表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鳥には羽根 魚には鱗  作者: 阿古あおや
90/90

名を折るならば骨を折れ 5

 「神剣…鞘…」


 ぽそりとクロムの口から洩れた声は、これからやらなければならないことを確認しているにしては曖昧で、揺れている。

 さらに、普段のクロムからは絶対に出ないような小声であったため、すぐ近くにいたファンですら聞き逃していた。

 もっとも、考え込むと落雷でさえ耳に入らなくなる男である。

 すでにその満月色の双眸はすがめられ、脳裏に納められた莫大な知識目録から「神剣」という項目を探すことに没頭していたから、よほど大声でなければ聞き逃していただろう。


 「神剣、かあ。あ、条件とかあったり?形状や造られて何年以上とか…」

 『うむ。古いに越したことはないが、それよりも大切なのは由来ぢゃな。最適なのは、どこぞの武人の愛用の品で、武器そのものが神と祀られておるような…』

 「あ、それならご先祖様関係でどうにかなるかも!…っていうか、キサヤ神が宿っていたイフンの剣は駄目なんですか?」

 『あれは駄目ぢゃな。わちの依り代であった故、爪が嫌がる』

 「クロムも、お古とかお下がり、すっごい嫌がるもんねぃ」


 納得しきったヤクモの言葉に、再び目録をめくりはじめたファン以外は頷き、クロムはぴくりと片眉を上げた。


 「俺の主義嗜好は関係ねぇだろ」

 「だが、『紅鴉の爪』の気難しさはお前にそっくりだ!お前はわがままなだけだがな!」

 「そっくりなら俺にも気難しいって言えよ。…おい、ファン。なんか俺、神剣の鞘って聞いた覚えがあるぞ」

 「え?」


 考え込んでいるときでも、息を吸い込む一瞬を狙って声をかければ、わりと耳を通す。長年の付き合いかつ己の主のことだ。クロムの狙った間合いは完璧で、ファンは瞬きとともにこちら側に帰ってきた。


 「なんか聞いた覚えがある。神剣の鞘っての」

 「どこで?」

 「最近のこと…なんだが、なんか、はっきり思い出せん」

 「えっと、じゃあ、誰から聞いたんだ?」

 「かつての紅鴉の守護者(ナランハル・スレン)…」


 そう答えて、答えたクロムが一番驚いたようだ。目が丸くなり、思わず口を押える。


 「それなら、守護者の儀式のときかもな。俺だってご先祖様に会ってたんだし、クロムが先輩たちに会ってても不思議じゃない」

 「クソ、それ以上思い出せねえ…」

 『むう。神界の端でも赴いたのであれば、覚えておるほうがおかしい。生あるものが在れる場所ではないからの』

 「え、俺、全部覚えているけど…」 

 「っていうかファンさあ。ご先祖様をよべる?とかできるようになったんだっけ?詳しいことは後で話すって言ってたけど、聞いてないよ」

 「あー、そうだな。情報共有しておこうか」


 ざっくりと、ファンは守護者の儀を済ませたのち、何があったかを説明した。それは、普段の彼からは想像もつかない程まとめられ、すっきりとしていた。

 ガラテアにも一度語っていたので、二回目だったからできたことではあるが。

 

 「それで…」


 言い淀んだのは、最悪の未来。だが、それも一瞬。

 情報共有するのであれば、それをこそ、伝えねばならない。

 己の中の穢金の眼は処置され、開くことはない…はずである。しかし、それを信じることと、手を打っておくことは別物だ。


 「それで、どうも俺、一回…万魔の王に乗っ取られて、大都を滅ぼしたらしい。で、開祖様がマース神に猛抗議して、過去へ戻って未来を変えた結果が、今、ここにいる俺らしいんだよね」

 「む!俺も負けたのか?」

 「ユーシンがいたかはわかんないなあ。アステリアにも行ってないみたいだし、ヤクモにも会ってない可能性が高い。というか、詳細はほとんどわからない。確実なのは、俺とクロムは死んだってくらい」


 ファンの返答に、クロムの眼が見開かれ、そして閉じられた。

 眼を閉じていた時間は、ほんの数呼吸程度。しかし、そのわずかな時間で紅鴉の守護者(クロム)が何を思っていたか、長い付き合いの仲間たちには声に出されたようにわかった。

 

 守れなかった自分に対する苛立ち。

 そして、ともに死ねたことに対する安堵。


 そんなクロムに向けていた視線を、ユーシンはキサヤへと据えた。

 天色の双眸にはゆるぎなく燃える闘志が宿り、ファンの語った「一度目の結末」に納得していないことを、声もなく告げている。


 「おさる殿に問いたい!先の一戦、俺はトールから借り受けた精霊銀の槍を振るった!確かに刃は届き、傷つけることはできたが、すぐに治ってしまっていた!」

 「ああ。オルゴイ・ホルホイの触手は無数に切り捨てたが、びちびち動いていたな。数が減った気もしなかった」


 同じように精霊銀製のバスタードソードという世にも珍しい武器を振るったシドも、ユーシンの言葉に頷いた。

 確かに、もともと愛用していた鋼の刃は傷一つ付けることができず、精霊銀の刃はできた。

 しかし、それだけだ。あのまま戦って倒せるかと言えば、絶対にできなかったと首を振るしかない。


 『うむ。それはそうぢゃ。ぢゃから、武器もないのに戦うなどと言う馬鹿な真似をするなと怒ったのぢゃ。あと、おさる殿やめい。敬っておるのか、嘲っておるのかわからん!』

 「む!おさる殿は神なのであろう!ならば、敬う!」

 『ぬ~…そのきらっきらした目で見られると、納得してしまいそうぢゃが…』

 「ユーシンは本心から言ってるから…」

 『ぬぐぐ…なれば許し…て良いのか?』

 「ありがとうだ!おさる殿!精霊銀でも駄目なのか?」


 頭を抱えながら周囲を見渡すキサヤに、ファンをはじめとした数人が首を振る。

 ユーシンが一度「おさる殿」で固定してしまった呼び方を変えるより、ここはひとつ、キサヤに納得してもらったほうが早い。


 「あとで、言い聞かせておくので…」

 『おぬしの言い聞かせがどれだけ効くかわからぬが…ええい!とりあえず今は流す!良いか、まず、しっかりと焼かれ、硬く造られた水瓶を思い浮かべよ!中は水で満たされ、小魚が一匹泳いでおる』


