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月夜ノ晩二見ル夢  作者: 蒼月さわ
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運命の扉~レジェンド・オブ・グローリア~

 ……光から生まれた輝き人と、闇から生まれた魔の人の戦いは、最果ての島で終焉した。


 魔の人は封じ込められるときに、こう言った。


「輝かしき神よ、吾はふたたび、復活する。そのときこそ、光は枯れ、朝は沈み、闇の翼が舞い降りるだろう」


 輝き人もまた言った。


「血の魔王よ、では私もそのとき生まれ変わろう。光は必ず大地を祝福するのだ」


 その後、輝き人は三人の息子を呼んだ。


「これより、この島を聖なる地と呼ぶ。お前たちは人々へ平和と繁栄を与えよ」


 ひとりめの息子は言った。


「では私は平和を与えましょう」


 ふたりめの息子は言った。


「では私は繁栄を与えましょう」


 さいごの息子は言った。


「では私はひとつの命を与えましょう」


 輝き人がその意味を問うと、光の加減で色の変わる瞳をきらめかせた。


「平和と繁栄は、兄者さまたちがそれぞれお与えになる。ならば私は、遠く未来における大切な日のために、ひとつの命をさずけようと思うのです。それは、かぼそく儚い蝋燭の火のようであっても、人々の足元を照らす明かりとなるように。幾時代過ぎようと、けして消えることなく、父上さまが甦るそのときまで……」



 それは、幸いなる島(グローリア)で語り継がれてきたひとつの伝説……





「やれやれ、お前は本当に半人前だねえ」


 アイーダは声のした方を振り返った。朱色の花の汁を溶かして塗ったような唇が、悔しそうに結ばれている。


「それはいくらしたと思ってんだい?」


 空色や紅色の糸で縁取りされた、身の丈を覆う深い森の色をしたスカートの足元には、ひとめで高価なものと知れる白石の壷が粉々になって散らばっていた。


「ちょっと手元が狂ったのよ」


 アイーダはすばやく言い返すと、床に膝をついて、ひとつひとつ拾いはじめた。


「この壷ってすべるのね。奥の棚に運ぼうと思ったのに。あったまきちゃう」

「嘘をつくんじゃないよ」


 コンドリーサは樫の木を切って組み立てたテーブルに肘をつき、五色の指輪で細長い指が全部埋まっている両手を絡ませ、その上に優雅な線をえがいている顎をのせた。


「お前はまだひよっこのくせに、今魔力を使おうとしただろう。村一番の魔女の前で、しょうもないことするんじゃないよ」


 アイーダは顔をあげて母親を睨んだ。しかしいつもならば魔法のように言葉があふれ出る唇は、封印された扉のようにひらかない。どうやら図星のようで、口答えができないらしい。


「お前の目はもう暗闇の女王の衣が見えているのかい? お前の耳には夢魔の貴婦人たちをのせた馬車の車輪の音が聞こえているのかい? よおく、窓の外をごらんよ。木漏れ日のご婦人方は、まだ語らっているんだよ」


