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鳥には羽根 魚には鱗  作者: 阿古あおや
56/89

甘やかされた子を立たせるのは、老いた牛を走らせるより難しい(親の甘茶が毒となる)9

 「ぶえぇっくしょォい!!」


 勢いよく唾を飛ばし、洟をすすり、ジルカミシュはほんの少し…粉雪のひとかけら程、見張りを引き受けたことを後悔した。


 黄天餐館の門の外、思いきり往来である。馬車が何台もやってきてもいいように、門前にはゆとりがあった。

 そこに闖入者どもを縛ったまま転がし、せめてこれを、と差し出された丸椅子に腰かける。

 

 風は容赦なく吹きすさび、中天を過ぎた日差しはすでに大気を温める強さはない。

 もっとも、冬の大都を照らす太陽に、それは端から期待してはいないが。


 さっさと洟を拭わなくては、あっという間に凍り付き、鼻や唇に張り付く。外套の口袋ポケットから手巾を取り出し、ごしごしとやや粘つく水分をこそげ取った。

 地面に転がされてひぐひぐと呻き泣く連中の顔は、そろそろ白くなっているかもしれない。

 だが、新しい涙と鼻水で濡らしている限り、顔が凍って窒息死することもないだろう。


 何より、絶品料理の残りを諦め、寒風の中見張りをしている自分が、そこまでやってやる義理はない。


 そもそも、主と友をこいつ等は貶した。侮辱した。

 ジルカミシュが考えていることをそのまま言葉にすれば、「ナメくさりやがった」のだ。


 それを見て聞いたジルカミシュが、連中に一発もくれてやっていない時点で、十分丁重に扱っている。

 首が繋がったまま、生かしたまま、弟の前で斬るとナランハルが言っていなければ、「ボテくりまわして」いたところだ。

 

 「お疲れさんっす」

 「ぅお!?クロっち!!なんでこっちにいるんだよォ!?」


 今からでもやろうかな、けれど、縛られて抵抗できない相手をヤるのは、趣味じゃねえ…と逡巡するジルカミシュの前に、湯気と芳香を立ち上らせる鉢が差し出された。


 見上げれば、いつもの無表情にほんの少し笑みを足したクロム。

 その隣にいる赤毛の青年が持つ盆には、同じ鉢が二つ乗っかっていた。


 「おめえ、ナランハルのとこにいなきゃだろうが!」

 「問題ないでしょ。マルコさんもいるし、まあ、馬鹿たちもいるし」

 「く、クロッちよォ~!!!」


 再び鼻を啜り上げたのは、寒さのせいではない。

 鉢を受け取り、ジルカミシュは何度も頷いた。


 「へへ…やっぱよォ!!おメェオトコだぜェ!!っと、そっちの兄さん…ええっと…」

 「シドだ」

 「オウ、そうか!シドっちも、ありがとよ!!」

 「…シドっち…」

 「諦めろ。俺が何百回言ったと思ってる」

 「いや、と言うか、そんな簡単に受け入れていいのか?」


 早速熱い水餃子に齧り付こうとしていたジルカミシュは、シドの問いに片眉をあげた。


 「んあ?なんで?」

 「…俺は、あんたらから見て、不審者だと思うのだが…」

 

 ヤクモの身分は聞いた。だが、シドに関しては軽く「一緒に旅してきた仲間だよ」としか聞いていない。

 まともに話すのも、今が最初だ。

 だが。


 「そんなん、決まってらァな!」

 

 西の生まれは細けぇな!マル先輩もそうだもんな!と思いつつ、水餃子に食らいつく。

 途端に中から破裂するように湧き出した肉汁に、口の中、食道、胃の府まで温められ、多幸感にしばしジルカミシュは震えた。


 「あ~!!ウッメェ!!お前らもよォ、冷める前に食えよ!!マブ、めっちゃうめぇからよォ!!」

 

 多少腑に落ちない顔をしながら、シドはその場に腰を下ろした。降ろしたのち、自分が借り物の上等な外套を纏っていることを思い出したが、もう遅いと言い訳し、盆の上から箸をとる。

 クロムも同じように路面に胡坐をかき、シドの膝に載せられた盆から、自分の分を取り上げた。


 しばし、会話を止め…ジルカミシュは「うんめぇ!!」を繰り返していたが…三人は水餃子を味わうことに集中した。それでもつい口許が緩んでしまうのは、あまりにも口の中が美味で溢れていたせいだ。

 水餃子が浸っていた白湯スープをも飲み干し、余韻を味わう。


 「…さっきの、答えを聞いてないが」

 「お?さっきの…あー!なんでシドっちを信じられっかってことか!ンなの、ナランハルとクロっちが、おメェを信じてっからよォ!」


 ジルカミシュの返答に、シドの目がゆっくりと瞬く。


 「俺ァ、馬鹿だからよォ!勉強とかからっきしだし、人を見る目はある!なんてイキれっほど場数も踏んでねェ!でもよ、ナランハルはめちゃくちゃ頭イイし、クロっちは去勢してねぇ雄山羊くらい喧嘩っぱやいだろ?その二人がシドっちのこと、仲間ダチって言ってんなら、お前、イイ奴にきまってんじゃねェか!」

 「誰が雄山羊っすか」

 「マブ?クロっち自覚ねぇの?女に手ェ出すのも早ェし、めっちゃ雄山羊じゃん」

 「…手、出すの早いのか?そうは思えないが…」

 「余計なことは言わんでいいっ!!」


 シドの口に手を被せるクロムに、ジルカミシュはゲラゲラと笑って指を立てて見せた。

 

 「な?懐いてんじゃんよォ!」

 「なるほど」


 クロムの手を外して現れたシドの口許には、緩やかな弧が描かれている。

 んでもって、ンなことされても切れねぇくらい、こっちもクロっちになじんでるってこったな!と、ジルカミシュは内心に頷いた。


 「シドっちはよ、どこ住み…って、思ったより遅かったな」

 

