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1.その少女、キユリ

 朝日が顔を出し、野営地に一部の守備を残すと、イグラン軍は昨日見事ベトワールから奪った土地、大都市セトへと向かった。

 大勝利をおさめ、夜通し酒を飲んでいた兵士たちはまだ眠そうな顔をしている。


「誰か、誰か!」


 裸足に一般的な農民服を少しはだけさせた恰好で、可憐な声を出し野営地にいるイグラン軍の前に走り出ると、一瞬警戒した兵たちだったが、私を女と見て構えた武器を下ろした。


「どうかお助け下さい……!」

「どうした!?」


 男ばかりの野営地に、年頃の少女がひとり。


「ベトワールの……ベトワールの兵に……っ……!」


 服ははだけ、髪を乱した女がいれば、何があったかなんて一目瞭然。戦争ではそう言うことが度々起こる。

 ここが、両国の国境沿いならば、なおさら女を攫うくらい想像に難くない。


「なんて酷いことを! 奴らはどこに!?」

「あの森の中に残党が……! 数人の兵で、私を……っ……!」

「負け惜しみにイグランの民に手を出すなど卑怯な奴らめ、許せん! 兵を集めろ!」


 古来から男に比べ、女は弱い生き物。……そう勘違いしている馬鹿は多い。


「こちらで休んでいなさい。軍が戻ったら君を祖国へ送ろう。第一から第三小隊は私についてこい! 残党兵を狩りに行く!」


 私を休息用のテントへ案内すると、一部の兵が馬に乗り森へと入って行く。

 騙されているとも知らず……。


「水を飲みなさい」


 見張りのイグラン兵が、戦中では貴重な飲み水を差し出してくれる。


「ありがとうございます」


 水を受け取った私は、笑みを浮かべたくなるのを堪え、森の中のアスターたちはうまくやってるだろうかと、森のある方を見つめた。


「森に馬で入って行くなんて、馬鹿な奴ら……」

「何か言ったか?」

「いえ、なんでもありません」

 

 上手く行けば今頃森は矢の雨だろう。上手く行かなくても、ある程度敵戦力を削ることはできるはずだ。

 死体の山が築かれるのは全くもって本意ではないが、私たちは戦争をしているのだ。油断する方が悪い。

 そもそも、イグラン人だと名乗った覚えはないし、まずは偵察行ったら? 等々、言いたいことは山ほどある。

 昨日ベトワール軍に圧勝し奪った野営地を、なぜ、翌日ベトワールの残党兵が奪い返しに来ないと思ったのか。

 残党兵力差が何倍もあったから? 連戦続きのベトワール兵は弱り切っているから? まさかそんな馬鹿なこと?

