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鳥には羽根 魚には鱗  作者: 阿古あおや
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甘やかされた子を立たせるのは、老いた牛を走らせるより難しい(親の甘茶が毒となる)7

 小カーランは、カーラン出身者が集まって暮らしている区画であるとともに、大都でも屈指の「観光地」である。


 建物の様式もカーラン風であり…路地を入って奥に行けば、大都の気候に適した家々が立ち並んでいるが…、東方交易で運ばれてきた陶磁器や絹織物、衣服、雑貨等々。全てが異国情緒に溢れている。


 そして、その中でも最も大都の住人たちを惹きつけるのが、百を超えるカーラン料理の店だ。

 もともとカーランは地方によって味付けが大きく異なり、「カーラン八味」とも「十大風味」とも讃えられている。

 一番細かく分類すれば三十六に別れるとか、それはさすがに無理矢理だとか。


 ともかく、多種多様な料理を味わうため、そして気軽な異国旅行気分を味わうため、多くの人々が小カーランへと足を運ぶ。

 

 そんなカーラン料理の店だが、気軽に食べられる屋台から、入るためにお伺いを立てなくてはならない高級店まで、こちらもまた多種多様だ。

 人気があるのは少し贅沢に食事を楽しむための店だが、今回の事の起こりは、「高い方」の店でも頂点にある店から始まった。


 その店の名は、黄天餐館。

 小カーランの高級店を三つ挙げろと言われれば、必ず一番目に名前が出る超高級店である。


 極上の食材が最高の料理人によって調理され、芸術品の皿に盛りつけられて出てくる店だ。

 掌の半分もない、調味油を垂らすための皿でさえ、慎ましく生きれば一年暮らせるような値段がする。

 クロムに言わせれば「金持ちが金を持っていることを見せつけるために行く店」である。


 その黄天餐館は半年前、賓客を迎え入れた。

 八代大王の第二夫人と、その息子である三太子。その御一行様だ。

 

 超高級店であっても、王族が客として訪れることは大変な名誉になる。

 通常店を取り仕切る支配人や総料理長だけではなく、主人オーナーもメニューや皿、調度品の飾りつけをどうするか…連日頭を悩ませ、万全の体勢で御一行様を迎えた。


 しかし。


 出された全十三品の料理を、三太子は一口ずつしか食べず、途中からは皿を置かれてもじっと見つめるだけで箸や匙を取ろうともしない。

 その様子に、主人も支配人も総料理長も、平伏して謝罪するしかなかった。


 第二夫人は自分の料理は全て平らげ、酒や茶の杯を何度も干したにも関わらず、「カーランの下賤な料理など、三太子が気に入るはずもなかった!」と罵倒し、足音も荒く出て行った。


 もともと代金を求めるつもりは主人になかったが、そんなことまで言われて、請求できるはずもない。

 第二夫人御一行は全部で八人。

 そのうち、料理を残したのは三太子だけだったが、全員銅貨一枚たりとも支払わず、労いの言葉一つ残さなかった。


 最高級の食材は、当然ながら最高の値段だ。それでも、「王族が足を運び、賞賛した料理」という看板があれば、無償で提供してもすぐに取り返すことが出来る。

 だが、黄天餐館に残されたのは、不名誉な評価と、酔って騒いだ拍子に壊された食器のみ。

 いくら黄天餐館が大店で、うなるほど金が有り余っていたとしても、十分に痛手だ。

 

 しかも、黄天餐館の「災難」はそれだけにとどまらなかった。


 御一行の中にいた年若い三人…三太子の守護者スレンだと名乗った者たちが、毎日のように現れては食事を要求するようになったのだ。

 当たり前のように金を払わず、他の客に冗談…と本人だけは思っている不快な文句を投げつけ、酒を飲んで酔っ払い、暴れ、反吐を撒き散らす。


 客足は鈍るどころか途絶え、ついに黄天餐館は一時休業を余儀なくされた。

 連中が諦めるまで、首を竦めてやり過ごそう…と主人が決断したのは、致し方ない事だっただろう。


 しかし、守護者三人組がそれを見て反省するはずもなく。


 彼らは、店を閉めてやり過ごそうとする黄天餐館を嘲り、勝ち誇った。

 名店だなんだと威張っていても、自分たちを満足させることが出来ず、逃げた!

 自分たちを止められるものは何もない!


 その歪んだ万能感に満たされたまま、彼らは小カーランのあちこちの店で同じように振舞い始めた。

 最初は、代金を支払わずに品物を持って行ったり、店で騒いで暴れる程度だったが、それでも誰にも咎められないとわかると、行為は急速に凶暴性を増していく。


 商品や調度品を壊すなどはまだいい。

 睨んだ、悪態を吐いたなどと言い放ち、目を付けた相手に暴力をふるう。


 当然、許されざる悪行である。


 彼らは間違いなく「三太子」の同行者であり、自身も貴族の子弟だ。

 それでも訴えでれば、捕縛し罰してくれるだろう。小カーランの住人たちは、けっして当代大王と、法を司る御史台を疑ってはいない。


 だが、その後、第二夫人と三太子の恨みはどこに向くか。


 訴えたものはその恨みを一身に受けることになる。いや、小カーランそのものが恨みの対象になるかも知れない。

 小カーランの住人たちは、第二夫人についてもある意味疑っていなかった。


 必ず、あの女は後先考えず、小カーランに報復する。


 私兵を雇って…アスラン軍が、私怨で動くはずはない…小カーランで暴れさせるか、小カーランの「長老」を呼び出して、私刑にするか。

 なんにせよ、ろくなことはしないだろう。


 小カーランは特殊な区域だ。

 アスラン王国の大都に在りながら、僅かに自治すら認められている。

 しかし、それを快く思わないものもいるのもまた事実。第二夫人の私怨を利用して、小カーランを掌握したいと思うものも出てくるのは十分予測できた。


 では、どうする。どうすればいい。

 そう「長老」たちが答えの出ない会議をこねくり回しているうちに、ついには女性が白昼堂々凌辱され、それを助けようとした者が殺されたのだ。


 「なのにまだ、長老会はどうするか結論を出していないらしい」

 「ふぅむ」


 赤さを増してきた光が差し込む部屋は、紅鴉宮の一室だ。

 十分に広い部屋の半分を占めるのは、巨大な円卓。

 今そこに、ファンを含めて六人が顔を見合わせている。


 ズージェンの話を聞いたファンは、「なんとかする」と約束はしたが、すぐに小カーランへ向かうのではなく、この難題を持ち帰り、相談することにした。


 とは言え、父や兄に言いたくはない。

 ジャスワン将軍が言った通り、モウキもトールも、話せば何の躊躇いもなく第二夫人らを排除するだろう。


 だが、躊躇いがないからと言って、傷付かず、哀しまないわけではない。

 聞いた話を右から左へ伝えるだけで、辛く汚い部分は父と兄に押し付ける…と言うのは、嫌だった。

 一刻も早い解決を小カーランの人々は望んでいるし、犠牲になった人々には申し訳ない。

 それでも。


 そして、相談相手に選んだのは、自分の臣下である紅鴉親衛隊の将たちだった。

 現在、アステリア国境近辺で遊牧陣地を構えるヤルトミクを入れて、紅鴉親衛隊には六人の将がいる。

 そのうち二人は千人長ではなく百人長ではあるが、実際の権限はほぼ千人長と変わらない。

 

