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鳥には羽根 魚には鱗  作者: 阿古あおや
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自分の眉毛は目に見えない(灯台もと暗し)4

 ひとの体温って、どうしてこんなに暖かいんだろう。

 それとも、彼女だからそう思うんだろうか。


 ガラテアさんはしっかり外套…しかも、俺の…を着ているし、彼女の体温を感じるには、纏う布や革は多すぎる。

 でも、腕の中にいる彼女の、首巻から零れる呼吸や鼓動そのものが、とても暖かくて、心地いい。


 「ファンは、暖かいな」

 

 そう思っていたのは、俺だけじゃないようで。

 ガラテアさんが溜息のように漏らした言葉に、彼女も俺の温度を感じていてくれていることがわかって、なんだかとても嬉しくなる。


 「ガラテアさんも、すごく、あったかい」

 「そうか。なら、二人でいれば、ずっと寒くないな」

 「そうだね。夏になったら、暑いときはどうするか考えようか。一年中、一緒にいたいから」

 「とてもいい考えだ」


 さらにぎゅっと、ガラテアさんが俺にくっついてくる。

 ええと、良いんだよな。こういう時は、こう、抱きしめて…!


 痛くないよう、苦しくないようにそっと腕を回すと、「私はそんなに脆くないぞ」と苦笑を含んだ声で抗議された。なので、もう少し力を入れると、満足そうな吐息が零れる。


 ガラテアさんの蹴りは男を一撃で昏倒させ、拳はシドを苦悶させる威力だけれど、腕の中の身体は細く、柔らかく。

 春先、元気に飛び跳ねているけれどどこもかしこも柔らかい、子羊や子山羊みたいだ。


 その柔らかさに感動していると、周囲の音が聞こえてきた。

 いや、ずっと無音だったわけないよな。俺が聞いてなかっただけで。


 わあわあと無意味に、無秩序に鳴っていた音は、やがてまとまり始め、旋律を形作る。

 それは、ヤルクト氏族に伝わる祝い唄のかたちになっていき、繰り返すごとにぴたりと揃っていく。

 

 「歌…」

 「うん。大祖がその故郷からもたらした、祝いの唄だよ」

 「タタル語では…ないな?」

 「そうだね。大祖の国の言葉だ。その、婚姻を結ぶを祝う歌でね。ヤルクト氏族しか歌っていなかったんだけれど、今じゃアスラン人ならわりと知っている」

 「ああ、今はタタル語か」


 元の発音とタタル語で、繰り返し歌われるその祝い唄が、どれだけ「正しい発音」を保っているかはわからない。

 けれど、大事なのは言葉の意味と、祝福の意志だ。

 多少違っていても、大祖も許してくれるだろう。


 『二人の幸せはいつまでも続く。子孫は千代を重ね、重ねる石は岩となり、その岩から粘体ハチン・シャワルが湧きだすまで』と歌ってくれているのは、いつの間にか…もしくは、最初から、いた?…近所の皆さん。

 う…見知った顔を見つけると、ちょっと、いや、かなり、恥ずかしい!!

 

 わぁ、と俺たちを囲む人々から歓声が沸いた。

 その歓声をもたらしたのは、赤くなっているであろう俺の顏ではなく。


 ひらひらと、それから積もる雪のように。

 色とりどりの花が、降りしきる。


 もちろん、異常気象などではなく、見上げれば飛び交う飛竜の腹。

 ボオル達、紅鴉親衛隊の竜騎士たちが、鉄鎖網ではなく花を地上に振りまいていた。


 ひとつ、肩に落ちたそれを摘まみ上げてみると、やや凍っているけれど、生花だ。

 淡い紫色の、千里香タイム。ガラテアさんの広げた掌に降りたのは、赤い花一華アネモネ


 もちろん、どちらも…そして、この二輪以外の降りしきる花も、冬の大都周辺で咲くはずのない花だ。

 大都で真冬に花を贖う事は難しい事じゃない。

 舞い落ちる花々は夏と言うか春から初夏にかけて咲く花だけれど、一年中温暖なソリル内海周辺なら栽培することもできる。

 とは言え、当然ながら大都でも咲く時期より、はるかに値段は跳ねあがる。相場は大体十倍といったところ。

 

 なんで、ちょっとこれは、贅沢すぎるんじゃあと言う感想が真っ先に浮かんだのは…情けないけれど事実だ。

 まあ、でも。


 惜しげもなく撒かれる花を人々は手に取り、楽しそうに笑っている。

 地面に落ちた花はうちの騎士たちが丁寧に拾い集め、「子供と女性が優先~」と言いながら配っているから、無駄にもならないだろう。


 それに、なにより。

 ガラテアさんが、その氷青の瞳を煌めかせて花を見ている。

 だから…贅沢だけれど、無駄じゃない。


 「綺麗だな。とても」

 「うん。そうだね」


 大都中の花屋さんと、花が欲しい人には申し訳ないかもしれないけれど、花の雪の中で笑うガラテアさんはとても綺麗で。

 そんな彼女を見た人々も、眼福なわけだし。いいよな。


 「あー、コホン。ナランハル。お二人の世界をお邪魔シテ申し訳ありまセン」

 「え、え、えっと、いや!いや、邪魔じゃないし!どした、アミール」

 「そろそろ、ご家族にご挨拶した方がよろしいカト」

 「あ!」


 慌てて鈴屋の方を見ると、花の雪すら燃えて溶けそうな表情のジュローさんと、逆に凍って砕けそうな笑顔のカゲツさんがいらっしゃった。

 その隣のリンドウ大伯母さんはにこにこ笑っているし、アカネさんはなんか涙ぐんで微笑んでいるから、祝福されていないわけじゃないと思う。思いたい。


 シンクロウ、マシロ、サモンの三兄弟の姿は見えない。目立つことを嫌ったのか、いざと言う時要員として、どこかで様子を見ているのか。

 …まさかまた、どっかで映写の魔導具構えていたりとか、してない…よな?


