偽物王女の輿入れ ~政略結婚はおしどり夫婦の始まり~
「――姫の一行は明日の夕方にでも王宮入りするようです、エイドリアン様」
国王は側近アベルの報告に「そうか」とだけ返して嘆息する。
「憂鬱そうですねえ。ご自分の花嫁が到着するというのに……」
「だから、憂鬱なんだろう」
姫――カイウス王国第一王女オルテンシア――生まれつき身体の弱い双子の第三王子と共に、幼少期は王宮を離れ王都の片隅で隠されるように、ひっそりと育てられたという経歴を持つ姫。
表向きは、という但し書きがつくが。
実際には愛妾の実家で育てられただけの、本来であれば王女と名乗れない存在である。婚姻外交の駒として利用されるためだけに、表舞台に現れた王女。
そして国力の差から、そんな王女と呼べないような偽物王女を、押し付けられた哀れな小国の王が自分だ。
リンデン王国の為政者として、望まぬ婚姻も受け入れなくてはならない。
「遠方から来られるのですから、優しく出迎えて差し上げてはいかがですか?」
丁寧な言葉遣いとは裏腹の、腹黒そうな笑みを浮かべたアベルは、揶揄うように進言する。
「別に優しくする必要は無い、ただの政略だ。カイウス王国の顔を潰さない程度にもてなすが、それ以上でもそれ以下でもない」
重要なのは国の面子を潰さないことである。
いくら気に入らない婚姻であっても、蔑ろにするのは下策だ。王である自分は姫と結婚するのではない。カイウス王国の代表と結婚するのであり、相手に望むのは義務を果たす能力だけだった。
本当であれば両親を始めとする多くの貴族の婚姻同様、政略であっても慈しみの心で接し、愛情を育みたいところであるが、庶子というこの国では禁忌である姫と、情を交わす自信がないのだ。
だったらせめて義務に徹して、相手を傷つけないように接しようと思うのだった。
* * *
華燭の典は荘厳な雰囲気の中、滞りなく進む。
誓いの口付けのためにヴェールを上げて、初めて自分の花嫁の顔を見た。
「――!!」
思わず姫の驚くほどの美貌に息を呑む。
一瞬動きが止まったが、周囲に悟られることなく式を終わらせたのは、国王として様々な場面で平常心を求められた結果だ。
姫のお披露目は到着が予定より数日遅れたことと、本人の旅の疲れを考慮されて延期されている。カイウス王国側からの申し入れだったから、姫を蔑ろにしていると誹りを受けるものではない。
実際、初めて国の外に出る姫にとって、旅は過酷で体力を回復させるのに何日も必要だった。
だから新婚の王と姫の初顔合わせは、神殿の司祭の前だったのだ。
式が終われば平民へのお披露目を兼ねての顔見せを行う。
貴族たちはその間に神殿から王宮の広間に移動して、国王の結婚と新しい王妃の誕生を祝う夜会に参加する。
主役である筈の国王夫婦といえば、平民への顔見せの後にそれぞれ私室に下がり、ゆっくりと湯浴みをして早朝からの疲れを取り、軽食をつまみながらのんびりと過ごす。
そして夜の帳が下りた頃、夫が妻の元を訪れるのだ。
「……」
何度目かの溜息をつく。
段取りは全て把握している。
しかしどうしても不義の子を押し付けられたという気持ちが先に立ってしまい、姫と情を交わすのに躊躇する自分がいた。
王族の婚姻が政略なのは他国と同様だが、それでも愛のある家庭を築くのが、この国での普通だ。
だが相手が不義の子であるとなれば、話は変わってくる。
リンデン王国は一夫一婦制であるだけでなく、愛妾を持つ習慣がない。
たとえ政略であっても、お互いに心を通わせ愛情を育むのがリンデン流の夫婦の在り方であり、婚外子を設ける要素が入る込む余地はない。他国では当たり前の存在が、この国では忌避すべき存在になる。親の罪を子が被るのは無体だと理性で判っていても、感情がついていかない。
再度、大きな溜息をついて、意を決する。
相手も王の命令で嫁いだだけなのだ。自分一人が被害者のような顔をする訳にはいかない。どれほど望まない相手だとしても、たった一人で異国に嫁いだ女を、気に入らないというだけで邪険にするほど狭量であってはいけない。相手が自分に寄り添う気があるのなら、自分もまた相手を妻や王妃として、受け入れ寄り添わなければならないのだ。
