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鳥には羽根 魚には鱗  作者: 阿古あおや
75/89

幕間 焼肉食べたかっただけなのに 因縁と悲願編

 素人だな、と思う。


 馬車に荷物のように積まれて運ばれること三日。身体のあちこちは軋み、動かすたびにミシリと悲鳴を上げる。

 しかし、縛られた両手首は身体の前側に、足首と繋がれているわけでもなく放置され、視界に収める事ができた。


 服や靴、手袋に至るまで取り上げられてもいない。そのあたりも、素人だと思う。

 アスラン軍なら後ろ手にして足首と共に括られ、靴は靴下を含めて取り上げられるし、服は最低限の下着が残されれば温情があるか、凍死されたら厄介と判断されたかだ。

 

 荒野を素足で逃げるのは、その地に暮らす遊牧民であっても難しい。

 冬の寒さに僅かに残った草の茎は凍り付き、踏めば足の裏を突き破る。流れた血は道標となって、追跡者へ目標の位置を教える。四六時中監視するより、手間がかからない。


 自分の部下がそんな失態をやらかしたら叱り飛ばすところだが、今は相手が迂闊で、素人で良かったと思うべきだ。何せ、縛られているのは自分自身なのだから。

 縛られる時に渾身の力を込めて筋肉を膨張させた事で、弛緩すれば縄には隙間ができている。

 その隙間は、手袋の側面に仕込んである刃を縄に当てるに十分だと検証もできていた。


 同じ馬車に乗っているのは、叔父のみ。馭者は背を向けているし、連れてきている男どもは別の馬車だ。

 手首を縛る縄を切りさえずれば、すぐにこの馬車を奪うことはできる。


 しかし。今が好機と囁く声を、サーヤは無理矢理抑え込んだ。


 自分が運ばれる先が、インシュの谷という事はわかっている。叔父がわざわざ口に出して告げたからだ。

 だが、そのインシュの谷の正確な位置を、サーヤは知らない。ならば、今、道案内を喪うわけにはいかないではないか。

 どれほどアスラン騎士として屈辱的な扱いを受けようと…こんな素人丸出しのやり方で捕縛できていると思われているだけで屈辱だ!…、身体が苦痛を訴えようと、今はまだ、駄目だ。


 ティカが連れていかれた。お前の身柄と引き換えに返すと言われている。

 顔を青褪めさせた叔父にそう告げられた時、サーヤは「捕まったふり」をすることに決めたのだ。


 叔父は父の調理法を盗み、兄から料理人としての道を奪おうとしている。

 いや、何より。おそらく叔父は、父を殺している。


 父は、十年前に凍死した。酔って路上に転がり、真っ白に凍り付いて見つかった。

 しかし、父は酒が飲めず、美味いとも思わない人だった。


 自分が美味くないものを、あまり店に置きたくないんだと、常連に強請られても麦酒しか用意しなかった人だ。そんな人が、酔いつぶれるほど呑むはずがない。

 叔父がやったという証拠はない。だが、あの日の夕方、父は「弟が大切な話があると言っているから」と家を出た。

 父の死は、ただの酔っぱらいの愚行として片付けられた。父の死後、その二年前に亡くなった母と共に貯めていた金は、いつの間にか叔父が「後見人」として手にしていて。


 それから一年もしないうちに、叔父は「肉を焼く」という料理を売りにした、高級店を開いた。


 点と点はある。しかし、繋がる糸は見つからない。

 父の死の疑念を晴らすより、兄妹は生きていかなければならなかった。

 幸い、父の残した店はあり、兄は根っからの料理人で、続けていくのに支障はない。

 しかし、余裕は全くなく、叔父の妨害で肉が買えなくなり、店の前にたびたび破落戸が立つようになってからは、僅かずつとは言え、借金も嵩んでいく。


 このままでは、この店すら叔父に奪われる。

 それだけは、それだけは、絶対に許せない。


 だから、齢十五で成人を迎えると、早々にサーヤは志願してアスラン軍に入った。軍に入れば衣食住は保証されるし、給料の支払いも確実だ。そして、大都の衛兵になれば、破落戸を追い払うこともできる。

 それを目標に日々訓練に励んでいたら、騎士を目指さないかと推薦されたのは誤算だったが。


 しかし、騎士になれば立場も強い。実家の前にたむろする破落戸を叩きのめしても、半殺しまでなら見逃される…かもしれない。

 それに、給料の桁が変わる。実家を守るためにも、稼げるに越したことはない。


 そう決めたサーヤの背を押してくれたのは、この叔父の妻だった。


 士官学校の学費や寮費は無償だ。しかし、兵としての給料はない。二年間で借金がどれだけ嵩むかと思えば、躊躇いもする。

 しかし、今は亡き叔母は、その間の資金援助を申し出てくれたのだ。


 叔母はもともと大きな商会の息女である。その実家から、持参金として渡された資産を、すべて兄の店の資金として出資してくれた。

 今にして思えば、叔母は夫の罪にうっすら気付いていたのかもしれない。

 しかし、その前からも兄妹を我が子と同じように可愛がってくれて、サーヤの推薦も涙を流して喜んでくれたこととは関係ない。そう信じる。


 ティカは、その叔母そっくりの可愛い従妹だ。互いの兄はなんだか暢気でずれていて、そのずれに対して愚痴を言いあう仲間でもある。

 大切な家族。その家族を守れずに、何がアスラン騎士か。


 無事であってくれと、焦燥を押し殺しながら願う。

 敵の目的は、サーヤのようだ。何故、自分をと疑問はわくが、叔父のいつもの嫌がらせでもない、と判断している。

 青褪め、憔悴した叔父は、一気に十も年を取ったようで、いつものギラギラとした気配がない。ティカは本当に攫われたのだろう。


 まだ騎士としては三年目、大都守備隊の一員として日々励んではいるが、率いる部隊も持たない未熟者だ。

 碌な情報も持っていないし、内通者に仕立て上げるにしても大して役に立たないと、我がことながら断言できた。


 ならば、騎士としての自分に意味はないのだろう。

 であるなら、己にどんな価値がある?