 常識、普通、当たり前なんてものは、この世には存在しない。


「だから騙されんのよ」


 ***


  遡る事約一日。


「このままでは兵は全滅です! 殿下、撤退命令を!」

「仕方ない……! 全員撤退だ!」


 ベトワールとイグランの国境沿い北部。その日、前線基地は執拗なイグランの攻撃に兵を消耗し、国境に近い都市セトを失うこととなった。

 七年続く戦争は、強い統率力と実力を併せ持つベトワール軍が最初こそ押していたものの、大国イグランの兵の数の前に消耗し、戦況は膠着状態が続いた。

 とは言え、この七年間、イグランはベトワールとは別の国とも戦争をしていてその状況だ。

 そして、他国との決着が概ね着き、ベトワールとの戦いに割かれる兵の割合が増えたことで、ついにベトワールはイグランに前線の一部を明け渡してしまったのだ。


「このままでは、他の防衛線もイグランに押し込まれるのは時間の問題です……!」


 大陸の西の端に位置するベトワールは、大国イグランに他国との国境を遮断されていて他国への援軍も望めない状況にあった。


「援軍を送り、立て直しを図るしかないだろう」

「しかし、わが軍にはもうそれほどの余力は残ってないぞ……」

「殿下、いかがされますか?」


 王城にある軍参謀本部には、ついに恐れていた事態が起きたと言う空気が流れていた。

 一進一退の攻防の中でも、破壊と略奪を良しとするイグランと、それを良しとしないベトワールとでは負けた時に失うものには雲泥の差がある。

 一度前線を後退させれば、そこでは破壊と略奪が行われる。

 圧倒的な人数を誇るイグラン軍と、イグラン国王・暴君ナルシサスの前ではルールや道徳などないに等しい。


「心配には及びませんよ」


 そんな張り詰めた空気の中、穏やかな声が室内に響いた。


「サンダーソン! 戻ったのか!」

「サンダーソン様!」


 数日前、戦争中にも関わらず、しばらく留守にすると言って姿を消した参謀総長の帰還に、皆一様に安堵したような表情になる。

 ベトワール軍参謀総長、サンダーソン。貴族社会の中で唯一貴族ではないにも関わらず、平民の身で宮仕えから参謀総長まで登り詰めたこの男は、この国の精神的支柱の一翼を担っている。


「サンダーソン、今までどこにいた? お前がいない間に、深刻な事態になったんだぞ!」

「承知しておりますよ、アスター王子。ですが、心配には及びません」

「心配には及ばない? 戦線を後退して、セトをイグランに明け渡したのだぞ!」


 あくまでも穏やかに言葉を発するサンダーソンに、ベトワール国王カクタスの息子、アスターが詰め寄る。

 母亡き後、父を手伝い国政へ参加するようになり、さらには十六歳にして戦場へ出て指揮をとる勇敢さ。そして、母親譲りの整った顔立ちで、貴族、庶民、老若男女問わず人気のあるアスター第一王子、現在二十二歳。

 寡黙で、時に冷淡だと言われているが、戦地での実力から、騎士たちからの信頼も厚い。


「取り戻す手はずは整っています」

「何?」

「キユリ、ここへ」

「ちょっと! ここの警備どうなってんのよ! 客と侵入者の区別もつかないの!?」


 先に部屋へ入って行ったサンダーソンを待っている間に、中庭に綺麗な花が咲いているのを見つけ庭に出たら、警備兵に侵入者だと言って捕まってしまった。


「何をしているのですか、あなたは……。警備兵、それは私の客人だ。離してやりなさい」

「はっ!」

「次触ったらその鼻噛みちぎってやるから!」


 警備兵から掴まれていた腕を引っぺがし、思いっきり睨みつけてやる。


「サンダーソン、なんだその者は?」


 ベトワール第一王子は自分が紳士だと言うことも忘れ、私を上から下まで訝し気な顔で舐める様に見つめた。

 まぁ、騎士服とまではいかないにしても、女には似つかわしくない身体のラインを拾う程ピッタリとした傭兵服を着ているのだから仕方ないと言えば仕方ないのだろう。

 一般的に、ベトワールに限らず周辺諸国の貴族の女性はドレス、平民もワンピースやスカートを着用する。ズボンを履く女と言うだけで、男装している変人扱いになる。

 

「アスター王子、皆さま、彼女の名はキユリ。戦場になった街で宝狩りをしていた犯人ですよ」

「……は?」


 そして、ただでさえ身なりがおかしな女を前に、サンダーソンがさらに追い打ちをかけるもんだから、会議室には参謀総長が言った言葉を再度脳内再生、咀嚼、理解する間が流れた。

 宝狩り。ここ最近、戦場になり人がいなくなった街で、破壊・窃盗をする連中が身ぐるみをはがされて、縄で恥ずかしい格好に締め上げられては外につるされ、さらし者にされる事件が頻発した。ベトワール人やイグラン人などは関係なく、これまで戦場で窃盗を働き続けた盗賊や軍の兵士などが軒並み捕まり、これまで盗まれた金目の物や宝が持ち主に返ったことで、ベトワールではちょっとした英雄扱いになっている。