 格子窓から入ってくる光は、コンドリーサの家の居間を明るくしている。


「わかっているわよ」


 アイーダは後ろの石棚にあった布袋の口を広げて、壷のかけらを入れていった。その腕の動かし方は、まるでゴミでも拾っているかのように荒っぽい。


「まだ、黄昏の乙女たちも目を覚まさない頃だわ。でも西風の将軍が、愛馬の蹄をとどろかせて空を駆けて行ったのよ。おかげで雲ひとつなくなったわ」

「だから何だい」


 アイーダは肩をすくめた。やはり母親には適いそうもない。


「半人前が月の魔力をひきだそうとしたってわけかい」


 コンドリーサは容赦がなかった。


「お前は、まだ()びていないんだよ。わかっていないようだねえ」

「そりゃそうだけど」


 アイーダは「力」で動かそうとして失敗した壷の残骸に、目を落とした。もっと安物にすればよかったと唇を噛む。


「いくら空が掃除されて、月の邪魔者が失せたからといって、夜にもなっていないのに、ひよっこが使えるわけないだろう。いい加減におし!」


 ぴしゃりと言うと、アイーダは憤然と立ち上がった。


「だって、かあさまは何とも思っていないの!」

「何をだい」

「閉ざされし地のことよ!」


 アイーダは散らばったかけらに背を向けて母親に詰め寄る。


「ちょいと、その壷は高かったって言ってるだろう」

「ちゃんと拾うわよ! それより、かあさまはあたしをひよっこだって言ってるけど、そのひよっこだって感じているのよ! あの呪われた大地が血と肉をもったことを!」

「そんな大声で言うんじゃない」


 コンドリーサは静かにたしなめた。


「だって、村の言い伝えがあるじゃない! 闇の翼が舞いおりたとき、その大地は魂の形を変え、恐るべき息吹をあげる。それは、すなわちブラッディー……!」


 アイーダは突然両手で唇を押さえた。そのまま身体が弓形に反り返る。まるで背後から強く引っ張られているかのように、背中を大きく曲げたまま、ぴくりとも動かない。スカートの縁から覗かせる靴は、小刻みに震え、叫びとも悲鳴ともつかない苦しげな声が、手と手のすき間から洩れる。


「その名を口にしちゃいけないってことは、この世に生まれた赤ん坊がまっさきに覚えることだよ。お前はひよっこにもなっちゃいないねえ」


 まもなくパチンと指を鳴らす音がして、アイーダは床に勢いよく落ちた。したたかにお尻を打ちつけ、痛っと呻きながら、荒い息を整える。しかしすぐに母親へ抗議の視線を向け、さあ何て文句を言おうかと緋色の瞳が勢いづいたが、それを制するように、コンドリーサが口をひらいた。


「いつからだい」

「……何が?」

「お前がそれを感じるようになったのは、いつごろからだい」


 アイーダは床に座り込んだまま、母親を不思議そうに眺めた。


「……それって、閉ざされし地のこと?」

「そうさ」


 アイーダは少々俯き加減になって考えた。


「確か……数日前ぐらいだったと思うけど」

「どんな感じなんだい」


 アイーダは怪訝そうに顔をしかめた。かあさまは知らないって言うの?


「どうって……そのとおりだわ。影も形もないけれど、どういうわけかわかるのよ。あの呪われた大地のはっきりとした息遣いが。心臓が動いている。血がかよっている。いまにも目をあけて動き出そうとしている。まるであたしが閉ざされし地の住人になってしまったかのように、膚で感じられるのよ。あたしは輝かしき神が讃歌を歌った、月の魔女たちの村に住んでいるのに」


 からだがぶるっと震えた。その大地の吐く息が、自分の頬に触れたような感覚を思い出した。


 コンドリーサはわかったように頷くと、自分の前に座るよう手招きをした。


「お前はそれが怖ろしくなって、まだ月が満ちていないのに、なんとか魔力を使おうと頑張っていたんだね」


 アイーダはお尻を押さえながら立ちあがり、母親の目の前に座った。胡桃の木で作られた椅子は、丸い形で、腰を下ろす部分と背もたれに厚地の布地を張っている。父親が作ったというが、アイーダは一度も会ったことがない。魔女の夫は、娘が生まれたならば、村を出て行かなければならないからだ。それが村に呪いをかけた妖精王との約定だった。


「わかっていると思うがね、あと三日の夜を過ごせば、お前は月が満ちる」


 アイーダは神妙に頷いた。この村では十八歳になることを、そう言うのだ。


「そのときに行われる儀式をおえたら、お前も月の魔女だよ」


 コンドリーサは少しだけ目を伏せた。


「よくお聞きよ、アイーダ」


 母親の言葉に、アイーダは背筋を伸ばした。お前、ではなく、アイーダ、と呼ぶのは、必ず何か重大なことを喋るときの母親の癖なのである。


「お前は、閉ざされし地の息吹を感じると言ったねえ。血と肉をもったとも言ったねえ。この村でそれを感じているのは、おそらくお前ひとりだけだろう。この私も含めてね」


 アイーダは始め冗談かと思ったが、相手はにこりともしないので、顔つきを変えた。


「だって、かあさま……」

「いいから、よくお聞き、アイーダ」


 コンドリーサの声の響きが、母親のものから、村一番の魔力をもつ月の魔女のものへと色合いを変えてゆく。


「私の予言の力はそう強くはないけれど、おそらく新月の儀式で、見届け人はこう言うだろう。赤い月の魔女コンドリーサの娘アイーダは、たったひとつの扉しか持たぬ者だと」

「……なに、それ」

「儀式の時に、言われるのさ。アウレリアから、運命の扉をいくつ持っているかってねえ。その扉は、自分の明日、未来、行くべき道を示しているのさ。あたしたちはみな、多くの扉をかかえている。アウレリアはそれが見える魔女なんだよ。どの扉を選ぶかによって、運命は決まり、変わるのさ」


