003.湖波坂絵
際田天雨のことをウチの母親に確認してみるも、互いの家を行き来して遊んでいたけれど、好き合っていたかとかラブラブだったかはわからないと言われた。まあそうだよな。ウチの母親は天雨を男子か女子かはっきり認識していなかったみたいだし、そんな体たらくでラブラブもクソもない。ただ、際田お母さんとママ友であることは間違いがないので、そこから得られる情報はあるかもしれない。
俺にとってはあまり休暇っぽくなかったゴールデンウィークが終わり、桃岡高校での生活が始まる。自転車通学がメチャクチャしんどい。天雨が高校までの最短ルートを教えてあげると言うから、初日の朝、登校に同行させてもらったんだけど、五十分かかった。さすが山のふもとの田舎町。桃岡高校を擁する桃岡町もたいした規模じゃないけれど、そこまで辿り着くのにも一時間近くを必要とするのだ。ひどい。でも、ここはもう最乃宮じゃないのだ、と思い知る絶好の機会だった。俺は宇羽県案山子市婿鵜町栂下町というとんでもない田舎で暮らし、そこから毎日桃岡町まで五十分間自転車を漕いで通わなければならないのだ。わかった。覚悟ができた。
俺は転校生で、一ヶ月遅れで入学してきた新しい仲間のはずなんだが、特に誰からも持て囃されることもなく、格好いい男子が来た!と噂になることもなく、複雑な事情でも抱えていると勘違いされているのかなんなのか誰からも話しかけてもらえない。
天雨だけが話しかけてくれる。「うわ、転校生って、もっとクラスメイト達から群がられるものなんだと思ってた。イメージと違う」
休み時間、俺の席に足を運んでくれている唯一のクラスメイトを俺は見やる。「俺って魅力ないかな……?」
「何かしらあるよ」と天雨は雑だ。天雨は面倒臭くなるとわりとすぐ雑になる。
ともあれ、天雨と同じクラスだったのは僥倖だ。一年三組。これで天雨と離れ離れだったなら、俺は完全なぼっちだっただろう。そら恐ろしい話だ。「俺に話しかけててもいいのか? 友達付き合いとか大丈夫?」
「そこはバランスよくやるから、大丈夫。そういう気遣いができるところは、あなたのいいところだよ」と天雨は笑う。「っていうか、湊太くんも友達だから。これも友達付き合いの一環だよ」
「まあな」
「もう彼氏面しちゃった?」
「ぶっ……違うわ。心配してんの」
「わかってるわかってる」天雨は一年三組の教室内を見渡す。「でもたしかに、私が他の子と駄弁ってるときは湊太くん、一人になっちゃうから、早急に新しい友達を確保した方がいいよね」
「それはそうなんだけど、だからって容易く誰とでも友情が育めるわけでもないしな」
「思い出の子を探すついでに、候補の三人と仲良くなってきたら?」
「ああ……いきなりか」
「早めに確認しといた方がいいんじゃない?」
「うん……」友達作りも兼ねるなら、たしかに早い方がいい。後回しにして得することなどない。「その三人がそれぞれどのクラスにいるかわかる?」
「わかるよ」天雨はニヤニヤする。「それぞれに難易度があるよ。高難度の子、中難度の子、低難度の子……まずは誰にする?」
「難易度って、なんの?」
「話しやすさっていうか、打ち解けやすさ? どれくらい友達になりやすいか、みたいな」
「ふうん」明確に三つに分かれるのか。
「どの子にする?」
「じゃあまずは……」簡単な子を攻略するか、と楽をしてしまいがちになるが、ここは「高難度の子で」と宣言させてもらう。
「自信家だ~」
「高難度に慣れておけば、あとは温くなる一方だしな。強い奴から倒す、嫌いなものから食べる……が俺のモットーだよ」
「立派だね」天雨は拍手のマネをし「だったら湖波坂絵のところに案内するね」と言う。
「湖波坂絵……」
「聞き覚えがある?」
「あるようなないような……」ある!とも思うが、こういう状況だからそう錯覚しているだけで、少しも聞き覚えなんてない気もする。つまり、わからない。
「一年六組の生徒だよ」天雨は俺の席から離れる。「おいで。湖波坂絵が誰なのかだけ教えてあげる」
「天雨はいっしょに来ないの?」
「んー……私は坂絵とは別に仲良くないし」
「あ、そういう感じなんだ?」
「おんなじ小学校出身だからって、高校でも仲良しとは限らないよ」と天雨は寂しいことを言う。「私なんて、いま連絡取り合ってるのなんてカヨチくらいだもん」
「そういうもんか」まあ無理に仲良くすることもない。「ちなみに湖波坂絵さんはどんな人なんだ?」
「狂犬」と天雨は口ずさむ。「けっこうキツいこと平気で言ってくるよ。それだったらまだマシで、向こうの機嫌が悪いと無視されたりするかもね」
「へえ……」だいぶ性格悪そうだけど? 難易度が『高』いだけのことはあるな。「そういう心構えで行くよ」
