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鳥には羽根 魚には鱗  作者: 阿古あおや
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蛇のまだらは皮に、人のまだらは心に(人は見かけによらぬもの)2

 純白の羽毛は陽光を宿し、雲が生き物の形をとって地上にあるかのようだ。


 巨体から想像もできないほど軽い音を立てて着地した飛竜は、翼を水平に広げ、長い首をもたげて人間たちを見下ろしている。

 

 「マナン!」

 弾かれるようにファンは立ち上がり、それからまたしゃがんで綺麗に食べ終わった椀を地に置いた。

 その横を数歩はゆっくりと、土や草が舞っても問題ない距離まで離れたと見るや、勢いよく駆け出す。


 駆け寄るファンを、飛竜は咆哮で迎えた。

 そのはらわたを震わせるような声はヤクモを竦ませ、馬たちは慄いて逃げ散る。

 

 だが、ファンの足は止まらなかった。


 「マナン!お前が迎えに来てくれたのか!!俺がいることが分かったのか!」

 弾んだ声と共に、飛竜の羽毛で膨らむ胸元に飛び込む。

 「グォン!!」

 咆哮を上げながら、飛竜は翼を前方に降ろしてファンを抱きとめた。

 正確には抱きとめるという表現はおかしいだろうが、そうとしか見えない。長い首もファンの背に回し、ぎゅっと密着する。


 「他の竜騎士をぶっちぎってきやがったな…」

 咆哮が煩いらしく、片耳を抑えながらクロムが呟く。

 「どゆこと?」

 「あいつはファンの飛竜だ。主恋しさに、竜騎士を振り切ってきちまったみたいだな」

 

 飛竜は頭がいい。主を迎えに行くのだぞと言われていればそれを理解するし、狼煙を朝から探し回っていたのだろう。

 白い煙があれば、その近くに愛しい主がいる。 

 見つければ、周りの静止など聞きはしない。まっしぐらに飛んでくるに決まっている。

 

 「ファンの飛竜?ファン、竜騎士なの?」

 「逆に聞くが、何でアイツが自分の飛竜を持ってないなんて思ったんだ?」


 問われてヤクモは思い返す。先月のマルダレス山でも、ファンは飛竜になつかれていた。

 元々動物に好かれる人だとは思うが、あれは飛竜を乗りこなし、扱いに慣れているからの反応だったのか、と合点する。

 

 「トールも自分の飛竜を持っている!もちろん、陛下もな!アスランの王族は皆、己の飛竜を持っていると思うぞ!」

 「ユーシンは乗れるのぅ?」

 「一人で乗ってみたいが、お前は立ち上がるから駄目だと言われている」

 ぷう、と頬を膨らまし、ユーシンは玩具をねだる子供のような目でファンの飛竜を見つめた。

 「え、空を飛ぶんでしょ?危なくない?」

 「飛竜に乗って何十年、という熟練の竜騎士でも、飛竜の背に立ち上がったりはしませぬなあ」

 「だよね!?」


 見つめる先で、飛竜は翼を広げ、主を解放していた。その胸に巻かれた帯に足を掛け、するりとファンが背中に上る。


 「あーやって乗るの?」

 「大抵の竜騎士はああやるな」

 

 教科書通りにやるならば、飛竜にもっと身を伏せさせて、直接鞍へと上がるのが正しいやり方と言える。

 けれどクロムが知る限り、そんなまどろっこしいやり方をするのは、まだ自分の飛竜も持てない新兵だけだ。

 飛竜の目を見て、視線を外さないようにしながら鞍へと上がれ、と教科書は教える。鞍の上は飛竜の牙も届かず、攻撃を受ける危険がない場所だからだ。


 だが、「竜騎士ロゥバアトル」の称号を得たような連中は、己の飛竜に攻撃されるなんてことを一切考えない。


 竜騎士となるためには、卵から飛竜を孵し、育てる必要がある。

 そうやって育てた飛竜が主を噛み殺すなら、それは主の罪であると納得して死ぬようなものしか、竜騎士にはなれない。

 卵は孵化するのに数日かかる。その間、毛皮を纏って己の腹で抱き暖め、雛がかえれば生肉を噛んで口移しで与える。

 そうやって育てて、乗れるようになるまで三年から五年。

 

 俺には無理だなと、早々にクロムは竜騎士の道を諦めた。決して、酔うからと言う理由だけではない。


 「でもさあ、あの飛竜だけでぼくら全員運べないよね?どすんの?」

 「今頃大慌てで竜騎士が追いかけてるだろ。待ってりゃそのうち来る」

 答えながらクロムは、上空にその影を探した。今のところ、何も見えない。

 だが、紅鴉親衛隊には魔導にたけたものも当然いる。

 探し物が何かわかっていれば、方向を知るくらいはどうにでもなるだろう。


 そんな状況をどう思っているのか、飛竜も飛竜の主も上機嫌だ。鞍から地上に降り立ったファンは、手に小さな壺を持っていた。

 

 「ココ、馬たちを宥めておいてくれ」

 「ししししょう、しょう、ち!」

 

 馬車を曳く馬たちがのんびりと草を食んでいる為か、一旦逃げ散った馬たちは近くまで戻ってきていた。

 しかし、やはり飛竜を恐れているらしく、落ち着きはない。


 「フゥーイフゥーイ」


 そんな馬たちへ、呼びかけられるのは、口笛とも声ともとれる音。

 耳をパタパタを動かし、馬たちはしばらくココチュの口から呼びかけられる音を聞いている。

 しばし悩むようなそぶりを見せていたが、流星栗毛を先頭に歩き出した。

 戻ってきた馬たちの首をココチュの手が優しく撫でる。忙しない動きをしていた耳が止まり、目に見えて落ち着いていく。

 

 「すごいねぃ…」

 アスランの遊牧民なら当然のことなのかも知れないが、ヤクモの目にはまるで魔法を使ったようにすら見えた。

 「だろ?ココチュは兄弟の中でも一番、馬と話せる奴だからな」

 飛竜を後ろに従えたファンが、自慢げに応える。

 

