに、私の顔には笑みがこぼれた。
「モクレン様、本当にありがとう」
「キユリ。神はいつもあなたを見ています。それを忘れてはいけませんよ。それと……私はあなたに生きて欲しいと願っています。それだけは、覚えていてください」
「……うん」
モクレンと握手を交わし、扉を開けて教会の外へと足を踏み出した。
去り際に教会の奥に見えたのは、十代の少年少女が頭を下げている光景だった。
ブルームの聖女の話をしている時に、盗み聞きをしていた者たちだろう。
言葉も話さずうにょうにょうと動くだけだった乳飲み子たちが、随分立派になったもんだ。
「キユリ、無事に終わったのか?」
教会のそばで待っていたアスターたちに合流すると、大丈夫だったかとツヅミが心配そうに聞いてきた。
「うん。それより早く王城に戻ろう」
「どうした急に?」
「弟たちに会いたくなっただけ」
それから、一度パキラを港まで送り、私たちは城への帰路についた。
数日して、城へ戻って来た私は、パキラ以外の教会へ行ったメンバーとサンダーソン、ルドベキアを集め席に座っていた。
「モクレン枢機卿から、悪い知らせよ」
「悪い知らせ、ですか……」
教会へ行っていたことを知っているサンダーソンが、重大なことだと察し目を細めた。
「イグランのミヤマクロとガランサスが、ベトワールに向かってるかも知れない」
「何!?」
私の言葉に声を上げ立ち上がったのは、その二人の名前をよく知っているツヅミだった。
「ツヅミ。ミヤマクロとガランサスとは誰だ?」
あまりの様子に、アスターがツヅミに問いかけると、ツヅミは自分が取り乱したことに気づき椅子へと座り直した。
「イグラン軍の将の中でも、勝つためならば何でもやる質の悪い二人です。特に、守りよりも敵地への攻めを好んでいて、東の大陸で、奴らの襲撃で焼き討ちや略奪にあった村落をいくつも見て来ました」
「むごいな……。キユリも対峙したことがあるのか?」
「あるわよ。できることなら、二度と会いたくない相手ね」
私は、机の下で拳を強く握り込んだ。
「殿下。ミヤマクロは智略に長けた将で、決して油断ならない相手です。正直、奴の首に迫ること自体が難しい。一方、ガランサスは武力に長け、本人が誰よりも戦場で暴れまわる将です。それゆえに、武に関しての強さは私が出会った武将の中でも群を抜く程です。万が一、ガランサスと対峙しても決して剣を交えてはいけません」
「戦わずに逃げろと言うのか?」
「はい」
「それではイグランに勝てないではないか!」
「いえ。ガランサスの首は、私とキユリが必ず取ります」
必ずと言ったツヅミの真剣な眼差しに、アスターは息を飲んだ。
「ツヅミ様! それならば、私が!」
だが、ツヅミの言葉に否を唱えたのは別の人物だった。
「ダメだ、ルドベキア。いくらお前さんと言えど、一度や二度会ったくらいで勝てる相手ではない」
「ですが、それほど危険な相手ならばなおさら……」
「言っただろ、二人でと。一人では難しいが、キユリと二人でなら勝機はある。そう言う意味でも、お互いのことをよくわかっている私とキユリが適任なのだ」
そう。二人でなら、負けはしない。勝機も、決してなくはない……。
「ガランサスは、二メートルを超える大男で、振り回す獲物は剣じゃなくてとんでもなく大きな金棒。そもそも、剣でなんて勝てやしないのよ。単純な力勝負ってことなら、ルドベキアも負けてないけど、アスターじゃ吹っ飛ばされて終わりよ」
まぁ、アスターに偉そうに言っているけど、そう言う私も力では絶対に勝てない。
何度あの男に何十メートルと吹っ飛ばされたことか……。
それでも、ガランサス相手に手間取っている訳にはいかないのだ。
それ以上の問題が、ミヤマクロにはあるのだから。
「サンダーソン、すぐにユウガオを偵察に向かわせる」
「わかりました。軍からも向かわせます」
「お願い。それと、国境線沿いの生産拠点の住人には警戒する様に呼びかけた方が良い」
「各地域に布令を出しましょう」
教会から王城に戻るまでに数日かかっている。
既に奴らの剣先がベトワールの村落へ迫っている可能性もある。
「ツヅミ。軍編成の準備ができ次第、私たちも出よう」
「あぁ」
「私は、セージに話があるから先に抜けるわ。後のことはみんなに任せる」
そう言って、私は自分がここにいるメンバーを集めたことも忘れ、さっさと部屋を抜け出した。
足早に向かった先は、王城の中にある図書室だった。
図書室と言っても、国中のあらゆる書物が集められているこの場所は、他の部屋や謁見の間よりも広い。
「セージ」