 馬車の中で過ごす二日間、何度も繰り返した問いかけ。

 どれだけこねくり回しても、答えは出てこない。しかし、ほんのわずかに思い出したことがある。


 父と母が、寝ている自分を覗き込んでいる。まだ、幼い事の記憶。

 目を閉じているから顔は見えない。けれど、二人が近くにいる暖かさに、眠りにつこうとしていた。

 

 「この子を決して、あの忌まわしい地に…インシュに、奪われたりなどしない」


 父の声。それが何なのか、考える間もなく幼い自分は眠りに落ちて、忘れてしまって。

 記憶を改ざんしてしまっている恐れはある。あるが、あの時、父は「インシュ」と言っていた…と思う。

 

 両親はともに、インシュの谷の出身だと聞いていた。

 アブラニンジンの種は、唯一その地から持ってきたもので、他には一切、何もない。祖父母がどんな人なのか、何という名前なのかすら、サーヤは知らない。

 思い出の品だとか、父が子供時代に使っていた玩具だとか、母が若い頃にきていた服だとか、そんなものすら、家にはなかった。


 おそらく、両親は、インシュの谷間から逃げてきたのだ。

 それはきっと、間違いない。

 

 そして、その「逃げた理由」が、サーヤがこうして運ばれている理由に繋がるのかもしれない。

 それが何なのか、皆目見当もつかないが…サーヤを必要とする理由なのであれば、ティカは無事である可能性は高くなるだろう。

 人質を虐待して殺してしまえば、サーヤを縛る枷はなくなる。そんな危険を冒すほど馬鹿でなければいいと、歯軋りと共に願う。


 「…わしが、憎いか」


 その歯軋りを、叔父は別のものと解釈したようだった。

 目の下には黒い隈が張り付き、頬はこけ、血色は死に立ての死人の方がまだいい、という有様の顏で、どんよりとサーヤを見ている。


 「憎いと思わないとでも?」

 「そうか…そうだな。当然だ。仕方がない。だが、わしはお前を憎いと思わない。お前の父は…わしの兄は、どうしようもない愚鈍な男だった。お前の兄はそっくりだ。だが、お前は…いや、いい。言っても、仕方がない」

 

 乾いた音が断続的にひび割れた唇から漏れる。それが嗤い声であると気づいて、サーヤは叔父の精神が崩壊寸前だと知った。

 人は壊れる寸前、泣くより嗤う方が多い。


 「…何故、ティカが攫われたか、知っているのか?」

 「…ああ。知っている」

 「何故?」

 「…」


 叔父は口を閉ざし、水気を喪った手で顔を覆った。何度か咽喉が動き、唾を飲み込んで震える。

 これは、口を割るかもしれない。もう一押しと口を開けようとした時、馬車が停まった。


 枯れ枝のような手が、叔父の顏から外れる。そこから現れたのは、焦燥と…絶望。

 死刑を伝えられた罪人のような、顔。


 「…着いたか」


 結局、叔父の口からそれ以上言葉が零れることはなく、サーヤは後続の馬車に乗っていた男によって降ろされ、立たされた。


 ぼんやりとした日の光に照らされているのは、見慣れた草原となだらかな起伏ではなく、蟠るような塊。

 大都で生まれ育ったサーヤは、樹木を見慣れている。しかし、そこに生い茂るのは、親しんでいた緑などではなく、ただ黒く日の光を拒む怪物の背のようで。

 さらに、すぐ横に広がる池の水面。その黒く、油のように重たく見える水面は、酷く恐ろしく感じる。

 

 「ここが…インシュの谷…」


 正確に言えば、谷とは違うのかもしれない。低い山に囲まれた窪地と言った方が正しく表現できるだろう。

 援軍として派遣され、見下ろしたキリクの峡谷と比べれば、高低差が圧倒的に足りない。

 しかし、幾たびも戦場となり、敵味方の血で染められたため、「赤谷」と呼ばれるようになったあの地よりも。


 忌わしく、悍ましい。


 何故か、こちらを伺う蛇のように頭をもたげる恐怖に、サーヤは形良い唇を噛みしめた。

 

 「…約束通り、連れてきた。娘を、ティカを返してくれ!」

 「お父さん!」


 響く声は、抱え続けた願い、祈り、そのもの。

 弾かれるように向けた視線の先に、白装束に身を包む男に抱えられた少女が見える。


 「ティカ!」

 「え、なんで、なんでサーヤが縛られているの!?おとうさん!?なんで!!」


 そのまろやかな頬は赤く腫れ、自慢の黒髪はぼさぼさだ。しかし、声を張り上げる体力があり、身を捩る力が残されている。

 頬を張った奴は生かしたまま奥歯を引き抜くことを決めながら、サーヤは小さく安堵の息を吐きだした。


 「まずは、その女を…ヤチカの娘を渡せ」

 「そんな!せめて、同時に…」

 「渡せ」


 ヤチカは、母の名だ。

 つまり、母が何か、関係しているのか?