 囁くような声が、アイーダの耳を震わせる。それは不思議なことに、ひとつひとつの言葉がまるで己の意思を持っているかのように、アイーダの心に沁みていき、その水面を深く染めてゆく。


 アイーダは瞬きをした。目の前に座る母親の背後に、頑丈そうな鉄の大扉が見えたような気がした。


「扉は道しるべの象徴さ。ひとつをひらけば、また扉があちこちで待っている。そのうちのひとつを選べば、また扉がある。それの繰り返しさ。海の彼方にある常若の国へ逝くまで、あたしたちは扉をひらきつづけなければならない」


 コンドリーサは自分と同じ娘の鮮やかな深紅の瞳を覗き込んだ。月の呪文を唱える唇が、静かに言葉を刻む。


「わかるだろう、アイーダ」



 ……わかるだろう。



 アイーダはびくんっと躰を震わせた。両腕をまわし、顔をあげて辺りを見る。居間は閉め切っているはずなのに、なまあたたかな風がかすかに頬を撫でていった。



 振り返ってごらん……



 その風をたどるように、アイーダはゆっくりと振り返った。玄関先の扉は、厚い大木でつくったアーチ状のものだ。錠をかけていたはずなのに、いつのまにか大きく内側へひらいていた。


 そこには、ひとりの若者が立っていた。日の光で染めあげたような髪をひとつに結い、腰には刀剣を下げ、灰色のマントを羽織っている。銀色に輝く細長い刀剣は王に仕える剣士の印、マントの色は「故郷を持たぬ者」、それを右肩で羽織り左肩をむき出しにするのは、妻を亡くした夫であることの証。