義務だけではなく思いやりをもって、相手に接しなくては……。
嫌悪感と同情が入り混じった感情のまま、心を決めた。
溜息をつきつつも、俺は重い腰を上げる。妻になった姫の元に行くために。
姫は王である俺を目に捉えると、柔らかな笑みを浮かべた。
「エイドリアン陛下、どうぞよろしくお願いいたします」
微笑みをそのままに零れる言葉は、鈴を転がすような可愛らしい声だった。「こちらこそよろしく頼む」と言葉少な目に言葉を返す。
夜着を羽織った姫は大層美しかった。
柔らかく微笑んだその顔は、春の女神を思わせる。この女を娶った男はどんな幸運の持ち主だろうといわれるような、極上の見た目を持っていた。
実のところよろしくするのは気が重い。
私室を出るときに抱いた覚悟は、夫婦の寝室に入った直後に、もっと言えば姫の顔を見て急速に萎えた。
姫のために愛情を持って接せねばと思う半面、相手の面子を潰さず、政略的に問題ない最低限度の付き合いであれば良いと思うのだ。夜の渡りもその一環である。初夜をすっぽかすなど、いくら相手を気に入らなかろうと愚策でしかない。
よろしくというのも社交辞令以外の何物でもなく……それではいけないと自分を戒める。
目の前の女は罪の証かもしれないが、女の罪ではないのだから。
格下の国に嫁いだ姫にとっても、この結婚は不本意なことだろう……。
「カイウス王からの親書を預かっております。まずはごゆっくりされる前に目を通していただけますでしょうか」
そう言って差し出されたのは一通の書簡である。王冠を象った封蝋は国王の手紙を示すものだ。蝋の色は淡く、確かカイウス王国では公文書ではない――私信に当たる色だった。姫から受け取って開封すれば、短い文章でさっと目を通せるものだったが、内容に首をかしげる。
――この婚姻は、ただの政略ではなかったのか……。
カイウスの王からの親書は、姫の幸せを第一に考えた婚姻であると書かれていた。
国内に留め置けば、政治利用されかねないため国外に出したが、できれば手元で見守りたかったという内容である。
そして王妃からも一筆あり、そちらの内容も大切にしてやってほしい、愛を育み幸せな家庭を築いてくれることを願うというものであった。
カイウス王国の王妃と愛妾は仲が良いという噂を耳にしたことはある。一夫一婦制、愛人を公にする文化も無いリンデン王国では、かの国以上に正妻が愛人の娘を気遣うというということは皆無であるから理解の範疇を超えることだが。
「どういうことだ?」
「お酒を用意いたしましたので、お座りになりませんか」
姫は問いにはこたえず、机に用意した酒を勧める。
話が長くなるということだろう。
勧められるままに座り、手ずから杯に酒を注がれる。芳醇な香りは、一昨年前、カイウス王国を訪問した際に出された酒と同じだった。長期熟成されたそれは大変貴重で高価なのだと聞いた覚えがある。
向かいに座った姫がゆっくりと口を開く。
「わたくし陛下の子ではありませんの」
「――!!」
突然の発言に、一瞬息が止まる。
「わたくしは王家の血は引いておりますが、マリウス陛下の子ではありません」
微笑みながら言うと、オルテンシアは自分に注いだ分の酒に口をつける。マリウスとは現カイウス国王だ。
「前国王の子なので、わたくしも弟も王女や王子と名乗るのに問題はありませんが、国内に留まる限り、政治利用される可能性がありますでしょう?」
カイウスの先王は先々代の国王の弟だった。王が崩御したとき王太子である現国王が幼かったため、王弟である先代が期限付きで即位したと言われている。
「マリウス陛下は賢王として評価が高いですが、父は初代国王の再来とまで言われていたようですから、王太子ではなく王弟である父を王にですとか、期間限定ではない即位をという一派と、幼い陛下を傀儡にしたい一派とで、水面下の諍いもあったようです。父本人は王位を望んでいないにも関わらず。
そもそも父と先々代国王である伯父は大変仲が良かったらしいですわ。それと父は身体が弱く、国王の激務に身体が耐えられないのは、本人が一番よくわかっていたそうです。
