011.雨の日の登下校
休み時間に天雨と話していると、珍しく坂絵が三組の教室を覗きに来る。が、俺を見とめて、それから天雨を見とめると、すっと立ち去ってしまう。
「あ、坂絵だ」と俺はつぶやく。
天雨は気付いていなかったようで、「どこ?」と首を傾げる。
「いま廊下からこっち見てたんだけど、行っちゃった」
「ああ……私がいたから?」と天雨。「湊太に会いに来たのに私がいたから帰っちゃったかな」
「たぶん」天雨とは話したくないみたいだし。「なんか用事あったのかな……」
「気になる?」
「んー……まあ」
「行っていいよ」
「いいのか?」
「いいよ」と天雨は頷く。「行ったら、『ふうん、行くんだ』って思うけどね」
「行ったらダメなんじゃん」と俺は弱る。
「いや? 行ってもいいよ。行っちゃうんだなあって思うだけだから」
「行っちゃうんだなあって……」
「私との会話の最中だったのに、行くんだなあ……って感じ」
「行きづら……」苦笑が漏れてしまう。「ヤキモチ焼いてくれるってこと?」
「いいや? 私と坂絵だったら、湊太は坂絵を取るみたいだ……って現国のノートの片隅に書いとくだけだよ」
次の授業は現国だ。「そんなのメモったってテストに出ないぞ……」
「うそうそ。行っていいよ」
「うん……」
「ふうん」
「だー! 行きづらいって」
「あはは。優しいなあ、湊太は」
「これって優しさなのか?」優柔不断っていうか神経質なだけじゃないの?
「優しさなんじゃない? ホントに行っていいよ」
「行こうとしたらまた何か言うんだろ?」
「うん」と天雨は笑う。「湊太、可愛いんだもん」
「可愛いって……」いま使う形容詞か? 俺はからかわれているのを自覚しつつも照れてしまう。
けっきょく、天雨と押し引きをしていたらチャイムが鳴って休み時間が終わってしまう。坂絵のいる六組を訪ねるのは次の休み時間を待たねばならなくなる。
天雨が「あ、あー。あーあ。ふうん」と俺をまた苛むのを「次は坂絵の番だから」と振り切り、廊下へ出る。天雨は俺が困るのを見て面白がっているだけだ。いつか仕返ししてやる。
六組の教室へ立ち入ると、相変わらず坂絵はおとなしく席に着いていて、ぼーっとしている。俺は坂絵の肩を叩き、「おはよ」と声をかける。「さっき、俺に用だった?」
「ううん」と坂絵は俺の方に向けている顔をふるふると振る。
「どうかしたのかなと思ったんだけど、天雨に話しかけられてて行けなかったんだ。すまん」
「他の人と話してるときは他の人と話してればいいから」と言われる。「そういう気の遣い方はしないで」
「まあ……でも坂絵が自分から来てくれることなんて滅多にないから。何かと思ってさ」
「ただ喋ろうと思っただけ」坂絵はにやりと笑う。「湊太が一人寂しく休み時間を過ごしてるんだったら可哀想だなと思って」
「…………」お前はいつも一人ぼっちじゃんと思うが言葉を呑み込む。「まあ会いに来てくれたのは嬉しいよ」
「会いに来たとか、大袈裟」と笑われる。「そんなんで感動するなよ」
「坂絵はなかなか心を許してくれないから」
「……許してるって言ってんじゃん。ウザいよ」
「ふふ」俺は満足し、とりあえずの確認をする。「で、俺に用事ってわけじゃなかったんだな?」
「用事はないよ」
「じゃあいいんだ」ならばと、俺は話したいことを話す。「なあ、今日は雨じゃん? 自転車で来た?」
「来たよ」と坂絵。「自転車で来るしかないし。でも最悪じゃんね。レインコート着てたけど、超濡れるし。ダサいし。最低だったんだけど」
「俺も」栂下町から桃岡高校まで、雨の中を五十分かけて自転車通学。六月の雨はなかなか強烈で、冷たいし、前は見えないし、息が詰まりそうだった。「でさ、今度から雨降ったら親に送迎してもらおうかと思ってるんだ。ウチの母親、まだ専業主婦やってるし」