 「…わかった」


 叔父の視線が、一瞬サーヤに向かい、それからその腕を掴む男へと向かう。

 男が頷いた気配が、背中越しに伝わってきた。その直後、強い力で押しだされる。


 縄はいつでも引きちぎれるほどに切れ目を入れてある。今、動くべきか。

 いや、駄目だ。ティカはしっかり抱え込まれ、白装束の男はざっと見ただけで六人。しかも、うち三人は手には曲刀を握っている。

 ティカの救出を最優先とするならば、まだ駄目だ。


 曲刀を持っていない三人が素早く進み出て、サーヤを捉えた。弱々しく身を捩るふりなどをしておく。警戒されて、腕の縄を調べられたりしては不味い。


 「渡したぞ!娘を!!」

 「…さて、なあ」

 「な…!!サーヤを差し出せば、娘を返すといったじゃないか!!」

 「何故、それを守ると思った?」


 男どもに押さえつけられながら、サーヤは耳を凝らした。

 どういう繋がりかわからないが、叔父とこの連中には面識がある。そして、この連中の方が立場は上のようだ。

 しかし、それでも叔父はある程度は信頼していた。そうでなければ、どうあってもティカの奪回を優先しただろう。


 「お前の娘…半分は外の血だが、インシュの血を引くものに変わりはない。インシュの男を番わせ、娘が生まれれば、巫女として使える」

 「そんな…!!それは、サーヤがいれば十分だろう!」

 「次の巫女は、十年以内に用意せねばならない。あまり小さくても使えないのでな」

 「ふざけるな!!娘を返せ!!」


 叔父の怒声に、同行してきた男たちも身構えた。もともと、荒事となった時の為に連れてこられた連中だ。躊躇いなく武器を抜き、大股に白装束の男へと歩み寄る。


 白装束の男は六人。叔父が連れてきた傭兵崩れは五人。数の上では白装束が優位だが、武器を持つ人数は傭兵崩れの方が多い。

 まして、連中の纏う気配から、その武器を振り下ろすことにも馴れているのがうかがえた。


 「愚かな」


 しかし、白装束の男に焦りや怯えはない。

 嘲りと、そして、僅かな…歓喜。


 「ティカ!目を閉じて顔を伏せて!!」


 考えるより早く、サーヤは叫んでいた。

 それは、若輩とは言え戦場を駆け回り、武器を振るって戦ってきた経験が叫ばせた警告。

 この予感を、知っている。

 酷いことが起きる。この先に待っている。

 賊の出現を聞いて、駆けつけた先。破損した馬車と、その近辺に散らばるものを見た時と同じ、絶望の予感。

 

 この、何もかも最悪な状況でただひとつ。それだけは、サーヤに味方したものがあるとすれば、ティカの素直さだろう。

 従姉の声に、ティカは反射的に目を閉じ、精一杯下を向いた。涙で揺らぐ視界に、きっとあれは、映らなかった。


 とぷん、と、微かな水音。まるで、小石が水面に放り込まれたかのような。

 けれど、その音とともに水面から現れたのは。


 武器を持つ男を、一呑みにするほどの巨体。


 「!!!」


 それを、何と許容すればいいのか。

 泥色をした、巨大な蛇。最初は、そう思った。


 しかし、蛇の身体は鱗に覆われ、皺の寄った皮膚ではない。

 巨大すぎる頭と胴の境目に、内臓のような色をした突起が何本も生えてはいない。

 それに、巨体に不釣り合いな、短い手も、ない。

 その短い手は…手首と呼べるような関節は見当たらなかったが、手首の先は、人間の…それも子供の掌のようで。


 腰のあたりまで呑み込まれた男が、口の中で藻掻く。それが、泥色の皮膚を通して見えた。

 だが、そんな抵抗は「怪物」にとっては些細なものなのだろう。気にした様子もなく、するすると現れた水面に吸い込まれていく。

 最後は、激しくばたつく男の足が黒い水面を激しくかき混ぜ…そして。


 泡がひとつ、ふたつとはじけて消えて。

 何もなかったように、水面は沈黙した。


 「あ、ああああああああ!!!」


 一番最初に我に返ったのは…いや、恐慌をきたしたのは、喰われた男のすぐ隣にいた男だ。

 口と目を限界まで見開き、しかし、手足は動かず、腰が僅かな名残のように濡れた地面に落ちていく。


 「最近は餌が少なかった。ちょうどいい」


 白装束の男は嘲笑を含みながら呟き、歩き出す。

 サーヤを抑える男たちも、それに従った。引き摺られながら、今見た光景をサーヤは反復する事しかできなかった。


 あれは、なんだ。

 ここは、いったい…なんなんだ。


 「あれは、御子よ」

 「…なんだ、と?」

 「水神様のお子だ。光栄に思えよ。お前はその命になれるのだからな」

 「なにを…何を言っているんだ!?」


 白装束の男たちは、口角を歪ませただけで応えない。ただ、ずるずると。

 サーヤを、黒く蟠る森の奥へと。


 引き摺って、行った。


***


 「あ…ああ…」

 「い、いやだああ!!う、あ、うああああ」


 最後の護衛が、呑まれる。

 しかし、水面からはさらに三体の水神の仔が顔を出していた。


 この村で生まれ育った男には、知識があった。

 周囲の魔力を吸収し、巫女の生命力を啜ることで生きる水神と違い、仔は貪欲に捕食を繰り返す。人一人、羊一頭を飲み込めば半月は持つが、それ以上飢えさせると共食いをはじめるため、仔から水神にまでなることはほとんどない。