 キサヤの指示に、とりあえず全員従ったようだった。

 唐突な指示に、少しぽかんとしつつも、視線がややキサヤから外れる。それぞれの頭の中で、様々な形の水瓶が描かれているのだろう。


 『魔の眼を埋められ、眷属となったものは、そのような有様になっておる。水瓶は月の門の性悪によって造り替えられた外殻、満たす水はその魔力、中で泳ぐ小魚がもとの人間よ。さらには、水を無限に生み出す魔の眼が潜んでおる』

 

 ドノヴァン大司祭はクバンダ・チャタカラ。

 『顔剥ぎ』はオルゴイ・ホルホイ。

 ともに魔獣と人が交じり合った、異形の姿。

  

 『水瓶そのものは、中の水がある限り直される。何せ、作っておるのは性悪の魔力であるゆえに』

 「ええ~…それずるくない?」

 『あたりまえぢゃ。相手をだれぢゃと思うておる。神々を欺き、裏切り、世界を無に帰す寸前まで追いやった性悪ぢゃぞ?』 

 「水瓶なら、槍より鈍器のほうが有効ということなのか?ならば、棍棒を用意すればよいのだな!」

 「ええっとな、ユーシン。比喩…例え話っていうやつでな?」

 『うむ。そうぢゃが、ある意味では間違っておらぬ』


 丸い爪の生えた指で、キサヤはマシロを指し示した。急に全員の注目を浴び、マシロは首を傾げつつ自分の顔を指さす。


 「私がなにか?」

 『マシロとシンクロウは、同じ人間ぢゃな』

 「ええ、まあ…」

 「おう。それがどうしたんだってんだい?」


 弟の隣で、シンクロウも首を傾げた。特に指名されていないが、サモンも一緒に首を傾げる。

 結果として、困惑する三兄弟という図ができたわけだが、それを気にもせず、キサヤはふさふさと長い尾を振りたてた。


 『つまりは、武器の材質としては同じよ。ぢゃが、マシロの拳では砕けぬ壺でも、シンクロウの拳ならば砕けることもあろう。ようは、耐えられぬほど強い攻撃をぶつけることが肝要なのぢゃ』

 「なるほどわからん!つまるところ、俺の槍ではできぬのか?」

 『おぬしの槍の一撃が、性悪のつくりだした殻を貫くほどに強ければ、通用する。ぢゃが、それを己が力不足と嘆くのは阿呆のやることよ。もとより、通用するものではない』

 「ええっと、つまり、普通の武器でも想定外に強い攻撃なら、殻を壊せるってことでいいのかな?」

 『さよう。ぢゃが、それでは殻を壊せてもすぐに修復されてしまう』

 

 『顔剥ぎ』に加えられた幾度もの攻撃。そのうちいくつかは、確かに外殻と呼ぶべき部位を破壊していた。

 ファンの放った矢でさえ、外殻を貫いたのだ。「想定外」の強さは、それほど難しいことではない。

 

 『つまり、肝心肝要なのは、水瓶を壊し、中の目玉を壊すことよ。それには二つの方法がある』

 

 むい、と突き出された二本の指。そのうちの一本を、キサヤはゆっくりと折った。


 『まずひとつ。外殻を壊し、目玉が晒された隙に攻撃を加える。目玉自体はなんもできんから、当たれば壊せる』

 「俺たちがドノヴァン大司祭にやった方法だな」

 「あの時、大変だったねぃ。ぼくのお尻、すっごい痛かったし。クロムも気を失っちゃったし、ユーシンも腕と足、折れちゃったし」 

 

 しみじみと、けれど得意げに語るヤクモの顔を、しろが凝視している。その視線がぎぎぎ、と緩慢にファンに向いた。あきらかに「何やらせたんすか…?」と問うている。


 「あ、あはは。ヤクモ、大活躍だったな」

 「クロムはぼくにすっごい感謝していいと思う!」

 「気絶してる間の事なんざしるか。まあ、よくやってたんじゃねーの?」

 

 顔をそらしたクロムを見て、ヤクモはさらに満足げに息を吐いた。

 そんな様子にファンは口許を緩ませ、そして、引きしめる。


 あれは本当に、紙一重の勝利だった。

 何か一つでも間違っていれば、できなければ、全員あの場で死んでいた。

 

 まあ、だからこそ、笑わなきゃな。

 内心に呟き、ファンは今度は意図して、口角を上げた。


 恐ろしい敵。厳しい戦い。

 けど、勝ったのは、生き残ったのは自分たちなのだ。

 それで慢心して次も楽勝だなどと言うのは間違っているが、勝利を笑い、俺たちは決して弱くない。次も勝ってみせると胸をはらねば。

 

 そのためにも、知識は絶対に必要だ。

 敵をる。己を識る。それができたものが勝者になる。

 世に数少ない、「絶対」のひとつだ。

 

 「それで、残る一つは?」

 『中の魚…すなわち、依り代を殺すことよ。その命を杭として、眼はこの世に顕現しておるのぢゃからな。しかし、それは至難極まる』

 「水瓶の中の魚か…餓死させるとか、水中の空気をなくして窒息死させるとか…。もしかしたら、肺呼吸をする魚なら…」

 「ファン。おそらく、魚は完全な喩えで、そういった考察は無用だ」


 す、とガラテアの手が伸びて、ファンの口をふさぐ。

 あからさまな脱線が未然に防がれたことに、クロムをはじめとする面々から、感嘆の溜息が零れた。

 

