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鳥には羽根 魚には鱗  作者: 阿古あおや
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羊肉は熱いうち(善は急げ)7

  昼食時間にはまだ早いのだから、鈴屋も空いているだろう。少しくらいダラダラと休んで行っても問題ないはず…ファンはそう思っていたのだが。


 「うわ…」


 少人数の客用の柜台カウンターは予想通り、片手で数えられる程度しか座っていない。

 しかし、桟敷席はそこへ至る通路を含めて、みっしりと人が詰め掛けていた。


 「な、ナニコレ…今、桟敷の奥で蜜柑掴み取りし放題でもやってんの?!」

 「絶対に違うと思いますよ☆」


 その人の列は、寒いのに開け放たれた扉をくぐり、店の前の道にまで伸びているようだ。

 従業員用の出入り口からファンたちは入ってきたので、何処まで並んでいるのか見ていない。だが、声や気配で推測するに、店の中にいる人数分くらいは外にも居そうだ。


 「そうだよね…蜜柑じゃあここまで来ないか。なんか、男ばっかりだし」


 老若ではあるが、列に女性は混じっていない。一人で来ている者もいれば、五人以上の団体もいた。

 さらに何かの特徴はないかとファンは行列を観察し、首を傾げる。


 男ばかり、と言う特徴に加えて、何というか…皆、気合が入っていた。

 見るからにきらびやかな上等の服を着こみ、装飾品を輝かせている者もいれば、そうでもないものもいる。だが、例え量販された服や古そうな服であっても、所謂「よそいき」の礼服だ。

 そうでなければ、服屋の一番前に飾られているような、ファンにはさっぱりついて行けない「流行」の服。


 そういった特徴は見出したものの、気合の入った服装をした男たちが鈴屋に押し掛ける意味は見当もつかない。

 これが男ばかりではなく、女性…特に周辺のお宅の奥様方であれば、総菜半額券のくじ引きでもやっているのかと思うところだが。


 「とりあえず…普通に飯は食えるのかな?」

 「あ、若だ。いらっしゃーい」


 戸惑うファンに、番頭から声がかかる。いつもは食堂の中を所狭しと闊歩する彼だが、今日は柜台の中にいた。

 

 「ファン殿!いらっしゃいませ!」

 「あ、エルディーンさん。あれ、その服…」


 その隣から飛び出してきたのは、胡服を纏ったエルディーンだった。


 淡い紅色の胡服は、本来の形より丈が少し短い。胡服の裾は脛の半ばまであるものだが、エルディーンの着ている鈴屋の給仕たちが纏うそれは、膝上で詰められていた。むろん、それはその下に履く濃い紅色のズボンを見せるためではなく、動きやすさを重視したデザインだ。

 首元には白い造花が飾られ、それは見習い給仕の印ではあるものの、明るい笑顔を見せるエルディーンによく似あっていた。


 「あ、えへへ、こちらで、少しだけですが働かせていただいているんです!」

 「頑張ってくれてるよお。ほんと、助かってるんだ」

 

 エルディーンはまだタタル語がほとんどわからない。けれど、褒められたのは番頭の口調と暖かい眼差しで理解できたのだろう。上気した頬をさらに赤く、耳まで染めて照れている。


 「ちょうど良かった。エルディーンさんにも話が合って。サイゾウさん、少し、彼女と話してもいい?」

 「もちろん~。っていうか、もうすぐ十一刻でしょ?彼女の働く時間は、前八刻から十一刻までだからね」

 「ああ、朝の忙しい時間に入ってもらってるのか」

 「そういう事」


 朝の鈴屋は忙しい。食堂が開くのは前十刻だが、前八刻から軽食の販売を始めている。開店と同時に竹皮に包まれた「本日の一品」を求めて人が次から次へとやってきて、その波が終わらないうちに食堂も始まるのだ。

 さらに朝の時間は、住み込みではない給仕がまだ来ていないから人も足りない。食器を下げる程度でも、エルディーンの存在はありがたいものだろう。


 だが、生まれた時から貴族の令嬢だった彼女にとって、食器を下げるなんてことは屈辱にすら感じてもおかしくはない。

 滞在費について気に病んでいるのなら…と思ったファンの内心に気付いたらしいエルディーンが、ブンブンと首を振った。


 「私が頼んで、働かせていただいているんです!その、本当にお手伝い程度で、あまり役にも立っていませんが、私、いま…すごく楽しいのです!」

 「そっか。それは良かった。うん。本当に、良かった」


 エルディーンの言葉裏付けするように、彼女の顔は生気に満ち溢れ、疲労や屈辱にすり切れた様子はない。

 もともと、彼女は今までの価値観をひっくり返すような事でも受け入れる、柔軟で強靭な精神の持ち主だ。虚勢ではなく、本当に働いていることが楽しいのだろう。


 「んで、ご注文はなんに?」

 「ああ、ええっと…っていうか、アレは…」

 「あー、気にしないで。今日は十日だからねえ」

 「いや、無茶苦茶気になるけど…。まあ、いいか。すぐに食べられて、腹にたまるものがいいなあ。ユーシン丼(小)で」

 「はいよお。フタミちゃんは?」

 「寒かったので、饂飩ツォイバン・ショルにしようかな☆マサラ味で」


 注文を聞き届け、番頭は中部へと踵を返した。エルディーンもファンたちに会釈をし、その後を追う。

 その様子は巣立ち間際の雛鳥のようで、ファンは思わず頬を緩ませた。


 「元気そうでよかった」

 「アステリアの貴族令嬢なのでしたっけ☆」

 「良く知ってるね」

 「それが俺の仕事ですからね☆」

 「じゃあ、何で十日になると、鈴屋に男が押しかけてくるのかも知ってる?」

 「勿論☆仕事関係なく、有名ですから」


 まあ確かに、十日になるたびこんなに男ばかりが詰め掛けていたら、噂にもなるだろうが。

 しかし、鈴屋の孫の一人であるファンが知らないという事は、ここ一年の間に根付いた行事イベントだろう。どんなに多くとも、まだ開催して十一回目かそこらのはずである。


 「そのうち、声の大きいのが教えてくれますよ☆何をしているのか」

 「声の大きいの?」


 列の先頭と思われる方に、ファンは注意を向けた。確かに何か、話している。ただ、人垣とそれを作り出す男たちが動くたびに発せられる音や、喋る声に紛れて明確には聞き取れない。


