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鳥には羽根 魚には鱗  作者: 阿古あおや
6/86

塩を入れたら溶けるまで(乗り掛かった舟)6

 秋の昼は短い。

 

 昼食と、その後の情報交換や他愛のないお喋りを経て門をくぐれば、すでに日は傾き始めていた。

 

 「なんか、午前中だけで一日終わったような気分だけど…今日のうちにギルドに荷物預けに行こう」


 天気は回復してきたが、陽射しは弱く、空気は冷たい。

 このまま夕方になれば、ますます気温は下がるだろう。

 それなら荷物をまとめてギルドに持っていき、そのまま夕飯までギルドに居座った方が居心地がいい。暖炉がある分、宿の部屋より暖かい。


 「そだねー。明日の朝、わたわたするのやだしね」

 「野営用の毛布で今晩は寝て、そのまま荷造りして出発するか。アンナさんいるかな~。一応しばらく帰ってこないし、挨拶しときたい」

 

 クローヴィン神殿の救援が終われば、そのまま大都に向けて出発だ。

 年明けの様々な行事を今年も不在で過ごすわけにはいかないから、アステリアへ戻れるのは年が明けて半月以上過ぎてからになる。

 そうなれば、三月近く顔を出すことはできない。

 世話になった人たちへ一言挨拶をしてから出発したいと思う程度には、長い時間だった。


 「今年は暖かい部屋と酒で新年を迎えられそうだな」


 クロムのしみじみと嬉しそうな呟きに、ファンは苦笑しつつ頷く。


 「去年の冬は大変だったよなあ。仕事も金もなくて、持ってきた所持金が見る間に減っていくのはちょっとした恐怖だったよ。

 髪紐を売る羽目になるかと思った」


 笑いながら、髪と共に編み込んでいる飾り紐をファンは触った。

 飾り紐の中には、小粒でも高額で売れる宝石が仕込まれている。

 そうやって換金できるものを持ち歩くのは先祖からの知恵だが。


 「よく考えたら、換金できるところないもんなあ。普通に買取りに持ち込んだら、通報されそう」

 「そこは盲点だったよな」


 クロムも頷く。

 一本は使ってしまったが、宝石の質に加え、魔力の塊である精霊が石の中で眠っている。売れば、紐の半分だけでも金貨の詰まった大袋が返ってくるだろう。

 だが、そんなものを生活に困った冒険者が持っているのはおかしい。

 

 他所の冒険者なら、『迷宮』で一山充てるということは可能だ。

 

 『迷宮』は異界と、この世界が混じった場所。

 魔力に満ち溢る『迷宮』でしか採れない植物や鉱物は、非常に高値で取引される。

 精霊銀ミスリルなら金の三倍、精霊金オリハルコンなら十倍以上。

 魔獣に追い掛け回され、夢中で逃げた冒険者の掴んでいた石ころが精霊金で、大金持ちになった…などという話は、噂だけではない。事実としてある。

 そうした幸運な若者が分不相応な装備を買いあさり、さらに奥へと挑んで消えていくのもまた、事実よくあるはなしではあるが。

  

 しかし、アステリアの冒険者にそういう幸運はない。


 『迷宮』がないのだから、当たり前だ。

 コツコツ地道に実績を稼ぎ、そこそこ名前が知られるようになってきても…最高品質の紅玉や青玉を持っていたりはしない。

 それこそドラゴン退治でもして、その腹の下の財宝でも手に入れられれば別だが、トカゲ退治が主な仕事の冒険者が「実は最近竜を倒しまして」なんて言っても、誰も信じてくれないだろう。

 

 もう一つ、アステリアの冒険者と『迷宮』を探索する冒険者の間には、大きな差がある。


 『迷宮』は怖ろしい場所だ。

 強力な魔獣が跋扈し、溶岩が噴き出たかと思えば氷柱が降ってくるといった、ありえない危険が当たり前に起こる。


 一歩踏み出す場所を間違えれば…時には、間違えなくても…即時に命を落とすような場所。

 だからこそ、その地に挑むものを『冒険者』と呼ぶのだ。


 装備品は出来うる限り高品質のものを用意する必要があるが、中層以降では一度の探索で一式交換になるのも珍しくはない。

 その為、稼いだ金の大半は次の探索のための準備金になり、一度でも収穫がなければ、途端に金に困る羽目になる。

 売れるものは全て売り払い、装備を飼いなおして無一文に、なんていうのは日常の光景。

 誰もそれを嘲笑うこともなければ、憐れむこともない。


 その光景は、明日の自分かも知れないのだから。


 それに対しアステリアの冒険者は、駆け出しや名の売れていない冒険者は常に金に困っているが、中堅と言われる程度にまで安定してくれば、逆に金は溜まっていく。

 いや、より正確に言えば、所持金が減っていかない。

 装備はある程度のものを揃えれば、買い替えるなどは滅多になく、王都イシリスにおいては、パーっと使う場所にも乏しい。


 豪遊しようと思えばできるが、ご馳走を並べ美男美女に奉仕させ、一番高級な宿のスイートルームで寝る…のだとしても、それを全て用意してくれる店がないので、自分でコツコツと手配することになる。

 奉仕してくれる美男美女を探す過程で我に返り、なんだか虚しくなって、ご馳走食べるだけで終わった冒険者もいるとかいないとか。

 

 依頼に失敗して装備を失ったとしても、ランクを落として買い揃えれば大抵事は足りる。そもそも、一式ロストする、なんていう事の方が珍しい。

 そういった事態に陥ったとき、一番喪失(ロスト)しやすいのは、自分自身の命だろう。


 つまりは、身分不相応なものを…実際、ファンの「身分」には十分に相応しいが…アステリアの冒険者が持っているのはありえないし、それを売るほど金に困ることも考えられない。

 ファンの「いざという時のためのへそくり」を売ろうとすれば、今回の報酬の指輪と同じく、売却金を手にする前に、手が後ろに回る可能性が高かった。

 

 「実家についたら、その辺相談して、もうちょっと換金しやすいものに変えてもらおうかな」

 「素直にお金持っておいた方が良くない?」

 「食い物の方がいいと思う!」

 「そうだなあ」


 そんなのんびりとした会話をしながら帰路を辿り、宿のある一角…つまり、冒険者たちが多くなる区画に差し掛かる。


 「あれ?なんかさ、ざわざわしてない?」


  言われて前を見れば、冒険者の宿が並ぶ一帯に、昼過ぎ(このじかん)ではありえないほど多くの冒険者が行き交っていた。

 足早に宿へ向かうもの、逆に飛び出していくもの。

 路地の入口で一塊になって顔を突き合わせているものもいる。

 

 「なんかあったのかな…?」


 アステリアへ来て一年、初めて見る光景だ。


 「とりあえず、宿に戻ろう」


 抜刀したり殺気だったりしているものはいないので、何かが暴れているとかそういう事ではないだろう。

 そう判断し、ファンは足を速めた。

 