 「やるじゃねぇか…」 

 「さすが奥さんだねぃ」

 「寝る暇もなかった!」

 「いや、えーっと、そのだね、俺も比喩ってことは理解…いえ、なんでもないです。その、依り代を直接攻撃するって、無理なの?」

 『うむ。やるとすれば、大掛かりな儀式を用いて呪殺などになるかのう』

 「じゃあ、やっぱり外殻を破壊してってなるのか。けど、すぐに修復されてしまう…」


 カーランで発展した術式の中には、離れた場所にいる標的を攻撃するものもある。

 ホンランが用いた近しいものを同一のもとして定義し、片割れのダメージをもう片方に移す術と原理は同じものだ。


 代表的なものは、標的の身体の一部…重要な器官であればあるほど良いとされる…を人形に埋め込み、その人形を破壊する術である。

 しかし、標的の魔導防御力が高かったり、強力な結界等で護られていた場合は「同一のもの」と定義できずに失敗する。

 万魔の王の魔力を突破するのは、外殻を破壊するよりも確実に難しいだろう。


 『うむ。ぢゃから、魔力そのものを斬り、貫く武器が必要なのぢゃ』

 「『紅鴉の爪』はそれができるから、傷口が即座に塞がらない…?」

 『さよう。ぢゃから、わちの力が必要なんぢゃ!!人の鍛えた武器では、どーしてもそれができぬ!!なのに、なのに、おぬちらときたら!』

 「キサヤぷんぷん最高潮…謝って…?」

 「あーっと、ごめんなさい?けど、どうしようもなかったしなあ。あ、そうか、ヤクモの攻撃って、魔力ごといけるのか!」

 「ふえ?」


 ぐりん、と、急に視線を向けられ…しかも、明らかに観察対象を見る眼だった…、ヤクモは半身退いた。

 何かを思いついた、いや、何かと何かが結びついて、答えに近くなるとファンの動きは気持ち悪くなるねぃ、と内心に呟く。

 「そっすね」としろから返答があったので、内心ではなく口に出していたようだが、誰も何も言わないので、皆そう思っているのだろう。


 「通常の魔導だと、魔力を介して自然現象を引き起こすわけで、それじゃあ魔力そのものには攻撃できない…ヤクモの風は、風を起こしているんじゃなく、魔力そのものを風にして撃ちだしてるってことなんじゃないか!?」

 「ないかって聞かれても、ぼくにもわかんないよぅ。ぼくはふつーの風だと思ってたんだし」

 『わちを見られても、わちはその風を見たことないしのぅ。だが、そのものを覆っておった嫌なモノがなくなっておるのはわかる』

 「そのさ、しろさん。もし、差し支えなければ、ヤクモについて教えてほしいんだけど」


 ファンの双眸が、しろへと向けられた。

 

 「そっすね。そもそも、それ聞きたくて俺にも来るようにいったんしょ?」

 「まあね。でも、言いたくないならいい。こっちで仮説を立てて、検証するから」

 「あのね、しろさん。ぼくも教えてほしい。思い出したっていってもさあ。ほら、赤ちゃんをやっと卒業した程度だしねぃ。家族のことくらいだから」


 口を閉ざし、何かをこらえるような表情を浮かべるしろ。その横顔に掛けるヤクモの声は、小さく、けれど迷いや戸惑いはなかった。


 「ぼくは知りたい。なんで、シズリが殺されたのか。ぼくは生きてたのか」

 「…あんまり、愉快なもんじゃ、ねーっす」


 溜息とともに吐き出された声は、ヤクモの声とは対照的に暗く、重い。

 

 「忘れてんなら、忘れたままでいてほしかったっす。俺のことだって、忘れてても、かまいやしなかったのに…」

 「しろさんが、シロツミヒコ、ならさ。兄弟みたいに育ったじゃない。忘れてたくないよぅ。でも、しろさんって呼んでていい?」

 「お好きに呼んでくだせぇ。俺は、ヤクモ様がご無事で…そんでもって、お元気でいらっしゃるだけで…」


 ぐい、と目許に押し付けられた拳はかすかに濡れていた。だが、それを指摘しない分別は、幸いなことにこの部屋のいる全員が、持ち合わせていた。


 「わかりました。お話するっす」


 目許から拳が離れ、あらわになったしろの顔は、相変わらず険しい。

 その剣呑さは、これから語られるであろう内容によるものに間違いはなく、当事者のヤクモだけでなく、ファンやユーシンの姿勢も正された。


 「まず、ヤクモ様を襲い、かどわかしたのは、先の大君様の弟、クマワカっす」

 「ぼくからしたら、叔父さんだねぃ」

 「うっす。クマワカは、シラミネの王位を狙ってヤクモ様を攫い、探しに出た先の大君様、ムラクモ様を…害しやがったんす」

 「悪い人だ!!」

 「極悪人っす。しかも、クマワカはそれを隣国ナハトの仕業だって言い張って、それが通っちまったんでさ」


 しろの拳が握りしめられる。

 

 「俺ら、王家にお仕えする『かけり』の一族も、半分以上、クマワカに寝返ってました。それでも、うちの父ちゃん母ちゃんと、あと三人くらいが、ずっと調べて…んで、ヤクモ様がナハトで生きておられる事がわかって…」

 「え、おとーさん、人望ない?」

 「そんなことはねぇっす!ご立派な方だって、父ちゃんも母ちゃんも言ってるっす!ただ、ムラクモ様は外の国とも交流を持つべきって考えで、それを嫌った連中が多かったんす」


