名を折るならば骨を折れ 3
「読みは外れたけど…助かったな」
我ながら、零れる声は苦い。
不浄屍を作り出す死霊魔導と、それを出現させる召喚術。
そのうちの召喚術の方が魔導具の使用だって仮説をたてて、使用者の意識を乱せば、不浄屍の召喚は止まるって思ったんだけど。
次々と地面から這い出るように現れる不浄屍の数は、そろそろ予想の上限に近いんじゃないだろうか。
この数を俺たちだけで対処するのは不可能だった。確実に、数に押し負けていたよな。
もちろん、そうなる前に逃げる。けれど…最悪の場合、大都の住人に被害が出ていた。
即座に軍を動かしておいてくれたウー老師には、後でよくよく御礼を言わなきゃ。
「ファンの読みは結構外れるけどさぁ。どうなるって思ってたのう?」
「ドノヴァン大司祭と同じく、『顔剝ぎ』も戦いの素人だ。ある程度の痛撃を与えれば、魔導具の使用を止められるかなってさ」
「魔導具?」
「不浄屍を作るのと、呼び出すのは別系統の魔導だ。一人の術者が両方できないだろって…」
「両方、魔導具かもしれんぞ」
少し血の気の引いた顔で、けれど、凛と背を伸ばし錫杖を構えたまま、ガラテアさんが口を開いた。
「両方?」
「私の曾祖母の妹が、稀代の死霊魔導士だった、と叔父から聞いたことがある。『黒帆の船の壺』という魔導具を封印した話と共にな」
あ、その死霊魔導士さん、兄貴の友達か。
転生失敗して記憶を失い、目が覚めたら瀕死なうえ、性別も男性になっちゃってたって人。
「その魔導具は、名の通り黒い帆を持つ船が描かれた壺だ。その壺の口に死体を触れさせると、吸い込まれる。吸い込まれた死体は、壺の中で不浄屍になり、壺に入っている水を撒いた地面から、外に出せるのだそうだ」
「大きさを変えるのと、不浄屍にするのと、召喚をひとつの魔導具でやってのけるってこと…?」
「聞く限りはそうだな。千年以上前、カナン帝国にいた魔導士が不死者となり、戯れに作り上げたのだと。それを、何処からか入手した馬鹿が使い、海賊行為をしたのだと」
不浄屍に船を襲わせ、殺した船員も壺に吸い込ませれば、次の戦力になる。水を撒けば召喚できるなら、あらかじめ狙う船に仕込むなりなんなりしておけば、襲撃側は船を用意する必要もない。
「それを、曾祖母の妹が止め、海中深くに『黒帆の船の壺』を沈めたのだそうだ。『顔剥ぎ』がそれを入手した可能性もあるのではないか?」
「いや、入手する必要もないんだ。万魔の王、黄昏の君が『模倣』すればいいんだからね」
人が作った魔導具なんて、簡単に模倣できるだろう。何せ、黄昏の君こそ創造神の模倣なのだから。
「えー、じゃあさ。あわわわってなったら、何にもできなくなるんじゃないの?」
マナンのふかふかの羽毛から、ほんの少しだけヤクモの顔がのぞいている。
もうその額には角がないし、多分背中に羽根もない。
けれど、弱った様子もないし、寒そうだけど痛いとかそういうのもなさそうだ。よかった。
「使いこなせていないのやもしれんぞ。叔父の話では、どこかの馬鹿者は、召喚を止めることが出来ず、魔力と生命力を全て使われて死んでいたそうだ」
「つまり、暴走してる…」
「あ!確かに!ドノヴァン大司祭よりさあ、傷治るの遅くない!?」
ヤクモが『顔剥ぎ』を指差し、そして瞬時に手を引っ込めた。外套着てても、その下の服がなきゃ寒いもんなあ。
決死の指摘…うっかりとも言う…に注意して『顔剝ぎ』を見れば。
ヤクモが付けた傷は、まだ塞がりきっていない。だらだらと黄色い体液が撒き散らされ、それはやっぱり強い酸性なようで、近くにいた不浄屍が溶ける。
確かに…ドノヴァン大司祭は、クロムの『紅鴉の爪』に騎士神の『剣』の御業を乗せた一撃すら、凄まじい速さで修復していた。
「ああああ、あとねっ!ぼくらに最初、襲ってきたの、オルゴイ・ホルホイだたよ!さ、寒いいいい!」
「グウ!」
寒がるヤクモがいる胸元を、マナンはさらに翼で覆った。武装してなきゃ、俺の服脱いで貸せるんだけどなあ。鎧下とその下の肌着くらいしかないから、脱ぐの時間かかるし、戦場でいきなり鎧脱ぎだしたらクロムが引き返してきて怒りそうだし。
襲ってきたのはオルゴイ・ホルホイか。
使役出来るってことか?それなら、今、この場で使わない理由は…
いや。
いるじゃないか。オルゴイ・ホルホイ。
『顔剝ぎ』の下半身として。
ドノヴァン大司祭も、クバンダ・チャタカラの女王蜂と融合してああなった。
もしかしたら、『顔剝ぎ』が与えられたのは、オルゴイ・ホルホイを使役する力と、『黒帆の船の壺』…その模倣だったんじゃないか?
