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鳥には羽根 魚には鱗  作者: 阿古あおや
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甘やかされた子を立たせるのは、老いた牛を走らせるより難しい(親の甘茶が毒となる)8

 目立つのは好きじゃないし、かしこまった格好も苦手だ。

 けどまあ、今回は「目立つ」のが目的なんだから仕方ない。


 けれど、歩道に並び手を振ったり飛び跳ねたり、時には跪いて頭を手を合わせる人々を見ると…背中がムズムズするし、「ごめんなさーい!!」と叫んで、そのまま馬を駆けさせたくなる。


 いや、やらないけどね。


 乗り手(おれ)の羞恥と動揺を感じ取ったコロが、形のいい耳をこちらに向けて気遣ってくれる。うん、大丈夫だよ。走らせないから。


 コロ…正式名称コロスケは、俺の愛馬だ。 

 鉄道馬車を牽く馬に見劣りしないほどの体格と、艶やかな漆黒の毛並み。そして四肢の先だけが雪に染まったように白い自慢の愛馬。


 一昨日再会した時には、唇を震わせ、長い首を俺に何度も打ち付けて喜んでくれた。

 忘れられているはずはないと信じていたけれど、やっぱり実際に喜んでくれているのを見るとホッとする。

 

 ずっと一緒に旅をしてきた流星栗毛たちも、もともとうちにいた馬たちに挨拶を済ませ、まだ少し距離はあるけれど、群れの一員になれそうだ。

 アステリアへ戻る時、この子たちをどうしようか。現在のところ、悩み中である。


 前と同じく神殿に預けることはできるけど、寂しがるよなあ。一年ぶりに再会したコロの甘えっぷりを見ると、申し訳ない気持ちでいっぱいになるし。

 けど、あの定宿に馬を…と言うのは無理な話だ。ましてコロを連れて行ったら、確実に死人が出る。


 俺がいない間、コロは兄貴が世話してくれてたんだけれど、夏に大都の外で放牧していたら、馬泥棒に狙われたらしい。

 呼んでもこないコロを心配した兄貴が探しに行くと、頭を砕かれて転がる数人を見下ろし、ひどく憤慨しているのを発見したそうで。


 長城の中で遊牧ができるのはヤルクト氏族だけだ。

 どんな小さな子供だって、見つけた馬が誰かの馬なのか、はぐれた野良馬か、さらに世代を重ねて野生に戻った馬か判別できる。

 明らかに誰かの馬とわかれば、決して近付かない。まして、縄や棒を持って取り囲むなんて、絶対にしない。

 

 だから馬泥棒確定なんで、気の毒だとも思わないけど…なんでそんな馬鹿をしたのかなあと気にはなる。

 長城の外に出るには、門から出るしかないけれど、どう考えてもそこで捕まるよなあ。慣れていない、あきらかに嫌がる馬を連れていれば、基本のんべんだらりとしている兵士だって不審に思うし。

 

 まあ、後先考えないって点では、これから俺たちが釣ろうとしている三太子おとうとの守護者もどきも同じようなものか。

 

 そんなことをつらつら思っている間にも、歩道の人垣が厚みを増して伸びていく。

 別に無爪紅鴉旗もサリンド紋旗も掲げてないんだけれど、王宮から親衛隊に護衛されて出てくれば、「はい!今ここに二太子います!いますよ!」と宣伝しているようなもんだ。

 ちなみに、護衛の一隊十名は厳選なるくじ引きによって決定した。

 

 黄天餐館は小カーランの中心近くにある。王宮からは馬を駆って約一刻。昼前に出発して、時刻が前刻から後刻に変わる頃に到着する予定だ。

 その間、こうして注目を集めるのかと思うとしんどいけれど、アミールの仕込みを無駄にしないためにも踏ん張らないとな。


 三太子の守護者(サルンバル・スレン)と称するのは三人。

 本来、守護者スレンは同じ月に生まれたヤルクト氏族の子供がなる。

 弟のところの三人…全員名前が長く、聞きなれない感じだったので1号~3号で認識することにした…は、全員ヤルクト氏族じゃない。


 弟が生まれた時に、当然守護者候補も探されたし、二人該当者がいた…んだけれど、「獣塗れの不潔な平民を近付けるなんて!」と第二夫人がお怒りになり、それを聞いた親父も静かに怒って、守護者なしになった。

 下の弟たちも、それぞれの母上が第二夫人に倣って守護者を拒否したもんで、現在、ヤルクト氏族出身の守護者は親父のとこのホレイのおっちゃんだけだ。


 兄貴にも四人いたんだけれど、今は任命したウー老師とマルトさんの二人のみ。

 と言うのも、やっぱり守護者っていうのは向き不向きってもんがある。人格的にもそうだけれど、能力的に主について行くのが難しい、となる場合だってある。


 特に兄貴は、戦になれば最前線に出るし、敵は間違いなく兄貴を討つべく躍起になる。となると、最も危険なのは兄貴の周辺だ。

 親衛隊はアスラン軍のなかでも選りすぐりの精鋭だけれど、守護者はそうじゃない。本人がいくら努力しても、周りが助けても、どうしようもない「不足」が出てしまう時はある。


 ある時の戦で、兄貴の動きに守護者たちがついて行けず、それに気付いた兄貴が助けに戻り、もろとも包囲されかかるってことがあった。

 それで一人が命を落とし、残る三人と話し合い…守護者の任を、兄貴は解いた。

 とは言え、もっとも気の置けない存在であることは変わりないんで、三人とも兄貴の侍従官として仕えているけどね。

 

 で、そんなヤルクト氏族出身じゃない守護者1号~3号は、全員、第二夫人の生家に近い貴族の子弟だ。

 誰が聞いても知っているような大貴族ってわけじゃなく、四大氏族の名家ってわけでもないけれど、余程の大商じゃなければ敵対は避けたい。

 ものすごく媚びを売りまくって覚えめでたくなっても、それに見合うほどの利益は見込めず、かといって敵対すれば無事じゃすまない…となると、そりゃ、小カーランの長老たちも悩むだろう。

 

 とは言え、住人たちが被害を受けてもウダウダと情勢の見極めをしているのは、何やってんだと言ってやりたいところだが。

 

