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鳥には羽根 魚には鱗  作者: 阿古あおや
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自分の眉毛は目に見えない(灯台もと暗し)8

 「お宿なんですがね、ナランハル様にご紹介いただけるのはたいっへんにありがてぇんですが、そのお、ちょっとばかり、財布が風邪ひいちまってましてえ…いやあ、こんなに大都が寒いたぁ思いもよらず…」

 「しかも乾燥しているしね。イフンの気候になれていると、しんどいでしょ?ちゃんと温熱魔導具完備の宿にするし、俺が気兼ねなく泊れる程度のところにしておくよ。外観とか、部屋のお洒落度なんかは気にしないよね?」


 揉み手するヅックさんに確認すると、「そりゃあもう!」と何度も頷く。よく見たから懐かしさすら感じるけれど、そのゲヘヘって笑顔はどうにかならないもんかね。

 クロムがあからさまに不審者見る目付きになってるし…。


 さて。ヅックさんにあらかじめ伝えた方が良いだろうか。


 もしかしたら、キヤサは既に復活している可能性があるよ、と。

 でも、迂闊に言って違ってたら恥ずかしいよなあ。あくまでも仮説だし、現在わかっている事象を繋げたら出てきた可能性に過ぎないよって言っておいたとしてもだ。

 期待しちゃうのは、…当然だよな。そして、それが空振りに終わった時に落胆してしまうのも。

 まあ、ヅックさんなら即立ち直りそうではあるけれども。


 もう少し、考証するための材料が欲しい。

 とは言え、その材料をどうやって集めたらいいのか、皆目見当もつかないんだよな。

  なんか、今、思い出しそうになったんだけれど。だから、間違いないって思ったのに、その思い出しかけた検証の材料は掴む前に霧消してしまった。

 んー。なんだったっけ?


 渡された「キサヤの剣(仮名)」をマシロに渡して反応を見るっていうのも一つの手だが、それで過剰反応が引き起こされる可能性も否めないし。

 ただでさえ、二年前に受けた傷が完治していないっていうのに、負担をかけるようなことはなるべくしたくはない。


 「…ヅックさん。しばらく、俺は忙しくて会えないけどさ。凍死したり、変なところから借金しないようにね」


 鈴屋に泊まるなら、その辺も目を光らせといてくれるけど、今休業中だ。

 だけど、心当たりも伝手もある。この時期、宿はほとんど空いてないとは言え、紹介や伝手があれば空いている部屋を貸してくれるっていう、看板を出していない宿も、大都にはそれなりにあるしね。


 「ナランハル、お呼びと聞いて参上しましたよ~」

 「あ、来た来た。入ってくれ」


 呼びかけの声に応えると、扉が開いてひょこりと馴染みの顔が出てきた。

 親衛隊騎士の一人で、イフンで一緒に戦った一人でもある。


 「急に呼び出してすまなかったな」

 「問題なしっす。食ったし飲んだし、充分話しましたから」


 にひ、と笑った双眸が、ヅックさんを見つけてちょっと見開く。


 「おー!イフンのおっさん!元気してた?」

 「へい、おかげさまで!」

 「そりゃあよかった!ナランハル、おっさんの大都案内が任務っすか?」

 「時間があったらしてあげてくれ。とりあえず、宿に連れて行って欲しいんだ。紹介状と住所を書くから」

 「御意に~。おっさん、トパワクの美味い飯屋教えてくれたし、今度は俺が大都の安くて美味い店、紹介するぜえ!」


 懐かしそうに目を細め、心強い事を言ってくれる。

 あの時、一緒に戦った面子は…三人、減ってしまった。その中には、何処の飯屋を紹介するか呟きだしたコイツの兄も含まれている。

 直立した牛って感じで、屈強で…憎めない、頼もしい奴だった。


 あの日。命を叩きつけて俺を守ってくれた十人が居なければ、俺は今、ここにはいない。

 改めて、ありがとう。みんな。


 常に持ち歩いている筆記用具を取り出し、紹介状を書き付けていく。

 とりあえず、第一候補としては鈴屋のそばにあるところだな。切り盛りするご夫妻と同じく、お年を召してはいるけれど、清潔で明るく、強固で安全だ。


 「ほい。住所を表に書いといた。とりあえず、三軒。そのどこも泊めてもらえなかったら、案内所を頼ってくれ。代金は支払う」

 「御意っす!」


 案内所に頼めば、絶対に宿の手配はできる。ただ、紹介料と宿代は通常の十倍くらいはふんだくられるけどな。

 

 「じゃあ、ヅックさん。 また後日」


 やっぱり、今はキサヤ復活の仮説は黙っておこう。

 そもそも、もう復活しているなら、今どこにいるんだよ?っていう当然の質問の答えを、今の俺は持ち合わせていない。

 うーん。今どこにかっていったら…一番確率が高いのは。


 視線が彷徨うのは、石と泥の鞘を纏った翠の剣。

 これが本当にそうなら、三百年地中に在ったわけだけれど、岩の隙間から覗く刃は十分な切れ味を持っていそうに見えた。


 「ほんっと、お会いできてよかったよ!ファン先生!いやさ、ナランハル様!」

 「こいつは俺が責任もってしかるべきところに収めるから」


 もっとも安全で、問題がないのは炎公の神殿に奉納する事だよなあ。村の人たちだって、そう思ってヅックさんに託したんだろうし。

 でもなあ。なんか「そうじゃない」って、俺の勘が騒いでるんだよ。


 何度も頭を下げ、揉み手しながらヅックさんは騎士と共に部屋を出て行った。俺たちがイフンの気候で体調を崩すように、ヅックさんも大都の寒さにやられなきゃいいんだけれど。

 まあ、一ヶ月以上かけてイフンから大都まで旅してきたんだろうから、慣れたかな。ものすごく元気そうだしね。


 「で、お前は何を思いついたんだ?」

 「へあ!?」

 「おら、さっさと吐けよ。どうせ、その剣に絡むことだろ?」

 

 ジトっと見られて誤魔化す言葉を探すも思いつかず。

 

 「その、だなあ。もしかしたら、この剣に、なんか、その、すごいものが宿っているんじゃないかと思って」

 「だからあのおっさん、炎公の神殿にって頼みに来たんじゃねぇの?埋めようとしたら、祟ったんだろ?」

 「そうなんだけど、何が宿っているのか、ちょっと…調べたくて」

 「お前はなあ…」


 はあーっと溜息を吐いた後、クロムは痣のできた顔を顰め、痛かったらしくさらに凶悪な表情を浮かべた。


 「…調べたいなら、『鷹の目』使えばいいだろ。あんまり、やらせたくはないが…勝手にやって、何かある方が嫌だしな」

 「あ」


 その手があったか!