今までの情報の少なさから、狙った相手を仕留め損なったのは初めてだろう。
さらに、自分が『顔剝ぎ』だと知られた。
それは、『顔剥ぎ』の精神を大いに揺さぶり、焦らせ、そして。
その焦燥は、聴いてはいけない声を耳に届けた。
万魔の王、黄昏の君の提案を。
身をねじらせ、言葉ではない声を撒き散らしながら、竜騎士をつかみ取ろうと手を振り回す、異形の姿。
あの姿から人間に戻る手段を、黄昏の君が用意しているとは思えない。
きっと今頃、月の門の奥で嘲笑っているんだろう。
自分を優しい人と信じきる、化け物の姿を。
「でも、油断はダメだな。伝令!オルゴイ・ホルホイが地中から奇襲してくる可能性もあることを、全軍に通達!」
「御意!」
俺の声に、護衛に当たっている騎士三人が駆けだし、「オルゴイ・ホルホイの奇襲注意!」と繰り返し叫ぶ。
こちらの被害は、軽微だがなくはない。
いくら親衛隊騎士が精鋭でも、化け物相手の戦いに慣れているわけじゃない。俺の視界の端で、不浄屍複数に組み付かれ、地面に押し倒されたのが見える。
すぐさま、屋根の上から矢が降りそそぎ、近くにいた騎士が不浄屍を払いのけて救出したけれど、立ち上がった騎士の左腕は力なく垂れさがり、掌がありえない方向に向いていた。
「負傷者はすぐに下がれ!命を落とせば、不浄屍に作り替えられる可能性がある!」
壺の仮説が正しければ、壺の口を触れさせなければ問題ない。けれど、それはあくまで仮説。警戒した方が良いに決まっている。
「皆、絶対に死ぬな!俺にお前らに弓を向けさせるような真似、させないでくれ!」
「御意!」
一斉に沸き上がった返答に、少しだけ安堵する。
親衛隊騎士が普段どれだけふざけていても、おちゃらけていても、「その時」が来れば、皆、何でもない事のように俺の為に命を捨てる。
北の地で襲撃を受けた時。俺を護衛していた騎士十人の遺体は、ちゃんと迎えに行けた。
皆、ひどいありさまだった。腕を斬られ、足を貫かれ、内臓が飛び出し、顔が陥没していても…全員、戦うことをやめようとしなかった姿だった。
彼らがその命で稼いでくれた時間のおかげで、俺は生き延びた。生き延びられた。
「ファン!何かしようとしているぞ!」
「退避!!退避だ!!酸の放出が来るぞ!!」
ガラテアさんの声に、現在の戦場に引き戻される。
その指が示す先には、接合部分に開いたオルゴイ・ホルホイの口を天に向け、身体を震わせる『顔剝ぎ』の姿。
オルゴイ・ホルホイは上空から襲い掛かる飛竜から身を護るために、強力な酸性の消化液を噴出する。
それは広範囲に撒き散らされ、防ぐことは難しい。奴の足元には不浄屍ばかりがいるけれど、そこに向かってクロムたちが突っ込んで行っている!
「退避!」と言う号令も、速やかに広がっていく。頼む!間に合ってくれ!
だらりと人の上半身を垂らした『顔剝ぎ』の、その溝がつけられた顔が、にたりと歪んだように見えた。
「!」
次の瞬間、オルゴイ・ホルホイの口から、霧のように吹きだされる消化液。
竜騎士隊は上空に退避したのは見えた。けど、クロムたちや近くまで到達していた騎士たちは!?
体温が下がったのを知覚するのと同時に、動かせない双眸の先。
『顔剝ぎ』の周囲に、光る壁が出現する。
「あれは…!」
それは『顔剝ぎ』をすっぽりと覆い、噴出された消化液も外に出さない。
キサヤの時と同じだ。「内側」から「外側」を守る、反転防御。
あれだけ大規模な防御魔導を展開できるのって…
「馬上より失礼仕ります。ファン様!遅くなりまして申し訳ございません!星龍親衛隊隊長、ラーシュ・アーレ、到着いたしました!」
「ラーシュさん!あ、下馬はしないで!その方がいい!」
「かしこまりました」
響く馬蹄の轟きと共に、頼もしい声が掛けられる。
「付近の住民は既に避難させております。ご安心くださいませ」
「ありがとう!あと…」
「不浄屍が戦場より彷徨い出るやもしれません。周辺の索敵と討伐を!」
「是!」
俺がお願いしようとしたことを、ラーシュさんはすぐに一緒にいた騎士に命じていた。さっすが!
「酸の放出ですか。あれは私が防ぎます。しかし…」
「うん。こっちからも攻撃できない」
『顔剝ぎ』の大きさがもっと小さければ、こちらも地上から急所を狙える。
けど、あの巨体だ。人間部分が急所かはわからないけれど、絶対に硬いオルゴイ・ホルホイ部分以外を狙うには、剣も槍も長さが足りない。
そうなると、高所から攻撃するか、よじ登るか。
付近の住宅の残骸は足場にはなるけれど、やや遠い。よじ登るには、体表を覆う消化液が危険すぎる。
「アレを何とかしなきゃ、接敵しても攻撃が厳しいな」
「さらに、体液が地表に撒き散らされています。あれも、危険と認識した方がよろしいでしょう」
「ですよね…」
「防御魔導を施すとしても、時間が足りません。倒しきるのは困難かと」
そうだよなあ。そうなると、隙を見て一番射程の長くなる、クロムの『剣』の御業か、オルゴイ・ホルホイ部分を攻撃していって自立できないようにするか。いや、オルゴイ・ホルホイ部分だって、酸がついているか。
ジャスワン将軍なら、その辺考えてそうだけど…どうする?
