表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鳥には羽根 魚には鱗  作者: 阿古あおや
9/86

蛇のまだらは皮に、人のまだらは心に(人は見かけによらぬもの)3

 風は冷たく、顔にぶち当たる勢いは強い。

 それでも、口許に笑みが浮かぶほど、気持ちがいい。


 眼下に広がる光景は、なだらかに脈打つ荒地になりつつあった。枯れ始めた草の色と、まだこれからと葉を広げる緑が混ざる中に輝くのは、小さな池や沼。

 駆け抜けていくのは、野生の鹿の群れ。のんびりと草を食む大きな影は、野牛の家族。

 蒼穹はどこまでも澄んで広がり、遥か彼方で大地と融けあう。

 

 この光景を見るたびに思う。

 世界は、美しい。

 空から見なくても、まあ、わりとその感想は沸いてくるんだけれどさ。

 その時その時、胸に浮かんだ思いは、偽らざるものだ。

 

 「わあ…」

 耳に、ヤクモの溜息のような声が届いた。

 「すごいよ…なんて言っていいかわかんないけど、すごいよ…!」

 「怖くないか?ヤクモ」

 「ぜんっぜん!」

 言い切る声は強く、虚勢じゃないってことを示している。ヤクモは竜騎士の適性があるんだな。

 

 竜騎士は完全に志願制で、竜騎士志望者はいきなりこうやって空へと連れていかれ、そこで最初の適性を調べられる。


 クロムみたいに、酔う体質は残念ながら脱落。

 そしていくら憧れていても、実際に空に上がると恐怖で動けなくなる人もいる。

 そこまでの恐怖でなくても、怯えてしまえばそこで脱落だ。飛竜は乗り手の恐怖を察し、高く飛べなくなる。それじゃあ竜騎士としては使い物にならない。


 初めての飛行で恐怖より興奮を、命の危機よりも空にある歓喜を感じるような、ある意味ちょっとアレな人材だけが竜騎士になれるのだ。


 「飛竜って、普段はどうしてるのぅ?」

 「普段ってのは、野生化の状態のこと?それとも、どうやって飼うかって話か?」

 「えっと、両方!でも、あんま長い蘊蓄いらないからね!」

 ぷ、と吹き出したのは、ヤクモを載せているエリオだろう。西方語がわかるのはアイツしかいないし。

 ただ、その反応で周りも察したらしい。にやにやと笑う気配が伝わってくる。

 んもう、わかったよ!手短にな!


 「野生の飛竜は、アスラン北部『尽きぬ山(ヘルムジ)』の中腹に棲息している。大きな繁殖場コロニーが五ヶ所あるけれど、そこに生まれたら絶対にそこから離れないってことはない。結構、他の繁殖場に引っ越したりする」


 『尽きぬ山』以外に飛竜の棲息地はないから、一ヵ所に留まって血が濃くなるのを防ぐためなんだろう。

 その性質のせいか、これだけ大きな生き物にもかかわらず、飛竜に縄張り意識はあまりない。飛竜同士喧嘩をするのは、獲物を奪い合う時と番いをめぐって争う時だけだ。

 

 「鳥の仲間じゃ珍しくないけれど、飛竜は一度番うと一生涯伴侶を変えない。どちらかが先に死んだ場合、新しい番を探すこともしない。伴侶の死体の横から動かず、餓死する飛竜もいるくらいだ」

 「へええ~。クロムは飛竜を見習えばいいよ!」

 「…落ちろクソ…」

 ヤクモのここぞとばかりの攻撃を、クロムの弱い声が迎え撃つ。まあ、勝敗は明らかだな。

 夜の店行くのも、お金があれば三日に一度、とかじゃなく、もうちょい頻度を落とせばここまで言われないと思う。

 あと、ヤクモをなんだかんだと騙して金持ってかなきゃな…。パーティ資金からお小遣い配る時に、クロムの取り分から差っ引いているけど。


 「番いになった飛竜は、基本は三年に一度ほどの頻度で、二つの卵を産む」

 「鶏みたいにぽんぽん生まないんだねぃ」 

 「生まれた飛竜の雛が飛べるようになって、自分で狩りが出来るようになるまでそれくらいは最低かかるからな。成獣…繁殖可能になるのは、五歳くらいからだ。

 巣立ちしたばかりの飛竜は、数年は両親の側で一緒に暮らし、子育ての手伝いもする。成獣になると親元を離れ、自分の番を探しに飛び立つ。

 寿命は野生の飛竜なら三十年から五十年。飼われている飛竜ならもうちょい長い。一番長生きした飛竜は七十年以上生きたって記録がある」


 野生の飛竜の死因で一番多いのは、『尽きぬ山』の強風を操り切れず、岩肌に叩きつけられて翼を折ることだ。まだ若い飛竜や、逆に年を取って筋肉が衰えた飛竜がこれで命を落とす。

 飼われている飛竜は、主と共に軍を退役し、その後は悠々と余生を過ごすんでその心配がない。六十歳くらいで歯が完全に抜け落ち、食事を満足に取れなくなって衰弱死、というのが飼育下における死因の第一原因だ。

 だから、飛竜の生物としての寿命は六十年くらいなんだろう。


 「なんか、すでに話が長くなってるねぃ…」

 「え?そうか?まだ半分も話してないけど…」

 「まあ、面白かったからいいよう。続けて?」

 「そ、そうか!」

 

 おお、説明を面白いって言われたの久しぶりだ!最近、ヤクモも俺に塩いからな…。


 「飛竜の繁殖場の近くにはそれぞれ村があって、そこは竜飼いの村って呼ばれる。そこの人たちが竜騎士の元祖だな」

 「元祖?」

 「飛竜の乗り方や指示の出し方を編み出した人たちだから。鞍はアスランで使っているような木に革を貼り付けたのじゃなく、蔦を編んで作った籠みたいなのでな。一応帯で固定はするけれど、強風に煽られたら落ちるような鞍だ。それで飛竜を自在に乗りこなすんだから、すごいよ」


 腰から下を籠の中に入れて、足を下に空いた穴から出す、と言う形状なんだけれど、熟練の竜騎士でも「あれで乗るのは怖い」と苦笑するような代物だ。

 その鞍で『尽きぬ山』の強風の中を飛び回り、場合によっては急降下や回転もやってのけるんだから、凄まじい。


 と言うか、飛竜の首に縄を巻いて、その縄を持っただけで鞍もなく乗る人もいる。

 必要と環境が育む技術は、時にとんでもないことになる、と言うことの好例だろう。

 俺たちの馬術も他所から見るとそうみたいだしな。

 

 「飛竜はさっきも言ったように、二つ卵を産む。けれど、成熟して体力のある雌は、しばらく間を置いて三つ目を産むこともあるんだ」

 「三つ子も平気!ってなったら産むってこと?」

 「いや…そうじゃない。最後の卵が孵るころ、兄弟たちはある程度大きくなっている。飛竜は生まれて数日は、親が飲み込んで半分消化した肉を食べるんだけれど、三つ目の卵が孵るころには、生肉をそのまま食べられるようになっている」

 ヤクモが息をのむのが分かった。この話の先を、予想したんだろう。

 「三つ目の卵から孵った飛竜の雛は、生まれてすぐに兄姉に食われる。その為の餌として産むんだ」

 「…知りたくなかった…その蘊蓄…」

 しょぼん、とした声が呟かれる。まだ、話は終わってないんだけど、これで終わりと宣言するような感じだ。ちょっと待て、早まるな?