 飛竜は首を伸ばし、ファンの方に巨大な頭を乗せている。

 前に見た時の様に頭をカプリとはいかないが、その仕草はまるで恋人に寄り添う女性のようだ。

 

 「紹介するな。こいつはマナン。俺の飛竜だ。美人さんだろ~!」

 「ええっと…めす…じゃなくて、女の子なのぅ?」

 「ああ。前に会ったナルシルより、優しい顔立ちだろ?」


 ヤクモは、記憶からマルダレス山で見た飛竜の姿を引っ張り出す。

 

 …なんというか、この子の方がおっきいし、目つきが鋭い気がするんだけど…


 だが、それはあくまで個人の感想。とりあえず、にっこり笑って頷いておく。

 親ばか、と言うのは自分の犬や猫に対しても発揮されるものらしいし、それなら飛竜だって対象なのだろう。たぶん。 

 

 「皿を一枚とってくれ」

 「ほらよ」

 「ありがと。さ、マナンも疲れたろ」

 

 渡された皿に、ファンは壺の中身を広げた。

 ほんのりと薄紅色をした、とろみのある液体は飛竜甘露という。飛竜の好む果物と砂糖と酒を煮詰めたものだ。

 長距離飛行した後の栄養補給として飲ませるものだが、ご褒美の意味もある。

 甘露を好まない飛竜はいない。目を離したすきに壺の中身を全部舐められてしまった、というのは竜騎士なら誰しも経験した失敗だ。

 

 だが、マナンはファンの目をじっと見つめるばかりで、皿に口をつけようとしない。

 要らないわけではないのは、その牙がのぞく口から、よだれがポタポタと滴っていることで察せられる。


 「もう、お前は本当に甘ったれだなあ」


 ファンは苦笑しつつ、先ほどまで自分が使っていた匙を手に取った。

 甘露を匙で救い、マナンの口許に持っていく。

 グルルル、と咽喉を鳴らしながら、マナンは口を開けて舌の上に広がる甘露を味わった。うっとりと細められた目と緩やかに振られる尾が、喜びを表している。


 「んーっと、甘え…てるの?」

 「普段はちゃんと皿から自分で舐めるんだけどな。久しぶりに会えて、甘えてるんだ。いつもは、ほんっとーに、おりこうさんなんだぞ?」

 

 どうやら飛竜的に、その動作はあまり褒められたものではないらしい。

 人間で言うと、あーんしてもらわないと食べないっ!と駄々を捏ねているみたいな状態なのか、とヤクモは一応納得した。

 口を開けているせいで、ずらりと並んだ白く鋭い歯が丸見えで、甘えているというより手首を噛みちぎる少し前、という構図にしか見えないが。


 「勝手に飛んできたことをまずは叱れよ。竜騎士ども、今頃大慌てなんじゃないか?身勝手なことを許すとそいつの為にならんぞ」

 「なんというおま言うだのう…」

 ウー老師の言葉に、ヤクモは大きく頷いた。

 ユーシンは「おまいう?」と首をかしげている。意味が読み取れなかったらしい。

 「たぶん、おまえがゆーな!ってことでしょ?」

 「左様左様。大都ではこのように言葉を略して話すのが、若者の間で流行しておるとか。元はヤルクト訛りかららしいのがな」

 「ヤルクトって、ファンの…なんだっけ?出身地?的なのだよね?」

 ユーシンの隣で同じように首をかしげるヤクモに、ウー老師は頷いて見せた。少々目じりが下がっているのは…おそらく、気が付かない方が幸せな理由だろう。


 「氏族とは、祖霊を同一とする一族の集まりぞな。ヤルクトの始祖は雷帝の雷を先導する燕と伝えられておる。鳥から人間が生まれるわけはないので、まあ、『ハラツァイ』と言う名の魔導士なり呪い師がおったのであろうよ」

 「その人も誰かのこどもでしょー?始祖って変じゃない?」

 「アスラン王家は大祖をもって始まりとするが、大祖の父母をアスラン王家には数えぬ。そう名乗る、もしくは後世の人間がここからだ、と決めたものが始祖と言えよう」

 「なるほどねぃ」

 どこまでも辿れば、大抵の人は親戚になってしまう。

 それでは何かと困ることもあるだろう。誰も彼もが親戚と言うのは大変そうだ。どこまで行けばいいのか見当もつかない挨拶回りで大陸一周、は大冒険が過ぎる。やはり、区切りと言うのは必要だろう。

 そう思って頷き、ヤクモは元の話題に戻ろうとして再び首を傾げた。

 言葉を省略するのがその特徴なら、一番良く知っているヤルクト氏族に当てはまらない。


 「ファンの話はくどいし長いよ。全然省略しないよ?」

 「元になっている、というか真似をしておるのだな。末将が知っておるヤルクト訛りは、『突撃を敢行する』と『ブッコム』と言うのだとか。あとは、『元気を出して朗らかにする』を『アゲアゲ』と」

 「省略…なのう?それ」

 「今はもう、そんな風に話すのはほとんどいないけどな」


 苦笑しながらファンが会話に加わる。飛竜甘露をなめ終わったマナンが、満足げに舌なめずりをしていた。

 その姿は可愛らしさよりも本能的な恐怖を覚える。思わずヤクモとウー老師は一歩距離をとるが、ユーシンは顔を輝かせて近寄った。


 「ファン、マナンと遊んでも良いか!」

 「いいけど、今甘ったれてるから、遊びに乗るかなあ?」

 「それなら俺も撫でさする!」


 ユーシンが手を伸ばし耳の後ろを掻くと、マナンは銀青色の目をユーシンに向けた。獲物に狙いを定めたようにしか見えないが、ユーシンは更に笑みを広げる。


 「マナン、ユーシンだ!久しいな!」

 返答は、喉の奥からの唸り声。


 「おお、覚えていたか!やはりお前は賢い!」

 「…え?今の、ねこで言うところのニャーン、とかそう言う?」

 「むしろ咽喉をごろごろ鳴らしてるってとこだな。大体おんなじだろ?」

 「全然違うよ!」

 