「まもなく、蒼風竜騎士隊が到着いたします。上空から魔導での攻撃を加え、どの程度通るか推し量ってみましょう」
「相手がオルゴイ・ホルホイの特性がなきゃなあ…」
「トール様の魔力を吸収する恐れがあるのでしたか」
「確定じゃないですけどね。兄貴から聞いたんですか?」
「ジャスワン将軍の持っておられる、集音の魔導具。それは、老師の側にもあります。念のためにと、渡されてから将軍は出掛けられましたので」
なるほどなあ。それで、ウー老師は何が起きているのか、ほとんど把握してるのか。
「私が出撃を命じられたのは、トール様が武装を召喚された後、ただちにでございました。逐一、状況は伝声軍牌によって伝えられております」
ラーシュさんはにっこり微笑んで、その伝声軍牌を取り出した。短く何かを伝えている。
その声に従ったのは、どうやらうちの竜騎士隊みたいだ。たぶん、あの伝声軍牌はアラカンかマルコかアミールに繋がっている。さらにそこから、竜騎士へと伝令が繋がったんだな。
消化液を避けて上空に退避していた竜騎士たちは、防御壁が消えて姿を現した『顔剝ぎ』の周りを、揶揄うように飛び交いだす。攻撃は加えず、回避に集中した動きだ。
『顔剝ぎ』は、何故消化液が防がれたのかきっとわかっていない。けれど、自分にとって不愉快な何かが起こったのは理解したんだろう。癇癪を起して泣き叫びながらも、また竜騎士たちを追い回している。
『顔剝ぎ』はドノヴァン大司祭より、自分の力の使い方に慣れている。
けれど、その力でやった事は、戦いじゃなくて虐殺だ。
この場で最優先することは、何よりも俺を狙って殺すこと。そうすれば、灯の刻印は使えなくなり、全員が弱体化するんだから。
まあ、『顔剝ぎ』は俺が灯の刻印を持っているって知らないようだから、わからないのも仕方ない。けれど、それにしたって優先順位がころころ変わって定まっていない。間違いなく、戦い慣れてない。
単純な戦闘力とか、強さで言うのなら、『顔剝ぎ』もドノヴァン大司祭も、ひとをはるかに凌駕する。さらに、灯の刻印持ちが居なきゃまともに戦えないなんて枷もある。
その差を埋めるのが、経験だ。どう戦えばいいか、俺たちは推測し、最初からより正解に近いものを選ぶことが出来ている。
…もし。
魔の眼を与えられたものが、戦いの経験を持っていたら。
その時が、本当にきつい一戦になるんだろうな。
そんな嫌な予想に眉を顰めた時。
『顔剝ぎ』の上空が、光った。
音もなく、その巨体を貫く幾条もの光の杭。
リディアたち、蒼風竜騎士隊だ!
紅風竜騎士隊は、全員男で魔導師はいない。さらに一隊だけだ。
それに対し、蒼風竜騎士隊は全部で五隊にわかれ、うち二隊が魔導騎士のみで構成された部隊になる。
特にリディア率いる十人隊が得意とするのは、複数人で陣を構築し、魔導の威力をあげたり、本来なら魔力不足で発動しない高位魔導の行使だ。
あの光の杭は、多分、本来なら初歩の攻撃魔導、『力の矢』だと思う。複合術式で威力をあげて叩きつけたんだろう。
「…ほぼ無傷ですか。やはり、魔導耐性は高いですね」
「えええっ!?そなの!?なんか、すっごいのどーんってしたよね!?」
マナンの胸と羽根の隙間から、目だけ覗いているヤクモが叫ぶ。
実際、『顔剝ぎ』は絶叫してばたばたと手を振りまわしているけれど、無傷だ。より正確に言えば、傷がついたそばから修復している。
「予想の範囲内です。ファン様、刻印は…」
「もう使っているよ」
「ならば、やはり『顔剝ぎ』の耐性ですね。素体がオルゴイ・ホルホイであれば、属性を乗せた魔導も効果が薄いとみるべきでしょう。むしろ、御業の方が通るやもしれません」
淡々と状況を分析するラーシュさんの声に、焦りはない。
すぐに伝声軍牌に次の指示を吹き込み、じっと『顔剝ぎ』を見据えている。
「ん?でも、ヤクモの攻撃でついた傷はまだ塞がってない。風属性なら通るのかも…」
あ、ラーシュさんはヤクモの活躍を知らないか。
「風、ですね。わかりました。それならば、ちょうどいい」
何かがとんでもない速さで、頭上を抜けていく。
一瞬遅れて、風が鳴った。
「なんなのおおおおもおおおおおおお!!ひどいいひどいひおい!!」
『顔剝ぎ』の顏、その上部右半分が、ばくりと抉れた。
この超遠距離からの攻撃…そっか、ジオルも来ているのか!
「何が…どうなった?」
「星龍親衛隊にね、ジオルって言う俺の幼馴染がいて。二つ年上で、ジルの兄貴なんだけど。そいつ、『魔弾』の二つ名がある魔導士でね」
攫ってきた人たちを前面に押し出し盾とした大馬鹿野郎の本陣を、ジオルがぶっ飛ばした話はアスランでも有名だ。
「どっかからか、狙撃したんだ!う…でも、治っていってるな…」
「風属性だから効き目があるというわけではないようですね」
「ヤクモの攻撃が特別なのか」
「え、えへへ~。なんでなのか、ぼくにもさっぱりわかんないけどねぃ」
もそそそそ、とマナンの中に潜り込んでいくのは、寒かったのか照れたのか。
その微笑ましい様子から『顔剝ぎ』へ視線を戻すと、砕けた顔は徐々に修復されていた。瞬時に全快とはいかないようだけど、治り切るのは間違いないだろう。
「ナランハル!ご報告です!」
「どうした!」
「不浄屍、ならびにあのなんか黒いキモいの、沸きが止ってます!」
「…そうか!」
不浄屍に関しては、蓄えた遺体が無くなったのかもしれない。
けれど、黒い分身?的な奴が出なくなったのは、その余裕がなくなったとみていいかも!
