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鳥には羽根 魚には鱗  作者: 阿古あおや
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主が走れば運命も走る(人事を尽くして天命を待つ)4

 確かに、ファンならば「それなら俺が直接行くよ」と即座に宣言し、実際に実行しただろう。

 だがそれは、ファンが「何かあったら」責任を取れる立場にあるからだ。


 いくらユーシンが自分の意志で乗り込んだのだとしても、「何か」あれば「誰か」が責任を取らなくてはならない。

 その「誰か」がファンならば、丁寧な詫び状をキリク王国に届けさせ、おって自ら謝罪に赴けば、「何か」がユーシンの死亡であっても、そこで終わる。


 むろん、残った人間の感情や悔恨は終わらない。

 しかし、表立ってキリクに残るユーシンの家族や親しい人々は責める言葉を出すことはできず、ファンもそれ以上謝罪はしない。いや、できない。

 

 アスランの二太子が下げる頭には、それだけの重みと価値がある。


 キリク側としても、「勝手に他国の事件に首を突っ込んだ挙句死んだ」のではなく、「アスランの二太子を守って奮戦し、栄誉の戦死を遂げた」とのでは大きな差がる。

 行動と結果は変わらなくても、前者では墓碑に死に様を刻むこともできない。史書を編む史官も頭を抱えるだろう。


 それがわからないほど、ホンランは政治に疎いわけではなく、額に手を当てて考え込んだ。

 本来なら、断って部下から良さそうなのを見繕う案件だ。見目麗しいと表現できる貌に心当たりはないが、少しでも近いのを選べばいい。

 部下の部下まで広げれば、なんとか必要とされる水準に近付けるだろう。

 

 だが、問題は、当のユーシンが言い出したらなかなか聞かない性格だという事だ。


 ホンラン自身は、ほとんどユーシンに面識はない。

 しかし、その兄貴分であるファン、そして良き好敵手であり悪友であるクロムとは、長い付き合いだ。

 「キリクのユーシン」について、聞き覚えた情報は断片とは言えそこそこにあり、つなぎ合わせれば人となりが見える。


 『恐れを知れぬもの(ナラシンハ)』だの『狂戦士ラクシャーサ』だのと言われている割には、ちゃんと考えて行動し、責任を取り切れないような事には口も手も出さない。

 それなのに、「俺たちが行く!」などと言うからには、何か思うところがあるのだろう。

 そうなると、いくら理を説いても大人しく従ってはくれまい。そこで素直に首を縦に振って終わらせてくれるような御方ならば、あんな悪名が付くはずもないのだ。

 

 しかし、言うがままに同行し、本当に「何か」あれば、ホンランの首だけでは済まないのは確実だった。

 最低でも御史台長の罷免は確実で、「何か」の度合いによってはそれだけでも足りず、今日、王宮の警備に当たっている将と騎士の首まで必要になる。


 「おそれながらユーシン殿下。お言葉は大変にありがたく、対策としてはもっとも有効でしょう。しかし、私には諾と申し上げることはできません」

 「むう」

 「ナランハルのお客人たる貴方様を、無断で外出させることすら罪となります。申し訳ございませんが…」

 「しかし、良い手なのだろう?なら、やるべきだ!断事官殿が決められないというのなら、決められるものに聞けばいい!つまりは、偉い奴だ!」

 「誰に聞くのぅ?トールさんも一緒の儀式に出てるって言ってたよ?」


 ヤクモの言葉にユーシンはにっこりと笑った。チェが「ヒェッ」と小さな悲鳴を上げる。

 それを気にもせず、ユーシンは駆けだした。


 「部屋に一回戻って、話せるやつ取ってくる!」


 話せるやつ?とヤクモとシドは顔を見合わせ、そしてどちらからともなく頷いた。

 ほとんど待たずに戻ったユーシンの手には、青色の小さな板が握られている。


 「伝声軍牌ケタイ・ヤルリク…ですか」

 「うむ!困ったことがあったら、いつでも使って良いと言われている!」

 「青色…という事は、オドンナルガに繋がるものに?」

 「なんか、トールさんのお部屋にあるのに、繋がってるそーです」

 「仕事場に行くときは持っていくから、困ったことやファンに何かあったら使えと言われている」

 「でも、ファンがどっかにぶつかったくらいでも、トールさん勝手に出てくるからねぃ」


 なので、実際に使うのはこれが始めてだ。

 板の中央にある星龍の意匠に指を置き、しばし待つ。指の下から燐光が漏れ、どければ星龍が金色に輝いているのが見て取れた。


 「胡散臭い軍師殿!おられるか!」

 「言い方ぁ!」

 「ま、分かり易いな」


 伝声軍牌の向こうに、人の気配が感じられる。しかし、声は出てこない。


 「どうした!居らんのか!」

 『…胡散臭い軍師殿っちゅうのは居りませぬなあ。超絶有能軍師なら居りまするが』

 「居るではないか!相談がある!『顔剥ぎ』とやらを知っているという者がいる!だが、男とでなければ話をしないそうだ!そこで、俺が話を聞きに行きたい!どうすればよいか!」

 『ほぉ…しかし、ユーシン殿下が自ら足をお運びにならんでもよろしいのでは?ま、確かに若君ならホイホイ行かれるでしょうが』

 「俺も『顔剥ぎ』とやらを討ち取りたいからだ!」


 高らかな宣言に、ホンランは僅かに目を見開き、ヤクモとシドは顔を見合わせた。

 ユーシンは好戦的ではあるし、ごく普通に「民とは守るもの」という意識を持っている。だから、その安寧を脅かす者に対して、「討伐せねば」と考えることは十分あり得た。

 しかし、目の前に出てくれば臆することなく戦い、躊躇うことなく槍を振るうとしても、誰かの領分にまで入り込んで討ち取るなどとは言わない。

 

 『理由をお聞きしても?』

 「思うに、ラスヤントでヤクモを襲ったのが『顔剥ぎ』だからだ」


 先ほどまでユーシンの顔を彩っていた笑みが、種類を変える。

 夏の陽光のような笑みから、うっそりと獣が牙を見せるようなものへと。


 『なにゆえ、そう断じまするか?』

 「そんなのが二匹も三匹もアスランで好き勝手していると思えない。それに、違っていたとしても、討ち取っておけば問題ないだろう。敵に違いはない」


 応答は、深い溜息だった。しかしそれは、呆れという感情ではなく、逡巡、迷い…そういった葛藤を主な成分にしている。

 