 しろの話を聞きながら、ファンは想像以上にシラミネの人口が少ないであろうことに衝撃を受けた。

 半分以上寝返っていて、そうでない人がしろの両親とあと三人なら、元の人数は十人ちょっとというところだ。

 一族、というからには、技能や武力で選ばれるのではなく、そういった家系があり、技術が伝えられていっているのだろう。

 その家系が、わずか十人あまり。何かあれば、即全滅する人数である。


 「しろさん、シラミネの総人口って何人くらいなんだ?」

 「二百いるかいねぇかっす。アスランなら、村かちょとでかい遊牧民の集団ってとこっすね」

 「それは…」

 「そんなちいせぇ集団の中で、権力争いっすよ。俺は、ムラクモ様のお考えがよくわかるっす。外を少しでもしりゃ、シラミネの小ささがよくわかる。このままじゃ、滅びるだけってのも」


 二百人程度の村は、当然アスランにも、他国にもたくさんある。むしろ、村の規模としては大きいほうだろう。

 しかし、他と交流をいっさい持たず、村ひとつで孤立しているのであれば、その行く末は決して安穏なものではない。

 戦乱、流行り病、災害…そんなもので、百人程度はあっさり死ぬ。

 残った人々で耐えられるか。それは、生存者の世代や男女比にも大きく左右される。そして大抵の場合において、戦乱や災害の後には疫病が憑りつき、流行り病の後には戦乱が起こる。


 「けど、それを認めねぇ連中…そいつらを、クマワカは巧い事たぶらかし、ムラクモ様を害して実権を握ったんす。シラミネ王にゃ、なれなかったっすけどね」

 「そなの?悪いやつだし、人望がないから?」

 「シラミネ王になるにゃ、シラミネ様に認められなきゃいけねぇんす。で、何度お伺いを立てても、シラミネ様はクマワカの即位を認めなかった。そんで、ヤクモ様の御母上様が大君の代理としてたつようにって、神託がくだったんす」

 「それで納得したのか」

 「シラミネ様のご神託は絶対っす。けど、早いうちに男の王を立てなきゃいけないってんで、次の大君はクマワカの息子、カガセオ様に決まってるっす」


 ファンはしろの説明に、おや、と目を瞬かせた。

 ヤクモの叔父であるクマワカについては呼び捨てだ。不倶戴天の怨敵なのだから当然だろう。だが、その息子、カガセオという人物には「様」を付けている。

 その動作でか、しろはファンの疑問に気付いたようだ。少しばかりばつの悪そうな顔で、説明をつづける。


 「カガセオ様は、すっげぇ良い御方っす。ちょうどヤクモ様が戻られたときは、外を見てくるってシラミネを出てたんすけど、もし、いらっしゃったら、絶対にヤクモ様を追い出すような真似は許さなかったっす」

 「そか~。じゃあその人がいれば、シラミネは大丈夫だね。二百人しかいない問題は残るけどねぃ」

 「その悪人叔父さんと、ミギワ…だっけ?ヤクモを呪った夫婦の間に生まれたとは思えないような人なんだな」

 「ちょっとまってくだせぇ!なんで、ミギワの事しってるんすか!俺、まだ話してないっす!」


 食いつくような勢いに、ファンは「あ」と間の抜けた声を返した。


 「あー…そっか。まだ言ってなかったな。ヤクモがさ、昨日倒れたじゃん?魔力の暴走で」

 「ああ、あれは肝が冷えた」


 シドが呟き、ユーシンも深く頷く。

 

 「そんで、国母さ…、ンん、大ばあちゃん様に来てもらって、その原因になる呪いを解呪したんだ。その時、手伝ってくれたのが、ヤクモのお父さんだよ」

 「え…、ファン。おとーさん、観察したりしなかった?確か、角あったとおもんだけど」

 「シテナイヨー」

 「やったな…」

 「しつれい!!失礼だよもう!」

 

 ぷう、と膨らんだ頬は、しかし、すぐにふにゃりと緩む。


 「そっかあ。おとーさん、守ってくれたんだ」

 「ずっと、ヤクモのことを見守ってたみたいだったよ。それで、言ってたんだ。ヤクモを苦しめているのは、弟の妻、ミギワの呪いだって」

 「ムラクモ様…そっすか。ずっと、ヤクモ様を…。ミギワは、シラミネで一番やべぇ呪い師っす。ヤクモ様の御力を封じれるのは、あの女だけだって思ってたんすけど」

 「ええっと、失礼ついでの質問で申し訳ないんだけど、どうしてヤクモは生きたままナハトに?外貨獲得のため?」

 「違うっす。ある意味…『呪い』っす」

 「のろい?」


 今まで以上に嫌そうな顔で、しろは頷いた。

 

 「ヤクモ様は、シラミネ様の御姿に近い。そういう御子は、今までも幾人かいらっしゃったそうっす。けど、最初の御子の時、すぐにシラミネ様にお返しするってんで、生まれてすぐに口を塞がれて…」

 「うえ…」

 「ですが、それからすぐに暴風雨が襲ってきて、殺めた連中はずたずたになって死んじまったそうで。もちろん、シラミネも大変なことになりました。こりゃ、シラミネ様がお怒りだってなって、それからはシラミネ様の御姿に近い御子が生まれたら、大切に育てることになりました。

 御子様はシラミネ様と同じように風を操り、シラミネの危機をお救いくださったって伝えられてるっす」

 

 それはおそらく、シラミネ人なら誰しも知っている禁忌なのだろう。

 まさか、王族とその妻が知らないはずはない。

 だから、クマワカ夫婦はヤクモを手に掛けることを避けたのだ。己らの身に、神の怒りが降りかからないように。

 

 そして、その子を、ヤクモをナハトに売り渡したのであれば。

 いや、それこそ、シラミネ人であるクマワカらがナハトの金など受け取っても、使い道がない。

 『外』を忌み嫌うのであれば、なおさらだ。

 だが、確実に己らに降りかかる神の怒りを回避しようとするのであれば。


 カーランの呪法の一種で、金品に己がかけられた呪いを移し、それを往来に置いて誰かに拾わせる、というものがある。

 拾った相手は金品を受け取ったことで「呪いを買った」ことになり、呪いの譲渡が成立する。

 