 「なに、悲しい話だけではありませんよ」

 明るい声が割り込む。見えないけれど、擦れた音からしてヤクモが振り向いたんだろう。


 「我らの飛竜は、どこから来ると思います?」

 「え?その、お山のとこじゃないの?」

 「左様です。けれど、飛竜の雛を攫ってくるというのは、大変に危険なことです。親の目を盗んでも、見つかればどこまでも追ってくる。飛竜は頭がいいですから、人間がどこに住んでいるか知っていますからね」

 「ただ、親がそれほど執着しない卵がある。三つ目の卵だ」


 なにしろ、餌として産んでいるので我が子である、と言う意識が低い。何らかの事情で、卵が孵るより先に雛が死んだ場合はともかく、そうでなければ餌を横取りされた程度にしか激怒しない。

 もちろん、親竜のいない隙に巣に行くわけだけれど。堂々と目の前をうろつく盗人を許してくれたりはしないしな。


 「竜飼いは、捌きたての山羊肉を籠に入れて飛竜の巣に登り、三つ目の卵の代わりに肉を置いてくるんだよ」

 そのために、三つ目の卵を産みそうな雌に目をつけておいて、毎日巣の様子を確認するのも竜飼いの仕事だ。

 「竜騎士になる資格を得たものは、その村に滞在して卵が届くのを待ちます。届けられれば、自分の身で温めて卵を孵し、雛を育てるのですよ」


 毎年五つの村全部合わせても、届く卵の数は十個程度。

 それでも、新米竜騎士の数よりは多い。竜騎士になるのは、本当に狭き門なんだ。

 

 「俺も自分の飛竜が欲しいぞ!」

 「…叫ぶな馬鹿…しね、今すぐ落ちろ…」

 「ユーシン、飛竜の卵を孵すには、三日程度は座った体勢でじっとしてなきゃダメなんだぞ?できるか?」

 クロムの弱々しい罵倒をかき消すべく、少し大きな声で被せる。うちの部隊の連中だから何を言わないけれど、他国の王子に向けていい言葉じゃない。

 まあ、クロムがユーシンに敬意にあふれた言葉づかいで接したら、ユーシンはクロムがおかしくなったかと心配するか、最大限に警戒して間合いを取りそうだけれど。

 「無理だな!」

 少しは努力しようと思わんのか。

 「ファンもそうやってあっためたのぅ?」

 「そうだよ。その間に本をたくさん読めたから、別に辛くはなかったけど」


 特に『西海博物誌』は非常に面白かった。西方諸国でも最も西端、海神の首飾りと呼ばれる美しい湾と、そこに栄える五つの都市国家。高名な二つの『迷宮』。

 特に、湾の東側に棲息する蟹は右側のハサミが大きく、西側は左側のハサミが大きいってのが興味深い。いつか訪れて、自分の目で見たいと思ったものだ。

 寒風吹きすさぶ山の村で、陽光煌めき一年中温暖な海辺の国のことを思うのも、愉しい経験だった。


 …気が付いたら、兄貴が俺の口に食べ物を泣きながら突っ込んでた。

 なんでも、半日以上ページをめくる指と視線以外動かず、飲まず食わずで読書してたらしい。

 うん。読書に熱中すると寝食を忘れるのは俺の悪い癖だな。 


 「ナランハル。もう間もなく、クローヴィン地方です」

 「わかった。神殿の位置は掴んでいるか?」

 「方向は誤っていないかと」

 

 クローヴィン地方に大きな街や建物はないみたいだし、上空から見ていれば、まるっきり見当違いの方向へ飛んでいない限り、そうは見落とさないだろう。

 そう思って下を見れば、大地に刻まれた白い跡。

 街道だ。あれを辿っていけば、クローヴィン神殿にはたどり着けるだろう。

 

 「ええ?もう着いちゃうの!?」

 「クローヴィン地方に入っただけだな。ただ、街道が下に見えるからもう少し高度を上げよう」

 「御意!」

 

 手綱を軽く二回引き、マナンに上昇したいと伝える。

 返答は、大きな羽ばたき。

 ふわりと高度が増し、クロムの背中が震える。それほどの急上昇じゃなかったんで、何とか耐えられたみたいだ。

 同じように他五騎も風に乗って上昇する。ユーシンとヤクモから歓声が上がった。

 

 本当は雲の中に入りたいところだけれど、今日はかなり高いところまで上がらないと雲がない。そこまで上昇するほどの装備がないから、この辺が限界だな。

 

 線のようになった街道は、北東へと伸びている。おそらく、王都から国境の街へと向かう東街道(正確には南東へ伸びているんだけど)の途中の町から枝分かれし、クローヴィン神殿に伸びる街道だろう。

 この一件が終わったら、ここを辿って合流地点へ向かうわけだな。


 当然ながら空には何の障害もなく、飛竜たちはまっすぐに飛んでいく。

 

 そして、それを最初に捉えたのは、たぶん、俺だ。


 鷹の目は、俺が望もうと望むまいと、発動する。

 あれ?と思えば、僅かな痛みと共に視界が開け、見ようとしたものを映し出す。

 

 注意を引いたのは、光った何か。

 それが何だろうかと思った瞬間、すぐ前のクロムがぼやけ、遥か彼方の光景がくっきりと見える。

 

 光ったもの…それは、甲冑だった。

 

 全身鎧フルプレートアーマーの、兜か肩当か…とにかく、何かが秋の陽射しを跳ね返した光だ。

 その甲冑を纏い馬に乗る騎士の周りに、金属の部分鎧を身に着けた連中が数人。さらにその先に、統一感のない装備に身を固めた集団が…たくさん。


 「クローヴィン神殿を確認した。囲まれてる」

 「…おい!鷹の目を使うな!」

 「もう切ったから、大丈夫だ。クロム」

 

 切るというか、視線を逸らしただけだけれど。

 対象物から目を逸らせば、視界は元に戻る。ただ遠くを見るだけならそれほど負担にもならない。

 

 「援軍来るよーってどうやって知らせるの?」

 「伝令筒を使うよ」

 「でんれーづつ?」

 「金属でできた小さな筒で、中に手紙を入れられるようになってる。昨日、ジョーンズ司祭に矢文用に書いてもらったろ?」


 なるべく降下して、神殿の外壁の中にそれを落とす。まあ、不審な品物として開けてくれない場合はどうしようだけれど。

 一応、女神アスターのシンボル、真円が染め抜かれた手巾も結んだから、勇気を出してくれると信じたい。

 

