第1章 英雄譚 第1幕 ペル・ニコラ
1年前のヴェルモア討伐戦にて戦死したシドウに代わり異例の若さで軍務局局長へと就任したペル・ニコラ
誓任式のスピーチで彼は何を語るのか・・・
歴史は紡がれた。かつての英雄が描いた未来は今新たな英雄へと託されようとしていた。
「冷静に考えて恐ろしいよな」
イベルが言った。
「ん?あぁ、ペルさんか。」
サラは一瞬イベルが何のことを話しているのかわからなかったがすぐにペル・ニコラのことだと理解した。
「まぁあの人は格が違うからねぇ」
「それはそうだけど…それだけじゃねえだろ。…たぶん。わかんねえけどさ」
「え、もしかしてイベルって陰謀論者なの?勘弁してよ」
「いやそうじゃねえよ!」
実のところサラにはイベルが言わんとしていることがよく分かっていた。
イベルはまだ受け入れられないのだ。彼の死を。
1年前、魔導省軍務局館内に入った緊急指令に皆が耳を疑った。
「き!緊急指令!!!カラクレアのヴェルモア討伐戦にてシドウ軍務局長が戦死!!1番隊は壊滅的被害状況!副隊長ペル・ニコラの命により機動可能な全部隊へ応援を要請する!」
時間にしてコンマ数秒。「シドウ軍務局長が戦死」という報告を脳内で処理するため昼食のため食堂へ集まっていた軍務局全隊員が一瞬の硬直を余儀なくされた。
はじめにこの沈黙を破ったのは2番隊隊長ジル・ダッチマンだった。
「2番隊出動準備せぇ!!他ぁ出やれるときゃおらんのがぁ!」
この一声で静寂が動き出す。次に声を出したのは4番隊隊長グレゴリオ13世だった。
「4番隊行けます!アギト!非番組にも片っ端から声かけてください!」
「は、はい!」
「5番隊も行こう。」
「お前はだめじゃあ睡蓮!気持ちゃ分かるが魔導省空にするわきゃいかんのじゃい!それよか隠密使うて上から下まで報告せぇ!」
「わかりました。・・・ジルさん、」
「分かっとるがぁ…わしも信じとらん…誰も、まだ信じちゃおらんじゃろうが」
シドウという男の死は彼の実力を知る者にとっては想像さえつかぬ事態であった。
加えて、ペル・ニコラが応援要請を出すという事態もこれまた彼の実力を知る者からすればいかに異常な事態かを物語っていた。
「シドウさんは、みんなを守って死んだんだよ。だって、局長だもん。」
「納得できるかよ。俺は、あの人以外は局長とは認めねえ」
「ペルさんはイベルに認められることなんて望んで無いと思うけど?」
「うるせえ」
「そんなに、ペルさんが嫌い?」
「・・・ちげえよ。シドウさんが好きだったんだ。あの人は…」
「うん、わかるよ。でもその人が選んだ後継者がペルさんなんだよ。」
「…」
その時、サラの視界に飛び込んできた獲物が二人のここに来た目的を思い出させた。
「イベル!いた!チャチャだ!」
「お!きたか!」
ペル・ニコラは冷静だった。今日は魔導省初動議会の日だ。毎期初めに前期末までに確定していなかった人事を確定させる日だ。
特にペルにとっては幹部職を与えられる誓任式の日でもあった。史上最年少にして最速の軍務局局長就任。
本来であれば軍務局、魔導省、世間、どこからでも反対の声が上がってしかるべき状況だ。
しかし、自身へ疑心暗鬼の念を向けるものは少数の陰謀論者かシドウの狂信者くらいで、多くの関係者は肯定的な支持を示していた。
それもこれも”シドウの後継者”という肩書きのおかげであることをペルは重々理解していたが、正直そんなことはどうでもよかった。
己の師を失ったあの日から、ペルにとっては誰からの評価も大きな意味をなさなかった。
-為すべき者が、為すべきを成せ-
頭の中でまた同じ言葉が響き渡る。
