10.トロワレー砦
夜、陽が完全に沈み辺りが暗くなってから、私たちは援軍の大多数を敵の偵察隊の目が届かないところで待機させ、補給部隊と一部の人間だけでヴェルシュへと入った。
一気に動くと敵に気付かれてしまうので、数日に分けて増援はヴェルシュへと入ることになる。
南側のリコン川を背にして壁に囲まれているヴェルシュの周りには、南と南東の対岸にイグラン軍、南西の中州にもイグラン軍、西から北にもイグラン軍、東にもイグラン軍、と言ったところだ。
唯一の補給路は北東に伸びる道だけ。
ヴェルシュが取られれば、大勢のイグラン兵がベトワールへとなだれ込むことになる。本当によく持ち堪えてくれた。
「アスター殿下!」
「ルドベキア、無事だったか!」
「私がいながら攻勢に出られず申し訳ありません」
「良い。陥落寸前のところをお前が駆け付け持たせてくれたのだ。ここを破られていたら、ベトワールは今頃どうなっていたかわからない」
「痛み入ります」
ヴェルシュへ入ると、ルドベキアとその一団に迎え入れられた。
辺りを見渡せば、半年と言う過酷さを物語るように、街のあちこちが外からの砲撃によって壊されていた。
補給が少なかったと言うように、騎士や民兵はおろか、市民に至っても痩せている人が多い。
さすがの軍団長ルドベキアは、二メートル近くありそうな身長に筋骨隆々の身体つきで、騎士と言うよりは常勝の戦士と言った風体だが、これでも落ちた方なのだろう。
ちゃんと食べたらもっと大きくなるのか?
昔、ツヅミが彼のことを戦略家と言うより、超直感型の脳筋だと言っていた。……なるほど。
「殿下、早速作戦会議を――」
「待った!」
ルドベキアがアスターを会議室に案内しようとしたところで、私はそれに待ったをかける。
「作戦会議は後! まずは、ご飯にしよう!」
「君は何をのん気なことを……」
「王子、周りをよく見て。皆飢えてる。そんな状況じゃ、いくら増援が来たって戦えない。まずは食べて、しっかり休んで、それからよ」
「だが、補給はそれほど荷を積んでいないぞ」
「何言ってんの? 食べ物なら山ほど持ってきたでしょ?」
「まさか……」
「御名答」
そう、この二日間そのために道すがら狩りをしていたのだ。
半年も細々とした兵糧しかなかったなら、この状況は察しが付く。
とは言え、補給での物資にも限りがある。それなら、現地調達して、中へ持ち込むしかない。
「せっせと何をしているのかと思ったら……」
「神の思し召しには、証拠がいるのよ」
「詐欺だ……」
誰が詐欺師か。否定はしないけど。
「ほらほら! さっさと鍋出して! あったかくて美味しい匂いが街を包むわよ!」
私たちはすぐに炊き出しの準備を始め、米や肉、乾燥野菜、豆などを鍋に放り込む。
「肉は消化に悪いから入れすぎないようにして! 元気になるまではお預けだから! まずは汁気多めで!」
私たちと一緒に来た兵を総動員させて調理をしていく。
「アスター! ルドベキア! あなたたちはパンとスープを皆に配って」
「誰に命令しているのだ、君は」
「命令じゃなくて、お願い。それと、セトの聖女の話もさりげなく兵に流して欲しいの」
「まさか、またあれをやるつもりか?」
「効果抜群だったでしょ?」
「はぁ……」
「任せなさいっ!」と片目をつぶるとアスターは盛大にため息をついた。
だが、神なんて微塵も信じていない私からすると、何を言ってんだと思っても、敬虔な信者に対してこの嘘は効果てき面なのだ。
神の導きで聖女がここへ来て、戦場の最前線で戦うことは彼らにとってまさに光の導き。半年もの状況を覆せば、それはもう神の御意思となる。
「アスター様、この少女はいったい……」
「セトを救いに導いた聖女様だ。サンダーソンから連絡が来てないか?」
「この少女が、あの……。話には聞いていても、なんというか想像と違うと言いますか……」
「だろうな」
「キユリよ、よろしく。会えて嬉しいわ、ルドベキア軍団長様」
「ルドベキアだ。救援感謝する、聖女殿」
この感じ、ヤロウと会った時もそうだった。戦場には不釣り合いな私に、彼らは怪訝な色を示す。
さすがの軍団長は、面と向かう際に顔色を変えたりはしないけれど、心の声が駄々漏れだ。
「ほら、しっかり皆を労って安心させてあげて。決戦は近いよ」
それから、アスターとルドベキアが兵や市民にパンとスープを配り、セトの聖女が来ていると話をする。
翌日の朝からは私も加わり、食事を配っては神の話をし、決戦は近い、立ち上がれと街を練り歩く。
人々が見ている前で、捕虜として捕まえたあの青年の手当てをし、彼もまた戦争の被害者なのだと分け隔てなく食料を渡す。そして、お腹を空かせた子どもやお年寄りには自分のパンやスープを分け与え、ヴェルシュの人々のために尽くす。
そうして、聖女としての演出を盛り上げ、兵からも市民からも信頼を得る。
そんなことを五日も繰り返し、兵の体力、気力が共に復活し、市民の熱も高まってきた頃、私は長弓を使い西にあるトロワローゼ砦へと矢文を送った。おそらくそこに、イグラン側のヴェルシュ攻略の大将がいる。
”去れ、さもなくば散れ”
ここへ来ての五日間、私は街を練り歩くと同時に、各砦の様子を調べた。
一部を除き包囲されている状態ではあるが、逆を言えば、それは敵兵の分散にも繋がっている。