 汁気すらなくなった鉢を座っていた丸椅子に置き、代わりにジルカミシュは立ち上がった。

 その動きに合わせるように、クロムとシドも立ち上がる。


 クロムはともかく、シドもジルカミシュも、長身が多いアスランでさえ目立つほどの体格だ。

 その高い位置から放たれる眼光を向けられた者たちは、一瞬、怯んだ。


 だが、怯んだだけでさらに前進してきたのは、三人が見るからに若く、丸め込めるとふんだのか。

 暖かい室内から出されて、屋外での見張りを命じられるなど、下っ端だと見做されたのか。

 ともかく、十人前後の男たちは、三人と縛られて転がる九人の前に立った。

 

 息を呑む気配は、迎える三人ではなく、その様子を遠巻きに見ている小カーランの人々のものだ。

 やりたい放題の三悪鬼がついに捕縛され、野晒しにされていると聞いた人々は、仕事を放り出して、それが虚報でないか確かめにやってきている。

  

 そして目にしているのは、いかにも身なりのよい…しかし、いけ好かない雰囲気の男たちと、紅鴉親衛隊の騎士服を纏う三人の若者。

 大声で三人に声援を送りたいところだが、間違いなく男たちは第二夫人の息がかかった「保護者」だろう。下手に刺激して、災厄を呼び寄せてはたまらない。

 だから、心の中でなかなか見目好い若者三人を応援しつつ、固唾をのんで成り行きを見守る。


 「その者たちを、引き渡してもらおう」

 「あァん?」

 「も、もちろん、それなりの見返りは渡す。金でも、地位でもいい」


 男の言葉にジルカミシュは思いきり目を剝き、クロムは思わず吹き出し、シドはとりあえず捕縛した連中から伸びる縄を握っておくことにした。

 足も縛っているから動けないし、口に猿轡も嚙ませてあるから騒げないが、相手は十人。いきなり奪還に動かれれば、一人二人ほどは取られる可能性もある。


 「悪い話じゃないだろう?お前たちが今まで側に寄れたこともないような高貴な方々に会わせてやることだってできる!」

 「俺らが側に寄れねぇような、高貴な御方だァ!?へ!雷帝様とでも会わせてもらえるってェのか!!」

 「ほ、本当だぞ!クルゲン家や、ノムル家、あと、それから…」

 「無駄だ。おっさん。そんな弱小貴族、むしろあっちから、ジル先輩にお近付きになりたくて尻尾振ってきやがるだろうよ」


 男達の目的は守護者モドキ共の保護なのだろうが、連中を見ても「何と可哀そうに!」的な動揺はない。

 むしろ、帽子と首巻の隙間から覗く双眸は、苦々しげに歪められている。

 つまり、月虎宮でも少しはまともな方なのだろう。そうクロムは判断した。

 

 とは言え、紅鴉親衛隊騎士に「見返りをやるから見張り対象を引き渡せ」などと交渉できると思っている時点で、十分阿呆だが。

 それに、紅鴉親衛隊の有名人であるジルカミシュの顔すら知らないらしい。

 敵を知り己を知れば…いや、むしろ、敵を知らず己も知らずでは戦う前に負けるようなもの。

 一太子トールの胡散臭い守護者がこの場にいれば、さぞかし皮肉を述べて揶揄っただろうが…生憎クロムは、そんな回りくどいことを好まない。

 

 「こちらは、オルダ大公家の宗主、コンクラン殿の五男にして、紅鴉親衛隊百人長ジルカミシュ卿。いや、紅鴉親衛隊の切り込み隊長『鉄頭』ジルカミシュって言った方が、そのスカスカな脳味噌の乏しい知識に含まれてるか?」

 「鉄頭?」

 「初陣で、槍も斧も叩き落とされたが、頭突きで敵将の頭を兜ごと叩き割って捕縛したっつう、めちゃくちゃな武勲があるんだよ。ジル先輩」

 「やめろぃ、クロっちィ!照れるだろうよォ!」


 オルダ大公家は、五代大王ジルチの長男オルダより始まった家系だ。

 ジルチには三男一女がいたが、三人の兄たちは妹トヤーに王位を譲り、それぞれ領地と領民を貰ってアスラン各地に散っている。

 そのうちのオルダ大公家は西方を領地とし、代々武将を輩出する一族だ。

 大公家の中でも筆頭格であり、現宗主コンクランは十二狗将ではないが、西方の護りを担う名将として、そして八代大王モウキの友人の一人として、アスラン王国の重鎮を長年務めている。

 

 オルダ大公家の名を聞いて、明らかに男たちに動揺が走った。残念ながら『鉄頭』の名は、その追い討ちになっていないというか、それを聞く余裕がなくなっている。

 男たちは目配せしあい、しかし、退くこともできずに立ち尽くす。

 

 守護者モドキ共を回収せずに逃げかえれば、「無礼を働いた」連中の素性は徹底的に調べ上げられ、縁者の連座は免れない。

 誰かが一人でも武器を持っていれば…いや、持っていなくとも、隠し持っていた短剣なりが「発見」されれば、無礼を働いた不埒者から暗殺者に扱いは変わる。


 王族への暗殺は大罪だ。

 つい先日、それでヨアジ氏族の最も有力な家であったヒチアジ家が討伐され、ヒチアジ家の家長どころか、ヨアジ氏族の氏族長まで変わったのだから。

 

 短剣を懐に、武装せず食事中の二太子のもとに押し入ったのが、三太子の守護者(サルンバル・スレン)であれば、当然、それを差し向けたのは第二夫人と三太子、という事になる。