「ペルさん!もう時間です!登壇のご準備を!」
総務課の裏方だろうか。彼のやけに焦った様子からペルは自分が思ったより長い時間思案に耽っていたのだと知った。
「わかった。すぐ向かおう。」
黙って壇場へと足を運ぶペルに向かいから歩いてきた一人の老人が声をかけてきた
「顔がちと怖すぎるんと違うか?小僧や」
ジル・ダッチマンだ。
「弛んだ顔で臨むわけには行かないので」
「そうかいや。まあなんじゃい、気張るなよい」
彼なりの気遣いなのだろう。普段から語気の強い彼にしては随分と柔らかな口調だったことからペルはそう感じた。
「はい、有難うございます。ジルさんには色々無理を言ってしまって申し訳ない。」
「あの程度無理でもなんでもありゃあせんわい。じゃがの、あの娘にはようけ気ぃ張っちょらないかんぞ」
「ハイルが付いてますので。」
ジルの顔に不信感が立ち込めていくのが分かった。
「では、また。」
ここでハイルについて議論をするのは面倒だと思ったペルは強引に話を終わらせ壇場へと向かった。
ペルが壇場裏の待機位置まで来るとちょうど誓任式の進行がペルの役職就任を宣言し終わるところだった。
「ー・・・に代わって、ここに魔導省軍務局1番隊隊長並びに軍務局副局長ペル・ニコラ覇王を第42代軍務局局長へ任命するものとする。」
ペルは思わずため息が漏れてしまった。
肩書きが長い。
「尚、1番隊隊長職務は同人が引き続きその任を負い、軍務局局長と兼任するものとする。」
「ペルさん!登壇を!」
総務課の裏方に急かされペルは重い足取りで登壇した。
ペルの登壇で会場は大きな拍手に包まれた。好奇と疑心が入り混じったそれが鳴り止むのを待ち、ペルは一呼吸置いて口を開いた。
「まず、これはめでたい席ではないと言っておきたい。」
渡されたスピーチの原稿は覚えて来なかった。ペルには自身の言葉で語る義務があった。少なくともペルはそう考えていた。
「私がこの大役を受けたのは、恩人の最後の頼み故だ。それ以上なんの義理もない。政治的意図も陰謀もない。」
「そう来ると思ったよ。」
そう呟いたのは総務局長ガラシャ・だった。ペルがこちらの用意した原稿を素直に読んでくれるような人間ではないことは始めからわかっていた。
「私は、シドウには及ばない。競うつもりもない。彼は紛れもなく人格者で誰もが認める指導者だった。尊敬していた。
彼の後継者が私であることに不安や疑問を抱くものもいるだろう。当然だ。だがこれだけは言っておきたい。」
ペルは知っていた。シドウを尊敬し慕っていた者たちの多くが自分を認めるはずがないことを。そしてその気持ちは十分に理解できた。
「私は、軍務局局長として相応しくあるために尽力すると誓おう。いつ何時も戦友がためこの力を惜しみなく振るうと誓おう。いかなる状況においても助けを求める声があれば、君達を信じ守り抜くと誓おう。そして然るべき者が現れた時、私は速やかにこの座を譲ると誓おう。代わりに君達は軍務局局員として相応しくあらんと尽力することを誓え。いつ何時も戦友がためその力を惜しみなく振るうと誓え。いかなる状況においても私が助けを求めたときは…私を信じて共に戦うと誓え。」
静寂の中で淡々と響くペル・ニコラの一言一句にその場の誰もが呑まれていた。
「誰がなんと言おうと今日からは、私が頭だ。文句は無いな。」
誰も何も言わなかった。言えなかった。ペル・ニコラの言葉にはそれだけの強い意志があった。
全ての言葉を言い終えたペルは黙って壇上を後にした。拍手はなかった。
ジル・ダッチマンを含む数名の人間だけが昔を懐かしむように笑っていた。