第1章 英雄譚 第2幕 魔導省
指定害獣チャチャの大群移動を受け無断で出動した7番隊。揺れる会議室。試される研修生。
魔導省とは一体なんなのか。
誓任式から1週間。軍務局館内に緊急出動要請が鳴り響く。
「総務局より出動要請!旧アイクランド領、ヴァースフットにて指定害獣チャチャの大群が移動を開始したとの報告あり!」
この連絡を今か今かと待ち構えていた男がいた。
軍務局7番隊副隊長ホウリン・サーズだ。
「きた!セルヴィア行くぞ!」
突然の呼びかけに不意を突かれたのは軍務局7番隊隊員セルヴィア・ネイビーだ。
「えっ、隊長の指示は待たなくていいんですか?」
「キャプテンの指示だ!イベルとサラがすでに現地にいる!」
「そういうことは事前に言っておいてくださいよ…」
ホウリンは決して悪い人間ではないが、とにかく報告・連絡・相談ができない。
セルヴィアはいつも彼の突然の出動命令に振り回されていた。
軍務局には大きく分けて2つの移動手段があるが一般的には技術局が開発しているトランスポートキッドを使用する。
トランスポートキッドとは正式名称を用途別貨物人員運搬システムと言い人や物を運搬する際に使用される、魔導を動力とした移動装置の数々のことである。
中でも高速移動型飛行装置「ジェット」はその莫大な魔導消費と引き換えに最高時速347km/hを誇る。
「ジェットは嫌です!」
「ダメだセルヴィア!ジェットじゃないと間に合わん!」
「じゃあホウリンさん一人でジェット使って行ってください。あたしドライバかグライダ使っていきますから」
「何を馬鹿なことを言っているのだ!」
「バカはどっちですか!ここからヴァースフットまで100km以上もあるんですよ!あたしの魔力量じゃジェットなんか乗ったら10分で死んじゃいます!」
「死なん!私が保証する!それにキャプテンはいつもジェットで移動されているだろう!」
「隊長は魔力量がおかしいんです!あの人と一緒にしないでください!」
「わがままを言うのはやめたまえ!キャプテンはいつでも我々の手本だ!倣うのが道理というものだ!」
「はぁ・・・右向けばガキ、左向けばバカ。誰よ、7番隊はエリート集団とか言いだしたの・・・。」
セルヴィアは知っていた。ホウリンはこれまでこう言った局面で自分の考えを曲げたことがない。どれほど拒絶してもセルヴィアがジェットに乗るまで延々と説得を続けるつもりだ。
これ以上の抵抗は無駄と判断したセルヴィアはついに折れた。
災害課災害対策本部の会議室では今朝の一件について議論が進められていた。
「一旦話を戻そうじゃないか。問題は、そもそもなんでチャチャの大群がヴァースフットまで来てるのかってことだ」
そう切り出したのは災害対策本部 副部長のモンテス・アラルヴァイトだ
「モンテスさん!7番隊の話はどうなるんです!?」
「ビット君、よしなさいや。とにかく今は事態の沈静が先でしょうに。」
「シュラウドさんまでそんなことをおっしゃるんですか!これは明らかに規定違反です!軍務局に直接抗議をさせていただきたい!」
「副部長、よろしいですかな。シュラウド氏も。7番隊の要請前の勝手な出動は今回で2度目。確かに旧アイクランド領を守らんとする彼の熱意がわからんわけではないが、我々の指示なしで出動されては自警団と変わりませぬ。ビット氏がおっしゃるように明確な規定違反でしょう。規定管理部としては本件をあまり軽率に扱わないで頂きたい。」
そう発言したのは総務局総務課規定管理部のバーミティウス・シルドレイクだ。
本来であれば災害対策本部の会議に出るような立場ではないのだが、今回の7番隊の無断出動を受けて規定管理部から派遣されたのだ。
7番隊も厄介なことをしてくれた
モンテスはそう思いながら目の前で居心地の悪そうな老人へと話を振った。
「あなたの意見をお聞きしたい。ジュエン博士。」
自分に振られるなどとは思っていなかったのであろうジュエン博士は少し驚いたような顔をしてからすぐに冷静に話し出した。