「奴は弱っている!油断はするな!」
「御意に!」
俺が言わなくても、そんな馬鹿な真似をする奴はいない。けど、悲観的になりすぎてちゃ、士気も上がらないしな。
「結局のところ、ただの魔導や武器では、再生されてしまうのだな。そうなると…」
「やっぱり、『紅鴉の爪』が有効か」
「そうなると、接近戦ですね」
魔導士たちの攻撃は、『顔剝ぎ』に不快感や痛みを与えても決定打にはならない。
精霊銀製、なおかつ、灯の刻印の聖力を移した武器がどこまで通用するかだけれど、間違いなく、『紅鴉の爪』は通るだろう。
となると、やっぱりクロムたちに接近戦をしてもらうしかない。
結局ここに戻ってくるのか。
それに。
『顔剝ぎ』を斬り倒しても、それで終わりじゃない。
その中に潜む、魔王の眼。それを矢で射貫かなきゃ。
俺の役目は、その矢を放つことだ。
ドノヴァン大司祭の時は、女神アスターの聖なる矢があった。それはもうお返ししたから、当然ここにはない。
なら、作るしかない。灯を移した、魔の眼を射貫ける矢を。
「それはそうとして、やっぱり、どうにか直接攻撃を入れなきゃ終わらないな…。逃がして、人の多いところに出現されたら拙い」
「ええ。それが最も懸念される事態です。すでに大都守備隊が出撃準備をはじめておりますが…」
「灯の刻印の範囲外なら、犠牲が増えるだけ…」
しかも、その犠牲は相手の戦力に変えられる。
どうにかしてここで、倒しきらないと。
せめて、すぐには動けないほどに弱らせられれば。
『顔剝ぎ』の魔力の残滓も、体液も、ここには残っている。追跡や捜索に長けた魔導士も大都には大勢いるのだから、再発見はできるだろう。
あと、一手。
親衛隊の到着で、数の振りはひっくり返した。
ラーシュさんの防御魔導で、広範囲に被害を及ぼす消化液も防げる。
あとは、こちらの剣を届かせるために。
もう一手。何か、何かできないか。
弓を握る手に力が籠る。俺じゃ思いつかなくても、偉大な先祖たちならわかるかもしれない。
けれど、呼び出したことで俺が魔力を使い果たし、気絶したら。
灯の刻印の効力は、残るか?
それはまだ、実験していない。そして、ここでしていい実験じゃない。
もし、灯の効力が喪われれば、一気に戦況は不利に傾く。それだけは、駄目だ。
「あと一手…どうしたら…」
「あと一手、ですか」
口から洩れでた弱音を、ラーシュさんは聞き逃してくれなかったようだ。
我ながら情けない顔で見上げると、いつもの柔らかな笑みを浮かべて頷く。
「ファン様。そのあと一手は、御身がなんとおっしゃろうと、嘆願しようと、ご自身だけ退くことをよしとされませんよ」
すい、とラーシュさんの視線があがり、右拳が左胸に当てられる。
その動きにつられて視線を天に向ければ。
頼りない陽光を受けて煌めく、銀色の影。
それは瞬く間に、青銀の飛竜を形どる。
「ムカリ!!ってことは…」
「皆さん!トール・オドンナルガ・アスラン殿下が参戦なさいます!両殿下がお揃いになった今、いかなる魔であろうと恐れるに足りません!黄金の血統の前にあるは、勝利のみ!」
それほど大きくはないのに、ラーシュさんの声は春の突風が雪雲を蹴散らしていくように、戦場を駆け抜けていく。
もともと士気は高い。けれど、その士気はさらに熱をもって上がった。
「おおっしゃあ!ナランハルとオドンナルガが揃ったらよぉ!もう、絶対勝ちじゃね!!」
「黄金の血筋の前にあるは、勝利のみ!!」
うわっと盛り上がった熱気に迎えられるように、ムカリが『顔剥ぎ』の前で羽ばたき、とどまる。
その背には、一人の騎士。
背で翻るマントは青く、星を掴む龍の意匠が刺繍されている。
纏う甲冑も、青が基本だ。
そしてこちらを、俺を肩越しに振り向いた顔には、龍を模した面が覆いかぶさっていた。
「え、あのひと、トールさん!?」
「うん。兄貴、戦場ではあの面をかぶるから」
前に、敵将に顔でひとめぼれ…なお、女性の将軍は基本、アスランくらいにしかいない…されて以来、兄貴は戦場で面をつけるようになった。
その後、本陣で「ごわ゛がっだ…おどうど~」っとしくしく泣いていたので、相当なトラウマらしい。
「けど、兄貴の雷は…」
「確かに、トール様の魔力は強い雷属性を帯びています。しかし」
「しかし?」
「アスランとファン様の危機に、トール様が力を出し惜しむ、などと言うことはないのです」
兄貴の手が動く。その、見慣れた小手に何かが巻き付いているのが見えた。
「っとお!?」
同時に俺の後ろ、マナンとの間に青い光が陣を描く。
一瞬で展開さえたそれは、転移陣だ。すぐに青い光の中に人影が現れた。
「ヤクモ様!」
「あ、しろさん」
まろびでるように陣から駆け出したのは、いつもの余裕を一切なくしたしろさんだった。
マナンに…というか、その胸元に埋まるヤクモを見て、立ち尽くす。
「あの、なんでそんなところに?」
「寒いからだねぃ。ちょっとね、いろいろありまして…」
「お怪我とかないっすか!?」
「ないよぅ。寒いだけー」
えへへ、と笑って、ヤクモはまたマナンの羽毛に吸い込まれていく。
「なんで、こんなところからごめんねぃ。あのね、違ってたらごめんなんだけど、しろさんってさ、もしかして、しろつみひこ、だったりする?」
「…!」
俺からは、しろさんの背中しか見えない。
けれど、その背中からも視線を外して、兄貴とその先にいる『顔剥ぎ』に焦点を定めた。
じろじろ見るもんじゃないことって、あるよな。決してそれを俺はみっともないなんて思わないけれど、本人が見せたくないかもしれないし。
「ヤクモ様、思い出して…」
「全部じゃないけどねぃ。あは、やっぱりそーだったんだね!よかった!元気で!」
しろさんの口からこぼれた言葉は、きっとシラミネ語なんだろう。なんて言っているか、わからない。
まあ、ヤクモに通じてればいいよな。
こっちはこれで良いとして…あれ?なんか、兄貴の周辺が靄がかかっているような?