 光の加減で淡く濃く色の移ろう瞳が、まっすぐにアイーダを見つめている。


 ふいにアイーダはなにかを思い出しかけた。まるで突然火が燈って、そこが暗闇であるのがわかったかのように、唇が動いた。


「……失われし宮へ祈りを捧げよ、闇と光を大いなる大地へ還すのだ……そして……」


 若者はゆっくりと歩みだす。アイーダも踏み出しかけた。


 だが突然、何かを打ち破るような音がして、我に返った。その音がしたほうへ顔を向けると、コンドリーサが両手を持ちあげて、まっすぐに立っていた。


 今の音は母親が手を叩いたものだと、やや待ってから気がついたアイーダは、子ウサギのように飛びあがった。


「かあさま! いまそこに人が!……」


 再び振り返ったアイーダの目に映ったのは、人ひとりが通れる程度にひらいた扉だけだった。さきほどの若者が立っていた場所には、午後の日差しの柔らかな光が落ちている。


「あそこにいたのに……」


 コンドリーサはすべてを承知しているというかのように頷くと、音もなくその場を離れ、扉を強く閉めた。


「アイーダ、お座りよ」

「……かあさま、いま、声がして……」


 アイーダは青ざめた顔をして、スカートを強く握りしめながら、立ちすくんでいる。


「あれは、呪われた大地の……」


 コンドリーサは娘を優しく抱いた。


「大丈夫だよ、ちょいと悪戯されただけだからね」

「でも……風が……」

「安心おし、コンドリーサの家で勝手な真似などさせないよ」


 アイーダを座らせてから、自分も元の席に戻った。


「悪戯好きの妖精たちが、あと少しで月の満ちるお前をからかっていったのさ。もう魔力を使いたがっている利かん気のお前をね」


 顔を覗き込んで娘の鼻をポンと叩くと、からからと笑う。


 アイーダは朱色の頬をふくらませて、鼻を押さえた。幼い頃よくそうやってからかわれたのだ。


「とにかく、新月の儀式まで待つことだね」


 コンドリーサは笑顔のままで、さらりと口にする。


「お前はその翌日、村を去ることになるだろうから」


 突然の言葉に、アイーダは一瞬呼吸がとまったような表情をしたが、すぐさま息を吹き返して、ついでに吹きだした。


「なに言ってんのよ。あたしは村を出て行かないわよ。そんなつもり全然ないし」

「いいや、お前は出てゆくよ。これは自分の意思ではどうにもならないんだ。さっき話しただろう」


 確信めいた口ぶりで、断言する。


「それが、お前の運命の扉なのさ」

「――信じないわ!そんなの!」


 だがアイーダは、納得がいかないとばかりに立ちあがった。


「いきなりそんなこと言われて、はいわかりましたなんて頷くバカがいるわけないでしょう! 言っておくけど、あたしは月の魔女になっても、絶対にこの家から出ないからね!」


 母親から利かん気とからかわれた気性そのままに噛みつくと、憤然と席を立つ。


「ちょいとお待ちよ」

「なに!」


 アイーダは腰まである黒髪が乱れる勢いで、ぐわっと振り返る。


「また変なこと言うつもり!」


 だが母親が示したのは、まだ床に散らばっているかけらの数々だった。


「高かったんだけどねえ」


 ため息までつけた呟きに、アイーダは二階へ向かおうとした爪先を一回転させて、足音荒く戻ると、しゃがみこんで再び拾いはじめる。


「すっかり忘れていたわ」

「そうだろうよ」


 今度は母親が席を立った。


「さあて、疲れたから、ちょいと休むとするかねえ」


 背伸びをしながら、床下から生えている大木の幹に刻みをいれた階段を上がってゆく。


 アイーダはその優雅な後ろ背を恨めしげに見送りながら、ひたすら自分が割った壷のかけらを拾った。




 コンドリーサは二階にある寝室の扉を閉めると、肩で大きく息をついた。


 アーチ状の出窓は朝から開きっぱなしで、気持ちのよい風の訪いを受けている。西風の精たちが周辺の豊かな森の匂いを運び、濃厚な気配が部屋の隅々までいきわたっている。


 コンドリーサは窓辺に近づくと、外を眺めた。


 月の魔女の村は呪いの森にあって、幸いなる島(グリーリア)では東と南の間にある。東の方角には始まりの都が、南の方角には次なる都が、西の方角には終わりの都があるが、その背後には島をまっぷたつにする大山脈があった。


 コンドリーサは出窓から見える大山脈のかすかな輪郭と、西の空を覆う薄黒い影を凝視した。


 大山脈の向こうは、閉ざされし地である。


 あの地に足を踏み入れた人間はひとりも戻らず、精霊たちも恐れて近寄らない。


 闇の翼に触れられた大地と、人々は囁きあう。


 コンドリーサは窓辺にもたれかかり、その暗い空を眺めながら、さきほどの娘の言葉を反芻した。


(あの子は導かれし者だ)

(呪われた大地が、あの子を呼んでいる)


 美しく整った深紅の唇が、臭い匂いを嗅いだように堅く結ばれた。


(あの時、何者かが力を使った)


 アイーダへ集中していた間隙をついて、輝かしき神が祝福したこの村で、妖精王が呪ったこの村で――村一番の魔女が住まうこの私の家で、いともたやすくあの子へ誰かが接触した。


 コンドリーサは険しい表情のまま、手すりに重心を傾け、眼下を見渡した。一面の緑。緑の牢獄。その中心に、小さな沼がある。昔、輝き人を裏切ってしまった村の男たちが流した後悔の涙だと伝えられる沼が。そこは月の満ちた少女たちが魔女になるための儀式の場だ。


(――これも運命かもしれない)


 風が挨拶するように、いちどに吹いていった。腰まである艶やかな黒髪が、気持ちよさげにはねあがる。


 アイーダへもまもなく風が吹くのだろう。


 コンドリーサは眩しげに青い空を見上げた。


 あの子の運命の扉をひらくのは、光なのだから――




 赤い月の魔女アイーダの物語りは、月の魔力をおびる新月の儀式からはじまる。


 魔女アウレリアから、たったひとつの大きな扉を持つ者と告げられたアイーダは、儀式の終り頃、ひとりの旅人と出会う。


 森にかけられた呪いを乗り越えて現れたその旅人は、次の日の朝、村を去った。


 新しく誕生した月の魔女とともに――

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