「一応思い出の子の可能性はなくもないからね。頑張れ」六組の教室まで行き、天雨は中を覗く。「奥から二列目で、前から三つ目の座席の子だよ」
「どれどれ……」ショートカットの女の子だった。ただ、髪の毛をふわっとさせて膨らみを持たせているので、男子っぽくは見えない。そもそもが小柄なので女の子にしか見えないか。頬杖をついてぼんやりしている。
天雨が口を開く。「思い出の子は髪が短いんだったっけ?」
「いま短くても仕方ないだろ」と俺は返す。「当時短かったかどうかだよ」
「坂絵はずっと短かったな。あんまり髪を伸ばさない子なんだよね」
「とりあえず話しかけてみる」俺は天雨を置いて六組の教室に立ち入る。かつては同級生だった幼馴染みだとはいっても、やはり緊張する。天雨の台詞じゃないけど、実質的には初対面みたいなものなのだ。俺は湖波坂絵の座席の正面へ回り、「あ、あの、こんにちは」と挨拶する。
湖波坂絵は俺を見上げ、やっぱり天雨と同じく『誰!?』みたいな呆気に取られた表情を浮かべる。「…………」と固まられる。それはそうだよな。
「あの、えっと……中道湊太っていいます。小二まで栂下町にいました。俺自身記憶がないし、たぶん湖波さんも忘れてると思うんだけど、もしかしたら昔いっしょに遊んだかもしれなくて……その、俺、また栂下に帰ってきたから、仲良くしてくれると嬉しいです」
「…………」湖波坂絵は目を丸くしたままずっと黙り込んでいて、ものすごく警戒されているのかと思いきや、やがて微笑み、「もっとハキハキ喋りなよ」と言う。
「…………」狂犬、と天雨は評したけれど、どちらかというと猫っぽい顔をしている気がするし、目付きもイタズラっぽい雰囲気だ。それに何より、すごく性格が悪いみたいに事前告知されていたから、微笑まれると、なんだか調子が狂う。「……もしかして、俺のこと覚えてる?」
湖波坂絵は首を振り、「ごめん……」と申し訳なさそうにする。申し訳なさそう? うん。たぶん、忘れてしまっていて申し訳ないみたいな表情を作る。
「問題ないよ」と俺はフォローしておく。「他の幼馴染みからも忘れられてたし、俺も栂下小学校のことはほとんど覚えてないんだ。だからお互い様」
「そっか。だったらいいんだ」と湖波坂絵は笑う。「ねえ、どこに引っ越したの?」
「え? あ、小二の頃の話?」
「当たり前じゃん」
「最乃宮だよ」
「都会じゃん。楽しかった? やっぱり田舎とは違う?」
「え……」なんかすごい人当たりよくない?この子。天雨の難易度格付け、誰か別の子と間違えているんじゃないかというくらい、湖波坂絵はフレンドリーだった。とてもシカトを噛ますような子だとは思えない。「……都会だから楽しいってことはないよ。都会だとか田舎だとかいうより、誰といっしょにいるかじゃない? 楽しいかどうかってのは」
「ぷ、いきなりカッコつけんなよ」と笑われる。「知らない女子の前でさ」
「ご、ごめん……?」
「謝んなくていいから」
あ、打ち解けようとしてくれているんだなと俺は気付く。「知らない女子っつって、幼馴染みだから」
「覚えてないんじゃん?」
このやり取り、天雨ともしたよな……と思いつつ、「これからまた知ってけばいいんだよ」と返す。
「ぷぷ」とまた笑われる。「なんでいちいちカッコつけんのかな。おもろい」
「別に格好つけてるんじゃないよ……」
「いいよ、わかった。湊太」湖波坂絵が俺と目を合わせて笑う。「おかえり」
俺は照れ臭くなり、自分だって格好つけてるじゃんと思うけど言わず「ただいま」と返事する。「……あれ? 俺、名乗ったっけ?」
「さっき名乗ったじゃん。ホントに記憶力悪いな」
「や、今のは記憶力とかじゃなくて、ただのド忘れだから」記憶力の良し悪しの話はさりげなく傷つくからやめてくれ。
「仲良くしてあげるけどさ、次にあたしのこと忘れたら承知しないから」と湖波坂絵は自分を棚に上げてそんなことを言う。
「わかったよ」と俺は合わせておく。「よろしくな、坂絵」
「嫌~、いきなり名前で呼ぶなよ」
「え、じゃあなんて呼べばいい……?」
「冗談だよ。照れただけ。名前で呼べば?」
「おお、じゃあそうする……」
これが高難度の子なのか?と俺は改めて拍子抜けする。ちょっと口が悪いというか、意地悪なところはあるが、全然普通にコミュニケーションが取れるぞ。ひょっとして、単純に天雨が嫌われているだけなんじゃないだろうか。その可能性は高そうだった。俺が転校したあとにも栂下小学校ではいろいろあったんだろうから、誰かと誰かが険悪になっていたりしてもおかしくない。俺の知らないところでいろんな物語があったんだろうと思う。
ともあれ、俺はまた仲良くしてくれそうな子を一人見つけるが、小二の頃の記憶はなさそうで、坂絵が思い出の子かどうかの確認は困難そうだと感じる。