 筒は、俺の外套に縫い付けられているポーチに収納してある。

 …ごめん、クロム。誰も乗せてないやつに、投下を頼めばよかったな。ちょっと、急降下急上昇するから…うん、ごめん。

 

 そんなことを考えている間にも、ぐんぐんと神殿との距離は縮まり、鷹の目を使わなくても状況が見える位置に達していた。

 地上から上を見上げれば、やけにでかい鳥が飛んでいるなと思う程度の高さだ。

 

 「ナランハル!門をご覧あれ!」

 「!」

 

 クローヴィン神殿は、やや歪な円形の外壁の中に、どっしりとした石造りの建物が三棟そびえる造りだった。

 外壁は聞いていた通り城壁と言い換えても違和感がない。三階建てに見える建物よりも高いそれは、攻城兵器がなくては攻略は難しいだろう。梯子を掛けようにも、通常のものでは高さが足りない。雲梯車が必要なほどだ。

 

 なら、どうやって攻めるか。

 乗り込めないなら、門を破るか、開けさせるか。それしかない。


 そして、神殿を囲む軍が選んだのは、後者のようだった。


 門の前に、十人ほどが進み出ている。そこからやや距離を開けて、武器を構える兵が半月形に隊列を組み、さらにその後ろに甲冑を纏った騎士、という陣容。

 

 隊列を組む兵も、門前に進み出ている兵も、装備に統一感がない。傭兵ギルドに登録していない、つまり破落戸ごろつきと言い換えられる傭兵はたくさんいる。そういった連中をかき集め、適当な装備を着せた、と言う印象だ。

 傭兵ギルドに所属しているような傭兵なら、ただ密集するだけ、なんていう隊列は組まないだろう。もし、上から弓矢で斉射されれば大打撃だ。高所を取られているなら、分散するのが正しい。

 神殿に十分な量の弓矢がないと高を括っているのだとしても、あれほど密集していては動きが取れない。素人の寄せ集めで間違いないな。


 そんな連中をまとめる指揮官が、まともな策を思いつくはずもない。

 いや、この場合、最も効果的ではある。

 それを用いれば、もう決してどんな言い逃れもできないという方法ではあるけれど。


 門の前に進み出た連中の、更に前。

 武器を突きつけ、連中は何かを囲んでいる。


 「!」

 ぎり、と奥歯が鳴る。

 予測はしていたことだ。可能性として、なくはない。いや、やるだろうとすら、思ってはいた。


 けれど。

 見えてしまえば、平常心ではいられない。


 兵に囲まれ、武器を突きつけられ、よろけながら立つ、人々。


 門を開けろ。開けなければ殺す。

 そう、脅すために引き出された生存者。


 八人の…女性と、子供だ。

 女性は、まともな服すら着ていない。その意味は…すぐに脳裏に浮かんだ。 

 人質たちがまともに抵抗をしないのは、そうするだけの気力も体力も奪われているから、だろう。

 皆、うなだれ、泣きながら立っている。無傷に見える人は一人もいない。子供ですら、頬は腫れ上がり、腕を不自然にぶらつかせ、足を引きずっている。


 改めて見れば、軍の後ろに半壊した村が見えた。

 あれが、きっと、王都に急を報せた神官さんの、故郷の村。

 そこで何が行われたのか。

 あの賊共に、改めて問う必要はないだろう。


 「ファン!」


 クロムに強く名を呼ばれ、ついでに胸に頭突きを食らって、視界が変わった。

 「鷹の目を使うなと、何度言えばわかる!」

 また鷹の目を使ったとはいえ、他の竜騎士にも状況が見える程度の距離だ。負担はない。けど、言っても怒るだろうし、それになにより。


 「あー。ごめん。使っちゃってたか。あと、もうひとつごめん、クロム」

 「あ?」

 「降下する!目標、クローヴィン神殿!」

  

 手綱を波打たせると、マナンは俺の意図を正しく理解した。

 翼を窄め、頭を下げて一気に高度を落とす。


 数呼吸のうちに建物が大きく見えだし、外壁が迫る。

 神殿の壁に飾られた女神の彫刻の顔さえ、鷹の目を使わなくてもはっきりと見えた。

 

 外壁の上から門前の非道を見ていた人々が、顔を上げる。

 濃い緑の長衣に身を包んだ老人が、きっとこの神殿の司祭だろう。

 そしてその横で、此方を見上げる、水色の双眸。


 エルディーンさん!良かった。無事だ!


 だいぶんやつれてはいるけれど、双眸は強い生気と驚きを宿し、俺を見ている。

 大丈夫だ、彼女は未だ戦っている。戦うだけの気力がある。


 マナンの手綱を強く引くと、マナンは翼を広げて降下を止め、わずかに上昇して停止飛行に移る。

 

 「門を開けて!引き込むんだ!援護する!」

 ありったけの声で叫ぶ。頼む、聞こえてくれ!聞いてくれ!


 竜騎士の最大の弱点は、一度鞍上に固定されたら、簡単に飛竜から降りられないことだ。

 固定するための帯を停める金具は、ロックを外せば簡単な操作で外れるようになってはいるけれど、そうやって降りてしまえば、今度は乗れなくなる。


 今回は、敵軍を追い散らしつつ人質を救出しなければならない。

 飛竜を着地させることはできるけれど、それだけだ。人質たちを安全地帯に逃がすためには、どうしても門を開けて神殿からその為の兵を出してもらうしかない。 

 

 こちらを味方と判じてくれるか。

 エルディーンさんが俺だと解れば、味方と証言してくれるだろうけれど、その時は…俺のアスランでの立場が、バレるときだな。

 一介の冒険者が飛竜に乗って飛竜兵を率いているなんて、さすがに無理がある。

 まして飛竜たちの胸元には、軍の所属を示す徽章の入った絹布が飾られているんだし。

 ここで「いやあ、アスランじゃ普通ですよ」と誤魔化せても、どうせ後でバレる。同じ軍旗を掲げる部隊がやってくるんだから。


 けど。

 今後の俺の立場より、今目の前で踏みにじられようとしている命の方が、遥かに大切だ。

 

 視線を外壁の上から、地上の外道共に移す。

 

 飛竜を見るのも初めてなのだろう。ぽかんと口を開け、此方を見ている者。すでに浮足立ち、逃げ出す者。何とか武器を構える者。間合いを取ろうとして後ろにぶつかり、もつれ合って倒れこむ者。


 機先は、制した!