 いや、そこまで疑っていたらきりがない。もう一人、必ずいるはずの顔を探す。

 シドはカゲツさんの隣で、今まで見た中で一番柔らかな微笑みを浮かべて、薄雪草の花を掌に載せていた。


 ガラテアさんに頷いて、鈴屋へと足を進める。

 クロムが音もなく後ろから付いてきた。もし、ジュローさんとカゲツさんに斬りかかられても、なんとかしてくれるだろう。信じているぞ、俺の守護者(ナランハル・スレン)


 ええと、ヒタカミ式の礼。

 鈴屋一同の前で両手を身体の横に着けて、腰を折る。

 自分のうなじが見えるほどに頭を下げて、無礼があれば首を落としてかまいません、という事を示すのが正しいやり方だよな。


 「頭を…あげてください。ナランハル」


 カゲツさんの声に、姿勢を戻す。

 

 「ガラテアさんを、迎えに来ました」


 どうにか震えも、早口にもならず言い切った口上に、アカネさんが手巾で目元を抑える。


 「過ごしたのはわずか一年足らずでしたが、大切な娘です。…わかってくださいますよね?」

 「もちろん。絶対に二人で、幸せになります」


 します、だと、きっと俺は空回りしそうだし。

 ガラテアさんは、俺が暴走しそうになったら、きっと笑顔で殴ってでも止めてくれる人だ。だから、幸せになりますと宣言した。


 「それと、シド。これを」


 飾りベルトに見せかけて身に着けてきた肩掛け鞄から、昨日急いで取りに行ったものを取り出し、シドへと差し出す。


 「これは…!」


 深い紺色の革装丁の、大きな本。

 金箔押しで綴られた題名は『西海博物誌』。もちろん、シドにも読めるはずだ。彼らの生まれ故郷の文字である、カナン文字で書かれているのだから。


 「原本だよ。ライデン博士にもご挨拶しなくちゃと思ってさ」

 「…子供のころ、叔父に見せてもらったことがある」


 横を見ると、ガラテアさんも目を見開いていた。

 そっと手を伸ばし、綴られた文字を撫でる。


 「懐かしい…。そうだ。叔父が売れたと喜んでいた時、母たちが話していた。東の国の王子に贈られるのだと。お前が持っているのは聞いていたのに、今、思い出した」

 「祖父ちゃんが俺の誕生日に買ってくれた本の一冊なんだ」

 

 ライデン姉弟は同じ表情で、じっと本の表紙を見つめている。

 きっと、この本を二人が見たのは、まだこれからやってくる運命を知らなかった頃。入り江に寄せる波のような穏やかな日々が続くと、疑う事すらなかっただろう。

 

 少し、悩みもした。

 だって、セスの記憶は、絶対に「あの日」に繋がっている。

 血と炎と煤に塗りつぶされた、最後の日の記憶に。

 

 それを掘り起こしてしまうのではないか。

 いつかは向かい合わなくてはならない記憶だとしても、今ではないんじゃないか。


 でも、結局俺は、この本をこうして手に取り、差し出している。

 だってこの本は、俺に西の彼方の海と、一人の少女を教えてくれた本だから。

 その恩人であるライデン博士に、敬意を表さないわけにはいかない。


 それに、俺がガラテアさんを知ったメモから読み取るに、博士は小さな助手である姪の事を、とても可愛がっていたからね。

 その姪御さんを娶りますと、ちゃんと「家族」に告げなきゃ。


 俺の心配は、だけど、余計な事だったようで。

 シドは真っすぐに俺を見て、笑って頷いてくれた。


 「ファン。礼を言わせてくれ。もし、この本がお前に贈られなければ、きっと叔父の生涯は一つまみの灰となって忘れ去られていた。ありがとう。叔父の本を、こうして…大切に持っていてくれて」

 「『西海博物誌』は、西海地方の生物や文化風俗を知るのにこれ以上はないって評判なんだぞ」

 「叔父に聞かせてやりたかった。…いや、きっと魂はこの本に宿って聞いているな」

 「俺も学者のはしくれとして、その可能性は大いにあると思う」


 自分の生涯を込めたような本を一冊書き上げたなら、墓よりもそっちに宿りたいものな。


 「そうか。なら、ファンが博物誌を書き上げたら、その原本は墓に収めてもらおう。私も同じ墓に入るのなら、お前がいないと寂しい」

 「ああ、それはいいね。印刷版があれば良いわけだし。俺もうっかり本に宿っちゃって、図書館の奥深くで眠るより、君のそばにいたい」

 「…こういう時に、御馳走様、と言うのだな。二十一年間生きてきて、はじめて心から理解した。叔父も今のやり取りを聞いて、祝福してくれているだろう」


 え、え?そ、そうか?そんな、むふーって顔で微妙な笑みを浮かべられるほどなコトだったか!?


 「う゛う゛…お、おどうどよぉ゛…ッ!よがっだなァ゛…ッ!!ご家族に、じゅぐぶぐざれでえ…ッ!」


 なんか、背後から兄貴のぐずぐずになった声がする。

 泣くと涙と鼻水が凍るし、身内以外には『アスランの雷神』で通っているんだから、あまり幻想を打ち砕くような真似はしないで上げて欲しいなあ。


 「ほら、オドンナルガ、ちんってして。凍りますぜ」

 「う゛ぶ…。ずまぬ゛」


 すいません、アヤンさん。手間かけさせまして。

 しばし身繕いの音がしていたけれど、周囲からはきっとうまく隠してくれただろう。ラーシュさんもアヤンさんも兄貴と付き合いが長い。心得ている。


 こほんこほんと咳払いが聞こえ、兄貴はどうやら立ち直ったらしい。

 クロムの小さな舌打ちが、それを教えてくれる。恐ろしくて、振り向く気にはなれないが。


 「花嫁の家族はこの婚姻を承諾した!ほか、異議あるものは声を上げよ!」


 兄貴の、少しだけ上擦って掠れた声が響く。

 これも、ヤルクトの習いだ。迎えに同行した、年の近い年長者がこうして婚姻に異議申し立てがないか確認する。

 不満があれば、この時堂々と申し立てればいい。ただのいちゃもんなら、寄ってたかって論破される。特に、当の花嫁から。


 さて、声を上げる人はいるだろうか。

 改めてくるりと周囲を見渡せば、やけに男性比率の多い一角があった。そのうちの何人かに見覚えがある。ガラテアさんに求婚してた連中だな。


 しかしながら、やはり二太子に文句を言うというのは、難しい。

 皆、求婚の時より豪華な服装をして、あきらかに再度の申し入れをする気満々だったのだろうけれど。

 御付きの人がしがみ付いて何か言っている人もいれば、悄然と肩を落として恨めしそうに俺を見ているひともいる。


 連中のうち何人か…もしくは全員、家柄の好さとか財力とか、現在の地位だとかを売りにしていたわけで、まあ、残念ながらそれらで王族に勝てるわけがない。

 そして、負けるとわかっていても声を出す気概は彼らにはない。もしくは、自慢の源泉はそこまでの好き勝手を許さないんだろうな。


 「い、異議はある!!」


 だから何事もなく終わるかと思ったら、さっきの兄貴なんて比じゃないくらい、上擦って裏返った声が上がった。

 人ごみをかき分け、腰にしがみ付いた年配の人を引き摺って現れたのは、朝の鈴屋に侵入しようとしていた不審者だ。

 