 『鷹の目』は隠されたものも見通す。もしかしたら、確かに何か見えるかも!

 自分の眉毛は目に見えないってやつだ。すっかり、忘れてたよ!


 「ただし!!やるのはトールとガラテア立ち合いの元でだ!トールが止めたら即使用をやめろ!あと、ガラテアがヤベーもん出てくるって言いだしたら、その時もだ!」

 「ガラテアさんが、『退魔』や『浄霊』の御業を授かっているかどうかは、聞いてないけど…」

 「神官なんだから、少しくらいはわかんだろ」


 それは目医者に「同じ医者だろ」って虫歯を見せるようなもんだと思うけれど。

 まあ、クロムがそれで安心するならいいか。


 「じゃあ、兄貴のとこへ行こう。ヤルトリツに挨拶していかなきゃな。みんなはまだ見学中かな?」

 「お前からのこのこ行くな。学長にも立場ってもんがある」


***


 「おお!弟よ!よく来た!よく来たな!!」


 兄貴の職場である星龍府に足を運ぶと、十日ぶりに会いました、くらいの勢いで歓迎された。

 

 もう午後なので、本来なら星龍宮じたくに戻っているはずなんだけれど、ユーシン達に合流していたサモンが「まだ仕事あるから呼んで来いって言われたっす」と拘束されたと聞いて、こっちだろうと来てみたら…大正解だったようだ。


 兄貴の執務室は仰々しさはほとんどなく、居心地の良さを重視している。

 ベンケが登って遊ぶための木が設置され、眠るための籠が点在し、何処で転がってもいいように、分厚いふっかふかの絨毯が床を覆う。もちろん、大きさ形に厚みの違う座布団も、両手の指に余るほど。

 兄貴曰く「そんなに人を招いたりはしないから…」との事。謁見用の部屋は別にあるから、まあ問題ないでしょうと、周りも黙認している。


 逆に、俺の執務室は逆にあまり居心地が良くないようにしている。

 長居したくないし、環境が良いとサボって読書に没頭とかしかねないからね。そういう局面で、俺は俺を信用しない。

 

 「ひどい…交流会の日はみんなお休みなのに…」

 「交流会への出席は公務だぞ」

 「来てみたら、別に仕事ないし…ひどい…」

 「昨日、半日寝てサボったからじゃないっすかねえ。んじゃ、俺は俺の仕事してくるっす」


 それは駄目だと思うぞ。サモン。

 俺以外も同じ感想だったらしく、シドですら頷いている。


 星龍府には、うちのパーティにガラテアさんを加えてやって来ていた。

 ニルツェグとジルカミシュにエルディーンさんらを任せ、一足先に紅鴉宮に戻ってもらっている。

 いかに幼馴染で親戚とは言え、一太子の執務室に紅鴉親衛隊の百人長が足を運ぶとなると、記録やらなんやらを残さなきゃいけないからな。面倒くさいし。


 しろさんが一礼を…なんだかヤクモに向いていたような?…して部屋を出て行ったのを、なんとなく見送ったのち、クロムが口を開いた。


 「おい、トール。今からファンが『鷹の目』を使う。ヤバいと思ったら止めろ」

 「『鷹の目』を、ですか?あれは御身に負担が大きいのでは…」


 お茶を運んできてくれたラーシュさんが、心配そうに眉をひそめた。クロムと違って、同じ動作でも不機嫌そうに見えない。


 「俺が見てみたいんです。大丈夫。血の涙が出る程は使わないので!」


 たぶん、という最後の一言は、飲み込んだ。


 「そうですか。ご無理はなさらないように…」


 星龍親衛隊の長であるラーシュさんは、とても優しく礼儀正しい。兄貴を支える両翼の一角であるこの人を見いだせたのは、本当に幸運な事だったと思う。

 そんなすごい人にお茶くみをしてもらっているのは、兄貴が人見知りなせいで、星龍府にも星龍宮にも、侍従官や女官がほとんどいないからなんだよねえ。

 普段ならサモンがやってるんだろうけど…何せ一番下っ端だし、鈴屋の孫の一人だけあって、お茶を淹れるのが上手い…今日はご機嫌ナナメにむくれながら、書類の整理なんかをやっているからな。