 それと似たような術を、ミギワは行ったのかもしれない。

 売られた先でヤクモが死ねば、殺したのはナハトの人間ということになり、神の怒りはナハトを襲う。

 シラミネを我が手に納めようと画策する男にとっては、一兵も損なわず敵に痛手を与えることができる。

 誤算は、ヤクモがナハトで大切に育てられたことだっただろう。


 「あー、それでぼくをナハトに、かあ」

 「…アステリアの人買いに連絡が取れるんだし、外を忌み嫌ってるってのも見せかけって可能性があるか。まあ、なんにせよ、ヤクモは元気いっぱいだし、シラミネ様は怒らなくてすんだな」

 「そうだねぃ。悪いやつだけ痛い目みるならざまー!だけど、他の人まで困ったら、いやだもんね」

 「どうせならば、その貶めた男、己の手で討ち取りたいものだしな!ヤクモ、乗り込むならば付き合うぞ!」 

 「やんないよう。おかーさんや、おねーちゃん、ツクモに悪さするなら許さないけど」


 だが、その可能性は低いとみていいだろう。息子は次のシラミネ王に決定している。悪さをする意味もない。


 「まあ、ナハトに攻め込まれないよう、姫様を輿入れさせるなんて言い出したりもしましたが」

 「ええ!?おにーちゃんのどっち!?」

 「末の馬鹿っす。ご安心下せえ。カガセオ様が大反対してなくなったっす。…つか、姫様はもう、そういう意味じゃ超安全っすから」

 「だだだだ、だいじょぶ!?ほんとに!?あのバカとおねーちゃんが結婚とか、ぼくは大反対だよ!?」

 「絶対大丈夫っす。ご安心くだせえ」


 その割にしろの表情が苦いのは気になるが、そこまで断言するのなら、問題はないのだろう。


 「まあ、いっか。とにかく、ヤクモの風はシラミネ様の風と同じものってのは、間違いないみたいだな。つまり、魔導で発生させる空気の移動としての風とは、別である可能性が高い!」


 オキナが纏う水が、青の湖(フフノール)の水とは違うように。

 まったく見分けはつかなくても、まるで違うものだとしたら。


 「リディアたちが放った『力の矢』や、ジオルの『魔弾』が通用しなかったのは、あれらは空気を圧縮して熱や衝撃に変える魔導だから…って可能性が高い。それなら、『顔剥ぎ』に…そして、眷属に通る魔導はめちゃくちゃ限られてくるな…」

 

 すごい勢いで取り出した手帳に書き込む姿は、ある意味慣れたもので、あまり経験のないシドとしろだけが引いている。 

 ガラテアは「叔父をみているようだ」と何か嬉しそうだが。


 「で、ファンの思い付きはともかく、そうなのか?魔力そのものなら通るって」

 『う、うむ。ぢゃが、何でもよいわけではない。異界に由来する魔力でなければならぬ』

 「異界…あ、そっか!ほら、オキナさんと会った時、シラミネ様も同じものって言ってたじゃない!で、ファンの仮説だと、『迷宮』のそばにああいうヒトたちがいるんでしょ?『迷宮』って、違う世界と混ざった場所じゃん!」

 「そう考えりゃ、つじつまが合うな。だが、その根っこの部分、ファンが勝手に言ってることだぞ?」 

 「あー…」


 クロムの言葉に、ヤクモは語尾を下げた。それはかなり、信憑性が疑われる。

 

 「だが、実際にヤクモの風は通じた!ならば珍しく、ファンの言ったことがあっているのやもしれん!それで十分ではないか!で、おさる殿!おさる殿は、その異界の力を武器に宿せるのか?」

 『いや、それはできぬ。ぢゃが、他にも性悪の魔力に通じるものがある。それは、あの性悪めと同格の天神の力よ』

 「そうなると、雷帝リューティン、炎公レイファ、地母神ニーメ、大海の主ダロス、夜明けの女神アスターの五柱か」


 さすがに司祭らしく、すらすらとガラテアが神々の名を上げていく。

 うむうむと頷くキサヤの顔には、話の流れが変えられず、むしろ先へと進められていくことへの安堵が満ちていた。

 

 『うむ。わちは直接神々に願い、その御力を武器に宿すことができる。鞘とともに、急いで造りあげねば』

 「え、それってとんでもなくない?」


 どうやら思考の沼から出てきたらしいファンを、キサヤは心なし嫌そうに見た。少なくとも、警戒はしている。


 『おぬちは、その、ちょっと黙って聞いておれ…?』

 「ファン、ある意味神託だから、いい子で聞いてような?」


 にっこりと口の端を持ち上げつつ、眼は笑っていないマシロに言われ、ファンはか細く「はい…」と答えて手帳と鉛筆を構えた。言いたいことを書くことにしたようだ。


 『おぬちは、爪があるからいらんぢゃろ。鞘だけでよいな。して、他のものども、眷属と戦うことを覚悟したものは、わちに武器を預けよ。シンクロウ、マシロ、サモン。おぬちらには無理をさせるが…』

 「え…無理やだ…むっく」

 「オウ、任せときな!」


 嫌そうな顔をするサモンの頭を押し込んで、シンクロウが応える。


 「私も、できることは全力を尽くす。命の恩は、命で返さないとね。ましてそれが大アスランを守ることに繋がるなら」


 兄と同じくサモンの口を押えながら、マシロも頷く。

 

 『うむ。頼んだぞえ。では、おぬちら、宿す武器は鞘とともに持ってまいれ。それまで、わちは力を蓄え、やり方を、そのぅ、思い出しておく!』

 「ほんっとーに、大丈夫か?差し出した神剣ぶっ壊したとか、最高に不安なんだけど…」

 『ま、まかせておけぃ!しかし、一日くらいは時間が欲しぃ…』

 

 何とも言えない沈黙が下りた。その沈黙には「不安」という重みが多分に加わっていたが、かといって、他に任せられる神もいない。

 