 男が村から逃げた時、水神は四体だった。しかし、生命の糧である巫女が一人逃げたのだから、残る巫女をめぐって殺し合い、減っているかもしれない。


 巫女になれるのは、両親ともにインシュの民である娘。

 あの日、兄は巫女にと捧げられた幼馴染を攫って逃げた。村に残れば間違いなく殺されると思い、自分もその後を追った。

 

 兄の調理法を奪ったのも、甥の店を潰そうとしたのも事実だ。

 いくらでも金を稼げる大都で、何故、金になるものを隠す。兄は馬鹿だから、奪われて当然だ。そう思っていた。


 しかし、店が軌道に乗り、客が絶え間なく訪れるようになって、男は兄の真意を理解することになる。


 肉の味付けに欠かせない調味料。その材料のいくつかは、インシュの村でしか手に入らない。

 細々とした店で使うだけなら、甥のように…かつて兄がやっていたように、栽培すればいい。素人でも育てられるほど強い植物ばかりだ。

 だが、『白の三日月』亭の規模では、到底間に合わない。かといって、何処かの農家に種を託して育てさせて、流出したら。


 違うもので代用することはできなかった。

 何を代わりとすればいいかなど、兄のレシピを盗んだだけの男に分かるはずもなかった。

 

 しかし、客はやってくる。

 評判の調理法と調味料を求めて。


 そして男は、二度と帰らないと決めたインシュの村に足を運んだ。

 金と羊を手土産に。


 うまくやっていたはずだ。

 男は調味料の材料が欲しい。

 インシュの村は、金と仔の餌と産卵床を必要としている。

 

 もともと遊牧民に水を売って金や食料を得て暮らしてきた村だ。

 その商売が成り立たなくなれば、生活は苦しくなる一方で、金も少量も衣服も何もかも、不足していた。

 それを村で生まれ育った男は知っている。だから、この「商売」は問題ないと思っていた。決して、村の連中が自分を「切る」ことはないと。

 

 それなのに。何故。


 生臭く、湿った息が顔を包む。

 歪んだ視界いっぱいに、仔の大きく開け放たれた口が映っていた。


 「あ…あ…」


 逃げるどころか、悲鳴を上げる力も残っていない。

 ただ、何故、何故と連呼しながら、死を見ていた。


 その、死の中。仔の大口の真ん中に。

 突如として。

 

 棒が、生えた。


 次の瞬間に轟いた悲鳴は、男と仔、どちらのものだったか。おそらく、両者ともにわからない。

 仔は突如派生した激痛に身を捩り、男は突然の事に恐慌状態に陥っていたから。


 だから、男は見ていなかった。


 空を往く優雅な姿を。

 大きな翼を広げ、風を引き連れて舞う、飛竜の姿を。


 そして、その背から再び、投槍が投下されたことを。


 投槍は狙い違わず、異変を察して池へと戻ろうとする仔の頭を貫いた。

 深緑の血が噴き出し、血の気の薄い肉が飛び散る。悲鳴と言うよりは大きな呼気を撒き散らしながら、仔は池から這い出た上半身をのたくらせた。


 「これ、何かわかるかい?ファン君」

 「サンショウウオに似ているけれど、おそらく魔獣だね!初めて見る!」

 「しかし、槍で貫けば殺せるようですね。父上」


 三頭の飛竜は枯草を巻き上げながら地に降り立った。そしてその主たちも、鞍と繋がる安全帯から身体を解き放つ。


 「もし、サンショウウオと何かが混じった魔獣だと、皮膚に神経毒がある可能性が高いから、飛竜に食べさせないでね」

 「わかった弟よ!!しかし、弟おお!!弟が、弟が真っ先に触ろうとするのではない!あぶあぶではないか!!」

 「直接触らないし、風鏡ゴーグルもしているから大丈夫。吸い込まないように、首巻も鼻まで上げておくよ」


 まだ藻掻く仔に、ファンはファンにしては慎重な足取りで近付いた。生命力の強い魔獣は、死に掛けていても油断はできない。

 

 「外鰓があるって事は…幼生なのかな?いや、水棲特化して、幼形成熟するようになったって線もあるか。目はほとんどない。陸上の獲物を狙ったって事は、水を飲みに来た動物を捕食するんだろうし、なんで感知しているのかな…?投槍に気付かなかったって事は、熱感知もありえる?該当の魔獣は…アレかな?でも棲息域が…」


 ぶつぶつと呟きながら、肩に掛けた鞄から採集道具の収められた小箱を取り出し、手袋をしたまま器用に体液を棒の先にからめとって硝子瓶に詰める。


 「一匹、大学に送りたいなあ。できれば生体が捕獲できると良いんだけれど」

 「生け捕りにするのか?よし、兄に任せよ!水に沈んだのを捕まえればよいな!」

 「でもさ、トール君。捕まえても入れておく箱がないよ?それは、また今度で良いんじゃない?」

 「う…確かに。浅慮でした。ありがとうございます。父上」

 「どういたしまして、と。じゃあ、トール君は、転移陣をよろしくね。ファン君は…しばらく夢中だね!」


 巻き尺を取り出して大きさを計り始めた息子を慈愛の眼差しで見つめた後、モウキは瘧にかかったように震える男に視線を移した。


 その満月色の双眸に、先ほどまで満ちていた慈愛は一切ない。

 しかし、形だけは同じように微笑んで、男を見据える。


 「あれがなんで、ここで何が行われているのか、お前がどんな罪を犯したのか」


 逆らうことなど許されない。否、逆らうものなど存在するはずがない。

 むしろ、その言に従うことが無上の喜びであるとさえ、思えてしまうような、声。

 