 「きれーな剣だねぃ」

 「イフン銀の剣だな!しかし、こんなに色が濃いのは初めて見た!」

 「へええ~。イフン銀っていうの?」

 「そ。イフン地方で採集されるイフンの白鉄を、特殊な技能を持った人が精製して造ることが出来る。イフン銀自体が魔力を帯びているから、必ず魔導具になるしな」


 とは言え、俺の貰った服のボタンみたいに、魔力を帯びているけれど特になんでもない装飾品の方が多いんだけれどね。

 でも、これは絶対にいわゆる魔剣だろう。


 「兄貴、なんかこの剣から感じる?」

 「…うむ。強い魔力が宿っているのは感じるが…」

 「つっかえねーな」

 「お前に言われたくはない!!!」


 兄貴の吠え声に反応したらしく、奥に続く部屋からウー老師せんせいがひょっこりと顔を出した。


 「おや、皆様方、お揃いで」

 「仕事中すみません。ちょっと、兄貴にも見てもらいたくて」

 「ふむ。ま、仕事が立て込んどるわけでもござりませぬし、星龍君わがきみの御機嫌がよろしゅうなれば、それはそれで」

 「じゃあ、俺帰っても良かったくない…?」

 「ツケは払うものであるからのお」

 「なら、お前もさっさと妓楼のツケを払って回ってこいこのスットコドッコイ!!」


 なお、兄貴の両翼のもう片方はこの人である。

 雷帝の刻印保持者だけが使える御業『万軍の主』は、異界から故人を召喚し、血肉を与えて生き返らせるというとんでもない、まさに奇跡としか言いようのない代物だ。


 過去、アスラン王国には同じようにやってきた人々がウー老師を含めて四人いる、とされている。

 大祖クロウハ・カガン。開祖に仕えた初代ウー・グィ。そして、五代を支えたイシダジブ。

 彼ら…偶然か必然なのか、全員男性だ…が異界から呼ばれる基準は、刻印保持者の「足りない」部分を補える人物、であるらしい。


 大祖は武力と統率力。初代ウー・グィは政治力。イシダジブは兵站管理。

 そして二代目ウー・グィは兄貴の何を補完しているんだろう。


 兄貴に足りないもの…余裕とか遊びとか、そういうものじゃないかなって、俺は思うんだけれど。

 何せ、兄貴は常に真面目だ。その真面目を向ける方向が、少々アレな時がままあるだけで。

 真面目なのは良いことだけど、それだけじゃ疲れ果てちゃうからね。ウー老師は兄貴が強く出れる…というか、甘えられる唯一の部下だから。


 「ど、どうした弟…?何故、兄をそんな、ほほえましく見て…」

 「気のせいだよ兄貴」

 「そ、そうか?ならば良いのだが」


 うん。気のせい気のせい。


 「あと、ガラテア。この剣、すげー祟るみたいだから、なんか出てきたらどうにかしろよ」

 「祟る…?そんな禍々しいものに見えないが?」

 「なんか埋めなおそうとしたら、キサヤラカム?とか言うのが目から血を噴き出して死んだらしいぜ。何人も」

 「死んでない、死んでない。勝手に殺すなよ。あと、噴き出したんじゃなくて、血の涙が出たってだけな?」


 こうして怪談はより凄惨なものになっていくんだろうなあ。

 しかしクロム、怖い話嫌いなくせに何故盛った?


 「クロム、あれでしょ…あんまり恐くない話聞いて怖くなっちゃったから、もっと怖くして怖がっても仕方ないって空気にしたかったんでしょ…」

 「してねーよ!!しっかり聞いてなかったから、間違えただけだクソ!!」

 「これは、当たりだねぃ」

 「うむ!」


 言うなりヤクモはシドの後ろに隠れた。クロムから身を護る術が増えたのは喜ばしい事だ。

 ユーシンを盾にしなかったのは、一応怪我人ではあるし、兄貴の執務室でいつものじゃれあいを始めるのはダメだという判断からだろう。ばっちり満点な対応だな。


 「呪いの剣か…俺は姉さんのように司祭ではないからさっぱりわからないが、とてもそうは見えないな」

 「だから、呪われてないって」

 「では、何故、そのなんとかラカム?という人たちは血の涙を?」

 「それは…はっきりと断言できないんだけれど、とにかく埋められたくはなかったんじゃないかな?」


 呪いの剣って言うなら、粗末に扱うとそいつの心臓を破裂させ、鍛冶師を狂乱させる『紅鴉の爪』の方が、よっぽどだしね。

 

 「ふむ。呪いの有無はわからないが、『破邪』の御業は授かっている。やってみるか?」

 「いや、それは本当に何かヤバいものが宿っていたらでいいよ。うん」


 『破邪』の御業は、その名の通り邪なもの、悪しきもの…つまりは、悪霊とかそういうのを粉砕する高度な御業だ。

 でも、もしも俺の仮説が正しくて、この剣に宿るのが悪霊妖鬼の類じゃなかったら、とんでもなく失礼だからな。

 

 「んじゃ、見てみるから。兄貴、よろしく」

 「任せよ!弟よ!」


 危なくなったら自分で止めれば良い話だが、たぶん俺は止まらない。何か見えたら、眼球が破裂するまで探ろうとする。そうする自信しかない。兄貴なら、俺の魔力が過剰に集中していたら気付くし、止めてくれるだろう。

 

 じっと、翠の刃を見つめる。

 本当に見事な刃だ。全容が見えないのが残念で仕方がないほど。

 

 イフン銀に透過性はないのだけれど、まるで透き通った泉のような翠。

 水底は見えているのに、手を伸ばしても届かない。ずっとずっと、先に…深く深く潜っていかなければ辿り着けないその場所に。

 魅入られて身を投げ入れれば、吸い込まれて囚われて、遥か頭上にあるにも関わらず、すぐそこに感じる水面を見上げて骨になっていく…


 「弟ぉ!!」

 「うわあ!!」


 急に抱きしめられて集中がほどけた。

 目を瞬かせると、兄貴がすごいガン見している。


 「ど、どうしたの?兄貴。まだ、痛くもないんだけれど…」

 「瞼が痙攣した」

 「…それだけ?」

 「瞼の痙攣は心理的に負荷がかかっているという事!!ゆえに、危険と判断したのだ。無事でよかった…弟よ!」


 うん…。半日くらい政務しごとしていると、するよね。ぴくぴくって。

 

 「もう一度試みられましても、同じ程度で留められましょうなあ」

 「お前、ほんっとーに使えねぇな!!」

 「クロムに罵られる理由はない!!お前こそ、守護者なのだから主の身を第一に考えよ!!」

 「それにしたって早えよ!」


 兄貴に見ててもらうのは良い案だと思ったんだけどね。

 甘く見ていたな…。兄貴の過保護っぷりを。


 「なんか騒いでるけど、どうしたんだ?」


 さっきウー老師が出てきた部屋から、同じようにひょいと出てきたのは。

 

 「ま、マシロ!いたのか!」


 俺の声と、抱き着く兄貴に一瞬不審げな顔をしたけれど、なんかいろいろ察したらしい。ニッコリ笑って指で床を指し示す。


 「ここが私の職場だからな。まあ、今日は兄ちゃんの手伝いだけど」

 「シンクロウの?」

 「そ。星龍親衛隊所属になるから、いろいろ書類とか書いて貰わなくちゃいけなくて。そんなことでウー老師やラーシュさんの手を煩わせるわけにはいかないだろ。とは言え、結局さっきまでウー老師がちょっかい掛けにきてたけど」

 「おりゃぁよう、こういうチマチマしたのはよう、ダメなんだよ…」


 マシロの後ろから、しおしおとしたシンクロウが現れた。こんなに元気のないシンクロウを見たのは、ほぼ遭難した状態でアスランに辿り着いた、初対面の時以来?