 

 「網を投下せよ!」

 「御意!」

 

 同じく急降下してきた二騎が、密集する前列向けて鉄鎖網を投げる。

 高度がやや足りないから開き切らないとは言え、動きを停めてさらに密集した相手なら十分だ。


 投げ放たれた黒鉄の網は、地上を容赦なく襲う。


 重たい音と悲鳴が響き、網は前列の半分ほどを無力化した。低空からの投下なんでこれだけで死ぬ奴はほとんどいないだろう。けれど、動きを止めるだけで問題ない。


 「ユーシン殿下!失礼仕る!」

 「いいぞ!突撃せよ!」


 ユーシンの楽しげな声と共に、隊長ボオルの乗る飛竜が、全速で敵軍の頭上すれすれを駆け抜けていった。

 飛竜は体の下に風の精霊を纏っている。その突撃は、とてつもない強風に晒されたようなもの。甲冑を纏った連中がなぎ倒され、起きれずに藻掻く。


 そして、何よりも恐慌をきたしたのは、全身鎧の騎士…おそらく指揮官の乗る、馬だった。

 馬はもともと、視界外の音や衝撃を嫌う。

 頭上と言う馬の広い視野でも捉えきれない場所を、何かとてつもなく大きいものが飛び回っているという事態は、馬の本能を最優先させた。

 

 つまり、逃げるという本能を。


 騎手が達人であり、馬と深く信頼関係で結ばれていれば、その恐慌はほんのわずかな時間で終わり、逃げることなくその場にとどまっただろう。

 だが、この指揮官はそうではなかったようだ。


 いきなり全力で加速した馬に、指揮官は鞍上からふるい落とされ、地面で跳ねて転がった。

 藻掻いてはいるが、起き上がれない。従者たちも慌てふためき、助けようとして転ぶ。

 だが、指揮官は自分の幸運を喜ぶべきだろう。鐙から足がすぐに外れ、駆け去る馬に引きずられることはなかったんだから。


 これで完全に敵軍は指揮系統も失い、ただ右往左往するだけの集団だ。

 あとは…!


 「ナランハル、開門します!」

 「…よし!」

 

 鉄鎖網を投げて再び上昇に転じた竜騎士が、空中で旋回して方向を変えながら報告してくれる。

 視線を門へ向ければ、重たく大きな門は、全開とはいかないが、ゆっくりと外に向けて開きつつあった。


 その、僅かに人が一人通れる程度の隙間から、飛び出す影。


 サーコートの裾を翻し、駆けていくのは…レイブラッド卿!

 エルディーンさんの忠実な騎士は、抜身の剣を構えたまま、まっしぐらに駆けていく。


 レイブラッド卿は瞬く間に狼狽える兵のもとに到着し、幼い子供に槍を突きつけていた兵を切って捨てた。

 その隣の兵は、悲鳴を上げるように口を開き、槍を投げ捨てて逃げる。だが、そのもつれた足が「走る」と表現できる速さになる前に、踏み込むと同時の一撃が叩き込まれた。

 あの人、やっぱり強かったんだなあ。彼女が自慢するだけはある。

 

 目を見張るような剣技をみせたレイブラッド卿に続き、棒を手にした若い男たちが、次から次へと門から飛び出してくる。

 兵を棒でどつき、人質を抱き寄せて保護していく彼らを、剣を振りながらレイブラッド卿が統率しているようだ。

 

 何人か、それを阻止しようと剣や槍を振りかざし、混乱の中から抜けてこようとする兵が見えた。


 「投擲!援護せよ!」

 「御意!」

 

 ヤクモを乗せた竜騎士が答え、それと同時に投槍が地上へと刃を向ける。

 一斉に投擲されたそれは、四本。

 過たずにそれは駆け寄ろうとした兵の背中から胴を貫き、地面に縫い付けた。

 その無残な死に、敵軍の動きが完全に止まる。


 今が、好機だ。

 マナンに指示を出し、ある地点を目指して着地させる。


 丁度、従者にやっと助け起こされた指揮官の真ん前。

 着地の際に起こる風圧に、指揮官は従者もろとも再び地に転がった。

 

 「聞け。賊」


 首を下げ、上半身を水平にしていても、指揮官らから見えるのはマナンの顔だけだろう。けれど、その胸を飾る徽章が、野生の魔獣の襲撃ではないことを教えるはずだ。

 

 「我が軍は、これよりお前らの討滅を行う」

 

 指揮官が、口を何度もパクパクと動かすが、何の声も出ない。何を言おうとしているのか。じりじりと下がっているところを見ると、命乞いか。


 「お前が総大将か?ならばその首をまずは…」

 「ちがいますっ!」

 開けた口の大きさの割には小さな声で、指揮官は答えた。従者たちも餅でもつけるんじゃないかって勢いで頷く。

 「ギ、ギメル様は、今、北へ…北の村へ、向かっていますっ!」

 

 北の村…クリエンに救援を求めに来た村かな。

 それなら…ちょうどいい。


 「なるほど。貴重な情報をよこした褒美を与えよう」

 

 なるべく、えっと、祖父ちゃんみたいに。

 甚振るのを愉しんでいるみたいな、そんな声音と口調だ。頑張れ、俺。

 

 「合流を許す。死にたくなければ、本隊に混ざって我が軍の追撃を振り切れ」

 

 一番まずいのは、ここで連中がばらばらに逃げ散ることだ。

 そうなれば、逃亡兵があちこちで賊になる。逃げ帰っても罪に問われるくらいは自覚しているだろうし。

 逃散すれば討伐も捕縛も非常に厄介になるし長期化する。他にも被害が出るかもしれない。

 だから、本体に合流してそこを叩くのが一番いい。

 

 今、指揮官も兵も、恐怖と混乱のただなかにいる。

 遠くへ逃げたい、死にたくない、けれど空を飛んで追撃する敵からどこへ逃げる?


 数の多い本隊に合流するというのは、その答えとして最適と思うだろう。いや、思ってほしい。

 しばらく離れてから、よく考えたら相手はたったの五騎だと、本隊と合流すれば勝てると思い込んでくれ。


 上空から見た感じ、ここに居るのはせいぜい五十人程度だ。さっきの攻撃で三割以上は死傷しただろうから、戦闘継続可能なのは三十人前後ってところか?