 「全て、言いなさい」

 

 まして、絶望と死の恐怖と、裏切られたという思い…それらが混ざり合った極限状態にあって。

 朝日の髪と満月の双眸を持つ、天地にただ一人の大王ハーンに命じられて、拒めるものなどいるだろうか。


 男は、そうではなかった。

 本来なら、男はアスランの法を犯している。その罪を申せと言われて、はい分かりましたと言えるはずもない。

 しかし、男の顔には感謝と感激の色さえ溢れ、泣きながら跪き、そして口を開く。


 男の口から語られたのは、その半生。

 兄と、幼馴染と村を逃げた事。兄の調理法を己がものとして売りだしたため、調味料を求めて村と関わらざるを得なかった事。

 インシュの神官が突然現れ、娘を攫った事。娘を返してほしければ、姪を差し出せと言われた事。

 なのに、姪を渡しても娘を解放することもなく、自分を殺そうとした事。


 「…なんで、姪ちゃんを要求された?」

 「す、水神は、巫女の生命力を食べて生きます!巫女は両親ともにインシュの村人であることが条件で、お、おそらく、もう村に娘がいなくなったのだと…」

 「生命力を食べる?」

 「は、はい!水神に捧げられた巫女は、水神に取り込まれます!十年ほどで死に、死体が水神様の住まう池に浮きます!そうしたら、次の巫女を捧げるのです!」

 「…へえ」


 狼を思わせる金の双眸が細められ、剣呑な光を帯びたことに、男はむしろ我が意を得たりとばかりに力強く頷いた。


 「あの者どもは、そんな非道な真似を繰り返しているのです!だから、私は、村を出て…」

 「姪ちゃんを、そうなるとわかって引き渡した、と」

 「そ、それは!!娘、娘を助けたい一心で…!!」

 「まあ、それは後にしよう。で、これは?」


 モウキの視線が、ついに力尽きた仔に向く。


 「これは、水神様の仔です!水神様は、夏に卵を産み、春に仔が孵ります!この池にいるのは、十年以上育った仔で…」

 「雄と雌とかあるの?神様なのに」

 「水神様は、羊や人間の女の胎に卵を産み付けます。ここ数年は、人間の女ばかりを要求されたから、それもなんとか調達していたのに…!!」

 「へえ、どうやって?」

 「移民の女などを、金で買うなどしてです。攫ったりなどは、していません!」

 「でも、化け物の卵を産み付けられる仕事なんて言ったら、逃げるでしょう?」

 「ええ、なので、荷運びの手伝いをしたら金を払うと言って…」

 「なるほど」


 にこりと笑って、モウキは男の肩を掴んだ。

 驚愕に見開く目が、次の瞬間、更に眼球が飛び出すほどに開かれる。

 ゴキ、という不穏な音とともに。

 

 「さて、もう片方も」


 片手の握力だけで肩の骨を握り折るという、人間離れした行為をいともたやすくやってのけ、モウキはのたうつ男の足を無造作に掴んだ。

 ずるずると引き摺って行った先は、息絶えた水神の仔。その半開きになった口の上に、足を持ったまま男をぶら下げる。


 「口の中にも毒があるのか、確かめてみようね」

 「べ、い、が…!?」

 「移民は確かに、頭の痛い問題ではあるけれど」


 上質な革で造られ、精霊銀ミスリルで補強された長靴ゴタルが、水神の仔の半開きの口に掛けられ、大きく開かせる。


 足を掴んでいた手が離され、男の身体は口の中に落下した。

 怯えと何かの激情が混ざった眼で、男はモウキを見上げている。呼吸は荒いし泡も吹いているが、それは負傷のせいだろう。

 呼気や唾液に毒があるかはわからない。この後、接近戦となった場合には注意を払うべきだろう。


 「義理とは言え、私にもつい先日、可愛い娘が出来たからね。その子は、元は他国の生まれさ。アスランの法を守り、アスランに税を支払う限り、アスランは何人も拒まない」


 にこりと微笑んだまま、モウキは仔の口を踏みしめた。

 口が閉じ、籠った絶叫が微かに息絶えた魔獣を揺らす。


 「父上、父上が処さなくとも、幾らでも俺が…」

 「もうちょっと、聞きだしてからの方が良かったのはわかってるんだけどねえ」

 「で、何か聞きだせたんですか?陛下」


 恐れ入りもしない紅鴉の守護者(むすこのスレン)の声に、モウキは「ちょっとね」と言いながら頷いた。


***


 「急いで助けないと大変そうだけれど、何処にいるかわからないのが困ったところだね」

 「突撃して探すのは駄目なのか!」

 「その水神の池とやらに投げ込まれたりしたら、終わりだからね」

 「すぐにはやらないんじゃないかなあ?おそらく、儀式かなんかしながらだと思うんだけど」

 「どうしてそう思うの?」


 ファンはしばし目を閉じ、顎に手を寄せた。それが考えを整理しているときの息子の癖であることは、当然モウキは熟知していたし、トールが知らないはずもない。

 黙って見守ることしばし。

 