 親衛隊はファンの私兵ではあるが、通常訓練や業務を行うのは、当然ながら後宮にある紅鴉宮ではなく、前宮の親衛隊庁舎になる。

 ファンも通常の政務はそこで行っており、あくまで紅鴉宮は生活をする家だ。


 何か用事があれば、さっさと彼らの主は自ら足を動かしてやってくる。

 それが、わざわざ紅鴉宮に呼び出すという事は、あまり公にしたくはない、のっぴきならない事件が起こったという事だ。


 これは一大事と、諸将はお気に入りの菓子や茶を片手に、退勤時間の事も忘れて紅鴉宮に集った。

 そして聞かされたのが、現在小カーランで起こっている事件である。


 「訴えがなければ、御史台も動きませぬからなあ」


 湯気を立てる湯飲みを手に取り啜るのは、総白髪の小柄な男性。

 しかし、冬服の上からでもわかるほど身体は鍛え上げられ、衰えを許さないのが見て取れる。

 

 紅鴉親衛隊長イル・ナランハルケシクとして、千人長として、そして長年にわたり戦場を駆け抜けた古強者として、彼の存在は紅鴉親衛隊に欠かすことが出来ない。


 さすがに前線で槍を振るうような真似はもうしない、と本人は主張しているが、「長腕」アラカンが本当に大人しくしているはずはない。 

 そう彼の同僚部下、そして主たるファンも思っている。


 「それに、小カーランの長老たちはお互いの足を踏んでますからネ。却って、黄天餐館だけが被害にあっていたなら、属している星会の長老が動いたでしょうケド」

 「どうかね。黄天餐館が属してるのは、確か緑星会だろ?あそこの長老は黄天餐館の主人を警戒してるからな。自分の後釜を狙ってるんじゃないかって」


 続けて発言をしたのは、千人長のアミールとマルコである。


 アミールは黒い巻き毛に浅黒い肌、くっきりと彫りの深い顔立ちを併せ持つ。

 メルハ諸国の西方ヒラール王国出身の彼は、元商人と言う異色の騎士である。

 アスランに定住し、安定した身分を手に入れるなら騎士になるのが良いと考え、実践し、三十代前半で千人長にまでなってしまった人物だ。

 ただ、アミールに言わせれば、「余所者の元商人を将軍に抜擢するアスランが可笑しいデス」となるが。


 もう一人のマルコは、茶髪に緑の垂れ目が特徴の、西方出身の騎士だ。

 幼いころに両親に連れられてアスランにやってきた為、見た目に反して西方語はほとんど話せず、タタル語以外の読み書きはできない。

 しかし、戦闘だけではなく交渉や机仕事も得意で、元商人のアミールと共に紅鴉親衛隊の交渉係兼倉庫番として、揺るぎない立場を築いている。


 「あー、でた!星会!たまーに聞くっすよね~。なんなのか、よくわかんねェけどォ~!」

 「ジルカミシュ君。わからないことをわからないという事は、良い事です。でも、もうちょっと社会を知りましょうネ」

 「さーせんッ!アミ先輩パイセン!!」


 勢いよく頭を下げたのは、最年少のジルカミシュ。ファンより一つ年下であり、同じ遊牧陣地で育った幼馴染だ。

 鋭角的に張りだたせた前髪と…ファンに「ツノゼミみたいだな!」と言われている…襟足だけ伸ばすという独特の髪型は、一度見れば忘れられない。

 普段は色眼鏡で隠している両眼は意外と大きく丸く、ますますファンに「ツノゼミ」と評価されているが、本人はそれを誉め言葉と受け取っている。

 実際、ファンは褒めているつもりなので、何の問題もない。


 見た目通り政治や社会情勢と言ったものに疎い、と言うか、知る気すらない後輩に、アミールは指を折って数えながら説明を始める。


 「星会は、小カーランに全部で七ありマス。黄、青、赤、白、黒、緑、紫…の七ですネ。元は、カーランの同じ地方の出身者同士が助け合う互助会でした。今では、小カーランの区画を取り仕切る元締めですネ」

 「元締め…あれっすか?うちのシマで商売すんなら、シャバ代払えや的な?」

 「大体あってる。それが、アスランが小カーランに認めている自治権だからな」


 ファンの回答に、ジルカミシュは「っしゃあ!」と拳を突き上げた。

 別に謎かけをしていたわけではないので、正解したからどうという事もないが、喜びに水を差すこともないだろう。


 それに、この辺りの事に関しては、ジルカミシュを無知と罵れるのは、余程の事情通だけだ。

 星会は看板を掲げているわけではなく、本部の建物が在るわけでもない。

 小カーランに住む人々以外には、物語でよく使われる設定のようなものだと思うものもいた。

 

 だが、七星会は間違いなく存在する。


 小カーランで何か商売をする為には、その土地の会に属さなくてはならない。

 星会に入らずにいるという事は、「私は騙して食い物していい人間です」という札を首からぶら下げるようなものだ。

 

 「長老」と呼ばれるものが会を纏めているが、老人とは限らない。世襲制ではなく、有力者たちの推挙によって次代の長老が決まる。

 その為、同じ星会に属しているからと言って、強い仲間意識や連帯感で結ばれている…とは言い難く、常に勢力争いが繰り広げられていた。


 同じ星会内でさえそうなのだから、星会はそれぞれ自勢力を伸ばす機会を、つまり他の星会を蹴落とす機会を常に虎視眈々と狙い、時に血で血を洗う様な抗争さえ起っていた。

 

 そんな複雑怪奇な七星会のことをきっちりと理解しているのは、御史台の小カーランの担当官くらいだろう。

 ファンがでさえ理解しているのは、黄星会が最も古く、大きな勢力だ…と言うことくらいだ。

 

 「緑星会の長老が動いて第二夫人の『敵』になることを、他の長老共は心底願っているだろうしなあ。ま、飛び火しちまったから、我慢比べになってるが」


 マルコのぼやきに、ファンは頷きながら言葉を続けた。


 「そうだろうな。だからこそ、早めに動いてどうにかしたい。長老たちは、痛めつけられるのが自分じゃない限り、動かなさそうだしさ。結局、それで泣くのはただ普通に暮らしている人だ」

 

 ことが起こっているのが小カーランでなければ、すでに御史台へと訴えは出ていただろう。

 しかし、長老会が「様子見」をしている間に、それを無視して実際の被害者たちが訴え出るのは…余りにも、難しい。

 