 「お、王族に求婚され、されたら!!嫌でも、断れないっ!!け、権力で女性を、無理矢理、う、奪うなど、非道すぎる!!横暴だ!!ナランハルにはただの耳に挟んだ美女、でも!!ぼくには、生涯の恋人なんだ!!」


 後ろでクロムが「クソうぜぇ…」と呟き、ガラテアさんの気配も変わる。俺の前でシドが身を竦めてやや防御の姿勢をとるほどに。


 二人が物理的に排除にかかる前に、反論して追い返そう。

 なんていう?俺は彼女の外見に惚れたわけじゃない、とか?でもそんなこと言ったら、ガラテアさんが美人じゃないって俺が思ってるとか捉われないか?

 ガラテアさんが美人なのは間違いないところだし、ううむ…。


 「違います!!」


 俺が「俺は彼女が砂蚯蚓を巣穴から引き出すのが上手いところとか、そういうところが良いと思ったんだ」と言おうと決めた時、否定の声が上がった。

 やっぱり少し裏返った、声。それが複数重なっていて。


 慌ててそちらを見ると、エルディーンさんたち。

 ちょ、君たち!いつの間に!?


 少し涙ぐんでいる少女たちは、身を寄せ合い、それでも怯むことなく声を上げる。

 でも、恥ずかしいし、危ないから、下がってて…!!


 「ファンさんは、お姉さまの叔父様の手記をみて、お姉さまを想っていたのです!」

 「そうです!十年以上も前から!」

 「一緒に旅してきて、なんか、イイ感じになってたし!!」

 

 いやそれ、待って!ガラテアさんは、たぶんまだ、知らないんだよ!!その話!!言ってないもん!シドが言わなきゃしらないはず!

 …そういや、なんでマルコ達は知ってたんだろう。

 いや、うん。フタミさんだな。フタミさんから情報提供されたな。あああ、なんでアスランでも屈指の密偵の前で、あんな風に口走っちゃったんだよお!


 あわわわ…と思いながらガラテアさんを見ると、なんだか少し目を丸くしていた。

 そ、そうだよねえ!!手記見て想いを馳せていたって、なんか、妄想してグフグフしてた感あって気持ち悪いよねえ!!


 ああ、せめてもの救いは、エルディーンさんらが西方語で叫んだことだ。

 大都には西方語がわかる人も大勢いるが、早口で上擦って叫ばれた西方語までわかる人はそうはいまい。

 

 「勇気ある彼女らの言葉を、皆さんとそこの不埒者にお伝えしまショウ」


 アミィィィルゥぅぅ!!!


 「先ほど、ナランハルが手渡された本。それが、ガラテア様の叔父上が執筆さレタ本デス。そこには、叔父上の手記が挟まれておりマシタ。

 手記ニハ、研究をお手伝いスル愛らしい少女についてモ書かれており、ナランハルはその少女ニ想いを馳せられておられたのデス」


 でも、その時俺も少年って年だったからね!?そこ、ちゃんと伝えてよ!!?

 この言い方じゃ、俺が少女を狙ったみたいじゃん!


 「ソレカラ十年余り…ナランハルは異郷にテ、美しい女性と出会い、彼女があの少女であると御知りになりマシタ。つまり、ナランハルはガラテア様のお顔を見られる前カラ、心を傾けておられたのデスよ!」


 アミールの朗々たる演説に、聴衆からどよめきが起こる。

 おい、アミール。『ナランハルって妄想力すっごいらしい』とか噂が立ったら、さすがの俺も泣くからな?


 うう、不特定多数の人に知られたし、それになにより、ガラテアさんに引かれたらどうすんだよお…。


 「そうだったのか?ファン」

 「ん…まあ。シドに、手記に描かれていた小さな助手がガラテアさんだって、教えてもらって…」

 「私には何も言わなかったな。あとで弟はどういうつもりだったか、説明させよう」


 やめたげよ?シドが『絶望と恐怖』を具現化したような表情になっているよ?


 「…私も、同じだ」

 「え?」

 「私の両親は叔父の手伝いを許してくれていたが、それも子供のうちだけだと、わかっていた。伯母たちは、そんなことよりもダンスの一つでも覚えろ、もっと女らしくしろ、と煩かった。なにより、私の婚約者という事になっていた下種は、汚い顔でやめろと喚き散らしていた。自分の妻に相応しくない、と」


 下種、のあたりで、ガラテアさんの目に本物の殺気が宿った。たぶん、その下種が彼女からすべてを奪ったクラナッハ王国の王子なんだろう。

 その下種も当時は子供だろうから、セス侵攻には関わっていないとは思うし、彼女は親の罪をこの罪と捉えるような人でもない。

 だから、仇以前に嫌な奴だったんだな。うん。


 もし会ったら、誠心誠意『お話し合い』をしよう。アスラン式に。


 「叔父の本が東の王子に贈られる。その王子は、そういう本がなにより好きらしい…と聞いて、その人が私の婚約者なら良かったのに、と思っていた」

 「え…」

 「伯母たちは変わり者だ、そんな変わり者が近くにいなくて良かった、とさえずっていたが…私は、会ってみたかった。その人なら、私が楽しいと思う事、好ましいと思うことを、相応しくないなどと罵ったりはしない。そう思って」


 ふわりと、ガラテアさんが笑う。

 今まで見た中で…オオユキバより、ナナイロムクドリより、地平の彼方から昇る朝日より…綺麗なものだと、閃光のように思考する。


 「何故かな。今まで、忘れていた。どうやら、私はファンに会う前から、ファンに惚れていたようだ」

 「お互い様、ってやつだね」

 