というか、いつもの兄貴の…魔力じゃない?
兄貴は魔力が甚大すぎて、自分の中に蓄積していると熱を出したりする。なんで、常に周囲に無意識の魔力防壁を張って消費している。
戦闘中は大掛かりな術式構築に備えて、その魔力も戻しているんだけれど…その、戻される前兆でもないように見えた。
いうなら、魔力の質そのものが変容しているような?
「兄貴…?」
***
弟が、自分を案じている気がする。
弟の眼はとてもいいが、魔力を見るには向いていなかった。
しかし、守護者の儀を経て、そちら側も開眼したようだ。実に素晴らしい。さすがは弟である。
龍の面の下でトールは相好を崩し、あわてて引き締めた。
これで己が油断して負けたりしたら、シャレにならない。来なかった未来に何としてでも赴いて、そうならなかったヤクモに詫びねば。
意識を、魔力を、両手首に巻き付いている『星龍の翼』に集中する。
その意志に応えるように、与えられた魔力を貪るように、『星竜の翼』が動き始める。
春を告げる雷雨を浴びて伸び行く青草のように、手首から離れ、外側に向かって。
急速な魔力の消費に心臓が大袈裟な鼓動を刻むが、それくらい耐えろと叱りつける。
最初に見たとき、何故これが『星竜の翼』なのかと首を捻った。星竜の鬣で編まれた腕輪は、どう見ても羽根にすら見えない。
一度発動させれば、その意味はすぐにわかった。
魔力を吸い取り伸び切った星竜の鬣は五肢に分かれ、それぞれの間隔を大きく開く。そしてその合間を、魔力で作られた膜が埋めていた。
魔力で作られた飛膜。それが両腕から広がっているように見えるから、『星竜の翼』。
地上で、クロムたちがこちらを見上げて驚いているのが見える。弟ほどではないが、目は良いのだ。
このまま、トールが戦ってもあの化け物は打ち倒せるだろう。しかし、それを為すとすれば、このあたり一帯は屠城に処された町と見まごうばかりの有様になる。
いくら再開発を予定している地域とはいえ、それはよくない。
どこかの空き家で寒さを凌いでいる者もいるのかもしれず、強大すぎる魔力行使の跡地は、最低一年は放置して魔力を抜かねば、魔導具に影響が出る可能性もある。
だから、直接戦い、敵を倒すのはクロムたちに任せるしかない。
そのために何が妨げになっているかは、つい最近オルゴイ・ホルホイと戦った経験からもすぐに分かった。
「ムカリ。マナンのところに行っていなさい。弟たちを頼んだぞ」
「グゥ」
ムカリの背から飛び出す。
魔力を具現化し、それを足場に空中を跳びまわるのがトールの得意な戦法である。しかし、具現化した魔力は脆く、足で踏めばすぐに砕けてトールに戻ってしまう。長くとどまることは、さすがにできない。
だが。今は。『星竜の翼』を広げた状態ならば。
両足は、何もない空中を踏みしめて留まる。
飛竜のように風を纏っているのでもない。むしろ、トールの周囲は完全に無風だ。ムカリの背にあったときは翻っていたマントも、静かにたたずんでいる。
ジャスワン将軍ならば、気付いたかもしれない。
今、トールは大地から発せられる「引き寄せる力」を従え、空中にとどまっている。
無比と言っていいほど強大な魔力ではあるが、属性が偏っているため、雷の魔導しか使えない。
それが、戦闘面においては唯一と言っていい、トールの弱点であり欠点だ。
しかし、今、トールは大地の力を行使していた。
「あとで弟に教えてやらねば」
きっと、気になっているに違いない。
弟の好奇心は大地のように尽きないのだから。
『紅鴉の爪』 と同じく、『星竜の翼』はアスラン建国時に雷帝より守護の証として贈られた神具のひとつだ。
他の神具と違い、『星竜の翼』そのものは、攻撃や防御に使えない。
だが、おそらくはこれを贈られた開祖にとって、最適な神具だっただろう。
その子孫たる、トールにとっても。
『星竜の翼』のもつ力。
それは、使用者の魔力を任意の属性に変換すること。
「あ…おお…オドンナルガ…!?」
周囲の景色がゆらいで見えるほどの魔力を練るトールに、竜騎士たちが慌てて飛竜を駆って対比する。
地上でも「さがれー!」という声がこだまし、クロムたちも距離をとっていた。
そんな状態で呼びかけられた声は、場違いに喜びと媚を含む、熟れすぎた果実のように甘く、重い。
「ああやっぱり来てくれたのですね!うれしい!わたしあの人たちにいじめられてるの!やっつけて!!」
「…」
何を言っているのだ?
