夏たっだャチグャチグでベコベア Ⅲ♪
あれから彼女とは遭遇する日が続いた。毎回毎回、彼女は偶然を装って僕の背後に忍び寄っては驚かしにきた。夏休み、という事もあったけれど、彼女は毎日制服を着用した状態で訪ねた。あの当時は一日中暇な人なんだろうと勝手に予測していたが、今にしてみれば彼女の制服は地域では偏差値の高い高校の物だったし、夏期講座も当然のように設けられていた筈だ。その帰り道にたまたま僕と遭遇したのがきっかけで構うようになったのだろう。そして当然、僕と同じようにあの人は交友関係が狭かった筈だ。
♪♪♪
「君さぁ……私が来るとすぐに絵消しちゃうよね」
「うるさい!」
「はぁ……ここまで心を開いてくれないとは……子供も難しいなぁ」
そう言うと彼女はその辺から枝を拾ってきて、何やら絵を描き始めた。何を描いているんだろうと思って覗いてみると、そこには……。
「いや流石にボクでも笑えないよ……だってもう高学年だぜ」
「そうなの?女子になんてもの描かせるの!」
「お前が勝手に描いたんだろ。でも良いだろ、どうせすぐ波に流されるんだから」
と、小学生にしては上手く返したつもりだったけれど、彼女は愛想笑いっぽいのをするだけだった。自分で振ったクセになんでコイツはすぐはしごを外すんだ思った。けれどこうした時間は、ここだけの話、嫌いじゃなかった。話は全然かみ合わないけれど、お互いに気を遣わない関係。どうやらお姉さんは高校一年生らしいから学年でいえば5つ離れている。歳の差の距離感というのが、いい感じに他人みたいで気楽だったんだ。
お互いの年齢のイメージで喋り合うから、いまいち距離が縮まらない。いや、なんとなく性格みたいなのは掴めてはいるのだけれど、距離をそこまで縮めようとボクは思わなかったんだ。どうせ……。
「つーか何でボクに構うんだよ、暇なのかよ」
「んー?まぁそうかもね」
そういうと彼女はそういえば、と口を開く。
「そういや君の名前ってまだ訊いてなかった」
「……村田だよ」
「下の名前は?」
「…………村田渡」
「そっか。じゃあワタ君か」
あだ名を決めるとお姉さんはボクの頭を撫でてきた。そしてここ数日の経験から、この後、お姉さんはボクに不都合な質問をしてくるのは簡単に予想できた。
「ワタ君は小学校にお友達とかいないのかな?」
「いないよ」
だって、こうなるから。正直に答えてしまうから。天邪鬼な、ボクの弱点だから。
「でも大丈夫だよ。ワタ君は面白い子だから、きっとみんなと仲良くなれるよ」
「うそつき」
「えー本当のこと言っているつもりなんだけどな。君みたいな子って私くらいの年代になれば結構多いんだよ。小学生グループじゃアレだけど、でも大丈夫、遅れて幸福はやってくるから」
「……」
この人は本当にズルいと思った。ボクよりも年上なのを良いことに、先回りしているのを良いことに、無責任な慰めをしているんじゃないかと感じられるからだ。
と、そんな事を考えている自分に今度は違和感を覚え始めた。この人とは歳の差を理由とした距離感が心地よかった筈なのに、なんだか、これじゃまるで彼女の本音を訊きたがっているみたいではないか。もっと、適当でお互いの言葉に影響されない、そんな淡泊な関係を望んでいるというのに。
未だ撫でられたままのボクは横目に波打ち際を眺めるばかり。ボクが消しそびれたドラゴンの尾っぽが、徐々に徐々に波に削られていた。消えるか消えないのかはっきりしない、じれったい時間、気づけばボクは口を開いていた。
「お姉さんってさ!」
「ん?」
「お姉さんの名前ってなんなの」
はっと手で口を塞ぐ。何を言っているんだ。さっきまでの葛藤は何だったんだ。これじゃアベコベだ。ボクの唐突な質問に意表を突かれたようなお姉さんだったけれど、すぐ先ほどまでの柔和な表情に戻り、ボクの質問に答えてくれた。
***
ボクとアイツの関係が壊れたきっかけは、駄菓子屋での一幕だった。自販機に比べてサイダーが安く買えるので、試しに買ってみようと訪れた。手に百円玉を握りしめて店頭を眺めていたところ、後ろから、トテツモナイ悪意が飛び込んできた。
「お前、女と遊んでんだって?」
ボクの後ろに立っていたのは、同級生の悪ガキグループだった。そうか、ああそうか、ボクは悟った。いくら何でも、あの海岸は公園の目立たない所に位置していたとはいえ、意外と筒抜けな場所だったのだ。
「お前女好きなの?」
「うわーきっしょ!なになにキスとかした??」
「なに黙ってんの?まさか本当なの??」
同級生からの悪意に、ボクはただ押し黙ることしか出来なかった。どうしようと、これがクラスで言いふらされたらどうしよう。どうなるだろう。色んな可能性を想像するたびに、徐々に頬は熱くなっていく。
ボクは、この夏に恥ずかしい体験をした。
***
「もう来んなよ!」
「うわ急にどうしたのワタ君」
案の定、再び訪れたお姉さんにボクは怒鳴った。その理由はいくつかあるけれど、単純に、ボクが恥ずかしい思いをさせられた元凶であるし、それにボクがこうしたお姉さんと会っている様子を、影から同級生が覗いているかもしれないとビクビクしていたのもあった。
「ほら落ち着いて、サイダーあげるから」
いつものようにお姉さんはボクを撫で始める。そしてあやすように手にサイダーのペットボトルを握らさせる。けれどお姉さんがボクに優しくするたびに、頬が徐々に赤くなるたびに、さっき同級生にからかわれた記憶が鮮明に浮かび上がり、とんでもなく恥ずかしくなった。恥ずかしい、という感情がいっぱいいっぱいの頭の中で爆発した。異なる”恥ずかしい”がないまぜになったのだ。
「うるさい!こんなの!!!」
そう言ってボクはペットボトルのキャップを外し、お姉さんに一瞬蓋の先を向けると、さっと方向を変更して海に、中身をぶちまけた。
「ワタ君!そんなことしちゃダメでしょ」
「お前となんか仲良くなりたくないんだ!近寄んな!」
♪♪♪
それ以来、僕は彼女とは距離を置き、二度と会う事はなくなった。どう考えても子供の癇癪だよな、と今になっては思うのだけれど、お姉さんは僕のその言葉を聞くと、無言でその場を立ち去ったと記憶している。お姉さんがどういう人物だったのか、深く関わろうとしなかった僕は知るよしなんて無いのだけれど、可哀想なコトをしてしまったと今では反省している。
色んな感情が整理できず、恥ずかしがるばかりで本音の言えない、アベコベでグチャグチャだった夏は、記憶の奥底に埋もれるばかりだった。