 嬉しい。

 俺の知らない所で、俺は彼女の少しは役に立っていたらしい。

 セスの悲劇を肯定するつもりはない。まるでないけれど。


 彼女が、その下種に嫁がなくて、本当に良かった。

 好きでもないことを、楽しくもないことを強制されて、やりたいことを禁じられて、どんどん彼女でなくなっていかないで。


 鳥には羽根。魚には鱗。

 海を自由に泳ぐ魚を金の鳥かごに入れたところで、死ぬだけだ。

 

 ガラテアさんはあの綺麗な笑顔を浮かべたまま、俺から異議申し立てをしてきた不審者へと向き直る。


 「私も叔父の本を求めた異国の人の事を、ずっと想っていた。砂蚯蚓を引き摺りだし、磯巾着を掴み上げ、蛸を鷲掴みにするのが好きな女を、そのまま受け入れてくれる人だと。そんなことをするな、汚い事をするなと罵られるたび、あの人ならそんなことを言わないと、救いを求めていた」


 不審者はもごもごと口を動かすが、言葉は出てこない。

 

 「だいたい、お前は誰だ?顔も名前も知らない男に、永遠の恋人などと言われても不快なだけだ!」


 あーあ、と声に出さず息を吐きだし、シドがゆっくり首を振った。

 うん、でもまあ、一方的に好かれて恋人認定されるの、どう考えても迷惑だしな。

 一撃で完膚なきまでに叩きつぶされた不審者を見ると、ほんのちょっぴり、気の毒には思うけれども。


 ただ、その見事な一撃を聴衆たち…特に女性陣は、気温が上がるような歓声で讃えた。「その通り!」「引っ込みな!」「お呼びじゃないんだよ!」などと言う追撃が、容赦なく不審者を打ち据える。

 彼を知り己を知れば百戦あやうからず。ガラテアさんの事をよく知りもしないのに、一騎打ちを挑むような無謀をした報いと思って、以後気を付けてもらいたいね。


 「…っが…」


 逃げるかと思った不審者は、じゅうぶん距離をおいたここからでもはっきりとわかるほど、ぶるぶると震えていた。

 あ、あれはダメなヤツだ。何するかわからない。感情に何もかも支配されている。

 もともと、自分の妄想を真実として二太子おれにさえケンカ吹っ掛けるような奴だ。理性的とか沈着とかなんて言う特性は、持ち合わせているはずもない。

 一時の感情の結果がどうなるか、その後を想定できない人間だ。

 

 咄嗟にガラテアさんの前に出た。

 飛びかかってこられても、こちらは騎士服。革の胴当ても鎖帷子も身に着けている。首もむき出しではないし、見たところ俺の装備を貫けるような武装はしていない。


 そう判断しての行動だったのだけれど、さらに俺の前にクロムが割って入った。

 大丈夫だと声を掛けようとして、飲み込む。これは、クロムの役割だ。それを俺がないがしろにして良いわけはない。

 

 不審者の震えはさらに大きくなり、同時に、その顔は下を向いて表情を隠す。

 ただ、ぽたぽたと垂れる体液…涙か鼻水か涎か、或いはその全てかはわからないけれど、それが路面に落ちるそばから凍っていく。


 「す、好きになってやったのに!好きになってやったのに!!金と地位で他の男に尻振りやがって!!売女が!!」


 喚き散らす声を、どんな顔で発しているのか、見えないしわからない。

 けれど。


 「クロム」

 「おう」


 クロムを伴って、大股で歩み寄る。

 走って行って殴り飛ばさないだけ、褒めてもらって良いだろう。


 人垣に入り込んで逃げようとするも、それを人々は許さない。罵声と共に突き飛ばし、冷たい路面に尻もちをついた姿に指を突き付けて眉を吊り上げる。


 「…ッ!!と、とがめない、と、お、おっしゃって、ました、よね!?」


 俺を見上げる目からは、怯えと媚びがあふれ出ている。それは失恋の涙などと言う、綺麗なものじゃないだろう。


 「言った。だから、二太子として咎めたりはしない。だが、好きな人を侮辱されて、平然としていられるほど俺は腰抜けじゃないつもりなんだ」

 「ひ、ひい!!」

 

 恐怖に縮こまり、這いつくばることも出来ずに固まる姿は、いっそ哀れと言ってもいい。いつもの俺なら、もうすでに萎えて「次はないからな」程度で許していた、と思う。

 なんだけれど。


 どうにも、怒りが収まらない。

 ガラテアさんにひどい事を云った上に、何度も呼び捨てにしたという事実が、怒りの炎に燃料をくべている。


 「申し訳ございません!ナランハル!!」


 ベルトに吊るした手斧に手がかかりそうになった時。

 一人の男が叫びながら不審者を引き摺り倒し、自分の後ろに隠して、土下座する。

 最初に腰にしがみ付いて止めようとしていた年配の人も、同じように後ろで叩頭していた。

 

 「お詫びして許されるようなことではない、それは重々承知の上にございます!しかし、このような馬鹿を御自ら処してはお手が穢れてしまわれます!なにとぞ、この愚弟の始末はお任せくださいますよう、伏してお願い申しあげます!!」


 兄、と言うには少し年が離れているけれど、年の離れた兄弟なんだろう。

 冷たい路面に額を擦り付けながら「どうか、どうか!」と願う人の背は、さっきの不審者に負けず劣らず震えていた。


 「…許しを請うのは、俺にじゃない。侮辱されたのはガラテアさんだ」

 「私はむしろ、ファンの手が汚れなくて良かったと思うぞ?」


 斧の柄を握ろうとしている俺の手の上に、そっと歩み寄ってきたガラテアさんが手を重ねる。

 