 「んでェ!!黄天餐館はァ、とにかく水餃子バンシュがうめぇんすよ!!」

 「ほう!そうなのか!」

 「っす!皮が超もちもちしててっすね!中の肉団子を噛むとォ、めっちゃ汁でてくるんス!!」

 「楽しみだ!山ほど食おう!」

 「俺ァ、前に食ったとき、二十個食ったんすよォ!もっと食いたかったんすけどォ、品切れちまってェ~」

 「今日はいくつあるだろうか!あるだけ食いたいものだな!」

 「俺も負けねェっすよォ!!」


 …なんか、ユーシンとジルカミシュは打ち解けたな。まあ、あれ食いたいこれ食おうって大声で話しながら進むのは、良い宣伝になるから、いっか。


 クロムは黙って俺の斜め後ろにて馬を歩ませているけれど、たぶん頭の中は美味しい水餃子をどうやってユーシンより食うかって事を熟考しているんだろなあ。

 一応、ユーシンとヤクモは今回お客様なんだから、譲ってやんなさいよ。


 空を見上げれば、太陽は中天に近い。まだ時刻的には正午じゃないけれど、冬の日はせっかちだからな。

 そろそろ、アミールの仕込みが始まるころか。


 密偵が月虎宮の使用人に変装して、守護者モドキに聞こえるように「今日、二太子が黄天餐館で昼飯食うんだって」って話をするってだけ…と言えば、それだけなんだけれど。


 食いつかなければ、食いつかなかったで黄天餐館の名誉回復は恙なく完遂できるし、親衛隊騎士を交替で小カーランに滞在させて、連中が騒ぎを起こしたら捕縛するって方針に切り替える予定だ。

 

 でも、できれば今回の一回で終わらせたい。

 小カーランは広い。親衛隊騎士を巡回させるにしても、どうしても穴はできる。さすがに、千人単位で送り込むわけにはいかないしな。


 それに、あまり長く時間をかけると、親父と兄貴に気付かれる。

 母さんには、委細を話してきたけどね。誤魔化せる気がしないし。

 

 もしかしたら月虎宮と全面対立になるかも…と言ったら、「第二夫人はともかく、ダヤン君はなんとかなんとか助けたいね」と難しい顔をしていた。だから、親父と兄貴を暫く抑えていてくれるだろう。


 ほんと、今日の空のようにすっきりと晴れ渡った結果になると良い、なあ。


***


 「ナランハル、千歳もうしあげます。この時を我ら一同、一日千秋の思いでお待ち申しておりましたわ!」


 黄天餐館は、中庭を囲む四つの房で構成された建物だ。

 それぞれの房からは、他の房は見えない造りになっていて、大きな広間になっている房と、それよりは狭い…とは言え、十分広々とした房が二つずつある、ようだ。


 俺たちが案内されたのは、そのうちのひとつ。一番奥にあり、他の房からは完全に隔離され、むしろ離れの一軒家になっている一室である。

 透明で巨大な、一枚の硝子で嵌められた窓の向こうには、奇岩と池を組み合わせた、カーラン式の庭が見える。春になれば様々な花が咲き誇るんだろうけれど、今はうっすらと雪化粧を纏っていた。


 昨日、確かに雪は降ったけれど、こんなふうに残るほどじゃなかったよなあ。

 となると、わざわざ雪をためておいて、こうして庭の飾りにしているんだろう。


 卓や椅子は黒檀が用いられ、いかにも高価そうだ。

 それらがあるって事は、足の甲まで埋まるような毛足の長い絨毯が敷かれているけれど、床に座ったりはしないらしい。


 もっと俺の身長くらいある絵付きの甕とか、墨痕鮮やかな掛け軸とかがあるかと思ったけれど、目を引く調度品はたった一つ。見事な大輪の牡丹が生けられた、漆黒の壺だけだ。

 牡丹は冬に咲く品種もあるけれど、大都じゃ寒すぎて難しい。こちらもわざわざ、調達してきたものだから…この牡丹一輪で、たぶん俺らのアステリアでの生活費一月分くらいはするな…。


 「ナランハルは、草木にも造詣が深くていらっしゃるとお聞きいたしました。お目を穢さないですんだのでしたら、僥倖にございます」

 「いや、見事な牡丹で…だな。深い赤が美しい」


 園芸種は、あまり知らないんだよね。なにせ、人が作り出した種だからして、俺が分類しなくても、最初から何目の何属ってわかってるし。


 俺らを出迎えて、この部屋に案内してくれた女性の髷にも、絹で造られていると思われる牡丹が飾られている。

 生けられた牡丹の色は落ち着いた深い赤だけれど、彼女を飾る牡丹は、目に刺さるような鮮やかな赤だ。身に纏うカーラン式の着物も、同じ色をしている。

 肩から腰辺りまで同じ幅の堂々たる体躯に、その鮮やかな色彩は似合っていた。


 席に着いた俺たちに、即座にお茶を用意してくれた給仕の女性たちは、もっと落ち着いた淡紅の着物だ。だから、彼女のそれは黄天餐館の制服とかじゃなく、本人の趣味なんだと思う。


 でも、黄天餐館の主人って、おじいちゃんよりのおっさんじゃなかったっけ?

 マルコが「おっさんに縋られるのは、同じおっさんとしてきっつ…」ってぼやいてたし。

 

 着いた卓は円卓で、何処が上座とかはない。カーランはアスラン以上にその辺厳しいから、たぶんマルコの指示でわざわざ円卓にしているんだろう。

 俺の右隣にクロム、左隣にユーシン、ヤクモ、シドって配置だ。マルコとジルは騎士たちと一緒に別卓を囲む。卓は全部で三つだ。

 

 そっちの卓に着く前、マルコがするりと俺の耳に口を寄せた。


 「あの女性、確かここの主人の娘です。なかなかのやり手だとか。別館を作ったのも彼女だったかと」

 「そうなのか…」


 俺達の声が聞こえたわけじゃないだろうけれど、若女将…でいいんだろうか?世代交代済みって感じだが…は、ゆるりと腰を折る。


 「ナランハル。お詫びが遅れまして申し訳ございません。本来ならば黄天餐館の長たる父が御前に参らねばなりませんが、昨晩、急な病を得まして…」

 「そうなんで…あー、そうなのか。いや、無理を申したのはこちらだ。御父上には養生を。あなた、あー、いいか。あなたが案内してくれることに、何の不服もないから」


 王子らしくなんてのを一年サボってるとね、ほんと無理になるんだよ。うん。

 無理に王子っぽくしゃべろうとすると襤褸がでるし、ヤクモが頬を膨らませて笑い堪えてるし、シドがそれ見て肩を大きく振るわせて俯いちゃったから、やめとこ。

 食べているときに、笑いの発作が起こると大惨事になるからね!だから、これは客人を思いやる行為って事で!