 ファンたちの定宿、樫の木亭の住人達には特徴がある。

 安定と安全を重視し、上昇志向がない、という特徴だ。


 危険を冒す者、が安定志向と言うのもおかしな話だが、多少報酬が安くても、自分たちの力量からすれば簡単な仕事を選び、名声だのなんだのには目もくれない。

 夢と希望を抱いて冒険者になった、というより、やりたくないことを選択肢から外していったら、冒険者しか残らなかったような連中だ。


 そもそも、上昇志向があるのなら、こんな設備も悪く、安くもなく、主人が気持ち悪い宿の常連になってはいない。


 安くていい宿を探したり、もう少し仕事を頑張って綺麗な宿に移ろうという努力をするより、いつも開いてるからあそこでいいや、面倒くさい、と判断する輩が、この宿にとどまり常連になっていく。

 ファンもその一人だ。屋根があって寝台があるのだし、これ以上求めるよりもこのままでいいんじゃないか、と、ギルドでもう少しましな宿に移れと言われても曖昧な笑みで誤魔化してきていた。


 その樫の木亭の常連たちすら…台所と庭で、なにやら話し込んでいる。


 冒険者の宿を同じくする常連たちは仲間意識が芽生えるが、この宿の連中はそうでもない。同じ縄張りに生きる猫みたいだな、とファンは思っている。

 余計な干渉や馴れ合いはしないが、足元がおぼつかない子供の面倒はなんとなく見てやり、一人立ちを助ける…その程度の仲間意識は、ちょうど良い。

 その常連が、真面目な顔で話し込んでいるのは…見たことのない状況だ。

 

 「えっと…どうしたんだ?」

 「おお、やっと帰ってきたかよ~!」


 古顔の一人が立ち上がり、手招きをした。普段は緊張感なくダラっとしている顔が、今は苦悩中です、と言わんばかりに顰められている。


 「何事?」

 「熊でも出たか!」


 捕って食おう、と言外に主張するユーシンに、古顔は首を振った。


 「熊は出ねぇよ。出られたら困るわ。そうじゃなくてよ、聞いたか?」

 「聞いたって…何を?」


 まさか、先ほど依頼を受けたばかりのことではないだろう。

 村が焼き討ちされ、神殿が囲まれているのは一大事ではあるが、この辿の常連たちが顔を突き合せて悩むようなことではない。


 「ギルドでよ、緊急クエストがでたんだと。えらい気前のいい報酬らしいぜ」


 古顔が困った顔で応える。

 よし、やってやるぞ!なんて言う意気込みは微塵も感じられない。

 めんどくさいなー、けどなー、と言う内心が透けて見える。他の常連たちも似たようなもので、積極的にやりたがる者はいないようだ。


 「ほう…」

 「いや、俺たち依頼受けちゃってるからな?クロム」


 気前のいい報酬、に興味を示したクロムの背を、ファンはどうどうと軽く叩いた。


 「人を馬と同じように宥めるな…わかってる。ちょっとついでにできないかと思っただけだ」

 「緊急クエストならついでは難しいんじゃねぇかな~?」

 「その、緊急クエストって?」


 まずはそこから確認しなくてはならない。ファンの問いに、常連たちの輪の端に納まる宿の年少組も頷いた。彼らも「緊急クエスト」がなんなのか知らないようだ。


 (よく見たら…さらにその先に親爺さんがいるな…木の後ろから半分はみ出てこっち見てる…)


 ファンの視線で、宿の主人を見つけたことを気付いたらしい常連たちが、そっと首を振る。

 見なかったことにしろ、と言う無言のアドバイスに従うことにして、ファンは視線を古顔に戻した。


 「ああ、お前らは知らないか。前に出たの、二年位前だしな」


 なあ、と周辺に意見を求める古顔に、常連たちは「そうそう、確かそのくらいだった」「もっと前じゃなかった?」「あったっけ?」など、いい加減な同意を返す。


 「緊急クエストってのはよう、まあ、そのまんまだな。

 とにかく冒険者かき集めて送り込まにゃどうしようもねぇっていう時に出るクエストだよ。

 二年前はゴブリンの大発生だったわ」


 古顔の説明を、常連たちが口々に補完していく。

 曰く、参加人数に上限はない。弱くても受けられる。

 曰く、受けなくてもペナルティはないが、ギルドの当番が早く回ってくる。

 曰く、受けないとしばらく肩身が狭い。町の人々からダメ冒険者としてひそひそされる…

 

 「うーん…当番が早く回るのは嫌だな。ひそひそされるのも嫌だけど」


 依頼金を用意できない人々の為に、ギルドが報酬を肩代わりした仕事が回ってくる当番は、当然ながら割に合わない。

 同じような仕事の半分以下の報酬で動かなくてはならないこともあり、他に補填品をもらえたりするとは言っても、できれば避けたいものだ。


 「一緒に受けるのは難しいんだよな。どんな依頼?」

 「俺らもまだギルドに行ってねぇからよ。わっかんねんだわ。お前ら行ってきたのかと思ったんだが…」

 「これから荷物まとめていくところだよ。明日の早朝出発になったから、預けなきゃ」

 「まじか~。最近朝は冷えるぜ。気をつけてな」

 「ありがとう。そのまま実家に行って、戻ってくるのは年明けだ。緊急クエストがどんなんだかわからないけど、受けるなら皆も気を付けて」


 次に彼らに会うのは、どれだけ先か。

 緊急クエストとは穏やかではないが、普段は何日も顔を見ないこともある常連たちが集まってくれていたのは、幸運だった。


 「ま、今、ギルドに様子を見に行っているやつもいるしよ。詳しいこと聞いてから、俺たちは受けるかどうか決めるわ」

 「それがいいな」


 できれば問題解決を先延ばしにしたい古顔の結論に、ファンは頷いた。


 それは悪いことではない。

 実力に見合わない依頼を無理に受けて怪我をしても、その心意気に感動したとギルドや依頼人が面倒を見てくれるわけではない。治療費に冬備えの貯金をはたいてしまえば、その先にあるのは緩慢な死だ。

 冬は比較的簡単にできる薬草採取や手紙配達などの依頼はなくなり、内容の危険度はあがっていく。

 怪我が治ったとしても、鈍った体では成功させるのは難しく、手持ちの金が尽きたら借金するしかなくなり…そうなればもう、春になっても冒険者として暮らすことはできないだろう。

 南フェリニスで鉱山奴隷として使い捨てられるか、性質の良くない傭兵団や冒険者の一党に雇われて、文字通りの生餌として放り投げられるか…どちらにせよ、死が一冬分伸びるだけの結果になるだけだ。

 

