30.少女の願い
「お姉ちゃん!」
「フォルビア……ッ!」
セージよりも少し下くらいの年齢の娘が、突然、まだ得体のしれない私たちに向かって走り出したので、少女の母親が悲鳴にも近い声で彼女の名前を呼んだ。
少女の名を呼んだ母親は、三歳ほどの少年を抱えていて、きっと娘を制御できなかったのだろう。
「どうしたの?」
私は、目の前まで来た少女に視線を合わせるために、片膝を床へ着いた。
「お姉ちゃんも、騎士様なの?」
「私の場合は、騎士じゃなくて傭兵と言うのが正しいかな」
「女の私でも、傭兵ならなれる?」
「……傭兵になりたいの?」
不意を突いた少女の言葉に、私は一瞬息を飲んだ。
「戦争に出れば、お腹いっぱい食べられるお金がもらえるって、お父さんが言ったの。だから、お父さんは戦争に行くんだって。戦争が終わらない限り、そうするしかないって」
「あなた、お金が欲しいの?」
私の質問に、フォルビアと呼ばれた少女は、小さく頷いた。
「お母さんと弟にお腹いっぱい食べさせてあげたいから……。でも、お父さんは捕虜だから、もう戦争には行けないんでしょ?」
痩せこけた母親に、育ち盛りだと言うのに小柄な弟。
戦に出れば大金がもらえると言うのは、武勲を上げた場合の話であって、農業しか知らない村民がそんな功績を上げられるはずもない。
けれど、どうして戦争へ行くのかと尋ねる娘へ、せめてもの言い訳と震える自分を奮い立たせる言い訳に、父親はきっとフォルビアにそう言ったのだろう。
だが、父親は戦争へ行ったにも関わらず捕虜となってしまった。そして、日々を限界で生きている家族を見て、次は自分がとフォルビアは思ったのだろう……。
「残念だけど、あなたが女でも男でも、戦場に出ることは叶わないわ」
「……どうして?」
「あなたが戦場へ出られる年齢になる前に、私がこの戦争を終わらせてしまうもの」
「……本当?」
「えぇ。私こう見えて、すごく強いの。あそこにいる、こわーいおじさんにだって勝てるんだから」
ツヅミに視線を向けてから片目をパチッと瞑った私に、フォルビアの口角が上がる。
私は、後ろに心配そうに立っている母親に一度視線を向けてから、フォルビアの手を握った。
「ねぇ、フォルビア。近い内に、私が必ずこの戦争を終わらせて、あなたたち家族がどこの国でも安心して生きていけるようにする。イグランへ帰りたいのならベトワールはその協力もする。だけど、私が戦争を終わらせるだけじゃダメ。みんながお腹いっぱい食べられる様になるためには、あなたのお母さんやお父さんに働いてもらわないといけない。だから、フォルビアもたくさんお手伝いして、協力してくれる?」
「うん!」
「良い子。じゃぁ、協力者のフォルビアにこれあげる」
「なぁに?」
私は、腰に下げた袋から布の包を取り出して、中身を広げて見せた。
「わぁ! ビスケット!」
布に包まれていたのは、干し果実がたっぷり入ったセージお手製のビスケット。
戦場へ持ち込む、固く焼いた保存食のそれとは違い、蜂蜜や干し果実をふんだんに入れたこのビスケットは、極上の嗜好品だ。
セージが王城を出る時に持たせてくれたのだが、もったいないからと一日一個と決めて食べていたのが功を奏した。
「お父さんのところまでもう少しかかるから、途中でお母さんと弟君と食べて」
私はフォルビアの手に包を置いた。
「ありがとう。キユリお姉ちゃん!」
不意に名前を呼ばれ、顔が緩んでしまう。
「さぁ、お母さんが待ってるからもう行きな」
「うん。またね!」
「うん」
立ち上がり、少女の背中を押すと、フォルビアの母親が深々と頭を下げて子どもたちと船を出て行った。
「相変わらず、子どもには優しいな」
「当たり前でしょ。生まれる場所さえ選べない子どもに、罪はないもの」
イグランからの輸送者たちがカラマツに連れられ船を出て行くと、ずっと後ろで見ていたアスターが、彼らが去って行った方を見つめながら私の元へ来た。
「君は、本当にこの戦争を終わらせる気なのか?」
「何、急に? じゃなきゃ、ただの傭兵仲間のツヅミに賛同して、命がけで戦場を走り回ったりしないわよ」
私が戦争を終わらせるつもりでいることは、どうせスリフトから聞いたのだろう。