 

 若女将は俺の口調が変わったことに表情一つ変えず、「寛大なお言葉をいただけて父は果報者にございます」と嫋やかに腰を折った。

 さっきから俺の表情や何かで、気になったこと、疑問に思ったことを的確に摘み取り、答えてくれる。相当なやり手ってのは、評判だけじゃないな。


 …本当に、ここの主人が急病なのかはわからないけど。それにしちゃ、従業員の皆さんが落ち着き払っている。

 まあ、そこは触れないでおこう。急病だろうと、『急病』だろうと、俺たちの作戦に変更はない。


 「それでは、まずは茶で喉を潤してくださいませ。しばし、御前より失礼いたします」


 長い袖を持ち上げて顔を隠し、深々と頭を下げたのち、若女将はしずしずと下がっていく。扉の前で再度一礼し、音もなく房から退出した。


 それを合図に、給仕の女性たちが俺たちの前に茶杯を置いていく。

 こういうところで出されるにしては、杯がでかい。カーラン料理の高い店の茶って、三口くらいで飲めちゃうようなちっさい杯で出てくるもんだけど。

 喉は乾ききっているから、いっぱい飲めるのは嬉しい。それを見越して用意してくれたのかもしれないね。ありがたい。

 その大きなとろりとした黒の杯に、一滴も飛ばさずに茶が注がれる。透き通った黄金色の茶からは、ほんのりと柑橘系の香りが立ち上っていた。


 全員に茶を配り終えると、給仕の女性たちも一礼し、退出していく。身内だけで気兼ねなくお喋りしてくださいね、という配慮だな。


 杯を持ち上げてみると、中を満たす黄金色の茶は思ったよりずっと温かった。室内は上着も脱げるほど暖かいから、このくらいがちょうどいい。

 口に運べば、外の乾燥しきった空気に耐えてきた唇と咽喉を柔らかく滑っていく。

 味はほのかに甘く、飴を舐めているように咽喉を潤してくれる。金柑の蜜漬けなんかを一度入れて、取り出しているのかな。

 その取り出された蜜漬けがどうなったか気になるが、茶自体は文句なしに美味しい。


 茶を楽しみ、咽喉を潤すことしばし。

 杯から口を離したヤクモが、ふぅわ~っと溜息をついたのち、言葉を続ける。


 「すっごいお部屋だねぃ…ユーシンの部屋と同じくらい、お金かかってそう…」

 「そうだなあ。間違っても普段の靴でこの絨毯の上を歩きたくないな。罪悪感で夢に見そう」

 「わかる」

 

 ヤクモだけでなく、シドもうんうんと頷いている。クロムも落ち着かない感じだ。

 一番気にしてないのはユーシンで、茶の味が気に入ったようだ。湯飲みを口に当てさかさまにして、底を叩いている。やめなさいて。


 「ユーシン殿下、よろしければ、おかわりを頼んでまいりましょうか?」

 「うむ!この味、俺の好きな味だ!」

 

 そのポポポポン、と言う音を聞きつけたマルコが腰を浮かせた。同時に、横に座っていた騎士が立ち上がり、此方に一礼して扉の方へと足を向ける。

 おそらく、その扉…布じゃなく、ちゃんと重厚な木の扉だ…の先には、すぐに対応できるように誰か控えているんだろう。

 マルコは騎士に注文を任せ、座りなおした。顔はこちらに向いたままだ。


 「しかし、驚きました」

 「あれ?マルコは前に来たことあるんだろ?」

 「三回くらいありますね。って言うか、昨日話を持ってった時、この部屋でおもてなしいたしますって、ここにも案内されたんですよ」


 マルコの垂れ目は、部屋の隅々を見分していた。昨日も来たなら、この高級感漂いすぎている卓やなにかも、見たんじゃないのか?驚くとこってどこだろう。あの牡丹とか?

 

 「昨日はもっと、調度品や掛け軸なんかがありましてね」

 「馬鹿が壊すかもって、片づけたんすか」

 「それどころか、卓も椅子も、絨毯ですら別物になってるんだわ」


 え、卓まで?

 まあ、乱闘になるかも知れないから、壊れてもいいものにしとくのは理にかなっていると思うけれど…これ、絶対に壊しちゃダメなやつじゃないか?ものっすごくお高そうだけど…。


 「たぶん、ナランハルがお考えになっているのと逆です。昨日見たものより、より良品になってますね。この卓どころか椅子一脚買うのに、おじさんの一年分の給金が必要になりますよ」

 「…ヒェ…」


 か細い悲鳴は、俺とヤクモ、どっちの口から洩れたものか。

 え、どうしよ、座っちゃったよ。今からでも、絨毯に座りなおした方がいい?いや、当然絨毯だってとんでもない値段だよなあ…!?


 「とりあえず、落ち着いて座っててくださいな。それだけ、店の方は気合い入れてるってことです。気付いてます?調度品も、生けられている牡丹も、黒を基調に赤を差し込んでいる。紅鴉の配色です」

 「あ、言われてみれば…」

 「おそらく、あのご令嬢の采配でしょうね」


 凄まじいの気合いの入りようだ。しかも、それを匂わす程度にも口にしない。

 ここの主人がどんな人かはわからないけれど…今回の事を仕切っているのが、若女将さんの方なら、この店の次代は安泰だ。間違いなく。

 