 「ゴブリン大発生はきつかった…手持ちの服が全部ゴブリン臭くなってさ。報酬として一着支給されたんだけどよ。その一枚でひと夏すごしたかんな」

 「うへぇ…」

 「またゴブリンなら、逃げとくわ。冬を素っ裸で乗り切るのは嫌だしよ」


 いつものダラっとした顔を取り戻して、古顔は笑った。


 「んじゃあ、達者でな。そうそう、今、ギルドは大入り満員らしいぜ。いつもはいない連中もいるだろ。

 行くなら、お高い連中に注意しろよ。むしられんようにな」


 一仕事終えた、とばかりに解散しだす常連を、慌ててファンは呼び止めた。最後の一言は、聞き流すにしては物騒だ。


 「お高い連中…?むしるって?」

 「…ああ」


 常連たちは顔を見合わせ、動きを止めた古顔を見る。

 その視線に促されたように、彼はゆっくりと首を振った。


 「朝一でギルドの掲示板に張り付いて依頼漁らんでも、向こうからくるような連中さ」


 冒険者も中堅、と呼ばれるような立場になれば、名指しの依頼も増えてくる。

 だが、依頼を受けるのではなく、依頼人が頼み込んで引受けてもらうような一党パーティもいるのだ。

 大抵は実績のあるベテラン勢で、最古参の一党は現在でリーダーは三代目。

 冒険者ギルド発足の時から活動しているような古強者には、ギルドマスターも頭が上がらないとか。


 「でもさぁ、一番すごい人、ダリオさん…だっけ?その人、すっごい良いひとだって聞いたよ?」


 そんな最古参パーティの頭目の名をあげて、ヤクモが首を傾げた。

 冒険者たちの事情については、誰にでも話しかけるヤクモが一番詳しい。むしろ、クロムとユーシンが無関心すぎるとも言えるが。


 「あそこの一党はンな野暮な真似はしねぇよ。他所の一党から、目を付けたやつを引き抜くなんて真似はな」


 古顔の視線が、地に落ちた。それでもへらりと笑っている口元が、微かに震える。


 「引き抜かれちまうような頭目が悪ぃって話だがさ。

 怒らせて手を出させてよ、反撃でボッコボコにした挙句、因縁つけられて殴られましたって衛兵に訴えてよ…。

 牢で十日過ごして戻ってきてみたら…一党が自分だけになってた、とかな」


 他人事のように話してはいるがそれは彼自身の経験なのだと、口許の震えが教えていた。


 「なにそれ!酷いよ!」

 「まあ、何年も前の話さ」


 ヤクモの憤りに、古顔の口許が柔らかく弧を描く。

 口に浮かべる笑みは、怒り、嘆き、恨み…諦めたものの穏やかさだ。

 理不尽に立ち向かうのではなく、受け入れ、消化しようとしている…そんな、ひんやりとした穏やかさ。


 「…その、な。あんま踏み込むことじゃねぇと思うんだけど」


 その穏やかさを纏ったまま、古顔はファンを見る。

 濃い茶色の右目は、微かにずれた方向を向いていた。


 「ファン。お前さんもさ…あー、なんつーの?その…」


 言葉を探し、言いよどみ、しかし、古顔は続けた。

 

 「あるんじゃないかなって思ってさ。その…友人だと思ってたやつを、クソ野郎と罵らなきゃならなくなったような…事がよ」

 「…っ!!」

 「…深入りするつもりも、これ以上聞く気もねーし、おめーさんとこの奴らが引っかかるとも思わんよ。でもさ」

 「当たり前だ。余計なお世話にもほどがある」


 不機嫌を隠そうともしないクロムの声に、古顔は頷き、それから数呼吸置いて…視線を地に落したまま、首を横に振った。 


 「まあ、そうだな。うん。けどよう…相手はさ、何してくるかわかんねぇからさ。なんでか、悪ぃのはこっちで、あっちは酷い事された方で…わけわかんなくなってよ。

 本当に、てめぇがどうしようもないくらい大馬鹿だってこともやっちまったり…するかもしれねぇしさ」


 言葉を濁しながらも、古顔はファンに視線を戻す。その揃わない視線は、間違いなくファンを案じてくれている。

 心を震わせるような熱はない。けれど、日向水のような温度の気遣いは…素直に嬉しかった。

 まだ生々しい傷をさらに広げて、血潮で泥を洗い流すような激励も時には必要だとは思う。

 けれど、手足をつけて心地いいと溜息を吐くような慰めだって、必要なのだ。


 「気を付けるよ…ありがとう。

 そうだな。そんなのは、何度も味わうもんじゃない。

 避けられたら、それが一番だ」

 「おう…まあ、ほんとに、お前さんならさ、それでも腐らねえだろうけどさ。

 やっぱり、しんどいもんは、しんどいよな。

 …じゃ、俺らは次の情報が来るまでダラついてっからよ。気ィつけてな」


 再び解散しだす常連たちを、今度は止めずに、ファンは見送った。


 (友人をクソ野郎と罵る…か)


 どこで、それを彼は感じたのだろう。

 同じような経験を持つ者にしかわからない、匂いのようなものがあったのだろうか。

 そうだとしたら…ファンは何もわかっていなかった。

 自分の目が節穴なのか、古顔の擬態が上手かったのか。

 たぶん、両方だろう。


 古顔が、他の常連より頭一つは腕が立つことは気付いていた。

 いつでもダルそうな態度と、僅かな斜視、時々膝を庇うような動作から、怪我か何かの後遺症が残ってしまい、それで無理のない依頼を選んでいるのかと思っていたが。

 

 挑発して、乗ってきたら返り討ちにし、なおかつ罪人として訴える。


 それが、彼自身が体験したことなら、「返り討ち」は念の入ったものだったのだろう。

 復讐しようなどと思えない…もしくは、できないくらいに。


 友を罵り、憎み、恨む。

 それは、自分の心の柔らかい部分を、錆びついた刃物で切り取るようなものだ。

 辛く、苦しかったからこそ、その原因を削り取り、消し去りたいと行う自傷だ。

 

 彼は未だ、一人で行動している。

 宿の常連に話を持ち掛ければ、すぐにまた一党を組むのは難しくはない。

 実際、どうかと声を掛けられているのを見かけたこともある。

 けれど、首は横に振られるばかりだった。


 悔恨と嘆きで出来た泥沼に、彼は膝をつき、両手を沈めている。

 その冷たい泥が、また仲間に罵声を浴びるのかと、その仲間の顔を作って囁くのだろう。


 (俺は…どうなんだろう)


 辛くて、苦しかった。

 怒っていない、憎んでいない、などとは絶対に言えない。

 

 どうして?

 何故、お前が俺を殺そうとする?

 お前は、俺の友じゃなかったのか?

 どうして?


 左鎖骨の下に剣が潜り込むのを見ながら、頭に浮かんだことを言葉にすれば、そうなる。


 兄が即位する最大の障害だからだと、言ってはいた。

 愚か者共に祭り上げられ、もしもファンがアスラン王に名乗りを上げれば、必ずトールは身を引いてしまうからだと。


 だから、君は死ななければいけない。

 君は、トール殿下ほどに優れてはいないのだから。

 王家に生まれなければ。ナランハルでさえなければ。

 もっと、優れた人として生まれてきていたら。

 私は、君の友人でいられたのに。

 

 そう告げた友人の双眸は哀しみに揺らいで。


 (…!)