 全身全霊でツッコミを入れるヤクモの顔を、一瞬影が覆った。

 

 「来たみたいだな」

 空を見上げて、クロムは目を細める。

 

 青い空に、黒点が五つ。

 それは旋回しながら徐々に点から影へと形を変えていった。

 マナンと同じく、巨大な翼と長い尾をしならせる飛竜の影へと。


 その旋回下降を見ながら、クロムとウー老師は酒を飲みすぎた翌朝のような顔になっていた。

 「あれやられるとな…」

 「クロム、末将は眠り薬を飲むぞ。飲んで意識を失ってから運ばれるぞ。そなたの分くらいは分けてやっても良いが?」

 「飲むわけないだろ。そこの雑魚にやれ」

 クロムの視線を受けて、ヤクモの表情もこわばる。

 「えっとだな、平気な人は平気だから…」

 「フォローになってないよ!?」


 地上の不安をよそに、飛竜たちは次々に舞い降りる。

 先ほどのマナンの着地と違い、まっしぐらに降りるのではなく、寸前で軽く弧を描き勢いを殺してから地に足をつける。

 その動きに、さらに二人の顔色が悪くなった。


 「ナランハル、御前に参上仕りました!」


 最初に舞い降りた飛竜の背から、騎士が飛び降りる。 

 マルダレス山で会った竜騎士隊は全員女性だったが、飛竜の鞍から飛び降りて膝をつく騎士たちは全員男性のようだ。

 

 「すまないな。わざわざ他国まで来てもらって。飛竜たちに甘露をあげてやってくれ。みんなもちょっと休め。お茶淹れるから。寒かったろ」

 「有難く、ナランハル。実のところ、腹も減っております」

 兜を外し、にか、と笑った騎士の肩を、ファンは親しみを込めて叩いた。

 「アロールとパンとハムしかないが、いいか?米は食っちまったし」

 「今なら塩土でも食えそうです」

 彼が隊長なのだろう。後ろに跪く騎士たちに、手を振る。そのとたん騎士たちは体を起こし、ファンの周りに駆け寄った。

 

 「ナランハル!お元気そうで!」

 「お、クロム!まだ馘になってなかったか!」

 「うるせー、馬鹿」


 じゃれつかれてクロムが唸る。その拳を笑いながら躱し、竜騎士たちは己の愛竜の側に戻った。先ほどのファンと同じく、壺と皿を取り出す。

 まだ空の皿に舌を這わせる竜もいれば、お行儀よく待つ竜もおり、壺を咥えて逃げようとする竜もいる。

 ただ、どの飛竜も自分が背に乗せる騎士を慕っているのは間違いない。壺を咥えて怒られた飛竜も、頭を下げて上目使いに騎士を見ているが、その様子はわざと悪戯をして親の気を引く子供のようだ。

 

 「ファン、お茶淹れるの手伝う?」

 「そっちは大丈夫。パンを二つに切ってってくれるか?」

 「いーよー」

 出掛けに屋台で買った丸いパンは、全部で二十個ほどはある。顔馴染みの店主が、餞別にとポイポイと追加してくれたおかげで人数分よりずっと多い。

 「俺はハム切るから。パンにはさんでいってくれ。パンに塗るバターもレバーもないけど、別々に食うよりちょっといいだろ」

 「そだねぃ」

 ユーシンが俺も俺もと言わなければ良いがと思って見回すと、ユーシンは少し離れてマナンと遊んでいた。


 冒険者用の丈夫なロープの端をマナンが咥え、ユーシンが逆を曳く。白く長い首が振られると、ユーシンの身体も振り回されるが、きゃっきゃと笑っているところを見ると楽しいのだろう。

 …あれは、マナンと遊んでいる、じゃなく、マナンに遊んでもらっている、のでは。

 もしくは、マナンがユーシンで遊んでいる。


 そんな気もするが、深くは考えないことにした。

 

***


 「さて、ナランハル。どういう組み合わせで?」


 軽食と茶で休憩することしばし。

 日は中天を通り過ぎ、西側へと移っている。とは言え、まだまだ十分に昼の時間だ。怠惰な冒険者なら「朝」と称するくらいの。

 

 「俺とクロムはマナンに。ユーシンは…ボオル、任せていいか?」

 「御意」

 隊長は苦笑しつつ頷く。


 「ユーシン殿下もお変わりございませんな」

 「いや、いい感じに変わったと思うよ?」

 マナンにぽぉんと上空に投げられ、はしゃぎながら受け身を取って地面に転がるユーシンを、ファンはそう評した。

 「…なるほど。『恐れを知れぬもの(ナラシンハ)』ではなく、ユーシン殿下だ」

 「そういう事」

 同意を込めて笑い、それから隊長はウー老師に視線を移す。


 「では、ウー殿はいかがいたします?」

 「末将は今より寝るので、誰でもよい。が、できれば、騎竜が荒くない者に…」

 「うちの隊でお上品に乗る奴ァいませんが、一番おとなしい飛竜に乗せましょう」

 隊長の返答に、ウー老師は顔を覆ってよろめく。

  

 「ファン、馬と馬車はどうすんの?もしかして、ぶら下げるの?」

 「いや、ココにサライまで連れてってもらう」

 「ええ!?一人で!?」

 「だだだだ、だいだいじょ、だいじょぶ!おおおれ、おれ、俺、つよい強い!」


 ヤクモの心配そうな視線に、ココチュはにっこりと笑って答える。なんと言っているかはわからなくても、何を思っているかは理解したのだろう。

 どん、と胸を叩く姿は強がりではなく、本当に自信にあふれている。 

 「俺の弟弟子だぞ。その辺の雑魚なんざ足元にも及ばん」

 何故かクロムも得意げだ。


 「でもさ、さびしーじゃん」

 ヤクモの言葉を、ファンはタタル語に訳してココチュに伝えた。一瞬キョトンとした後、先ほどとは違う笑みを、ココチュは顔いっぱいに広げる。

 