 本隊がどれくらいの規模なのか、結局わからないが…俺たちも北へ向かう時に、それも偵察できるはずだ。


 「返答は?今、二度と口が開けぬようにしても良いが」

 指揮官は口を開けるだけで応えない。脅かしすぎたかなあ。

 「ナランハル。御身に奴めの声が届いていらっしゃらないのでは?」

 

 あ。


 なるべく余裕綽綽見えるように兜を外すと、怒涛の勢いで指揮官が喚いている声が聞こえた。


 「あ、あ、あ…ありがとうござます!!合流しますっ!!」


 いろいろと言っていたけれど、つまり言いたいことはこれだな。

 悲鳴のような御礼に、なるべく冷酷な感じに笑ってみて、あっちからこっちの顔は見えないことを思い出した。あー…恥ずかし。クロムもこっち見てなくてよかった。


 「では、疾く負け犬どもを纏めて去れ。ナランハル・アスランの御前から」

 

 俺の横に、ヤクモを乗せた飛竜が舞い降りる。西方諸国うまれこきょうを出奔してアスランへやってきた、竜騎士エリオの愛竜リリーゼはマナンの一個上、お姉ちゃん気質の女の子だ。

 マナンが勢いで毛繕いしてボサボサになっているのを、そっと直してくれたりする優しい子で、体格はマナンより少し大きい。

 よく手入れされた白い歯を見せながら、リリーゼは口を開いた。


 「ちょっと、脅かしますよ」

 エリオの小声が兜の中に響く。相手にはもちろん、聞こえないだろう。

 「う、うん!」

 ヤクモの返答に、エリオが笑った気配が伝わった瞬間。

 

 リリーゼの口から、咆哮が放たれた。

 それは風の衝撃を伴い、指揮官と従者に叩きつけられる!


 「ぎゃああああああ!!!!!」

 叫べたのは、指揮官と従者二人のうち、誰だったんだろう。

 文字通り吹っ飛び、地面に叩きつけられ、それでも何とか起き上がって、三人はよたよたと不格好に逃げていった。

 全身鎧で走るのは中々大変だ。まさに火事場の馬鹿力ってやつだな。


 飛竜はドラゴンの様に火や氷の吐息ブレスを吐くことはできないけれど、咆哮に風の精霊の力を乗せて、衝撃波を放つことはできる。

 野生の飛竜は、この咆哮を使って岩肌を伝って逃げる山羊を落として空中でとらえたり、飛竜同士喧嘩をしたりする。どちらがより大きな咆哮を放てるかって喧嘩で、五頭以上で始めると大変にうるさいらしい。


 「…あ」

 「どうしたクロム?」

 全然しゃべらないから、だいぶんヤバい状態になってたかと思ったが、なんとか持ちこたえたらしい。


 「さっきの雑魚に、袋ぶつけてやりゃ良かった。ちょっと追いかけようぜ」

 クロムの言う袋とは、離陸からクロムが口に当てて、出すもんを出していた袋…だよなあ。

 「うーんと、なんかそれ、嫌じゃね?自分の出したもんを人が触るっていうか、見るのって…」

 「そういや、そうだな。やっぱり穴掘って埋めるか」

 「そうしとけ」


 防衛戦じゃ、糞尿を城壁から敵にかぶせたりもするけれど、あれはその他大勢のと一緒だからできることだよなあ。なんか、こう、恥ずかしいじゃん?しげしげ見られたりはしないとしてもさ。


 「ナランハル。村へ行こうとするのを追い返しておきました。一塊にして北へ追いやっておきましたぜ」

 外して手に持った兜から声がする。ボタンは外したけれど、魔力は流しておいたんで、伝声は途切れていない。

 「ありがとう。いい判断だ。俺、そこまで思いつかなかったよ」

 「勿体ないお言葉。礼は恩賞でよいですよ。大都に戻ったら、一晩くらいは美味い酒と飯にありつけるほどの。美女を横に置けるくらいならなお良いですな」

 隊長の言葉に、竜騎士たちが笑う。俺も俺もと大合唱だ。

 「もちろん。皆の働きには報いるさ」

 俺の声に、歓声が沸いた。ほんと、うちの部隊はノリがいい。


 もともと、竜騎士にはこういうくだけた人が多いけど、うちは特にこうだ。

 まあ、やっちゃいけない人の前ではおとなしいから、ちゃんと状況を見れるってことで良しとしよう。

 これを叱るなら、クロムにはもっと厳しくしないとだしなあ…。


 そう思っていると、クロムが身を捩って俺を見た。

 目の下には隈が浮き、明らかに衰弱している。顔色も白い。


 「…俺の存在を無視して、急上昇急降下しやがったことに関しては…?」

 「あー…そのう…ごめん」

 「大都に着いたら、飯おごれよ…酒もな」

 あんなに吐いたのに、食べ物のこと考えられるのすごいな?!

 「その辺の食堂じゃなくて、高いとこな…で、肉な」

 「た、高いところかあ…」

 ほんと、この状況で肉食いたがるって…これが十代の若さと言うものか。


 「今、大都では牛の一頭買いをする店が流行っているんですよ」

 感心していると、竜騎士たちが話に乗ってきた。

 「牛を?」

 「ええ。客が注文した部位の塊肉を席に持って行って、その場で切るんだとか」

 「しかも、それを焼くんですって!」


 アスランの伝統的な料理法だと、肉は基本焼かない。煮るか蒸すか、油で揚げる。

 焼くのはかなり火を強くしなければいけないから、燃料がたくさんいる。おまけに脂も出るから勿体ない。

 ただ、大都などの都市部では、焼く料理もいろいろある。燃料が乾いた牛糞じゃなくて木炭や固形燃料だし、手早く作れるからな。けど、大抵は串焼きなんかの屋台料理だ。ちゃんとした店で食べるってのはあまりない。


 「でっかい鉄板だか石版だがをじゃんじゃか熱して、これまた客に見えるように焼くそうですよ。

 んで、その脂の出た鉄板で炒めた米や麺が、最高に美味いそうです」

 あ、それは美味そう。


 「俺も食いたいぞ!ファン!」

 「それ…絶対美味しいやつじゃん!」

 ユーシンとヤクモも興味津々だ。

 でもさあ…絶対、お高いでしょ?それ…


 「よし…決まりだな。そこで奢れよ」

 「…絶対、生活費一日分くらいはするよなあ…」

 「大都戻ったらどんだけでも出せるだろうが!自分の立場忘れんなよ!」

 「王子だからって金が余ってるわけじゃないんだぞ!」

 特に今、働いてるわけじゃないから、領地からの収入を使うのは気が引けるし!

 「なら陛下かトールにでも小遣いねだれ。大丈夫だ。普通の人間が一生かかって稼ぐ程度の金はポンとくれる」

 「そんなにお金かかるのぅ!?」

 「確か、一人小銀貨五十枚程度でしたかね」


 「ごっ!?」


 アステリアで一日過ごすのに、宿代含めて一人小銀貨十枚だぞ!?五十枚あったら、うちのパーティ分プラス誰かくらいだぞ!?


 「酒代も含めるなら、百枚程度か」

 こともなげに言うクロムが恐ろしい。おま、そんな大金、肉食うのに使うの?ほんとうに?