あまりにも予想外な願いに、トールの眉が面の下で寄る。
「うふふ私いつでも后妃になれます!ああでもまだオドンナルガは王様じゃないから一太子夫人ね!だいじょうぶ平民出身っていびられても私は優しいから怒ったりしませんから」
「…何を、ほざいている?」
「いまの后妃さまは見た目で選ばれたからきっと私のような優しさで選ばれたの気にいらないものねでも私は優しいから」
「黙れ」
びん、と空気を震わせる声に、口を動かすのをやめる程度の分別は、まだ残していたようだ。
口を半開きにしたまま固まった『顔剝ぎ』に、どれほどトールの怒りが理解できていたかは定かではないが。
「お前が后妃になることは無論、俺の妻になることも絶対にありえない」
半開きだった『顔剝ぎ』の口が、歪む。「なぜ」と反論が出る前に、トールは言葉をつづけた。
「優しいから后妃にだと?后妃とは、時に己の心を踏みにじり、血を流しても非情にならねばならぬ。后妃に必要なのは、その強さだ。
そして、お前は優しいと己を評するが、優しい人間が会ったこともない女性を見た目で選ばれたなどと蔑んだりはしない」
あまりに身勝手な言い分に、脳が理解を拒む。しかし、母を、この大アスランの后妃を侮辱されて、黙っていられるはずもない。
「己を誤魔化し、ろくでもない妄想に浸り、あげくに魔の眷属となって無辜の人々の命を奪う。悍ましい魔物よ。お前に相応しい居場所は、王座の左ではなく無窮の闇の底だ」
そうなる過程に、無理もないと頷くような何かがあったとしても。
どれほど悲惨な生い立ちがあろうと、それは好き放題できる免罪符ではない。
本来なら、初対面の女性は目を合わすのも避けたい。が、敵であれば気を遣う必要もない。反撃はするすると口から出た。
「…のに」
トールの低く静かな、しかし強い断罪の宣告に、『顔剥ぎ』は目を見開き、顔に爪を立てる。
黄色い体液が人間の形を残した手を伝わるが、皮膚そのものは既に異形に変じているのだろう。溶けることもなく、地上へと体液を滴らせる。
「優しいひとはいいことがあるってお母さんは言ってた!クニンは優しい良い子だからきっと幸せになれるって!!
私は優しいから!!誰よりも幸せになるの!!ならないとおかしいの!!なのになんで!!顔がきれいじゃないだけでどうして幸せになれないの!!
わたしを褒めて褒めてほめて!!私はいつでも誰にでも優しいから!!」
きいいい、と絶叫する『顔剝ぎ』を見るトールの視線は、微かに先ほどまではなかった苦い笑みを含んでいた。
幸せとは何か。それを即答できるものは、幸せ者か、あるいはまったくそれを知らないものだ。
何が幸せか。その答えは己の心にしかない。どれだけ金や権力があったとしても、望まない人間にとってそれは重しでしかない。
『顔剝ぎ』は己が幸せではないと喚き散らすが、ジャスワン将軍から受けた報告を聞く限りでは、ごく一般的な大都の住人として暮らしていたようだ。
それこそ、『顔剝ぎ』が殺してきた紅花買いにとって、夢に見るような幸せな暮らしを送ってきたのだ。
雨風を凌ぎ、寒さから守られる家に住み、きちんと賃金が支払われ、矜持を踏みにじられることもない仕事をし、腐っていたり凍り付いていたりしない食事をとり、虫が這いずっていない、饐えた臭いもしない服を着る。
それが、どれほど「幸せ」なことか。
賞賛や崇拝が伴わなければ、無意味なのか。
もっと贅沢をして羨望されなければ不服なのか。
その象徴が后妃だというのなら、まったく見当違いだ。
だが、それは王族として母の苦労を見てきたからこそ言えることだろう。
そんな立場から説教されて、響くはずもない。
万が一、心揺り動かされ悔い改めとしても。
「人に戻れないのであれば、さらなる絶望に狂うだけであろう」
ならば、敵として屠る。
それが、かつてアスランの民だった『顔剝ぎ』に施せる、唯一の慈悲だ。
音もなく、トールの眼前に陣が展開する。
青く煌めく魔力で構築されたそれは、見た目にはいつもの陣と変わりない。
しかし、魔導士たちはあまりにも魔力の質が違うことに驚愕するだろう。
陣は注ぎ込まれた魔力を受けて展開していく。
一番上に書かれた記号から、堰を外された水が水路を埋め尽くしていくように。
ほんの呼吸一つの間に、全ての記号に魔力が満ちた。
そうなれば、あとはもう、発動するだけ。
***
「なんだ?」
足元の揺れに、クロムは眉を寄せた。