 「そこの御仁。顔を上げて、少々どいてはくれまいか?謝罪を申し出るのならば、聞こう」

 「ありがとうございます!!」


 男性は赤くすり切れた額を気にも留めず、一度上げた顔をまた路面に叩頭してから立ち上がった。

 ひいひいとへたり込んで怯える不審者の腕を掴み、前へと引き摺りだす。


 「早く叩頭してお詫びしろ!!」

 「だ、だって、だって兄さん…」


 お兄さんの顔に焦りが浮かび、ちらりとガラテアさんへと視線を走らせる。

 そのガラテアさんは、にっこりと唇を持ち上げた。


 あ、これって。


 ひゅう、と風を切る音。

 不審者の目前に、いつの間に俺の腰から抜き取ったのか、手斧が突き付けられていた。


 「謝罪する気はないようだ。それに、私も好きな人が横暴だなんだと罵られて、平然とできる人間ではない。さらに、ファンよりはるかに心が狭い」


 鼻先、ほんの紙一枚の差で止まっている斧の刃を寄り目になって見た後、不審者の目はぐるりと回転した。

 白目を剥いて倒れる不審者から、微かに湯気が上がる。失禁したらしい。


 「これで、しまいだ。ただし、次に私たちの前に姿を現したら、頭をカチ割る。そう、起きたら伝えていただけようか?」

 「無論にございます!ナランハルと奥方様の寛大な御心、しかと言って聞かせます!」

 

 くるりと手斧を回すガラテアさんに、男性はまたもや叩頭した。おでこ、ちゃんと治療してね?


 「彼女もこう言っているし、これで終わりにしよう。馬鹿をしでかしたのは個人の問題だ。この一件について、家族親族まで非難することはやめて欲しい」


 周囲を見渡しながら声をかける。

 馬鹿が一人身内にいたせいで、一族郎党『悪』と見做されたんじゃ、たまったもんじゃないだろう。

 お兄さんを見る限り、一族郎党揃って同じような馬鹿ってわけじゃないだろうし。


 それに、何気に聴衆にフタミさんが混ざっているしね。

 知りたいと言えばすぐにでも、あの不審者が生まれた時から今日の朝食の内容まで、全て報告書として届けられるだろう。


 俺の言葉に、お兄さんは更に路面に額を擦り付けた。あとで、治療薬を届けてもらおう。さすがに罪悪感がわいてくる。


 「じゃあ、帰ろうか。ガラテアさん」

 「…そうだな。ファンの家に、一緒に『帰ろう』。っと、家と言っては失礼か。宮殿だな」

 「まあ、俺が二太子でいる間の住まいだけれどね。いずれはフフホトあたりに住みたいなーって思ってて。でも、ガラテアさんも一緒なら、海のそばもいいね」

 「私はお前が住みたいところなら、砂漠のほとりでも構わないぞ」

 「一緒に砂蚯蚓、堀りたいからさ」


 海辺の町に住まなくても、近いうちに旅行と言う形で海へ行くのもいいな。

 ヤクモにも海を見せてやりたいし。 

 いっそ、キリクの港町であるキンナリーに行って、ユーシンを強制的に里帰りさせるのもあり、だな!


 口笛を吹いてコロを呼ぶ。あたりを包む歓声を気にせず、地面に落ちていた花を拾っては食べていたコロは、ゆっくりとした歩みで寄ってきた。


 「ちょっと、失礼」

 「…わ」

 

 少しだけ驚いた声は、はじめて聞いたかも。

 ガラテアさんの太もも…というか、お尻、だね。うん。その、何とも言えない、弾力を服の上から感じながら、俺の腕に乗せるようにして掬い上げる。


 わあっとひときわ大きな歓声が。破裂するように湧いた。


 「俺の頭に掴まる感じで」

 「こうか?」


 驚きを含んだ声は、もう楽しそうな弾んだ声に変っていた。

 肩に手を掛け、頭に掴まるガラテアさんの口から、花一華アネモネのような笑い声が零れる。


 花嫁を担ぎ、馬にひらりと跨れないようじゃ、ヤルクトの男とは言えない。まあ、花婿を担いで鞍上に胸を張るヤルクトの女性も当然いるわけで、つまり、この程度できなきゃご先祖様に叱られる。


 コロの鞍をガラテアさんを支えていない方の手でつかみ、足を跳ね上げる。人を担いで乗るのは初めてと言うわけじゃない。何せ、昨日練習したからな。うちのごつい連中を「ナランハル、すてきぃ♡」とか言われながら、担いだからな!

 

 鞍は、いつも使う木製の鞍じゃなく革が張られ、大きさも倍違う。西方式の鞍よりも、二回りほど大きい。

 立って乗るための鞍じゃなく、腰を下ろし、なおかつ前に人をもう一人乗せるための鞍。


 俺の前、俺が座る部分よりも柔らかい革を張った部分に、ガラテアさんを降ろす。

 氷青の双眸が少し不満げだ。やっぱり、お尻痛いかな?