 こっそりと御史台の支所に駆け込もうとしても、必ず長老会の手の者が止める。

 殴られて脅されることは勿論、拉致監禁や最悪の場合には、ひっそりと長城の外のどこかで、禿鷹の餌になることさえあり得た。


 「しかし、ナランハルが動かれれば、御身が第二夫人の恨みを買うやもしれませんぞ?」

 「今更だ。あの人にはどうせすでに恨まれてるし」


 事も無げに首を振るファンを見て、アラカンらの口許に笑みが浮かぶ。

 そう、自分たちの主はこういうお人だ。

 姿を隠した一年。その気性は全く変わらない。それは信じていたが、やはり確認できると嬉しいものである。


 「なればナランハル。まず、順番を決めましょう」


 その安堵の笑みを口元に載せたまま、アラカンは指を立てて提案した。


 「順番?」

 「何を最優先にするか、でございますな。例えば、三太子の守護者もどきを成敗するのを最優先にする、小カーランのアスラン王家への不信感を拭うのを最優先する、などなど」

 「なるほど…それなら、最優先は被害をこれ以上ださないことだ。だから、速攻で行く。だからまあ…そいつらの成敗を優先とも言えるな」

 「御意」


 ズージェンの話では、連中は三日と開けずに現れているようだ。すぐにでも手を打たなくては、次はもっと酷いことになる。


 連中は、人を凌辱し、殺しても咎めがなかった事を覚えてしまった。

 ならば、すでに理性や良心などと言うものは期待できない。むしろ、実感した権力と言う玩具を、振り回したくてうずうずしているだろう。

 

 「次は…被害にあった人々の救済だな。こちらも急がなくちゃいけないけれど、受け入れてもらうまでに時間がかかるかもしれない」

 「でしょうねぇ。謝って金払えば済むってもんでもないし。けど、やらないよりは救われるってなもんです」

 「うん。せめて黄天餐館の損害はちゃんと賠償したいな。ここぞとばかりに長老が足を引っ張る気なら、こっちは急がないとかも」


 黄天餐館は現在店を閉め、息をひそめている。

 しかし、「三太子が一口も食べなかった」と言う不名誉な評判は店を閉めていても広がっていく。いや、その噂を味で否定できない分、開けて営業しているよりも不利だ。


 「んじゃさ~。とりま、守護者モドキ、捕縛しにいっとく?」 

 「いっすね!やっちゃいましょ!!」

 「訴えが出とらんのに月虎宮に乗り込んだら、それこそ紅鴉宮と月虎宮の全面戦争になるぞい」

 

 若手二人の提案を、アラカンは溜息とともに押しとどめた。

 騎士服のあちこちに縫い付けられた飾り紐を揺らして、ニルツェグが首を傾げる。

 動作は可愛らしいが、その双眸は「めんどい。仕留めよ?」と提案しており、納得していないことが一目瞭然だ。


 「ならん。戦って紅鴉宮が破れることは万に一つもないが、守護者もどきとその縁者…ひいては、第二夫人と三太子を完全に黙らせるわけにもいかんからな。下手をすれば小カーランが盛大に八つ当たりされるわい」


 訴えが出ていない以上、ズージェンらの話は「町で聞いた噂話」程度のものでしかない。

 ことを起こした後、渡りに船とばかりに訴えが出る可能性はある。

 だが、ならばなぜ今まで何も手を打たなかったと叱責されることを恐れ、長老会が口を噤ませることも十分にあり得た。


 「でしたらやはり、連中が暴れているところに出くわして成敗したってことにするのが、一番ですネ」


 アミールの言葉に一同頷き、そしてマルコがにやりと笑いながら挙手をした。


 「だったら、黄天餐館の名誉回復と同時にやっちゃいましょ」

 「え、どうやって?」

 「簡単な話です。名誉回復の方は、ナランハルが黄天餐館で出てきた料理を絶賛しつつ完食すりゃいい。さらに、ユーシン殿下とヤクモ殿下をお連れになって、皆でおいし~!ってモリモリ食べてくれば、三人の王子が大絶賛した料理を求めて、黄天餐館に客が詰め掛けますよ」

 

 マルコの提案に、ファンはそれだけ?と言うように首を傾げたが、他の面々は深く頷いた。

 

 本人は気にしていないし自覚もないが、ファンの人気はかなり高い。

 好奇心を刺激されれば、どんな秘境魔境にも突っ込んでいく学者、という今までのアスラン王家にない特徴も面白がられているし、継続して行っている学校教育関係の支援は、確実に民に恩恵をもたらしていた。

 そうした、分かり易い、目に見える恩恵は武勲と同じくらい民の人気に繋がる。


 祖父から贈られた図書館の一般開放もあり、学問を志す者たちからの支持は、一太子を凌ぐ。

 ただ学問の徒の数は、寄り集まってもか細い声にしかならないほどに少ない。そのため、トールの王位継承の妨げになるような規模ではないが。

 

 そんな「ナランハルが絶賛された」と聞けば、多少無理してでも、多くの人々が黄天餐館に足を運ぶだろう。

 

 「でもさー、どうやって馬鹿クソ虫どものヤキもいっしょにいれんの?」

 「単純な話だよ、ニルちゃん。今、教えてアゲルね」 

 「ニルツェグや。お前さんがヤキいれた相手が、懲りずに同じことをしていると聞いたらば、どうするね?」


 垂れ目をさらに垂らしたマルコを押しのけ、アラカンが問う。

 その問いに、ニルツェグは一瞬考え、頷いた。押しのけられた時よりもマルコがしょぼんとしたが、当然誰も慰めない。

 

 「ぜってーヤキ入れ直しに行くね。あ、そういうことか」

 「え、え、どういうことっすかァ!?姐御ォ!」

 「馬鹿クソ虫どもはさ、黄天餐館をしめた気になってるってことっしょ?で、自分の縄張り(シマ)にしたって思いこんでるってワケよ」

 「???」

 「なのに、ナランハル呼んだりしたらさ、もっと強いパイセン連れてきたみたいじゃん。この人いるからおめーらなんてゴミだし、みたいな」

 「お、おお!!」


 そこでまともな思考の持ち主なら、二太子が褒めた店を再び襲撃しようなどとは思わない。店が二太子に泣きつけば、間違いなく処罰されるのは自分たちだ。


 黄天餐館が連中の悪行を泣き寝入りしたのは、けっして彼ら自身が巨大な権力を握っているからではなく、第二夫人と三太子に繋がっているから。それだけである。


 すでにアスランの為に武功を立て、政務にも携わる二太子もまた、三太子とは比べ物にならないほどの「大物」だ。

 その二太子の覚えめでたくなれば、守護者を自称する貴族の孩子ガキなど何も恐れることはない。


 だが。

 