その広大な図書室の中をきょろきょろしながら進むと、読書用の机にこれでもかと貴重な紙を広げ、どこからそんなに集めたのかと思う程の本を積み重ねた弟と、それを見つめる第二王子アイリスの姿があった。
「アイリス王子、セージとご一緒でしたか」
「やぁ、キユリ。セージに勉強を教わっていた」
「そうですか」
こんなに本を広げて一体何の勉強なのかと突っ込みたくなるが、まぁ、危険なことは教えていないと思うので、どこか楽しそうなアイリスに水を差すのはやめておこう。
それに、私には全く理解できない紙の上の図式や計算式をこの二人が理解していると言うのなら口出しできるものでもない。
「セージ。あんた一応ここは他の人も使うんだから綺麗に使いなさいよ」
「王様にもサンダーソンにもちゃんと許可取ったよ。図書室の本は全部好きに見て良いって」
「だからって、ここで研究する許可は出されてないでしょ」
「ねーちゃん、ここから僕の部屋まで遠いんだから仕方ないでしょ。いちいち往復してたら時間の無駄だよ。僕の一分は凡人の一生より価値があるんだから。それに、この国内情勢の中、図書室でゆっくり本を読むのなんて僕くらいなんだから問題ないって。さすがに怒られそうな実験道具は広げてないし」
「……まったく」
そう言う問題ではないのだが、アイリス王子の手前説教は後にしておこう。
「それより、ねーちゃん。何か用があって来たんじゃないの?」
「そうだった。軍の編成が終わり次第、王城を出発するわ」
「また急だね」
「協力者からの情報で、怪力馬鹿と黒の騎士がベトワールに向かってるってわかってね」
「……あいつらか。それは穏やかじゃないね」
「ベトワールの生産拠点がいくつか襲われる可能性もある。できるだけ阻止するけど、国内の生産力が落ちる可能性は考慮しておいてほしいの」
「そんなのとっくにしてるよ。大丈夫。そう言うのは僕の役目なんだから、任せてよ」
「ありがとう、セージ」
本当に、弟と言うだけでなく、これほど戦場にいないにも関わらず、背中を預けられる頼もしい仲間は他にいない。
私は、偉そうに足を組んで椅子に座っているセージを抱きしめた。
また置いて行くのかと言われると思ったけど、王城ならアイリスも他の人も大勢いて寂しくないのだろう。
文句も言わず、戦い以外のことは自分に任せろと言う弟が、本当に愛しくてたまらない。
「ねーちゃん、アイリス王子が見てるよ」
「そうだった。申し訳ありません、アイリス王子」
「いや、良いんだ。兄上も出立の前はいつもそんな感じで僕を抱きしめてくれる」
「アスター様は、本当にアイリス王子を大事に思っていらっしゃいますから」
同じ弟を持つ者同士として、そこだけは分かり合えている気がする。
「キユリ。僕……私は、セージと一緒に過ごしたこの短い間で色んなことを学んだ。その中で一番大きな気づきは、戦場にいなくとも一緒に戦えると言うことだ。戦場で戦う兄上やキユリたちのために第二王子として何ができるのか考えて、ここでセージとともに私も戦うつもりだ」
「アイリス王子、短い期間に頼もしくなられましたね」
「キユリとセージ、ユウガオのおかげだ」
「姉としては、あまりセージの色に染まって欲しくはないのですが……。でも、背中を預けられる頼もしい仲間が増えたこと、とても嬉しく思います」
「これからも任せてくれ」
ほんの少し会っていない間に随分成長したアイリス王子に、嬉しさとほんの少しの寂しさを覚えながらも、そう言えばセージもこんな風に気付けばあっという間に一人で立っていたなと昔を思い出した。
「しばらくユウガオが城から離れます。アイリス王子は、極力セージのそばにいてください」
「剣の腕も早く磨かなければいけないな」
「なんでも急いで大人にならなくても良いんです。できることを一生懸命やっているアイリス王子は、そのままでとても素敵です」
「そ、そうか……」
さっさと大人になろうとするアイリスの手を握ると、アイリスは頬を少し赤らめ視線を逸らした。
「ねーちゃん、僕たちそろそろ勉強に戻って良いかな?」
「邪魔してごめん。もう行くわ」
私は、アイリスにも挨拶をして、図書室を去った。
「アイリス、ねーちゃんはダメだよ。第二王子の嫁にはやれないからね」
「な、何の話だ?」
「顔真っ赤にしちゃってさー」
「そ、そう言う意味ではない! ただ、キユリはどこか母上に似ているのだ……」
「マーガレット様に?」
「僕はまだ幼かったから母上の顔をちゃんと覚えている訳ではないが、優しい雰囲気とか笑った感じが似ている気がするんだ」
「ふぅーん。……まぁ、そうだろうね」
「何か言ったか?」
「なんでもないよ。さっさと勉強の続きやるよ」
「あぁ」
私が図書室を去った後、弟たちはそんな会話をしてまた何やら怪しい勉強を始めた。