「それより、アスター。ツヅミがなんで提督に協力を頼んだか、わかった?」
「なんとなくな。それと、イグランの戦争が始まってからパキラ海賊の動きが緩まった理由もよくわかった」
「提督に感謝するのね。人知れず、ベトワールの広い海を守っていたのはパキラ艦隊なんだから」
イグランとの国境を除けば、国の周囲を海で囲まれているベトワールは、いつイグランから海経由で国の背後を狙われてもおかしくはない。
現に、この七年間でパキラ艦隊の隙間を縫ってベトワールの海へ侵入したイグラン船もあった。
それでも、大きな攻撃を受けないのは、わずかな港しか持たないイグランの地形から繰り出される船を、パキラ艦隊が常に見張っていてくれるからだ。
パキラ海賊団は、自ら味方を名乗り出はしないけれど、決して敵ではない。
「……そうだな」
「おい、キユリ。俺は、そんな王子ごときの礼なんざいらねーぞ」
「提督……」
「俺は、ベトワールがイグランとおかしな条約を結んてしばらくした頃、自分の意思で海賊になった。イグランの隷属になる様な条約のせいで、仕事にあぶれる奴らが出て来るなんてことは目に見えてたからな。王族だって、そんなことはわかっていたはずだ。なのに、奴らは目の前の短期的な平和のためだけに隷属になることを決めた」
本人が言うなと言うので、アスターたちには言わないが、提督は上級貴族の生まれらしい。
そして、提督の親はイグランとの講和条約を結ぶのを最後まで反対した貴族の一人だった。
だが、条約は結ばれ、イグラン親和派によって最後まで反対していた貴族たちは立場を追われる形となってしまった。
マーガレットやカクタス王によって、そう言う派閥はほとんどなくなったらしいが、先代王の頃は貴族内もイグランとの戦争のせいで相当揉めていたのだ。
その結果、提督の両親は貴族の地位を捨て、仕事にあぶれた下級貴族や平民を次々と仲間にして商人となった。
だが、慣れない船旅やイグランの重い関税に事業は失敗し、あっという間に体調を崩し亡くなってしまったと言う。
それから、提督は商船を改造し、ベトワールやイグランを敵とする海賊になった。
「その結果がどうだ? 国中は荒れだし、王妃まで殺され、挙句の果てに再びの戦争だ。結局、マーガレット王妃がいなけりゃ成り立たない仮初の平和に貴族たちはあぐらをかいて、国内に広がる暗部は見て見ぬふり。そして、大勢の弱い立場の命を見殺しにした」
両親を失ったこともそうだけど、救いたいと言う一心でなんとか拾い上げた命を、提督はいくつも見送って来たのだろう。
アスターをここへ連れて来たのは、失敗だったのかも知れない。
「お前さんが先代王の頃とは何ら関係ない世代の生まれってのは理解してるが、俺は王族に力を貸す気はない。だから、礼も必要ない」
「ではなぜ、あなたはツヅミたちに手を貸し、我が国ベトワールを守っている?」
「馬鹿言うな。俺たちパキラ海賊団の大恩人であるセージと、キユリの想いに手を貸してるだけだ。ツヅミは、ただ二人を俺たちに引き合わせてくれた恩と、大元帥の地位を捨てた覚悟に免じてのおまけだ」
「俺はおまけか……」
「当たり前だろう。お前さんは、どうせそのうち貴族の地位に戻るんだろ?」
「戻る気はない。戦争が終わるまで、俺はただのベトワールの雇われ傭兵だし、終わってからもただの元傭兵だ」
「雇われ傭兵が大将なんざ、ベトワールも終わりだな。せいぜい戦場でくたばらないようにしろ」
「言われなくてもわかっている。それより、次の用がある。少し付き合ってくれ」
「あぁ、例のやつか」
「殿下ももう少しお付き合いください。スリフト、お前も頼む」
アスターと提督の話が、平行線になりそうだったためか、ツヅミが適当に間に入り話を次へと誘導した。
だが、船を出ようとするツヅミに対し、アスターはそこに留まっていた。
「殿下?」
「ツヅミ、スリフト。私が良いと言うまで、後ろを向いていろ」
突然のアスターの言葉に、二人は目を見合わせたが、ここに危険はないと判断したのか主人の言うことに従った。
そして、二人がアスターに背を向けたのを確認すると、ベトワール第一王子は深々と提督に頭を下げた。