33.小さな賢者
(七年前――)
それから、頭を下げ続けた私に根負けしたパキラが、全て話すと言って話し合いの席についてくれた。
そして、今日までに彼らに起きたことを詳しく教えてくれた。
数日前、イグランとベトワールの南方沖を航行していると、難破船に出くわしたと言う。船内に生き残りがいないか船に乗り込んだところ船員は全員死んでいて、積み荷からそれがヴィジャナの船と判明したらしい。
「それから一日、二日経つと船員たちが次々に嘔吐や下痢に襲われて倒れ始めた。既に、俺たちは何人かの船員を失ってる」
苦い顔をするパキラは、本当に船員のことを心配しているのだろうと分かった。
「大量の水と塩、それから砂糖が要る。ツヅミ、港に行って用意できる? 僕はここで薬を作らなくちゃ」
「わかった。貴重な砂糖の調達は少し時間がかかるぞ」
「とりあえず手に入るだけでいい」
「塩と砂糖? 小僧、そんなものが薬だとでも言うのか?」
「マーガレット様から教えてもらった情報に寄ればね。ヴィジャナの呪いは、多分現地で流行してるヘイザって病気だと思う」
「ヘイザ……。詳しいことはよくわからねーが、砂糖なら船内に大量にあるぞ」
「海賊船が、なんで砂糖なんて持ってるのさ?」
「ヴィジャナの難破船に積んであったものを拝借したんだよ。残ってた水は飲んじまったけどな」
「飲んだの? ヴィジャナの船にあった水を……!?」
「航海で水は貴重だからな。ま、まぁ俺は、水は船員に譲って安酒で我慢したけどな」
パキラの言葉に身を乗り出したセージは、その返答に大きすぎるほどのため息をついた。
「な、なんだよ、小僧」
「ヘイザは、吐瀉物や糞便を介してうつるんじゃないかって言われてるけど、その大本の発生源はヴィジャナの水なんじゃないかって言われてるんだよ! あんたが元気にしてるのがその証拠だろ! これだから無知ってのは……!」
「そ、そんなこと言われてもな……」
怒り狂う六歳に、引き気味の海賊船船長。なんともアンバランスな図式だけれど、何も知らなければ、まるで孫とお爺ちゃんだ。
「セージ、俺はひとまず港で水と塩を調達してくる」
「うん。あ、それとレモンやライムなんかの柑橘類もお願い」
「柑橘も薬に使うのか?」
「悪魔祓いに必要なんだよ」
何の話だとさっぱりだが、ツヅミも同じの用で首を傾げていた。
だが、セージがそう言うのなら必要なのだろうとツヅミはさっさと小舟を出して海へ出て行った。
「とりあえず、動ける人間は口布をして患者を甲板に並べて」
「甲板? 船内じゃダメなのか?」
「風通しの良い所じゃないと、僕たちも感染のリスクがある。今の気候なら夜でも暖かいし問題ないよ。それに、吐くなら直接海に吐いてくれれば、片付けも楽だしね」
「お前さん、結構鬼だな」
「効率を重視した結果だよ。僕は薬を作るから、早くして」
「お、おう……」
「ねーちゃんは僕を手伝って。まずは、ありったけの水を沸かして」
「わかった」
それから、小さな賢者の快進撃が始まった。
たった数日の間、セージの作った砂糖と塩を混ぜた水を飲んだだけで、死者の数が急激に減少。
嘔吐や下痢などの症状こそ続いているが、明らかに死へ向かう人間がでなくなったことにパキラも驚いていた。
正直、姉弟だからと言う理由だけで漠然とセージへの信頼を口にしていたけれど、この子がここまでの知識を持っていたことには驚きだった。
私がツヅミと訓練をしている間、マーガレットに借りた本を読んでは何かを話していたけれど、本当に私の想像を遥かに超えてセージは天才なのかも知れない。
スラムにいた頃、セージが生死の境を彷徨った時は本当にどうしようかと思ったけれど、あの出来事以降セージの生き方が変わったのは確かだ。マーガレットが、大人になったら王城で働いてもらいたいと言っていたけど、あの子もマーガレットのためなら喜んで王城へ仕えに行っていただろう。
マーガレット、見てる? セージは本当に凄いよ。
ツヅミをこき使いながら甲板の上に並ぶ患者の間を走り回っているセージを見て、私はどこかで見てくれているであろうマーガレットに想いを馳せた。
「おい」
「カラマツ? それにパキラ船長……」
患者には近づくなとセージに言われ、ここ数日もっぱら湯沸かし当番になりつつある私の元へ、伝手のある商船に買い出しへ行っていたはずの二人が話しかけて来た。