 「て、天、と」

 指さすのは、広がる蒼穹。

 「ちち、地」

 とん、と足踏みとして地を叩く。 

 「つながって、る。だか、だから、平気。わ、わわ若の馬、預かる、かる、とてもとても、めめめ、名誉なこと!」

 「ありがとう、ココ。じゃあ、改めて」

 

 ファンの声に、ココチュはその場に跪いた。ほぼ時を置かず、竜騎士たちもそれに習う。

 跪く男たちを見下ろすファンの顔は、普段の冒険者としての表情ではない。

 紅鴉(ナランハル・アスラン)としての、顔。命令を下し、跪かれるものの顔だ。

 

 「勇士ドルジココチュ。ファン・ナランハル・アスランがサライまで馬と馬車の護送を命じる」

 「御意!」

 どもりなく言ってのけ、ココチュは更に頭を下げた。再びあらわにした顔には、強い意志と誇りが漲っている。

 

 「紅風竜騎士隊、十人隊長ボオル」

 「は!」

 「飛竜を駆ってクローヴィン神殿へ向かう。救援が向かうことを報せ、同時に敵陣の偵察も行うためだ」

 「威力偵察になさいますか」

 「場合によっては」

 

 神殿が攻撃を受けていれば。

 敵軍に攻城兵器がなければ突破はできまい。だが、単純に梯子をかけて壁を登ってこられるだけでも、神殿側には脅威だ。


 梯子を倒すなり、兵を落とすなりすれば、相手は死ぬ。

 それがわかってできる人間が、神殿にいるだろうか。


 (レイブラッド卿なら…でも、一人じゃな…)

 唯一出来そうな心当たりを思い浮かべても、多勢に無勢は覆せない。

 僅かな人数でも神殿内に入り込まれれば負けだ。


 「御意。では、ご準備いたしましょう」

 「頼む」

 

 深く頭を下げたのち、竜騎士たちは立ち上がった。

 朗らかに茶を飲み、軽食を摘まんでいた時とは違い、きびきびと動き回る。

 

 「ココくん、ほんとにへーきかなあ…だってさ、変なのいるわけでしょ?」

 「その変なのには俺たちが突っ込むんだがな」

 「勇士の称号を授かったものが、そうやすやすとは討たれん!ココチュ殿を信じろ!」

 「でも…」


 それでも不安の色を隠せないヤクモに、クロムは溜息を吐いてココチュを手招いた。

 「ココ。お前、蜂に驚いた馬を宥めたんだったな」

 クロムの質問に、ココチュは頷いた。なぜをそれを今聞くのか、と不思議そうではあったが。

 「だってココくんさあ、馬を仲良しじゃん。ファンだってできそうだし、それくらいアスランの人ならだれでもできるんじゃない?」

 「そうだ。トールだって当然できる」

 そういえば、とヤクモは聞いた情報を思い返した。


 星竜君(ファンの兄)の御前で蜂に驚いた馬を宥めた。


 そう言っていたはず。

 ファンにできて、その兄にできないということは考えにくい。彼ら兄弟が草原から大都に居を移したのは、トールが十五歳、ファンは十歳の時だと聞いていた。

 弟よりも草原に長く暮らし、騎馬軍を率いて前線を駆け抜ける兄が、馬のあしらいに劣るわけがない。

 

 「蜂に驚いた馬を宥めたってのは、襲い掛かってきた馬鹿どもを返り討ちにしたって意味だ」

 「へ?」

 「どこで襲撃されたにせよ、そこまで暗殺者なりを通したってことで誰かの首が飛ぶだろ。まあ、トールも王宮でじっとせず、フラフラする奴だから、街中か遠乗りに出かけた外での襲撃だったんだろうが」

 「遠乗りであるな」

 にゅ、と話に加わってきたウー老師を邪魔そうに見つつ、クロムは言葉を続ける。


 「一太子への襲撃なんざ、未遂でも起こったこと自体があっちゃならないことだ。王都周辺を警護する兵と、その上の千人隊長が責任取って斬首が妥当だな。だが、もとはと言えばフラフラする馬鹿が悪い。

 だからなかったことにしたいが、それで活躍した護衛には褒賞を与えたい。

 そういう時に、『蜂に驚いた馬を宥めた』ってことにすんだよ」


 わかったか?と片眉を上げる。

 そう言った「表向き」の話はよくあることだ。


 アスランの法は厳しいが、だからと言って「法の遵守」を最優先にするわけではない。そもそも、警備されている場所からフラフラと出ていく方が悪いのだし。

 確かに「王族は王宮から公的な要件以外出て言ってはいけない」と言う法はないが、それは常識の範囲だ。

 その常識を、悉く無視するのがアスラン王族(アルタン・ウルク)でもあるが。

 

 「何人ほどだったのだ?トールを討ちに来るのであれば、さぞかし手練れであろう!」

 わくわくと尋ねるユーシンに、ココチュは首を傾げてから横に振った。

 「よよよ、よわ弱かった」

 「数は二十ほど。まあ、軍を率いなければ雷神もただの若造と侮る阿呆はおるもので」

 「あいつをよく知ってりゃ、襲撃なんぞしねぇだろ。勝てるわけがない」

 肩を竦めるクロムに、ココチュも大きく頷く。


 「ココくん、ほんとに強いんだねぃ…」

 感心しきったヤクモの言葉を、クロムが訳す。

 「ああ、お、おお、俺は、つよい!」

 胸を張り、歯を見せてココチュは笑った。

 「だ、だだだ、だから、ヤクモ、心配、いい、ら、いらない」

 言い切ってから笑顔を消し、眉を寄せる。丸い目が、逆にヤクモを案じる光を帯びて見つめる。

 「ややヤクモ、こここれ、これから出陣。ししし、死ぬな、よ」

 「うん…!あ、えっと、うん(ティヤ)!」

 拙いタタル語に、再びココチュの顔に笑顔が戻る。

 