 どうせ料理が来るまでやることもないしと、ファンは男どもの観察を続けた。

 人垣から、しおしおと萎れた様子の若者がはじき出されてくる。中々いい身形だし、体格も服に負けていない。

 だが、顔には大きく「がっかり」と書かれているのが見えるようで、新品らしい上等な上着もくすんで見えた。

 どうやら、列の先頭で何かが行われ、若者はそれに敗れ去ったようだ。


 「何故だ!」


 ほんと、何やっているんだろう。いっそ、見に行こうかなと腰を浮かしかけたファンの耳に、新たな情報が飛び込んできた。

 怒鳴り声だが、驚愕の叫びに近い。


 「俺はハルダン家当主の甥で、店も三つ持っている!!一生苦労はさせないし、望むものは何でも買ってやるのに!」


 さらに滔々と自分がどれほどいい男か、その妻になるという事はどれほど得難い幸せか、と説く言葉が続き、それを肯定し追従する声もする。


 「えっと…つまりこれは、誰かに求婚する人の列ってこと?」

 「あ、そか。若は知らないよねえ」

 

 首を傾げてフタミに問うファンに声を掛けたのは、ファン注文のユーシン丼を持った番頭だった。

 

 「はい、ユーシン丼(小)。おつゆとお漬物はおまけね。フタミちゃんのも、持ってくるから待ってて」

 「ファン殿!お茶、です!」


 ファンの前に置かれた、湯気を立てる丼の横に茶の入った湯飲みがそっと置かれた。


 「ありがと。エルディーンさんも、この行列について知ってるの?」

 「今日、はじめて知りました!」


 きゅ、とエルディーンの眉が寄り、口許が締まる。じろりと居並ぶ男たちを見る目は、軽蔑と憤りに満ちていた。


 「お姉さまが、可哀想で…!だって、見てください!あのひとなんて、お姉さまのお父様と言ってもいい年ですよ!そんな男性に、きゅ…求婚を!しかも、こんな、こんな大勢の人の前で!」 

 「おねえさま…って、ええと」

 「ガラテアお姉さまです!」


 ぷう、と頬を膨らませる。

 

 「ああ、アステリアはまず手紙を贈ったり、使者をたてて求婚するんだっけ」


 確か、貴族階級だけでなく、庶民でも友人や家族を使者に立てるのだと聞いた気がする。

 アスランでは本人が申し込むものなのだが、少女にとって受け入れやすい文化ではないらしい。

 まして、親子ほども年の離れた男からも言い寄られるというのは、耐えがたい苦難のように見えるのだろう。


 「ガラテアちゃんねえ。まあ…そりゃあ言い寄る男が多くてねえ」

 「だろうとは思っていたけど、ここまでとは…」

 

 フタミの前に饂飩を置きながら、番頭がしみじみと首を振る。饂飩のおまけは、小さめの握り飯が二つだった。フタミが嬉しそうに口許を緩ませる。


 「毎日毎日誰かしらに求婚されて、鬱陶しくなったガラテアちゃんがね。毎月十日だけ、求婚の口上を聞くって宣言してこうなったんだけど、先月は彼女が居なくて開催されなかったからねえ。今月はいつもの三倍くらいいるね」

 「この三分の一でも、結構な人数だけど…」

 「御付きとかもいるから、全員じゃないよ」


 そう決まるまでに、何人ほど物理的にも精神的にも鼻を折られたのだろうか。

 鈴屋としても、毎日商売の邪魔をされるより、月に一度商売にならない日を作った方が良いという判断なのかもしれない。

 

 「やはり、ファン殿も不快に思われますよね!」

 「へ?」


 そんなことをつらつらと考えていると、エルディーンの声が降ってきた。

 顔を上げれば、我が意を得たり!と頷く少女の顔が見える。


 「不快…そうな、顔してた?」

 「違いましたか?やや、険しいお顔をされていたので…」


 顔を触りながら問うファンに、一気にエルディーンの勢いがしぼんだ。吊り上がっていた眉が、しゅん、と下がってしまう。

 

 「あ、いや…うん。不快だね。でも、それが顔に出てたとは…。俺も未熟だなあ」

 「ああ!その、上の方として、あまり表情を出されないようにされているのですか!」

 「そんな大層なもんじゃないよ。こんなでかいのが不機嫌そうにしてたら、周りの人も不安になっちゃうからね。顔に出さないように心掛けてるってだけ」

 「オトナというのは、窮屈なものですからね☆」


 フタミの言葉は流暢な西方語で発せられた。優秀な密偵である彼の頭の中には、いったい何ヶ国語の辞書が収められているのだろう。聞いてみても、「さあ☆」と誤魔化されそうではあるが。

 初対面ではあるが、人懐こく、誠実そう…に見える…フタミの事を、エルディーンは「良い人」と認定したようだ。その言葉に、再び眉が上がり、元気な表情が戻ってきた。


 「あとね。エルディーンさん。きっと、君の『不快』と俺の『不快』は、違う種類だと思う」

 「違う種類?」

 「うん。君は、ガラテアさんの事を想って、憤っている。けど、俺は…俺は、自分勝手に苛ついている」


 エルディーンの顔に、たくさんの疑問符が浮かんでいるのが見えるようだ。

 その顔に曖昧な笑みを向け、ファンは今一度、自分の感情を観察する。


 あの、わさわさといる男どもは、ガラテアさんに求婚する。

 つまりは、彼女を欲している。

 妄想の中で彼女をどう扱っているか、想像に難くない。


 あ。イラっとした。


 知らず知らずのうちに、への字に曲がった口許を直さないまま、ファンは自分の胸に手を当てた。

 そこから沸々と湧いて出る、あまり心地よくはない熱。

 それは、ガラテアと博物誌のメモから想像していた「波妖精セレーナ」とが一致した時に広がった、陽だまりのような暖かさとかけ離れているようで、きっと、同じもの。


 「ファン殿?」

 「…俺も、並んでくるかな。羊肉は熱いうち、だし」

 「え…ええええ!?」


 何故かその場で足踏みをしながら、エルディーンは口を何度も開閉させ、躊躇い、それから、意を決したように柜台に身を乗り出す。


 「あ、あの!ファン殿は…その、ガラテアお姉さまのことを、お、お、お…お慕い!されてるんでしゅか!!」

 「どうなんだろ…でも、うん。好き…なんだろうなあ。そういう事だと、思うんだけど」

 「ど、どして!いつから!」

 「何時からかと言うと…俺が十五歳くらいの時だから、八年前くらい?」

 「八年前…そんな前から、お知り合い…だったのですか?」

 「いや、その時は、彼女の名前も知らなかったよ。彼女の叔父上であるアルバート・ライデン博士の著書、『西海博物誌』を読んでてさ」


 本を出す、という事は、並大抵のことではない。まして、アスランのように印刷技術が発展しているわけでもない国では、本の一頁は原稿そのものだ。

 まして、博物誌と言うのは需要が少ない。時には「珍しいもの」を欲する人々の間で持て囃されたり、高名な人物の著書であれば写本も作られていくが、この世に一冊しかない本も少なくない。

