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004.茨野睦花

 昼休み、昼食後の長い休憩中に、俺は天雨を問い詰める。「なあ、坂絵の難易度、甘々だったんだけど。天雨の攻略目安はどうなってるんだ?」


「いや、そんなはずないんだけどなあ」と天雨は疑問そう。「私も見てたけど、かなり甘々だったね。おかしいな。あんな坂絵、初めて見たかも」


「っていうか、二人は仲良くないんだろ?」


「まあね……。『初めて見た』とか言って、私はそもそも坂絵のことなんて全然見てないんだけど」


 俺は恐る恐る確認してみる。「ケンカしたりした?」


「ケンカはしてないよ」天雨は天井を仰ぐようにする。白地に茶色のシミみたいなものが散らばっている、一年三組の教室の天井だ。「キツいこと言われたり、無視されたことはあったけどね」


「それ、天雨だけじゃないの? 天雨、坂絵になんかひどいことしたんじゃなくて?」


「してないよ」と天雨は心外そうに口を尖らせる。「私だけじゃないよ? 普通にみんなやられてたし。小学校では一時期、坂絵、孤立したこともあったもん。凶暴すぎて」


「ふうん……」まあ小学校時代の話だしな。今はもう高校生で、それぞれが大人になっている。


「機嫌の問題もあるのかも」と天雨は言う。「湊太くん、いいタイミングで話しかけたんじゃない?」


「まあ、機嫌は悪くなさそうだったな」


「次に話すときは罵詈雑言を浴びせられるかもね」


 俺は笑ってしまう。「そんなふうには見えないんだけどな」


「じゃ、また坂絵に会いに行ってみる?」


「いや、とりあえず残りの二人に挨拶しようかなと思ってるんだけど」取り急ぎ、桃岡高校に在籍している幼馴染みをチェックしておきたい。「次は中くらいの難易度の子について教えてよ」


「『中』行っちゃう?」


「坂絵がああだったんだから、どうせたいしたことないだろ……」


「どうかな」と天雨は得意気だ。楽しんでいる雰囲気がありありと伝わってくる。「中難度は、茨野睦花(いばらのむつか)だよ」


「名前は(いか)めしい感じだな」


「中身は真逆だよ」と天雨。「小動物みたいに小柄だし、おとなしい子だよ。恥ずかしがり屋だから、なかなか意思疏通が図れないかもね。湊太くんは男子だから、なおさら難しいんじゃない?」


「なるほどねえ」


「睦花も昔から髪が短い。可能性は高いかもよ」


「とりあえず行ってみようか」俺は席を立つ。「茨野睦花さんは何組?」


「一組!」天雨も歩き出し、俺はそれについて行く。


「一組は英語コースなんだっけ?」と俺は訊いてみる。たしか、一組は他クラスと異なり、三年間で英語を重点的に鍛える固定されたクラスなのだと転入時に説明されている。


「正式名称は国際人文化コース。通称『こじか』らしいよ」


「ふうん」茨野睦花、恥ずかしがり屋なのに敢えてそういったコースに進んだのは、何か夢でもあるんだろうか? おそらく、英語によるコミュニケーションも重視されるコースだ。おとなしい子には向いていない。あるいは、学力が足らずにそちらのコースで合格してしまったのか。英語コース……国際人文化コースは普通科よりもランクがやや落ちると聞いている。


 一組に到着し、また天雨から正確な座席の位置を聞き、俺は突撃していく。茨野睦花さん。坂絵とおんなじくらいの髪の長さだが、ピシッとしていておかっぱ感が強い。髪は黒く艶々で、遠目からでも綺麗だなとわかる。


 おとなしい子だと言われると、こちらも自然と腰が引けてしまう。いたわるような、慈しむような態度になる。「茨野睦花さん……」


 何かの本……小説かな?……を読んでいた茨野睦花さんはビクッと背筋を伸ばし、慌てて本を机の引き出しに仕舞い込む。それから上げられた顔は、たしかに小動物感が強い、心細げなそれだった。俺を見て、「あ」と声を漏らす。