 ぐ、とファンは右手を握りしめ、脳裏を支配した記憶を追い払った。


 (俺も…まだ、駄目なんだな)

 

 戦になるからと、友の助命を請うた。

 それはもちろん、本心だ。フェリニスとの戦争に突入すれば、黄昏の君の干渉を手助けするようなものだ。避けなければならない。


 けれど、本当にそれが、本心全てだったのだろうか。

 ファンもまた、先送りにしたのではないだろうか。

 

 自分だけの力では、ファンは決して勝てない。

 父や兄の力で、アスラン王家の威光で友を討ったのなら。


 彼はきっと、最期に「ほら、やっぱり」と嗤うだろう。

 君だけじゃ、私を殺すことすらできない。


 だって、君は。


 「ファン」


 がしり、と腕を掴まれて、ファンはぼんやりとクロムを見た。


 「どうした?腹が減ったのか?」

 「ユーシンじゃないんだから、ファンはすぐにお腹へんないよう」

 「…ごめん、ぼーっとしてた。荷物まとめて、ギルドへ行こうか」


 ふう、と息を吐き出し、笑う。


 「…大丈夫か」


 ファンが何を考えていたか、クロムにはわかったのだろう。歯の隙間から絞り出すような声は、小さく、硬い。


 「大丈夫だ」


 心配するな、と言う意思を込めて、守護者(スレン)の左胸をこつんと拳で叩く。


 (うん。大丈夫だ)


 嘆きの泥沼に、ファンもまだ、片足を突っ込んでいる。

 けれど、それ以上嵌ることはない。

 

 左足が泥沼に嵌っているのなら、右手は常に、たくさんの人が握ってくれている。

 その手がある限り、沼の中で足を掴む、友の亡霊に引きずられることはない。


 「緊急クエストってのも気になるしな!さあ、行こう!」

 「ああ、そうだな。さっさと行くぞ」

 「あ、めずらしー。クロムがやる気になっている」


 茶化すヤクモを、ぎろりとクロムの鋼青の双眸が睨みつける。


 「あ?その緊急クエとやらで同じように荷物預ける輩が増えるだろ?俺たちの荷物が適当なとこに置かれて雨ざらしになって駄目になったらどうすんだよ。絶対補償なんてねぇぞ」

 「う…それはあり得るな。長期の預けだから、せめて雨風は当たらないとこに置いといてもらいたい…」

 「だろ」


 少し無理やりに笑うクロムに、ファンは大きく頷いて見せる。


 「まあ、込み合うギルドに大荷物持って、大忙しの職員さんに荷物預かりを申し出るのはちょっと気が引けるけど…」

 「気にするな。気前のいい報酬とやらに群がる金に汚い下種共のせいであって、俺たちが悪いんじゃない」

 「クロムにだけは言われたくないだろうねぃ」


 クロムに頭を鷲掴みにされたヤクモの抗議の声が空しく響き。


 「…お前らちゃんと帰って来いよ。べ、別に、心配とかしてねーけどッ!」


 宿の主人の独り言を装った声をかき消した、という武勲を上げたことを、残念ながら、本人も含め、誰も気が付くことはなかった。


***


 「うわぁ…」

 「すっごい…冒険者って、こーんなにいたんだねぃ…」

 

 特にここ最近は閑散としており、時間によっては職員の方が冒険者よりも多い。

 この時間なら、卓に陣取って時間をつぶす一党がちらほらといる程度で、微睡むような空気が揺蕩っている。

 少なくとも、昨日はそうだった。


 けれど、今は。

 

 入口の扉は大きく開け放たれているが、それでも決して狭くはないギルドのロビーは、人がみっしり詰まっているように感じられた。


 小さな声は寄り集まって空気を震わす大きなざわめきとなり、その中に時折怒号や喚き声が混ざる。

 整列していればもう少し混雑感は解消されるのだろうが、冒険者がそんなことをするはずもなく、一党ごと、あるいは個人でごちゃごちゃと集まっているのがまた、それを助長していた。


 「ちっ…金の亡者どもめ」

 「まこと、クロムには言われたくないだろうな!どうする?ファン。無理やり突っ込むか!」

 「そこまでみっちみちではないだろ…まあ、大荷物持って入りにくい混雑っぷりではあるが…

 すいませーん、ちょっと通して…」


 ファンたちの顔を見て顔を顰める者がいるのは、どうしても拭い去れない「アスラン人」への偏見と、たった一年で指名が付くような冒険者となったことへの反感が原因だろう。


 顔を顰めた連中の、「大神殿の犬が来たぜ」とか「また爺さんの足舐めてきたんだろ」という囁きに、クロムの顔から表情が消えた。

 それを見たヤクモが、ファンにクロムきれそうだよ、と警告を出す前に、前方からファンを呼ぶ声が響く。

 

 「ファンちゃーん、待ってたよ~ん!大神殿いってたんでしょ?情報聞いてない?」

 

 声と共に手を振るのは、受付カウンター右端に陣取る女性冒険者だ。

 彼女に続き、顔馴染みの冒険者たちが口々にファンたちの名を呼ぶ。

 同時に、悪口雑言を囁く連中の顔をしっかりと見据え、威嚇するのを忘れない。

 その殴りつけるような視線に押されたらしく、囁いた連中は居心地悪そうに顔を背け、混雑したギルドの中を、無理やりに遠ざかる。

 

 「ありがとう」

 「ん?なんもしてないし」


 に、と笑う冒険者たちに招かれ、ファンは奥へと進んだ。

 

 改めて中を見れば、「緊急クエスト特別受付窓口」と乱雑に書かれた木の札が、最近は閑散としていた中央カウンターに掲げられている。

 そこに向かって並ぶ…いや、押しかける冒険者は、ファンでも見たことのない顔が多い。

 冒険者登録はしていても、普段は破落戸ごろつきや用心棒めいたことをしている連中も多いとは聞いていたが、その手の輩なのだろう。


 緊急クエストの内容はどんなものかと依頼掲示板を眺めても、見えるのは人の後ろ頭だけで、どんな内容なのかはわからない。

 鷹の目を使えば見えるかもしれないが、さすがにこんなことで使って血の涙を流したら、クロムにどれだけ怒られるかわからない。

 使うのはやめておくことにして、ファンは素直に尋ねた。


 「それで、緊急クエストって、どんな依頼なんだ?」

 「え?お前らもう、受けてきたんじゃなかったのか?依頼人は大神殿のバレルノ大司祭だぞ」


 女性冒険者の一党の頭目(パーティリーダー)が、カウンターに半身を預けながら…というか、人の圧に押されてしがみつきながら、質問に質問を返した。

 ベルナルド、通称ベルドと言う名は、厳つい顔に少々似合わないが、面倒見の良い好漢だ。昨日は酔いつぶれていたが、酒が残っている様子はない。


 「え、えええ?そうなのか?俺たちが受けた依頼は、神官団を大都まで護衛するって依頼だよ。里帰りのついでに引き受けてきた」

 「いーなー。大都。私も行きたいぜい」

 「…お前は、無駄なもん買いまくって破産する予感しかしねーけどな」


 頭目のツッコミに、一党パーティメンバーだけでなく周囲の冒険者もうんうんと頷く。


 「カティちゃん、まだあのへんてこな靴の分割、終わってないんでしょ?」

 「ああ、あの、足が細く見えるとかいう触れ込みの」


 追撃する一党の魔導士と斥候に、女性冒険者は「ぐぬぬ」と唸るだけで言い返せず、ただぽかりと頭目の肩を叩く。


 「ああ、で、緊急クエストの内容だったな。

 …クローヴィン神殿って知ってるか?そこが囲まれているらしい。どっかの貴族の馬鹿ボンによってな」


 仲間からの暴行に眉ひとつ動かさず、ベルドは緊急クエストの内容を説明する。なおも追撃しようとする腕を、そっと神官が止め、説教へと移行したようだ。

 