「ふうん。いいな。あたしんちはそういうの無理だ」
「いや、で、坂絵もいっしょに乗ってく?って話。同じ町内だし、迎えに行くくらい余裕だから」
「マジ!?」坂絵の表情が明るくなる。「いいの?」
「いいよ」でも、言いづらい事柄を俺は付け加える。「天雨も相乗りするけど……」
坂絵の表情がすぐ曇る。「じゃああたしはいいや」
「なんでだよ」そんなに天雨が嫌か。「別に相乗りするだけだし。仲良くしろとは言わないからさ」
「天雨もあたしがいたら嫌でしょ?」
「天雨には了解を取ってあるから。天雨は坂絵が乗ってきても全然いいって言ってたぞ」気まずそうだったし、会話するつもりもないようだったが、『なんで坂絵なんか乗せるの?』とは言わなかった。別に問題ないよと言ってくれた。相乗りする分には。
「…………」坂絵は悩んで見せるが、けっきょくまた「あたしは自転車で行くよ」と強がる。
「ダメだから。乗れよ」
「乗れよって」と坂絵は吹き出す。「いいじゃん。あたしは自転車で平気だから」
「いや、雨の日の自転車はマジで危ないから」と俺は真剣に言う。「近いならいいんだけどさ、俺らって遠すぎるだろ? 道中危険だし、坂絵も乗ってけって」
「いいって」
「天雨がいるからなんだってんだよ」
「天雨がとかじゃなくって、あたしは安全運転で登下校するから大丈夫なんだって」
「…………」最初は車での送迎に表情を輝かせていただろ。「俺が、坂絵にも乗ってってもらいたいの。行き帰り危ないし、心配だから」
「…………」
「事故ったりしないか不安なんだよ」
「…………」
「どっちみち車は出すんだからさ。座席も空いてるんだし、乗れよ」
「湊太って……」と坂絵が言う。
「なに」
「いや……」一度目を伏せてから、坂絵は笑う。「湊太って、あたしのこと好きすぎじゃね?」
バカかよと返すつもりが、不意打ちすぎて言葉に詰まり、顔を赤らめてしまう。頬が熱い。そんなんじゃない。俺は睦花や風亜里にも雨の日の送迎について既に尋ねていて、睦花は母親に車を出してもらえるようだし、風亜里に至っては雨だろうが晴れだろうが親の車で登下校しているらしく、ウチの送迎は不要だったのだ。だから坂絵だけを心配しているわけでは断じてないのだが、唐突にもそんなことを言われて、俺は恥じらわされてしまう。あたしのこと好きすぎじゃね? 好きだけど、睦花や風亜里と同じ扱いだし、好きすぎているわけでもない。俺の数少ない友達だから、危ない目に遭ってほしくないし、危ない目に遭いかねない状況をできる限り減らしたいだけだ。「…………」
「わかったよ」と坂絵は目を細める。「迎えに来てくれる日は、朝、連絡してほしい」
「うん……了解」
「あと、ないと思うけど、もしも天雨があたしに話しかけてきたら、湊太、フォローしてよ」
「フォローって、どんな?」
「いや、あたしが返事できない場合もあるかもしれないじゃん? そのたびに無視された無視されたって言われるのも癪だし、湊太が場を繋いで?」
「ああ……」
「あたし、無視してるわけじゃないから」
「うん」人見知りだから咄嗟に対応できないということか? 人見知りなのか?と思うけど、坂絵本人が人見知りだと主張する以上、人見知りなんだろう。俺が上手いこと口を挟み、天雨が坂絵に『無視された』と思わないような雰囲気を作ればいいわけか。「努力してみる」
「たぶん天雨は話しかけてこないと思うけど」
「まあ、悪いようにはならない。大丈夫だろ」
「うん」
坂絵はレインコートで自転車に乗る必要がなくなったのに、気難しい顔をしている。天雨がいるのといないのとでそんなに違うかと俺はあきれてしまうが、とにかく天雨や坂絵が悪天候時に自転車に乗らなくて済んでホッとする。あんなの、女の子がすることではない。