第一話 目覚め
風の吹く音、風に流れる草の音、遠くから響く鳥の唄、風と共に聴こえてくる自然の声に耳を澄ます。穏やかな唄に包まれながら眠る。とてもいい気分だ。
『ぅぅん…………うん?』
違和感。確かにいい気分だが、それを上回る疑問が湧いて出る。
オレ……こんな自然を感じられる場所に来て眠った覚えが無い。
眠気を振り払って飛び起きる。陽光が目に入り、眩しさで目を閉じる。薄く目を開け、少しづつ陽光に慣らしていく。
目が明るい陽光に慣れ、周囲を確認するために瞼を開く。
目に写ったのは、絶景。
無限に広がる蒼穹、緑に覆われた山脈、大草原に響く風の音……余りにも美しい景色が広がっていた。
『わぁ……!キレイ……!』
オレは暫く、この美しい自然を眺める事に夢中になった。
『キレイだなぁ……って、違う違う!景色眺めてる場合じゃない!現状確認しなきゃ!』
軽く数十分は景色を眺めて、ようやく本来の目的を思い出す。
まぁ景色を眺める内に、此処の目につく物はじっくりと見ている。それを思い出していくか、改めて観察するだけだ。
だが、それ以前の問題があった。
『オレは…………誰だろ?』
記憶が無い。自分の名前、出身、住んでいた場所、自らに関する記憶だけが綺麗に抜け落ちている。自分が関係しない、いわゆる"知識"だけは憶えているが。
『ん~……ま、いっか。"知識"は憶えてるし。』
特に気にしない事にした。まぁ、記憶喪失の人が他人に指摘されずに記憶喪失に気付ける時点で変だしね。無くなった事を忘れてる筈なのに、無くなった事に気付くとか矛盾してる。それはもう意図的に記憶を消した様なもんだしね。
これ以上は考えても仕方ないかな。時間が経たないと進展しない問題だし。
『え~と、周辺地形は~……』
今いる場所は草原のど真ん中で、遠くには緑に覆われた山脈、終わり、あと特に目立つものは無し。ちらほらと動物の群れっぽいのがいるくらいか。
『……………ん?あの大きさの山は頂上付近に緑は無くない?雪か岩肌じゃないかな?』
疑問を感じたからには調べなくては。取り敢えず山に向かおうと一歩踏み出す。圧倒的違和感、何だこれ。
『…………』
感覚は、正常。身体も、正常。理性、悲鳴を上げて現実逃避中。おかしいおかしい絶対おかしい。何でいまオレあんな自然に脚を動かせた!?
『………………』
ゆっくり、視線を下に向ける。今まで殆ど無意識と反射で身体を動かしていたから違和感を感じなかったけど、意識的に動かした事で無視できなくなった。
視界に自分の腕……"前肢"が映る。
『……………………』
敵に振るえば肉を抉るだろう鋭い爪、四足で地を駆ける様に発達した形状、金属の様に硬質な印象を受ける黒い鱗。
少し頭……首を動かして、背中を見る…………鱗と同色の、黒い翼。あと尻尾。
頭を下げて、腕……"前肢"で後頭部の辺りを触る。返ってくるのは硬質な感触…………まぁ、"角"だろうね、これ。
"知識"には似たような存在の情報がある。それの名は、"ドラゴン"。翼を持つ巨大な蜥蜴の様な姿の怪物だ。どう足掻いても人間じゃない。
『…………えぇ…………』
自分に関する記憶は失ってるけど、残った"知識"から推測は出来る……少なくとも人間ではあった、はず。それなのにこんなことになるのは…………"知識"の中に該当しそうな情報が一つだけ、ある………………認めたくはないけど…………"輪廻転生"。オレは、一度死んで、ドラゴン、"竜"として転生したということだ。
『…………わぁ…………』
驚愕の事実に耐えられず放心する。なぁるほどぉ、一度死んだから記憶が吹っ飛んでるんだぁ。自己の構成要素の記憶が消えてるのは納得だけど、なぁんで"知識"は残ってるんだろ?そもそも輪廻転生って記憶を引き継げるものだっけ?謎だ。
『…………わぁぁ…………』
気付いちゃった、気付いちゃったよ。さっきから遠くに見える山脈の正体。
あれ、"骸"だ。巨大な生物の亡骸を苗床にして植物が繁茂してるんだ。怖い、怖すぎる、何あの巨大生物。山ならまだしも山脈だと怖いとしか言えない。
オレの"知識"にはあんな巨大生物の情報なんかない…………まさか、まさかね、流石に冗談でしょ、輪廻転生だけでいっぱいいっぱいなんだけど……
さっきから遠くに見えていた動物の群れをよぉく観察する。
………………はい。"雷を纏う羊"に"金属質な牛"、"めっちゃ速い鳥"とか、"知識"に無いやつばっかだねぇ…………
…………これ、前世とは違う世界だね。前世のオレがたまたま知らない生物……は、無理があるか…………
あ、こっち見た。
『………………こっちに来るなぁぁぁーーー!!?』
どう見ても食欲に染まってる目をした畜生共が突っ込んでくる。怖い、喰われる気しかしない。鳥はともかく、牛と羊って肉食だっけ。
『逃げなきゃ……逃げなきゃ……!喰われるぅ!牛と羊に喰われて死ぬなんてやだぁ!』
「ブゥゥゥモォォォォーーッッ!!」
「メェェェェェーッ!!」
「ピュイィィィィィーーー!!」
『来るなぁぁぁぁぁぁぁ!!』
食欲全開で迫りくる牛と羊が怖すぎて、半狂乱になりながら逃走を開始する。周辺は一面の大平原。障害物はほぼ無し。逃げるあても無し。
転生して早々だが、逃走劇が始まった。