 「え?それなのか?緊急クエストの中身って」

 「なんだい、知ってんじゃねぇか」


 斥候の気の抜けた声に、ファンは頷いた。


 「依頼受けてる時に急報が届いてさ。でも、それが何でクエストに?」

 「冒険者で義勇軍作って、救援に行くんだよ。率いるのはバルト陛下だ」


 最後に飛び出した名前に、クロムでさえ目を丸くする。


 『何考えてんだ、あのおっさん…』


 タタル語の呟きは、ベルドには意味が通じず、微かに首が傾げられただけに終わる。そのクロムの後ろで、ヤクモは口を半開きにしていたが。


 「クロムってさ、今までもタタル語で失礼なこと、言ってた?」

 「いや、今のは不意を打たれただけだろう!いつもなら、聞こえるように失礼なことを言うからな!」

 「よけー悪い?でも陰口じゃないだけいいのかなあ?」

 「言わないのが一番なんだけどな」


 ファンは苦笑しつつ、聞いた情報を整理する。

 

 アステリア軍が出陣するのは難しいと、ウルガもイヴリンも言っていた。

 宰相が出陣を邪魔するからだと。

 なら、その宰相が止められない軍を作ればいいという奇策を打ったのだろう。

 率いるのが聖王その人だというのは意外ではあるが…納得できる。


 (あの人、政治はほんとダメらしいしなあ…)


 冬の忙しい時期に置物にしかなれないのであれば、その才を存分に振える場所へと配置するのは間違ってはいない…のだろう。


 冒険者と言う玉石混合かつ我も強く、集団戦闘とは一党の連携のみ、という連中を束ね、軍を成すのは、並みの統率力ではできない。

 アステリアでそれが確実にできるのは…聖王バルト、その人のみだ。

 そう考えれば、納得の人選ではある。


 「で、報酬は?」


 衝撃から立ち直ったクロムが問う。


 「一人前金で中銀貨二枚。報酬で三枚。戦闘ありの前軍になったら追加で三枚だ。

 前軍か後方支援かは、明後日の出発までにギルドで振りわけるらしいけど」


 ちらりと向けられた視線の先には、幽鬼の如く絶望を顔に浮かべて書類作成をする職員たちの姿がある。

 依頼の受注書の作成と、配置の振り分け、字の書けない冒険者への代筆、なんで自分はこっちなんだ、と喚く輩への対応…

 ほんの少し前に、年末に向けた冒険者たちの活動報告書作成で削られた身には、この追撃は相当につらい。

 

 「報酬も美味いけどさ。馬鹿が村まで制圧して、神殿囲ってるって聞いたら…受けるしかねぇよな」


 ベルドの顔に、気負いや迷いはない。当然のことをするだけだ、という意志だけがあった。

 宿の常連たちとは対照的な表情は、騎士叙勲を蹴って冒険者になった彼の根底そのものだ。


 「そっか」

 「そだよ。ファンだって、他の依頼受けてなきゃ、やるだろ?」

 「うん、まあ…と言うか、明日の朝出発で、救援が来ることを報せにいく。護衛対象とは、ラバーナ手前の町で待ち合わせだ」


 さらりと告げられた内容に、ベルドをはじめとする冒険者たちは息をのんだ。


 先行するということは、軍の中に一党だけで突っ込むということだ。

 戦闘ありの前軍より、危険なことは誰でもわかる。


 「いや、馬でパーッと走って矢文撃つだけだから。戦闘にはならないし」


 実際には取らない作戦を、ファンは何とか自然に説明することが出来た。

 考えている方法なら、それよりもずっと安全だが、言えば何故そんなことが出来るのか説明しなければならず、それは避けたい。

 華麗に誤魔化しきる自分の姿よりも、しどろもどろになって不審者になるさまの方が、よほどはっきりイメージできる。


 「…死ぬんじゃねーぞ。アスラン土産くれんだろ?」


 彼らの心配が、少々心苦しい。


 「皆もな。絶対喜んでもらえるやつ買ってくるから」

 「ファン、自分で難しくしないほーが、いーんじゃない?」

 「え?」

 「…お前の贈り物のセンスは壊滅的だからな…」


 思わず固まるファンに、冒険者たちから笑い声が上がった。


 「あ、来たのね、ファン!大神殿から依頼届いてるわよ!」


 その声を聞きつけたのか、書類の束を抱えたアンナが声を上げ、自分の書類の束を通りかかった同僚の抱える書類の上に置いた。

 同僚は魔族でも見るような目をアンナに向けたが、気にも留めずに定位置に座り、笑顔を顔に張り付ける。


 「えっと…いいんですか?」

 「なにが?」


 にっこり。


 「なんでも…ないです」


 視線を逸らしたファンを、書類を押し付けられた職員の縋る目が追う。だが、彼の抵抗はそこまでだった。無慈悲に伸びた手が、特設カウンターの後ろへと引きずり込んでいく。


 「はい、これ。依頼書ね」


 その光景に向かって内心手を合わせながら、ファンは依頼書を受け取った。

 