 『ちと、そちらにお邪魔してもよろしいかな?転移陣を使いますゆえ、すぐに参りまする』

 「わかった!俺たちはファンの部屋ではなく…ここはどこだ?」

 「紅鴉宮、一階四の間に」

 「だ、そうだ!」

 『あい、心得まして。それでは…ああ、それと、もう一人客人を伴いまする』


 再びの溜息。こちらは、先ほどはなかった諦念とか、呆れと言った色で塗りたくられていた。


 『おそらく、ユーシン殿下の求むる策。その答えになりますかと』


***


 紅鴉宮と紅鴉府、そして星龍宮と星龍府はそれぞれ転移陣で結ばれている。

 それは、五代のころそれぞれの建物が建設された時から…ではなく、単純にトールが「弟の一大事」に駆けつけるために設置したものだ。

 ファンに言わせると、「くしゃみしただけで兄貴がすっ飛んでくるのは、どうかと思う」だそうだが、それだけで済む方がどうかしているとヤクモは思う。


 だが、便利な事は便利だ。

 言葉通り、ひょろりと細長く胡散臭い軍師は、ほとんど時を置かずして現れた。


 その姿が紅鴉宮に現れることは、それほど珍しい事ではない。何せ、トールがすぐに入りびたる。仕事の残量から必要と判断し、回収に来た軍師や星龍親衛隊の面々は、侍従官や女官にもすっかり顔なじみだ。

 しかし、先導してきた侍従官の顔は僅かに引き攣っている。ファンがいれば「どうした?」と声を掛けただろうが、生憎その身は現在、北海の王廟へと向かっている最中だった。


 「おお、ホンラン殿。本日も麗しゅう。いやさ、昔からお美しかったが、今は妻となり母となり、その年月、幸せが美貌に化粧を施してござる。ほほ、眼福眼福」

 「私の手に剣がなかった事を幸運に思っていただきたい」

 「褒めておるのに!?」

 「褒めててもさー。なんか、ねちっこいって言うか、不愉快なんだよねw」


 ウー老師の後ろから掛かった声に、ホンランの頬も引き攣った。


 「うーすwwwホンちゃんおひさしーwコウのやつもどお?元気ぃ?」

 「おかげさまで。ジャスワン将軍。夫もまだ罷免にならずに飛竜を駆っております」

 「そりゃなによりwww」


 軍師と侍従官を追い越し、部屋に入ってきたのは、黒い蓬髪を揺らしながら笑う男…十二狗将のひとり、ジャスワン将軍だった。


 ラスヤントで会った人だよねぃ…とヤクモは記憶を辿り、頷く。

 いきなり悪者の首を刎ねたり、真面目そうな部下を揶揄ったりと、あまりお近付きにはなりたくない類の人間だ。

 しかし、偉い人には間違いない。


 アスランに来る途中や来てから、アスランの事を色々と勉強してきた。

 神官の少女たちと共にだし、時間もそれほどなかったので、簡単な歴史と現在の仕組み程度のことである。

 しかし、それでも十二狗将という地位が、とんでもなく高い事くらいは理解していた。

 ユーシンの言う「偉い奴」に不足はない…のか、やっぱりあるのか、そこはヤクモにはまだわからない事だったが。

 なので、口に出したのは違う事である。

 

 「お知り合い…ですかぁ?」

 「夫が五年前まで、この方の麾下におりました」

 「イフンに赴任になったらさーw娘に顔を忘れられたら死ぬからって転属願いだされちゃってさーw」

 「それから、大都の守護を受け持っておられる、ウルツ将軍の麾下に」


 ウルツ将軍…とヤクモは記憶を辿った。

 たしか、クロムのお披露目の時にいた、おっきい人だと思い出す。

 その時、ジャスワン将軍も一緒にいたから、元々仲が良いのかねぃ?と、記憶の中のあやふやな「アスランの偉い人」関係図に「なかよし?」と書き記す。


 「ともかくだ!来てもらって有難いぞ、将軍!それでどうだ?俺は行くことができるのか?」

 「ユーシン殿下になんかあったら、俺ちゃんの首でもまだ軽いけどーw何もなければいいわけじゃない?」


 口の端を持ち上げて、赤狼ドールと呼ばれる将軍は嗤う。


 「ねえ、胡散臭い軍師殿?」

 「ジャスワン殿に胡散臭い言われとうないわな。胡散臭さなら、貴殿もそれなりであろうがよ」

 「やだーwおにーさん、心外~!で、どうなのよ?」


 ウー老師は、実は彼にしては珍しく言い淀み、しきりに貧弱な髭をしごいた。

 眉間には深い溝が寄り、顎にも胡桃のような皺が出来ている。


 「正直な話…これはもう、策やらなんやらではなく、勘の領域なのではあるが」

 「勘…ですか?あなたが?」


 ホンランの目が、驚きに丸く見開かれる。

 そんなに驚く事なのかと、少し置いてけぼりにヤクモは他の面々を見回した。

 ユーシンはいつも通りだ。シドは少し驚いている。ジャスワン将軍は悪い感じの笑みを浮かべていた。

 

 「末将それがし、勘働きなどというのは星龍君わがきみにお任せしておるゆえにな。博打の類も好かぬ。勝負っちゅうんは、必ず勝てねば意味がない。最悪でも引き分けに持っていけぬのであれば、やるべきではない」

 「トールさんはやるんですか?賭け事」

 「賭けはせぬなあ。まあ、星龍君の場合、勘と言うよりは感であるゆえ」

 「さっぱりわからんな!俺は勘を信じるぞ!外れた事はない!だから、生き残っている!」


 ユーシンの返答に、ウー老師は咳込むように笑った。


 「ユーシン殿下も星龍君と同じく、それはいわゆる勘ではございませんなあ。過去の経験やらから、答えを瞬時に弾きだしておるだけの事。ただ、その道行をすっぽかし、答えだけが出てくるゆえ、勘としか表現できぬのです」

 「あー。前にファンもそんな事言ってたねぃ」

 「それでー、軍師サマの勘はなんつってんの?」


 ジャスワン将軍の問いに、ウー老師はしばし目を閉じた。顔中の皺はますます深くなり、言うべきか否か、それ自体を迷っているのだと教える。

 たっぷり十は数える間、ウー老師は悩み、そして口と目を同時に開いた。


 「勝てば見返りは大きく、負ければ損害は甚大…末将の勘が告げておる。だがのう…負けが見えておるならば、そも、出てはならん。いや、この一件、むしろ勝負すら見えぬ。そんな不確かな一戦、交えるべきではない。いや、だがしかし…」

 「しかしなんだ!」

 「末将の勘が当たれば、次は勝負ができる。確実にな」


 細く開かれた瞼の奥で、底知れぬ黒さが蟠る。

 新月の夜よりなお深い闇を潜ませた眼は、その場にいる誰も見ていなかった。


 昏く深い双眸が見据えるのは、はるか先。

 その先に何を見出そうとしているのか。


 「まあ、そだねwだってさあ。何が『敵』なのか、まだわかってねーもんね」

 「う?『顔剥ぎ』っていう怖いのじゃないんですか?」

 「その『顔剥ぎ』がなんなのか、誰も知らないワケw知らない敵とは戦えないねー。だって、何と戦って良いのか、わかんねーもんw」

 「さよう。それが知れるのであれば、否、知ることが出来れば、勝ちと言える…じゃがなあ。なーんか、こう、いやーな予感がするのよなあ」


 ふーと息を吐き、ウー老師はいつもの胡散臭い軍師に戻った。


 「なるほど。軍師殿のお考えは理解いたしました。しかし、ジャスワン将軍。何故、貴殿まで?」

 「んー、さっき、ユーシン殿下言ってたじゃない?ラスヤントでヤクモ殿下を襲ったやつだって」

 