弟も非常に頭の回転が速く、父に似ているとよく言われますから、出自が公になれば、前回の政権交代時と同様、また政権争いが起きる可能性が高いのです。でも身体の弱さも父に似ておりますから、万が一にでも即位してしまうと、同じように早死にするのは目に見えていますわ。それで今までわたくしたちが前王の子であることは秘匿されていたのです」
それでか……。
夫の愛人の子でなければ、嫉妬に駆られることはない。ただの従姉弟である。その上、わが子の王位を簒奪する可能性が全くないのであれば、純粋にかわいがることも可能だ。
しかし……。
「何故、ご両親は正式に婚姻を結ばれなかったのだ?」
婚前交渉など醜聞である。特に女性には。
「母は当時、白バラに喩えられるほど美しく、求婚者が引きも切らない状況でした。父と想い合っておりましたから全ての求婚をお断りしていましたが、子爵家の娘であまり身分が高くないことが災いして、強引に口説く方や、無理やり部屋に連れ込んで既成事実を作ってしまおうという方がそれなりに……。
父の在位中の婚姻や出産は、後継者問題に発展しますから控えておりました。でも祖父に圧力をかけ、妾にしようとする家が現れましたの。そのときには既に退位の目途が立っておりましたから、不埒な殿方に手を出される前にと行動したみたいですわ。公にはされておりませんが、両親は身内だけの簡素な式とはいえ、正式な婚姻を結んでおります。ですから実のところ私の立場は嫡子であり、先代国王の第一王女ですの。
しかしその数か月後に大雨による大規模な災害と、翌年のルゾーラ王国からの宣戦布告があって、退位が流れましたの。それからしばらく母は王都の街屋敷で過ごしながら王宮に通っていました。私と弟が生まれても退位の目途は立たず、しかも私たちの存在が公になりかけて、母の実家の領地で母子三人ひっそりと暮らすことになりました。私たちが生まれてから五年後、全てが一段落して父の退位とマリウス陛下の即位、その後のわたくしたち母子の披露目が決まり王宮に招かれましたのに、対面した直後に父が急逝してしまって、過労でしたわ……。
後はご存知の通りです。わたくしが国外に嫁ぎ、弟は成人して臣籍に下り王位継承権を放棄することになりました。どちらも王位から遠ざかり、利用されなくなったところで、私たちの出自が公にされることになりましたの。それまでの間は陛下とセルラ妃がわたくしたちを守ってくださっていたのです。
数日もすれば国元でもわたくしたちのことが発表されますから、母は王の愛人から王太后の身分になりますわね」
そう言うと姫は杯に残ってた酒を呑み干し、新たな酒を注ぐ。用意された酒は酒精の強いものである。結構イケる口のようだ。
姫の告白は初めて聞く内容ばかりであった。同時に王妃と姫の母の仲が良い理由に合点がいく。王太子をはじめとする王妃の子たちとの関係が良好なのも、異母兄妹ではないただの親戚だからだ。
「成程、王妃が姫を大切に、という訳だな」
「ええ、性格も雰囲気もまるで違う二人ですが、とても仲が良くて義理の姉妹というよりは、親友といった方がしっくりくるほどですわ。母は田舎の領地でのんびりするのが好きな方ですので、権謀術数の類は全てセルラ様から教えられましたの」
素晴らしい先生でしたし、実践する機会が溢れていてとても楽しいものでしたと言って、更に手酌で酒を注ぐ。水を飲むように杯を重ねるが、顔色は全く変わらない。
「そういうことであるなら、明日にでも姫の出自を明らかにした方が良いだろう。この国では非嫡子の立場はとても低い。カイウス王国より遥にね」
そう言えば姫は嬉しそうに満面の笑みを浮かべる。
「ところで、嫁ぎ先をこの国に選んだのは何故だ?」
国力や伝統からすれば、もっと大国の姫に相応しい国はいくつもあった。
「それはですね、まず隣国であり、行き来が比較的しやすいことでしょうか。次に女性に対して大らかな気風です。女でも馬で狩りを楽しむ習慣や、女官や侍女といった限定された職業以外でも活躍する場があるなど、外に出やすい気風は私に合っているのではないかと。それと最も重要なことは、たとえ政略結婚であっても、夫婦がお互いに気を使い合い、愛を育む文化があることでしょうか。マリウス陛下も両親も恋愛結婚でしたから、私にも愛ある夫婦になってほしいと願われたのです」