 依頼内容は聞いていた通り。

 大神殿の使者をアスラン王国の大都まで護衛すること。

 そして、クローヴィン神殿へ救援が来ることを報せること。


 「あ、こっちも依頼に盛り込んでくれたんだ」


 当然その分の報酬も支払われる。緊急クエストと同じ金額だ。


 「これ、前金ね」


 差し出された浅い木の箱には、中銀貨が整然と並んでいる。それを見て、クロムが口笛を吹いた。


 「あの爺さんは本当に気前がいい。土産くらい買ってってやってもいいかもな」

 「いや、普通に買うよ?世話になってるし」


 パーティ資金用の財布に銀貨をしまうファンを見ながら、アンナは笑みを営業用のそれから、友人に向けるものに変えた。


 「…また、厄介なの引き受けたわね。まあ、あなた達なら大丈夫だろうけど」

 「それより、大変な騒ぎですね。イシリス中の冒険者が詰めかけてるみたいだ。

 全員こっちを受けちゃったら、他に緊急の依頼が来たら大変なんじゃ…」


 冬に向けて冒険者の依頼は減るが、それでもなくなるわけではない。

 護衛や荷運びの仕事はほぼなくなるが、冬ごもりが出来なかった獣や魔獣、賊の討伐はぽつぽつと続いていく。

 冒険者が出払ってしまっては、そうした事態への対応が遅れるのではないだろうか。


 「あ、それな。ダリオさんらが残って備えるらしいぜ」


 返答は、アンナではなく、周りを囲む冒険者からだった。


 「誰だソイツ」

 「俺も知らん!」

 「さっき僕が言ったじゃーん。すっごい良いひとで、なんかすごい強いんだって」

 「強いのか!」


 俄然興味を示したユーシンに、ヤクモは困った顔を向けた。

 すごく強いとは聞いているが、ユーシンも十分人間離れして強い。


 「恐れを知れぬもの(ナラシンハ)」と呼ばれていたころのユーシンを知っているのは、ファンとクロムだけだ。

 だが、巨魁鬼オーガをほぼ単独で撃破し、複数の一党で挑んだ野党討伐で、半数以上討ち取ったその強さは、ギルドでも十分知られている。


 「ガチでやりあったら、ユーシンきゅんのが強いと思うけど、安定感とか、信頼っつったら、あっちよね」


 助け船は、違う方向から出された。カティの補完に、アンナも頷く。


 「ギルドに依頼が来たとき、すぐにギルドマスターが拠点に依頼しに行ったのよ。そしたら、志願者は多いだろうから、自分たちで留守を守るって」

 「…戦が怖かっただけじゃねぇの?」


 クロムの難癖に、ファンはしばし考え、首を振った。


 「そうだとしても、報酬につられずに不得意分野は避けるって姿勢は、正しいんじゃないかな。留守役は何かあれば出陣するより危険かもしれないし」


 滅多にないが、魔獣の群れや大規模な賊が出現した場合には、冒険者同士でアライアンスを組むこともある。

 今回の緊急クエストもそれにあたるが、逆に留守を守る方は何かあっても協力する冒険者がおらず、自分たちだけで対処しなくてはならない。

 自分たちの実力に自信があり、報酬を求める必要がないからこその返答だろう。


 「それ聞いて、何組か留守番に回ったわね。どこも腕利きの一党よ」

 「上の方の人たちは、どこも留守番なんですか?」


 話題のダリオ一党だけが、名の知れた古参なのではない。「上の方」と呼ばれる一党は、ファンが思いつくだけでも何組かいた。


 「全部じゃないわね。半分くらいみたい。まだ、こっちも情報掴みきれてないんだけど」


 アンナの返答に、ふとカティの視線が動く。


 「あー、あのお坊ちゃまとかは絶対緊クエ組よね~」

 「わかる」


 仲間と頷きあうその視線は、受付窓口から少し離れた場所で円陣を組む一党に向いていた。

 中心に立つのは、気後れも迷いもない様子で仲間に指示をだしている、濃い色の金髪(ハニーブロンド)の青年だ。

 装備からして剣士だとわかる。

 使い込まれてはいるが、滑らかな輝きを浮かべる鎧や盾は、かなりの業物。

 魔力の揺らぎがないので、魔導具ではないとファンにはわかったが、そうであっても一級品だ。質もそうだが、きちんと体形に合わせて作られている。

 オーダーメイドの武具は、ちゃちな魔導具よりも値が張るものだ。


 一党パーティの面々は、おそらく魔導士二人に重厚な鎧を纏う戦士一人に軽戦士三人。銀の錫杖を持つのは神官だろう。

 ほんの一歩離れて立つのは、斥候か。いずれも剣士ほどではないが整った装備だ。

 それら身に着けた装備に負けている感はない。使いこなしているのが見て取れる。


 「あのお坊ちゃんもさ、貴族出身なわけよ」

 「まあ、そんな顔してるな」


 命令を出すことに慣れた様子に、ファンは苦笑しつつ頷いた。


 彼らのことは少し知っている。魔獣や賊の討伐を専門にしている冒険者だ。

 別にそれは悪いことではないし、実際倒して生きて帰ってきているのだから腕利きなのは間違いない。


 ただ、他の「上の方」の冒険者一党と違うのは、彼らはそれを派手に宣言する点だ。吟遊詩人を何人も雇い、冒険譚を歌わせているという噂もある。

 それはまあ、事実であろうとなかろうと、それで迷惑をこうむる人がいるわけでもなし、別に良い。


 しかし、特に被害を出しているわけでもなく、種族的に人里離れた山地や森の奥に棲息しているような魔獣を狩ってきて誇る…と言うのは、好意的に見れない。

 ギルドに飾られた、個体数も少なく、生態も知られていない魔獣の首だけを見た時には、なんと野蛮なことをと内心歯噛みしたほどだ。


 「これでさ、聖王陛下に覚えめでたく、できれば姫君娶って次期聖王に!なんて考えてんのよ。知らないけれど絶対にそう!」

 「聖王にはなれないんじゃない?王家の血をひいてるわけじゃないんだろ?」


 ふんすと鼻息荒く断言するカティに、ファンは首を傾げた。


 次代聖王をどうするのか…王家の血を引く男子がいないことが、クロムの出生にも関わっている。

 他にいるならそれに越したことはないが、それならすでにファンの耳にも届いているだろう。

 だが、他国には聞こえない、何か裏事情があるのかもしれない。

 例えば、一家そろって処刑されたはずの前聖女王の妹の血を引いているとか…。


 「まるっきり引いてないわけじゃないのよ。あそこンちは。六代くらい前の聖女王の甥の子孫だったかな」

 「他人じゃねぇか」


 短くクロムが吐き捨てる。ファンと同じく、微かに期待をした反動か、いつもよりさらに語気が荒い。

 そこから婚姻関係を繰り返しているならともかく、確かにかなり他人の関係だ。


 「他人よね。ま、あの坊ちゃんは最初っからそういう英雄になりたくて冒険者やってるワケだし、ある意味初心貫徹?」

 「そーゆー英雄?」

 「悪いやつをやっつけて、お姫様と結婚してめでたしめでたし、的な」


 それを聞いて、ちらりとヤクモは件の冒険者を見た。

 顔は甘めの優男、と言えるだろう。年のころは二十代後半に見える。

 並べば、おそらくファンより少し小さいくらいか。十分長身だ。体格もそれに見合い、金属鎧に振り回されている様子はない。

 喜怒哀楽の表情は豊かで、快活に笑ったかと思うと、眉を吊り上げ、首を振る。おそらく、「敵」の非道を怒っているのだろう。


 「あー、お姫様助けそう!すっごい助けそう!そんな顔してる!」

 「どんな顔だよ」 


 苦笑するファンに、そっとヤクモは観察対象を指さした。


 「人を指さしちゃいけません」

 「ファンが聞いたんじゃーん」

 「あの坊ちゃん、三男坊でさ。家は継げないわけ。で、それ幸いにって実家飛び出して冒険者になったって言ってるけど、嘘なんだよ」

 「嘘?」


 後半は声を潜め、彼女は囁くように言い切った。

 問い返す周囲の声も、小声だ。


 「そそ。自分の方が当主に相応しいのに!って長男と父親に食って掛かって、勘当されたの。んで、一発逆転を狙ってるってわけさ」

 「詳しいね」

 「あいつの従妹がうちの兄さまの嫁様の友達と友達なんだそーで。こんな怖い人がいるんですって?ってワクテカしながら嫁様がね。聞いてくるのよ」

 「へええ~」


 改めて観察してみれば、人によって向ける目つきが違うのに気付いた。

 周りを囲む、立派な装備の冒険者には親しげで明るい目を向けているが、粗末な装備の者には、冷たい…いや、見下した視線を送っている。

 それならそれで無視でもしてればいいのに、そういった冒険者にも指示を飛ばしているようだ。