 「魔獣はさ。本来、人間を必要としない。巫女とやらの生命力が餌とか、産卵のために人間の女性が絶対に必要なんてことは、ありえない」

 「じゃあ、あれはなんなんだ?」


 クロムが顎で指し示したのは、横たわる水神の仔だ。

 時折震えるように動くのは、口の中に閉じ込められた虜囚の足搔きだろう。


 「おそらく、カーラン西南地方…つまりは、真カーラン皇国に生息する、シュイバクって魔獣だと思う。カーランの博物誌…『巴苗山図絵』に書かれていた特徴に一致する点が多い。『娃娃魚サンショウウオに似て、鹿を妻とする』って特徴と、あと生態に関して三行くらいしか説明はないけど」

 「鹿を妻とする?」

 「シュイバクは雌雄同体で、単体生殖をする魔獣なんだ。けれど、共食いする性質がある上にそれを守ろうとする本能がない。ただ卵を産み付けただけだと、自分で食べてしまう」


 魔獣は歪な存在であることが多いが、それにしても極端な生態だ。それでは、全滅は避けられない。

 

 「だから、シュイバクは水辺にやってくる大型の哺乳類に産卵する。主に、鹿だね。その、鹿の雌の雌にね、産卵管を…」


 ちらりと視線が走るのは、ガラテアの顏だ。言いにくそうに夫がもごもごしているのを見て、ガラテアは鼻で笑った。


 「私はお前の妻で、生娘でもない。はっきり言え」

 「いやその、女性には不快な表現になりそうで…」

 「はっきり言え」

 「でも、嫌な気分になったら言ってね。止まるから。その、雌の子宮に産卵管を差し込んで産卵する。卵はかなりの長い間、そのまま胎内にとどまり、寄生された鹿が親の棲息地とは違う水場かつ、他のシュイバクがいない場所にやってくると孵化して出てくる。この時、寄生された鹿は耐え切れず死亡し、幼体の最初の餌になる」

 「うげー…」

 「ふむ。中々に悍ましい魔獣だな。しかし、山奥で鹿を相手にしているのなら、それほど危険はないのか。『巫女』とやらが必要なようにも思えない」

 

 まさか、鹿に『巫女』がいるわけはあるまい。

 

 「うん。そうなんだけれど、このシュイバクを使役する一族がいるって、残りの一行に書かれていてね。それで水伯丹って薬を作るんだと。で、この薬については別の書物…カーランの史書『恵和紅泉録』に名が出てくる」

 「薬?」

 「うん…その、強力な、避妊堕胎薬だ。おそらく…なんだけれど。胎内に寄生しているとき、鹿が妊娠すると都合が悪い。なんで、卵からそのための成分が分泌されるんじゃないかな。それで、この薬が、カーランの宮中で出回った」

 「あー…三代前の皇王の時代かあ」

 「そう。有力な夫人や妃たちはこぞって『敵』に水伯丹を盛り、ついに皇后目前だった時の太尉の娘、ユウイェ妃が流産したことで一斉摘発が行われて、水伯丹を作る一族は見せしめもあって族滅となった」

 

 後宮で生まれる子は、全て皇王の子だ。何せ、子を為せる男子は一人しかないのだから。

 その為、子を害するという事は、皇子を害するという事。 本来なら、その薬を入手したもの、入手しようとした者、使ったもの…すべてが懲罰の対象となる。


 後宮に数多集められた女性たちには、皇王の寵愛の他に実家という後ろ楯がある。いや、その実家が手繰る糸の先に、繋がっているというべきか。

 娘が罪人となれば、当然実家に累が及ぶ。特に、皇子を産めば皇后確定だったユウイェ妃の『後ろ楯』の怒りと焦りはすさまじいものだった事、想像に難くない。

 そして同時に、ほくそ笑んだはずだ。これで邪魔者を纏めて始末できる、と。


 しかし、政敵もそうやすやすとは自分の首を差し出したりはしない。

 そして、ユウイェ妃自身も、潔白とは言えない可能性もあった。さらに、まだ見つかっていないだけで、水伯丹を買い求めた妃、夫人はどれだけいることか。

 彼女も同じ罪を犯したことがある、薬を買った…と言われてしまえば、あとは実家同士の死闘だ。勝っても負けても、無傷で済むはずがない。


 結果、露見した妃、夫人は後宮を出されて神殿へ追いやられ、実家は罪に問われて勢力を落とし、薬を造った一族だけは、口封じと「罪人を処罰した」という名目を兼ねて、族滅…という結果となったのだ。


 その事をファンは語ることはなかったが、モウキもトールもカーランが大きく衰退する事態の先駆けとも言える大事件について、よく知っている。

 結局、この一件が大きな禍根を残し、カーラン皇国は戦乱への道を辿ったのだし、アスランにも大きく関わっているのだから。


 「その、水伯丹の造り方…なんだけれど。鹿ではなく、人間の女性を使って造る外法の技だと、『恵和紅泉録』に記載されていた。たださ、カーランの史書って、負けた側の悪事や勝った側の戦果はめちゃくちゃ盛るから、完全に嘘でもないけれど、罪を追加しているんだと思ってた」