 「失礼いたします。お茶のおかわりをお持ちいたしました」


 柔らかな声と共に、給仕の女性が入ってくる。

 手に持つ盆は、艶やかな黒漆器。その上には、銀色の瀟洒な薬缶が置かれている。たぶん、薬缶って言うんじゃないんだろうけれど、形状的には薬缶だ。

 口は細く、胴体もしゃなりとしているし、取っ手にはなんか、銀の小鳥がいるけれど。…次にこういうところに行く前に、この薬缶が本当はなんて言うのか調べとこ。

 ヤクモに聞かれて「薬缶」って答えて間違ってたら申し訳ないからな。


 「もうすぐ食事かな?」

 「はい。間もなく、最初の一品をお持ちいたします」

 「なら、おかわりは希望者だけで。大変美味しいけれど、甘い茶は食事にそぐわないと思う者もいるのでね」

 「かしこまりました」


 マルコの言葉に、給仕の女性は視線だけを巡らせた。希望者はそっと目配せするとか、杯を軽く持つだけで良いようにしてくれてるんだけど…


 「俺は貰うぞ!」

 「ねーちゃん、俺もおかわりだぜェ!」


 酒場で麦酒をもう一杯!ってんじゃないんだから。

 でもまあ、分かり易くていいか。


 「ヤクモはどうする!」

 「ふぇっ…?!あ、ぼくも、いただきますっ!」

 

 急に振られて、おずおずと手を挙げようとしていたヤクモから、跳ねあがった声が出た。

 給仕の女性は柔らかく微笑み、頷いて、まずはヤクモの杯を満たす。


 「あ、あいがとございます!あの、あの、お茶、とっても美味しいです!」

 「お気に召していただき、光栄にございます。よろしければ、お土産にこの茶をお持ちになられますか?」

 「え、えと!」


 ヤクモが焦りつつこっちを見てくる。たぶん、無料だと思うけれど、有料でなおかつ俺が内心血反吐吐くような値段だったとしても、これは持ち帰って皆にも飲ませてあげたいなあ…。


 「この茶、果物の蜜漬けが入っているん…かな?」

 

 いるんですかね~と言い掛けて、辛うじて止まる。給仕の女性は、俺の変な口調を礼儀正しく聞き逃し、頷いた。


 「はい。金柑の蜜漬けを。そちらも是非、お持ち帰りくださいませ」

 「ありがとう。楽しみが一つ増えたよ」


 兄貴、甘いもの好きだし、きっと喜ぶな。

 ナナイたちにもいいお土産になる。アスランの冬はアステリアよりはるかに乾燥しているから、ちょうどいい。


 …ガラテアさん、甘いお茶どうなのかな。

 つい、視線が動いてシドを見てしまう。あ、目があっちゃった…。いや、そんな、意味ありげに笑って頷くなよう…!

 と、とにかく、茶も蜜漬けも、ありがたくお土産にしてもらおう。ちゃんとお金払って!

 これでただで貰っちゃったら、なんか、せびったみたいだし。


 「マルコ、もし、支払いを拒否されたら、紅鴉府からなんかこう、返礼品をよろしく」

 「ほいほい。お任せを」


 こういう時、マルコはとても頼もしい。

 そんな頼もしい部下を持ったことの喜びと共に茶を飲み干すと、扉が開いて皿を捧げ持つ人々と、若女将が入ってきた。


 各自の前に置かれていくのは、さすがに白を基調とした皿だ。まあ、黒も赤も、盛り付ける料理を選んじゃうし、黒檀の上じゃ見えにくいものな。

 潔いほど無地の白い皿に、小さな蒸篭が置かれ、蓋が外される。

 

 湯気と芳香が立ち上り、その下から現れたのは…牛の第二胃、蜂巣胃だ。


 「沙茶金銭肚にございます。牛の胃を茶で蒸しあげております」

 

 アスラン料理だと煮る食材だけど、蒸してあるのかあ。ぷるぷるつやつやで、いかにも美味しそう。


 「美味しそうだ。ただ、酒が欲しくなっちゃいそうだね」

 「ご所望とあらば、もちろんお持ちいたしますわ。僭越ながら、これからお出しいたします料理に、良く合うものをご用意いたしております」

 「あまり強くないものなら、いただこうかな」

 「アステリア産の赤葡萄酒にございます」


 アステリア産かあ…。俺が一年間、何処にいたか知っているはずはないと思うんだけれど。

 でも、それならそれほど酒精は強くない。クロムもそわついているし、出してもらっちゃおう!


 「では、頼む」

 「はい」


 にっこりと微笑んだ女将が、いつの間にか手にしていた鈴を震わせると、すぐに

硝子の瓶子を盆にのせた給仕の人が入ってきた。

 手際よく置かれていくのは、夜光杯。アスランとカーランの北部国境近辺で採れる玉を彫って作られた杯は、葡萄酒…特に赤葡萄酒を飲むのに最適とされる。


 「では、改めて。大アスランの繁栄に翳りなし!」


 酒杯をもって、宣言する。指で酒を弾いて天地にもおすそ分けするのが正式なんだけれど、ここでそれやったら、高い卓や絨毯を汚しちゃうからな。

 もともと、建物の中でやる時は、省略することも多いしね。


 「大アスランの繁栄に翳りなし!」


 皆が声を合わせて唱和する。ヤクモとシドもちょっと遅れながらも加わっていた。

 全員気にしないような気もするし、実際ユーシン食べ始めちゃったけど、俺がさっさと箸を出さないと皆食べ始めにくいよな。

 

 皿と一緒に置かれた箸を伸ばし、ぷるぷるの蜂巣胃を摘まむ。添え物は何もない。

 内臓は基本的に脂が多く、こってりしているものだ。けど、お茶の風味が移っているからか、臭みやしつこさは全くない。味付けは塩だけど、実に絶妙だ。


 それでもやっぱり、口の中に脂は残る。そこに葡萄酒を含むと…あーこれは、止まらなくなるやつだ。

 ただ、幸いにして、沙茶金銭肚は全部で十切れも入っておらず、葡萄酒を一杯飲み切る前に無くなってしまった。うん。良いんだ。良かったんだ。いきなり最初の一品を食い続けて、酔っぱらいを量産するよりさ、よほどいいじゃないか?


 左右のクロムとユーシンは、じっと見れば蒸篭の底からまだ食べてないのが見つかるんじゃないかってくらい、空っぽになった蒸篭を凝視している。そうだよなあ。牛一頭ぶんくらいのこれを真ん中に置いて、酒飲めたら美味いだろうなあ…。


 いや、だから、これからだ。うん。これから!