オルゴイ・ホルホイが襲撃するかもしれない、注意せよと先ほど伝令が回ってきたことを瞬時に思い起こし、適当な建物の上に避難するかと周囲を見渡す。
「いや、違うね。なんか、大地の魔力がうねってる…。オドンナルガ、何したんだww」
その動きを止めたのは、ジャスワン将軍の苦笑混じりの声だった。
「トールの魔導っすか?」
「たぶんねーwでも、オドンナルガ、雷属性以外は使えないはずなんだけどwってことは、あの羽根みたいな魔導具かなーwもしかして、あれが『星竜の翼』かね」
『紅鴉の爪』と同じく、一太子のみに継承される神具。それがどんなものであるかクロムは知らなかったが、十二狗将の一人ですら推測しかできないなら、本当にめったに世に出てこない品物なのだろう。
「あれは…魔導具、なのか?」
「魔導具っていったらバチあたるねw四天神獣から贈られた、とんでもない神具よw『星竜の翼』は今まで使いこなせたのは、開祖のみって話だけど」
「なるほど。とんでもない魔力が必要に…っ!?」
シドの声が途中で途切れる。
ひときわ大きい揺れとともに、大地が悲鳴を上げたかのような轟音が一斉に立ち昇った。
次々と剝がれかけた石畳を割って姿を現したのは、先ほどまで頭の先すら覗いていなかった石柱。
一本二本どころではなく、まるで螺旋階段のように道と無人の空き家を突き破って出現する。
ぽかんと立ちすくむ『顔剥ぎ』を囲むように円柱は並び、つまりは、絶好の足場となっていた。
「!」
さらに、クロムは己の身体が燐光を纏うのを見た。
光っていたのはほんの一瞬。しかし、先ほどまでむき出しだった目元などが感じていた、痛いほどの冷気が感じられない。
「おい、クロム!ユーシン!シド!並びにジャスワン将軍!」
何事だと訝しむより早く、頭上から声が降ってくる。
「直接の攻撃には気休めにしかならぬが、酸を防ぐ程度ならば半日は持つ!これで問題なかろう!」
あいつ、防護魔導なんか使えたっけ?という疑問を、クロムはとりあえず脇に置いておくことにした。
何せ、トールだ。何をしてきたってありえる。
弟とアスランを守るためなら、どんな奇跡だってやってのける男だ。
「よくわからんが、ありがとう!トール!これで槍も届くし、臭いのも問題ないということだな!」
「みたい、だな」
「まあ、簡単にはいかせてくれないけどw」
石柱の影からわらわらと、半ば溶けた不浄屍が向かってきている。
半分ほどは、例の動きが素早い不浄屍だ。さすがに、本体を守る兵は強者を集めているのだろう。
「露払いは、おにーさんに任せなw」
大斧を構えなおし、ジャスワン将軍は獰猛に笑った。
「はーい、紅鴉親衛隊で、まだ元気なヒトー!おにーさんと一緒に、邪魔なのぶった切るよーん」
「うぃっす!!クロっちよォ!!ばっち、決めて来いやあ!!」
「無様な真似さらしたら、うちが潰すから。わかってんよね?クー坊」
「言われなくても」
ジャスワン将軍の呼びかけに、あちこち血をにじませ、装備を破損させたジルカミシュとニルツェグが応える。
その後ろに続く騎士たちも、無傷のものは誰もいない。
しかし、全員、弱ってはいなかった。眼に強い光を宿し、口元には笑みを浮かべ、武器を揺るぎもせず構える。
士気旺盛。意気軒高。彼らと彼女を見たものは、そう表現するだろう。
「クーロムちゃん」
その先頭に立つジャスワン将軍が、軽く肩を叩きながら顔を寄せる。
「俺の勘だけどさ。アレ、たぶん全部じゃねーから。出し惜しみできんなら、クロムちゃんも全部見せずにとっときな?」
「…全部じゃない?」
聞き返したクロムから、ジャスワン将軍はさっと身を離し、にこーと笑顔を浮かべた。
どうやら、答える気はないらしい。
全部じゃない。
それはずいぶんと抽象的な表現ではある。しかし、なんとなくクロムは納得していた。
それは、マルダレス山でドノヴァン大司祭だったモノと戦った経験が伝える、違和感。
あの時、直接手出しはしてこなかったものの、万魔の王は四方を魔力壁で囲い、自分たちを閉じ込めた。
そして、嘲るように大司祭の罪を映し出して見せた。
万魔の王の目的は、ファンを殺すとか、アスランを滅ぼすとか、地上に顕現するとか、そういうことではない。
愉しみたいのだ。
月の門に囚われ、永遠に縛り付けられ、永遠の暇を持て余す邪神は。
己の眼を埋め込んだ眷属も、その暇をほんのわずかに埋める…玩具でしかない。
だから、その玩具で最大限に愉しもうとする。
玩具の傷をえぐり、慟哭を響かせたいのだ。
なのに、何故、この場にしゃしゃり出てこない?
