22.宝物
「戦争を、終わらせに……?」
「そう。正確には、イグランに勝って戦馬鹿の国王ナルシサスを引きずり下ろす」
戦争のない平和な世界。
マーガレットが願い、描き続けた夢。
幸いにも、ナルシサスの一人娘ガーベラはマーガレットの昔馴染みで、馬鹿な父親と違い幼少期からずっと戦争には反対していた。
ナルシサスを引きずり下ろし、彼女に戦争をしない国の女王になってもらえば良い。
「キユリが言うと冗談には聞こえないな」
「当たり前でしょ、本気なんだから。それより、ちょっとこっちに来てくれない?」
私の言葉をどう捉えたかはわからないが、苦笑いを浮かべるスリフトを呼び、天井を見上げながら指定の位置まで来てもらう。
「なんだ?」
「後ろ向いて、足は肩幅に開いて、膝に手をついて力入れて」
「え?」
「はい、そのまま!」
私は前屈みになったスリフトの背中を踏み台にして天井へ向かって高く跳ぶと、肘を突き出しそのまま天井へ突っ込んだ。
ほんのりと色の変わっているそこは、簡単に板が割れ、そのまま天井裏へと飛び乗ることができた。
「うわっ!」
「よっと!」
恐らく、七年間誰も足を踏み入れることもなく、風も入らないそこは埃が積もり、窓から差し込む光があたる場所は床が変色していた。
「おい、キユリ?」
「スリフトも手貸すから登りなよ」
天井裏から手を伸ばしスリフトを引っ張り上げる。
「この窓開けるの手伝って」
「ここか?」
七年間開けられることのなかったであろう、錆びついた重い重い窓を二人がかりで開けると、ザッと心地良い風がなだれ込んだ。
「よいしょっと」
開いた窓から屋根の上へと登ると、元スラムの街並みと城下から城までの景色があの頃と変わらず一望できた。
大通りを挟んで広がる光と闇の街並みは、まるで死と生の境界線の様で、そのコントラストと隔たりを、子どもながらにいつもただぼんやりと見つめていた。
「うわ、すごいな……」
「すごいでしょ。私の秘密の場所」
「スラムにこんなところがあったなんてな……」
「小さい頃はいつもここから城下を見てた」
「小さい頃って、どうやって上に登ってたんだ?」
「前は登る梯子があったんだよ。だけど、一人の男が登った瞬間、老朽化でガタが来てた梯子が根本から落ちちゃってさー」
マーガレットを心配したツヅミがここまで登って来て梯子もろとも落っこちた。
それからここに来たのは、七年前、この地を離れる時に登ったきりだ。
「キユリの思い出の地ってことか」
「まぁね」
昔、マーガレットをここに連れてきた時、この景色を見ながら他愛のない会話をした。
***
「ここね、私のお気に入りの場所なの」
「そんな所へ私を連れてきてくれたの?」
「私の一番大事なものを守ってくれたお礼」
「……そう。ありがとう、キユリ」
「ねぇ、マーガレットの宝物って何?」
「宝物? そうね、この国全てかしら」
「全て?」
「キユリ、あなたとセージ。それに、愛する旦那様とアスター、アイリス。それから、この国に生きる人々、この国の物、この国の景色、歴史、そして未来……要するに、この国全部ね」
「マーガレットって、案外欲張りなんだね」
「ふふっ。そうね。でも、この国の王妃として、私にはその全てを守る義務があるわ」
「義務?」
「誰にも奪われないために、負けないように頑張るってこと」
「ふぅーん……。じゃぁさ、一緒に守ってあげる」
「え?」
「うん、それが良い。マーガレットは弱っちーからさ。しょうがないから、私が一緒に守ってあげるよ」
無邪気にニカッと笑う私を見て、驚いた後、嬉しそうに笑ったマーガレットの髪が風で揺れていた。
***
まさか、あの約束を守ってこんなことしているとは思ってもないだろうな。
「懐かしいか?」
「そうだね。ここから見える景色には、私の宝物が詰まってるから」
「宝物?」
「他人からしたら、スラムなんて危ないし汚いしどうしようもない所だろうけど、それでも私にとっては生まれ育った場所だから」
昔は、道の向こう側を眺めて、どうして自分だけと思ったこともあった。
でも、スラムでの生き方を教えてくれた老いぼれ爺さんとの出会い、捨てられたセージを育てるために必死に生きたこと、私の人生にマーガレットが存在する様になったこと、ツヅミと知り合ったこと。
ここで過ごして、ここで起きたひとつひとつの出来事が、私にとってかけがえのないものになっている。
「なんでキユリは、スラムを離れることにしたんだ?」
「まぁ、それも色々あって……かな」