 ファンが祖父から贈られた図書館は、そうした「この世でだた一冊の本」が世界で一番集まっている場所だろう。


 しかし、そうした本は脆い。ちゃんとした装丁がされていればまだしも、適当に糊付けされて本らしく整えられているだけのものもあれば、紙の束でしかないような本だってある。 

 だから、ファンは読むときは印刷版が完成してから読むようにしていた。読めばどうしても痛むし、ひどいと頁を捲るだけで崩壊する事もあるからだ。

 

 「まだ、印刷に回してない原本だったんだけれどね。何かの手違いで、持っていく本に混ざっていて」


 飛竜の卵を温める三日間と、孵化した雛を付きっきりで育てる半月。

 その間、周囲の採集だのに行ってしまわないように、ファンだけでなく兄や侍従官もなるべく興味を引きそうな本を「持っていく本」箱に入れてた。

 トールたちには、印刷した本と原本の差はわからない。よく見れば字が乱れているとか、汚れているとか、そうした際に気付いたかもしれないが、そこまで確認はしなかったのだろう。

 装丁もしっかりしていたし、何より書いてある内容に興味が惹かれた。だから、気をつけながら読むことにしたのだ。


 「博士のメモがたくさん挟まっていてさ。そこに良く、『セレーナ』って女の子が出てきたんだ。博士は彼女を、『小さな助手』って呼んでいてね。砂蚯蚓の長さを計る手伝いをしたり、イソギンチャクを集めてきたり…彼女は、博士の手伝いをいろいろしていて」


 夏でも気まぐれに吹雪く山の中で思い描く、紺碧の海と白い波。

 明るい陽光の下、大人の腕ほどに成長した砂蚯蚓を誇らしげに掲げる少女。


 「俺も一緒に砂蚯蚓を掘りだしたりしたいなって思ったり…彼女なら、昆虫採集も一緒に楽しくしてくれるかなあなんて、思ったりしてた」

 「そ、その砂蚯蚓についての説明は、すみません!絶対しないでください!で、で、その、セレーナ様が…ガラテアお姉さまだった、という事なのですか!」

 「うん。シドに同じこと話したらすごい笑われた」


 エルディーンの目は丸く見開かれ、頬の紅潮が顔全体に広がっていく。

 水色の双眸は潤み始め、軽く開かれた唇は微かに震えていた。


 「…す…」

 「ま、まあ、アレだよ!俺にだって、君たちみたいな年頃はあったってワケで!」


 シドのように爆笑されるか、それとも引かれるか。

 先ほど実感した命の重さに、色々と思考回路がマヒしていたようだ。普段なら口にしなかった内心の数々に、ファンは思わず手で口を覆った。


 しかし、零した乳と出した言葉は戻せない。

 エルディーンはいい子だから、凄まじくドン引いたとしても、思いきり態度や言葉にはしないだろうと言う楽観視をすることで、頭を抱えて転げまわりたい衝動に耐える。


 「す…素敵ですっ!!!!」


 しかし、エルディーンはそのどちらでもなかった。

 目が潤んでいるが、それはファンに抱いた嫌悪感ではなく、沸き上がる感動…いや、感激の衝動によってのものらしく、獲物おもちゃを見つけた子猫のように瞳孔が開き、輝いている。


 「え、あ、ありがとう?」

 「すごい!すごいわ!まるで物語のよう!!本を通じて想いを寄せていた方と、異国で出会って…ああ!なんて、なんて素敵なの!」


 声は上擦り、息が荒い。心臓の鼓動さえ聞こえるようだ。

 少女の様子に、むしろファンが動揺して怯える。


 「え、エルディーンさん?」

 「どうしましょう!!タバサ達にも教えたい!あの、教えてもいいですか!!」

 「恥ずかしいから、できれば…」

 「あー!早くみんなに教えたい!!みんな、きっと同じ気持ちになるわ!」


 きゃあー!と顔を手で挟み、エルディーンはその場で飛び跳ねて興奮をなんとか抑えようとしているようだ。


 「エリーちゃん、どしたの?」

 「早くお友達と情報共有したいようだよ☆」

 「情報共有?」

 「そそ☆」


 それに続き、フタミが早口で繰り出した言語は、ファンにも理解できない異国の言葉だった。おそらく、ヒタカミ語だろう。時折祖母たちが似た感じの言葉を話しているのを聞いたことはある。こんなに早口ではなかったが。

 フタミから「情報共有」されたサイゾウは、眉をキリリと吊り上げた。そして、ヒタカミ語でやはり異常な早口で何かを告げる。


 「お嬢さん☆もう仕事は終わりの時間だから、お友達のところに行って良いよってサイゾウさんが伝えてって☆」

 「ありがとうございます!!私、私、神殿に行ってきますね!」

 「あ、寒いから外套忘れずにね!あと、できたら、できたらナナイには内密に…!!」


 ナナイ自身はまあいい。

 問題は、ナナイと仲のいい又従妹のアカリに伝わったら、十年…いや、死ぬまでこのネタで弄られるという事で。


 「ファン殿!失礼いたします!」

 