 「えっと、いざとなれば灯の刻印で、またどうにかなるかもだし…」 

 「お前はそれで疲れ果てるなよ。冬至の儀式もあるんだからな」

 「まあ、それは…ん?クロム、どうした?」


 不意に黙り込んで額に手を当てたクロムに、ファンの声が低くなる。


 「額、割れてねえ…」

 「え?」

 「『剣』の御業使ったのに、割れてねえ。なあ、ちょっと試してもいいか?」

 「いいけど、『剣』は危ないからやめとけな?」

 「わかってる。『砦』よ!」


 クロムの声に応じ、部屋が輝く半球体に包まれた。

 同時に、いつものように騎士神の刻印が額に浮き出る。

 

 「あ、本当だ。クロム、刻印から血が出てない!」

 「どゆこと?なんかいきなり、信心深くなったってこと?」

 「まさか!日が西から登ろうと、それはなかろう!」

 「ある意味、すごい信頼だな…」


 シドの感心したような呆れたような声とともに、光が消えていく。騎士神の刻印も同様だったが、やはり出血はなかった。


 『なんぢゃおぬち、騎士神に帰依しとらんかったのかや?刻印を授かっておるくせに』

 「あんなのに帰依するくらいなら頭まるめてラヤ教の寺にはいる」

 『ま、まあ、気持ちはわからんでもないが…』

 「あ、神様の間でもやっぱりそういう?」

 『まあ、の…』


 すい、と逸らされる視線が、騎士神リークスが神々の間でどんな存在になっているかを語っていた。深く納得できたのは、ファンとクロムだけだったが。


 『ふむ。おぬちら、なんか混ざっとるな。なんでかはわからんが』

 「守護者の儀式…の効果だろうなあ。やっぱり」


 騎士神がかつて言っていたことを思い出し、ファンが呟く。

 

 「そういや、マルトさんもさ、転移陣で魔力酔いしてたのに、守護者になってからしなくなったな…」

 「じゃあ、俺も魔力が上がったってことか?」

 「魔力上がっても、信仰心が強くならないかぎり、御業の負担はかかりそうなんだけどなあ。ちょっと、あとで兄貴とマルトさんに聞いてみよう。なんで魔力酔い治ったのか」


 経験者が近くにいるなら、聞いたほうが確実だ。それはそれとして、仮説は色々立てるけれども。

 そう考えて頷いたファンの視界に、そろりと持ち上がった手が移った。


 「もーしわけねーんすけど」

 「うん?」

 「あのヒト、今夜はお出かけっすわ」

 「兄貴が?珍しい…」


 雑誌に載っていた甘味処に行きたい欲が、抑えきれなくなったのだろうか。

 極度の人見知りではあるが、話すのが注文程度で済むのなら、十日くらい悩んだ末に動ける人ではある。


 「まー…そっすね」


 思いきり眉間に皺をよせ、威嚇する猫のような形相で、しろは続けた。


 「間違いなく、思いもよらないトコにいってるっすわ」


***


 頬を撫でる夜気は冷たく、吐く息は白い。

 しかし、大都なら肌に感じるのは冷たさではなく痛みであり、吐く息は瞬時に凍り付いて顔にまとわりつく。


 同じ冬でも、こうも違うのか。

 散っていく白い呼気を見ながら、幾度でもそう思う。

 

 景色も同じ冬とは思えない。

 樹々は葉を残し、いまだ鬱蒼としていた。

 もともと大都の周辺にこのような巨木の森は存在しない。あるのは、冬にはすっかり葉を落とし、幹と枝だけで冬を耐えるイントルの木だけだ。 

 そのため、トールにとって冬の木とは、このように空も見えない程に茂るものではない。

 

 冬は乾いた晴天か、積もることなく強風に散らされる雪の大都と違い、この地は真冬でも雨が降るのだと聞いた。そして水は山肌にしみこみ、樹々を潤す。

 だからこんなにも、夜気ですら柔らかく感じられるのだろう。

 

 辿る道は細く、樹々の根やいまだ青さを残す下草の侵略を受けている。辛うじて道として成り立っているのは、人が日に数度は行き来している証拠だ。

 つい、石板を敷き詰め舗装すればよいのにと思ってしまうが、それはこの地を守護する偉大な存在に対する不敬となるらしい。

 なるほど、人が歩きやすくするということは、その地に対する征服である。

 人が抵抗する側であるくらいが、許される範囲なのだろう。


 月の細い夜だ。闇は濃く、夜目の利くトールでさえ、ともすれば木の根に足を取られそうになる。

 人目につかないよう、魔導角灯(ランタン)は帯に吊るしているだけで、作動させていない。

 それでも心細く思わないのは、もう何度も通った道であり、この先で灯が迎えてくれるのを知っているからだ。


 その灯の色を思い起こすだけで、口許が綻ぶ。

 今、この瞬間も白い呼気を漏らす唇は緩み…そして、しっかりと結ばれた。


 トールの双眸がとらえたのは、あきらかに人工的な光。

 動物の眼が光っている色ではない。

 目的地まではまだ距離がある。こんなに早くから灯が見えるはずもない。そう思考が閃くと同時に、トールの姿は影のように樹木の後ろに隠れた。

 