「ええ…では、本来であればチャチャはクラスベル平原に4〜5匹の家族単位で生息している生き物です。草食ですが一日のおよそ3分の2を食事に費やすほど異常な食事量のために農村地帯へ出現した際の被害は凄まじく指定害獣に登録されております。奴らの厄介なところは高い強度を誇る外骨格です。摂取した食事から魔力を吸収し超硬度の外骨格を生成しておりますゆえ、魔導師を含めても自然界で奴らの外骨格を砕ける生き物はそうそういないでしょう。一方でありがたいことに奴らは基本的には穏やかで周囲に食料がある限りはそこから動かない。そんなチャチャがはるばる数百キロ離れたヴァースフットまで大群で南下。明らかな異常事態です。考えられるとすれば可能性は2つございまして、まず食料が尽きたことと…」
「クラスベル平原で食料が尽きることはありえんでしょう。」
「あっ、えぇ、バーミティウスさんのおっしゃる通りです。ですので私としては2番目の可能性が高いかと。」
「それはなんです?」
「天敵が現れたのでしょう。おそらくはクラスベル平原近辺に。だからみんなで逃げ出した。そんなところではないかと。」
その場の全員がぽかんとした表情を浮かべていた。静寂を破ったのはビット・T・サーズベリーだった。
「失礼ですがそれこそありえないのでは?チャチャは外骨格に守られていて追い払おうと攻撃をしても傷一つ付けられない。加えて周囲の食料が尽きるまで動かない。それがチャチャを相手にする上で最も厄介な点なんです。追い払いたくても追い払えない。殺そうとしても殺せない。彼ら自身もそれを理解しているから外敵からの攻撃に対して怯えることも逃げることもない。だから指定害獣なんですよ。そんなチャチャが慌てて集団で逃げ出す?しかも無限の草原と言われているクラスベル平原を捨てて?ありえませんよ。」
「ビットさんのおっしゃることは分かります。ですが事実としてチャチャは移動を開始しています。」
しばらくの間の後にモンテスが口を開いた。
「ビット、7番隊の処分については後で必ず議論すると約束しよう。だが今はやはりチャチャの件が気になる。すまないが至急、技三と地研に応援要請を出してくれないか」
「分かりました。」
不服ながらもビットがこれを承諾したのは7番隊の件を議論するとモンテスが約束してくれたからだ。
「バーミティウス氏もわざわざご足労いただいたのに申し訳ない」
「お気になさらず。私はあくまで事実確認のために派遣されただけで他部署の決定に口を出す権利なぞは与えられておりませぬゆえ。」
そうは言いつつも彼もまた不満を隠せずにいた。
しかし今回のチャチャの件に対してモンテスは並々ならぬ不安を抱いていた。
こういう時の嫌な予感はよく当たるものだ
「なぁ誰かベールさんを見かけなかったか?」
魔導省は大きく分けて4局に分けられている。軍事的戦力の管理を行う軍務局、他局へ技術開発支援を行う技術局、宮廷周辺のお世話をする宮廷局、そしてその他すべての業務を担うのが総務局だ。
その実務は多岐にわたり、政治、治安維持、他3局の緩衝材、そして人材育成である。魔導省へ入省したものはまず最初の1年を研修生として総務局教習課で過ごしその後2年目から適材部署への配属が決まるのだ。
「魔導師とは、魔力を行使し一般市民の平和と秩序を守る者を指します。皆さんは入省試験の適性検査にてその高い魔力と潜在能力を認められた数少ない優秀な人材です。これから1年をかけて皆さんには自身の魔力を制御する術を習得していただきます。そして1年後、皆さんが立派な魔導師として各部署へ配属されることを願っています。」
教壇でそう語るのは講師のカルオ・キックバーンだ。
毎年、研修生へ向けての最初の授業は彼が担当することになっていた。
「では、魔導基礎概論についての講習を始めます。まず始めに、そもそも魔導と魔力の違いとは何か、分かる方はいますか。」