 「族滅は一気に行わねば、取り残しが発生する。まして、後ろめたい連中が多い件ではな。密かに匿い、アスランへ逃がしたものがいた…という事か」

 「推測に過ぎないけれど…割と自信ある。その頃は、アスランじゃ五代の御代の終わりごろだ。カーランの動乱を避けて、アスランへ移住してきた人も多い。紛れてやってきたんだと思う」


 アスランが建国される前から、インシュの谷には定住する氏族がいたのは確かだ。そこに入り込んだのか、乗っ取ったのか。いつから、そうなのか。

 どちらにせよ、現在支配しているのは、カーランからやってきたシュイバク使いの一族だろう。


 「ファン君。『巫女』が必要な理由って、わかるかい?」

 「卵の状態なら寄生主の血から栄養を吸い取って生きるけれど、孵化した後は何でも食べる悪食の魔獣だと、記述されてた。だから、『巫女』って言うのは、多分だけど…制約を維持する為に必要なんじゃないかな」

 「制約?」

 「制約の魔導。それによって襲わない人間を指定しているんじゃないかな。シュイバクは単体生殖する魔獣だから、ある意味、すべて同じシュイバクだ。血統とかあるのかもしれないけれど、接ぎ木したイントルの木が同じ花を咲かせ、同じ時期に枯れるように、一度術式を完成させれば、全てのシュイバクに適応できるんじゃないかと、思う」

 「さすがだ…さすが、弟だ!完璧かつ隙のない推測!これはもう、間違いないだろう!」


 感動の面持ちで…うっすら涙ぐんでさえいる…トールとは逆に、ファンは自信があると言ったわりには微妙な面持ちでそんな兄を見ている。

 ただ、この兄弟としてはいつもの事なので、付き合いの短いヤクモとライデン姉弟でさえ流した。


 「制約か。それは、呪いのようなものだろうか?」

 「呪いの定義にもよる。神の御業としての神罰や祟りとは違うけれど」

 「ふむ。だが、似たようなものならばやって見る価値はあるな」


 ガラテアは胸の前で手を組み、目を閉じた。

 そうしていると本当に聖女のようだなどと弟が考えたと判断し、無言で蹴りを入れながら、遥か遠い海におわす大海の主(ダロス)に助力を願う。


 「大海の主(ダロス)よ…悪しき種は実らせた悪しき木へ、善き種は実らせた善き木へと、その大いなる波に乗せ運び給う…」


 シド曰く「姉に甘いと思う…」大海の主は、此度も敬虔な信徒の願いを聞き届けた。

 ガラテアを中心に、その瞳と同じ色の光が波となって沸き起こり、動かないシュイバクの仔へと打ち寄せる。


 しばしシュイバクの仔を包んでいた光の波に、黒く凝った小さな靄が混ざった。

 それは祈りの言葉にあるように、波間を漂う黒い種のように見える。しばし揺蕩った後、波は行き先を見つけたように引いて行った。黒い種を乗せたままに。


 「あれは、悪い術、良い術をかけた相手を見つける御業だ。半日ほど、あの黒いのが相手に纏わりつく」

 「なるほど!あの黒いモヤモヤをついた相手は敵という事だな!」

 「そうだ。遠慮なくぶちのめせ」

 「うむ!分かり易くてよい!」

 「一応、子供は勝手に制約の対象者にされただけって可能性が高いから、ぶちのめさないようにな?」


 そう注意しながらも、ファンは眉根を寄せた。

 時刻は昼すぎ。一番活気にあふれる時間だ。まして、子供の声は良く響く。すぐ近くに村があるのなら、笑い声や歓声が微かに聞こえてきてもおかしくはない。

 しかし、前方に蟠る黒い森からは、何の声も聞こえてこず、どんよりとした静寂に包まれている。


 子供など、いるのだろうか?

 サーヤが必要とされたのは、水神の巫女となれる娘がいないからだと言っていた。

 それはつまり、インシュの村で子供が生まれなくなっているという事なのかも知れない。


 今もあの村で水神丹を精製している可能性は高い。悍ましい薬だが、需要はあるだろう。遊郭は勿論、様々に必要とする者はいる。

 故郷を追われる原因となったものだから、売買には細心の注意を払っているに違いない。アスランの税吏に嗅ぎ付けられることもなく商いをするのは至難の技だ。商いに強い、協力者がいる。

 売るのなら、大都に店を構えて金持ちの顧客を多く持つ、白の三日月亭の店主は絶好の仲介人になる。

 しかし、それであれば、「村の悪事」として声高に主張しただろう。


 いや、前提が違う。

 閉じこもり、ひっそりと暮らす人々が、アスランの税吏の鼻の恐ろしさを知っているだろうか。

 インシュの村にも当然税の回収に赴くが、鄙びた村から金を搾り取るような事はない。決められた税を確認してすぐに立ち去る。

 

 「水神丹を作り出したのは、ここ数年の話なのかも…」

 「昔っから作ってたんじゃねぇのか?」

 「それが原因で族滅しかけたんだし、アスランには売るための伝手もない。おおっぴらに売れば、間違いなく摘発される。最悪、カーランへ引き渡しだ。小カーランの乱もあったしさ」

 「それをまたぞろ作り出したってことか」

 「ああ。おそらく、それを唆した奴がいるんじゃないかな。そいつがいるから、もう『白の三日月』亭の店主は不要になったんだと。いや…作り出したのは、もっと前、三人が村から逃げた後くらいか?」