 にやあ…と牙を見せ、赤狼と異名をとる将軍は言葉を続けた。


 「俺ちゃんの縄張りでさあ、好き勝手しやがった奴を見逃したくないワケ。ユーシン殿下にゃ悪いけどお、俺の手で首刎ねたいの」

 「譲る気はないが、共闘しよう!将軍!」

 「ま、その時出来る方がヤるってことでwだから、分の悪い賭けでもさ、俺ちゃんは勝負に出たい。殿下方の御身は、十二狗将の名に懸けて御守りする。だから、協力してほしーね」

 「この調子でなあ。放っておいて、この二人で乗り込まれるよりはホンラン殿が付き添った方が良かろうと思うのじゃが…」


 ウー老師のやや投げやりにも聞こえる言葉に、ホンランはしばしの躊躇いの後、頷いた。


 「そうですね…」

 「って言うかさあ。ぼくらが怪我したりしたらダメなんでしょ?でもさ、自分くらい、なんとかするよ」

 「ヤクモ殿下…」


 ふんすと鼻息を勢いよく噴き出し、ヤクモはせいいっぱい胸を張った。


 さっきから、ユーシンは「俺たち」が行くと言っていた。「俺が」ではなく。

 当たり前のように、自分も戦力に加えられている。危ないから、責任を取れないから留守番していろとは言われない。

 それがどうしようもなく嬉しい。


 「俺も守られる側に入っているのかはわからんが、同じくだ。逃げ足も速くなくては、傭兵は長生きできない」

 「だよねー、シド。ぼくだって、オオトカゲ狩りの時、いつも囮やるもん。めっちゃ、逃げ足はやいんだからねぃ!」

 「やれ。しろが聞いたら若君に抗議に行きそうだのう…」

 「しろさんが?そいや、しろさんは?」

 「星龍君が疲れて帰ってくる弟の為に菓子を用意したいと仰せで、贖いにまわっておる。五軒くらいはあったのお…」

 「大変だねぃ」


 同じシラミネ人だからと世話を焼いてくれる、同い年の友人の顔を思い出して、ヤクモはしみじみと呟いた。

 菓子屋は可愛い店構えのところが多いから、買いに行っても不審がられないという基準で雇われたのだと聞いていたから、本来の業務とも言えるが。


 「んじゃ、決まりぃ!何処に行きゃいいのかな~って、あり?そっちのお嬢ちゃん、立ったまま気絶してない?」

 「あ」

 「いや、これはあれじゃな。気絶っちゅうか、考えることを放棄しとる」


 微笑んだ口許と半分閉じた目で遠くを見ているチェは、協議の結果置いていくことにした。

 目撃者にとりなして欲しい事は山々だが、王子三人に十二狗将一人まで混ざると、色々と超えてしまうらしい。

 

 「場所は私が案内できます。クガダラ区の一角、シミ通りの奥です」

 「んー…間違っても殿下方をお連れする場所ではないわいな」


 髭をしごきながら口をへの字に曲げる軍師を、ジャスワンは長身を曲げて覗き込んだ。


 「あれえw胡散くさ軍師殿、貴賤美醜年齢問わずじゃなかったっけ?w」

 「問うわい。手入れされた鉢の花でなく、野の花でも美しく香しいのは真理じゃがな。末将は花々を愛で、共に楽しみたいのである。ただ用たしに…では無粋が過ぎる。おまけに金払って病と蚤と虱を移されてものう」

 「なーるほどねwま、まだ昼前だしい、大丈夫っしょ。逆に人っ子一人いなくて、綺麗なモンじゃない?」

 「まあ、そうじゃな。頼みましたぞ。ジャスワン将軍。くれっぐれも、殿下方をもの影に引っ張り込まれたりしないよう」


 ウー老師の念押しに、ジャスワン将軍はトンと左胸を拳で叩いた。


 「まっかせてえw俺ちゃん、そーゆーとこ、詳しいからねw」


***


 星龍府からは、大都のあちこちに転移陣が繋がっている。

 それは鈴屋や雷帝神殿などを除いては、ごく普通の住居に繋がっていた。


 アスランは商業を特に重視している。

 他国では町を抜けるごとに徴収される通行税や、商品に掛けられる関税を徴収される。

 だが、アスランにおいて通行税は、他国からアスランに入った最初の街で通行証パイサと引き換えに行われるものだ。

 そして関税は、最後に商品を売る場所での徴収になる。


 途中途中でなんだかんだと税を撒き上げられ、賄賂を渡さなければ中々通行許可が出ない…などという事はアスランにおいては許されない。

 もし、勝手に税を徴収すれば、財産没収の上死罪に処される。それでも税の上乗せや賄賂の要求が後を絶たないのは頭の痛い問題ではあるが、他国よりははるかに安く、旅にかかる時間も短く済む。


 さらに、大都に限ってにはなるが、大都に家を持ち、戸籍をつくっておけば、年に二回、任意で決められる月にまとめて関税を支払うことが出来た。

 しかも、その際に掛かる税は、「持ち込んだ商品」にではなく、「売れた商品」に乗せられる。


 つまりは、仕入れた商品が売れなければその分の税は納めなくていい。税を支払うために借金する必要もなく、更には猶予もできるのだ。


 もちろん、売れた商品を売れなかったなどと誤魔化した時には、容赦はない。

 「悪霊スンスより執念深い」と恐れられる徴税官が黙っていないし、売買についてきちんと書類を作成しておかなくては、「最も多く仕入れ、全て売れた」と仮定して税が徴収される。

 