 「すっかり仲良くなったなあ」

 「仲良きことは美しきこと。それでは末将は安らかなる夢の世界へと旅立ちまする」

 どっこいせと腰を下ろし、ウー老師は懐から紫色の小瓶を取り出した。

 「げ、丸薬じゃなくて飲み薬かよ。おっさん、それどうやって分けるつもりだったんだ」

 「半分末将が飲んだ後に飲めばよかろ?」

 「ふざけんな死ね」

 やれやれと首を振った後、ウー老師は瓶を呷った。微妙に唇が突き出されているのを見て、クロムが足元の草を蹴り飛ばす。

 「では…おしゃら…ば…」

 小瓶を持ったまま、ウー老師の首ががくりと折れた。慌ててその手の小瓶をファンがもぎ取る。

 

 「すごい効き目だな…」

 「半年ほど前からオドンナルガに雇われている密偵が、そうした薬を作る技に長けておるとか」

 「そうなのか。ずいぶん信頼できる人なんだな」

 用心深いウー老師が躊躇いなく薬を飲んだということは、決して毒の類ではないと信頼しているという事だろう。

 「まだ子供ですがね。最初は薄気っ味悪いガキだと思っておりましたが、ずいぶんと馴染んできております」

 

 どさ、とファンの前に行李が降ろされる。そのまま動きをとめず、隊長はウー老師の半身を起こした。

 「抑えてようか?」

 「お手を煩わせる必要は御座いません」

 手際よく、隊長はウー老師に皮でできた胴衣ベストを着せていく。それは、衣服と言うより防具に近い。

 内側には毛皮が張られ、何故か両肩と腰からベルトが後ろに向いてついている。

 「あれ?前と後ろ、逆じゃない?」

 「これでいいんだよ」

 「?」


 首を傾げるヤクモに、クロムが行李から胴衣を引っ張りだして投げ渡した。

 「着方は今見たとおりだ。背中のボタンは今は留めなくても問題ない。ベルトもは気にするな」

 「そなの?」

 「自分じゃ留められないしな。ユーシンもこっちおいで。準備するぞ」

 

 ファンの呼びかけに、ユーシンとマナンの顔が同時に向き直る。

 ドシンドシンと重い足音を立てて、マナンが首にユーシンをしがみつかせたまま走り寄ってきた。鳥は見かけよりも軽いものだが、飛竜は同じ構造をしていると言っても重たい。それでも自在に空を舞うのは、風の魔力を操るからだ。

 

 「一人で乗りたい、と言っても駄目なのであろうな…」

 珍しくしゅんとしながら、ユーシンは胴衣を受け取った。

 「馬鹿か。いや馬鹿だったな。自分の飛竜を誰かに貸してやる竜騎士がいるか」

 「うむ。腹は立つがクロムの言うとおりだ。だが、やはり腹が立つので殴る!」

 「いいからはよ支度しなさい!」


 いつものやり取りをする仲間たちを見つつ、ヤクモは胴衣に腕を通した。見た目よりもずっと軽く、柔らかい。


 「ヤクモ、この手袋を二重にはめておいてくれ」

 行李から取り出した袋から、更にファンが掴み上げたのは白く光沢のある手袋だった。四枚持っているはずのファンの手が透けて見える程に薄い。


 「自分のやつのしたに?」

 手袋を外してポケットに突っ込んでから、ヤクモは白い手袋を受け取った。

 「ふあああ、なんか、すっごくやわらかい!すべすべ!」

 初めの感触に、声が弾む。


 「絹の手袋だよ。その上から、さらにこっち」

 もう一揃い差し出されたのは、絹の手袋に比べれば厚いが、十分薄いものだった。

 ふわりと膨らんでいるように見えるそれは、驚くほど軽い。


 「ほっぺたにあててみ?」

 「…!!!ふわふわ…」

 両頬に一つずつ当ててみるとふにゃりと頬が溶けだしそうだ。


 「絹毛山羊の毛で織られた手袋だ。それをした上から、いつもの自分の手袋をはめておいてくれ。入らないようだったら、一番上のも貸し出すよ」

 「やってみる」


 絹の手袋を二枚重ねても、驚くほど厚みはない。掌に刻まれた線まで見える。その上から毛織の手袋をはめても、指の動きが妨げられる感覚はなかった。

 自分の手袋をさらに重ねると、さすがに窮屈だ。だが、手首に固定するバンドもしっかりと留まる。

 

 その様子を見ながら、ユーシンも手袋をファンから受けとった。

 「うむ!ふわふわほわほわだ!俺の部屋の、絹毛山羊の敷布は日に当ててくれているだろうか。十分に日に当てた敷布に包まると、一瞬で寝れる。ユーナンが使っているとよいのだが!」

 「ユーナンも自分の持ってるだろ」

 「二枚あればより暖かいと思う!」

 「そうだな。きっとユーシンの代わりにユーナンをあっためてるよ」

 に、と笑って、ユーシンは付けていた手袋を地に落した。先にはめ終わったヤクモが、「もおお!」と言いつつも拾って渡す。

 「つか、お前は麻袋にくるまったって一瞬で寝るだろうが」

 「俺はクロムとかいう軟弱者と違って、いつでもどこででも眠れるからな!」


 またはじまったじゃれあいを溜息ひとつだけで済ませると、ファンは行李から次の品を取り出す。


 「これを被ってくれ」


 差し出されたのは、椀型の兜だ。

 横から長く伸びた毛皮がたれ、その先端には白いボタンがついている。

 しかし、もっとも目立つのは、目の上にあたる部分を覆う、薄く色のついた硝子だろう。


 「被るの?」

 「そ。こうやってな」

 ぽん、とヤクモの頭に兜を乗せると、ファンは器用に垂れ下がる毛皮の端と端を摘まみ、長さを調節しながら左右それぞれボタンを留める。

 

 「わ、わ、なんかすごくあったかいけど、耳聞こえないよ!?」

 