「あの、こんにちは。中道湊太っていって、小二の頃に転校したんだけど、また栂下町に帰ってこれて……それで、また仲良くしてもらいたくて挨拶に来たんだけど」


「あっ、あの」茨野睦花さんは溺れているかのように体や口をモゾモゾさせ「いっ、茨野睦花です……っ」と名乗ってくれる。「そっ、湊太さん」


「嘘? 俺のこと覚えてたりする?」


「…………」茨野睦花さんは少し目を泳がせるようにしてから「はい……」と頷く。


「マジか!」俺はあまりの嬉しさに、机の上に出ていた茨野睦花さんの両手を取ってしまう。「すごい! 覚えてくれててありがとう! 嬉しいよ」


「えぇ……あは、あは」茨野睦花さんはすぐ真っ赤になってしまい、笑っているのか引きつっているのか判然としない表情になる。怯えさせてしまっている。


「あ、ごめん」俺は茨野睦花さんから手を離す。「でも、覚えてくれててありがとう。本当に。こんなにテンション上がったのは久しぶりだよ」


「お、覚えてると思いますけど……」と言われる。


「え……?」


「だ、だって、小学二年生の頃のことでしょう?」


「うん……」


「そ、そんなの、当たり前に、覚えてると思いますけど。幼稚園児じゃないんですから」


 茨野睦花さんに訥々と言われ、俺は大ダメージを受ける。「ご、ごめん。実を言うと、俺はほとんど覚えてないんだ……」


「え」と茨野睦花さんは信じられなさそうに目を見開く。「そ、そうなんですね……」


「でも、睦花ちゃんが覚えててくれてよかった。睦花ちゃん? 睦花さん? なんて呼べばいいかな? 俺、昔はなんて呼んでた?」


「睦花」


「睦花。わかった。じゃあ睦花って呼んでもいい?」


 睦花はこくりと頷き、「本当に覚えてないんですね」と少し残念そうにする。いや、あきれているだけか?


「うん。ほとんど覚えてない。それはごめん」しかし、俺のことを覚えているということは、それだけ俺の印象が強く残っているということ。もしかして、睦花が思い出の子なのか? 短絡的すぎるか? だけど、今すぐ確認したいのに、俺は胸がいっぱいで確認作業に移れない。もしも睦花が思い出の子だったら……だったら、どうする? いや、ありがとうを言うだけなんだけど、でもなんか、動揺してしまう。混乱してしまう。


「あの、『ほとんど』ということは、少しは覚えているんですか?」と睦花に尋ねられる。


 俺がかろうじて覚えていること……。「俺、すごく仲がよかった子と、何かを約束した気がするんだ」話し始めてしまった以上、確かめるしかない。「引っ越す直前に。それだけはなんとなく思い出せるんだけど……誰と、何を約束したかがわからないんだ」


「…………」


「……睦花がその誰かってことある?」


「…………」睦花は唇をぎゅっとさせ、しばらく黙り、それから「そんなのは知りませんよ」と答える。


「そっか……」


「だ、誰かと大事な約束をしたのに、そ、湊太さんは本当に覚えてないんですか? そ、その子の顔も、約束の内容も……?」


「それを言われると弱っちゃう」と俺はうなだれる。「なんとなーく、ぼんやりとは覚えてるけど……覚えてない。ごめん」


「いっ、いいえ。全然。あ、謝らないでください」


「最乃宮で必死だったからなのかな。こっちにいた頃の記憶がほぼほぼない」


「そ、そうですか」と睦花もうつむく。「湊太さんも大変だったんでしょうね、きっと。まだ小さいのに転校していかなくちゃいけなくて」


「たぶんね」でも。「その大変だった時期に、栂下での思い出の子の存在が、俺の支えになってたのはたしかなんだ。それだけは間違いない。俺はバカかもしれないけど、そこだけは記憶違いじゃない。だから感謝がしたくて……」


「そ、そうなんですね」睦花は目をきょろきょろさせる。「何か、思い出すきっかけがあるといいんでしょうけど。どこで約束をしたか、覚えてますか?」


「どこ?」新しい切り口だな。「どこだったかな……海?」


「海……?」


「いや、ありえないよな」一瞬、海というイメージが浮かび、俺と思い出の子が砂浜にしゃがんでいる映像が頭を流れたが……栂下町は山側だ。海なんてない。俺の後付けのイメージって確率が高そうだ。


「あ、あの、ありえなくはないと思いますよ」と睦花が言う。


「どうして?」


「あ、ど、どうしてとかはないんですが……どんな可能性も、放棄しちゃダメだと思います。思い浮かんだことを、ちゃんとよく吟味してみたらいいんじゃないかと思います」


「あ、うん」そうだな。すぐにあきらめてはいけない。思考停止してはいけない。「よく考えてみるよ」


「はい」


「ありがとう」と俺は言う。「また話しに来てもいい?」


「あ、はっ、はい……っ」睦花はしきりにこくこく頷き、もはやそれは機械的ですらあり、やっぱり他人と長時間話すのは負担なのかな?と心配になるけれど、そんな睦花はちゃんと笑顔で、さっきみたいな判然としない顔つきじゃなくって、俺は安堵する。


 睦花は俺を覚えていて、かつ、思い出の子であることを否定してきたので、睦花が思い出の子の線は消滅した。しかし俺は、それより何より、小二の頃の俺を覚えていてもらえて喜びでいっぱいだった。大袈裟かもしれないが、存在を認めてもらえた気さえする。存在を許してもらえた気さえ。

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