 さらに、アスランは一戸につきいくらで住民税が掛かり、場所によってその金額は異なる。大都は当然ながら最も高い。

 その為、大都で戸籍をつくり、一人暮らしをするというのは、それだけで金がかかるのだ。

 だが、あらかじめ「この期間は、この理由で大都にいません」と先に役所に届け出て、認められれば、その間の住民税は免除となる。

 交易商人たちは年の半分以上を旅の空を眺めて過ごす。大都の住民税がいかに高くても、半額以下なら恩恵が上回った。


 だから、小さな商会や個人で交易をおこなう旅商人は、多少無理しても大都に家を買い、そこを住所として戸籍を登録する。

 ほとんど帰ってくることはないから、家は狭く小さくで良い。だが、盗人に入られたり、留守の間に誰かが棲みついたら困る。

 なので、そこそこに治安が良く、けれどやや不便な場所に、小さな家が密集して建っていた。

 口の悪いものは、そうした人が住むには狭すぎる家が集まるさまを、「蟻塚のようだ」と揶揄する。


 星龍府の転移陣は、そうした「商人塚」に繋がっていた。

 基本無人であっても怪しまれず、出入りがあっても問題ない。「隠し通路」として活用するのにうってつけである。

 「書類上は居る」事になっている人物名義で購入し、長くても一年で手放して他の家を購入し、転移陣を構築しなおす。

 基本的にはトールが私的に管理し、活用しているが、依頼があれば御史台の密偵にも開放している。密偵ではないが、御史台に所属するホンランも存在は良く知っていた。


 「ユーシン、だいじょぶ?」

 「大丈夫だ。朝飯はもう胃にない!胃液しかでない!」


 ささやかな庭の片隅で、凍った地面に胃液を吐くユーシンの背を、ヤクモの手袋を二重にはめた手が行き来する。


 「シドも、へーき?」

 「ちょっと目を閉じて座っていれば問題ない」


 ヤクモも最初に転移陣を使った時はクラっときたが、今回の転移ではなんともなかった。慣れるものであるらしい。


 「み、みみみ、水、いり、いりま、ま、ます、か?」

 「貰おう!ありがとう、ココ殿!」

 「ど、どど、どうい、どどういたた、いたし、まして」

 「ココ君はやさしーねぃ。クロムだったら、遠くに離れて馬鹿にしてくるよ」

 「く、くく、クーは、すすすす、素直、じゃ、な、ないない、から」

 「それはクロムを良く言いすぎだねぃ」


 ユーシンが口許を拭いながら起き上がり、水袋をココチュに返す。シドも眩暈が収まったようで、しっかりした足取りで立ち上がった。


 「大丈夫そうねー。んじゃ、いこっかw」


 吐く息は氷ついて白く、僅かに露出した肌は寒いというより痛い。

 それよりもヤクモの胸中に不安の霧を生じさせているのは、辺りの静けさだ。

 

 大都と言う街はどこまでの家や商店が並び、何時だって何処だって人であふれている…と言うのがヤクモの知りえた知識だ。

 しかし、転移陣を通って現れた先には、同じような造りの家が立ち並び、人気はほとんどない。

 そういうところというのは聞いていたが、それでも違和感と不安感が沸きだしてくる。


 「将軍は、目的地周辺について知っているのか?」

 「んー。シミ通りって聞いてえ、シド殿下はピンとこない?」

 「シド殿下、はやめて欲しい。シドでいい。あんたの方が、俺よりずっと偉い」

 「あらやだ。地位とか官位とか気にする方?」

 「アスランの重鎮が偉くないわけがない。生半可な功績と実力で辿り着ける場所じゃないだろう。十二狗将と言うのは」

 「まあねえ。そいじゃ、シド君はピンと来てないってことで良い?」

 「ああ。アスランにきて一年だが、鈴屋周辺くらいしかよくわからない」


 トコトコとまるで散歩するような足取りで進みつつ、ジャスワンは手を肩の高さくらいまで上げた。

 

 「アスランの有名な歓楽街、トノヤ通りやアッチル街がこのくらいだとしたらね。シミ通りは地面くらいの格だねw許可とってる店もあるけどさ。だいたいは飲み屋のていで、注文すれば二階にしけこめるって店よwま、それでもマシな方で、夏は立ちんぼが蚊柱並みに立ってるって最下層の色町だね」

 「なるほど」

 「とにかく安い。安いけど、ここで女を買うやつは、それ以上稼げない貧乏人w軍師殿の言う通り、病気と蚤虱を金払って買ってくるようなもんさ」


 それでも、買うものがいるから存在している。そんな泥濘ぬかるみのような場所。


 アスランにも…特に、賑やかでどこもかしこも眩しいと思っていた大都にも、そう言う場所はあるのかと、ヤクモは微かに拳を握り締めた。

 ファンがたまに口にしていた「アスランはこの世の楽園じゃないし、アスラン王家は神のごとき為政者ってわけじゃない」という言葉には、こうした場所の存在があるのだろう。


 「再開発の予定です。犯罪の温床にもなっていますしね」

 「再開発?」

 「ええ。アスランは法を守り、税を収めれば、出身地、姿かたちを問わず民と受け入れますが、それを拒みながらも大都に住みつく輩を守る義務はありません」

 「そしたら…そこに住んでいる人、どうなっちゃうんですか?」

 「不法滞在ならば捕縛します。住んでいた年数分の税を納めるまでは、奴隷身分ですね」

 「奴隷…」


 アステリアに入って最初に泊った宿で、うっかり自分も奴隷として売られるところだったヤクモにとって、その立場はあまりにも恐ろしい。

 実際に何をさせられるのか、どういう状態なのか未だによくわからないが、ファンがあれほど怒っていたのだから、良くない事だろう。

 自分は男だから、客を取らされて…と言うのはない。それはわかる。

 だが、鞭打たれながら重労働をさせられたり、危険な場所に放り込まれたりしたのかも思えば、自分がいかに幸運だったかと身が震える。


 「奴隷つーても、たぶんヤクモ殿下が考えてるのとは、ちーっと違うねw」

 「う?そなんですか?」

 「まー、もぐりの奴隷商とかー、自前で奴隷調達する系クソ野郎に捕まると、考えてる通りのひっどおい扱いだけどねーw本来の意味でのアスランの奴隷っつーのは、三通りあるの」


 ぱっと親指、人差し指、中指を広げたジャスワン将軍は、まず中指を折った。


 「ひとつは、悪ーい事して、罰として奴隷に落とされた系ね。ラスヤントでヤクモ殿下に絡んだ馬鹿共みたいな連中。こういうのは、汚泥掬いとかあ、鉱山奴隷として使い捨てにされます。死罪にすんのはちょっと罪が軽いけど、生かしておいてもねえ…みたいなの」

 「えっと、反省しても、奴隷やめられたりしないんですか?」

 「こいつは生かしておいても良いかなーってやつは、途中で二つ目の奴隷に変更したりするよん。二つ目は、人が欲しいところに送って、安い給料でこき使う系奴隷ね。衣食住は支給、病気怪我は専用の医者がいるし、無理矢理タタル語の読み書きも勉強させるという、超きびしーい労働環境w税金払えなくて国に回収されたり、やっすい盗みとか捕まるとこっち」


 人差し指を折りながら、長身をぶるぶると震わせる。しかし、語った内容はヤクモの考える「奴隷」の暮らしとは、だいぶん違う。それならむしろ、進んでなりたがる者もいるのではないだろうか。