 すっぽりと耳が覆われ、先ほどまで聞こえていた音のほとんどが遮断される。自分の声もくぐもって聞こえて、ヤクモは慌てた。

 ファンが何か口を動かしているが、はっきりと聞き取れない。

 兜を外すべきかと手を動かしていると、ファンはもうひとつ取り出した兜を口の側に持って行った。

 

 「ヤクモ、聞こえるか?」

 「あ、うん!聞こえる!」

 「いったん、兜を外すぞ」


 再びボタンに手がかかり、兜がヤクモの頭から離れる。

 そのとたん溢れる音に、ヤクモはほっとした。今なら、ぎゃいぎゃいと騒ぐクロムとユーシンの声も許せる。

 

 「なんで?なんで?」

 「この兜には、『伝声』の魔導が込められてるんだ。ボタンを留めるか、魔力を流し込むと発動する。空の上じゃ、耳を出してても何言ってるか聞き取れないからな。竜騎士同士はこれで話し合うんだ。

 もっとも、有効距離は普通に大声出して届く程度にしかないけど」

 「へえええ!」

 いつの間にかじゃれあいをやめたクロムが、薄く笑う。

 「お前がしている手袋とその兜、ぶっ壊したら金貨十枚や二十枚じゃすまんからな」

 「…やっぱり、お高いのう?」

 「うん、だから、落っこちて壊すような真似をするなとクロムは言いたいんだよな?初めて乗るヤクモを心配しているんだよ」

 思わぬところからの攻撃に、クロムは反論しようと口を開きかけ、結局ムスっと口をつぐんでファンの手から兜をもぎ取った。

 「つまりは図星、というやつだ!」

 「うるせぇ馬鹿しね」

 「く、くく、クー、困るとと、話すの、のの、へへへた下手になる」

 「ココチュ!」

 兄弟子の威嚇を、ココチュは笑って流した。それ以上吠えなかったのは、さすがに不利を悟ったのか、それともこれからの試練に備えて体力を温存しようとしたのか。

 

 何はともあれ好機と見て、ファンはマナンを口笛で呼んだ。

 嬉しそうに、飛竜は巨大な顔を主の頬に押し付ける。


 「ヤクモ、マナンの鞍を見てくれ」

 「うん…えっと、これが鞍?」


 飛竜の背は、馬よりも鳥に近い。翼を下げ、首を降ろせば水平に近くなるが、立った状態だと尾に向けて斜面を形作る。


 その背に乗せられた鞍は、馬の鐙とはだいぶん違った。

 

 鞍と言うよりは、座椅子と言った方が近いだろう。

 縁は大きく上に突き出し、その下に尻を収める窪みがある。鐙は中央から垂直に下がるのではなく、窪みよりずいぶん前に付けられていた。


 鐙も、胴の湾曲にそって膨らむ途中にある。馬ならば鐙は鞍の下、馬の胴に直接触れる部分にあるものだ。これでは胴を蹴って乗り手の意図を伝えるということはできないだろう。


 「飛竜は人間が蹴っ飛ばしたくらいじゃあ、虫が止まった程度にしか感じませんからね」

 ヤクモの視線から疑問を察したのか、隊長が説明する。

 「まして飛んでいるときは。飛竜乗りは、手綱だけで飛竜に指示を出すんですよ」


 その手綱も、銜に繋がってはいない。ヤクモは乗馬の練習中に馬具の勉強もしたが、馬に銜を咥えさせ、そこに手綱をつけることで制御するのだと教わった。

 けれど、飛竜の顔にはそういったものは何もない。


 「ヤクモ、角に環が嵌ってるだろ。で、肝心かなめはこの石だ」


 マナンの頭を撫でていたファンが、その頭頂部に生える枝分かれした角の根元を指さした。

 そこには金属製の環が嵌り、鈍い金色の光を放っている。手綱はその環から下がる、同じく金属製の輪に接続されていた。

 ファンが言う石とは、輪から下げられた二つの透明な石のことだろう。

 丁度飛竜の耳の上あたりに並んで、陽光を跳ね返している。


 「この石…鳴水晶は、ぶつかり合うと独特の音が鳴るんだ。手綱の揺らし方で、いくつか違う音が出せる。その音が、飛竜の指示になるわけだな」

 「へええ~…」

 

 感心しつつ、ヤクモは視線を変わった形の鞍に向けた。

 その鐙が取り付けられたあたりに、もう一つ窪みがある。その左右には革製であろう箱が取り付けられ、良く見れば、ヤクモが身に着けた装備が入っていた行李と同じもののようだ。

 

 鞍は、首に回る太い帯と、翼の前後を挟んで胴に回る帯で固定されている。

 背凭れの下には、もう一本鞍を支える腹帯に留められたベルトがあり、そこには短く槍先が極端に太い投槍が装着されていた。

 他の竜騎士たちの様子も見てみれば、鞍の前方にある窪みに、何かを乗せている飛竜と、そうでない飛竜がいる。


 「この部分は、本来鉄鎖網を載せるんだ。二人乗りするときは、ここに一人乗る。今回、三騎は二人乗りになるから、鉄鎖網は二つだけ持ってきたみたいだな」

 「要らんかと思いましたが、念のためね」

 「あるのとないのじゃずいぶん違うしな。ありがとう」

 とん、と己の胸を叩き、隊長はユーシンに向き直った。


 「さて、それではユーシン殿下。ご無礼かとは存じますが、しばし私めにお命とお身体をお預けいただきます」

 「ああ!よろしく頼む!」


 ユーシンの返答に恭しく一礼を返し、隊長は口笛を吹いた。

 その音に、彼の飛竜がとたとたと駆け寄る。

 軽く愛竜の首を叩いた後、隊長はファンと同じように飛竜の背に登った。


 鞍にかけていた長い袖と裾を持つ外套コートを着込み、兜を装着する。

 裾を払って鞍の窪みに尻を落ち着けると、ひょいと身を捻って、鞍にある背凭れの様に突き出した部分、その前後に垂れ下がる革のベルトを掴み取った。全部で左右二本ずつ、計四本あるようだ。