 「窮屈?」

 「もう少し、抱えられていても良かったのだが」

 「え、え、と、危ないからね!?」

 「わかっている。多少のわがままと言うやつだ」


 そう言って微笑まれて、あやうく人生何度目かの落馬をするところだった。


***


 さて、その後。

 まずはジルチ広場までガラテアさんを鞍に乗せたまま移動し、マルコ達と合流した。

 ガラテアさんにはそこで馬車に移ってもらい、王宮へと戻る。結構な速度で馬を走らせるから、横座りのままじゃ危ないし、何より寒い。


 警備兵が必死になって押しとどめる観衆の数は、来た時の倍…いや、三倍以上に膨れ上がり、もうなんか、すごかった。

 これほどの人が祝ってくれているのはありがたいけど、今日は…いろいろな予定や取引が潰れたんじゃないかと心配になる。

 でもまあ、祭りは全力で楽しむのがアスラン人の心意気。そういう事にしておこう。被害総額とか考えたら、青褪めるだけじゃすまなさそうだしね。うん。


 今日は流石に、仕事やらなにやらの予定はこの後に入っていない。

 明日には公式にガラテアさんと共に親父と母さん…いや、八代大王と后妃にご挨拶に伺い、その後、重臣たちを交えて昼食会と言う予定はあるけれど、今日はない。

 もちろん、夕食の席には絶対連れて来いと言われているから、それが予定と言えなくもないけれど。


 ちなみにシドが親族代表としてついてきている。

 鈴屋は今年いっぱいは休業するから、人手もそれほどいらないわけだし。ちゃんと休業補償は払わないとなあ。

 幸い、宿の方もエルディーンさんたちしか泊っていなかったので、護衛の騎士をフフホトから同行している十人に加え、交替でもう二十人常駐させることにした。

 鈴屋に手を出す馬鹿がいるはずはないと思うけれど。

 もしいた場合…馬鹿の行動力を舐めたら駄目だという事を、俺は最近いろいろと思い知らされたしね。


 王宮前広場で無爪紅鴉旗を掲げるジルと、それを少し呆れた顔で見ている騎士たちに迎えられ、合流する。

 騎士たちの「うわぁ…」って顏からして、随分前から掲げっぱなしだったようだ。それはしなくていいって言ったのになあ。


 行きに集っていた見物の人々の造る人垣は、さらに分厚くなっていた。

 俺たちの姿が見えると同時に、大歓声が沸き上がる。どのくらい凄いかと言うと、戦の騒音にならされている軍馬たちが少し驚いたくらいだ。


 やや引き攣った顔になっているかもしれないけれど、手を振ってその歓声に応える。いくら歓声を通り越して喊声になっているとはいえ、祝ってくれているのは事実なんだしな。

 その喊声を背に応天門をくぐって王宮に入ると、さすがに馬たちも騎士たちもホッとした様子だった。

 跨るコロは指示を出さなくても、やや早足気味にさらにその先、大和門を目指している。さっさと静かな自宅に戻りたいんだろう。


 愛馬の希望もあることだし、そもそもの予定もそうだしで、大和門を抜け、さらに前宮を素通りし、後宮へと進む。

 紅鴉宮が見えてくると、コロの足がさらに速くなった。首を叩いて宥めながら、なんとか「歩いている」状態で目的地を目指す。

 コロが駆けだしたら、兄貴たちが乗る馬以外は同じ速度で続いちゃうからな。馬車に乗っているガラテアさんとシドが大変な事になってしまう。

 

 それに、歩いて行ったって紅鴉宮までそこまで遠いわけではなく。

 あっという間に、とはいかないけれど、コロが焦れる前に辿り着いた。


 「ファン、ガラテアさんおめでとうグギギ…」

 「祝いの宴はいつだ?楽しみだな!」


 祝ってくれているのか呪ってくれているのかわからないヤクモと、すでに関心が宴の食事に傾いているユーシンに迎えられ、曖昧な笑みを浮かべつつ鞍から降り立つ。

 わらわらと出てきた留守番の騎士の一人に、さっきまで跨っていた鞍を外して渡し、汗掻き棒(ホソール)を腰帯から引き抜く。クロムたちも同じように鞍を外し、馬の汗を掬い落としていた。


 「おかえりなさいませ、ナランハル」

 「ただいま、アラカン」


 鞍の取り外しと受け取りが遅滞なく行われているのは、間違いなくアラカンが仕切っているからだろう。これがマルコやジルあたりだと、ふざけるのがいてそれが全体に波及する。

 それが良いか悪いかは置いといて…間違いなく悪い方だし…、俺自身はそのノリや雰囲気が好きだけれど、今日は兄貴たちもいるしね。やっぱり留守をアラカンに任せて正解だった。


 「女官長どのが、首を駱駝より長くしてお待ちですぞ」

 「西の間に?」

 「まさか。入ってすぐに待ち構えてござる」


 女官長とはここ三日ばかりあまり顔を合わせていない。なにせ、西の間の準備にかかりきりだったし。

 二言目には「ナランハルに奥方様がいらっしゃるまでは、ばあやは死んでも死に切れませぬ」とものすごく元気いっぱいに宣言していたお人なので、その気合と熱量は推して知るべし。満足して儚くなられても困るけども。


 コロの汗かきを終え、ガラテアさんの乗る馬車に足を向ける。気持ちよさそうに尾を振っていたコロは、満足げな嘶きをあげて飼い葉と水が用意してある厩舎へとひとりで戻って行った。

 馬たちは紅鴉宮周辺で暮らしているし、厩舎に扉は無く勝手に出入り自由で馬房も無い。けれど、取り寄せている青草や水は建物の中で温熱の魔導具の上に置かないと凍り付いちゃうからな。


 「ガラテアさん」

 「すごい歓声だったな」


 馬車の出入り口をふさぐ分厚い布を捲り上げて声を掛けると、ひょいとガラテアさんが顔を出した。その奥で、一緒に乗ってきたシドがやや放心した顔をしている。


 「おーい、シド、どうした?」

 「どつきまくられて死にかけてるとか?」


 クロムの推測に、シドは目を瞬かせて首を振った。


 「いや…ちょっと、驚いていた。そうだな。ファンはナランハルだものな…。あのくらいは、騒ぎになるか」

 「そんなにすごかったのぅ?」


 馬車から出てクロムに軽く蹴りをいれたガラテアさんに続いて、首を振りながらシドが降り立つ。

 

 「すごかった。ファンは民に愛されているな」

 「ご先祖様と両親と兄貴のおかげが大きいけどね」

 「何を言う弟よ!!少なくとも、この兄の愛だけで百万人分くらいはあるぞ!」


 兄貴。別に卑下しているわけでも、人気が欲しいわけでもないから…。

 と言うか、兄貴の叫びで気が付いたけど、なんか…静かだな?


 ぐるりと見渡すと、鞍を抱えている騎士たちが、こっちを凝視している。つまりは、留守番組たちだ。


 「どうした?兄貴の主張に今更ドン引くわけないよな…?」

 「…ヤクモ様」


 え、ヤクモになんかあるの?

 名前を呼ばれたヤクモもびっくりして目を丸くしている。


 「ヤクモ様のお気持ち、すっげえわかりますぅ!!グギギりたくもなる!」

 「でしょー!!ファン、裏切り者だよね!!」

 「そーですよー!!綺麗なおねーさんと変な虫なら、迷わず変な虫選ぶ人のくせに、なんでこんな…こんな…ッ!!グギギ…!!」


 あ、そっか。こいつらはガラテアさんと会うの初めてか。

 って言うか、お前らなあ!まあ、そのどっちかなら、確かに珍しい虫を選ぶけれども!