「少し良いか?」
「何? 弟が治ったってのに、まだ何か文句?」
カラマツは、弟のラクヨウが治るまで「本当に治るんだろうな?」「何かあったらただじゃおかないからな!」と鼻息荒く文句ばかり言っていたが、そのラクヨウが治ってからは近づいて来なくなって、文句も言わなくなった。
「そうじゃない。弟のこと、礼を言おうと思って」
「俺も船長としてな」
「お礼ならセージに言ってよ。私は何もしてない」
「その弟が、礼ならお前さんに言えと言ったんだ。姉のためじゃなきゃ、自分は動いてないってな」
まったく生意気な小僧だと言いながら、右側の口角を上げて笑うパキラに、私はセージが認めてもらえているのだと、無性に嬉しくなった。
「じゃぁ、お礼は要らないから、当初の予定通り私たちを手伝ってよ。それが交換条件でしょ」
「船員を助けてもらった恩は必ず返す。だが、俺はまだお前さんたちの事情を聞いていない。お前さんが戦争の責任を取らなきゃいけないと言う理由をちゃんと聞かせてくれるか?」
手を貸せと簡単に言っても、海を守るとなれば船員の命が失われる可能性は多分にある。
だからこそ、手を貸す相手に命をかけるだけの理由があるかどうかを彼らは聞き出いのだろう。
「わかった。座って」
私は、ボコボコとお湯が沸く様子を見ながら、パキラとカラマツに、これまでのことを話した。
私とマーガレットの関係。マーガレットが暗殺された日のこと。マーガレットとした約束。
「暗殺された日、マーガレットがスラムにいたのは多分、私に会いに来ていたからだと思う。あんな場所でマーガレットが殺されたのは、私のせいなの。マーガレットが死んだことで、戦争は始まる。だから、この戦争の責任は、私が全部取らなきゃいけないの……」
懐から取り出した宝石の埋まったナイフを、私は机の上に置いた。
「インペリアルトパーズ……!」
「名高きパキラ海賊の船長なら、これが本物だってわかるでしょ?」
ベトワールでは、王族のみが身に付けることを許されている宝石。それが、インペリアルトパーズ。
赤みがありこっくりとしたオレンジ色の宝石は、見る角度によってその色合いを変える。
初めてこの宝石を手にした時、まるでマーガレットの表情の様だと思ったのを思い出す。
「私は、何があってもマーガレットが愛したものを守らなくちゃいけない。そのために、全ての戦争を終わらせる。ベトワールは、必ず私が守る。……だけど、私はまだ弱すぎる」
マーガレットの宝物を守る。その誓いもままならない状況の中、その約束とは別に、マーガレットとしたもう一つの約束すら今のままじゃ守れそうにない。
私は、遠い昔に彼方の海を渡りベトワールへ来たと言う皇帝の名を持つ石を見つめ、立ち上がった。
「私は、一人じゃ何もできない。でも、必ず強くなる。……だから、パキラ船長。力を貸して下さい。お願いします」
これは命令でも脅しでもない。彼らが無理だと言うのなら無理強いはしない。それでも叶うなら――……。
純粋な願いに、私は深く頭を下げた。
すると、長く深いため息をついたパキラは、机の上にあった悪魔祓いに効くと言うレモンを絞った水を飲み干し、ドンとコップを置いて立ち上がった。
「提督だ!」
「……てい……何?」
唐突な言葉を聞き取れず顔を上げると、右側だけの口角を上げたパキラが私を見下ろしていた。
「今日を持って俺は、お前とセージのための海の守護者になってやる。パキラ海賊は、あらゆる海賊や商船を取り込み海賊団となり、近い内に艦隊を率いる大海賊団に進化する。そして俺は、船長なんて生易しいもんじゃなく、提督になる!」
一瞬、パキラの言っている意味がよく分からなくてカラマツの方を見ると、カラマツは肩をすくめながらも良かったなと笑った。
「だから、俺のことは今日から提督と呼べ。キユリ、お前の海を俺が守ってやる!」
「……いいの? 命がけだよ?」
「海賊ってのは元から命がけの生活なんだよ」
「大国のイグランと戦うんだよ?」
「それがなんだ。あんな狭っこい港しか持ってない奴らが、俺たちに勝てるかよ」
「本当に良いの?」
「男に二言はねぇ! 黙って俺に任せとけ」
「……ありがとう。提督!」
何年でも守ってやるよと笑う提督に、私の目からは勝手に涙が零れていた。