 

 「いくら苦手でも、契約書の類はちゃんと見て読んで、理解しなきゃ。兄ちゃんは何度かそれで痛い目みてるんだから。毎回私が同席できるわけでもないんだし」

 「でもよお、トールんとこがこさえたもんだろ?じゃあ、俺をだまくらかそうなんぞしてねぇよ。名前だけ書いて終わりでいいじゃねえの?」

 「信頼はありがたいが、それはならぬぞ。シンクロウ。信頼と盲信は別物だ」

 「へいへい。ちゃんと読んで、名前書いたから安心しろい」

 「たった五枚の書類を読むのに、昼前から初めて今になっとるがのお」


 ウー老師の呆れた声に、何故かユーシンが大きく頷く。うん。ユーシンも、書類五枚をよく読んで理解しなさいねって言ったら、そのくらいはかかるもんな。

 

 「あー、疲れた。っと、ファン。なんだそりゃ」

 「イフン地方で発掘された、たぶん三百年前の剣だよ」


 暢気に答えてから焦る。っと、マシロに見せちゃダメじゃん!のこのこ近付いてきたのはシンクロウだけど、マシロも興味深そうに「キヤサの剣(仮名)」を見ている。


 …見てるだけ、だな。特に何ともない。

 あれえ?やっぱり、俺の勘違い?


 「おー、すげーな。岩から掘り出されたみてぇだ」

 「泥が固まっちゃってるから、時間をかけて洗えば取れると思うんだけれどね。結晶化していると無理だけど」

 「ふーん。ガッチガチに踏み固めらてる地面みてぇなもんだわな」


 シンクロウは無造作に俺の手から「キサヤの剣(仮名)を掴み上げる。おい、キサヤに関係なくても、イフンの鍛冶技術を示す貴重なもんなんだから!


 「お、斬れた」

 「兄ちゃん!?何やってんの!?」


 すい、と覗く刃に指を走らせ、感嘆の声を上げたシンクロウに、マシロがいつになく上擦った声を上げた。

 ってか、本当に何やってるの?


 「いや、斬れっかなって」

 「試す前に言おうね!?」


 試しに自分の指斬っていい?って聞かれたら、ダメって答えるけどな。普通に。


 「へー。ほんと。斬れる」

 「サモン!?何なの二人して?残念な子なの?私の兄弟は!?」


 とっとこやってきたサモンが、同じように指を走らせて赤い線を浮かび上がらせる。えーと、マシロ。頑張れ?

 おいこら、シンクロウ。適当に剣を床に置くな。壊れたりはしないと思うけど、貴重なもんなんだってば!


 「残念だろ。誰がどう見ても」

 「目の当たりにすると落ち込む事実って、あるだろ…」


 はー…と大きく溜息を吐いたマシロは、踵を返して壁に据えられた棚へと向かった。

 その足が止まったのは、すでに其処にラーシュさんがいて、瀟洒な瓶と杯を持っていたからだろう。


 「一番強い酒です。指を洗って。土の中から出てきたものなら、最悪、指が腐り堕ちます」

 「ありがとうございます。ラーシュさん。ほんと、うちの兄と弟がすみません…」

 「頂き物ですが、殿下の舌に合わなかったので」


 白い杯に注がれたのは、とろりとした透明な酒だ。立ち上がる匂いから、かなり強い蒸留酒だと知れた。


 「トールさん、お酒あまり好きじゃないのう?」

 「いや、好きな方だが、あまり好かない味でな。マルトにやっても良いのだが、あまり強い酒を与えるのは良くないゆえ。一口飲んで仕舞いこんでいた」

 「ならば、私にくれても良かったのに。泥が腐ったような味でなければ、呑み切るぞ?」

 「忘れていたのだ。致し方あるまい」

 

 蓋を開けて放置していたなら、風味も悪くなるしね。消毒用にはちょうどいいだろう。

 

 「呑みたいなら吞めばいい。しかし、味は保証せんぞ」

 「腐った泥の味なら弟に呑ます」

 「え…」


 ガラテアさん、シド困ってるから…。


 「そ、それなら、標本作る時の為に貰っておこうかな!」

 

 俺の助け舟に、シドは明らかにホッとした顔をした。さすがに、腐った泥は呑みたくないよなあ。いつまでも咽喉の奥からえぐみと臭みが昇ってくるし、吐くと口の中に再び悪夢が広がって、本当にしんどいし。


 「しみる…」

 「誰が悪いの!?」

 「んー…俺は悪くないかな…。ほら、可愛いし…」

 「お兄ちゃん、そろそろちゃんと教育しなきゃなって思い始めてきたぞ?」

 「ちゃんとやれや。コイツに現実ってやつを教えてやれ」

 「クロムにも礼法のおさらいさせた方が良い気がするけどな!!」


 マシロ、本当に大変そう。

 そんな三兄弟…シンクロウは指を洗った後の酒を飲み干そうとして、めっちゃ怒られている…を微笑ましく見守っている兄貴。その、まだ俺に抱き着いている手が。


 いきなり離れた。


 「ラス!!防御陣を!クロム、『砦』を!」

 「御意!」


 兄貴の声に、すかさずラーシュさんの手が動き、陣とは違う軌跡を描く。

 イングリド連合王国という、アステリアの西にある国出身のラーシュさんは、俺たちと違って魔導の発動に陣を使わない。

 代わりに詠唱、もしくは身振りで術式を紡ぐ。


 敵軍からの矢の斉射くらいなら、身振りだけで発動させる防護結界で味方をすっぽりと覆い、守れるくらいのラーシュさんが、詠唱も合わせている。

 つまり、それくらいの何かが…どこかにいる!?


 「『砦』よ!」


 それとほぼ同時に、クロムの額に騎士神の刻印が浮かび上がり、淡い光が俺たちを包み込む。

 咄嗟にガラテアさんを抱きこんでクロムの横へ。ユーシンがきょとんとするシドを押しやり、ヤクモもその腕を引いていた。

 俺たちはすっぽりと『砦』に収まり、そしてラーシュさんの防護結界は。

 

 翠の剣を、包み込みこむ。


 「反転させ、内側から外側を守っています」

 「うむ。さすがラス。俺の意図をよく読み取ってくれた」

 「有難きお言葉です」


 褒められて、心底うれしそうなラーシュさん。本当に完璧な人なんだけれど、兄貴への忠誠心が信仰と言い換えてもいいくらいってのが、ちょっと…なんだよな。

 いや、悪い事じゃないんだけど。なんか、申し訳ないっていうか…。 


 「して、星龍君。なにがどうなされましたかな?」

 「わからぬ。しかし、あの剣が内包している魔力が、膨れ上がった」


 兄貴の言葉を証明するかのように、翠の光が泥の鞘の内側から零れる。

 それは色も何もかも違ったけれど、何故か、天卓山地に降る銀の雨を思い起こさせた。

 けれど、次の瞬間に起こったことは、優しく天地を湿らせる銀の雨とはまるで違って。


 音もなく、耐えかねたように巌と化した泥の鞘が…弾け飛ぶ!