 

 「静まらぬか!馬鹿どもめ!まったく。しかし、ナランハル。多少のやっかみは良い嫁をえた男の勲章のようなものと思われるとよろしい。腹を立ててれば余計に騒ぎますでな」

 

 叱責しつつも、アラカンの声からはいつもの厳しさはない。なもんで、叱られた騎士たちも一瞬で直立不動になって軍礼をとるという事もなく、「きゃーっ」と逃げていく。


 「やれやれ…奥方様。馬鹿が多くて申し訳ございませぬ」

 「いえ、ファンの騎士らしくて善いと思います」


 くすくすと笑うガラテアさんの視線は、クロムに向いている。こいつもだし、フフホトから大都に至るまで、紅鴉親衛隊ってどんなのか、よっく観察したもんね。


 「奥方様の寛容な御心に感謝をするのだぞ、馬鹿ども!さて、ナランハル。これ以上ここで足をとめていては、女官長殿に八つ裂きにされてしまいますな」

 「あー、うん。そうだな」


 なんか、こう…紅鴉宮の中から視線感じるし。侍従官たちが怯える前に行くか。


 少し悩んで…それから、ガラテアさんに手を差し出した。西方じゃ、こうするんだよな?でも、この場合、手を握るの?肩に置くの?

 ニコリと微笑んで、ガラテアさんの手が俺の肘の内側に触れる。


 「実は、私もよくわからない。だが、両親はこういう感じで歩いていた気がする」 

 「そっか。態勢辛くないなら、いいよね。これで」

 「ああ。問題ない」


 歩幅は、少し狭く、彼女にあわせて。

 背後でヤクモがさらにグギった気もするけれど、気にしていたら女官長が飛び出してきてしまうから、申し訳ないけれど気がつかなかったことにしとこう。


 門扉が開け放たれ、暖かい空気が顔を撫でた。

 中へ進んだ俺たちの前に、女官長と侍従官長…そして紅鴉宮に勤める女官侍従官あわせて三十名が、跪礼して待ち受けている。

 いつも警護の騎士がたむろっている長椅子や温熱の魔導具は片付けられ、俺愛用の虫網や籠も逃げられなかったようだ。きれいすっかり、整理整頓されてどこもかしこもぴかぴかに磨かれていた。


 「ナランハル、ガラテア様。千歳申し上げます」

 「あー…皆、立ってくれ。彼女に顔を見せて」

 「御意に。ナランハル」


 すくりと立ち上がった女官長の顎の下には、巨大な種のような皺ができ、唇の端は下げられて震えている。

 その横で、彼女の夫である侍従長が少し困った顔をしていた。いや、女官たちも侍従官たちも、同じ空気を漂わせている。


 「あのね、ガラテアさん。彼女は…」

 「…ナランハル…」

 「は、はい!」


 女官長の地を這うような声に、反射的に返事を返すと、それがきっかけになってしまったようで。


 「ば、ばあやは、ばあやはぁ…!!」

 

 こらえていた涙が瞼の堰を決壊させ、女官長のきちんと施された化粧を台無しにしていく。


 「えーとね、ガラテアさん。彼女はヤルト家の出でね…。と言うか、ヤルト爺の従妹にあたる」

 「なるほど、よくわかった」


 あの一族の涙脆さはもう履修済みだものね。


 「えー…妻に変わりまして、ご挨拶させていただきます。ガラテア様。よくぞ、ナランハルを見初めてくださいました。我ら一同、心より貴女様にお仕えいたします」

 「もしわけ、ごずあぃまぜん゛ッ!!がばん、でぎま゛ぜんでッ」

 「いいえ。歓迎していただけて、これほど嬉しい事はございません。元傭兵の至らぬ女ゆえ、ご指導いただきたい」

 「とんでもございませぬ。ガラテア様こそ、我らの至らぬ点を容赦なくご指摘くださいませ。なにせ、このように女官の数が少なく、侍従官ばかりの宮にございますゆえ…」


 基本、男の王族につくのは侍従官なんで、うちの男女比率は八対二くらい。年齢層も高めだ。何せ、俺がここに移り住んでから顔ぶれがほとんど変わっていない。

 確かに、俺のあしらいや騎士たちの使い方を熟知していても、若い女性の扱いの経験はほとんどないな…。


 「いえ、私も貴族の子女のように扱われてはどうしていいかわかりません。見た目より頑丈にできております。お気遣いなく」

 「では、互いに至らぬ点を補うという事で如何でありましょうか?」

 「ええ。たいへんにありがたい事です。アスランの礼儀作法について、教えて欲しい。私のせいでファンが恥をかいたら申し訳なさすぎる」

 

 ガラテアさんの返答に、侍従長はふくよかな頬をさらに緩ませて深々と一礼し、その横で女官長は更に号泣した。女官たちがそっと手巾を手渡したりしているけれど、彼女には休んでもらった方が良いか?いや、這いずってでも来るな。


 「では、西の間へ」

 

 侍従長が頷くと、数人を残して女官たちは西へ侍従官たちは東へと、さささと進んでいった。俺たちも靴を脱いで続く。後ろから「寒いー」「早く入ってえ」って声がうっすら聞こえてきてるしね。まあ、もっともだ。


 「ガラテア様、外套を…」

 

 ガラテアさんの肩から外套を落とした女官が、ちらりと俺を見て「こんな男物着せて…これ、ナランハルのですよね!?」と言う目で責めてくる。いや、俺だってね、彼女がこれ着てくるとは思わなかったしね?


 しかし、その俺の外套がガラテアさんから離れると、女官たちや背後の騎士から…そして、たぶん、俺の口からも感嘆の溜息が吐き出された。


 彼女の身を包むのは、西方式のドレス。

 ふんわりとしたやつじゃなく、身体の線に沿って造られていて、袖も腕にぴったりとしたものだ。

 四角く開いた胸元には薄絹が巻き付けられ、窓から入り込む冬の陽ざしにきらきらと七色の光沢を帯びていた。

 裾は引き摺るほど長くはなく、三枚の布がホタルブクロの花のような形で縫い合わされて、彼女の長い脚を守っている。


 つまり。ガラテアさんの身体を覆って隠していながらも、そのメリハリをくっきりと主張するというもので。


 「…おかしいか?」

 「いえ、とても素晴らしいと思います!」

 「なんだその口調は…」

 「女を褒め慣れてないだけだ。虫に例えなかっただけ、よくやったと思ってやってくれ」

 「そうだ!弟はせいいっぱい頑張っている!!」

 「なるほど」


 苦笑交じりの微笑みを唇に乗せて、ガラテアさんは俺の肘に手を乗せた。


 「私もファンの正装を見て、同じ感想しかでてこなかったものな」

 「ええと、その…」

 「良い。その顔で充分だ」


 …どんな顔、しているんだろう。

 少しふわふわしながら、先導する女官長…だんだん立ち直ってきた…に続いて西の間へと足を進める。


 西の間は、俺も入ったことがない。特に用もなかったから。

 そして、今回の大改装に関しても、全て任せきりで要望を二つ伝えただけだ。

 なもんで、現在どうなっているかさっぱりわからない。俺が一から十まで仕切るより、絶対に良い感じに仕上がっているとは思うんだけど。


 説明を聞いたり、配置図をみた記憶を辿れば、確か大部屋…居間として使う部屋を真ん中に、入ってすぐは他の部屋と同じに、騎士や女官が待機する控えの間が二間あって、寝室や浴室をはじめとした大小四つの部屋に行けるつくりになっていた。