 「農作業か、工場での仕事が良いかくらいは聞かれますが、基本的には強制労働です。滞納していた税金を納めるまで、傷病以外の理由で休むことも許されません」

 「そのへんは奴隷っぽいねぃ」

 「農業も工業も駄目だねコイツってなると、公娼になっしね」

 「男のひとだと、悪い方に行かされたりするんですか?」

 「あらあ、ヤクモ殿下。どこの国でも、男のが良いって需要はあるのよ?ましてアスランは、同性婚もぜんぜん問題なーいって国だし」

 「ふぇ!?」


 という事は。

 アステリアで助けられなかったら、そちらも意味でも危険だったのか。

 今更ながら冷や汗を流すヤクモの沈黙を、ジャスワンたちは別の方に受け取ったようだった。


 「他国の方から見ると、同性婚は異様な事のようですからね」

 「セスでは、同性愛は縛り首だったな。自然の理に反している、と」

 「えー、やっだこわーい。野蛮~。そーゆーこと言ってさあ、縛り首にしてる偉い奴が男の子のおしり追っかけてたりするよね~w」

 「それはどうだったかまでは覚えていないが、ありえるな」


 冷や汗の理由は誤解されたままにしておこう、とヤクモは内心頷いた。世間知らずと思われるのは、やっぱり少々恥ずかしい。

 もしかしたら、そこまで見透かして「アスランは同性婚が認められる」事に驚いている…と話を流してくれたのかもしれない。ホンランさん、ありがとぅ…と、これまた内心に御礼を呟く。


 「開祖がアスランを建国した折、その偉業を援けた十二人の将がいました。その将らに、望みを何でも叶えると開祖が申されると、双子の兄妹であったスランとエランの二人が、同性の恋人との婚儀を認められたいと願ったのです」

 「双子のきょーだいで二人ともそうなの、なんかすごいねぃ…」

 「史書には綺麗に書かれてるけどさあw王家の秘史を読んだら、なんかめっちゃ面白そうだよねえwナランハルなら教えてくれそーw」

 「秘史?」

 「史書には残せなかったホントの事をまとめた書物らしーよwたぶん、あれね。オドンナルガは将来、九代大王として超完璧超人に書かれるじゃん?武将として常勝不敗、国内を良く治めアスランをますます繁栄させ、家族愛に溢れた名君であった…みたいな」


 ふむふむと頷く。ヤクモの知るトールは確かにそう言い伝えられても、嘘や誇張はない。それだけでは、ちょっとどころではない大きな漏れがあるが。

 

 「でもさー、秘史には『鳴き声が弟』とか『超人見知り』って残されるわけ」

 「他の王様も、そんな感じなんですか?アスランって」

 「ぼくちゃんわかんなーいwwナランハルに聞いてw」


 多分そんな感じなんだろうなあ…と深く納得する。

 ファンもきっと「博識で教養豊か」とか書かれる。そして秘史には、「虫とか草に興味津々で、話しだすと蘊蓄がとまらなくてウザい」とか書かれる、と。


 なんとなくだが、代々秘史を記述していく人の気持ちがわかる。いや、実際にはこうだから!と何かに残したくなるのだろう。

 けれど、きれいに繕った部分だけでは、いっしょに生きた彼ら彼女らの本当の姿は伝わらない。

 蘊蓄たれず、珍しい虫を優先せず、本を読んでも寝る前までで止められるファンなんて、ファンじゃない。


 蘊蓄にクロムがツッコみ、ユーシンが寝て、珍しい虫を追っかけようとするのを皆で止めて、徹夜で読書していたのを怒って。

 それを「無礼だ!」と怒ることなく、一応は反省してまた繰り返すファンの人柄が、「誰が見ても恥ずかしくない姿」だけで語られて欲しくない。

 

 だからきっと、秘史を書き記していくのは、その王族に親しい誰かだ。ヤクモだって、依頼されたら頑張って書く。

 そして書いている間きっと、笑っている。


 「んでんで、最後のひとつが売られる奴隷ねwこれは、戦で捕虜になった人が多いよん。買いたい人は、これこれこういう技能持ちの奴隷が欲しいのお~って奴隷商に依頼すると、奴隷商がかしこまり!って探してくるってワケ」

 「本来のアスランの奴隷は、これです。負けた側の国や、内乱鎮圧後新領主となった者が買い戻すことも多いですね。人口の流出は為政者としては避けたい事態ですから。買い手がつかなかった場合は、公奴となって将軍の言うところの二番目の奴隷になりますが」

 「最初に値段がついてね~。その分稼ぐと解放されて、希望すればアスランの国籍ももらえんの。正確には、奴隷商を仲介にして、公奴を『借りてる』って状態だから、酷い扱いは絶許だし、調査もされっからね。扱いは良いよん。でも、奴隷の間は勝手な結婚とか、転職、転居は禁止。逆らったり逃げたりしたら、お値段上乗せ。繰り返すなら強制労働行き。」


 従順に従うなら、それなりの待遇で扱う。しかし、逆らうなら容赦はしない。

 それは、アスランの基本姿勢だ。ファンもそう言うところがある。

 

 「俺ちゃんもさー。母ちゃん娼婦だったのよ。きったねぇ女郎屋のさ。もち、親父の顏とか知らんし。んで、俺ちゃんが十二ちゃいの時に、そこのクソ領主サマが税金ちょろまかしててさー。軍向けられて、血迷って抵抗して、攻め落とされちゃってんの」


 さらりと語った出生は、見るからに上質な外套を羽織る、最年少の十二狗将にはまるで似つかわしくないものだった。

 

 「しっかもさあ。最初は降伏ちまちゅ~、ゆるちて!って言っといて、軍が一度引き上げたらうっそでーすwwwとかやりやがったからね。さらに、町の連中もアスラン軍だっさwwとかやっちまったもんだから、そりゃあ厳しくお仕置きされたよね」

 「アスランの最も嫌う態度だな!」

 「領主と取り巻きは箱刑にされたし、町の十五歳以上…成人済みの住人は全員奴隷として連行で、財産没収。んで、俺ちゃん十二ちゃいだったから、てきとーに割り振られた他のお子ちゃまと一緒に、宿舎つきの学校に放り込まれたのよ」


 防寒の為、鼻から下は首巻に隠され、目深にかぶった帽子で眉毛も見えない。しかし、双眸は緩やかに細められて、過去の日々をジャスワンがどう思っているのか、如実に表していた。


 「いやー吃驚したね。飯も腹いっぱい食えるし、なんか居たからって殴られることもない。いつ、俺の尻売るか俺の前で算盤弾いてる置き屋のババアもいないわけよ。んもう、超快適。しかもさあ、兵士か役人になるなら、成人した後も住むところくれるって言われてさ。もう、全力で尻尾振ったね」

 「それだけ恩義を感じながら、軍では命令違反の常習者だったのはいかがなものかと」

 「コウに言ってやってwwアイツより酷くないよ俺ちゃんは!つーか、俺ちゃん陛下のお墨付きだもーんwジャっくんは、好き放題やらせてみよう面白そうだからって、俺ちゃんが百人長の時におっしゃられたんだしーw」

 