 邪魔な政敵を潰すまたとない機会だ。徹底的に利用するだろう。


 実際、ファンはそんなことをしようとも思っていないし、親族まで連座させる気など毛頭ない。

 だが、人はいつでも、自分を基準に考えるものだ。


 男たちは、捕縛された連中の親族と、その家に仕える私兵である。

 小カーランの暴れっぷりを苦々しく思い、あまり騒ぎになるようならどうにかせねば、と思っていたところに、連中が「ナランハルに思い知らせてやる」と息巻いて出て行ったと聞いて、慌てて追いかけたのだ。


 第二夫人とその取り巻き、そして守護者モドキ共と違い、まだ彼らには分別と言うものや、状況を把握する能力があった。


 彼らは、三太子が王位に就くなどと言う夢物語は見ていない。

 望むのは、一太子が九代大王となったのちにも、第二夫人と三太子がそこそこに収入を見込める領地が与えられ、自分たちもその収入を吸いながら、一生安泰に生きる事。


 間違っても、二太子暗殺を目論んだ狂人として、牛に四肢を引き裂かれる末路ではない。


 だから、最悪の事態…ただの無分別で思い上がった若造の暴走が、暗殺未遂として利用されるという事態になる前に、証拠そのものを二太子から奪還しなくては。

 奪還さえできてしまえば、無礼を働いた罪を認めて自害いたしました、と首を差し出して許しを請うこともできる。

 

 買収ができないのなら、武力で…と武装もしてきているが、立ち塞がるのがオルダ大公家の子息であれば、傷付ければ大公家からの報復が恐ろしい。

 だが、逃げれば破滅の未来しかない。

 男たちの視線は、守護者モドキの一人の叔父である、頭目格に集まった。


 それを受け、頭目格はたっぷり十を数える間悩み…そして口を開く。


 「…力尽くだ。コンクラン将軍は、御子息が戦闘で怪我を負ったとしても、御子息の力不足を叱り飛ばすような御方。だが、決して大きな怪我はさせるなよ」

 「心得ました」


 十人に聞こえるように発した声は、しっかりと意識を集中させていたジルカミシュの耳にも届いた。

 ビキビキと、彼の血管が膨張する音が聞こえるのではないか、というほどの形相で、ジルカミシュは男たちを睥睨する。


 「おうおうおう!父上がこぇぇから、俺にゃあ手加減して当たれってェ!?ずいぶんと舐めてくれたもんだなァ、おい!!」


 その様子を見て、クロムが「連中、死んだな」とぽつりと呟く。


 「おぉン!?俺が父上の名前だけでイキってるってェ、そう言いてェのかよォ!?上等だぜ!!シャバ小僧ゾーが!!」

  

 外套を脱ぎ捨て、ジルカミシュは吠えた。


 「おお!ここに集まってる皆の衆!!もしよォ、俺が死んでも、俺が弱かっただけでしたって俺が言ってたってよォ!!ナランハルと父上に伝えてくれよォ!だからよォ、俺を殺したってェ罪は、コイツらに与えなくって良いってなァ!!」

 「な…!」

 「おい、うちの父上はな?テメェらみてーなクソと違ってよ。息子がアホやって死んだら、死体蹴り飛ばすような御方なんだよ。だから、遠慮するこたーねぇぜぇ!?ぶっ殺すつもりでかかってこいやオラァ!!!」


 ジルカミシュの気迫に、私兵たちは圧されるように武器を抜いた。剣、刀、手斧と様々だが、さすがに構え方は素人のものではない。


 「『鉄頭』って他にも意味っつうか、由来があってよ」

 「ああ」

 「頑固者、とか、ちょっとイカれてるっつう」

 「…俺からすると、アスランの軍人は大体そんな感じだ」

 「ま、間違っちゃいない」


 クロムも外套を脱ぎ、しばし、躊躇った。

 ようやく下賜されたばかりの新品の騎士服を、こんな連中の血で汚すのは…と一瞬思い、それから汚さなきゃいいか、と開き直る。


 「シドは、転がっている馬鹿どもを確保しておいてくれ」

 「了解だ」


 つまり、此方へ向かってきたやつを迎え撃てばいいのだな、と判断し、シドは手にしていた縄を捕虜たちの足に結び付けた。

 縄は鋼糸を束にしたものを芯をする、特殊な縄だ。よほどの手練れでなければ、一刀両断とはいかず、時間がかかる。

 そうなれば、縛られたまま抱えて逃げて…となるだろうが、お互いで縛っておけば一人だけ運ぶことは不可能だ。

 

 道具を探すな、何をしたいかで探せ、と養父は繰り返し教えてくれた。

 養父は元傭兵で、実力を買われてセスの騎士になったという人だ。生まれも血筋も定かではないが、この連中の父親よりもずっと頼もしく、生きるための術を教えてくれたな、と思い出す。

 

 そして視線を上げれば、まさにジルカミシュに剣を持った男が二人、斬りかかろうとするところだった。

 僅かにタイミングをずらし、一人を捌いてももう一人の攻撃が襲い来る、そんな間合いの取り方。間違いなく、戦闘慣れしている。

 ジルカミシュが弱いわけはないと思うが、さすがに徒手空拳では…と援護に入れるよう足に力をためる。シドの腰には、儀礼用の華奢な曲刀が吊り下げられていた。

 普段振るうバスタードソードに比べれば玩具だが、少なくとも金属製だ。相手の武器をいなすことはできる。


 だが、そもそも護衛として同行する騎士が丸腰、という事はあるのだろうかと思いなおし…そして、あるのだな、と頷いた。


 切り込んでくる一人目を、ジルカミシュは無造作に払った。

 それは、飛んできた虫を払いのけるような、そんなごく自然な動きであり、何か特別な事をしたわけではない。


 だが、払われた相手は吹っ飛び、黄天餐館の塀に叩きつけられて、しばし出来損ないの人形のような形で静止した後、ずるずると倒れ伏した。


 それを見た二人目は、慌てて飛びずさろうとし…逃げ切れなかった。

 踏み込んだジルカミシュの拳が突き出され、仰け反って一瞬宙を舞い、路上に落ちる。


 (…今、追いついたか?)