 俺の迷いを吹き飛ばすように、次から次へと料理が運ばれてくる。


 黄天餐館はルグン料理を中心に出す店だ。

 ルグンは、カーランの都カイフォンがある地方で、湖沼が多く家鴨や淡水魚を使った料理が多い。やや寒冷な気候は米作には向かないんで、主食は小麦と糯米だ。

 そして、さっきの沙茶金銭肚のように、素材の味を生かすため、味付けは最小限にするのが極意、らしい。

 この黄天餐館の筆頭厨師ともなれば、塩一粒単位で味を決めるとか。


 その極意を、俺たちは大いに楽しませてもらった。

 味付けの妙は勿論、ルグン料理のもうひとつの特徴である、精緻な包丁捌きに関心したり、盛り付けの美しさにどよめいたり。


 惜しむらくは量が少ないことくらいだけれど、それを不満と思えないほど、次から次へと料理が運ばれてくる。

 特に、小さな一人用土鍋に入って出てきた清湯馬蹄鼈すっぽんのスープは、どうやったらこんなに澄んだ汁になるのかと首を傾げるほどに透明で、なのにがっつりと味がついている。当然ながら、ものっすごい美味い。


 鼈を始めて食べるだろうヤクモとシドは、最初は微妙な顔で箸をつけていた。まあ、そもそも、鼈の形状がわからないだろうしな。

 けれど、二口目からは早い早い。空になった土鍋を哀しげに見つめるほど、美味かったようだ。


 すでに八品ほど出てきているけれど、ジルが二十個食べたという水餃子や、ルグン料理と言えば…!なアレは出てきていない。

 出てきた品は全て欠片も残さず食べ尽くしている。全部ものすごく美味しいけれど、弟の口には合わなかったんだろうか。

 大人が食べて美味しいものが、子供にも美味いとは限らないものなあ。…十歳の俺が同じものを食べたら、やっぱり今と同じ状態になったな。うん。

 あの子はすごい甘やかされているようだから、好物以外は不味いってなっちゃうのかもしれない。


 空になった土鍋が下げられていくのを見ながら、そんなことを思う。

 土鍋を追って視線を動かせば、クロム達も別卓のマルコ達も、皆ご機嫌な笑顔だ。美味しいものを食べれば、自然とこうなる。

 ダヤンも、ちゃんと好物を食べれば、こんな顔になっているといいな。

 

 「お待たせいたしました!烤鴨にございます!」

 「おおお!」


 つらつら続いた思考は、嗅覚を直撃する香ばしい匂いで強制的に中断された。

 誇らしげな若女将の横から、銀のでっかい盆を持つ厨師らしい人が入ってくる。さらにその後ろから、小さめの単脚卓を持った人、長い包丁を持った人…と続く。


 盆は三つ。つまり、卓ごと。

 卓の横に単脚卓が置かれ、その上に銀の盆が乗せられた。

 最後に、若女将と共に歩み寄ってきた厨師の手には、つやっつやに照る一羽丸ごとの烤鴨が鎮座する大皿。

 一度丸ごと蒸された後、秘伝の調味料をすりこまれ、じっくりと炙り焼きにされた家鴨は、皮はパリパリ肉はしっとりと柔らかく、ルグン料理の代名詞ともいえる。


 烤鴨の乗った皿を、厨師は単脚卓に降ろした。頭に巻く布が、二人だけ黄色いから、おそらく上位の厨師なんだろう。

 上厨師は俺たちに向けて深々と一礼すると、差し出された包丁を受け取った。

 そして、鮮やかな手付きで烤鴨の皮を削ぎ取っていく。


 削ぎ取られた皮は、銀の盆の上に積み上げられる。丸ごとな上、染み出た脂で滑るだろうに、包丁捌きに遅滞はない。あっという間に烤鴨は皮のない肉だけの状態になった。


 俺たちの前に、各自二枚の皿が置かれていく。

 一枚は何もなく、一枚には薄餅…小麦粉を溶いて薄く丸く焼いたものが、花弁のように重なっておかれている。

 烤鴨の皮はこれに巻いて食べるんだけれど、普通はこれに甘醤あまみそも付いてくるもんだが…ないな。


 空の皿の上に、剥ぎ取られた皮が乗せられた。近くで嗅ぐと一層香りがヤバい。絶対に美味いよ!と嗅覚が大興奮する。


 「その、肉の方はどうするのだ?」


 皮が配り終わるのを必死に待っていると、ユーシンが口を開いた。その天色の視線の先には、すっかり皮を剥ぎ取られて白くなった烤鴨がいる。


 「この後、塩炒めにしてお持ちいたします」

 「む、そうか!それも旨そうだが、このまま齧り付けるのかと思った!」


 いやなに独占しようとしてるんだ。守護者モドキの前に、クロムと乱闘になるじゃんよ…。


 「確かに!グワーッと行きたいっすねェ!ユーシン殿下!」

 「うむ!ジルカミシュ殿もそう思うか!」


 残念なことに、隣国の王子に恥をかかさないようにしているわけではなく、ジルは本心からグワーッと齧り付きたいんだろう。

 どうする?一発ずつこいつらの頭に拳骨落とすか?

 

 悩んでいると、若女将が深々と頭を下げ、そのまま声を絞り出す。


 「大変に申し訳ございません。本日、ご用意いたしました烤鴨は五羽だけなのです。皆さま御一人ずつに数が足りず…」

 「あ、いえ、一人一羽を食べきれるのはこいつらくらいなので、十分です!むしろ、五羽も用意してもらったなんて…って言うか、頭を上げてください!」

 「何と寛大な…それでしたらナランハル。半羽にいたしまして、ユーシン殿下とジルカミシュ様にお出しさせていただきましょうか?」

 

 めっちゃ目をキラキラさせてこっち見んな。

 まあ、ここで「いえ、我慢させますんで!」とは言えないよなあ。 


 「ヤクモも食べる?」

 「ぼくはこの後のお料理も食べたいからいいや。お腹いっぱいになって最後まで食べられなかったら、十年くらい思い出すたびにすっごい落ち込む」

 「だよなあ。クロムは食べるよな。シドは?」

 「…もらえるのなら」


 控えめに言っているけれど、シドの目は獲物に襲い掛かる狼のようだ。クロムは当然って顔をして頷いている。


 「でしたら、こちらに三人分。あとはジルに半羽を」

 「御意に」


 なんとなく若女将も、厨師さんたちも嬉しそう。俺も料理作るからわかる。もっと食べたいいっぱい食べたい!って言われるのは、何よりの賛辞だよなあ。

 とは言え、限度ってものがあるんで、予算以上に強請られたら却下するけど。

 

 最初の三羽のうち二羽を、上厨師さんがこれまた鮮やかに両断する。じっくり蒸され炙り焼かれて骨も多少は柔らかくなっているだろうけれど、それにしたってすごい。


 少し大きめの皿が、元から決まっていた流れかのように出され、半身になった烤鴨がドドンと置かれた。近くで見ると、本当に見事な家鴨だし、切断面だ。

 内臓は全部出されているんだな。前半に出てきた料理の中に、肝を揚げたものと水掻きの冷菜があったから、他の部位も何かに使われているんだろう。


 そして、お待ちかねの烤鴨の皮。もう食べていいよな。薄餅に皮を乗せ、くるりと丸めて…齧り付く!