 「間に合って、ようございました」


 ラーシュさんの防護結界は、当たれば痛いじゃすまないであろう礫を、全て食い止めていた。

 流石に、整った顔には汗が伝い、唇が色を失っている。

 防護結界は強度と持続時間を強化すればするほど、魔力の消費は激しくなる。ラーシュさんほどの魔導士がここまで魔力を消費しなければ防げなかったって事は、相当ヤバかったな。


 「クロム、『砦』はあとどのくらい…」

 「…あんま、持たねぇぞ」


 クロムの額からは血が溢れ、新品の騎士服を汚していた。こちらも限界に近い。

 

 「だが、もうちょい粘る。見縊んな」

 「わかった。信じる」


 剣を包んでいた結界が撓んで消えていく。同時によろめくラーシュさんを、シンクロウが支えた。

 

 「なんだってぇんだ!?いったい…」

 「あれは…」


 泥の鞘を弾き飛ばした剣は、揺らぐ翠の光に包まれている。

 その光が、ふわりと浮き上がり…何かを、形作っていく。


 「やっぱり…これって…」

 

 光がつくっていくものは、人型…に見えた。

 ただ、輪郭は完全に人のそれじゃない。


 上半身は、人とほぼ変わらない。ただ、両腕は長すぎるように見えた。

 下半身は逆に足が短く、そして何より違っているのは…長い、尾のように見えるもの。


 「キサヤ…」


 俺の声を待っていたように。

 翠の光が、弾けた。


 「く…!!!」


 クロムの口から、呻きと歯ぎしりが漏れ出る。

 『砦』が軋むってことは、あの光に直撃されたら危険だったって事だよな。


 「クロム、もういい。解除を」


 キサヤ自身が…どれほど「イフン人以外」に敵意を持っているかはわからない。

 けれど、さっきの光…敵意とか殺意みたいなものは感じなかった。

 毎年、大勢の命を奪っていく寒波ゾドだって、敵意や殺意があるわけじゃない。ただ、それにぶつかると生き物は死ぬ。それだけだ。

 神の力ってやつは、そういう性質なんだと…思う。


 『砦』が消え、クロムが大きく肩で息をする。その血を流す額に、ヤクモが手巾を当てていた。

 クロムの事は、慣れているヤクモに任せておいて大丈夫だろう。ユーシンもそう考えたようで、するりと前に出て身構えた。

 俺も、俺にできることをしなきゃ。まずは、状況を把握!


 「兄貴、ベンケは…」

 「大丈夫だ弟よ。ここにおる」

 「ぷきゃ?」


 名前を呼ばれて、兄貴の服のフードからベンケが寝ぼけた顔を出した。よかった。お気に入りの寝床にいたんだな。

 兄貴の執務室に入れる人間は限られている。今ここにいる以外に誰かいるとすればマルトさんだけど…あ、いつの間にか、兄貴の横にいるね。ものすごく眠たそう。本来なら、マルトさんの役目は夜間の警備だしな。


 つまり、被害はない。礫があちこちにめり込んでいるけれど、怪我人はない。なら、被害なしでいいだろう。

 なんか、ウー老師の文机が凸凹している気もするけど…うん。持ち込んだ俺にも責任の一端はあるな。半額は弁償しよう。あとの半額は、不可抗力だったってことで。


 「弟よ、さきほど、あれをキサヤと呼んでいたが…何か、知っておるのか?」

 「うん…俺の推測が確かなら」

 「弟の考えが間違っているはずはないからな。自信をもって教えてくれ」

 「それはどうかと思うけどね!?とにかくあれ…いや、あの方は、イフン地方の守護神であるキサヤだと、俺は考えている。三百年前に顕現し、人の世に干渉したことで罰として封じられた、炎公の眷族でもある鍛冶の神…」

 「マジか。鍛冶の神なら拝んどくか!」


 手をパンッ!と合わせて、何かむにゃむにゃと唱えるシンクロウに、マシロはしばらく眉間を摘まんで何かを耐えているみたいだった。

 その様子に、目が痛いとか、そういう感じはない。ただ、兄の暢気な様子に呆れているだけなようだ。

 うーん。つまり、マシロがキサヤ復活のきっかけになったっていう仮説自体は、外れてるのかな?


 そんなことを考えている間にも、「キサヤ」は形を作っていく。

 神様特有の、よく見ようとするとぼやけて、しっかりと見えない姿ではあるけれど。


 それでも特徴を述べるとするなら、人に近い体形を持った猿…と表現するべきだろう。骨格自体は、人よりも猿のそれだ。


 『よぅ、わちを目覚めさせた』


 頭の中に直接響くような声。

 他の皆にはどう聞こえているんだろう。なんかまだ小さい女の子って感じの印象を受ける。

 

 「あ、なんか声かわい…ばぶちゃんなの?」

 『ち、ちかたなかろ!力のほとんどを封じられてもうたんぢゃ!ほんらいのわちの声は、もっと、あれじゃ!!魅惑の低音、なんぢゃ!!』

 「…おい、あの馬野郎の同類かよ…」

 「いやあ、騎士神と同類にしたら、さすがに悪いと思うぞ?」


 だって、キサヤ神は寒い駄洒落をめり込ませて来ないし。


 声を張り上げた後、はっとしたようにキサヤ神は体勢を立て直した。

 口を小さく開閉しているので、発声練習でもしているのかもしれない。 


 『わちはキサヤ。炎公レイファ様にお仕えする神の一柱にして、イフンの地を任されしもの』

 「んー…偉そうだけど、なんか、ちっこくない?」

 『だーかーら!!ちかたなかろ!!』


 むっきー!と地団駄を踏むように空中で手足を動かすキサヤ神は、確かに小さい。

 乳離れして、動き回る子猫くらい?