 シドは二人の距離を目測し…そして、ひとつの結論に達した。

 

 「ジルカミシュは、魔導士なのか」

 「ああ。まあ、トールみたいに術式を理解し(わかっ)て省略してるわけじゃなくて、どっちかっつうと飛竜なんかに近いらしいけどな。拳の先に風を集めて、叩き込むのが得意だ」

 

 魔導士の中には、魔導を発動させる術式を使わず、魔力だけで近い効果を生み出すものもいる。

 感覚で使っているので加減や応用は難しく、多種多様な技を繰り出す…とはいかない。

 だが、ひとつでも使いこなすことが出来れば、強力な武器を常に携帯しているようなものだ。


 「どんどんこいやぁ!!」

 「く、くそ!!全員だ!全員で行け!!」


 頭目の判断は、おそらく正しい。相手が強ければ、戦力は一点集中するべきだ。

 だが、それはあくまで、相手が一人だった場合である。


 「二匹、貰います」

 「こっちも」

 「おう!頼んだぜェ!!」


 頭目を除き、残り七人。一人は頭目の傍に残って護衛し、残り六人が突っ込んでくる。

 そのうちの二人は、一瞬で間合いに入ってきたクロムに、慌てて武器を振るった。

 狙いすますこともできずに振るわれた攻撃は、硬い音と火花を散らした。目標クロムに当たるどころが、互いにぶつかり合い、衝撃で体勢が崩れる。


 急な接敵と、瞬時の位置替え。それはクラマの技の基本であり、極意。

 あと一歩で間合いに踏み込む、という瞬間。クロムは体勢を低く落とし、敵の視界から抜けたうえで、側面に回り込んでいた。


 (やっぱ、トールん時より、動けてる)


 あの時より、絶対に敵が弱いという安心もある。気負いが抜けているのもある。

 だが、確実に。

自分はまた先へ進めた。


 それが、ひとひらの雪より小さな前進であっても。

 重ねて行けば、雪はアスラン全土を白く染めるはずだ。


 に、と口の端を持ち上げながら、クロムは体勢の崩れた二人の足を払った。

 もとから、此方の体勢は低い。地面についた手を支柱に、くるりと足を回転させての一撃だ。


 「ぅわ!!?」


 情けない声をあげながら、私兵はもんどりうった。二人で重なるように倒れたため、下敷きになった方は声を出す余裕もないらしい。


 「剣を抜いてもいいが、汚したくねぇしな」


 藻掻き起き上がろうとする私兵の脇腹を、クロムは容赦なく蹴り上げた。

 伝わった感触から、肋骨が何本か折れただろう。下敷きになった奴は変な呼吸を繰り返しているし、白目を剥いているからこちらも問題ない。


 さて、残る連中は、と見れば、シドが一人の首に腕を巻き付け、そのまま地面に投げ落としているところだった。

 鈍い音がして、私兵は全身を痙攣させる。その手から斧を奪い取り、シドは残る一人を見据えた。


 「おそらく、ここで素直に死んだ方が、苦しまなくて済むぞ」

 「うるさい!!孩子ガキが!!」


 残る一人は、幅の広く鍔のない刀を手にしている。カーランで良く用いられる、朴刀という武器だ。切れ味は見た目通り良くないが、殴れば大抵の人は死ぬ。技量よりも腕力にものを言わせる武器である。

 

 案の定な大振りは、当人の未熟さと言うよりも、一撃でシドを仕留めて速やかに逃げなくては、間違いなく自分に待っているのは処刑…という現実を理解しているからだろう。


 しかし、シドに付き合う義理はない。刃を地に着け、片手で握っていた斧を、身を捩って両手で柄を掴み、狙いすまして振り上げる。

 もともと、シドは飛来する矢を切り落とすような技量の持ち主だ。

 そして、戦場で武器を選ぶような余裕はない。剣でなくとも、一通り振り回すことくらいはできる。


 一際甲高い鋼の悲鳴が響き、朴刀は大きく横に弾かれた。片手で振るより、当然両手で振り、狙いすました一撃の方が威力はある。


 自分の腕が望まぬ方向に延び、身を護る術がなくなったことを、男は呆けた目で見ていた。

 その魂すら無防備になった刹那、振り下ろされた斧の一撃が、私兵の胸から腰までを斬りぬける。


 返り血を後方へのステップで躱し、シドはふう、と息をついた。

 やりすぎたかとも思ったが、ジルカミシュに最初殴られた二人はどう見ても生きているとは思えない体勢になっているし、さらにそれを二人増やしている。


 「おいおい、手加減はいらねェっつたろォ~?」 

 「ひ、ひいいい!!」

 「紅鴉親衛隊の特攻ブッコミ隊長ジルカミシュ様に喧嘩売ったんだからよォ?とーぜん、死ぬつもりだよなあ?」

 「も、もうしわけありません!!わ、私も、したくて、したくてしているわけでは!!」

 「関係ねーのよ?喧嘩売るって事はよォ、どっちかが死ぬっつうことだべ?やりてぇやりたくねぇのは関係ねぇわ。俺だって、ぶっ殺しても面白くもなんともねーし」


 ジルカミシュの風を纏う手が、頭目に伸ばされる。

 

 「けどよォ、始めちまったら、終わらせねェといけねェよなあ?」

 「はい、そこまで」


 パン、と手を打つ音がして、ジルカミシュの左右から騎士が飛び出し、頭目ともう一人の私兵を取り押さえた。

 観念したのか、一応命が助かったことに安堵したのか、頭目は白目を出して気を失った。私兵は逃げるそぶりを見せたため、即座に脚に剣を突き立てられて絶叫する。


 「マル先輩パイセン…」

 「お店に悪いから、流血や人死には避けたかったんだけどねぇ。思ったより…いや、思った通り、相手がアホだったわ」

 「さーせん!俺ァ!!」

 「いや、下手したら、黄天餐館の人が人質に取られてたかもだし、証拠隠滅のために火とかつけられたかもだからね。ジル君の失点じゃない」

 