「そっか。俺より年下なのに、キユリはすごいな。親に敷かれた道の上を生きてる俺とは比べ物にならない経験をしてるんだろうな」
「道がないより良いじゃん。その道の上、嫌なの?」
「いや、俺はそれで良いと思ってる。親友の隣で仕事ができるしな」
「スリフトってさ、アスターのこと好きなの? ……ラブ的な意味で」
「……は?」
「あんな嫌味でうるさい男の側によくいられるなって思ってさー」
「何を唐突に言い出すかと思ったら……。アスターに恋する訳ないだろ。俺は、しおらしい子が好みだ! 男はお呼びじゃない!」
「そっか。昔行った国で男の番だけで隊を組んでる所があったから、なんかそれもありかなって」
「他人の恋愛に口を出す気はないが、俺は女の子が好きだと今ここで明言しておく」
「はははっ! ごめん、ごめん」
誰かとここに来ると、いつもこうして力の抜けた会話が自然とできる。
物心ついた頃から来ていたこの場所は、ひとつ、私の原点なのかもしれない。
「アスターがキユリに小言ばかり言うのは、あれでキユリを心配しているからだとも、一応フォローしとくぞ」
「わかってる」
嫌味で小言は多いけれど、血は争えない。
あのマーガレットとカクタス国王から生まれ育てられた人間が冷酷無比な訳がない。
「嫌味なのは、親愛の証だと思ってくれ」
「えー……」
「ちょっと素直じゃないんだよ、アスターは」
「面倒な男」
しょうがないから多少は目を瞑るか。
「別に、キユリがアスターに恋をするのも自由だと俺は思うぞ」
「ぶはっ! いきなり何言ってんの? 私が恋? しかもアスターに? あははは!」
スリフトの頓珍漢な発言に笑いが止まらない。
「ないわー! それはない!」
「なんでだよ。第一王子だぞ? それを差し引いたって、アスターはイケメンだし、性格だって寡黙で優しいって結構モテるんだぞ」
「誰かと恋するなんて考えたことないし、それがアスターって……ぶはっ! ダメだ! めっちゃ笑える!」
私に恋をする時間なんてない。
そもそも、誰かに恋したいなんて思ったこともない。
生きてこの戦争が終わったなら、そんな人生もあるのかも知れないけど……そんな未来はあり得ないんだ。
「さて、そろそろ時間ね」
「時間?」
くだらない会話をして過ごしていると、先程の足音が時計塔の下まで迫っていることに気づいた。
「ここまでに勝負をつけられなかった時点で今回はセージの負け」
「え、なんで?」
「セージに鉄槌を下す男が来たからよ」
「鉄板を下す、男?」
「私たちも下へ行きましょ」
面白いものが見られる、とスリフトを誘い、私たちは下階へと降りた。
三階程階を降りると、小さな二つの足音とそれを追う一人の男の足音は、既に相対する所まで縮まっていた。
「あそこ」
セージの攻撃範囲内に入ってしまうと、巻き添えをくらう可能性があるので、私たちはアスターの背中が見えたところで物陰に隠れた。
「逃げてばかりで、口だけか?」
「そうじゃないってわかってるから、距離を詰められないんでしょ、王子様」
「面倒な……」
「その警戒心は褒めてあげるよ。姉ちゃんから情報をもらっているとしても、僕を見るなり甘く見る奴は多いからね」
「私は弟を返してもらいたいだけだ」
「僕に勝てたらって言ったでしょ? ま、ここに来るまでに僕をやれなかった時点であんたの負けは決まったけどね」
「随分自信があるのだな」
「僕は知ってるからね、この場所を。でも、あんたは知らなかった、この場所を」
聞こえてくる二人の会話から、セージはそろそろ決着をつけるつもりらしい。
でも、場所って……?
「まずい……」
「なんだよ?」
「話は後! スリフト、こっち」
セージの思惑に気付いた私は急いで場所を変えるために動いた。
隠れる場所をセージのいる方向まで動かしてわかったが、セージは割れた窓を背にして立っていた。
この時間帯のあの場所は、風向きが変わり一気に強い風が割れた窓から入り込んで来る。
セージの使う化学兵器は建物の中でこそ真価を発揮するが、敵味方は選べない。
だとすれば、あの強風を利用してアスターだけに狙いを定めあとは風にさらってもらう、恐らくそんな所だろう。
考えてみれば、アイリス王子が横にいる時点であの子の武器はある程度使用が制限されてしまうのだ。
「さて、それじゃぁ決着を付けようか、王子様」
セージが何か小瓶を手にしたその時――。
「あ、まずい……」
「まだ何かあるのか?」
「もっとヤバいのが来た……」
私がそう言った瞬間――。
「この馬鹿者が!!」
窓から強風ではなく、一人の男が入ってきて、ごんっ! とセージの頭に拳という鉄槌が落ちた。