 「なんか…ちょっとやな感じだね」

 「ヤクモっちは見る目があんな」


 物知り顔で、手にした干し肉をぴこぴこと振るのは、彼女の一党の斥候だ。


 「見た目と違って、はらわたは黒いんだぜ。アイツ。うちのリーダーみたいに顔は岩だが内心は善人ってやつと違ってな」

 「誰が岩じゃい!」


 せめて生き物に例えろ!とベルドが吠える。だがその抗議は、あっさりと肩が竦められただけで流された。


 「なるほど岩か!良いではないか!剛毅で堅固と褒められていると言うことだ!」


 ユーシンに言われ、ベルドはしばし沈黙し、肩を落とした。


 「ユーシンに顔のこと言われるとなあ…怒る気なくすわ。いや、褒めてくれたんだなってわかるし」

 「ユーシンは顔は王子様だけど、中身は五歳児だしねぃ」


 いや、本当に王子様ではあるけれど。

 靴下下着は見えないからと三ヵ所穴が開くまでは繕って履く王子様や、腹が減ると野生に戻る王子様は、たぶん世界でこいつらだけだろうし。

 世界は広い。意外と他にもいるのかもしれないが、いるとしてもファンの関係者しんせきとかじゃあるまいか、とヤクモは内心に呟いた。


 そんなヤクモの内心の感想お構いなしに…構われても困るが…斥候は干し肉を指揮棒のように振って言葉を続けた。


 「目を付けたやつを、胸糞悪い手口でてめぇの一党に引き込むのさ」

 「胸糞悪い手口?」


 聞き返すファンの脳裏に浮かんでいるのは、きっとヤクモが思い浮かべた顔と同じだろう。


 「そ。要らねぇと見切りつけた奴にゃ、しつっこく役立たずだの寄生虫だのと煽り立てて、目を付けた奴には胡散臭いくらい良い人ぶる。

 なんだアイツ!って仲間に愚痴りゃ、綺麗な顔しか知らねぇ仲間にゃ被害妄想いいがかりだと怒られ…ま。その後はお察しだな。

 それが効かなきゃ、煽って手を出させて、仲良しの衛兵に引っ張らせるわけだ」


 ちらりと、ファンの視線がアンナに向く。

 アンナは黙したまま、否定も肯定もしない。

 だが、アンナの性格と立場なら、事実無根の噂であれば否定するだろう。

 その否定がない、と言うことは、少なくとも濃い灰色なのだと知れる。


 「牢にぶち込まれて、このまま一年そこで過ごすか、保釈金を払えって言われて法外な金額だされてさ。

 仲間は当然金稼ごうとするよな。そこで奴がうちの一党に一時加わって、金を稼げばいいと誘うのよ。保釈金は建て替えるから、そうやって返してくれればいいって。

 ンで、実際にゃ冒険者同士の喧嘩なんざ、精々十日程度で出てこれるからさ。出てきてみりゃ、仲間はクソ野郎の一党って寸法だ。そりゃキレるよな。

 で、キレちらかして仲間と奴を罵倒すりゃ、この恩知らず、もうお前とはやってけない!となって…奴の思う通りってわけさ」


 そこから修復するのは、至難の業だろう。

 例え、誤解が解けたとしても、多額の借金が残っている以上、元の一党としてやっていくことは不可能だ。実際には、「多額の保釈金」自体がなかったのだとしても、借用書があればなかったことにはできない。

 

 「ま、手口が知られて、最近は仕掛けてこないらしいけどな。奴の一党も人数増えたしよ」

 「けどさあ、ファンちゃん気を付けてね?

 ユーシンきゅんとクロムのこと、聞いてたらしいから」

 「よし、わかった」


 すでにクロムの顔には、硬質の無表情が張り付いている。


 「近付いたら殴ればいいな」

 「殴る前に、いつもの悪口にしときなさい」

 

 実際、同じ手段をもしも自分たちに仕掛けてきたら、ファンを役立たず呼ばわりした時点でクロムからは「万死に値する」対象として見られるわけだし、ユーシンは素直にファンとヤクモの言うことを聞く。

 間違いなく自分たちはその手には引っかからないが…


 「よく、覚えておくよ。ありがとう」


 その卑劣な手口で、仲間を喪った人がいる。

 今もまだ、苦しんでいる。

 それだけで、顔と名前を覚えておく理由になるだろう。

 

 「あいつ、名前は?」

 「キールって名乗ってるよ。本名はキルスティン。白い炎のキール」

 「…白い炎?ええっと、二つ名的な?」

 「一党名パーティコードよ」


 沈黙を守っていたアンナが、苦笑しながら口を挟む。


 「そんなのあるんだ…」

 「名指しで依頼されるような一党だと、あった方が便利だったりするのよ。リーダーの名前だけで指名したら、全く別の一党でした、なんてこともあるし。

 そもそも、そのリーダーの名前がうろ覚えだったりすると、私たちも大変だしね」


 たしかサ…何とかさんだった、ほら、先月、あそこの商会から依頼を受けた…などという依頼人の為に、先月の依頼の受注書を片っ端から当たる羽目になった経験は、ギルド職員なら誰しもある。 

 探しまくったが該当する依頼がなく、よくよく聞いたら先々月で、もう一月分調べなおしになった苦行も、かなりの高確率で味わっている。


 「ファン達は特徴あるからいいけどね。でも、一党名を持つのは悪いことじゃないわよ」

 「白い炎なんぞと名乗るくらいなら、名無しで十分だ」

 「…え、そうか?一党名って、浪漫じゃん…?」

 「それは…文化風習の差、というやつで…」


 おそらく馬鹿にしようとしたクロムの脇腹を肘でつつき、ファンは曖昧に笑った。


 「あ、そうそう!クローヴィン神殿救援について、伝えたいことがあるんだ」

 

 急激な話題転換は、誰もが「強引すぎる…」と思っただろう。が、それを追及するよりも緊急クエストにかかわる情報の方が優先順位が高い。

 アンナでさえ、背筋を伸ばし、ファンを黙って見つめる。


 「大神殿に救援を求めに来た神官さん…その人を連れてきたのが、アスラン軍の人でさ」

 「アスラン軍?!なんでそこにアスラン軍が?」

 「ええっと、休暇でイシリスへいく途中、神官さんを保護したんだって」


 言うべき情報なのかは多少悩むところだが、知らずに進軍してアスラン軍に攻撃を仕掛けられるのは怖い。

 ここで使えておけば、アンナからギルドへ、ギルドから冒険者へと伝わるだろう。

 その前に、大神殿からウルガ、そして聖王バルトへと報告されるとは思うが、血気にはやった冒険者が突然しでかす可能性もなくはない。

 

 まして、次期聖王を狙っている、などという身に過ぎた野望を持つ者がいると聞かされれば、なおさらだ。

 それがただの悪口であっても、手は打っておくに越したことはない。


 「俺も、詳しいことは知らないんだけど。ジョーンズ司祭が言うには、すでに国境沿いに駐屯するアスラン軍にも救援の使者が出てるんだって。

 同盟国だし、クローヴィン地方は国境線が曖昧だからね」


 ファンの説明はやや苦しい。けれど、冒険者たちもアンナも、大きく目を見開いて頷く。


 「それなら、神殿や周りの村はなんとかなりそうか?」

 「早ければ、今日の夜には救援の兵が近くの村に到達するんじゃないかって」

 「…良かったあ…」


 カティの安堵した声は周囲に染み入り、冒険者たちの顔に笑みを広げる。

 その場にいた誰もが、同じ気持ちだっただろう。


 「あれ?じゃあファンちゃんたち、別に使者にならなくてもいいんじゃないの?」


 魔導士のもっともな疑問に内心ぎくりとしつつも、ファンは首を振った。


 「いや、神殿まで進軍してくれるかわからないし。無駄なら無駄で、いい無駄足だしさ」

 「そっかあ。アスラン軍だって、ほんとに動いてくれるかわかんないしね」

 「そういう事」


 あとでクロムから、迂闊なことを言うなと怒られそうだ。

 まあ、その時は何とかなったからいいじゃないかと反論しよう。

 そう決めて、ファンは小さく頷いた。


 「そんなわけで、もしクローヴィン神殿付近にアスラン軍がいても、味方だから」

 「それ、ギルドで共有しても問題ない情報よね?」


 アンナの確認に、今度ははっきりと頷く。


 「はい。むしろ、共有してください。

 アスラン軍は仕掛けられたら容赦はしません。

 救援に駆け付けたら、友軍から攻撃されたっていうのは…アスランの最も嫌う手段ですから。報復になにをするかわかりません」

 「そんなに?」

 「大祖クロウハ・カガンがその手で殺されてるし、先代大王(ハーン)がカーランにやられて時の王太子…現在大王が、その時のカーラン皇国大司馬の首を引きちぎっているくらいにはキレます」