 瞼を下し、呼気が漏れないよう首巻を鼻まで引き上げる。人の眼は獣のように光はしないが、白目は闇夜では目立つものだ。

 それに、眼を閉じていたほうが電位が見やすい。明かりのそばに人がいるかどうか、この距離からでも容易に判定できる。


 「…」


 首巻の下で、トールの唇は違う形に切り替わった。

 苦笑とか、呆れた笑いとかと形容される形へと。


 樹木の後ろから出て、再び歩みを始める。

 灯の近く、見えた電位…一人の人間が、もぞりと動いた。


 「おお!やっと来たな!イロオトコ!…でいいのだよな?タタルことばは」

 「いったい何から学んだのだ」

 「オマエさまから借り受けた、物語だ」


 呵々と明るい笑い声は、はりのある若い男のもの。

 あんなに分かりやすい電位を見間違うわけもないが、思った通りの人物であったことに、トールはひそかに安堵のため息をもらす。


 「もう読んだのか。ずいぶんタタル語になれたな」

 「半分の半分程度は、読んでもらった。タタルことばの習熟には、あやつに負けっぱなしだ。兄として情けないがな」


 再び闊達な笑い声をあげる男の後ろには、粗末ながらもしっかりとした造りの小屋がある。トールの眼がとらえた灯は、その小屋の出入り口から漏れ出るものだった。

 いくら大都に比べて寒くはないと言っても、何もせずに夜気の中突っ立っているには厳しい。

 確か、あの小屋は目的地である聖殿を使用する際、御付きのものが寝泊まりする用途のものだ。それを勝手に拝借したのだろう。


 しかし、それを咎めるものはいないと思われる。そもそも、こんな冬の夜更けに誰かが使っているなど、思いもよらない。

 よほどのもの好きが山を見上げれば、微かな明りが見えるかもしれないが、聞いた話によれば、この地…シラミネでは日が暮れれば、屋外に出ることはまずないらしい。

 家の中にいてさえ、油がもったいないと後八刻を過ぎれば寝るのが「普通」なのだと。

 今は後六刻を少し回ったところか。まだ寝てはいないだろうが、外に出ることもあるまい。


 大都なら、仕事を終え、食事だ酒だと街へと繰り出す頃合いだ。これもまた、弟の言うところの「文化の差」であろう。

 前方に友の顔、胸中に弟の顔が浮かび、トールの口許は緩みっぱなしである。


 「どのみち、お前のもとも訪ねようかと思っていたのだから、部屋で待っておればよいのに」

 「夕餉が物足りんでなあ。さてどうやって朝まで凌ぐかと考えておったが、おお、今日は前回の訪いから五日後の夜ではないか、と。なれば、飯と酒が向こうからやってくるわい。そうあいなったわけだ」

 「お前…俺の顔が、鍋と酒瓶に見えているのか?」

 

 回答は、先ほどよりも大きな笑い声。

 

 「まったく。もちろん、お前のぶんもあるから安心しろ」

 「そうこなくては!さあ、中へ入れ」

 「長居はしないぞ」

 「オレとて、長く引き留めるつもりはない。あいつに恨まれたくはないからな」


 出入り口には布すらなく、階段を一段上がるたびに、小屋の中が見えてくる。

 全部で六段。床を高くするのは、この地を潤す湿気から家財や食料を守るため、であるらしい。

 弟が書き記した…百回は読み返した…イフン地方の家々も、同じ理由で同じ形をしている。

 シラミネとイフンに交流は一切ないだろうから、同じ目的があれば結果はやはり似るのだと、すこし感心した。弟にそれを伝えれば、きっと目を輝かせて自説と例を教えてくれるだろう。

 それは大変に楽しみであるが、今はまだ、何故シラミネに詳しいかを言う覚悟がない。


 小屋の中は、床に草を編んで作られた円型の敷物と、トールが抱えられる程度の大きさの火鉢がひとつ、そしてちらちらと揺れる行灯があるだけだった。

 使うべき時は決まっているのだから、普段はおそらく空っぽなのだろう。最低限の暖を取るための道具は、上機嫌で腰を下ろす、この男が密かに運び込んだものであるに違いない。


 「尻は冷たくないのか?」

 「あいにく、オレの腕は二本しかなく、茣蓙を背負い、火鉢を抱え、行灯を腰に吊るしたらそれ以上のものは持てなかった」

 「まあ、道理だ。それなら、まずこれを」


 小屋の中は、外よりは暖かい。

 しかし、床は冷たそうであったし、草の敷物は本来夏に使うものだ。

 トールの指先が蒼い軌跡を描き、召喚陣が宙に現れる。そこから落下したのは、羊の毛皮が二頭分。軍で野営の際に用いる敷布だ。倉庫の中に眠っている備品であり、使う機会は当分ない。それなら、友人の尻を温めるのに使用したっていいだろう。

 棚卸までに書類を書いて、つじつまを合わせて…と考えながら、今度は転移陣を発動させる。

 

 両手を突っ込んで取り出したのは、先ほどまでストーブの上に載せていた鍋だ。

 分厚い手袋をしたままだから、持ち運ぶのに問題はない。

 火鉢の上に下し、蓋を取れば、胃袋に堪える匂いが湯気とともに立ち昇った。


 「おお!」

 「芋と卵の煮物だ。干し肉でだしを取っている」


 シラミネ人は肉を主食にしていないから、「この時期の脂の乗った羊を食うと腹を壊す」と、しろに聞いた。というか、しろが壊した。

 だから、羊の塩煮よりはこちらだろうと、ゆで卵をせっせと作って殻をむき、芋と同数じっくりと煮て作ってある。


 二十五歳という年齢を感じさせない胃袋を持つ友人には、大ぶりな芋五個とゆで卵五個では足りないかもしれない。

 だが、それはもうひとつ取り出した皿に乗った、芋に負けない大きさの握り飯で我慢してもらおう。


 「なんとも旨そうな匂い!握り飯もみっつもあるのか!」

 「ああ。あと、これだ」


 最後に取り出したのは、細い硝子瓶や杯が入った箱。

 

 「これはもう少し、明るいところで見てほしい」


 腰に吊るしていた魔導角灯を取り、作動させる。それほど広い範囲を照らすことはできないが、火鉢の周りならば十分だ。

 その白い光を受け、瓶の中身が青く揺れる。


 「瓶が青い…わけではないのか。口は白いものな」

 「ああ。これは青い酒だ。青い花を咲いた直後に摘み取って、酒に漬けておくのだ」


 瓶の蓋を開け、朝の大気のように透明な玻璃の杯へと注ぐ。

 杯の数はふたつ。料理の相伴に与る気はないが、酒は一人で飲むものではない。


 「おお、香りもよい。春のにおいだ」

 「アスランでは、これを新年に飲む。春が早く訪れるようにと。少し早いが、さすがにこの後、年が明けてしばらくは来れぬからな」


 だから今日、飲もうと用意しておいた。

 それに、微かな甘みと酸味を感じるこの酒は、少し塩味の強い煮物に合う。


 「そうか。なら、遠慮なくいただこう。早く春が来てほしいものなあ?」

 