 けれど、無理をさせたのは俺だし、ユーシンも行く気だし、ヤクモも「お願い」な目でこっちを見てるし…

 ごくりと唾を飲み込み、頷く。


 「…わかった…でもな、酒は、酒はほどほどにな?」

 「気の端っこにでも留めておこう」

 「真ん中にしてくれ!」


 俺の心からの叫びに、竜騎士たちから笑いが起きる。

 「いやはや、ナランハル。その問答は陛下やオドンナルガには御見せになられないように。いや、ヤクトミク将軍にもですな。どんな苦しい暮らしをされてきたのかと、問い詰められますぞ」

 「ナランハルが小さい金にビビるのは昔からですがねえ」

 「金貨十枚より下は駄目だよな」

 うちの部下、容赦ない…


 「それ以上は現実味がないし、書類だけで動くから気にならないんだよ」

 そりゃあ、領地の経営や、国政で関わる時は金貨百枚でも千枚でも動かすけれど。紅鴉親衛隊の維持費だって、無造作に今月は金貨千枚程度だったか、先月より抑えられたなあとか思うけど。

 実際に財布から出すと…いや、しまう時にドキドキするだろ?大金だぞ!?落としたらどうしようとか、思うだろ!?


 「それよりも肉だ!肉を食いたいぞ!ファン!」

 「大都着いたらな!」

 「やったー!行くのは決定だね!」

 ヤクモが歓声を上げる。お前も随分肉食に染まってきちまったなあ…。

 まあ、さっきの話だけで十分に美味そうだし、興味もそそられるか。


 それにしても…一回の飯に五十枚か…五十枚…。


 どうせなら、一番美味い店に行きたいもんだ。評判を調べておこう。誰か詳しいかなあ。みんな、行ったことはないみたいだし。

 何しろ、五十枚だもんな。よし、行ってみるかでいけないよな…。


 「お前ら、俺に一生感謝しろよ?俺が身体を張ったおかげだからな?」

 「ああ!食う前にクロムの雑魚さに乾杯してやろう!」

 「その瞬間肉切包丁が貴様のスッカスカな頭を叩き割るからな」

 「高級店でそんなことしたら本当に怒るぞ!恥ずかしいだろ」

 「その前に、殺し合いすること自体怒りなよぉ」

 ごもっともです…。


 「さて、ナランハル。これからいかがいたしますか?」

 笑い声を含んだまま、隊長が判断を問いかける。

 「状況は?」

 「鉄鎖網の下は、大半が逃げ散りました。やはり高度が足りなかったようです」

 「残っていたものは始末しておきました」


 捕虜にしても収攬しておく余裕がない。神殿の物置にでも放り込んでおいたとしても、脱出されて暴れられたら被害が出る。妥当な判断だ。

 問題は、俺が指示しなきゃいけなかったのに、できなかったことだな。そこまで考える余裕がなかった。

 やっぱり俺は軍人に向かない。部下に助けられたなあ。

 まあ、反省は全てが終わってからでもできる。今は気持ちを切り替えていこう。

 

 「ちょっと、神殿に行ってくる。援軍が来ることを伝えないと」

 伝令筒は…今から使ったら、間抜けすぎるな。普通に話そう。

 

 「クロム、飛ぶぞ」

 「もう何も出ないから大丈夫だ」

 なるべくゆっくり飛ばすから…


 ふわりとマナンは舞い上がり、そのまま外壁まで飛行する。

 外壁の上は、人が三人すれ違えるほどの広さだった。地方神殿の設備としては立派すぎる。それだけ、建設されたころのアスランは脅威だったんだろう。

 これだけの広さがあれば、キツキツだけれどマナンを降ろせるな。

 飛んだままでも話はできるけれど、始終大声で怒鳴りあわないと風の音で聞こえないし。


 外壁の上に立つのは、司祭らしい老人と、エルディーンさん。それと、数人の神官服を纏った人たち。一人、ちょっと草臥れているけれど、上質そうな服をきている女性もいる。

 皆、疲れてやつれている。無理もない。軍人でもないのに、五日以上の籠城を耐えたのだから。

 

 「えっと、お久しぶり。よく頑張ったね。お疲れ様」

 なんて言おうか少し考えて、結局口から出たのはそんな言葉だった。


 エルディーンさんは、目を見開き、それから、ぺたんとその場にへたりこんだ。

 くしゃくしゃになった顔を、大粒の涙が覆っていく。


 「え、ちょ、ちょっと、大丈夫!?」

 「ああ…うわああああああん!」

 子供のようになく彼女を、後ろにいた女性が抱き寄せた。

 「お嬢様は、本当にこの数日、気を張っておられましたので…」

 「無理もない…本当に、皆さん、良く持ちこたえてくれましたね」


 良く見れば、エルディーンさんを抱きしめる女性は震えている。体力も限界だったんだろう。

 「なあ、ファン。普通はな、飛竜が目の前に降りてきたらビビるんだよ」

 「え?」

 「でっかい明らかに肉食う生き物がいるんだぞ。ビビらんわけがない」

 あー…まあ。そりゃそうか。

 でも、これ以上下がるわけにもいかないしなあ。とりあえず、一回降りるか。


 マナンの首を叩いて降りるよ、と合図して、固定のベルトを外す。クロムに手綱を渡してから、鞍から滑り降りた。

 「ナランハル、さすがに無防備すぎますぞ」

 「何かあればお前らがどうにかしてくれると思って。頼れる守護スレン者もいるしな」

 まあ、クロムはまだ鞍に固定されてるし、されてなくてもフラフラだけれど。

 それでも投槍を掴んでいるあたり、何かあれば帯を引きちぎってでも飛び出してきそうだ。何もないと思うけど。


 「クローヴィン神殿を代表しまして、御礼を申し上げさせていただきます。アスランの騎士殿」

 司祭と思われる老人が、進み出てきて一礼した。

 両手を広げ膝を曲げる礼は、女神アスターの信徒独特のものだけれど、やっぱりお年寄りにはきつそうだ。


 「私はこの神殿の長を務めております、ベッラと申します。あなた様方の助力により、村人たちを援けることが出来ました。本当に、本当に感謝いたします」

 「あの人質たちは…やっぱり、襲われた村の人でしたか」

 「はい…」


 老人の表情は複雑だ。命は助かった。けれど、命「だけ」が助かったと言い換えることもできる状況だからな…。

 それでも、生きていればできることもある。

 マルダレス山で失踪し、ただ一人生還した冒険者の少女の顔が頭に浮かんだ。

 

 「まだ、村に生存者と残党がいるかもしれません。確認しに行くのなら、兵を貸しますが…」

 「おお、お願いできますか…!」

 「なら、俺が行こう!」

 兜の伝声を使わなくても聞こえる声で、高らかにユーシンが宣う。

 「飛竜で駆けるのは大変に気持ちがいいが、見ているだけと言うのは性に合わん!」

 「じゃあ、ユーシン、頼んだ。ボオル、その間飛竜たちを休ませよう」

 「御意。エリオとクミルは飛竜の側で待機。残りはユーシン殿下のお供だ」

 「了解!」

 飛竜たちは降下をはじめ、エリオとリリーゼの側に着地する。

 