 「第二夫人は、ナランハルのことをすっごい見下してますからネ。いいえ、恐れ多くも后妃とオドンナルガもですが」

 「マブムカだよねー。しめてー」

 「だから、守護者もどき共はナランハルを恐れぬ」


 いかにも好々爺のアラカンの口許に浮かんだ笑みは、かつて敵と部下を震え上がらせた鬼将軍の笑みだ。

 それを見たジルカミシュの背筋が、ぴんとまっすぐに伸びる程に。


 「むしろ、己らの力に奢り、ナランハルがいらっしゃる時を狙ってやってくる」

 「馬鹿で助かりますネー。じゃあ、ボクは連中の耳にその日の昼、ナランハルが黄天餐館を訪れることを入れときましょう」

 「私は黄天餐館に話を通しておきましょ。ナランハル、いつ決行します?」

 「できれば明日だな。やれるか?」


 ファンの問いに、マルコは事も無げに頷いた。もともと、主の指示は速攻だ。今夜決行と言われないのなら、時間は十分にある。


 「店閉めてるなら、乾物以外は材料がないでしょう。暗殺警戒のために材料は持ち込ませてもらうって事にして、今夜のうちに運び込んどきます」

 「黄天餐館が難色を示したら、無理に決行はしないでくれ。囮に使うようなもんだし。あー、しかし黄天餐館かあ。こういう機会がなければ、敷居が高すぎて一生足を踏み入れなかったかもなあ」

 

 指示に続いた言葉を、側近たちはするりと受け流した。ちなみに、全員行ったことがある。

 黄天餐館は確かに超高級店ではあるが、だからと言って高級武官である彼らが行く事もかなわないような店ではない。

 アスランでも指折りの名家出身であるニルツェグとジルカミシュはもとより、庶民出身の千人隊長の三人も、何度も足を運び、料理に舌鼓を打っている。

 

 「ナナイたちも連れて行ってやりたいけれど、荒事になるならまた今度にした方が良いな」

 「あ、じゃあ、うちがあとで連れてってあげるー。えへ、ナナイ様のご友人ぴゃんたち、可愛いんだよねえ。昨日、后妃様とめっちゃ語った」

 「それはいいな。うちの経費使っていいから、よろしく」

 「御意~。あ、でも、本館はちょっとダサだから、別館いくわ」

 「別館があるのか?」

 「うん。今年の夏にできたんよ。本館みたいにピカついてなくてさー。内装も料理もお皿も。お洒落でかわいー」


 そちらもおそらく、不本意な休業状態だろう。

 開店して間もないのであれば、まだ開店資金を取り返していないはずである。本館の休業よりも痛手かもしれない。


 「そうか~。それなら、そこ行くとき、母さんも一緒にでもいいか?」

 「后妃様?もっちろん」

 「高確率で親父も行きたがるだろうから、女子会ってことにして、アカリもいれときゃいいか」

 「おー、いいねー。アーちゃんと最近ごはん食べてないし」


 宰相スバタイの一人娘であるアカリは、王位継承権こそないものの、王家に連なる唯一の女子である。つまりは、アスランの姫君だ。

 ただ、本人をヤクモ辺りに会わせれば「お姫様って…」と困惑しそうだが。


 「后妃様にご来店いただくことで、そちらも名誉挽回を、と言うわけですな」

 「うん。あと、ナナイたちがご飯食べに行くって言ったら、母さん絶対一緒に行きたがるから。親孝行でもある」

 「おっしゃー、朝からいってー、まずは服選んで着せてー、ご飯の後はー、小カーランの可愛い雑貨見てー、茶店でお茶してー…あー楽しみ!ナランハル、いつならいいかな!」


 ウキウキと予定を指折り数えるニルツェグに、ファンは苦笑しながら「今晩、母さんとナナイに聞いとくよ」と答えた。

 七人の女の子と、母とアカリとニルツェグ…ずいぶんと賑やかな一行になりそうだ。

 いや、女子会なら、ガラテアさんも一緒の方が…と思い立ち、ふと口が動く。

 ただし、出された声は、女子会への追加申し込みではなかった。


 「…ガラテアさんとシド、黄天餐館連れて行ってあげたいな」

 「ちょい待ちナランハル。ガラテアさんって女性名ですよね!?おじさん、食いつきますよ!!」

 「え、いや、その、一緒に護衛してくれたし、水賊船撃退の時もモウスルの一軒も、一緒に戦ってくれたから、その、お礼にな!!?」

 「ほんっと~に、それだけですか!!」

 「卓の上に打ち上げられるでない。ナランハルの御前ぞ」


 アラカンの声に、マルコはするすると椅子に戻った。しかし、その垂れ目はキラキラと輝き、期待を込めてファンを見つめている。


 「ええと、アラカン。ありがと…」

 「なんの。で、その女人とのご関係は?」

 「お前もかああ!」

 「ボクも参戦しますヨ。で、もう褥を共に?」

 「ない!まだしてない!!」

 「まだ…という事は、いずれはと思うておると?」

 

 年長組に詰め寄られるファンを、ニルツェグとジルカミシュは少し離れて見ていた。

 まったく女っ気のないナランハルが、女性の名をだした…それは気にはなるが、幼馴染である二人は、「本当に出ただけ」の可能性が十分に高いことも承知している。


 「そいや、クロっちいねェな。あいつ、クソ虫に守護者スレンとかフかれたらブチ切れそうなのに」

 「あ、なんか、休暇取らせるって。ホントの守護者になったら、家とか帰りにくくなるからってさー」

 「クロっち、実戦訓練から護衛についたから、二年間家に帰ってねぇっすもんね」

 「うん、だからさー、今頃親子でめっちゃキャッキャしてんじゃねー?大事だよね。おとーさんとおかーさんに甘えるのってさ」


***


 星龍親衛隊の新米騎士サモンの帰宅は、常にきっちりと毎日同じ時間だ。


 星龍府しょくばから退勤する際、上司トールらから「何とっとと帰ろうとしておるか!」「あ、逃げよりましたぞ!」などと言う労いの言葉がかかるが、特に気にせずきっちりと定時で帰る。


 結局、サモンがいたところで書類の一枚も手伝えるわけでもなく、本当に居るだけになるのだったら帰った方が良いじゃん…という判断のもと実行しているのだし、実際それで仕事が滞ったことは一度もない。