 そのファンの悲痛な願いを聞いているのかいないのか、エルディーンは風のような速さで厨房に駆け込んでいった。退勤の挨拶を元気よくしている声も聞こえてくる。


 「一人じゃ心配でしょ☆食べ終わったし、俺が神殿までついていきますよ」

 「ありがとう、フタミさん」

 「気になさらず☆」


 いつの間にか、フタミの前に置かれていた饂飩と握り飯は皿だけになっていて、値段分の銀貨が添えられていた。そして本人の姿も消えている。


 「そう言えば、若。エリーちゃんになんか話があったんじゃないの?」

 「あ、そうだった!」

 「その用事、レイくんでも事足りる?だったら呼んでくるよお」

 「お願いします!」


 もともとレイブラッドも誘うつもりだったのだし、彼に話をしておけばエルディーンにも必ず伝わるだろう。

 もしかして、あの西方騎士を絵にかいたような御仁も、鈴屋の手伝いをしているのだろうか。制服を着て給仕をしていたら、ご婦人方に人気が出そうだなあなどと思いつつ、米の上で少し冷めてしまった肉の包み揚げ(マハ・ホルショグ)を頬張る。


 その下の肉の風味が移った米も口に運び、美味さと空腹に箸が止らず、半分ほど平らげたあたりで、出入り口に布が降ろされた。どうやら外の列は全て収納されたらしい。

 代わりに、食堂の密度は一段と上がった。一種の興奮状態にある男どもの熱で温められてるんだなこの空気は…と思うと、少しだけ箸を動かす速度が落ちる。


 「お待たせいたしました」

 「すみませんね。急に呼んでしまって」

 「いえ。エルディーン様が急ぎ神殿に向かわれたため、話が出来なかったと伺いましたので」


 人垣をかき分け、外套を脱ぎながら柜台にやってくるレイブラッドは、つい先ほどまで外で作業をしていたようだ。目の周りが白く霜が降りているし、耳が真っ赤になっている。

 着ている衣服は、胡服ではあるが鈴屋の制服ではない。

 だが、「アスラン」を拒んでいた彼が防寒のためとは言え、胡服を纏っているのは大きな変化だ。

 ファンの視線に、そこに込められた意味に気付いたのだろう。レイブラッドは僅かに苦笑し、手袋を取りながら胡服に覆われた胸を叩く。


 「貴方が仰っていたことは正しかった。アステリアの服では、寒すぎて…」

 「気候が違う土地では、その土地の服を着るのが最適解ですからね」

 「実感しています」


 必要に迫られて、であっても、受け入れてしまえば世界は広がる。何より、レイブラッド本人がそれをわかっているだろう。

 

 「あの列を捌く手伝いをしていました。シド殿も最初は一緒にしていたのですが…彼に金品を贈って取り込もうとする輩が後を絶たず」

 「シドも大変だなあ…」

 「ええ、まったく。それで、話と言うのは…」


 ファンの隣の席に自然な動作で腰を下ろす。以前の彼なら、確実に一つは間を開けるか、そもそも座らなかっただろう。

 

 「五日後に、士官学校の交流会があるんですけど、エルディーンさんと一緒に来ませんか?俺は公務として出席なんで案内とかできないけど、親衛隊騎士うちのれんちゅうに案内を頼むから」

 「交流会…」

 「はい。公開授業とか、模擬戦とかあるし。士官学校行ってみたいって言ってたから」

 「ぜひ、お願いします」


 座ったまま深々と頭を下げるレイブラッドに、ファンは慌てて手を振った。


 「いや、そんなにお礼を言われるほどの事じゃないんで!」

 「しかし…園遊会のようなものではないのですか?」

 「園遊会っていうのを、俺は本で読んだ情報でしか知らないけど、そこまで来れる人を限定しているようなものじゃないです」

 「ですが、礼は言わせていただきたい。感謝します」


 ここまで喜んでもらえれば、誘ったかいがあるというものだ。

 うんうん、と頷きながら、食事の残りに手を付ける。


 「アスランの求婚は、常にこうなのですか?」

 「いやあ、そうでもないかと…さすがにここまで求婚者が群がるってのは、滅多にないかなあ」

 「女性にとって、好ましい場とは言えないかと思うのですが」

 「ガラテアさんが嫌がってるなら、鈴屋の面々がさせませんよ。ただ、そうすると『意地悪な鈴屋の連中に脅されているんだ!』なんて勘違いする手合いがいるから、自分自身で粉砕する方法を取ってるんじゃないかな」

 「なるほど…」


 その列に自分も並ぶというのは、やっぱりどう考えても無謀な気もする。

 そうやって求愛されて、ガラテアさんは嬉しいだろうか。


 だが…そう思う反面、ガラテアに求婚してくる男どもに「彼女は俺の伴侶になるんです!」と見せつけてやりたいという、今までに感じたことのない欲求があるのも否めない。

 

 「あー…いや、俺もあっちの仲間入りする可能性だって、十分あるんだよなあ」


 トボトボと人垣から出てきて桟敷の縁に腰かけ、寄ってきた給仕に酒を注文する若者。フラれた直後の自棄酒の味は、さぞ苦いだろう。

 ファンの独り言はタタル語だったので、レイブラッドには何を言っているかはわからない。

 だが、猛然と丼の中身を掻っ込みだした姿に、何か感じるものがあったのだろうか、双眸を細めた。


 「ご武運を…いえ、この場合、武運で良いのかはわかりかねますが」

 「一種の戦いですからね。自分との。あそこに並んだあと、惨めに敵前逃亡しないよう祈っていてください」


 空になった食器に銀貨を添え、ファンは立ち上がった。

 ゆっくりと人垣の一番外側に歩み寄るその姿を、並ぶ男どもは睨みながら迎え、いつの間にか集まってきている鈴屋の店員たちは、目を輝かせて見送る。

 

 少しずつ列が進むごとに、ガラテアの声が聞こえだしてきた。

 靴を脱いで桟敷に上がるほど進めば、「くどい」「断る」「絶対に嫌だ」という言葉の刃が、容赦なく男たちを叩き斬っている。

 

 ファンの前に並んでいる若者は、そんな剣閃が恋敵どもを切り捨てる度、にやにや笑いを濃くしていっていた。隣にいるのは父親か、親しい親族だろう。「やはりお前くらいでないと娶れんよ」などと嗾けている。

