21.鐘
時計塔の中はそれなりに広く、上へと上がるルートはいくつかある。
私とスリフトは、セージたちとアスターがいるであろう場所を避けて進む。
剣士同士なら激しい剣戟が聞こえるであろう時計塔の中は、異様な武器を使う弟らしく足音すら潜められて聞こえてこない。
「上に何があるんだ?」
「時計と鐘よ」
「そりゃ知ってるけど、随分前に止まっちまったやつだろ?」
「それは善意で動かす人がいなくなっちゃったからよ」
この塔の時計はゼンマイ式で、その昔にここを作った貴族が時計塔を手放してから、元使用人によって密かに善意ある者たちにゼンマイの巻き方が引き継がれ、針を動かし鐘を鳴らし続けていた。
巡り巡った時計塔の善意のゼンマイ巻きの仕事は、いつしかスラムとなった場所で私の元へと巡って来た。
けれど、マーガレットの死をきっかけに私がここを出てしまったので、もう誰もあの鐘の鳴らし方を知らないのだろう。
そもそもここら一体がスラムになってからは、私にスラムのことを教えてくれた爺さんが気まぐれに時計を動かしたり動かさなかったりしたものだから、時計の時刻はめちゃくちゃで、昼の十二時を知らせるはずの鐘は大抵全く関係ない時間に鳴っていた。
夜中に鳴ってスラム中の人間が叩き起こされたこともある。
それから、マーガレットと出会って、時計の回し方を知っていた私がマーガレットにしっかりとした時間を聞き時計を回していたわけだ。
「着いた」
最上階まで階段を上がり、そこからはしごを登ると時計の裏へと到着できる。
「えっと、ここをこうして……」
時計の脇にある一見何もない柱に手を触れ、ある所を押すと、パカッと小さな扉が開く。
中にはいかにも鍵を刺さなければ動かないと言った様に目の前に鍵穴が現れるが、その向こうに隠れている仕掛けをいじれば時計は動く。
「鍵穴……?」
「この鍵穴はフェイク。実際には鍵は要らないの」
私は、鍵穴を無視して、その奥にある仕掛けへと手を伸ばす。決められた順番にカチカチと時計の針を調整し、ゼンマイを回していくと、そこからガタガタと音を鳴らし小さな部品から大きな仕掛けへと歯車が動き出し、巨大な時計を動かし始める。
「キユリは、ここら辺の出身なのか?」
「うん、王都のスラム出身だよ。でも、拠点にしてたのはもう少し西の方」
「西って結構深層部だったんじゃ……」
「まぁね。物心ついた時にはあそこで暮らしてたから、私にとってはそれが普通だったけど」
「じゃぁ、マーガレット様が亡くなった時もスラムにいたのか?」
「……ちょうどスラムを離れた頃だったかな」
「そうか……。キユリが当時いてくれたなら状況は変わってたかもな」
「……」
何も知らないスリフトの言葉が痛い。
「確かに。王族がピンチなんて、そんな現場にいたら助けて報酬たんまり貰えただろうね」
努めて平静を装い、私は冗談を返した。
「でも、騎士団が散々スラムで目撃者を探してもいなかったんでしょ?」
「あぁ……。雨だったのが災いして目撃者はいなかった。どうしてあの日、あの場所にマーガレット様がいたのかも、なぜ犯人がそれを知っていたのかも……」
「……そう」
状況証拠から見て、敵、イグランの刺客だろうとはなったけれど、確かにあの事件には謎が多い。
私とマーガレットの待ち合わせ日時とも違うし、あの日、私はマーガレットが来ることを知らなかった。
なぜマーガレットを殺した奴は、あの日あの場所にマーガレットがいることを知っていたのか、それは犯人以外わからない。
「三人のイグラン兵と、イグランの国紋が彫られた凶器のナイフ。どう見てもやったのは四人目のイグラン兵だよな……」
「スリフト、さっきからペラペラ喋ってるけど、それ私に言っていいやつなの?」
凶器や暗殺者の人数については、国民には公表されていないはずだ。
「キユリなら問題ないだろ」
「いや、ダメでしょ。スリフトって本当にアスターの護衛? 私のこと信用し過ぎ」