 一応、いざ出陣となったおりには、時間外労働も視野に入れているので、問題はない。そう、心の底から思っている。


 鉄道馬車の窓越しに、労働と言う軛から解き放たれた人々が造りだす、浮かれた喧噪を見るのが、サモンは好きだ。

 ぼんやりと車窓を眺めていた鉄道馬車から降り、鈴屋じたくへと帰り着いたのは、すっかり夕暮れが終わった頃合いだった。


 とは言え、時刻はそれほど遅くはない。日が落ちるのは毎日実感できるほど早くなっている。

 もう本当に冬だなア、などと思いながら、サモンは従業員専用の門から中へと入った。


 夜の営業開始はまだ始まったばかりで、店の中に客の姿はまばらだ。

 さっさと一回目の夕食を取らなくては、すきっ腹を抱えたまま布でも噛んで耐え忍ぶか、寒い中他の店に食べに行かなくてはならない。


 まして、通いの従業員に欠員が出たとか、団体客が入ったなどがあれば、サモンも手伝いに駆り出される。

 さっさと賄いを食べて部屋に引っ込もう…そう決意し、従業員が座るための端の席へと視線を向け。


 「あれ」


 その柜台カウンター席に、懐かしい顔を見つけた。


 「クロムじゃん」


 サモンの声に、明らかに不機嫌そうな顔が向く。

 だが、クロムとは幼馴染であり、実戦訓練では一枚の毛布を奪い合って寝た仲であるサモンである。

 そういう顔をしているクロムは、大体激しく動揺しているとか、困惑しているとか、とにかく弱ったときだという事がわかっていた。


 「…よぅ」

 「おひさ」


 とすりとクロムの隣の席に腰を下ろす。さらにクロムの奥に、やっぱり少し困った顔をしたシドがいることに気付いた。


 「どしたの?シドにい。コイツにたかられてるの?無視していいよ」

 「ンなことすっかよ。お前じゃあるまいし」

 「いや、たかられているわけじゃない…と思う。まだ金を払っていないが」

 「そ?ならいいけど。あとクロム。俺はたかったりしないよ…?愛されてるから、皆俺にご飯くれたりするだけで…」

 「今すぐその辺の角に頭強打して死んで来い」


 シドがおろおろとサモンとクロムの間で視線を行き来させる。

 二人の間ではごく普通のやり取りであるので、サモンはシドの困惑にそれこそ困惑した。


 「だいじょーぶよ、シド君。サモンちゃんとクロムちゃん、いつもこんなだから」

 「うん。俺たち幼馴染しんゆうだから…」

 「幼馴染くされえんだ」


 今夜の一回目の夕食(賄い飯)は、カリっと揚がった羊肉を乗せた、マサラ風味の焼饂飩ツォイバンだ。

 食欲に叩きつけられるような芳香が、ごとんと目の前に置かれた皿から立ち上る。


 賄いを運び、シドを安心させた番頭は、さっさと次の仕事に取り掛かった。

 なので、サモンも気にせず自分の責務…目の前の料理を、美味しくいただくことに専念することにする。


 「いただきまーす…」


 箸で饂飩を掴み、口に運ぶ。するっとすべてを咥内に収めてから、羊肉を摘まんで押し込む。

 マサラのピリリとした辛みを纏った饂飩に、甘い羊の脂が重なって、今日一日の疲れが報われたような気にすらなった。美味い。


 そのまま皿の半分程食べ進めたあたりで、サモンはクロムとシドの前に、空になった皿と杯が置かれているのに気付いた。 

 本格的な食事をしたというより、皿にあった何かを肴に酒を飲んでいたのだろう。


 「クロム、家帰らないの…?」

 「…帰る、つもりだけどよ」


 空の杯を見つめつつ、クロムは曖昧に言葉を濁す。

 その様子に、サモンはさらに皿の半分を胃袋に送り込みながら、首を傾げ、それから頷いた。


 「あ、守護者を馘になったから、帰りにくい、とか?」

 「なってねぇよ!!!むしろ、正式になる前に休暇やるから実家帰っておけって言われたんだよ!」

 「そ。なーんだ。じゃ、何で帰らないの…?」

 

 クロムの家まで、すぐそこだ。区画は違うが、小さな子供の足だって走り抜けられるほど、近い。

 

 「…」

 「なんだか、帰りにくいのだそうだ」

 「あー…なるほどね」


 黙り込んだクロムの代わりに、シドがその不機嫌の理由を説明する。

 おそらく、まっすぐ家路を辿れなかったクロムが、シドを無理矢理付き合わせているのだろう。


 「おじさんもおばさんも、クロムが騎士になるの、反対してたしね」

 「…そうなのか?アスランでは騎士は職業とは言え、なることは名誉なことだと思っていたが…」

 「危ないからって」


 シンプルな答えに、シドは「ああ」と頷いた。

 名誉なことではあるが、同時に騎士は危険な職業だ。警備兵なら一生戦に出ないこともあり得るが、騎士はそうもいかない。


 アスランは平和な国ではある。

 だが、その平和は何もしなくても続くものではなく、平和であり続けるために、広大な国土のどこかでは常に誰かが戦っている。


 『敵』は賊であったり、独立を叫んで乱を起こした貴族であったり、周辺諸国の略奪軍であったり、危険な魔獣であったりはするが、騎士は常にその最前線に立つ。

 親としては、一人息子がどこかの辺境で戦死して、骨のひとかけらも帰ってこない…と言うのは、嫌に決まっている。

 あやうく兄がそうなる寸前だったサモンには、クロムの両親の気持ちがすんなりと理解できた。


 「…二人とも、納得はしてくれてる」

 

 絞り出すクロムの声は小さく、いつもの威勢はない。

 

 「だが、それだけってやつだ。…特に父さんは、ファンに対していい感情をもってない」

 「そうなのか…」

 「まー、しょうがないんじゃない?クロム、ちょっとドン引くくらい、守護者になる~ってやってたし。昨日まで武器って言えば馬糞だったのが、剣の修行するとかね。親御さんとしては複雑」

 「トールの野郎に何度か殺されかけたしな。…必要な事だったってのは、わかったが」


 さらにもにょもにょと言い募る。皿の上に微かに残る料理の残滓を箸で摘まもうとしている辺り、照れくさいようだ。

 クロムと言う男はとにかく、謝罪と感謝を口に出したがらない。

 その二点と挨拶は人間関係の基本だし、言うだけで自分も周りも和むのだから良いじゃん…とサモンは思うが、クロムに礼を言われたことなど、長い付き合いでも片手の指で事足りる。