 途端に口の中にあふれ出る、家鴨の脂と塩だけじゃない、様々な香辛料の味わい。

 

 何かの味が強すぎるという事はなくて、全ての味が「これが正解」と言う強さで混在している。

 それは、鈴屋のすまし汁のバランスにも似た、極限の引き算が生み出す味わい。


 「お、おいっしい!」

 「百羽分でも食えるな!ユーナンにも食わせてやりたい!」

 「…ファン、できるだけ早く姉さんを誘ってくれ。こんなうまいもの、俺だけ食べたと知れたら殺される…」


 さ、さすがに殺しはしないと思うけれど、腹いせに殴るくらいはしそうだよなあ…。

 ちらりと若女将を見ると、地上に獲物を見つけた鷲の眼光を一瞬宿し…すぐに柔和な微笑みに変えて、俺の言葉を待つ。


 「あー…時に、黄天餐館は、いつから店を開けるん…だろうか?」

 「父の病状によりまして…はっきりと申し上げられず、申し訳ございません」

 「そうか…別館の方もかな?」

 「別館は、当分の間は予約をいただきましたお客様のみとさせていただきます。ですが、料理は同じものをお出しさせていただけますわ」

 「うん。母さんが女子会をやりたがっているんで、予約を取りたいんだけれど…いつが一番早いかな?」


 俺の言葉に、若女将の目が再び鷲になった。

 まあ、母さんはこの国の后妃だしね。自分でいうのもなんだけれど、二太子おれよりもさらに賓客だ。

 后妃が使った皿を特別料金でお出しします、なんて囁けば、その為に金貨を払う客がいてもおかしくない。そのくらい、后妃ソウジュは国民の人気を集めている。


 「后妃様のご都合のよろしいときに。たとえ明日の朝でも…いえ、今晩でも、ご用意させていただきます」

 「ありがとう。明日、いつにするか遣いを出しますね」


 もう、いいや。素で話そう。この人に取り繕っても、絶対に見破られる。


 「あー…それと、俺もその、もう少し狭い部屋でいいんで、予約を取りたいん、だけども」

 「もちろんナランハルがお望みになられた時に」


 なるべく早く、が良いよなあ。

 けど、いかに別館と言えど、それなりの服装をしなきゃいけないわけだし。


 「まずは、着ていく服を買いに連れて行ったらどうだ…と言いたいが、お前が選ぶと悲惨なことになりそうだしな…」

 「クロムもそう思う?俺もなんだ」


 クロムの皿の上にあったはずの半身は、もうほとんどない。齧り付くんじゃなくて、ちゃんと添えられた短刀で削ぎながら食べているんだけど、早すぎない?


 「しかし、姉さん本人に選ばせても、悲惨なことになる予感しかしない」

 「前途多難だな…」

 「ファン以外の人に選んでもらったらいいんじゃないのぅ?」

 「そうだなあ…あ、ナナイたちに頼めばいいか!」

 「無難じゃないか?ニル姐じゃ、少々不安だしな」


 ニルの基準は「可愛い!」だからなあ。似合わない、妙な服は選ばないだろうけれど、似合っていてもなんか珍妙な恰好にされそうだし。


 前途に控える巨大な問題は、とりあえずナナイに頼み込むことでどうにかなりそうだし、目の前の美味を楽しもう。

 たっぷり五羽分の皮は、もう残り少ない。名残惜しいが、次に出てくるらしい、家鴨肉の塩炒めも気になる。

 あいつら、半身分肉を多く食べているんだし、皮を少しくらい欲張ってとっても、無罪だよな。


 そう思い、残り少ない皮へと箸を伸ばし、同じように伸びてきた箸と熾烈な戦いを繰り広げ、なんとか一枚くらいは想定より多く口に運べたと、やり切った感と共に最後の一口を噛み締める…そんな、幸せな時間にそぐわない音を、耳が拾った。


 横でクロムも、ユーシンも反応している。そんな二人の変化に、ヤクモとシドも気が付いた。

 騎士たちの卓では、ジルがやはり音のした方をじっと見ている。


 「おやめください!!ナランハルがお食事中にございます!」


 悲鳴のような声に、若女将さんがぐわりと扉の方を見た。

 もし、「訪ねてくるもの」がいれば、気にせず通してほしいとは言ってある。


 けれど、それでも阻止しようとしたんだろう。今度は間違えようのない悲鳴と、何かが割れる音…そして、何を言っているかわからない喚き声と足音が近付いてくる。


 「皆さんは、部屋の隅に」

 「お言葉ですが、ナランハル…!」

 「ここに今いるのは、全員、冒険者か騎士なので。厄介ごと、危ないことはお任せあれ!ですよ」


 若女将は赤く塗られた唇を引き締め、大きく一礼し、厨師さんと給仕のみなさんを促して部屋の奥…扉から一番遠い場所に下がってくれた。

 

 制止の声を振り切り、嘲笑うように扉が大きく開けられる。その向こうに、足を不格好に上げた奴がいたから、蹴り開けたらしい。


 「無礼者!ナランハルの御前にあるぞ!」


 マルコの声が飛ぶ。飛ぶけれど、いつもの敵や騎士たちを叱咤するときの、背筋をばっしんと叩くような厳しさはない。

 ここで「あ、すいません…」ってしおしおと引き下がられたら、こっちも「うん。次からは気を付けてね?」ってなっちゃうから、わざとだろう。


 「だからぁ?」

 「俺らは月虎の守護者(サルンバル・スレン)。三太子の代理人だぞ?騎士風情が無礼だぞ」


 そう言って、ゲラゲラと笑いあう。聞いていた通り、不快な連中だ。

 けれど…予想と違うのは、その顔。


 おさない。

 