 それに頷いていた若者の視線が、ふと、自分の後ろに立ったファンに向いた。


 「そんな恰好で贈り物ひとつ持たずとは…お前、この集いが何のためのものか、わかっているのか?」


 こんな恰好、と言われても、ファンはまあ確かに、と頷くしかできない。

 出入口が開いていて寒かったので外套は着っぱなしだ。

 三年前に母が「半額になってたの!三着買ったらさらに一割引きって!」と買ってきた代物で、父と兄と色違いのおそろいになっている。

 半額になるほどだから、三年前でも流行とやらから三周くらい遅れている。暖かく動きやすいからファンは気に入っているが、材質がものすごくよいわけでもない。

 更に、家畜の世話をするときも着ているから、獣臭さも染みついている。


 「わかっているよ」


 言われてみれば、男たちは何かしら箱やら袋やら、もしくは剥き出しの貴金属や装飾品を手にしていた。当然受け取ってもらえず、持ったまま自棄酒をかっ食らっているが。


 自分が彼女に贈れるものは、なんだろう。

 

 もちろん、二太子の妻として何一つ不自由のない暮らしを約束はできる。贅沢三昧だって、望めばかなえられる。

 ただ、彼女がそれを望むとは思えない。


 だとすれば、贈れるものは。


 何やら若者がなおも言いつのっているが、思考の沼にはまり込んだファンの耳には届かない。

 本来、ファンは常に周囲に気を配っている。それは草原の暮らしで身に着けた習慣であり、王族として生きるための防衛術の基本だ。

 しかし、この時のファンはあまりにも無防備に、思考に没頭していた。

 だから…後から思い返せば「何故あの時」と打ちひしがれたくなるような「不自然さ」を見逃し、聞き逃していた。


 贈り物を考え続けるファンが、ふと意識を外に向けたのは、随分と列が進んであと三組ほどになっているときだった。

 前の若者はまだ連れとファンをあげつらってニヤニヤと笑いあっている。完全に意識の外に出されていたのを、返す言葉もなくて沈黙していると取ったようだ。


 「次に功を建てれば、千人長になる!」

 「だから何だ。断る」


 大柄な男はその広い方と背をすぼめて、列から離れた。その次はファンでも知っている商会の商会長だったが、こちらもけんもほろろに断られる。

 一度ファンを振り返り、嫌な笑みを浮かべてから若者はガラテアに向き直った。若者の連れは父親だけでなく、他に四人もいるせいでガラテアの姿は見えない。


 「顔が嫌だ。その下卑た笑い顔を二度と見せるな」


 若者が口上を述べるよりも早く。

 疲れで苛ついているらしいガラテアの声が結果を告げる。


 「なっ、そ、ま、待て!何かの間違いだろう!」

 「嫌だっつってんだ。さっさとけぇれ」


 低い唸り声は、まるで猛獣の威嚇のようだ。

 それを発したのは、ガラテアの隣に背筋を伸ばして座る、一人の老人。


 マシロたちの祖父ジュローは、かつてヒタカミで「戦鬼」と畏れられた戦士だったらしい。同郷であるフタミもそう言っていたので、間違いはないだろう。

 鈴屋の隠居として悠々自適に暮らした数年でも衰えず、眼光だけで若者とその連れの抗議を封じることが出来るほどの気迫である。


 若者はまだ何かを言い掛けて、闇雲に手足を動かしている。どいてくれる気はないらしい。

 後ろにまだ一人残っていることなど、もう頭から抜けているのか。それとも、古びた外套を纏った手ぶらの男など、無視しても構わない存在だと思っているのか。


 どちらにせよ、邪魔だ。


 「どいてくれ。急いでいるわけじゃないけど…いや、これは結構、火急の用ってやつなのかな?」

 「は!?ふざけるな!どうせお前みたいな貧乏人、相手にもされないんだから邪魔をするな!」

 「どけ、と言っている」


 若者は息を呑み、はじめてファンに見下ろされていることに気付いたように、視線を上げた。

 見下ろしてくる金色の双眸に、言葉もなく横にずれる。


 空いた空間に、ファンは足を進めた。

 その先に、ちょこんと座ったガラテアが、驚いた顔をしてファンを見ている。

 いや、ガラテアだけでなく、その隣に座るマシロの両親、カゲツとアカネも、ジュローも、ファンが初めて見るほど驚いていた。

 ファンにガラテアたちが見えなかったように、人垣はファンの姿も隠していたようだ。


 「そんな吃驚しなくても…」

 「どうした、ファン。誰かに用か?それならば、先に声をかけてくれればよかったのに」


 最初の「どうした?」だけは少し上ずっていた。けれど、その後の口調はいつもと同じで、むしろ少し呆れているようにも聞こえる。


 「割り込むのはどうかと思ったのと、俺もちょっと、答えを導きだしたくて」

 「ふふ、気にしなくていいのに。何の列なのか、知らなかったのだろう?」

 「いや、聞いたよ」


 何かを言い掛けた、ガラテアの唇が止った。

 その前に腰を下ろし、視線を合わせる。


 「うん。でも、困ったな…。思ったより列が進むのが早くて、なんて言おうか、まだ決まってない」

 「…用があるのでは、ないのか?」

 「あるよ。すごく大事なのが。あのね、ガラテアさん。俺も、君と一緒に砂蚯蚓を観察したりしたいんだ。ずっと、そう思っていたんだ」

 「アスランに砂蚯蚓はいないのか?」

 「セスのと同種なのかは確定していないけれど、近縁種はいる」

 「なら、そのうち採取に行くときは誘ってくれ。久しぶりだが、砂蚯蚓の扱いをすぐに思い出すと思う」


 くすくすと笑う顔は、希望的観測が多分に含まれているだろうが、少しだけ、がっかりしているような気がして。

 

 「いや、砂蚯蚓じゃなくてもいいんだ。俺は君と、一緒に採集をしたり、観察をしたいんだ」

 「ファン?」

 「他にも、たくさん一緒にしたいことがある。…その、君と、これからの人生を、一緒にすごして、いろんなことを二人でやってみたいんだ。一緒に生きていきたい」


 氷青の双眸は丸くなり、白い肌に朱がさしていく。

 

 「君に贈るもの…色々考えたんだけど。俺には、贈り物の才能ってやつが欠片もないんだ。どれもこれも、君が喜んでくれるかわからなくて」

 「…今、貰っている言葉だけで」

 「これは、贈りものじゃなくて、なんていうか…俺の願望を垂れ流し?そんな感じだから。いや、結局、これも垂れ流しだな。うん。でも、君に伝えたいことがあるんだよ」

 