 「ぼくも…」

 「ヤクモ殿は、駄目です。私のお嬢さんの背中に乗ったからには、ちゃんとお礼もしませんとね」

 同行を言い掛けたヤクモを、エリオがやんわりと止める。

 「飛竜甘露も飲ませて、毛を漉いてやらないと」

 「うー…うん」

 エリオがヤクモを止めた理由を、なんとなくヤクモは察している。

 

 マルダレス山で見た、非道の跡。

 あれよりももっと酷いものが、村にはある。

 

 いつか、ヤクモはそれを目の当たりにしなくてはいけないのかもしれない。

 けれど、今でなくてもいいはずだし、一生無縁でいられる可能性だってある。

 

 槍を掴み飛竜から飛び降りて、うん、と身体を伸ばすユーシンの横に、レイブラッド卿が歩み寄った。

 何かを話しかけているが、さすがに聞き取れない。ユーシンは頷いて、兜を外して足元に置いた。投げなかったことを、後で褒めるべきだろうか。

 すんすんとその兜の匂いを嗅ぐ飛竜の頭を撫でると、ユーシンはずんずんと歩き出した。その後ろを追いかけていく竜騎士たちにも、鉄板焼き肉を食わせてやるべきだな…。このあと、もっと手を掛けそうな気もするし。

 色々と軽いけれど忠実な部下たちに内心手を合わせ、司祭へと視線を戻す。


 「あと数日、粘れますか?王都より、援軍が来ます」

 「おお…!」

 

 老師際の顔が輝いた。彼だけじゃない。他の人々の疲れ切った顔に。ぱあっと喜びが広がる。土気色だった頬に赤みが差し、萎れていた草が慈雨を浴びたように生気を取り戻していく。


 「カイルは…辿り着いてくれたのですね!」

 「ええ。大神殿にて保護されています。明日明後日にも、バルト陛下自ら援軍を率いて出陣なさいます」

 「…ああっ!」

 老司祭は跪き、女神へ祈りを捧げた。バルト陛下の名前は、やっぱり効果絶大だなあ。

 老司祭の後ろにいた一人が、「報せてきます!」と叫んで階段へと向かった。この朗報が隅々までいきわたれば、あと数日の籠城戦を耐える、何よりの糧になるだろう。


 「…その、疲れ切っているところに申し訳ないのですが、敵軍の規模を教えていただきたいんです」

 だから、俺がやらなきゃいけないのは、神殿の防衛じゃない。

 「アスラン軍も、北から救援に向かっています。敵軍を挟撃し、壊滅させるためにも、情報が欲しい」


 挟撃は…本当は考えていないけれど。

 土地勘もなく、目印になるところもない平野で挟撃を成功させるには、両軍の将が綿密に連携する必要がある。

 敵を挟むつもりが三者とも全く違う場所を行軍してました、なんてことにもなりかねないし。

 でも、「アスラン軍だけでどうにでもなるからやっちゃいますね」とは流石に言えないよな。嘘も方便。

 

 「レイブラッドは…二百くらいだと…」

 

 返答は、老司祭ではなく。

 まだ泣き顔のエルディーンさんからだった。

 

 まだ泣いているけれど、しっかりと自分の足で立っている。

 彼女の精神的な疲労は、この神殿の誰よりも大きかっただろう。

 奴らの名目は、「エルディーンさんの救出」だったのだから。


 自分が出ていけば引くのではと、思わないはずはない。

 良く、それを思いとどまってくれた。ベッラ司祭たちが止めてくれたのかな。


 「二百…予想通りか」

 ウルガさんが予想した、最大数を超えてはいないけれど、最大数は揃えたわけだな。

 ただ、正規兵はほんの一割もいないだろう。となると…やっぱり警戒すべきは逃散か。ただぶつかっただけじゃ、いや、ぶつかる前に逃げられるかもしれない。


 この国は、俺たちの国ではなく、あくまで隣国だ。

 その平穏の為に、アスランの兵に血を流せと言うのは、たぶん間違っている。

 

 けれど。

 思い出す、人質たちの無残な姿。半壊した村。


 あれを、広範囲に広げるのか。

 そうさせないために、兎を狩りだすように、冒険者たちに残党狩りをさせるのか。


 昏い目をした、命だけは助かった人を増やすのか。

 そうさせない手段が、俺の手札にあると言うのに。


 否だ。

 

 塩を入れたら溶けるまで。


 一度手を出したんだ。途中で投げ出す方が黄金の血統(アルタン・ウルク)に相応しくはないだろう。

 

 腹は括った。

 敵軍は、壊滅させる。逃亡は許さない。


 親父や兄貴も、きっと同じ決断をしたはず。あの二人なら、そもそもほんの一瞬でも迷わないかもしれないけど。

 

 「ファン殿…」

 「あ、ごめん、考え事しちゃってた。情報をありがとう」

 「あなたは…」


 風が、エルディーンさんの身体を震わせる。

 けれど、彼女が震えているのは、その冷たさを増した風のせいだけじゃないだろう。

 

 「あなたは…なんで…」

 「あ、あとね、君の救出も頼まれてるんだ。大神殿から。大神殿が、年賀の使者をアスランへ送るんで、一緒にアスランに行って、その後どうするか考えようって」

 早口の説明に、彼女は開きかけた口を止めた。後ろの女性が、「まあ」と叫んで手を組み合わせる。

 「それは、まことでございますか!?」

 「え、あ、はい!」

 ぐい、と詰め寄られてこくこくと頷く。


 「ああ、良かった!あんな悪党にお嬢様が嫁がれるなど…!アスター神殿の庇護に、ご厚意に感謝いたします!」

 「えっと…あなたは…」

 「わたくし、お嬢様の乳母でタチアナと申します。レイブラッドの伯母ですわ」

 中肉中背、ごく普通のご婦人に見える乳母殿は、背をしゃんと伸ばし、今では誰よりも生気に満ち溢れている。

 その目が、びしりと俺に向けられた。

 なんだか誰何されているようで…とりあえず自己紹介した方がいいのかな?


 「あー、えっと、俺は…冒険者で…」

 「ええ、ファン様でございましょ?お嬢様からお話をたくさ…」

 「タチアナ!」


 顔を赤くしたエルディーンさんが乳母殿に飛びつき、話を中断させる。なんか、後ろでクロムが溜息を吐いた気配がした。

 クロム、こういうぐいぐい系ご婦人苦手だしなあ。いや、得意な人いるか?ウー老師ならいけるのかな?