 つまり、さっきのもにょもにょは、師匠トールに対する礼だったのだろう。

 面白いからもっと言わせよう。そうコッソリと頷く。


 「どゆこと?」

 「どんな化け物だろうと、あいつ(トール)ほどバケモノじゃねぇ。昨日手合わせして、余計そう思った」


 皿の上をいたずらに彷徨っていた箸が止る。

 それを見つめる鋼青の双眸は、良く知る幼馴染のものであるのだが…何か、違っていた。


 「これから先、どんな化け物が立ち塞がろうと、俺は間違いなく動ける。勝ち筋がある。ビビる必要はねえ」

 「トールより、弱いから、か」

 「ああ。前にな。奴に言われたんだよ。人間ってのは、本来食われる側の生き物なんだと」


 クロムの話は、サモンが期待したようなもにゃもにゃと照れた挙句、「あ゛ー!!」とキレるような方向ではなくなった。

 だが、それはそれで、別にいい。

 一年ぶりに会う幼馴染の話す声は、生きて帰ってきたことの証明だ。


 親しいひとが、自分の目が、手が届かないところで死ぬかもしれない…そんな思いをするのは、一度で充分すぎる。

 ちゃんと生きて帰ってきた。減らず口も、ムカつくドヤ顔も、その証なら許せる。たぶん。


 「だから、死が目前に迫ると、心臓より先に脳みそが止る。なるべく楽に死ねるように、力が抜けて痛みを感じなくなるんだと」

 「ああ、それはなんとなくわかるな。そうやって死んだ奴を何度か見た」

 「だが、それじゃ戦えねえ。だから、死の恐怖に慣らすってな。アイツに弟子入りしてすぐ、息と心臓が止まるまで叩きのめされたわ」

 「良く生き返ったな」

 「そこはちゃんと『加減した』らしいぜ?あの弟馬鹿は」


 くっくと笑うが、本来笑い事ではない。

 そんな息子の様子を見ていたら、両親が騎士になるのを反対するのは仕方がないだろう。


 「あいつ、教えるのめちゃくちゃ下手だが、間違えちゃいない。あー…クソ、でも、一太刀でいいから、当てたかったぜ…」

 「そんなにボロ負けしたの?」

 「魔導を使わせたからな。馬鹿より俺の方が上だ」

 「馬鹿…?」

 「ユーシンの事だろう」


 ユーシンの事は、サモンも知っている。ファンが時々連れてきた、えらく顔の綺麗な子だ。

 そういえば、数年顔を見ていない。もう、「子」という年じゃなくなっている…と思う。


 「キリクの子だよね…元気してるん?」

 「少し弱れって言いたくなるくらいな」


 うんざりした顔をしているが、本当に嫌いな相手の事を、クロムは完全に「いないもの」として扱う。

 わざわざ引き合いに出すくらいなのだし、ずいぶんと親しくなったようだ。


 「俺も、手合わせを願いたいな。次はいつやるんだ?」

 「弟に引っ付いてばかりじゃないからな。その前に陛下だ」

 「…是非、その時は呼んでくれ」

 「クロムもシド兄も、どしてそんなに手合わせしたいの?絶対負けるんでしょ?」


 話題に出た、ユーシンも。

 痛い思いをして、負けて悔しくて。

 それでも、その前に立ちたいと熱望する意味が、サモンにはわからない。


 「なぜ、か…何故なんだろうな」


 改めて問われるとすぐに答えられないらしく、シドは顎に手を当てて視線を彷徨わせる。


 「明確な理由を、とか、それが何の役に立つのか、とか言われても…困るな。うん」

 「それで強くなるってワケでもないんでしょ?」

 「そうだな…それですぐ、強くなるわけじゃない」

 「いや、なるぞ」


 きっぱりと言い切り、口の端を持ち上げたクロムは、鋼青の双眸を輝かせてサモンを見ていた。

 幼馴染の珍しい表情に、サモンは少し驚いた。驚きのあまり「はぇ~」と言う妙な声が口から零れる。

 一瞬怪訝な顔をしたが、クロムはそれを相槌と受け取ったようだ。言葉を続ける。


 「今の限界の一歩先が引き摺りだされる。そうすっと、次はさらにその先までいける。他人にはわからない一歩だろうが、自分にはわかる」

 「そーゆーもん?」

 「ああ、なんとなくわかる。生死の境を潜り抜けると、確かに限界を超えるな。超えられなければ、死ぬだけだが」

 

 シドは納得して頷いたが、サモンには全くわからない。

 そもそもそこまで強くなりたいという欲求はないし、騎士になったのも、兄と幼馴染がなるというから、自分も、と思っただけだ。


 ただ、少しもやもやとした感情は胸中にあった。

 それは寂しさに似て、けれどもう少し熱を持っているように、思う。


 サモンの一族は、もともとヒタカミの騎士だったらしい。

 その為、ヒタカミを離れたのちも、サモンたち兄弟は幼いころから武芸を仕込まれて育った。

 だから、今まではクロムよりサモンの方が強かった。入学試験の際も、実技の成績は勝っていたし、その後も差は縮まっていっても、埋まることはなかった。


 けれど、今、クロムは明確に自分サモンより強い。

 実際に剣を合わせたわけではないが、それがなんとなくわかる。


 その差を一気に埋めたのが、クロムの言う「限界の一歩先」へ進んだからなのかもしれないし、貪欲にその先を求める意欲の差が、ここで現れたのかもしれない。

 どっちにせよ、だからと言って自分も「限界の一歩先」を見たいとは思わないのだけれど。

 

 けれど、振り返って正面顔か、並んで横顔を見ていた幼馴染が、今は背中しか見えないと言うのは、胸にもやもやとした熱を持った靄を生む。

 それは嫉妬や悔しさと呼べるほどの熱さや粘度はなく、どちらかと言えば、寂しさに近い…のかもしれない。

 

 「んで、家帰らないん?晩御飯、作ってくれてるんじゃないの?」

 「帰ってきたことを知らねぇから」


 少し考えて、口に出したのは、我ながらやや意地が悪いと思える質問だった。

 今のクロムが、一番言われたくなくて、なおかつ、最優先で決めなければならない事。

 

 「休暇、そんなに長くないんでしょ?」 

 「いつまで、とは言われてねぇけど…」


 守護者は公式行事の際、主の傍に侍る。これから年末に向け、ファンが出席する行事や儀式は多い。

 主役ともいえる冬至の儀は勿論、一年を過ごせたことを祝う大宴会もある。細々したものも数え上げて行けば、十以上になるだろう。 

 長くても冬至まで。あとちょうど二十日だ。となれば、せいぜい長くとも五日程度。鈴屋でくだを巻いている場合ではない。


 「…決めた」

 「お代はちゃんと支払ってね…」

 「サイゾーさん!サモンと同じやつ、大盛りで!麦酒も追加!」

 

 通りかかった番頭に、クロムは空になった杯を掲げながら叫ぶ。

 しばし目を瞬かせていた番頭だったが、少しばかりの苦笑を顔に載せてから、「あいよ!」と返事をして厨房に向かっていった。


 「なんで追加したし?」

 「家帰らないって決めたからだ。飯食って紅鴉宮に戻る」

 「…昼の件でのことか?」

 「絶対あいつ、自分で乗り出すからな。守護者が隣にいねぇと」

 「先延ばしにすると、余計こじれない?」


 なんだか尤もらしい理由を述べているが、ようは自分の路を快く思っていない両親に、なんやかんやと言われるのを恐れているだけだ。

 それは先延ばしにすればするほど、重くのしかかる。やや意地悪でもあるが、あまり悩み苦しむ幼馴染は見たくない、と言うのも本心だ。


 クロムは苦いものを口に押し込まれたような顔をして、サモンを見つめる。

 やっぱり、この一年で顔つきが少し変わった。上手く言い表せないが、強いて言うなら、子供ではなくなった…ように思えた。


 「こじれるだろうな。特に、昨日大都に戻ってたことが知れたら、二人とも哀しむだろう。けどな」


 下がっていた口の端が持ち上がる。鋼青の瞳に宿るのは、熾火のような熱を持った、怒り。

 

 「守護者スレンをクソ虫に名乗られて、やっぱり黙ってられねぇし。主が手を汚す覚悟を決めたなら、その剣になるのが俺の役目だ」

 「守護者を名乗るくそむし?」

 「三太子の守護者が、小カーランで好き放題やっているらしい」


 シドの補足に、サモンは「ああ」と頷いた。鈴屋の客がそんな事を話していた覚えが、うっすらとある。

 