 ベルトは背凭れ部分の後方中ほどにしっかりと固定され、逆側の先端にも金具が付けられていた。

 その革のベルトを肩から内腿へと伸ばし、窪みの底にある留め具にしっかりと接続する。左右共に固定すると、もう一本ずつのベルトを腹の前で合わせ、留め具を噛み合わせた。

 

 立っては乗れないという意味を、ヤクモはその動作でより深く納得する。

 隊長となるからには、相当修練を積み、実績を重ねた竜騎士なのだろう。


 その彼が、あれほど厳重に自分の身を鞍に固定する。

 

 そうでなければならないほどに、飛竜の飛行は危険なのだ。

 ごくりと唾をのんで、ヤクモは空を見上げた。


 空を飛んでみたい、と言うのは、誰もが一度は夢見ることだ。

 けれど、やはり空は人間の領域ではない。ここまで備えて、やっと踏み込める場所なのだ。

 

 もし、飛竜が何らかのことで命や意識を失い墜落すれば、竜騎士も間違いなく死ぬ。あれだけ固定していれば、咄嗟に乗り手だけ脱出することはできないだろう。

 そもそも、脱出したところで人間は飛ぶことが出来ない。どのみち死ぬ。

 飛竜が落ちなくても、もしベルトが切れたら。鞍が壊れたら。

 人間になすすべはない。あるのは、地面に叩きつけられるという避けようのない「死」だけだ。


 だが。

 にんまりと口許に浮かぶ笑みを、ヤクモは消せなかった。

 

 そう。空は人間の領域ではない。

 空を飛ぶなんて、夢物語だ。


 その夢物語を体験できる!

 

 湧き上がる興奮に比べれば、墜落死の恐怖など取るに足らない。

 明らかにわくわくしているヤクモの様子に、ファンたちの口許にも笑みが浮かぶ。

 クロムのそれは、呆れたような苦笑だったが。

 

 「さ、ユーシン殿下!」

 「うむ!」


 隊長の呼びかけに答え、ユーシンも弾むように鞍へ上がり、隊長の前の窪みにすぽんと座る。胴着の背中に並んだボタンを隊長の手が留め、肩と腰から伸びているベルトを背凭れに固定した。

 隊長の足の間に、ユーシンが収まっている形だ。完全に背を預け、鞍に槍を固定する。その為の留め具もちゃんとあるようだ。

 手綱がユーシンの前にあるのが、何か余計なことをしないかと心配になるが…それを見越しての人選なのだろう。興奮したユーシンが手綱をゆすり、水晶を鳴らしまくっても動じない飛竜と騎手であるとか。


 「では、こちらにおいでください」

 「あれ?いま、西方語?」

 「こちらのが、わかるかと」

 ヤクモに声を掛けたのは、まだ若い竜騎士だった。顔の特徴は、アスランの民というより西方諸国のそれだ。

 「どうしても空を飛びたくて、故国を捨ててアスランへ仕えました」

 悪びれず笑う騎士に、共感をこめてヤクモは頷いた。

 「ぼくも、わかりますっ!さっきまでちょっと怖かったけど、ほんとーに空飛べるって思ったら、怖くなくなりました!」

 「それは竜騎士の才ですよ。空が忘れられなくなったのなら、歓迎します」


 笑いながら騎士は己の飛竜を呼び、背に登る。

 ああやってひょいと行けるだろうかと逡巡するヤクモの前に、飛竜が身を伏せた。


 「さあ、どうぞ」

 隊長と同じように外套を着こみ、兜を被った竜騎士が手を伸ばす。


 ドキドキしながらその手を取り、ヤクモは飛竜の背に上がった。翼の間はなんだか暖かく、不思議なにおいがする。

 先ほどのユーシンを習って、ちょこんと窪みに納まると、てきぱきと竜騎士は準備を始めた。背中が引っ張られた感じはあったが、思ったより窮屈さはない。竜騎士との間にも隙間がある。

 慌てて片手に持ったままだった兜を被り、留める。


 「失礼」

 兜の中から聞こえた声と共に、ふわりと首から下にかぶせられたのは、白くふわふわとした毛皮だった。

 「すぐ前に、鞍からでっぱった握りがあるでしょう?そこを飛行中は掴んでいてくださいね」

 「はーい」

 毛皮で見えないが、股の間にそれらしきものがある。両手をそこにおくと、別の革が張られているらしく、柔らかい。握るのにいい塩梅だ。

 被せられた毛皮も背中で留められ、準備完了!と言う気がする。足がぶらぶらしているのは少々心もとないが、馬だって二人乗りすれば足はぶらぶらだ。気にしないこととする。

 

 「準備完了」

 ぽそりと竜騎士の声が伝わる。


 「こちらもだ」

 「いつでも飛べます」

 「ウー老師積みました」

 

 高鳴る胸をなりっぱなしにしたまま、ヤクモはファンの姿を探した。

 おそらく、あとはファンの準備が整えば出発だ。

 マナンの鞍の上で陰鬱な顔のクロムが座っているが、ファンの姿はない。

 視線を巡らせて、その淡い金の髪を探すと、馬たちの側に見つけた。

 馬の鞍から外すのは、彼の得物である大弓だ。どうやらそれを取りに行ったらしい。


 「ココ、頼むな」

 口を寄せる流星栗毛の顔を撫で、ファンは信頼する勇士に言葉を掛ける。

 馬たちからすれば、やっと一緒に駆けれると思ったのに置いていかれてしまう、と言う状況だ。拗ねても仕方がない。

 「…まままま、まか、任せ、て!」


 改めて、ファンは手綱をココチュに渡す。

 置いていくのではなく、預けるのだという思いを込めて。

 馬たちは少々不満気だが、機嫌を損ねた様子はない。


 「じゃあ、サライでな。どっちが先に着くかわからないけれど、ヤクト爺のところへ顔を出すから」

 「たたた、たぶん、じじ、じいさま、泣くね、ね」

 「泣くだろうなあ。先にお前が付いたら、宥めておいてくれ。迎えに来なくていいって」

 「ぎょ、ぎょ御意!でで、ででで、でも、ししし失敗、ゆる、許して」

 「まあ、ガチ泣きしたらだれにも止められないからなあ」

 