 マルコの言葉に、ジルカミシュは赤面して俯いた。


 「でもよォ、俺、余裕でぶち殺さなくても、こいつらとっ捕まえられたしよォ…」

 「ま、そこは反省して、黄天餐館の評判回復のため、君の一門連れて食べに来るといいよ」

 「うっす!!父上に言ってみるっす!」

 「…俺たちも、やりすぎた、だろうか」

 「俺、ぶっ殺してねぇし」

 「ちょっと血をぶちまけたのはねぇ。あとでうちの騎士と一緒にお掃除ね」

 「わかった」

 

 確かに、店の前に血だまりと斬殺死体と言うのはよろしくない。

 姉に知れたら、顔が変形するなと慄きつつ、シドは速やかな隠滅を決意する。


 「さぁて、お集りの皆さん!小カーランを騒がしていた不届き物は、我ら紅鴉親衛隊並びに、我らが主、ファン・ナランハル・アスランによって成敗された!」

 「マブだぜ!こいつ張り飛ばしたの、ナランハルだかんな!!」


 もはやなく気力もなく、ぐったりと弛緩する守護者モドキの帯を掴み、ジルカミシュが持ち上げて見せる。


 「今日より、こ奴らの狼藉に怯える必要はない!!二太子に感謝を!」


 マルコの声に、集まってきていた野次馬たちは息を呑み、互いに顔を見合わせ、そして、感情を爆発させた。


 「やったあ!これでもう、店を普通に開けられるぜ!」

 「ざまぁみろだ!!殴られた兄貴の痛み、思い知ったか!」

 「うちなんざ、爺様が蹴られたんだ!!骨が折れたんだぞ!」

 「二太子様!!ほんっとうに有難うございます!!」


 肩を叩きあい、喜ぶもの。その場で飛び跳ねるもの。この朗報を知らしめねばと駆けだすもの。

 反応は様々ではあるが、誰もが喜びに顔を上気させ、二太子への感謝を叫んでいる。


 「…なんか、大変なことになってないか?」

 「お、ナランハル。ちゃんと言った通り騎乗してきましたね。思ったより、反応がいい。さっさと逃げないと、囲まれて捧げもので埋まりますね」

 「あー、もう!捕虜と遺体を積み込んで、撤収だ!」

 「御意!」


 クロムたちの馬も騎士らによって連れてこられた。ファンが現れたことで、民衆の興奮はさらに高まっている。今はなんとか一定の距離を保っているが、誰かが駆け寄ってくれば、全員が続くだろう。


 ファンたちはありがたがって擦られる程度の被害だろうが、守護者モドキ共はどさくさに紛れて殺されかねない。民衆の歓喜は、裏を返せば連中への怒りだ。


 積み込むための馬車は、黄天餐館に物資を運んできたときにそのまま置かせてもらってある。

 騎士たちだけでなく、ジルカミシュやシドも手を貸して、馬車に全員を積み込んだ。死体と一緒に載せられた守護者モドキ共はか細い悲鳴を上げ続けたが、民衆の怒りを駆り立てるだけだった。


 「二太子への叛逆だ!!箱刑になってしまえ!!」

 「牛に股を割かれろ!!」

 「凌遅刑だ!!寸刻みにしちまってください!!」


 その怒りと憎しみが籠った声に、ファンは眉を顰めた。

 この昏い炎は、いずれ弟にも向けられる。三太子の守護者を名乗って狼藉を働いたのだから当然だ。

 小カーランで何があったのか、弟が知っているかどうかはわからない。だが、知らなかったからと言って、許されるというものでもない。


 知っていて、好きにさせていたのなら…それは、もう、駄目だ。

 王族として、いや、黄金の血筋(アルタン・ウルク)を引くものとして、決して許されない。

 

 確かめなくては。

 確かめて、もし、そうだったら。


 「紅鴉宮に引き上げる!」

 「御意!」


 民衆の怒りの声に包まれながら、ファンは愛馬の首筋を軽くたたき、前進を促した。


 「…どーでもいいけどさあ」

 「ん?」


 馬車に逃げ込むように入ったシドに、ヤクモは手巾を差し出した。

 避けたとは言え、多少顔に返り血が飛んでいる。ありがたく、シドは差し出された手巾で顔を拭った。借り物の服は…謝るしかないだろう。


 「クロム、さっさと馬に乗っちゃって、積み込みのお手伝い、しなかったねぃ」

 「あ」


 民衆の怒りの声に紛れて文句を言っても良いだろうか。

 そう思いながら、シドはせめてもの抵抗で服に着いた血を手巾で叩き始めた。


***


 神獣の名を冠する王族、その私兵である親衛隊は、アスラン軍の中でも精鋭を募って構成される。


 率いる王族自体が任命するか、推挙されるか…もしくは立候補し、厳しい選抜試験を突破するか。いずれにせよ、親衛隊騎士になる、という事は、己の実力を公に認められたという事だ。


 例えば、星龍親衛隊オドンナルガ・ケシク親衛隊長イル・ケシク、ラーシュ・アーレは「アスラン生まれでないのが信じられない」と言われるほどに卓抜した魔導騎士だ。

 

 主であるトールの進軍に苦も無く随伴し、時には軍を預かり指揮する。

 馬を駆りながら放つ魔導は、さすがにトールのように一撃で戦場の行方を左右するようなものではない。と言うより、彼が得意とするのは、『矢避け』や『防壁』と言った身を護るための魔導だ。


 敵の攻撃を無力化する魔導は、使う時機タイミングが難しい。連発はできず、発動時間もそう長くはないからだ。


 早すぎれば防ぎきれず、遅れれば取り返しがつかない。敵の意図を読み、陽動に惑わされず、ここぞという時機を捉えて発動させる。それを戦場の最前線、一瞬の迷いで己が屍になるという状況で行うのは、並大抵の将にはできまい。