 あ、ベンケ、あれは鼠じゃないからな?そんな黒目おっきくして見たら駄目だぞ。


 『本当のわちは!天卓を一跨ぎできるくらいなのぢゃ!!』

 「ええっと、五百年の封印解除を待たずに復活したから、力が不足しているってことですか?」

 『いや、そうではない。お役目をこなしてレイファ様がお許しくだされば、力をお返しくださる』


 じたじたするのをやめ、ちょっと肩で息をしながら腕を組む。神様でも息切れってするんだなあ。


 「ねぇねぇ、ファン。けっきょく、どゆこと?」

 「俺にも、説明するほどはわかんないんだけど…とにかく、確実なのは、あの剣に封印されてた神様が復活したって事だな」

 『ちと、(ちな)う。わちは剣に封じられておったのではない。封印がちびっと解けたのち、剣を依り代とちておったのよ』

 「え、ちょっと解けるとか、あるの?」

 『わちの封印が解ける時。それはお役目の時である。お役目をこなすためには、三人の鍛冶師が必要なのぢゃ』


 結局、全部わかっているのは、この神様だけなんだよな。つまりは、教えてもらうしかないわけで。


 「えっと、詳しくお願いします。あ、書き付けていいですか?貴重な記録なので。あと、あとで観察記録もつけさせてほしいんですけど。体長とか測っても?」

 『な…なんなのぢゃ?おぬち…なんか、気持ち悪いぞ…?』

 「黙らせるので、続きをお願いします」


 手帳を取り出そうとした手を、マシロにはたかれた。かなり本気の一撃だ。結構痛い。


 「…イフンの神様で、三人必要ってことは…最初の封印を解いたのは、私…なんですか?」

 『さようぢゃ。おぬちの血によって、わちは目覚めた』


 ふわふわと、宙を浮かんでキサヤ神が近寄ってくる。

 そしてそっと、その小さな手でマシロの頭に触れた。


 『死に瀕し、おぬちは帰れないことを家族に詫びておった。怨嗟のうめきでもなく、生への執着でもなく、ただ、詫びておった。その声が、わちに届いた』


 キサヤ神の表情は、わからない。見ようとすると揺らいで捉えられなくて。けれどきっと、柔らかく微笑んでいる。

 

 『わちの眷族である猿たちも、イフンの民も、家族を愛する。死の間際に在って己ではなく家族を想う声ぢゃからこそ、わちに届いたのよ。それで紅鴉がの。おぬちならイケる、と血を運んできての』

 「紅鴉ナランハル!?」

 

 不意に、記憶が閃く。

 あの夢。崖の下。猿の群れ。横たわるマシロ。そして、それを俺に見せたのは。


 黒づくめの後ろ姿。そうか、クロムの証言と一致する。あれが…

 あれが、紅鴉ナランハルか!


 『紅鴉は導くものよ。あやつが動いておるっちゅうことで、ついにわちのお役目の時が来たと悟ったのぢゃ』

 「なんか…神様ってもっと偉そうにしゃべるのかと思った。わりと、軽い」

 『マシロの記憶より、今様の言葉を学んだのぢゃからちかたなかろ!!わち本来の言葉では、おぬちらに伝わらぬ。伝わらぬ言葉など、意味はないからの!』


 ふんすと胸を張って、キサヤ神は告げた。

 確かに。どれだけ厳かに告げられても、ちんぷんかんぷんじゃ意味はない。

 まあ、それで都合よく解釈できる預言ってのが出来て、文化圏によって神様の姿や性格が異なってしまったのかもしれないね。


 「お役目って…」

 『わちの役目は、鍛冶よ。レイファ様のお叱りを受けた時に、五百年封印するが、役目の時が来たならば、封印を解くと仰せになられた。その役目の時とは…月の門の性悪が、この世に目玉を落とした時にほかならぬ』


 無意識に、左手が右手を抑えるのを止められなかった。

 月の門の性悪…つまり、黄昏の君。万魔の王。


 『やつばらに抗するのは、人の身では荷が重い。よって、わちが遣わされたのぢゃ!感謝感激すると良いぞ!!』

 「具体的になにするの…?ちっさいけど」

 『わちの加護を、刻印を与えられたものは、真の鋼(クロム)ですら扱える』

 「つまり…『紅鴉の爪(ナランハル・ホロウ)』を研いだりできるってことか!」


 ゆっくりと頷くキサヤ神は、今、たぶんすごいドヤっている。見えないけど。

 

 『さよう。うむ。ずいぶんと爪はのびのびとしておるの。しかし、鞘はなくてはならぬ。いざという時に備えて、力を貯められぬゆえに。よって、まずは鞘をつくる!よいな!マシロ、シンクロウ、サモン!』

 「おうよ!…って、なんで俺なんだい?キサヤ様とやらよう?」

 「封印を解くには三人必要って言ってたけど…まさか?」

 『そのとおりぢゃ!わちの刻印をあたえるものは、強き絆で結ばれておらねばならぬ。鍛冶とは、火と水と風にて鉄を征する。三人に分け与えた力を合わせ、ふるってはじめて、神武具の鍛冶師となれるのぢゃ』

 「へええ。そりゃあすげぇけどよ。鍛冶師って俺くらいなもんだぜ?それも鏃工だしよ。マシロもちっと齧っちゃいるが、本職じゃねぇし、サモンなんて鍛冶のカの字も知らねぇよ?」


 シンクロウの疑問に、キサヤ神は少し…いや、だいぶん狼狽えたように見えた。

 いや、そんなことないよね?マシロの記憶から言葉を学んだなら、わかるよね?それくらい…


 「フレルバタル師にも、援けを求めた方が良いやもしれんな。実際に打つのはこの三人として…」

 「俺、なんにもできないから、応援してる。兄ちゃんたち頑張って…」

 「まあ、神様のお墨付きだ。なんとかなんだろ」


 なんとかなるのかなあ?