 その時は、大声を上げて嬉し泣きに男泣く屈強な老人に抱きすくめられるという事態を享受しよう。

 願わくば、公衆の面前ではありませんように。


 ひそかに、ご先祖様達にファンは祈った。

 

 「ままま、またね!若!」

 「おう!」

 馬たちの首を抱きしめ、ココチュの肩を叩いて、ファンは踵を返す。

 

 マナンに歩み寄り、鞍上へと登る。あきらかに憂鬱そうなクロムの肩をココチュにしたように叩き、その横に備えられた行李を開けた。

 

 引き出すのは、竜騎士たちと同じ外套。

 ただ、装飾や首元を飾る毛皮は、誰が見ても数段高級なものであると解る。

 

 袖を通せば、ほんの少し緩い。この一年でその分痩せたのかと、感慨深いものがある。

 本来、自分の体にぴったりと合っていたものだ。ファンのために作られた逸品オーダーメイドなのだから当然なのだが。

 だが、風を通して困ると言うほどではない。本当に、ほんの僅か。小指一本の幅ほどもない。痩せたというより、締まったと言うべきだな、と先ほどの感想を訂正する。

 

 固定のためのベルトを嵌め、まだ布に包まれた棒でしかない大弓を鞍に留める。

 「クロム、固定してくぞ」

 「ああ」

 兜を被りつつ、へたった声でクロムは答えた。まだ飛んでいないが、すでに弱っている。

 「これ…」

 そっと、その手に防水加工された革袋を渡す。

 「ん…」

 おとなしく受け取り、袋の口を開く。紐を引けば、直ぐに口が閉じて密閉される巾着袋だ。おそらく、直ぐに使うことになるだろう。

 毛皮をかぶせると、もそもそとクロムは鼻の頭まで毛皮の中に潜った。

 「えっと、クロムの兜、水平飛行に移るまで受信だけで伝声はきっといて良いからな?」

 返答はないが、もそもそと動いたところを見ると、ボタンを一つ外したのだろう。

 

 「よし」

 「ナランハル、出発いたしますか?」

 

 耳の横で、隊長の声が響く。その声にファンは頷き、マナンの手綱を鞍から手に取った。

 

 「行くぞ!飛翔する!」


 手綱を曳けば、水晶はマナンの耳にファンの意図を届ける。

 だがそれがなくても、愛する主の意志を、マナンは理解した。


 純白の翼が、大きく広がる。


 通常、鷲などの大型の鳥は、高所から飛び出すか、数歩助走をしつつ翼をはためかせて飛び立つ。

 だが、飛竜が地上から空へ舞い上がる時に行うのは、翼を羽ばたかせることではない。


 ふわりと、風が起こる。

 それはマナンの翼の下に集まり、その羽根に潜り込む。

 

 どん、と突き上げるような衝撃と共に、マナンの足が地上から離れた。翼の下に集めた風の精霊と共に、ぐんぐんと高度を増す。

 

 クロムの背が震えるのを可哀そうにと思いつつ、ファンは兜に嵌った目庇越しに地上を見た。

 大きく手を振るココチュに、手を振り返す。

 その姿がみるみるうちに小さくなり、胡麻粒の様になっていく。


 く、と手綱を引くと、マナンは上昇をやめ、水平飛行に姿勢を変えた。

 その首の向こうに広がる、大地。

 森があり、草原があり、川があり、村や道がある。

 

 全身を叩きつける風と共に、ファンはその景色を堪能した。

 本来人が入れない領域。

 鳥だけが見ることが出来る景色を、今自分たちは見ている。

 

 それは何度見ても、ファンの心を震わせ、感動させる。


 「すごいすごいすごいすごい!!!」

 興奮したヤクモの声が、響いた。


 「飛んでる!飛んでるよ!!」

 「うむ!飛んでいるな!」

 

 ユーシンは何度も飛竜に乗っているから心配はしていなかったが(別の意味でしているが)、どうやらヤクモも飛竜の飛行に酔う性質ではなかったらしい。

 もう胃液しか出ないのに背を震わせているクロムは、きっと内心に悪態をついているだろう。

 水平飛行に移ってしばらくすれば、クロムの酔いも収まる。上昇時と着陸のための旋回時に酔うだけなので、しばらくは胃を休めることが出来るはずだ。

 

 マナンを中心に、二人乗りをしていない二騎が先頭を切り、両脇を隊長とヤクモを載せた竜騎士の飛竜が固める。

 殿にウー老師を積んだ飛竜と言う隊列だ。

  

 西に傾きを変えた太陽を背に、六頭の飛竜は空を駆けてゆく。


 先導する二騎は目的地であるクローヴィン神殿への方向を掴んでいるのだろう。迷いもなく風を切って進む。

 

 「いい風に乗れました。あっという間につきますよ。ナランハル」

 先導する一人から、明るい声が掛けられる。

 「そうか。それは良いな。あまり長時間の飛行はさせたくないし」

 その気になれば半日以上空の上を往くことが出来る竜騎士たちだが、冒険者と軍師は竜騎士ではない。

 クローヴィン神殿を確認した後に、親衛隊ケシクが構えている陣まで行かなくてはならないことを考えても、日暮れまでにはすべてを終わらせる必要があった。

 

 それに、少々胸騒ぎがする。

 クローヴィン神殿が囲まれてすでに六日。

 三日四日程度は、囲んだ側も膠着を耐えるだろう。

 だが、五日六日となれば、何かしら仕掛けてくる可能性はある。


 何もなければいい。

 

 アスター女神に関わることでそう思うのは二度目だなと思いながら、ファンは地の果てを見つめた。

 最初の一回は思ったよりも大変なことになった事を…意識の隅に追いやりながら。

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