 それをアスラン軍の誰よりも巧みに…つまり、世界でも屈指の水準でやってのけるのが、星龍親衛隊長、ラーシュ・アーレだ。

 むろん、槍を振るい軍を指揮しても一流以上。挙げた武勲は数知れず。望めば一地方の総督にさえなれるであろうが、本人に全くその気はない。

 妻と二人、大都に細やかな居を構え、主たるトールとアスラン王国へ絶対の忠誠を誓う生き様は、配下の騎士や兵たちだけでなく、多くの人々に慕われていた。


 対して、紅鴉親衛隊ナランハル・ケシク親衛隊長イル・ケシク、アラカンは老練の名将だ。

 決して高い身分の出身ではないが、七代バトウ王の御代よりアスラン軍に属し、全国を転戦してきた猛者である。

 敵の虚を見極める巧さ、虚を貫く際の突撃の速度から、『長腕』アラカンと呼ばれる戦上手で、バトウの推挙を受けて紅鴉親衛隊の長となった。


 本人はそんな恐れ多い立場よりも、最前線にて討ち取られるか、どこぞの遊牧陣地で息を引き取るのが似合いでございます…と辞退したが、ファンの右掌に宿るものについて聞いたこと、そして部下になる他四人を見て、最後の奉公は大都にて、と決意したそうだ。


 いずれ、親衛隊長の座はヤルトミクに譲るつもりではあるが、「今、馬鹿タレどもを押し付けたら、あの堅物の胃に穴が開く」とよく零している。

 もっとも、愚痴られた方は「老将はその馬鹿タレどもの事を語っているときが、一番楽しそうなんだよな」と証言しているが。ファンも同じ感想だ。


 そんな二人の親衛隊長と比べて、月虎親衛隊サルンバル・ケシクの暫定親衛隊長オカルには、これと言った武勲がない。

 彼が月虎親衛隊唯一の千人長として就任できたのには、二つの理由がある。


 まずひとつ、彼は中軍コルの後方部隊…つまり、略奪部隊を率いる百人長を十年以上勤めていた。

 略奪部隊と言っても、町や村を襲うわけではない。

 先遣隊アルギンが敵を撃破し、中軍の主力部隊がとどめを刺したのち、敵の装備や糧食、馬や牛…そして敵兵が生きていれば確保するのを任務とする部隊である。


 そうして得た戦利品は、戦に参加したすべての兵に分配される。基本的には換金され、金銭という形で分配されるのだが、それをきっちりと行うのは大変に難しい。

 

 買取の商人と誼を通じてしまえば、相場よりもやや安く売りさばくこともでき、それを監督する書記官と結託すれば、帳面に記載される金額はさらに安くなる。

 とは言え、一回の戦闘で発生する戦利品の売却額は莫大なものだ。欲をかいて露骨な金額にしなければ、疑問も持たれにくい。


 そして、戦場を駆けまわり武勲を稼げる部隊に比べて、略奪部隊にその機会はなく、立身出世も望みにくいという面もある。

 それ故、略奪部隊が多少の差額を懐に入れたとしても、目を瞑るのが慣例になっていた。

 

 オカルはそうして得た金を、せっせと社交に使った。

 略奪部隊は儲かるが、一生ここで過ごすつもりはない。しかし、最前線で弓を持って戦うのはもっとごめんだ。彼は士官学校の出身ではあるが、入学できたのも卒業できたのも、実家の力が大きかった。

 安全で、しかし、名誉な立場。さらに、儲かるならなおいい。


 慎重に「仲良く」する相手は選んだ。十二狗将や万人長にはなるべく近寄らず、御史台の密偵が見つめているような高官も避け、国政を左右するような権力はないけれど、ある程度、人事に無理を言えるような相手。

 

 その投資が実ったことが、彼が月虎親衛隊に推挙されたもうひとつの理由だ。

 仲良くなった一人の貴族の紹介で、オカルは妻を娶った。その妻が、第二夫人トラキナの取り巻きの一人だったのである。


 妻はトラキナの従妹であり、年齢も近く、幼少期からトラキナの取り巻きだった。そのため、トラキナは絶対の信頼を置いている。

 見目が良いとか心根が優しいとか、そうした美点はあいにくひとつも妻になかったが、それを差し引いても、価値のある結婚だ。

 何せ、略奪部隊の百人長だったオカルが、親衛隊千人長に抜擢されたのだから。


 不安がないわけではない。オカルは略奪部隊とは言え、十年以上アスラン軍に在籍していた。

 それ故、トラキナや妻が「平民の子」と蔑む一太子、二太子が実際どのような立場であるか、おそらく月虎宮の誰よりも理解しているだろう。


 むろん、三太子ダヤンが次代アスラン王へと上り詰めれば、己が十二狗将となることだってありえる。軍人としては、最高の到達点だ。そうなれば…と妄想する瞬間がないとは言えなかった。

 しかし、それはない。絶対にない。そう断言できるほど冷静な分析も出来ていた。


 トラキナも妻も、勘違いしている。自分たちの振る舞いが許されているのは、決して実家や支持する貴族らを、王が恐れているわけではない。むろん、王の寵愛を得ているからでもない。

 わざわざ叱責し、粛清すれば貴族派が騒ぐ。

 貴族派が騒乱を起こすよりも、予算内で収まる程度の我儘ならば放っておいた方がいい。そう判断されたからだ。


 自分もその貴族派に属しているとはいえ、オカルは次代アスラン王が一太子トールになることも、その後、アスランの実力主義はますます促進していくであろうことも、理解しているし納得している。

 万が一、一太子が不慮の事故で身罷ったとしても、二太子が十分にその役目を受け継ぐだろう。

 