 そのウー老師は、まだ飛竜の鞍で寝てるだろうし。

 

 「その…もし、ご無礼でなければ、どこのどなたかをお伺いしてもよろしいでしょうか?」

 遠慮がちな声は、老司祭の後ろにいた神官の一人から掛けられた。「これ!」と老司祭が制するけれど、まあ、不審っちゃ不審だ。冒険者って言っちゃったし、王都から来たこともやりとりで分かるだろうけれど、アスラン軍って言ってるしな。

 

 「ナランハル・アスラン」


 俺の名乗りに、老司祭は信じられないという顔をし、他の人々は戸惑った。

 エルディーンさんは目を丸くして、俺を見ている。

 ああ、彼女は、「ナランハル・アスラン」が何を示すか、知ったみたいだな。


 「な、なんと、なんと申し上げてよいか…っ!」

 老司祭が外壁の床に平伏する。その様子に、周りが慌てた。俺も慌てた。


 「いや、そんなん、しなくていいですっ!立ってくださいっ!」

 あわあわしていると、老司祭の周りの人が助け起こしてくれた。

 びっくりした…大司祭が結構普通に接してくれたから、神殿関係者はアスラン王国に敬意はあれど恐れはせず、なのかと思ってたよ。 


 「お前たちも、せめて膝をつきなさい!」

 助け起こされながらも、司祭は戸惑う周囲を叱りつける。いや、膝もつかなくていいから!

 「いや、いいです!ほんとにいです!いいですから!ね?」

 「し…しかし…」

 「あなたたちは俺の部下じゃない!アスランの民でもない!膝をつかれる理由がありません!」

 また後ろでクロムが溜息吐いてる気がする。

  なんとか司祭は思いとどまってくれたようで、神官さんたちも首を捻りながら立ったままでいてくれた。


 「あらあ。アスランと名乗られるということは、王族に近しい方ですの?」

 乳母殿…食いついてこないで…


 「えっと、まあ」

 「白馬ならぬ、白竜に跨った王子様ですわね!お嬢様!素敵!」

 「タチアナ!」

 彼女の指摘に、神官さんらがざわめいた。


 「ナランハルは、アスラン王国の第二王子を示す称号。

 …この御方は、アスラン王国第二王子殿下にあらせられるぞ」


 制止を振り切った司祭が、さらに追撃を行う。

 ああ、平伏しなくっていいから!いいんだから!


 「話が進まん。一同、立て。殿下の御命令である」


 ぴしりと打ち付けるようなクロムの声に、動きが止まった。おどおどしながらではあるけれど、ちゃんと立ってくれる。

 

 『こういう時は命令しろ。なんでお前まで膝付きそうになってんだ。混乱を助長してどうする』

 『面目御座いません…』


 タタル語のやり取りだから、司祭たちにはわからないはず。

 世界は広い。いきなり平伏されると慌てる王子様もいるわけだが、きっと思い描く王子様イメージ的にはさ、スマートに助け起こす感じだよな。

 そうでもないのもいるって知るのは、得難い経験だろう。したくもなかったかもしれないけど。

 とにかく、これ以上思い描く王子様のイメージを壊すこともない。うん。


 「えっと、じゃあ、そういうわけで、もう少し頑張ってください!」

 「待って…待ってください!」


 マナンの鞍へ戻ろうと踵を返しかけた俺の腕を、エルディーンさんが掴んだ。

 というか、がっしりとしがみつかれた、と言うべきか。

 

 鼻に届く、すこし甘いような、桃のような匂い。

 それは彼女の生命力の証明のようで、少し嬉しかった。 

 

 「まだ、まだお礼言ってません!…っまた、助けてくれたのに!」

 「元気で無事だった。それだけで十分だよ」

 ぶんぶんとエルディーンさんは首を振る。律儀だなあ。

 

 「まだ…っ!行かないで…っ!」


 ぎゅっと俺の腕を握る手に、力が籠る。

 不安だったんだろう。無理もない。一ヶ月前に命の危機にさらされて、それからいろんなことがありすぎた。

 この少女の許容量を超えてしまっていたのだとしても、何の不思議もない。


 「大丈夫。もう、怖いことはないよ」

 ぽんぽんと頭を撫で、ちょっと膝を折って視線を合わせる。

 「あいつらは、必ず俺たちが叩き潰す。そしたら迎えに来るから、大神殿の子たちと一緒に、アスランへ行こう」

 「タバサたちも…いるんですか?」

 「まだ出発していないと思うけどね。年越しの大都は毎日お祭りみたいなもんだ。きっと楽しいよ。今の怖い事なんて、忘れるくらいに」


 新年前後は一番寒さが厳しい時ではあるけれど、それを吹き飛ばすように人々は騒ぎ、新年を祝う。

 元旦はさすがに大バザールも閉じるけれど、翌日からは大売出しの開始だ。目玉商品に掘り出し物からがらくた、詐欺まがいの粗悪品まで山のように積み上げられ、売られていく。

 賑やかなのが…それどころか、騒音一歩手前かそのものだけれど…苦手でなければ、きっと楽しい経験になるだろう。

 

 「俺も時間を作って案内するからさ。みんなで遊びに行こう」

 「…みんなで…」

 「ああ。ただの甘藷だって、みんなで食べれば天上の味だ。なるべく甘そうなの選んであげるよ」

 『そうじゃねぇよ…』

 クロムがなんか呟いた。え?甘藷は駄目?まあ、甘藷は食べすぎるとお腹はって出ちゃうから、女の子には良くないか?でも、女の子って大抵甘藷好きだよな?

 『そうじゃねぇんだよ…まったく…』

 『なんだよ…はっきり言えよう』

 『いくら俺でも、主をあまり罵倒したくない』

 罵倒されるようなことしてるのか?え、どのへん?


 「わかりました」


 俺の腕から、するりとエルディーンさんが離れる。

 涙を振り切った顔は、なんだか少し苦笑していた。

 

 「その、カンショというのが何なのかわからないですけれど…楽しみに、しています」

 「メルハ亜大陸の南から伝わった芋の一種で…」

 『もういいからこっち来い』

 まあ、実際見て食べたほうが分かりやすいよな。

 

 一歩離れたエルディーンさんに、乳母殿がすすす、と歩み寄る。


 「お嬢様…あれは、なんともうしますか、手強いお相手ですわ」

 「タチアナ!」

 

 うーん、やっぱり包囲されて怖かったんだろうか。そんなに手強い敵じゃないって思うのは、俺の自惚れかな?


 「なあ、ファン」

 マナンの鞍に登ると、クロムが身を捩って俺を見た。

 「お前ってさ。ほんっとーに、アレだよな」

 「アレ?」

 「まあ、好意だけ受けて育ってるから、鈍感だってのはわかるが」

 幾分顔色が回復しているけれど、表情はなんだか疲れている。

 「まあ、いい。あの小娘は一種の流行り熱みたいなもんだ。無理もないが、付き合う道理もない」

 「え?エルディーンさん体調崩してそうか?」

 「みたいなもの、つったろ。もういい。さっさとマナンを飛ばせ。馬鹿を下で待つぞ」

 「え、うん」


 ヤクモも不安になってるかもしれないしな。

 マナンに指示を出し、外壁からふわりと浮き上がる。


 さっきまでいた場所を眺めると、エルディーンさんと目が合った。

 にっこりと笑って、彼女は。


 ほんの少し、頬を膨らませた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