「キユリ、証拠を」

「人使い荒いなー」

「お願いしますよ」

「はいはい」


 サンダーソンに言われ、私は一歩前に出て座り込むと、コホンと、小さく咳ばらいをした。


「グスッ……っ……誰か、誰か……助けて……」


 誰もいなくなった戦場で、逃げ遅れたふりをして泣いていれば勝手に向こうからやってくる。

 それも、盲目のふりをすれば馬鹿は簡単に手を出そうとするから、至近距離まで近づける。


「これは……」

「殿下、どうみても逃げ遅れた盲目の少女にしか見えないでしょう?」

「あ、あぁ……」

「スリフト、キユリの肩に触れてみてください」


 アスターの側近、スリフトにサンダーソンが声をかける。

 柔らかな顔立ちのこの優男は、アスターの護衛役で、常に行動を共にしている。同年の学友ということもあり、アスターとは仲が良いらしい。

 護衛役に徹しているため、表立って戦場で活躍することはなく、本当の実力はあまり知られていない。


「えっと……はい。これ本当に演技なんですよね?」

「ただの演技ですよ」

「……君、大丈――ぶっ!」


 とん、とスリフトの手が肩に触れた瞬間、スリフトの腕を掴み床へ転がし瞬時に動きを封じる。


「最後までやる? 亀甲しば――」

「結構。キユリ、もう良いですよ」


 縛り方を言おうとしたらサンダーソンが被り気味に私を止めた。


「痛ててて……」

「ごめん。加減したつもりだったんだけど」


 うつ伏せに転がっているスリフトの腕を離し、起き上がらせる。


「信じられん……全部彼女がやったというのか?」


 目の前で起きた一連の流れに納得がいなかないのか、アスターが私をまじまじと見てくる。


「私は、王子を縛りあげても良かったんだけど?」

「あなたは斬首になりたいのですか?」


 私のお茶目な冗談に、本当に笑ってるのかよくわからない笑みでサンダーソンがそう告げる。


「あ、ちなみに言うと、戦禍に乗じて闇ルートで稼いでた貴族の訴え出られないお金なんかも一緒にして、持ち主のない物は全部城に送り付けたんだけど、届いた?」

「あれは、君か……!」


 当人しか知りえない情報を出すと、納得したようにアスターが頭を抱えた。


「宝狩りの犯人ということは認めよう……。で、サンダーソン、この娘をどう使うのだ?」

「キユリ」

「は?」

「名前。私にはキユリって名前があんの。アスター第一王子様?」

「……サンダーソン、キユリをどう使うつもりだ?」


 アスターに訂正を入れると、面倒そうな顔をしながらも言い直した。

 

「彼女は、先ほど見せた演技の才もさることながら、武にも優れております」

「彼女は女だぞ! 戦場へ出すのか!?」

「アスター殿下、残念ながら我が国に悩んでいる余裕などないのです。明日、本日奪われた戦線を取り戻しに行きます。彼女の実力はご自身の目で確かめると良いでしょう」

「しかしだな……」


 騎士も兵も、戦士と言えば男。女が戦場に出るなどと前例のない事態に、困惑したような顔で参謀本部の人間が私を見ていた。


「明日までに戦線へキユリを送り込むなど、距離から考えて早馬を走らせても無理だぞ!」

「あぁ、それなら心配ないわ。馬なんていらないから」

「何?」

「馬よりも早く現地にたどり着ける方法があるでしょ?」

「馬より早く……? 君は、馬よりも速く走れるとでも言うのか?」

「あははっ! そんなわけないでしょ。王子って意外と冗談が好きなの? だいたい、その目で確認してもらうんだから、王子も一緒に行かなきゃ意味がないでしょ」


 意味が分からないと言うように、アスターの眉間に深い溝ができる。


「あー、キユリ? 俺も一緒に行くつもりだから、どうやって行くか聞いてもいいかな?」


 アスターの側近であるスリフトが、いかにも優男と言った感じで、柔らかい笑顔を浮かべ、アスターに代わり答えを聞いてくる。


「簡単よ。川を下るの。ジョーガン川を、ね」


 満面の笑みを浮かべ目一杯お茶目に首を傾げると、サンダーソン以外の全員が「え……」という表情を浮かべた。

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