 「ちょっとまって…?千切れるっけ?首って?」

 「まずは首の骨を握り潰し、それからちぎったと聞いたぞ!」


 朗らかに答えるユーシンに反して、あたりの空気がすん、と沈む。


 「絶対、手出しはしちゃダメなやつだな…」

 「よっく、通達しておくわ」


 聖王バルトはアスラン王と仲が良いから、引きちぎられたりはしないかもしれないが。


 その分、怒りの矛先は余計な手出しをした冒険者たちへ向かうだろう。

 誰もが首の骨を握り潰し、引きちぎるような剛力の持ち主とは思わないが、アスラン軍の報復が苛烈なことは噂に聞いている。


 「ああ。見掛けたら遠巻きにしておけよ。独断で軍を動かせるとなれば、アスランでも上の方だ。

 もし、王族に攻撃を仕掛けた、なんてことになれば一番優しい処刑で皮袋に詰めて陣に帰参するまで引き摺る、だからな」

 「やさしい…?」

 「斬首なんてしてもらえると思うな。普通は馬裂きだからな」

 「ファンちゃん、クロムが怖いこと言うよ?

 あ、ちょっと、なんでファンちゃんまで床見てるの?ほんとのことなの?」

 「いやあ…ははは…」 

 「否定してよお!」

 

 「ほら、あんたたち。依頼の受注が終わったなら、準備に取り掛かりなさい。

 ファンたちは荷物の預け入れよね」

 「あ、はい」


 冒険者たちのわちゃわちゃが、アンナの一声で止まった。苦笑しながら差し出された荷物預かりに必要な書類を、ファンは慌てて受け取り、記入する。


 「戻ってくるのは、年明けだったわね」

 「そうですね。年が明けた後…一月かそこらは先になると思います」

 「待ってるから、ちゃんと帰ってきなさいよ?」

 「…はい!」

 

 ほんの少し心配と、寂しさが混ざったアンナの笑顔。

 それはきっと、ギルド職員と冒険者としてではなく、友人として浮かべているものだ。

 周りを見れば、同じように笑う冒険者たち。


 (先延ばしにして、逃げた)


 きっと、ファンの顔にも、同じ種類の笑みが浮かんでいる。

 しばらく会えなくなる寂しさと、その間の身を案じる心配と。


 (お前はきっと、それが俺の弱さだと言うんだろうな)


 その通りだ。

 父や兄なら、躊躇わずその首を刎ねただろう。

 何故、そんなことをしたのか。自分が悪いのか。

 心に刺さる棘を、そのまま押し込んで隠して。

 

 ファンにはできなかった。

 いずれ真正面から向き合って、どうするのか決断しなくてはならない。

 もしかしたら、その「いずれ」は目前かも知れない。


 なかったことにしたのだから、南フェリニス王は息子の行いを知らされておらず、新年の挨拶を述べるために大都へ送った可能性もある。

 

 (けれど、その弱さから得たものが、俺を強くするんだぜ)


 お土産買って帰ると約束したのだから、それは守らなくては。

 だから、おとなしく殺されてやるわけにはいかない。

 弱かろうが、無能だろうが、それでもしばしの別れを惜しんでくれる友人たちがいるのだから。


 (俺はもう、逃げないよ。ルーデン)


 こちらから攻めることは、まだできそうもないけれど。

 立ち塞がるのなら、逃げない。


 まだ剣を向けるというのなら、こちらも弓を構える。

 弱く、無能なことが死ななければいけない理由なら、そうではないことを証明する。

 

 その誓いを、口に出したりはしないけれど。


 ファンの気配が変わったことに気付いたのか、アンナの笑みの種類が変わった。

 気遣うようなそれから、場を明るくするような笑みへと。


 「クロッカスの日のエスコートも忘れないでよ?ちゃんと服持ってきてよね?」


 ぱちりと片目を閉じて言うアンナに、ファンもお道化て肩を竦めて見せた。


 「どんな服があればいいんですかね?夜会とか行った事ないし」

 「新年を祝う時に着る服でいんじゃない?」

 「新年かあ…」


 それはちょっと、飾りや何かで重たいから、避けたいところではある。


 「実家で相談すりゃいいだろ」

 「西方の風習はみんな詳しくないだろうしなあ。あ、伯父さんたちに相談すればいいか」

 「伯父さんは詳しいの?」

 「雑貨屋と宿屋を経営してるんで、異国の風習にも詳しいかなって。従妹が仕立て屋をしてますし」


 母方の一族は、王家の外戚としての待遇を拒み、大都の一角で店を開いている。

 食堂、宿屋、雑貨屋を一つの館に組み込んだ店は評判が良く、連日賑わっていた。

 特に大都でも珍しいヒタカミ料理を出す食堂は人気で、最初は五つの卓と四組座れる座敷とカウンターという構えの店だったが、今では三倍の規模になっている。

 それでも昼時と夕飯時には相席上等、入りきれずに庭に敷かれた茣蓙と敷布の上で食べる客もでるほどだ。

 

 「じゃーさあ、いつか私たちがアスラン行ったら、ファンちゃん紹介してよ~。友達価格で安く泊まれない?」

 「そしたら割引券あげるよ。言えばくれると思うし」

 「やった!」

 「あ、こっちも欲しい!」

 「うちも欲しい!アスラン行ってみたいぞー!」


 口々に冒険者たちから声と手が上がる。


 「来てくれるなら歓迎するよ。なら、来年末には一緒に行けるように、皆金をためといてくれよな」

 「おっしゃー!」


 もう一年先の約束までしたのだから、やっぱり死んでなんかいられない。


 「今日は、ギルドで飯は無理そうだ。あの辺の食堂行くか」

 「さすがにギルドの食堂は臨時休業よ」


 いつもなら並んでいる卓や椅子は片付けられている。あったとしても、この混沌の中で酒なんて出したら、大変なことになるだろう。


 「ま、妥当なところだな」

 「そうだな!腹が減ってきた!」

 「…え?もう…?」


 驚いてはみたが、開け放たれたギルドの門扉からは、夕暮れの赤い光が差し込んでおり、その強さは刻一刻と失われていく。もう、日暮れも近い。


 「まあ、明日早いしな。さっさと食べて寝よう」

 「うん~!」


 荷物をカウンターへ置き、預かり証を受け取れば、もうギルドで成すべきことはない。

 

 「じゃあ、皆!よいお年を!」

 「気がはえーよ」


 笑いあって、手を振って。


 歩き出しながら、もう一度心に誓う。


 ここに、帰ってくる。そう、必ず。絶対に。


 弱くても、無能でも、ナランハルに相応しくなくとも。

 約束を守れないような男ではないと、顔を上げる矜持は、この魂にあるのだから。

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