 だが、そうなっても別に問題はなかった。

 口を開けば罵倒か我儘しか出てこない妻との間に子を設ける気にはなれず、かといって他に妻を迎える事や愛人を囲う事は許されない。

 しかしそれは、己の子の先行きを心配しなくても良いという事だ。


 一太子も二太子も、貴族だからと言う理由で首を刎ねよと命じるようなお人ではなく、もしもオカルのやってきた横領が明るみに出たとしても、せいぜい将を解任されてアスラン軍から追放される程度だろう。

 横領は、略奪部隊を率いたものなら誰もがやっていることだ。オカルに重い罪を与えれば、その「誰」かがもしや自分も、と疑心暗鬼にかられる。

 報奨金が減った騎士兵士たちも、一人頭にすれば銅貨数枚程度の金額だ。不正を見逃したからと言って、騒ぎ立てる者はいない。

 

 いずれ、その日はやってくる。

 第二夫人派などと言うものはあるにはあるが、結局何の力もない。

 十二狗将の一人、六史台長の一人でも取りこめたわけではなく、ただ、自分たちは貴族だから優遇されるべきだ、と盲信する連中の集まりだ。

 三太子ダヤンか四太子テムルが九代となれば意味もあるだろうが、その可能性は無に等しい。


 どのみち八代大王が退位すれば、后妃でも九代大王の生母でもない夫人らに残る権力など、たかが知れている。

 そうなれば担ごうとする貴族もおるまい。王弟を担ぎ上げるより、十代大王の母か妻を自分の身内から出す方が余程実入りが良いからだ。

 今、トラキナを持ち上げている連中は、死骸を食い尽くした禿鷲の如く飛び散って、候補の娘を血眼になって探し、売り込むに違いない。

 現に今だって、そうしてそろそろと離れていく連中は多いのだから。


 だから、いつか、罪人に罰を与える雷帝の指が、自分を指す日は来ると思っていた。


 だが。だが。


 月虎宮の門前に現れた、黒を基調に赤を差し込んだ騎士服を纏う者たち。

 オカルの配下たる月虎親衛隊の騎士たちとは、纏う空気からして違う。この寒気の中、騎士服だけで外套を纏わずとも寒さに震える様子もない。


 (…今日、いきなりなんて、酷いですよ…雷帝様…)


 先頭に立つのは、朝日の髪を冬風に揺らす、ファン・ナランハル・アスラン。

 おおよそ三十人ほどの騎士を引き連れ、騎士らと同じく外套も纏わず傲然と立つその姿は、八代大王の生き写しだ。

 

 穏やかな性格で、弱腰とも揶揄される太子は、その顔に吹き抜ける風と同じ温度の感情を乗せていた。

 慈悲に縋ろうと手を伸ばせば、指が凍って砕け散る。


 「弟、三太子ダヤンに会いに来た」


 会いたい、でも、面会を望む、でもなく、「会いに来た」と告げる声は、やはり表情と同じ温度。

 無断で押し入っても構わないが、一応の礼儀として伝えただけだと、言外に告げる。

 その証拠に、羊の革で造られた長靴ゴタルを履く足は、再び歩みだした。従う騎士らも、無言のまま歩みだす。


 そのまま横を通り過ぎようとしたファンに、オカルはなんとか我に返った。慌ててファンの前方に回り込み、片膝をついて見上げる。


 「お、お待ちくださいませ!ナランハル!」

 「除け。ナランハルの御前である」


 命じたのは、クトラ特有の刺青を顔に入れた青年だ。彼が噂に聞く、紅鴉の守護者(ナランハル・スレン)か。鋭い目つきも、纏う気配も他の騎士たちと遜色ない。一太子の弟子と言うのは、真実のようだ。

 それに比べて、月虎の守護者を名乗る三人は…と内心にため息をつきかけ、オカルは騎士たちが何かを引っ立てていることに、そしてその「何か」が、今、内心に比べた三人であることに気が付いた。


 「ご無礼、申し訳ございません!ひ、ひとつお尋ねしとうございます!!」

 「この連中のことなら、罪は弟の前で説明する。寒いんだ。さっさとどいてくれないか?どうしても阻むというなら、俺も不本意な命を下さなきゃならない」

 

 涙と鼻水と唾液で顔を凍らせ、歩く体力もなく引き摺られていく連中の後ろに、自身の姿を想像して、転がるようにファンの前から移動する。


 その想像を打ち消すように脳裏に連呼するのは、報告を受けて思わず出てきてしまった自分の迂闊さだ。

 「紅鴉親衛隊が攻めてきます!」と叫びながら、警護に当たっていた騎士が飛び込んできたとき、自分がすべきことは一目散に逃げる事だった。


 間違いなく、あの連中は二太子の逆鱗に触れる行為をした。

 意味も理由もなく、凍傷で鼻がもげても気にしないとばかりに、顔を凍らせたまま連行するような非道を二太子はしない。

 二太子を怒らせるという事は、彼を溺愛する大王ちち一太子あにを激怒させるという事だ。

 その怒りは、面倒くさいことになりそうだから放っておこう程度の目こぼしを、取り消させるのに十分すぎる。

 

 守護者とその取り巻きの愚行は、オカルも連座する可能性がある。何せ、連中は書類上、月虎親衛隊の騎士なのだから。

 

 額づき伏礼するというより、力を失い俯せに倒れこみかけるオカルの肩に、手が置かれた。

 何とか視線を向ければ、にっこりと弧を描く口と、全く笑っていない垂れ目。


 「オカル殿はナランハルに敵意なく、快く我らを迎え入れた、と陛下にはお伝えしましょうね」

 「マ、マルコ将軍…!!」


 マルコの笑みは、優しさや気遣いなど一片もない。そう報告してほしかったら邪魔をするな、と釘を刺している。

 だが、善意だろうと悪意だろうと、オカルにできることは全力でそれに縋りつくことだけだ。


 「ただねぇ…こちらの親衛隊騎士がほら、上長であるあなたの意にそぐわないことをするなら、ね?ナランハルはただ、弟君にお会いしに参られただけなんですよ」

 「そ、そうですな!!ご兄弟の会合を、阻むなどあり得ませんな!!」

 「ですよねー。いやあオカル殿は心得られた方で良かった良かった」


 言いながら、マルコはオカルを引き起こす。

 緊張のあまり貧血を起こし、暗くなりかける視界を無視し、オカルは月虎宮に向き直った。

 一足先に薄闇に覆われた視界の先に、どうしていいかわからず、右往左往する騎士や侍従官の姿が辛うじて見える。


 「な、ナランハルがサルンバルにお会いになられる!ご案内を!!」

 