 そりゃ、十歳の弟の守護者なわけで、三十代四十代なわけはないけれど。

 身長なんかから推測すれば、たぶん、ヤクモと同じくらいだと思う。むしろ、ヤクモの方が、身長そのものは低い。


 けれど、ヤクモの顔は「大人」になりつつある。

 守られ、甘やかされる子供から、守り、支える大人の顔に。

 

 連中の顔には、その成長が全く見られない。

 だから、図体の割にやけに幼稚おさなく見える。

  

 そして、もうひとつ予想外だったのは、その人数。

 守護者モドキは三人のはずだが、さらに六人ほどくっついてきていた。

 どいつもこいつも、同じような顔だな。


 こういう顔にどうすればなるのか、俺は知っている。残念ながら、士官学校でも見たからね。

 まあ要するに、甘やかされるだけで、何も教わってこなかった、知ろうともしなかった人間の顔だ。


 「わざわざ、ナランハルに挨拶しにきたんですよ~。なあ?」

 「そうそう。ずいぶんとがつがつ食ったんですねえ?三太子のお口には合わなかったのに」

 「ほら、カーラン人の血がさ、ナランハルには流れていらっしゃるから」

 「ああ、なるほどな。カーラン人の、なあ…」


 お前らだって、舐めるように食い尽くしたって聞いているけどな。

 確かに俺の母さんはカーラン人だが、別にそれがどうした。悪口にもならないぞ。嫌味のつもりでねちねちと言っているようだけど。


 しかし、この程度じゃ、不敬罪適用にはちょっと弱いな。あ、ユーシン達をもてないしているのに、乱入してきた時点でいけるか?

 

 「それに、見ろ。アレが、ナランハルの守護者らしい」

 「ああ、なるほどなあ」


 なるほどって言いまわし好きだなお前。

 連中の嘲笑を含んだ視線は、クロムに向けられている。


 当然ながら、クロムの顔からは感情が消え失せ、硬質な無表情だけが覆っていた。

 いきなり駆け寄って殴り飛ばさないのを褒めてやるべきだな。ごめん、クロム。もうちょっと我慢してくれ。

 やっぱり、俺本人をがっつりと侮辱させるのが一番いい。一番あとくされなく、不敬罪適応できる。


 「やっぱり、平民の血が入っていると、平民がお好みらしいな」

 「どうやって取り入ったんだか。ま、わかるがね」

 「あの御年まで、お二人そろって妻帯されていないものな」

 「クトラの山猿でも、尻を使った芸くらいはできるってことだロッ…!?」


 べき、と言う音と、ぐしゃっとした感触。

 それが意識に届いたことで、俺は自分が立ち上がり、駆け寄り、にやけているツラを張り飛ばしたことを自覚した。


 「…俺のことを、カーラン人の血がどうとかいうのは、ただの事実だ。咎める気はない」


 こんな子供相手に、大人げない。

 冷静な部分が首を振るけれど、ちゃんと手加減して頬を張る程度にとどめたからな。

 うん。これはもう、褒められるべき忍耐力だ。

 だって、こいつらは、俺の守護者(クロム)を侮辱したんだから。


 「だが、俺の守護者を侮辱することは絶対に許さない」


 頬を張られてふっとんだ守護者モドキは、取り巻き三人を巻き込んで床に倒れ伏し、顔を抑えて震えている。

 

 「おい!手を見せろ!!」


 その様子を「あ、やっちゃったなあ」と見ていると、殴った右手をグイっとひかれた。

 振り向くと、焦りまくったクロムの顔。


 「大丈夫。痛めてないよ。歯で切ってもいない」

 「それなら良かったとでも言うと思ったか!万が一、お前がこのクソのどっかの部分で怪我でもしたら、どうするんだよ!!」

 「あー…ごめん。つい」

 「ついじゃねぇ!!何のために俺がいると思ってるんだ!」

 「うむ!まったくだ」


 続いて聴こえたのは、くぐもった悲鳴。

 身体ごと向いてみれば、ユーシンが微笑みを浮かべて、「なるほど」が好きなやつの首を掴んで持ち上げている。

 いつもなら殴り飛ばしていそうだけれど、これも手加減の結果かね。それとも、こないだモウスルで、親父がならず者を掴み上げていたのを真似しているんだろうか。


 「クロムは意地悪だし、下種だ!だが、生死の境目まで鍛え上げた事。そしてファンに対する忠義は、まことだ」


 ぶん、と無造作に放り出す。こちらは取り巻き共もなんとなくわかっていたのか、慌てて避けたせいで床に叩きつけられた。


 「そして、クトラの戦士としての誇りもな。それを侮辱するのであれば、死を覚悟しているのだろう?」


 ここに至って、連中はようやく理解したようだ。

 自分たちが怒らせた相手が、自分たちを甘やかしてくれないって事と、その立場を。

 

 「な、ナランハル!その、その、気、気に障ったのなら、ええ、ええと!」

 「申し訳ございません!!ちょ、ちょっと、ふざけただけなんです!!」


 取り巻きの一人が、その場に蹲り、額を床にすりつける。モドキ1号の巻き添えになって藻掻いているのを除いた残りが、慌ててそれに倣った。

 顔を赤くしたモドキ3号…という事にしておく。ユーシンに投げられたのが2号だ…は、自分たち以外に跪く取り巻きと俺を交互に見ながら、まだ「ええと、ええと」と泡と共に口から漏らしていた。

 謝るって事を、どうやっていいかわからないんだろうな。


 「ふざけてましたで済むならよォ…騎士も衛兵もいらねェよなコラ」


 口火を切った取り巻きの横に、いつの間にかやってきていたジルがしゃがみこんだ。

 唇を半分捲り上げ、これ以上ないくらい眉間に皺をよせ、がっしりと床に額ずく取り巻きの頭を掴む。


 「クロっちはよォ…俺のダチ公なんだよォ。あいつ、すっげー頑張ってんの、俺ァ知ってんだよ。オドンナルガに半端なくボコられてもよォ、剣持って立ち上がって向かってくんだよ。お前ェらより、ちっせぇガキがさァ」