 大鍛人フレルバタル師に、余計な苦労を掛けなきゃいいんだけど。


 「あ、そうだ。結局、封印を解く要素って、イフンの血が入っていない人の血って事でいいんですか?」

 『うむ。イフンの民が心を許し、わちの存在を教えるほど信頼する相手ということでな。まあ…あまり、関係ない感じぢゃったけど…。それに、マシロだけの血で終わった時には、どうしようかと思った…』


 あ、ちょっと涙声っぽい。 


 『なんとか紅鴉に頼んで、イフンの民に見つけさせることはできたが…なんかそのまま埋められそうになるし。わち、超がんばった…』


 神様も、ままならない事ってあるんだなあ。

 それなら、人間が思うようにいかないのも当然だ…と、ジンジンする右手を擦りながら考える。

 

 『で、では!刻印を授ける!三人とも、並ぶが良い!』

 「…お断りするっていう、選択肢は?」

 『泣くぞ!神が本気で泣くぞ!!』

 「本職じゃないんだけどなあ」


 マシロが困ったように眉を顰める。

 そりゃあ、諜報官と鍛冶師じゃずいぶん趣が違う。両方とも完璧には、難しいというより、無理だろう。マシロ、完璧主義者だから手抜きとかできないしね。


 「まあ、やってみようや。上手くいかなくてもよ、そん時ゃあそん時よ」

 「兄ちゃん…」

 「なんかちっと、神様が可哀想だしな!何百年も埋まってて、やっと出てこれたんだろ?それが無駄骨になっちゃあ、あんまりだぜ」


 がはは、と豪快に笑って、シンクロウは弟の肩を叩いた。痛そうに眉を顰めながらも、マシロも笑っている。


 『では…』


 するりと、舞を始めるかのように、キサヤ神は両手を掲げる。

 誰もが、声を…いや、息するのさえ、憚られるような。そんな、厳かな気配。

 声が可愛くても、ちっさくても、キサヤ神は神なのだと、問答無用でわからせられるような。


 …。

 ……。

 ………。


 えーっと…溜め、長いな。


 「まだあ?」

 『な…なんということぢゃ…』

 「やっぱり、私に適正がない…のですか?」

 『…れた』

 「ん?」


 全員の視線を集めたキサヤ神は、掲げていた両手を両頬に当てる。


 『刻印の授け方、忘れてしもうた!』

 「やっぱり、あの馬野郎の同類じゃねぇか!!むしろ、それ以下じゃねぇか!あの馬、刻印はしっかり授けたぞ!!」

 『その馬がどの馬かわからんが、ちかたなかろー!!三百年じゃぞ!!おぬち、三百年ぶりにやれい言われて、出来るんかあ!!』

 「知らねぇよ!!つうか、三百年も生きねえよ!」


 わ、忘れる事なんて、あんの!?

 いや、目の前に忘れた神様がいるんだから、あるんだろうな。うん。現象として。

 いや、納得している場合じゃない。このままじゃ『紅鴉の爪』は抜き身のままだし、クロムの信仰心が完全になくなってしまう!


 「あ、そうだ。少しでも、助力になれば良いんですけど…」


 室内だから手袋を外している右手。

 掌に意識を向け、浮かび上がらせるのは…小さな灯。


 「…ファン」

 「え、何?ガラテアさん」

 「後で、クロムの御業ともども、しっかり聞かせてもらうからな?」

 「あー…ごめん、言ってなかったね。シドには伝えていたから、忘れてた」

 

 ごめん、シド。俺からは見えないけれど、その怯えっぷりでガラテアさんがどんな顔でシドを見ているか、だいたいわかる。


 シドの不幸はさておいて、灯の刻印は迷いの闇を払いのけ、磨き、研鑽を重ねた自分を照らし出す。

 神様のド忘れに効果があるかはわからないけども、試してはみた方が良いよな。

  

 「…灯の刻印…そうだよな。クロムが騎士神の刻印を授かって御業を使うなら、当然、その主のお前は、灯の刻印もち、だよな」

 「マシロは、知っていたのか?」

 「クロムが『砦』で、発狂した元第一工房長から守ってくれたから。その時に額に浮いた刻印を見た」

 「ふむ。ファンの刻印を知ったのは、私と同時か。それなら、まあ赦そう」

 「そりゃあ、どうも、ありがとう?」


 シンクロウとサモンも知らなかったはずだが、なんか珍しい虫を見つけたみたいな顔で俺の右掌を見ている。まあ、恐れ入ってほしいわけじゃないから、いいんだけど。


 『あー!!!』

 「思い出した?」

 『思い出した!!さすがは時の灯よ!!よし!!改めてならべい!!』

 「えらそ。忘れてたのに」

 『きえええええ!!!』

 「サモン、キサヤ様、可哀想だから…」


 大丈夫かなあ。すでにサモン、キサヤ神の天敵になってない?


 マシロの窘めにサモンは「ごめんね」と軽く謝り、キサヤ神は気を取り直したようだった。

 再び両手が掲げられ、その先に三つの光が生まれる。


 キサヤ神を包む翠が分離したような光は、ふわりと同じ色の軌跡を描きながら…三兄弟の目へと吸い込まれていった。


 『シンクロウには、火を。マシロには、水を。サモンには、風を』


 先ほどの金切り声とは打って変わった厳かな声が、告げる。


 『共に手を携え、力を合わせ、鉄を征せよ』


 三人の双眸は、少しずつ違う色合いをしている。

 けれど今…その瞳が湛えるのは、イフンの天卓に人知れず湧き出でる、泉のような碧。

 

 「お前ら…見え方や体調に異常はないか?」

 「特に何も。オドンナルガ」


 そう戸惑うように答えるマシロの双眸が、瞬きするごとに本来の紫苑色に戻っていく。

 あの色自体が、キヤサの刻印…なんだろうか。それなら、御業を願う時とかにしか、出てこないのかな?


 『ふぅい~…一時はどうなるかと思ったわい!』


 ほぼ自分のせいでは?と誰もが思っただろうが、口には出さなかった。サモンもさすがにさっき怒られたせいか、ちょっと「ふ…」って顔して見ている程度だ。


 『ちかち、三百年ぶりの授受は疲れるのう!酒はないのか!』

 「あるよ。呑むの…?」

 『いきもののようには、呑まぬ!酒に宿る気を吞むのぢゃよ』


 そう言って、サモンの差し出した杯に口を近付ける。でも、あれってさっき、指を洗ったやつじゃね?

 マシロも気付いたようで、慌てて取り上げようとする…けれど、その前に。


 なんか、キサヤ神が、跳ねた。

 もしかして、本当に腐った泥の味してたのか!?