 お前は、勝つためなら軽く自分の命を使う。俺はそれが怖い。

 そう、クロムに言われたのは、ラスヤントから出る船の中。

 その時は、そうかなあ?などと首を捻りながらも頷いていたけれど。


 「俺は、君の為に死なない。自分を使った方が簡単に勝てそうだって時でも、簡単じゃない方を選んで勝つ。その覚悟を君に贈ろうと思う」

 「…アスランが滅亡の危機にあっても?」

 「俺も生き残るよう、全力を尽くす」

 「そうか」


 ガラテアの手が伸び、ファンの頬に触れた。

 その指先が氷のように冷たく、震えているのがひどく苦しく感じ、ファンは自分の手で覆った。

 はたから見ると、女性の手を自分の頬に押し付けているような構図だが、それを気にする余裕は何処にもない。


 「是非、そうしてほしい。それも無理そうならば、私もお前の横で戦わせてくれ」

 「ますます、負けられないね」

 「ああ。お前は誰にも負けない。魔王にすらも。そうだろう?私の駿馬クサントス

 

 彼女の手を頬に固定したまま、ファンはゆっくり、前へと身体を動かした。

 その動きに合わせ、ガラテアも身を乗り出す。


 二人の距離が縮まり、なくなり。

 あの時、一瞬の幻のようだった感触を、もう一度。

 唇にて、測定する。


 「…俺の前で色気づいた真似しやがるたァ、いい度胸だなあ?ええ、おい?」

 「じゅ、ジュローさん!?」


 今度も、一瞬。

 けれど確かにその温度を、柔らかさを感じて身を離すと同時に、首を後ろからガシリと掴まれる。


 低く繰り出される声は、猛獣の唸り声どころか、龍の吐息(ドラゴンブレス)だ。明確な敵意と殺意をはらんでいる。


 「アイツの孫にしちゃ、まだおメェには、恥じらいだとか良識だとか、そう言ったもんがあると思ったんだがなア?ええ、おい?」

 「アスランでは、まだ奥ゆかしい方だと思います!!」

 「そーよジジイ!うちの孫になんか文句あるの!」

 「そうですよ!うちのファンとガラテアちゃん、どう見てもお似合いの二人じゃありませんか!」


 掛けられた声に、首を掴まれたまま、ファンは無理矢理そちらに顔を向けた。


 聞き間違いであってくれ。

 そう祈りつつ、向けた視線の先にいたのは、どこからどう見ても母と祖母。


 「ガラテアちゃん!ファンは本と標本を無限に溜め込む以外は、本当にいい子だから!」

 「はい。わかっています」

 「邪魔だったら、容赦なく捨てて構わないから!ファンは捨てないであげて!」

 「い、いや…本も標本も、捨てられたら困るよ、母さん…」

 「っていうか、その手を離しなさいよジジイ!」

 「…ふん」


 ジュローの顔が耳により、ボソリと「泣かしたら…わかってるな?」と呟やかれた。それと同時に、離すというより床に叩きつけられる。

 起き上がると、ガラテアが少し困った顔をしているのが見えた。


 「一応、聞こうと思うのだが、ファン」

 「うん?」

 「誰かに…あの列に並ぶと告げてきたのか?」

 「一応、サイゾウさんとエルディーンさんに…」

 「では、何処から聞きつけてきたのだろうか。あの人らは」


 ガラテアの視線の先を辿ると、先ほどまでファンが食事をしていた柜台が見えなくなっていた。

 居並ぶ、人の列で。


 「ファン君!おめでとう!!お父さん、嬉しいよおお!ガラテアちゃん、これからよろしくね!」

 「弟…おとうとおおおお!!!」

 「いやあ。若の方が先かあ。おめでとう~!早速、予算組まないとね!」


 母がいたのだから、この人たちがいてもおかしくはない。いや、猛烈におかしいが、知れば絶対にやってくると納得はできる。なにもスバタイ叔父さんまで来ることはないじゃないか…とは思うが、まあ、仕方がない。


 「やっだーwwwこのヒトが、ラスヤントで言ってたコイバナのお相手?うっひょーうwww」

 「ぬおおおおおお!!若様!!まこと、まことこの爺、まだ老醜の身をば晒して居ること、この日程良かったと思うたことはございませんぞ!!」

 「いやしかし、老将。この先、御子のご誕生などさらに喜ばしき事は続きますゆえ、まだまだ死ねませんぞ」

 「然り然り。これを機に、兄上様も妻を娶る気になるやもしれませんしな!」

 「心配御無用!来年の予算は確保してあります!いや、そろそろ引退も考えておりましたが、あと五年は今の地位にしがみ付かねば!!」


 何故、大都にいないはずのヤルトネリやジャスワン将軍までいるのだろうか。

 さらには、他の十二狗将や六史台長まで。


 「ひゃあほおおう!!今日は宴っすねェ!!若!」

 「うわー、お嫁様、ちょー美人。飾りたい。絶対、あのへんの服とか似合う」

 「予算余っててよかったですネ」

 「ミクさんにサライから急使ださないとね。ミクさんが泣き止んで大都に向かうのに、何日くらいかかるかな?おじさん、直接行って来た方が良い?」

 「その方が良いやもなあ。ミク殿の細君はご懐妊中とのことであるし、負担をかけるのは良くはなかろう」


 ずびびと鼻を啜り上げながらはしゃぐジルカミシュと、ガラテアを凝視するニルツェグ。その二人を放って、相談を始めるアラカンにアミール、マルコ。

 何故、紅鴉府で仕事をしているはずの皆までここにいる?いやこれも、十二狗将や六史台長がいることに比べれば、些細な事か?そもそも、国王夫妻と一太子がいるのだし?


 「おそらくだが、全ておかしいと思うぞ?ファン」

 「だよね!?俺間違ってないよね!?」


 なんでこう、一家そろってどころか、アスランの重臣たちや部下たちまで自分の求婚を見ているのか。


 …見ている?

 …見られていた?