「魔力は法子の持つエネルギーそのもので、魔導はそれを用いた特殊な効力を持つ術のことです」
すかさず答えたのはビオラ・ストゥージズだ。
「理解レベルとしては概ねいいでしょう。少し厳密に定義的な補足をしておきます。我々魔導師の多くは体内に『腊石』と『羅法』という2つの魔力器官を持っています。腊石は大気中の法子を引き寄せる役割があり、これによって引き寄せられた法子は羅法に蓄積されます。そして羅法から排出された法子が血管を通って体内を移動し放出部位から体外へ放出されます。羅法は法子を血管へ排出する際に特定の配置に整列します。このように整列された法子には互いに引き合ったり弾き合ったりする力、すなわち『法子間引力』が働きます。この法子間引力のエネルギー総和のことを『魔力』と言います。また法子間引力の作用によってこの整列された法子郡は特定の性質を持つことがわかっており、この性質を利用した術式のことを『魔導』と言います。法子間引力によって発生する性質は法子配列ごとに異なりますが放出時の色によって分類できることがわかっています。」
よくもまあ噛まずに言えるものだとモーガンは感心した。彼は勉学というものがとにかく苦手でこの講習もすでについていけていない。
実践あるのみという考え方のもと育った彼には体内で法子がどうなっていようとも魔導は使えればなんだっていいように思えた。
そんなモーガンの思いとは裏腹にカルオの怒涛の説明は続いた。
「魔導の色、すなわち『魔色』に関する研究は数百年前から続いており今もなお解明が進められています。そのため見解の異なる参考文献や学術書も数多く存在しており、そこには宗教的価値観や地域文化も関係してきます。よって、我々魔導省では皆さんの思想に関わらず、現在最も信頼性の高い『ルーランの魔色遺伝理論』に則り講習を行います。それでは27ページを開いて下さい。」
モーガンが凶器になりうる分厚さの書物をペラペラめくり27ページを開くと『ファクター4』という見出しが目に入ってきた。
「先ほども説明したように魔導は法子間引力の作用によってその性質が変化します。魔導の性質を決定づける要因は大まかに4つあると考えられており、これを一般的に『ファクター4』と言います。具体的には、振動数、結合力、受容性、法子配列のことですね。一つづつ細かく見ていきましょう。まず1つ目の要素『振動数』とは法子が法子間引力によって1秒間に振動する回数のことで、これは魔導のエネルギーやパワーを決定づけます。混同しがちですが、魔力とは法子間引力エネルギーの総和であり魔導のエネルギーとはあまり関係がありません。法子間引力は引き合う力をプラス、弾き合う力をマイナスと定義しており、この総和がプラスであれば引き合う力が強いため魔導の強度が上がります。これが2番目の要素『結合力』です。結合力が高いと魔導の効果時間が長くなります。3番目の『受容性』は魔色の優性劣性の指標で受容性が高いほど他色と混ざった際により優位にその性質を発揮します。これは魔導の相性を決定づける重要な要素です。そして最後が『法子配列』。本来は魔導の性質を決定付けるものですが、ここでいう法子配列とは安定性を指し示しています。扱いやすさと言い換えても良いでしょう。当然、魔導師によって得意不得意はあるものの、一般的にどの色の法子配列が安定型でどの色の法子配列は不安定型かということくらいは押さえておいた方が良いでしょう。」
モーガンにはカルオが何を言っているのかさっぱりわからなかったが、どうやら周りを見渡す限りさっぱりわかっていないのは自分だけではないようで少し安堵した。
そもそもこんなものを理解せずともモーガンは十分に魔導を扱える自信があった。
そうだ、これは所詮理屈屋が自己満足で考えていることに過ぎない。理解する必要はないんだ
「31ページを開いて下さい。魔色の性質についてファクター4をもとにした解説が記述されています。一つずつ見ていきましょう・・・」
モーガンの記憶はここまでで途切れていた。