西から北にかけての砦は密に連携を取りそれぞれの救援が可能でも、東のトロワレー砦は人数が少ない割に北の援軍が来るにも時間がかかるし、南の援軍に至ってはリコン川を渡る必要がある。
それなら、東側から包囲を解きヴェルシュを奪還する。
「これぞ、神の思し召し。包囲し尽くせなかった穴が、決定的な風穴になるなんてね。お気の毒様」
五日間で増援はきっちりヴェルシュへと入り、細々と食べればニ週間は持つはずの食料を全て使い果たし兵たちを回復させた。
五日前までのベトワール軍とはもう何もかもが違う。準備は十二分に整った。
***
その日、翌日からヴェルシュ解放へと打って出ると、ルドベキアから作戦が伝えられた。
夜間の守備隊を残し、その他の兵はしっかりと休息をとるようにと、早めの就寝となった。
だが、私は一人、東の外壁の上で風に吹かれ休んでいた。
暗闇の中、この壊れてしまった街並みはいったいどんな場所だったのか、どんな人々がどんな風に暮らしていたのか、そんなことを考えていた。
「女性の夜歩きは危険だぞ」
カチャ、カチャ、と鎧の音が聞こえ、そこに立っていたのはルドベキアだった。
「何を見ている?」
「街並み。戦争になる前は、どんな街だったのかなって」
「ここは、ベトワールの城下に負けず劣らずの花の都だった」
ベトワールは別名花の国と呼ばれるほど、街の景色に花が溢れている。
花は国にとって平和の象徴であり、花をはじめ、作物にもなる多彩な植物の数々はベトワールの貿易産業のひとつでもあった。
「きっと、綺麗だったんだろうね。見てみたかったな……」
「戦争が終われば、また見られるさ」
「……そうだね」
戦争が終わったら……。その言葉に、私は目を伏せ返事をした。
「戦は、怖くないか?」
「心配してるの?」
「君の様な年若い少女が戦場にいるのは慣れなくてな……」
「セトでヤロウにも心配されたよ。でも、全然怖くない。怖いのは、負けて全てを失うこと。そうでしょ?」
「君は歴戦の騎士の様だな」
「ふふっ。まぁ、女の身で戦場に立とうなんて考える訳ありの身ですから」
「はっはっは! そうか。ならば、これ以上聞くのは無粋だな」
穏やかな月明かりの中、そんな会話をしていると、カチャッ……カチャ……、と遠くの方で音が聞こえた。
「しっ! 静かに!」
「どうした?」
私が急に腰の刀に手を置いたので、ルドベキアにも緊張が走る。
……カチャ……カチャ…………。
「東だ。多分、奇襲が来てる」
「なんだと? 何も見えないし聞こえないぞ。気のせいではないか?」
ルドベキアの言葉に、私はもう一度目を閉じて耳を澄ます。
……パチッ……カチャ……カチャ……。
市内の松明の爆ぜる音とは明らかに違う音が外で聞こえる。
「気のせいじゃない。外から鎧の音がする。ルドベキア、すぐに兵を起こして北を固めて。反対側からも来るかもしれない。東は私が守る!」
「お、おい、キユリ……!」
私は、ルドベキアの制止を聞かず、数メートルある外壁の下へと飛び降りると、敵兵が来るぞと見張りの兵たちに呼びかける。
すると、十分な栄養と休息をとり、昼間の模擬戦で温まっている兵たちは待ってましたとばかりにすぐに臨戦態勢へと入る。
「奇襲が来ます! 全員、迎撃準備を!」
「「おぉー!」」
「ベトワールの真の実力を示しましょう! 神は常に我らと共に!」
「「うおぉぉぉーーー!!」」
見張り兵以外は物陰に隠れ、じっと敵の襲来を待つ。
「さん、に、いち……今です!」
そして、建物の陰から飛び出してきた敵の奇襲部隊が見えた途端、あり得ない気迫のベトワール軍が現れ、猛攻を開始する。
これに驚いたのは、恐らくイグランの方だろう。
闇に乗じて奇襲をかけるはずが、異様なテンションの兵が待ち受けているのだから、幽霊より質が悪い。
「奇襲、ご苦労様」
そして、私もベトワールの勢いにたじろいているいくつかの騎兵の背後を取って、馬を頂戴する。
向こうも奇襲なのでそう多い人数ではないにしろ、こちらもすぐに動けたのは分隊が数個と言う規模なのに、ベトワールが圧倒的に押している。
増援まで持たせれば御の字と思ったが、ベトワールの気迫の前にイグラン軍はあっという間に撤退していった。
これじゃ、セトの時と大差ない。
「このまま奴らを逃がすものか!」
「聖女様! 我々も加勢します! 奴らを追いましょう!」
「もうイグランにヴェルシュを、この国を踏み荒らされるのはごめんです! 共に戦います!」
イグランが撤退したと思っているところに、あれよあれよと寝ていたはずの兵やヴェルシュの市民が武器を手に集まってくる。
「うわぁー……」
正直なところ、私は個としての自由を認められてはいても、指揮官ではない。兵を大きく動かす権利や判断力は持ち合わせていないのだ。
「とは言え、ここで引けるわけないよね……」
兵たちがノリに乗っている今、この人数で砦を取りに行けば確実に落とせる自信はある。
となれば、私が後で怒られれば良いだけだ。
「このまま私に続け! 追撃します! 市民は自らの命を最優先に、来たい者だけ付いて来い!」
「「うおぉぉぉぉーーー!」」
私は敵から頂戴した馬に乗り、イグラン軍が逃げて行ったトロワレー砦を目指した。
トロワレー砦にいる兵の人数はおよそ五百。それを陥落させようと向かう私たちは兵と市民を合わせ約千二百。
私が出るまでもなく、そして朝日が出るよりも早く、トロワレー砦を落とすのはそう難しいことではなかった。