 にやにやと笑いながら、杯を高く掲げる。

 この男が、年より若く見えるのは、やたらとよく動く表情と、主にそれを造っている太い眉と丸い目だろう。

 

 「良い年を!トール」

 「ああ。星龍が良き年を回すように。セオ」


 互いの名を呼び、酒を飲む。

 花を漬け込んだ蒸留酒を、果汁で割って作るこの酒は、子供でも一杯程度なら問題ない。まして、酒豪と呼ばれる類の二人では、頬を赤くすることすらなかった。


 「時にトール。まだしばし、話をしても良いか?」

 「ああ。かまわない」


 酒を干し、芋を箸で掴んで噛みつき、そこへすかさず握り飯を押し込んで食いちぎる。

 その間、つねに「幸せ」という表情を、3つほど顔に乗せられるのは、一種の特技だとすら思えた。


 「オマエ、戦ったか?」

 「わかるか?」

 「気が、乱れている。いつもは生き物と思えない程整っているのにな」

 「…そうか」

 「強敵か?」


 セオの問いに、トールは躊躇わず頷いた。

 全力を出さねばならぬと判断した敵は、強敵と呼ぶほかない。


 「ああ。万魔の王の眷属だ。それもおそらく、弱いほうのな」


 戦い方を知らず、殺意もない。

 あれはきっと、「弱い」。

 戦闘に慣れ、戦い方を熟知した『素体』がああなれば、どんな攻撃が効くか試す余裕はあるまい。

 最初から全力を出し切って、それが通じなければ…


 「そうか。だが、オマエさまは生きている。ならば、オマエさまのほうが強いな」

 「俺一人で勝ったわけではない」 

 「なら、オマエさま達が強い。それだけだ」


 にやりと片頬を持ち上げて見せる。

 その横に米粒がくっついていなければ、もっと良かっただろうに。


 「聞きたかったことはそれだけだ。さあ、行ってやれ。きっと、オレ以上に待ちわびているぞ」

 「ああ。腹も空いているだろう。それと、その箱の中に新しい本と、セオに知らせたかったことをしたためた手紙がある。目を通しておいてくれ」

 「あいわかった」


 頷く動作は、やはり年より若く見える。

 いや、きっとその表情や動作に、彼の従姉弟の顔を見つけてしまうからだろう。

 ヤクモと顔の造りは全く違うのに。


 「では、また来年に。そのときは、新年の馳走をもってきてやろう」

 「おお!それは楽しみだ!頼むぞ!」

 

 頬を食べ物で膨らませながら喜ぶ友人に手を振り、トールは小屋を後にした。

 一度暖められた肌は、先ほどまで「大都よりずっとまし」と感じていたくせに、冷たい冷たいと危機を訴えている。

 だが、それを振り切って足を動かせば、目指す場所へと至る門が見えてきた。


 門、と言っても、人の手で建てられたものではない。

 二本の大木が枝を伸ばし、絡み合ったものだ。

 こうした木を連理の枝と言い、夫婦和合を現し、つまり、子孫繁栄に繋がり…

 いつだったか、弟に聞いた話を思い出し、トールは口許を押えた。


 うん。まあ、それはもちろん、そうなるわけだが。


 誰もいないのに気恥ずかしく、つい、足が速くなる。

 トールが足を速く動かすというのは、一般的には全力疾走と同じ程度の速さになるということで、樹々の連なりはぐんぐんと置き去りにされていった。


 目指す場所。

 先ほどの小屋と違い、丁寧にしっかりと建てられた家屋。

 高床になっており、その高さもあの小屋の倍はある。

 そこへと至る長い階段。その先に。


 「トール様!」


 五日ぶりに見るその顔に、トールは手を挙げた。

 自分の口許がへにゃへにゃと緩んでいることが、彼女に見えなくてよかったと、そう思いながら。


***


 ああ、かわいそう。

 かわいそうな、クニン。私の娘。


 「おかあさん痛いよみんな私をいじめるの」


 かわいそうに。壺がうまく使えなかったの?


 「ううんうまくできたよでもね酷いの一太子も二太子も私は優しいのに結婚しないっていうの」


 それで泣いているのね。かわいそうな子。


 「みんな私が優しいのに酷いことをするの」


 そう。それはつらいわ。でもね、クニン。大丈夫。今まで通りにすれば、きっとみんな、あなたを褒めてくれるわ。優しい子だって。

 ほら、思い出して。どんな時、あなたはみんなから褒められた?


 「ええと…」


 最初は、私の小鳥。たくさん泣いたあなたを、みんな、なんて優しい子だって褒めてくれたわね?


 「ああ!」


 それから、私に毒を飲ませたとき。看病するあなたを、みんななんて優しい子だって褒めてくれたわね?


 「うん!」


 そして、私を殺した時。泣きながらお別れの言葉を言うあなたを、みんななんて可哀そうな子だと、優しくしてくれたわね?


 「そうだね!お母さん!」


 だから、次は、一太子も二太子も殺せばいいの。

 酷いことを言う夫が死んだのに、泣いて悲しむあなたを、きっとみんな、なんて優しい子、可哀そうな子だって言うわ。


 「わかったわお母さん!」


 クニンは優しいだけじゃなくて、賢い子ね。

 さあ、少しお眠りなさい。傷を癒さないと。


 「うん。おやすみなさい。おかあさん」


 粘りつく闇の中、穢金の眼だけが。

 ただ、歪んだ笑みを浮かべていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
いろいろ新情報がありましたが、おさる殿可愛い! が、感想です。 続きも楽しみにしています。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