「どうした?クロム!怖気づく…はずはないか!」
「ったりまえだろ。とっとと行くぞ」
「怪物退治か。冒険者らしいな」
もしかしたら、虎視眈々と最悪のタイミングを狙っているのかもしれない。
だが、それがいつかわからない以上、気にしすぎてもどうしようもないのだから。
何があろうと、死角を預けられる仲間がいて、頼もしい…と認めるにやぶさかではない先輩たちもいる。
おまけに頭上に、アスランの雷神付きだ。
剣の柄を握りしめる。夜天の色をした捻くれた神剣は、駆け出す寸前の荒馬のようだ。
だが、荒馬を乗りこなし、風の如く駆け抜けてこそ、アスランの騎士。
掛け声もなく、クロムは駆け出した。そんなもの、ユーシンにもシドにも必要はない。気配でわかる。
実際、二人も間髪入れずに動いた気配があった。
「さっせねえよ!!」
とびかかってきた不浄屍が、ジルカミシュの風拳を受けて千切れながらすっ飛んでいく。それでも石柱を蹴って反撃に出ようとしたところを、屋根の上から無数の矢が突き立ち、動きを止めた。
確かに、強化されているらしい不浄屍はしぶとい。一人で戦えば、激しい体力の消耗は避けられないだろう。
だが、それはあくまで、一人で戦えば、だ。
息の合った連携は、不浄屍に付け入る隙を与えない。それをさらに強化しているのが、ジャスワン将軍の指揮だ。初めて指揮する親衛隊騎士を、自分の部隊のように動かしている。
手薄になった地帯があれば、すぐさま「ハイ次そっち」と戦いながら指示を飛ばして埋め、時には退いて不浄屍を一所に集め、火砲で一気に撃破する。
不浄屍を斬って『紅鴉の爪』の機嫌を損ねることもなく、クロムは手頃な高さの石柱に飛び乗った。
そのまま、次々と飛び移り、『顔剝ぎ』へと迫る。
「やだ!やだやだやだやだ!!わたししあわせになるの!!!いじめないでこないでこわいやだ!!」
その姿を認めた『顔剝ぎ』が喚き散らす。
だが、その両手は耳をふさぐ位置に添えられ、振り回されることもない。
迎撃するって能のねぇのかと訝しんだクロムの視界に、黒い影が閃いた。
ギィン!!と甲高い音が鳴り響く。
眼球だけ微かに動かしてみれば、シドが精霊銀のバスタードソードなどと言う、世にも珍しいものを振りぬいた後だった。
その剣が斬り捨てたものは、凄まじい勢いで近くの石柱に叩きつけられ、張り付いた。クロムの近くだ。いやでも視界に入ってきたそれは、まだ盛んに蠢いていた。
「オルゴイ・ホルホイ…?!」
「ずいぶん細くて小さいが、数が多いな!」
楽しそうに言い切って、ユーシンも槍を突き出す。
穂先に貫かれたオルゴイ・ホルホイは、大人の腕程度の太さだった。
その元をたどっていけば、『顔剝ぎ』の腹に開いた、オルゴイ・ホルホイの口。
本来なら、土をかき出し穴を掘る触手。無数に蠢くそれ、ひとつひとつが、オルゴイ・ホルホイそのもの。
「俺とシドで引き付ける」
静かに言い放たれた言葉は、オルゴイ・ホルホイを切り裂き、貫く騒音を越えて、クロムの耳に届いた。
「任せろ。そういうのは、得意なんだ」
まとめて襲い掛かってきた数条を切り裂き、叩き潰しながら、楽しそうな声が続く。
「おう。任せた。ユーシン。シド」
『顔剝ぎ』は戦闘に慣れていない。
オルゴイ・ホルホイの触手は容赦なく襲ってくるが、一気に全部が動くことはできない…というより、大半は防御に回っているのだろう。『顔剝ぎ』の前で蠢いている。
前にしか注意が向けられないのなら。
いや、そうでなくても。
クロムは石柱を蹴り、襲い掛かる触手に真正面から突っ込んだ。
すぐ近くまで口を開け、肉を溶かす酸を撒き散らしながら、オルゴイ・ホルホイの触手が迫る。
下段に『紅鴉の爪』を構え、より一層体勢を低くし、次の瞬間。
触手はぶち当たる対象を失い、そのまま前へと突っ込んでいく。
無防備に伸びた横側から、ユーシンの槍とシドの剣が交差するように振り払われた。
「見事だ!一応誉めてやろう!」
「あとでケンカになるぞ」
「良いではないか!こんなのと戦うより、クロムと殴り合うほうが楽しいからな!」
慌てたようにさらに襲い来る触手を、ユーシンの槍が薙ぐ。軌跡からそれていた触手が、その肩を掠めていく。
すぐさま引き戻された槍が、同じく方向を変えてユーシンに食いつこうとしていた触手を貫き、振り払った。
「うむ!痛いが、怪我はない!防護魔導とは便利だな!」
「半日も持つ防護魔導なんて、初めて聞いたがな」
シドにも触手が殺到していた。
おそらく、意図しているのではないだろうが、到達するタイミングが個々にずれている。短い間隔の連続での襲撃は、まるで矢の雨のようだ。
だが、シドは一度大きく呼吸し、足を踏みしめ、剣の柄を握りしめる。
どれとどれを一気に落とせるか。どう剣を振れば続けざまにあてられるか。
まるで時が止まったかのように、ずいぶんと長い時間熟考できたかのように、見える。
むろん、実際にはほんの瞬き一度もできない程度であるが。
頼りない日光に精霊銀の刃が煌めき、狙った通りに触手を切り裂いていく。
しかし、それでも数は多く、見据える方向以外からも襲い来る。
だが、それについて、シドは気にもしていなかった。
微かな風が、頬に当たる。
それがユーシンの槍が、襲い来る触手を切り払った際に生まれたものと、見ないでも理解できた。
「わはは!どんどん来い!来なければこっちから行く!」
「余裕だな」
二人の挑発に、『顔剝ぎ』の眼が動いた。
濁り、焦点を失った双眸が、ぎゅるりと回転する。
「いじめっこは死ね!!!」
防御に回していた触手が、大きく動く。
先ほどよりはるかに数が多いそれを見て、二人は口許に笑みを乗せた。
勝利を確信した、笑みを。
『顔剝ぎ』が、その笑みに気付いたかどうかはわからない。
だが。
『剣よ!!』
すぐ耳元近くで聞こえた声に、眼球が動く。
背後、やや上を見ようとして、動かされた眼球は、それを見ることができなかった。
己の心臓があるべき場所を貫く、夜天の色、澄み切った黒色の光を。