 それは人を見る目が合ったというべきなのか。

 結果として貧民街で生まれ育った娼婦の子が、十二狗将と言う武官の最高位にまで上り詰めたのだから。

 しかし、ジャスワンを部下に抱えた人々の心労と胃痛は想像を絶する。

 部下にしたくないから、上官が王しかいない地位にまで押し上げられたと言われても、納得するしかない。


 「はあ。それをならば致し方なしと受け入れて好きにさせた、ボオルチュ将軍はもっと責められるべきです。ああ、殿下方。お気を付けを。この辺りから、シミ通りです」


 ホンランの呼びかけよりも、周りの景色が目的地への到達が近い事を声高に知らせていた。


 同じような、しかし生活感のない家が並ぶ光景に、あきらかに空き家とわかる廃屋と、それを土や廃材で補修して使っていると思われる住居が現れる。

 石畳の道は変わらないが、ところどころ剥ぎ取られ、むき出しの地面になっていた。剥ぎ取られた石畳みの行方は、少し視線を巡らせればわかる。家の壁にあいた穴を覆った土にめり込んでいるのが、いくつも見えた。


 先ほどまで見かけなかった住人と思われる姿も、少ないながら現れる。

 身形の整ったものは皆無と言ってよく、これだけの寒さだというのに、マントや外套を着こんだものもほとんどいない。

 活気もない。ただ緩慢に何処かへと向かい、何かをしている。その荒み、ただ生きているだけの目は、ヤクモもよく知っていた。

 

 定宿周りにもいた。冒険者を目指してやってきたは良いけれど、上手くいかず、ただ不貞腐れて生きている者の目。

 ただ、アステリアで見た彼らより、なおシミ通りの住人たちの纏う荒廃は濃い。

 それはきっと、アステリアの冒険者崩れが一度は胸に抱いた「希望」というものを、此処の住人たちは生まれてこの方、見たこともないからかも知れない。


 「さて、ホンちゃん。お目当ての家はどこかわかるぅ?」

 「無論です。通りに面していますから」


 住人たちは、昏い視線をあげて突然現れた、あきらかにこの通りに似付かわしくない一行を眺めた。

 この通りにやってくる「客」は、日銭をどうにか稼いで生きている、住人よりもちょっとだけ上等なだけの貧乏人だ。

 継ぎはぎもなく、外套の上にマントを羽織れるような暮らしをしている者は、シミ通りになど用はない。あるとすれば。


 ホンランのマントの背面に刺繍された剣の意匠。それを見て、住人たちは虫が石の下に潜り込むように姿を消す。

 断事官が乗り込んできたというなら、何かの下手人を捕らえるためだ。そうでなければ、不法滞在だと全員捕縛するために様子を見に来たか。


 先頭を往く長身の男の手には長柄の斧があり、他の面々も武器を携帯している。

 大都で武器の携帯は禁じられていないが、それでも長柄武器を堂々と持ち歩くのは、兵士だけだ。傭兵だって、仕事中でなければこれ見よがしに持ち歩かない。


 となれば、やはり一斉捕縛の下見に来たかと警戒するのは、無理もない。

 だが、ヤクモにそんな事はわからない。一瞬でいなくなった住民たちに、ぽかんと足を立ち竦ませる。


 「なんか…ひと、いなくなちゃったねぃ」

 「昼飯だろうか!俺も腹が減った!」

 「いや、俺たちを警戒しているんだろう。客が来る時間じゃないし、武器を持った男がぞろぞろきたら、普通は警戒する」

 「そっかあ」

 「さささ、さいしょ、き、きた来た時、とき、おおおお、同じだ、だった」

 「ホンちゃんの初手ガンつけにビビってたんでなーい?」

 

 ジャスワンの軽口を聞き流し、ホンランは迷うことなく歩みを進めた。その行く先々で、住民たちが粗末な家の中に隠れていく。

 先へ進めば、粗末な家は傾いた看板を掲げた店に変わり、視線は怯えから品定めまで幅を広げた。

 中にはそれなりにしっかりとした造りの店もあり、街灯もまばらにあるようだ。これなら、夜に来れば賑わっていると言われても頷ける。

 ただ、今までヤクモが見たことのある「盛り場」に比べて、どうしても荒んだ雰囲気は拭えなかったが。


 「あの店です」


 ホンランの白い手袋に覆われた指が示したのは、赤く塗られた板を看板として掲げる店だった。

 周囲の店と同じく、二階建ての小さな店だ。


 「赤く塗られた看板は、酒も出す茶屋の看板だ。食事も出すなら、半分黄色く塗られる…と教わった。酒だけの店なら、黒くなる」

 「へえ~。でも、鈴屋さんの周りのお店とか、もっと名前とか書いてるよねぃ。あと、絵もあるし」

 「店名や絵を入れると高くなるからな。最近は、ああいう色だけで示すのがしゃれている…と流行っているそうだが、此処の店はそうではないだろう」

 

 明らかに適当に塗られた看板は、どう見ても狙ってやっているものではない。安物の塗料なのか、所々剥げているし、色も赤と言うより茶色に近い。


 「看板が丁寧に塗られてる店はさ~、安くて美味い事が多いよん。おにーさんの知恵袋~w」

 「覚えておきます」


 それは間違いなく、重要情報だ。

 しかし、今は使う時ではない。固く閉ざされた扉は、ホンランを拒むかのように立ち塞がっている。


 「失礼。先日話を伺いにまいった、断事官のユー・ホンランだ。いまいちど、貴殿がお持ちの情報をお聞かせ願いたい」


 がんがん、と扉を叩きながら声を掛ける。しかし、応じる気配も声もない。

 だが、扉の奥で微かに人が動く気配はしていた。寝ていたり、留守と言うわけではないようだ。息をひそめて様子を伺っている。

 