 「あああああああ!!!」

 「え、どしたの!?ファン君!」

 「見られていたことに気付いて、恥ずかしくなったんじゃないですかね」


 慌てて駆け寄ろうとするモウキに、しれっと声をかけるのは何やら魔導具らしきものを手にしたマシロだ。


 「ま、マシロまで!!お前、寝てたんじゃ…」

 「もう起きたし。大体、私はここの孫だし、運んできたのはお前じゃないか」

 「そうだけどさあ!!って、それ…」

 「うん。映写の魔導具。ばっちり撮ったから」

 「ぎゃあああ!!!何のためにだよおお!!」 

 「お前が無茶しようとしたときに映して止めるとか、まあ、いろいろ?ほら、ここにいないクロムも見たがるだろうし?」


 にしし、と笑ってマシロは速やかに横に立つシドの後ろに隠れた。さらに映像を記録する魔晶石を外し、「どうぞ」と恭しくソウジュに献上する。


 「ファン」

 「あ、シド…」

 「姉さんを頼んだ。返品は絶対に不可だ」

 「どういう意味だ?」

 「一応、そのままだ。おめでとう。姉さん」


 居並ぶ人々の中で、シドだけはよく知っている。

 ファンが美人の妻を娶ったのではなく、ガラテアが意中の男を捕まえたことを。

 

 本気で考えてくれとは言ったが、いざ姉が嫁ぐとなると寂しくもなるのだろうかとも思ったが、今現在、自分をひっくり返してもどこにもそんな感情はない。

 ただ、ファンに「一緒に生きていきたい」と言われた姉が、子供のころのように心の底から幸せそうに微笑んだこと…それを、とても嬉しいと思う。

 

 「ぐぎぎ…おめでとぉ!!二人ともッ!!」

 「わはは!めでたいな!慶事はいくつあってもいい!トールも早く嫁を娶れ!祝いの宴は毎日でも構わん!」

 「なんでお前らもいるんだよおお!!」

 「ファンがこれから求婚するんだって聞いたら、そりゃ気になるじゃん!ぐぎぎ…ファンはおモテにならないと信じてたのにッ!!」

 「だ、誰から…」

 

 確かに並んだりはしたが、そこまで長い時間ではなかったはず。

 王宮にいるはずの面々が、駆けつけてくるほどの時間はなかった。転移陣と言う方法以外では。


 「フタミ君から緊急の報せが入ってねえ。お父さん、急いで招集かけた!」

 「なんで召集すんの!!せめて親父だけにしてよ!!」

 「あ、兄はダメなのか弟よ!!」

 「できれば最小限の人数が良かったなー!!」

 「では、兄も入っておるな…良かった…」

 「どうですかなー。星龍君わがきみは入っておらぬよーな気がしますなー」

 「ウー老師まで…止めてよ!!」


 ファンの悲痛な叫びに、自称色恋沙汰の達人は涼しい顔で髭をしごいた。


 「いやしかし、いずれは公表せねばなりますまい?それに、一騎打ちとは観衆があってこそのもの。ま、ガラテア嬢は今後、若君が婚姻より逃げるようなことあらば、この時あげた御首みしるしを掲げればよろしかろ。勝敗の行方の証人は、これこの通り、たぁんとおる」

 「に、逃げないし!」

  

 ファンは必死に反論したが、ガラテアはそれもそうかと言う顔で頷いていた。

 まだ婚約しただけとか、婚姻には早いんじゃなどと逃げるようならば、ここにいる全員がファンを叱ってくれるだろう。トール以外とつくだろうが。


 「それに、これだけこの婚姻をめでたき事よと言祝ぐ者あらば、邪魔もできますまいて」


 軍師の視線は、まだ居残る男たちを見据えていった。

 求婚を断られて潔く退散した者もいれば、ファンとガラテアの間に流れる空気を見ていられず、失恋の傷を抱えて鈴屋を飛び出していったものもいる。

 だが、納得できない!と全身から主張しながら、ファンを刺し殺しそうな目で見ている者も数人残っていた。

 大体そうした者たちは、身形が特にいい。名家や大きな商会の子息なのだろう。


 突然現れた、古びた外套を纏った共連れもいないような奴が受け入れられるなど、ありえない。何かの間違いだ。彼女もすぐにそれに気付く。そう揃いも揃って考えているのが手に取るようにわかる。

 家格も資産も、当然乍ら求婚者の誰よりもファンは頭抜けているが、当のファンは勿論、モウキもトールも髪を帽子で隠している。まして、こんな有名店とは言え、庶民的な食堂に大王一家がいるなどと、想像もつくまい。

 「若」と呼ばれるような立場であることはわかっただろうが、仕事着のまま駆けつけた将軍も重臣も、きらびやかさとは程遠い。ジャスワンなど、完全に部屋着である。


 「ガラテア!君はその男と知り合いのようだが、一時の情にほだされてはいけない!君を娶るに相応しいのは、この私のようなものだ!」

 「そうだそうだ!だが、相応しいのはこんな貴族のおぼっちゃまじゃないぞ!俺の妻になれば、お前をさらに美しくする宝石も絹服も、幾らでも買ってやる!」


 軍師の視線に触発されたように、特にファンを睨んでいた二人が言い募る。

 これだけの人数が二人を祝福しても異を唱えるのは中々根性が座っていると言えるが、ガラテアは心底迷惑そうだ。


 「あぁン!!なんだテメェ!!うちの若様にアヤつけようってのかよォ!クロっちにかわって、俺っちが万死に値すんぞコラ!!」

 「それじゃアンタが一万回死ぬじゃん」

 「…アレ?」

 

 首を傾げたジルカミシュが復活するより早く。

 いつの間にやらジャスワンが二人の前に立って、にやにやと人をとことん小ばかにした顔を向けていた。


 「かっこわるwwフラれたうえになにそれえwww」

 「おう赤狼ドールの!そ奴らを逃がすでないぞ!若様のめでたきに異を唱えるなど、百万回殴りつけても許せぬ!!」

 「あいあーいww」

 「こら、ジャっ君も、ヤルト爺もそこまでー。せっかくのお祝いを血で汚さないの。どうせ、すぐにわかることだしさ~」


 モウキの声に、ヤルトネリは血を吐きそうな顔で「御意」と頷き、ジャスワンは「え~ww」と言いつつ元いた場所に戻る。

 変わって巨漢の強面、ウルツ将軍が二人を見据えて「次に何か言ったら…」と無言で圧を掛けているが、それは黙認されたようだ。


 「とりあえず、今夜は宴決定だね!」

 「ガラテアちゃん、今晩はうち来てくれる?」


 ソウジュの言葉に、ガラテアはカゲツ夫妻に視線を向けた。

 その視線を受け、はあーっとアカネが溜息を吐く。


 「ガラテアちゃんのこと、本当に娘のように思っているんですよ、ソウジュさん」

 「知ってる。散々自慢されたものね!」

 