 案内も何も、月虎宮はすぐ目の前だが、混乱の最中投げつけられた命令に、誰もが飛びついた。


 「こちらにございます!!」

 「ナランハルがいらっしゃいました!!」


 ほんの三十歩ほどの距離を先を争って先導する騎士らに苦笑しつつ、ファンは頷いて見せた。

 弟とその母の覚悟を問うつもりではあるが、月虎親衛隊騎士や、侍従官らをどうにかしようなどとは思っていない。

 ただ、動きや判断のお粗末さに、彼らは正式に配属された騎士じゃないな、と溜息を洩らしたが。


 紛い物だけ集められた宮。

 そんな印象を拭いされないまま、ファンは開け放たれた扉をくぐった。


***


 同時刻。

 アスラン王国八代大王モウキは、金馬宮にある執務室にて、紅鴉親衛隊長であるアラカンの訪問と報告を受けていた。 


 「うーん…」

 「ナランハルよりの伝言はただひとつ。この一件、己に任せてほしい、と。それのみにございまする」


 普段明るい表情と笑みを絶やさないモウキの顔には、くっきりと苦渋が滲んでいる。

 しかし、それは決して三太子…己の三番目の息子の身を案じているからではない事を、アラカンは知っていた。


 己の血を引く子であっても、モウキが三太子に会うのは月に一度もない。

 第二夫人と王との間に、夫婦の情などと言うものは一切なく、もしもモウキが王でなければ、第二夫人は肌に触れるどころか、近付くことさえ拒否しただろう。


 彼女にとって、馬を駆り草原に暮らしたことのあるものは王族であろうと「野蛮人」である。

 そんな嫌な相手に嫁がねばならなかったことには些か同情はするが、それでも彼女は王の妻と言う座を狙った。子さえ産めば、平民出身の后妃は追放され、己が后妃になれると信じて。


 王も、しがらみで娶っただけの妻に関心は元からない。義務で子を作ったものの、やはり愛する妻が産んだ兄二人とは違う。

 それでも、しばらくは足繫く第二夫人のもとへ、そしてダヤンのもとへと通った。

 その行為を、第二夫人トラキナが受け入れ、共に赤子を育てていれば、元から情が深い王は息子を愛するようになったかもしれない。


 だが、トラキナはそれを拒否した。

 ダヤンを抱かせることすら拒み、近くにいる間は睨みつける。


 ダヤンが一歳を迎えたことを祝う生誕祭の日、モウキは初めて我が子を腕に抱いたのだが、それもお披露目の一時だけで、終わった瞬間取り巻き達が王の腕からダヤンを取り上げ、トラキナへと渡す。


 父を認識していないダヤンも、モウキに抱かれている間嫌がって泣き、それを見ていた重臣たち…そして后妃と息子二人も、複雑な表情を浮かべるしかなかった。


 それらを、アラカンは見知っている。

 これで第二夫人と三太子に対して情がないと責められても、モウキも困るだろう。 

 情を沸かせられるほど、一緒に過ごしてないのだから。


 「ファン君が傷付かないか、ちょっと心配だなあ」

 「傷付く、ですか」

 「あの子が自分でやるって言っているのは、私たちへの配慮でしょ?それに、ぎりぎりまで弟を信じたい、助けたいって言う…」

 「さすが、駱駝飼いは駱駝を知る、ですな」

 「にひひ、そりゃあ、そうさ!あの子がソウジュちゃんのお腹に宿った時から知っているんだもの!」


 にひーっと笑った口は、だがすぐに真一文字に結ばれた。


 「だからね。あの子はさ。今まで、ほんっとうにどうしようもない人間に会ったことってないから、心配なんだ」

 「…恐れながら、三太子が、でございますか?」

 「いいや」


 ふるりと首が振られ、朝日の色をした髪が揺れる。そろそろ白髪も混ざろうという年だが、元から淡い色の髪のせいか、老いを感じさせるものは見当たらない。


 「ダヤンは…子供だ。成長させてもらえない、可哀そうな子供だ。私を含めてね。無理矢理、あれから取り上げて、親父にでも預けるんだった」


 どうしようもなくても、母は母。

 母と子を引き離すのは…と躊躇っているうちに、時は無情にも過ぎてしまった。


 「もし、ファン君がね、弟を助けようとするのならさ。私のような非道な男でも躊躇った事をしなくちゃいけない」

 「恐れながら、申し上げても?」

 「うん。許すよ」

 「陛下が躊躇われのは、情ではなく、面倒だったからではございませぬか?」

 「見抜かれたか。まあね。すごい騒ぐだろうし、うるさいから。けど、それしかないんだよ。自分は息子を誰よりも愛している…それは間違いないけれど、その愛を毒にしかできない女から、中毒死寸前の子供を助けるにはね」

 「毒の愛、でございますか」


 モウキの口許に、再び笑みが宿る。

 だがそれは、暖かみのない、形だけの笑み。


 笑みの形に口許を歪ませたまま、モウキは頷いた。


 「ああ。私はそれに失敗した。その毒に両手を浸し、激痛に耐えてまで助けようと思わなかった。ならせめて、苦しんで死なないようにしてやるのが父親の務めかなって思っていたんだけれど」


 満月色の双眸は細められ、敵陣を見下ろすかのように鋭い。


 「ファン君。君がそれをやるというのか…」

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