「し過ぎかどうかはわからないけど、普通に信用してるよ。ダメか?」
「ダメじゃないけどさ……。私ってどう見ても怪しくない?」
「何が?」
「だって、急に出てきたポッと出の腕の立つ美少女だよ? 普通、怪しいでしょ」
「普通、自分で美少女とか言うか? まぁ、怪しいと言うか、その生い立ちに深い興味はある。でも、ここまでキユリと一緒に行動して戦って、俺は自分の目でキユリを見てきた。俺はアスターの側近で、常にアスターに下心や悪意を持って近づいて来る奴を山ほど見てきたから、その点で言えば、キユリにはそう言う類のものがないのはすぐわかる」
「あっそ。なら、寝込みに殺されても文句言わないでね」
「怖いこと言うなよ。なら、どこまで聞いたら君を怒らせてしまうのか教えてくれないか?」
「どこまでって?」
「キユリの生い立ちに興味あるって言ったろ? 見慣れない弓、見慣れない武器での戦い方、そしてあの身のこなし。イグランのローベルのことも知っていた。スラムを出てから、君がどこで何をしていたのか。そして、どこへ向かおうとしているのか」
最後の一文で、スリフトの声のトーンがひとつ下がった。
「どこへって、弟の戸籍のため、ひたすら戦いに出るだけよ」
「唯一引っかかってることがあるとすればそれだ。そこまで腕の立つ君が弟の戸籍のためにそこまでするのか? 言い方を変えれば、キユリならそんな遠回りしなくとも、そんな正式な手順を踏まなくても、戸籍くらいおそらく君が訪れたであろう異国で手に入れられただろう」
イグランを越えた先の国には、武装国家プロイスが有り、そこは力あるものならば誰でも貴族になれる。
そして、そこは大陸を旅するにあたり、イグランを横断でもしない限り陸路なら必ず通ると言っても過言ではない土地だ。
スリフトはプロイスで戸籍でも爵位でも手に入れられただろと言いたいのだろう。
そこから手続きをすれば、その戸籍でベトワールに移り住むこともできなくない。
「何か他の理由があると思った方が、辻褄が合うだろ?」
確信を得たように、そして、私の真核に触れようとするスリフトの底知れぬ笑みを、私はニヤッとして鼻で笑った。
「残念だけど深読みし過ぎ。まぁ、戸籍なんてどこで手に入れても良かったんだけど、久しぶりにベトワールへ戻ったら、サンダーソンがスカウトして来たからその話に乗っただけよ。それに、私がプロイスで爵位を手に入れてもセージの腕っぷしじゃ、すぐ剥奪になるのがオチよ」
「随分弟の腕を過小評価するんだな」
「冗談抜きで、過小評価じゃないのよ」
言うと怒るから言わないけど、あの子はとんでもない運動音痴なのだ。
「それと、アスターには戦争が終わるまで戦場に立ち続けるって話したけど、スリフトには特別に本当のこと教えてあげる」
「本当のこと?」
「確かに、弟の戸籍は大事。サンダーソンはユウガオのことも保護するって約束してくれた。でも、あの子たちがせっかく戸籍を手に入れても、国はいつも戦争で貧しくて学校にも行けない、いつ隣国に攻められるかもしれない命の危機に常に脅かされている。そんな世界じゃ意味がない。そうでしょ?」
私が問いかけると、確かにそうだな、とスリフトが頷く。
「いつか終わるなんて幻想なのよ。そんなものを待っていれば、この国はイグランに蹂躙されて終わり。また次の国を取りに行くイグランの使い捨ての駒にされるだけ。私の弟たちを、そんな捨て駒なんかには絶対させない」
戦い続ければいつか終わる。
旅をしてわかったことは、誰もがそう思ってること。
けれど、その中で、自らの手で本当の意味で戦いを終わらせようと考えている人間は、そう多くないと言うこと。
「契約上は戦争が終わるまでってなってるけど、私は戦争が終わるまでなんて生温いこと考えてない」
目的はそんなことじゃないのだ。
私は、スリフトを真っ直ぐ見つめた。
「私はね、このくだらない戦争を終わらせに来たの」