 「いやー、ホンちゃんさあ…wもう一回、嫌がられてるんでしょお?」 

 「断事官の訪問を拒むのであれば、実力行使に及べますから。あと二回声を掛けて、返答がないのなら踏み込みます」

 「ちょっとーw女将さん~。このヒト本気でやりますよお?とびっきりの美少年から美青年まで連れてきたんでェ、ちょっと開けて出てこない?」

 「…将軍こそ、踏み込ませたいだけでは?」

 「ええ~。ひっどーい」


 ホンランの踏み込むという言葉と、ジャスワンの甘言、どちらがより功を奏したのか。

 軋んだ音を立てて、扉は内側に開かれた。


 僅かに開いた扉の隙間から伺うのは、髪に白いものが混じった女性だ。化粧を落としているからか、夜の女の気配は薄い。

 どこにでもいるような、生活に疲れた中年女性。そんなふうに見えた。


 だが、伺う目は鋭く、警戒に満ちている。その眼がホンランの顔を撫で、それから隣に立つジャスワンに向かった。


 「はじめましてーwおにーさん、ホンちゃんの旦那の元上司w『顔剥ぎ』について、知っていることあるんだって?そいつぶっ殺したいんでぇ、お話聞かせてw」


 そう言いながら、するりと身体をの向きを変える。そうすることで、ジャスワンの背に隠れていた、ユーシン、シド、ヤクモ、そしてココチュの顔が女性の視界に入った。


 「あンらァ!!」


 途端に、女性の目が蕩ける。


 「もゥ、おにいさんがたァ、寒い中立ってたら風邪ひくよーゥ!!ささ、入って入って!!」

 「はーいw」


 流石に顔を手で覆ったホンランの肩を叩き、大きく開いた扉の中に、するするとジャスワン将軍は歩みを進めた。


 「ほらほら。おうちのなか寒くなっちゃうから、入る入る~」

 「うむ!邪魔をするぞ、ご婦人!」

 「いやだよォ!ご婦人だなんてェ!!」


 くねくねと腰をくゆらせながら、女性は一行を中へと招く。

 一階は茶屋の体裁をとっており、入り口で靴を脱いで座敷に上がる形式だ。狭いが清潔な座敷には、卓が二つ、古びた絨毯の上に置かれていた。


 「まだ客もこねェし、靴は脱ぎっぱなしで良いですよォ」

 「お、お、おおお、俺、し、ししし、仕事中、たたた、立って、るる、ね」

 「あらまァ、仕事熱心ですこと!せめて、椅子もって来ましょうねェ!」


 いそいそと奥に引っ込む。布で仕切られた奥の部屋はどうなっているのか見えないが、すぐに小さな丸椅子を持って出てきた。


 「はい、どうぞォ」

 「あ、ああ、あ、ありが、ありがたく」

 「いえいえ~!んフフ、若い、酒枯れしてねェ声は、いいわあ」


 うっとりと、呟く声は、ココチュの吃音を気にした様子もない。ヤクモはこの店の女将を「悪い人じゃなさそう」と判断した。


 「ご婦人!俺も『顔剥ぎ』の首級を上げたいのだ!そのためにも、どのようなものか知らねばならぬ!教えて欲しい!」

 「嫌だわァ、ご婦人なんて大層な呼ばれ方するようなモンじゃあござんせんよ!あたしのこたァ、オツタとどうぞ」 

 「では、オツタ殿。改めて、あなたが『顔剥ぎ』について知っていることを話してもらおうか」


 ホンランをちらりと見たオツタの視線は、扉の内側から伺う時と同じ温度だ。冷たく、鋭く、微塵も油断がない。

 その視線をくるりと、オツタはジャスワンに向けた。その途中、帽子と首巻を取ったユーシンとシドの顔を撫で、なんだか怖いのと寒いのとで両方外せないヤクモに停止し、うふりと笑う。


 「ダンナさん、『顔剥ぎ』ぶっ殺したいンだってェ?それならさァ、このオツタにお任せくんなさい。なんたって、アタシはアイツの面ァ、見てっからねェ」

 

 いっそ潔いほど無視されたホンランの目元が引き攣り、眉根が寄る。だが、そこで耐えた。貴重な情報提供者にこれ以上避けられることは上策ではないと、ぎりぎりで理性が勝ったようだ。

 ただ、隣に座るヤクモは居心地悪いことこの上ない。


 「ホンちゃんから軽く聞いてるんだけどさ。もっかい、おにーさんにも教えてくれる?どうやって、『顔剥ぎ』のツラ、見たのかな?」

 「…うちの娘がサ、アイツに殺されたのさァ」


 ぎゅ、と皺が寄った眉間は、演技ではない。先ほどまでの媚びを含んだ声とは別人かと思えるほどの低い呟きには、本物の怨嗟と怒りが込められていた。


 「来ねェなって、思っててね。そしたら酔っぱらいが悲鳴あげてよゥ。まさかって見に行ったらね。あの、胸と左手しか残ってなかった。でもサ、アタシがあげた首飾りがね、嘘みてェに壊れも千切れもせずに首にかかっててサ。その上の顔は、無くなっちまってんのによ」

 「それで、誰かわかっちまったって事か。姐さん、しんどかったね」

 「ああ…。死ぬより辛ェって意味が、よっくわかったよ」


 呻く声は、誰に向けられたものでもない。しかし、彼女の無念さは全員に伝わっただろう。

 少なくとも、ヤクモは先ほどの居心地の悪さも忘れて、少し潤んできた目に力を込めて、それ以上の決壊を防いだ。


 「それでサ。次の日の朝になったらヨ。やたら鴉共が騒いでてね。なんか予感がして見に行ったら…あの娘の右手があったのサ」


 群がる鴉が啄む、人の腕。おそらく彼女は、餌をとられまいと威嚇する鴉をものともせず、その腕に駆け寄ったのだろう。鋭い黒い嘴に皮膚を咲かれても、爪を食いこまされても。


 「ずいぶん、骨になっちまってたけど、なんかをぎゅっと握り込んでてね。撫でたら、指が開いてさァ。そこにね、安物の耳飾りが、握り込まれてた」

 「それも、娘さんの?」

 「…」


 ジャスワンの問いに、オツタは僅かに目を閉じ、そしてゆっくりと首を振った。


 「いんや。あんな悪趣味なモン、付ける娘じゃあないサ。それでアタシはピンときたのサ。こりゃあ、『顔剥ぎ』のモンだって。あの娘が最期に、どうにかしてむしり取ったんだろうって」

 「その耳飾りは男物か、女物か?」


 ホンランの問いは、またもや無視された。

 開かれたオツタの双眸には、暗い炎が点っている。復讐心と言う名の、何もかも燃やし尽くすような高音の炎が。


 「ねェ、ダンナ。『顔剥ぎ』。ぶち殺してくださるんですよねェ」

 

 皺の刻まれた手が、ジャスワンの胡坐をかく脚に伸びる。

 ゆるりと動くその手は、触れるか触れないかというところで止まった。


 「法なんてサ、お偉いさんの機嫌でどうにでもなるようなモンじゃなくてよゥ。ダンナ、お強いんでござんショ?ねェ…」

 「もちろん」


 言い切るジャスワンに、オツタの双眸は更に暗さと温度を増した。


 「アタシにさァ、あのクソアマの首、見せておくんなせィ」


 その、媚びを含んで甘く、しかし闇の底に滴る泥のような声に、ホンランは僅かに腰を浮かしかけ、ユーシンは形良い眉をわずかに寄せる。


 「オツタ殿!『顔剥ぎ』は女なのか?」

 「そうでござんすヨ。お綺麗な若様。ああ、なんて綺麗な顔でしょ。こんな美しい顔のひと、ミナホの宮さまにもおりませんわ」

 「俺の顔などどうでも良い!皮がむければ皆同じようなものだ!」

 「そんな事ァねえよ、若様。いっくらお綺麗な皮を張っててもね、胎ん中腐ってる輩の面ァ、どんどこ汚くなっていくものサ。若様方は、胎の中もお綺麗だねィ」

 「えー、俺ちゃんはー?」

 「ダンナの胎はおっかなくて見られたもんじゃアござんせん。でもよゥ、良い漢だよねェ。こんな年増の貧乏女郎の頼みを、二つ返事で引き受けてくれるんだからサ」

 

 しなだれかかるオツタを、ジャスワンは上機嫌で抱き留めた。だが、その仕草に欲の熱は感じられない。犬が甘えてくるのを受け止めているかのようだ…とヤクモは思った。

 そしてなんとなく、そう言う人だから、オツタさんも平気でこうやってくっついているような気がする。先ほどまでのどろりとした気配は影を潜め、一周回って無邪気と思えるほどだ。