 「別にナランハル・スレン名乗っているわけじゃないんでしょ?」 

 「名乗ってたら、もうぶっ殺しに行っている」


 笑いもせず言い切るクロムは、もう完全にこれからの予定を決めたようだ。

 そうなったら、この先どれほどの苦難が予想されようと、考えを翻ることはない。

 だからこうして、紅鴉の守護者(ナランハル・スレン)にまでなったのだから。

 

 サモンは説得をあきらめ、冷めてきた茶を口に運ぶ。こうなったら仕方ない。クロムが本当に帰宅するときには、一緒について行ってやろうと心に決める。

 

 「あ」


 その様子を、なんだかホッとした様子で見ていたシドが、視線を上げて声を漏らした。

 サモンとクロムもつられるように、シドン見ている先へと視線を動かす。


 「あれ?クロム。家に帰ってないのか?」


 外套の前はあけられているし、帽子は被っているが首巻もしていない所を見ると、転移陣でやってきたのだろう。

 不思議そうに眼を瞬かせながら歩み寄ってくるファンは、やっぱり一年前と少し違うように、サモンには思えた。


 「ファン兄、おひさしー」

 「おー、サモン!久しぶりだな~!元気そうで何よりだ!」

 

 とことこと歩み寄ってくる手には、小さな紙が摘ままれている。挨拶しながらやってきた番頭に、その紙と懐から取り出した財布を渡していた。


 「ファンこそ、何やってんだよ」

 「お遣い。母さんに頼まれてさ」

 「そうかよ。あ、俺も飯食ったら、そっち行くからな」

 

 ファンはそれを聞いて、ほのかに笑みを浮かべながら頷いた。だいぶん苦笑気味ではあったが。


 「まあ、守護者もどきが好き放題やってるって聞いたら、大人しくしていないとは思った」

 「じゃあ、最初から帰らせんな!」

 「言ったろ。方針が決まったら連絡するって」


 ふんすと鼻息を噴き出し、クロムは偉そうに腕を組んで主を見上げた。

 納得はしていないが、今はとりあえず置いておく。そんな顔だ。


 「で、いつ動く?」

 「明日。あ、シドもいいところに。ええっと、ガラテアさんは…いないのか」

 「姉さんなら、厨房で手伝いをしていると思うが…呼んでくるか?」

 「いや、うん。そこまでのことじゃないから…」


 歯切れ悪く語尾を濁し、ファンはパタパタと手を振った。その表情の意味に興味はそそられるが、言及するのは危険だ。

 言い訳というものは疚しいことがあればあるほど長くなるが、ファンのそれは長くなるとなどという生易しいものではなく、さらには途中で話は逸れるし、最終的に何故か虫の話とかを聞かされることになる。


 「まあ、そのだ。黄天餐館の名誉回復のために、明日、ユーシンとヤクモ連れて飯を食いに行くって話になって。お前さんたちもどうかなーっと」

 「飯食いに行くだけか?それより、クソ共を捻りつぶそうぜ」

 「アミールがいろいろ仕掛けてるから。釣りだして、俺に対する不敬罪で処すって予定。詳しくは、後でな」


 鈴屋はにぎわいを増し、席はどんどん埋まってきている。個室でもない場所で、話せるような内容ではないのだろう。

 釣りとやらがなんであれ、ファンが二太子という事が知られれば、鈴屋も色々と大変なことになる。

 ファンはあくまで、鈴屋の孫でたまに手伝いに来る学者でいい。


 「昼にも聞いたが、それ、俺も同行していいものなのか?」

 「うん。ちょっと不愉快なこともあるだろうが、黄天餐館で飯なんてめったに食えるもんでもないし。護衛のお礼ってことでさ。俺もはじめて行くから、大人数の方が心強い」


 黄天餐館は確かにサモンでも知っている超高級店だが、ファンの来店で緊張しまくるのは店の方だろう。

 しかし、ファンは勿論、トールも同じように敷居が高いと挙動不審になるのは容易に想像できた。

 弟と違って兄の方は「これは仕事」と割り切れば、余裕綽々に立ち回ることもできるだろうが、その後三日は寝込む。


 ファンの説明を聞いて、シドは微妙に眉を下げながら溜息を吐いた。


 「…なんとなく理解したが、姉さんとは、二人で行ってくれ。別の機会にな」

 「まったくだ。一応、作戦のうちなんだろ?まあ、あいつならまったく気にしなさそうだが」

 「え、あ、うん。そうだな。囮に使うようなもんだし…あ、シドも、またの機会にしようか?」

 「いや、俺は行きたい。確かに、あの店の料理を奢りで食えるなら、その機会を逃す手はない」

 「じゃ、俺もー…」

 「お前は何一つ関係ねぇだろ!」


 そう、黄天餐館は超高級店だ。自分で食べに行くのは不可能ではないが、ひと月分の給金を一食に費やしたくはない。

 シドが言うように、奢りで食えるなら是が非にもだ。


 「でもサモン、明日、仕事だろ?シドにお土産もたせるから…」

 「しかたない。妥協する」

 「なんでお前が上からなんだよ!」

 「ほら、俺、可愛い末っ子だし…」


 さらに何か言おうとするクロムの前に、注文した料理が運ばれてきた。

 運んできたのは番頭ではなく、通いの店員だ。恐る恐る、と言った様子で皿を置く彼女の前で、さすがにクロムもこれ以上吠えることはできず、黙って箸をとる。


 「えっと…じゃあ、シド。明日、朝飯食ったら、転移陣使って来てくれ。あ、使える?ダメなら迎えを寄越すけど」

 「大丈夫だ。二回だけだが、使ったことはある。…あまり、得意な感覚じゃないが」

 「そうか、それなら良かった」


 笑って頷くファンに、三段かさねになった重箱を抱えた番頭が「おまちどーさまー」と声を掛けながら歩み寄る。お遣いの品は、ずいぶんと多かったようだ。

 

 「お金足りた?」

 「びっくりするほどちょうどだったよ。さすがソウジュちゃん」

 

 重箱を受け取り、ファンは腰に巻き付けていた布を外して包み込む。結び目を手に取り、ぶら下げて帰るつもりのようだ。


 「クロム、雪降りそうだから、来るとき気をつけてな」

 「食い終わったら向かう。お前の部屋で待ってっから」

 「おう」


 ひょい、と片手をあげ、その上げた手でサモンの頭をわしわしと撫でてから、ファンは続々と入ってくる客の流れに逆らい、鈴屋から出て行った。


 「ファン兄、ガラテアねーちゃん狙ってんの…?人間の女の人にも興味あったんだね…」

 

 その背中が完全に見えなくなってから、サモンはクロムに倣って夕食の注文をするシドに問いかけた。

 