 「や、ジル先輩をダチだなんて恐れ多いんで。あと、クロっちて呼ぶのやめてください」

 「照れんなよォ、クロっち!俺ァ、お前のこと、マブでオトコって認めてっからよォ!」


 まあ、いいじゃないか。友達は多い方が。

 なんかすっごくもの言いたげなクロムの肩を、マルコがポン、と叩いていた。


 「さて、食事の続きをしたいから、こいつらを捕縛しておいてくれ」

 「御意!」


 すでに持ってきていた縄を手にした騎士たちが、卓を離れて待機していた。自分の親が何処の誰であるか喚き散らしているけれど、当然騎士たちは気にも留めない。


 「ナランハル!こいつら見てたら飯がくっそ不味くなるっすからァ、外に出して見張ってるっす!」

 「え、でも、まだ料理来るぞ?お前の楽しみにしていた水餃子とか…」


 ジルは一瞬、ものすごく迷った。けれど、きっぱりと首を振る。


 「俺ァ、食ったことあるっすから!あいつらに、食わせてやりてぇし!!」

 「えー…ジル君そんなこと言ったら、おじさんも外行かなきゃじゃない…」

 「マル先輩は、食っててくだせぇ!!俺一人で充分っす!!バチクソに見張ってますぜ!」


 ジルがあいつらと示したのは、手際よくモドキ共と取り巻きを縛り上げていく騎士たちだ。

 その言葉に、騎士たちが歓声を上げる。


 「さっすがジルカミシュ君!」

 「超イケてる!」

 「男前~!」

 「よせよォ、照れっちまうぜェ!」


 ジル、照れるのは良いけど、だからってすぐ側の取り巻きの頭をガンガン叩くのやめなさい。死んじゃうから。さすがに店の中で死人を出したくない。


 「あの、普段はこんなことを絶対にやらないのはわかっているんですけど、鉢かなにかに水餃子を入れて、ジルにも出してやってくれませんかね?」

 「かしこまりました。ご用意させていただきます」


 給仕の女性たちは少し怯えの色を双眸ににじませていたけれど、若女将は一連の騒ぎを気にも留めていないように…見えた。

 いや、口の端がぴくぴくしているな。やっぱり、ちょっと騒ぎ過ぎた?


 「そしてナランハル。皆様方。心より、御礼申し上げます」

 「え?」

 「ええ、もう、御無礼いたしますこと、大変申し訳ございません。ですけれども、言わせていただきたいのです」

 「え、あ、はい。ドウゾ…」

 「ああ、胸がすきました!いい気味ですわ!」


 そのくらい、言ってやりたくもなるよなあ。

 こんなガキども、本来なら若女将の鼻息ひとつで吹き飛ばせそうだし。

 口の端がぴくついていたのは、怖いんじゃなくて笑いだしたいのを我慢してたんだね。


 「ナランハルの御前での品なき行い、万死に値いたします。けれど、後悔はございません」

 「いや、その程度で品がないとか言ったら、うちは大変なことになりますので」


 クロムたちは言うに及ばず、紅鴉親衛隊うちってどう頑張ってみても上品に程遠いからな。

 若女将はにっこりと笑って、何も言わずに一礼した。

 

 ジルが引っ立て、黄天餐館の男性陣が追い立てて、連中が退場していく。俺たちも卓に戻ろう。


 「お疲れ様~。だいじょぶ?」

 「すまない。出遅れた」

 「いや、俺がでしゃばっちゃったからさ。クロムにも怒られたし」

 「しかし…あんな子供に手をあげるのは、後味が悪いだろう」

 「そうでもないよ。たぶん、成人はしているからさ。成人すれば大人だ。ケンカを売れば買われることくらい、わかってるって事にしとく」


 アスランの成人は十五歳。顔付きが幼いだけで、それよりは年上だろう。声変わりもしてたし、喉仏もでてたし。

 けど…成人したばかり、ではあるだろうな。

 

 いくら成人したからと言って、十五歳は子供だ。若造として扱われる年だ。

 その年で…女性に暴行し、人を殺したのか。


 もちろん、そんな十五歳は他にもいる。俺だって、初陣は十三だ。その時に、人を殺めた。誇るつもりはないけれど、事実だ。

 ユーシンだって、十五歳ならすでに「戦士」の称号を得ている。『恐れを知れぬもの(ナラシンハ)』の異名はもうちょっと先だけれど。


 けど。


 「…弟は、どの程度、理解しているんだろう…」

 「全く知らねぇってことなら、許すのか?」

 「…難しいな」


 もし、もしもだ。

 クロムが、守護者であることを盾に、同じようなことをしたら。

 もちろん、それは絶対にない。そんなこと、クロムがするはずない。


 だが、仮定として。

 自分の守護者が、民を脅かす存在になったら。


 「俺がもし、同じことしたら、お前は俺を殺すよな」

 「…ああ」


 主として。

 知らなかったから、だから自分に罪はないなんて、思えない。


 「だが、お前の弟がお前と同じ覚悟を持っているとは、思わない方がいい」

 「…」

 「で、あのクソ共はどうすんだ?長城の外に捨てて来いってなら、捨ててくるが」


 覚悟、か。

 あの連中にもなかっただろう。守護者スレンの覚悟が。

 

 いや、それ以上に覚悟のない人がいる。

 誰よりも、責任を取らなきゃいけない人が。


 「月虎宮に連れて行く」

 「首だけ?」

 「いや、ちゃんと繋げて。生かして連れて行くよ」

 

 クロムが訝し気に見てくる。ぶっ殺したいんだけれど?とその双眸にはきっぱりと書いてある。


 「弟の前で斬る。弟に、主としての覚悟を教えるのも、兄の務めだろう。それに」

 「おう」

 「弟はまだ成人していない。その責任は、親にある。親父は母さんに叱ってもらうとして、たまにはちゃんと二太子らしいことをするさ」


 あいつらはガキだ。子供がつけあがるのは、その後ろに甘やかす大人がいる。

 

 覚悟がないのは、あなたもですよね。

 第二夫人トラキナ。


 「帰ったら、月虎宮に乗り込む。絶対に不快な思いをするだろうから、まずは美味しいものを食べて英気を養おう」


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