 「俺ちゃんの縄張りで悪さしてくれちゃったからねー。姐さんのお願いだけで動いてるわけじゃあないよん」

 「それでもサ。本当に、やつばらめの首が欲しいのサ。ぶって蹴って、唾ァはきかけてやりてェ。それがせめて、あの娘に捧げられる供養ってもんだろゥ?」

 「すごく、仲良かったひと、なんですか?その人…」


 不意に口から出た問いかけに、ヤクモはしまったと内心慌てた。

 不躾な質問だ。まだ血を流している傷口を抉るような。

 仲が良くないはずがない。これほどまでに、涙すら流せず怨めるのだから。

 

 「…そうさねェ。うん。仲が良かった。アタシはね、十八で攫われて売られてサ。流れ流れて此処にきた。アタシを最後に買った人がさァ。まァお人好しでね。アタシの他に、売れ残って無駄飯食うならって捨てられた子供も連れてよ、カーランから逃れて、アスランに来たのサ」

 

 ジャスワンの胸に凭れたまま、オツタは遠い目で在りし日を語る。柔らかく低い声は、きっと彼女の本来の声だ。


 「アスランついて、しばらくしてその人は死んじまってね。アタシは女童と二人でどうしたもんかと途方に暮れたヨ。そしたらさ、旦那サン、いつの間にか、アタシを女房にしててね。遺産まるまる貰った。で、この金で何とか商売でもって思って、買える店を探したら、買えたはいいが、この店サ」


 くつくつと笑うが、その笑いに暗さはない。


 「故郷じゃ茶屋をやってたからね。まア、その頃から身は売ってたからサ。お似合いの場所に収まったってだけサ。まあ、女郎と遣り手婆じゃァ身分が違う。マシになったもんよ。それで、あの娘だけは身を売らせずに育てられたら上等さね」

 「そっか。その娘か」

 「ああ。右手以外の身体は持っていかれちまったから、右手の骨だけ荼毘に付してね、綺麗な壺に遺灰を入れてある。ほんと、いい子に育ったんだよゥ。本人がやりたがったから、ヒタカミの歌と踊りを教えてね。それが評判になってさ。表通りの良い店で歌って踊るだけで稼げるようになってさァ」


 ジャスワンの分厚い外套に皺が寄った。その源では、オツタの手が震えていた。


 「月に一回。月に一回だけ、うちに帰って来てたんだ。アタシがそれ以上は来るんじゃないって言ってたから。でもサ、本当はサ、もう帰ってくるなって、言ってやらなきゃいけなかったんだ!そうしたら、娘は、シンファは、死なずに済んだ!あんな、あんな惨い骸を晒さずに済んだんだ!アタシのせいだ!」

 「それは思い違いだ。あなたは被害者の家族であり、被害者そのものだ。下手人であり、罪を償うべきは『顔剥ぎ』のみと、私は断じる」


 髪を振り乱したまま、オツタは初めてホンランに視線を向けた。その微塵も揺るがない冷静な顔をしげしげと眺めまわし、しばらくしてジャスワンの胸から離れる。


 「偉そうにねェ。アタシは、女を便所か何かかとしか思ってェ男より、お可哀想って上から見下ろしてくる女のほうが嫌いなんだよ。男は気持ちよくなりゃおぜぜを払うが、女は屁にもならねェお言葉だけだからね」

 「私はあなたを憐れんだつもりはないが?」

 「ふん。そうさねェ。アンタは見下して気持ち良くなるってェ趣味はねェみたいだね。あのクソ女みてェなさ」


 オツタは片膝をたてて胡坐をかき、口許を歪めた。服の裾の内側が見えそうで、ヤクモはなるべく自然に見えるように視線を逸らす。

 幸い、此処にクロムはおらず、唯一揶揄ってきそうなオツタの視線は、ホンランにだけ向いていた。ジャスワンが穏やかな微笑みを浮かべているのは気になるが、全力で無視する事とする。


 「その女が『顔剥ぎ』か?」

 「あア。ゲロっくせェ臭いがぷんぷんしやがった。あの女サ」

 「ゲロ臭いか!それではやはり、ラスヤントでヤクモを襲ったものだ!」

 「あいや、若様も嗅いだのかい?あの胸糞悪くなる臭い。ま、誰にでするもんじゃないらしいけどねェ。アタシの鼻は誤魔化されないよ」

 「平気な奴もいるのか!鼻がきかんのか?」

 「さあねェ。一緒につるんでた連中は、臭ェのを我慢してるってふうじゃなかったからね。そう思ったのサ」


 ユーシンはとてつもなく鼻が利く。犬かお前はと良くクロムが呆れるが、特に食べ物と血の匂い、そして悪臭に敏感だ。

 逆に花の匂いなどはほとんど感知しないようで、つまりは興味があることか、身の危険に直結するものにだけ鋭敏に反応するのだろう、とファンは結論付けていた。


 「つるんでいる連中…?『顔剥ぎ』は堂々とやって来ている、と?」

 「ああ。堂々も堂々。胸張ってやってくるよ。アタシらをお可哀想って哀れみにね。十のつく日にさ、古着やわずかばかりの食いもの持ってやってくる」

 「…慈善団体か!それで獲物を物色しているのか!」

 「じぜんだんたい?」

 「ええ。そういう行動をする団体がいるのです。貧しい人々に救いを、と古着や寄付された食料をもって、貧民街を回るという団体が」

 「護衛引き連れてだけどねーwまあ、ちゃんとしたところもあるよん。ガキんちょ引き取って、読み書き教えたりとかさー。役所に申し出るの手伝って、さっき言ってた税金滞納奴隷からのアスラン国民って方向に持ってったりとか」


 オツタの言い分からすると、『顔剥ぎ』が混じっているのは真っ当ではない方の団体のようだ。

 古着と僅かばかりの食料を恵まれなければ生きていけないほど、この通りに棲みついた人々は生活基盤がないわけではない。その程度の「施し」で見世物にされれば、感謝より悪態がでるのもわかる。

 

 「…待ってくれ。今日は十日だ。十の付く日じゃないか?」

 「あ、そだねぃ!っていう事は、『顔剝ぎ』くるかもなの!?」


 シドの指摘に、全員の顔に様々な感情がよぎる。

 

 「軍師サマの勘、超サイッコ~wめっちゃ当たるくない?」

 「…将軍。殿下たちの御身の為に、今は一度引くべきでは?」

 

 オツタを守って離脱し、後日最大限の備えをしてから待ち受ける。それは確かに、最善の方法だ。

 そうすべきだし、そうするしかないだろう。

 だが。


 「俺ちゃんの勘もさー。バキバキに言ってるのよ」

 「なんと?」


 嫌そうに問うホンランに、赤狼ドールは牙を見せて嗤う。


 「もう遅いってね」


 猛獣の吐息のような声に、外から被さるのは、女性の集団の声。

 そして微かに。

 ヤクモの鼻は、ラスヤントで嗅いだ臭いを…捉えていた。

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