 『こ、この中に、もちや、もちや…おぬちらの血肉がはいってはおる…あばばばば!!』

 「ん。さっき、血の出た指あらった。でも、ほんのちょっとだよ」

 『ば、ばかもおお!!!おろろろろろ…』


 翠の光が、消えていく。

 代わりにキサヤ神を覆うのは、違う色。


 髪…いや、鬣は、鮮やかな夕陽の赤。長い両腕と胸元は、花のような黄色。

 両足は地中から現れる紅玉の濃紅に、そして顔は天を覆う朝雲の薄紅に。

 身体と同じくらいあるふさふさとした尾は、イフンの雨のような銀をして。


 やっぱり、人より猿に近い。

 眉はなく、生え際と鼻根がほとんどくっついている。その鼻は低く、前に突き出し、同じ高さに口が続く。

 胸から腹にかけては人に近いけれど、ふさふさとした毛に覆われているんで、乳房の形状や数は見分けられない。臍の有無も同じくだ。


 「観察すんな!」

 

 べし、とマシロに額を叩かれた。でも、するよね?博物学者じゃなくても、それくらいは見るよね?


 「なんとなくわかるが、見ねーよ。猿っぽいなって思うくらいだ。で、なんで急にこうなったんだ?」

 「酒に酔ったのか?クロムも酔うと醜態をさらす!」

 「酔って服脱ぎ捨てて往来に飛び出すよりマシだ馬鹿」


 あの時は大変だったなあ。捕獲した時は、最後の一枚を脱ぎ捨てる寸前だった。

 捕まえた瞬間、寝たけど。


 『あああああ…じゅ、受肉してもうた…』

 「受肉?」

 『わちらは形あるものを喰えるわけではない…ちかち、刻印をさずけたものの血肉なれば、とりこめる…。本来であれば、力が増すのであるが…今のわちでは、血肉に引っ張られてもうた…』

 「よくわかんないけど、大変だねぃ」

 「その、受肉すると、何か困ったことが?」

 『大ありぢゃ!!』


 表情もはっきり見える。唯一元の翠を残した目をくわっと見開いて、キサヤ神は腕を振り回した。子猿も癇癪おこすと、こんな感じになるよね。


 『肉を持ったからには、飯を食わねばならぬ!眠らねばならぬ!傷付けば痛いし、病にも侵される!!』

 「死ぬということもあるのか?そうなると、弟の偉業の助けが…」

 『死ぬことはないが、炎公様の御許にも戻れぬう!!』

 「ずっと、なんですか?」

 『今取り込んだ血肉が消えるまで…十年か、二十年か、あああ…』


 頭を抱えて泣き出したキサヤ神を、兄貴はかなり困った顔で見ていたが、ひとつ溜息を吐いて頷いた。

 その視線がマシロに向く。

 

 「マシロ。キサヤ神のお世話をして差し上げろ。シンクロウやサモンでは、不安にもほどがある」 

 「御意に。そうなるだろーと、思ったよ!もう!」

 

 大きく溜息を吐きつつも、マシロはそっと宙に浮かんだままべそべそと泣き続けるキサヤ神に手を伸ばした。

 先ほどとは逆に、その赤い鬣に覆われた頭を撫でる。

 

 「今日はとりあえず美味しいものを食べて、旨い酒を吞んで、あったかい風呂に浸かって、ふかふかの寝床で寝ましょうね?」

 『うう…ほんとうかや?』

 「うちは大都屈指の飯屋なんですよ。味は保証します」

 「おうとも!鈴屋うちの飯は最高だぜ!」 

 「なんか可哀想だから、俺のおやつもわけてあげる」

 『う…』


 ぐしぐしと目元をこすり頷き、キサヤ神は何とか泣き止んだ。

 まあ、幸いなことに小さいし、服のたもとにでも入れておけば、そう目立たないだろう。見とがめられたら珍しい猿ですとでも言っておけば…浮かばず喋らなきゃ、誤魔化せる…かなあ?


 「…なあ、こんなんで、本当に『紅鴉の爪』の鞘、作れんのか?」

 「出来るって、信じようぜ。俺たちも。ほら、神様の力の源って、信仰心らしいし?」

 「ま、出来なくても今まで通りって事だしな」

 「そういう事だ」


 フレルバタル師も、材料集めて作ってくれるとは言ってくれてたしな。完成するのは年単位先とは言え。

 そういえば、鞘の材料はどうするんだろう。師が集めてくれている材料を使えばいいのかな?

 まあ、その辺はもっとキサヤ神が落ち着いてからにしとこう。どうせ、何年か先の話だ。


 あ、そういえば、復活させたものの願いをかなえるっていうのはどうなんだろ?

 でもなあ。刻印の授け方忘れちゃうくらいだしなあ…。言わないでおこう。勝手に人間が付け加えた願望かも知れないしね。

 

 「うむ。神も英気を養うのであるし、今宵は弟もしっかりと飯を食い、早めに休むのだぞ。一応言っておくが、クロムもな。間違っても歓楽街などに繰り出す出ないぞ!」

 「あ?なんでお前にそこまで指図されなきゃいけねえんだよ」

 「馬鹿者!明後日は守護者の儀ではないか!!」


 あ、そういえば。

 なんかいろいろありすぎて、忘れてた…。


 「弟よ。明日は仕事もせずに心身を休めよ。ガラテア、頼んだぞ。弟は働き者であるゆえ、空いた時間があると、すぐ家事やら執筆やらを始めてしまう…」

 「任されよう」


 え…心身を休めるんだったら、博物誌の執筆とかすごい休めるんだけど!?

 むしろ、心の回復にはもってこいなんだけど!?


 「ファン。明日の朝議で私たちは正式に夫婦と認められるのだったな?」

 「う、うん」

 「新妻を放っておいて紙に向かうのは、どうかと思うぞ?」

 「ソウデスネ…」

 「あー…だが、夫婦の営みの方は、今しばらく待つように。とにかく、守護者の儀は体力が必要となるからな」


 そうなんだ。けど、具体的に何をするかは、教えてもらえないんだよね。

 クロムもさすがに神妙な顔で頷いた。儀式にかける意気込みは、間違いなく俺よりもクロムの方が強いだろうしな。


 まあ、確かに今日は疲れた。

 キサヤ神のおもてなしじゃあないけれど、旨いものを食べて風呂に浸かって、ぐっすり寝たい。


 守護者の儀に対する不安のようなものは、ただの疲労であると、自分に言い聞かせて。

 欠伸を噛み殺しながら、頷いた。


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