 二階へ上がることも出来て、そっちは客間と言うか、親族の女性が住めるようになっている。普通は単身で嫁がないからね。

 ガラテアさんの場合はシドが住んでも良いんだけれど、住まないだろうなあ。


 西の間に続く扉を守るのは、女性騎士だ。ガラテアさんを見て目を輝かせている。

 彼女たちがさっと布を捲り上げ、中へと通してくれた。

 

 「…いまさらだけどさあ。ぼくらも一緒で良いのぅ?」

 「私は良いと思うが。弟もいることだし」

 

 なんとなく、守護者であるクロムと実弟のシドは当然としても、ユーシンにヤクモ、なんか兄貴までついてきている。ラーシュさんたちは戻ったんだけど。


 「まあ、ほら。お披露目は大勢の方が良いしな」

 「新居に初めて入る時は、招く客は多ければ多いほど良いものだ!その方が、はやく子供ができると聞く!」


 キリクやクトラでは、確かにそういうな。

 アスランだと、金運が上がるっていうんだけど。子供、かあ。あまり早くできたら、カゲツさんに斬られないだろうか?俺…。

 いやうん。子供ができるというより、つくる行為を結婚前にするなよって意味だって分かってるけどさ。

 でも、結婚はいつになるかわからないしなあ。占いの結果は、年明けだろうしなあ。


 「弟の子か…。兄は、甥でも姪でも溺愛するぞ…」

 「私の子でもあるから、トールはなるべく遠ざける」

 「なんという悪逆非道を!!」

 「自分の子をつくれ。お前もさっさと妻を娶って弟離れしろ」


 兄貴、そんな衝撃を受けた顔しているけど、ガラテアさんのいう事、めちゃくちゃ正論だからね?

 そんなことを言いながら、居間へと至り。


 中へ入って内装を見たガラテアさんの口から、声になる寸前くらいの吐息が零れた。


 敷かれた絨毯は赤を基調に、淡紅から真紅まで濃淡を変えた糸で吉祥文様が織り込まれ、その文様は壁に掛けられた綴織り(タペストリー)にも続いている。それを邪魔しないように飾り棚が置かれ、中に収納するものを待ち構えていた。

 絨毯の上には淡い青で統一された座布団や敷布が置かれ、くつろぐならこのあたりで、と場所を示す。近くには釣鐘草を模した照明もあって、夜は仄かな灯りに照らされながら語り合えるようだ。


 「えっとね、飾り棚は俺がお願いして、多くしてもらった。シドから、ちょっとした置物を集めるのが好きって聞いて」

 「…良かったな。姉さん。これだけ収納する場所があれば、俺の部屋のも引き取れるだろう。早めにどうにかしてくれ」


 声もなくシドに拳を振るいながら…なんか兄貴が捌いた。シドも義弟になるわけで、守るべき『弟』認定されたんだろうか…、ガラテアさんは飾り棚を見て嬉しそうだ。気に入ってくれてよかった。選んだの、俺じゃないからなんかこう、しゅっとしたお洒落な感じだしな!


 「もう一つ、頼んだものはどの部屋に?」

 「こちらにございます」


 まだちょっと鼻の頭が赤い女官長が、いつもの威厳を取り戻して先導する。

 向かったのは、一番西の部屋。ここ自体が西の間だから、紅鴉宮で一番西の部屋になる。


 「さあ、どうぞ。お入りくださいませ」


 女官長が一礼して横にずれる。少し戸惑うガラテアさんを促して、西の間の西の部屋へと足を踏み入れた。

 かつて、その部屋は祖母様…つまり、七代后妃が庭園を見ながらくつろぐ部屋だったらしい。

 入ると正面は大きな硝子の窓になっていて、そこからは小さな池とそこに流れ込む小川、そして植えられた庭木が見えるし、春と夏には様々な花が咲くのも愛でられる。


 その部屋、紅鴉宮で一番彼女の故郷に近い部屋に、俺はあるものを設置するように頼んだ。

 三日程度じゃ手配は無理かと思ったけれど、さすがは大都。頼んだその日のうちに見つかった。いや、これが売られているのもどうかと思わないこともないけど。

 どこかで美術品として眺められているより、こっちの方が気分も良いと思うんだよね。


 「これは…」

 「形式が違っていたらごめん」


 庭を眺めるための場所に設置してもらったのは、小さな祠と鯱に乗る男神の像。

 大海の主(ダロス)の、簡易祭壇だ。


 「いや…形式など、こだわる必要はない。大海の主は、海そのもの。海は、毎日その姿を変えるものだから」

 「じゃあ、ガラテアさんがこれからいろいろ手を加えて行けばいいね」

 「ああ。すまない、少し、離れて祈りを捧げても?」

 「もちろん」


 ありがとうと頷いて、ガラテアさんは俺から離れ、祭壇の前で両膝を着く。

 祈りを捧げるその後ろ姿はやっぱり綺麗で、無理を言って祭壇を設置してよかったと、心から思えた。


 ええと、大海の主(ダロス)さま。

 あなたの敬虔な司祭を、海のない街に住まわせてしまうのは、ちょっとごめんなさい。

 でも、必ず二人で海を見に行くので、雷帝に直訴して結婚を十年後とするとか、そんな占い結果にしないでくださいね。


 絶対に、ガラテアさんを守って、守られて。

 二人で、幸せになりますから。


 俺の祈りが海神に届いたかはわからないけれど。

 なんか、馴染みの神様たちが、少しばかり笑っている気がした。

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