 

 ぶつぶつと言い出したファンに、クロムをはじめ、ユーシンもヤクモも「なんで?」と問いかけなかった。なんなら、クロムは先ほどつい疑問を口に出してしまったことを後悔すらしている。

 こうなったら、長い。だが、問い(えさ)を与えなければ、しばらくすれば勝手に納得して戻ってくる。


 「何故、そう思う?」

 「ぬっ!」

 「シド、めっ!!」

 「ちッ…」

 

 突然向けられた非難に、シドは戸惑った様子で一歩引いた。

 クロム、ユーシン、ヤクモの表情と、鞭をいれられた馬のようなファンの気配の差が、余計に戸惑いを加速させる。


 「それはさ」

 「ほらあ!始まっちゃったじゃん~!」

 「終わったら起こしてくれ!」

 「…責任取って、お前が聞いとけよ」

 「お、弟が解説しようとしているのだ!全員拝聴せよ!!」


 ますます戸惑うシドの肩を、モウキが軽く叩く。その笑顔は、「気にしないで」と言っているようにも、諦観を現しているようにも見えた。


 「ファン君、短めによろしく!捕まっている女の子いるんだしね!」

 「あ、うん。そのさ、水神丹は強力な避妊堕胎薬だ。それで、その製法が数十年途絶えていたとしたら、技術が劣化している可能性があるんじゃないかと」

 「うむ!それは考えられるな!弟よ!」

 「全肯定されるのも、なんかツラいから…ともかく、技術の劣化により、本来なら避けられる事態が起こったんじゃないかなって」

 「つまり?」


 律義に合の手を入れるシドに、ファンは嬉しそうな顔をした。その顔を見て、今後は気をつけようと内心に誓ったことは秘密である。


 「村に子供が生まれなくなったんじゃないかと。経口摂取する薬だからね。その成分を吸い込んだり飲んだりしたら、影響が出る可能性はある。女性だけじゃなく、男にも…」

 「なるほどねえ。それじゃ、その薬を作っているところには、絶対みんな立ち入らない方が良いね!」

 「立てこもられたら、遠隔から魔導で仕留めればよいですね」

 「んー?私が乗り込むよ。だって、私、もう五人も息子がいるしさ!君たち以外に子供をこれ以上つくる気もないし!」


 作る気もない、と言うからには、作ろうと思えばできるのかとクロムたちは思ったが、トールとファンは曖昧な笑みを浮かべて沈黙している。


 「念のため、水も村の水は飲まないで。汚染されているかもしれないから。特にガラテアさん」

 「わかった。気をつけよう」

 「うんうん!私、孫になんて呼ばれるか悩んでいるくらいだからね!その頑張りを無駄にしてほしくない。そんなわけでファン君」

 「え?」

 「これは君の一党が引き受けた、冒険者としての仕事でしょ?ってわけで、作戦と割り振りをよろしく!」


 急に言われて、ファンは先ほどのシドに負けず劣らず困惑した顔をした。

 しかし、それも一瞬。すぐに力強く頷き、口を開く。


 「わかった。じゃあ、頭目パーティリーダーとして判断するよ。親父、立案と割り振りお願い」

 「ええ~?!」

 「一番できる人にやってもらうって判断するのも、大事だからさ」

 「そうきたかあ」


 世界でも屈指の将がいるのなら、任せるのは妥当だろう。

 大王に献策をと命じられたのなら話は別だが、冒険者として判断しろという事ならば、より得意なメンバーに任せる。責任だけ背負えばいい。


 「じゃあねえ。突撃隊と救出部隊に分かれようか。突撃隊が引きつけて、救出部隊が動くってことで」

 「そうですね。ならば俺は弟と…」

 「突撃隊は、私、トール君、ユーシン君、シド君で」

 「ちちうえっ!?」

 「妥当だな」

 「うむ!大いに戦ってみせましょう!!」

 

 長男の抗議を黙殺し…ちちうえちちうぇええ!!とうるさく鳴いていたが…、モウキは続いてファンに視線を向けた。


 「救出部隊は任せていいよね?」

 「わかった。任せて」

 

 兄の懇願を聞き流しながら、ファンは左胸を叩いた。息子の頼もしい姿に、モウキは目を細めて頷く。


 「うん。決まりだね!」

 「おー!ぼくはやるよ!かっこよく助けて、きゃあって言われるよ!!」

 「戦いになったら、足手纏いになんねぇように、ガキ連れて離れろ。特に女のガキはぎゃあぎゃあうるせえしな」

 「だいじょーぶ。クロム語にだいぶ慣れたからね。女の子の安全第一だね。了解だよ!」


 クロムの間合いから離れてヤクモが頷き、追い掛けようとする己の守護者をファンが止め、一同は視線を交わしあう。


 「危険と判断したら、マナンを呼ぶから。マナンが飛んでくるのを見たら、そっちに行ってもらって良いかな?」

 「心得たよ!」


 飛竜三頭は、シュイバクの仔を絶対に食べるな!と念を押した上で、ここに残していく。

 好奇心と食欲が旺盛なマナンを、落ち着いているルガルとムカリが叱りつけておとなしくさせてくれるだろう。


 「よし!じゃあ、作戦開始だ!行こう!」

 

 ファンの力強い声に、全員が頷き。

 インシュの谷救出戦は、開始された。

 

 泣きが入ってきた懇願の声もなんかしていたが。

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