随分とカイウスの国王は自分を買っているらしい。
「それと私自身、陛下に嫁いでも良いかなと思いまして」
「どちらかでお会いしたかな?」
突然の言葉に、一瞬どきりとする。まったく身に覚えがなかったからだ。こんなに目立つ美女を覚えていないとは考えられない。
「ええ、一昨年、カイウス王国に来られましたでしょう? その時にちらりと。マリウス陛下と一緒に乗馬を楽しまれたときに、側近の中に紛れてましたの。とても楽しそうに馬を駆られてましたわ」
側近の中と言われて思い出した。
確か側近以外に王子も同行したのだ。一人線の細い少年が交じっていたが、十代前半の王子ならそんなものかと思ったのだ。
「あれか……」
「思い出されましたか?」
愛妾の子だと聞かされて、それっきり興味を失った少年が少女だったとは。
「わたくしお傍で陛下を拝見して一目惚れいたしました。笑顔がとても素敵で……」
そう言うとほんのり頬を染める。
「まさか姫が変装していたとは思いもよらなかった」
「弟とは幼いころから良く似ておりました。最近、身長が伸び始めるまでは割とよく間違えられていましたの」
それは姫が男らしかったということでは、と言おうとして黙った。傾城とも呼べる美しい姫を男と間違えたなど恥でしかない。
姫は悠然と微笑んだままだ。
「そんな訳で愛を育みましょう」
沈黙が続いた後、オルテンシア姫が横に移動したかと思えば、突然押し倒される。
「いきなりはないだろう」
「こういうコトは勢いも重要ではないかと思いまして」
「しかし、初めてが長椅子というのもだな……それとも姫は初めてではないのだろうか?」
努めて冷静な声を出す。
「そんなことありませんわ!」
俺の胸を叩いて抗議する。叩くといっても軽くトンと突くくらいだが。
「わたくしの細腕では、エイドリアン様を寝台まで抱いていけないだけですわ。でもこういうことは年上のリードが大切です!」
力説するが俺と姫の年齢差はほぼ無い。オルテンシアの方が半年ほど早く産まれた程度の差である。
「大丈夫です。わたくし処女ですが、国一番のお姉様から閨の手ほどきを受けておりますから」
言いながら衣服を脱がしにかかる。中々の手際の良さだ。
しかし何が大丈夫か判らない上、どうして姫が男の喜ばせ方を知ったんだとか、その手の女性の知り合いがいるのは何故だとか、色々と突っ込みどころ満載だ。
うかうかしている間に、上半身が開けられる。
されるがままというのも悪くない。だが最初くらいは夫が主導すべきだろう。特に妻が処女だと自己申告している場合は。
俺は片腕で姫の腰を抱き、もう片方の腕で姫の頭を支えると唇を合わせる。
口付けはそのまま深くなり、ゆっくりとオルテンシアを味わう。
唇を離せば、目の前には真っ赤になった姫の顔がある。処女というのは間違いないと言わんばかりの反応だった。
「流石に長椅子は風情がない」
俺は努めて優しく言うと、壊れ物を扱うときのように新妻の身体を抱き上げ寝台の上に乗せる。
「初夜は夫に身を任せるのが夫婦円満の秘訣だ」
そう言ってオルテンシアの夜着をそっと剥いだ。
翌朝、目を覚ました新妻は、夜の所業を思い出したのか真っ赤になって固まった。
「おはよう、王妃陛下。男の服を脱がすのが上手い処女というのは、中々稀有なものだったな」
あまりの可愛らしい反応に思わずからかってみれば、昨夜同様、胸を叩かれた。
「その行動は同意ということかな?」
「違います! 弟がしょっちゅう熱を出したから、私も交代で看病していただけですわっ! その中に着替えもあったというだけです!!」
真っ赤になりながら否定するオルテンシアはとても愛らしかった。
起き上がった彼女を思わず寝台に押し倒すくらいには。
「夜の続きをよろしいかな?」
耳元で囁けば、一瞬驚いたようにびくりと身体を震わした後、小さな声で「はい」と返ってきた。
節著『三年目の離縁、「白い結婚」を申し立てます! ~幼な妻のたった一度の反撃~』
https://ncode.syosetu.com/n0953fy/
もよろしくお願いいたします。