 お互い、息子しかいない母同士、娘も欲しかったとない物ねだりしていた仲なのだ。

 しかし、ライデン姉弟が鈴屋に下宿してから変わった。

 服を一緒に買いに行った、話題の茶店に行ったなど、アカネが一歩高みに上った経験と感想を滔々と述べ、それをソウジュが「お嫁ちゃん来たらやりますから…!」と歯噛みをする、という持つ者と持たざる者との関係に。


 「義父様じゃありませんが、泣かしたら承知しません!嫁いびりなんてしたら、薙刀持って取り返しに行きます!」

 「ぷーん!しませーん!!すっごく可愛がりまーす!」

 「く!!ガラテアちゃん!!いやになったら、いつでも帰ってきてね!」

 「はい。ありがとうございます」

 「実際、こうなったら…そちらにあずかってもらった方が良いだろうな」


 妻と従妹の次元の低い争いに苦笑しつつ、カゲツはファンとガラテアに向き直った。


 「本当は、うちの娘としてしっかりと嫁に行かせてやりたいが…納得しきれん連中が、何をしでかすかわからない。ファン、頼んだぞ」

 「来たら殴りますが…」

 「嫁に行くという娘が、拳を痛めるもんじゃない」


 そう言ってガラテアの手を取るカゲツの表情は、優しく、そして幾ばくかの寂しさを含んでいる。


 「それと、ファン」

 「はい」

 「ヒタカミでは、武家の娘は嫁入りするまで身ごもったりはしない」

 「…はい?」

 「その意味、わかってくれるな?」

 「り、理解シテオリマス…」


 でも、アスランの王族の婚姻の儀式っていうのは…と言いかけたファンの口を、出入り口から駆け込む複数の足音が打ち消した。


 「お姉さま!!」

 

 何故かナナイを背負ったエルディーンを先頭に、タバサ達が息を切らせ頬を紅潮させてなだれ込んでくる。

 どうやら全力で走ってきたのだろう。しかし、疲れた様子もなく、もどかしそうに靴を脱いで桟敷にあがると、ガラテアに一斉に抱き着いた。

 

 「お姉さま、ご結婚おめでとうございます!」

 「ファンさん、お姉さまを幸せにしてね!!」

 「わーん、絶対花嫁衣裳綺麗だよ~!」

 「アスター様、お姉さまに、花嫁に祝福を…!」

 

 口々に言って泣く少女たちを、ガラテアは愛おし気に眺め、囲い込むように抱きしめた。


 「っていうか、ファン、求婚成功したの?」

 「え、うん」

 「そっかあ。おめでと!」

 「ありがとう」


 ナナイだけは割と冷静で、けれどやっぱりその双眸はウキウキと輝き、口角がにんまりと上がっている。

 その顔を見ながら、少女たちに求婚の場面を見られなくて良かった…と安堵したのは、黙っておくことにした。


 「エリーも吹っ切れてるし、良かった!でもさ、もう結婚するんだし、虫とか変なもの食べちゃダメだよ?」

 「現地の人が食べているものしか食べないよ」

 「それがダメなんだけど…ま、仕方ないか。ファンだもんね。さ、僕もガラテアさんに抱き着いてこよう!ガラテアさん、おめでとう!!」


 きゃあきゃあわあわあと少女たちは笑いながら泣きながら、ガラテアを祝福し、その幸せを女神アスターに祈っている。

 求婚の場面を見られていないからか、素直にありがとうと言えるなあと、ファンは暖かいものが胸を満たすのを感じていた。


 「ん…?」


 彼女たちが入ってきたとき。ファンは足音でその存在に気付いた。

 いや、足音だけでなく、少女たちの全身から発せられる「元気!」な気配や、声、息遣い。そういったものが、視覚よりもはやくファンに来訪を伝えていた。


 そう。気配を完全に殺す術を身に着けている父や兄、十二狗将ならともかく、文官である六史台長や、慣れ親しみまくっているユーシンやヤクモの存在に、気付かないわけがない。

 いつもの、ファンなら。


 「…」


 つまりは、贈り物に気を取られ過ぎて、おっさんどもの接近に気付かなかった自分が「まぬけ」だったわけで。

 いやしかし、気付いたところで今更列から外れてなかったことにできるかと言えば、そうではなかっただろう。そんなことをすれば、母と祖母から何を言われるものか、わかったものではない。

 それなら、存在に気付かないまま求婚できた方が、まだマシだった、というわけで…。


 「もう、近付いてよさそうだな!わははは!ファン、おめでとうだ!!」 

 「おめでぐぎぎ!!」

 「うわっ!」


 そんなことを考えていると、ユーシンが体当たり同然に飛びついてきた。さらにヤクモが、抱き着きながら小さく脇腹を連打してくる。


 「弟おおお!おとっ…けほっけっけッ…」

 「兄貴、泣き噎せて猫が吐く寸前みたいな音だしてるけど、だいじょぶ?」

 「だいじょうぶだ…ケッケッ」

 

 涙でぐしょぐしょになった顔を擦り付けられて、ファンの顔も「うへぇ」となるが、それがなんだかひどくおかしくなってくる。


 今日、背中に二つ、絶対に降ろせない重みを乗せた。

 共通するのは、どちらも「死なない。死なせない」という事。


 それは、重い。とんでもなく、重たい。

 だが、同時に、思う。

 何も背負わないより、この重みがあるほうが、ずっといい。


 この重さがきっと、生死のはざまに立った時、「生きる」方に傾けてくれる。

 灯を掲げ続けて倒れそうになった時も、支えてくれる。


 「っていうか!ユーシン、苦しい!ヤクモ、痛い!兄貴、汚い!鼻水擦り付けないでよ!!」

 「うはははは!」

 「おモテになりよってえええ!」

 「お゛どうど~ッ!!」


 賑やかなのは、嫌いじゃない。

 面白がられて見世物にされたのは、一生脳内の「嫌だったから忘れない帳」に記載しておくが、祝ってくれているのは事実なのだし。


 そう思いながらガラテアを見ると、少女たちに埋もれながら、彼女もファンを見ていて。


 視線を合わせて、笑いあったその一瞬を。

 きっと、こちらも生涯忘れることはない。そう、思った。

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