 「むしろ、姉さんが狙っている、と言うべきか…。だが、あの反応を見る限り、ファンもそれなりに姉さんを意識してくれているんだろうか」

 「たぶんな。そうすると決めたら早いと思うぜ。何せ、生粋のアスラン男だからな」

  

 惚れた馬も人間も、そうと決めれば他人に手を出される前に乗りこなす。

 それがアスランの遊牧民だ。性格はともかく、ファンの価値観や考え方の根本は遊牧民そのものである。

 ファンは別に女性が苦手だとか、そういった欲求がないわけではない。それよりも興味を引くものがあれば、二の次三の次にできるだけのことだ。

 虫や蜥蜴よりも興味を持ったのなら、いつ鞍上に引っ張りあげても不思議ではない。

 

 「ガラテアねーちゃんの好みって、いまいちわかんないね…ファン兄のどこが気に入ったん?」

 「俺にもよくわからん。説明はされたが、さっぱりわからない」

 「そなの?ねーちゃんに求婚してる連中、荒れるね」

 

 いっそ、身分をばらしてしまえば納得されるかもしれないが、それはそれで逆らえない立場から、無理矢理ものにしたのだと非難されそうだ。

 

 「その前に、祖父ちゃんたちが荒れそ…」

 「ジュローさんが?なんでだよ」

 「ガラテアねーちゃんも、シド兄も、なんかほぼうちの子認定してるから…ほら、うちって男ばっかで、娘欲しかったみたいで…」

 「マジか…」

 「クロムも大変だもんね。主従揃って頑張って…」


 うー、とか、あー、とか言いながら、クロムは今晩の夕食に取り掛かる。

 一人っ子のせいか、クロムは食べるのが遅く、幼馴染同士で遊んでいるとき、大体最後までおやつをモグモグと食んでいた。

 それが、士官学校に入学し、実践訓練に至ると、部隊内でも屈指の早食いになっていて、人と言うのは適応する生き物なのだなあ…とサモンは思ったものだった。 


 今のクロムの変化も、そういう食べる速度と似たようなもので、後から思えばやっぱりクロムはクロムだと思える程度でしかないのかもしれない。


 とりあえず、そういうことにしておこう。もやもやを抱えているのはしんどいし。

 冷めきった茶を飲み干し、サモンはそう結論付けた。


 それが、さっきクロムに言った、問題の先送りでしかないことは分かっていたけれど。


***

 

 「えー、と言うわけで、今日の俺たちの冒険しごとは美味しくご飯を食べる事です」

 「それはわかったんだけどさあ~…」


 へにょり、とした声で、ヤクモは自分の姿を見下ろした。

 身に纏うのは、先ほど侍従官たちに着せられた胡服デール。それは別にいい。最初に遊牧陣地クリエンで貰った若草色の胡服の他にも、サライとフフホトでもう一着ずつ貰って着まわしている。

 着てみてわかったが、胡服はアスランの気候と乗馬に適した服だ。動きやすく、外気をしっかりと遮断して熱を逃がさない。


 だから、胡服を着ること自体はいい。いいのだが。


 指が伝える感触や、精緻かつ鮮やかな刺繍、それに縫い付けられた明らかに高価な宝石とわかる飾り。

 それはヤクモの耳や髪にも光っていて、どうにも落ち着かない。


 「なんでこんなに、汚したりしたら万死に値するな服着てるのぅ?」

 「それはね。ナランハルと、現在ナランハルが持て成しているキリクとシラミネの王子が食べに行くことが重要だからだよ」


 ファンもまた、普段なら絶対に袖を通さないであろう、装飾過多な胡服を纏っていた。

 いつもなら髪に編みこまれているのは色鮮やかな飾り紐だが、今は赤い珊瑚の簪が纏められた髪に刺さっている。

 フフホトでクトラ自治区を訪問したよりは「質素な」装いなのだが、ヤクモはその時の装束を見ていない。

 見ていれば、二太子として行動するときのファンと同行者が普段着ではいられない事を予測できたのだろうが。


 「うむ!動きにくい!飯をたくさん食うのに不向きだ!」

 「たくさん食うわけじゃないから…食っていいけど」

 「ならばこれも修練と受け取ろう!拘束されて戦わねばならぬ時、役に立つかもしれん!」

 

 ユーシンも飾り立てられているが、装束はキリクの着物チュバである。

 本来なら動きやすい服なのだろうが、侍従官を押しのけて「仕事」を完遂した女官たちの熱が込められた装い(コーディネート)は、槍を振るには不向きそうだ。


 「何故俺まで…」

 「ぼくらだけだと恥ずかしいでしょ!!」


 ぼやくシドは来て早々風呂に突っ込まれ、磨き上げられ、髪を洗われ、西方式の礼装を着せられていた。

 本人は嫌がっているが、ヤクモのイメージする「王子様」に一番近い。今のシドが傭兵だと名乗っても、信じる者はいなさそうだ。

 

 「美味い話には穴がある。傭兵暮らしで骨にまで叩き込んだと思っていたんだがな…」

 「さすがに、あの店にいつもの恰好じゃいけないしさ。諦めて飯食ってくれ」

 「まあ、それはそうなんだが…」


 着慣れない礼装は、着心地が悪いと言うよりなんだか恥ずかしい。ヤクモが抱いている羞恥心は、きっとシドにも同じように取りついている。


 「うー…知り合いに見られたくない…」

 「女の子たちはきっと、キャーって言ってくれるさ」

 「そうかなあ…本当にぃ?」

 「さすがに調子こいてんじゃねぇぞ童貞野郎、とかは思ってても言わねぇだろ」

 「そんなことは思わないよ!!信じるよぼくは!」


 ふふん、と鼻で笑うクロムが纏うのは、紅鴉親衛隊の騎士服だ。そこに袷の外套を羽織り、片腕を抜く。クトラ自治区訪問時と同じ着方ではあるが、ひとつ、大きな差があった。


 あの時のクロムの騎士服は、フフホトに備えられている新品ではあるが、申請すれば支給されるものだ。

 羽織っていた袷の外套も、クトラ自治区に隣接するフフホトでは簡単に手に入る。訪問を見据えて、領事官(踊るおっさん)が買い求めていた、高品質ではあるが市販品にすぎない。

 

 しかし、今クロムが袖を通している騎士服は、世界でただ一人、紅鴉の守護者(ナランハル・スレン)の為だけに作られたもの。


 漆黒の生地には、濃紺の絹糸でクトラ戦士の刺青を模した文様が刺繍され、帯の裏には騎士神の刻印をなぞり、その加護を祈る文言が入っている。

 

 紅鴉の守護者にして、灯の担い手を護る騎士であるクロムの為の、装束。


 それを今朝、「あ、クロムはこれな」とぽんと手渡されたのは、さすがにもうちょっとこう、なんかあるだろうとは思うが、嬉しくないはずがなかった。

 それに、見た目と動きやすさは通常の騎士服と変わらない。着て恥ずかしくなる必要もなければ、たらふく美味い飯を食う妨げにもならない。

 

 「うう…殴りたいそのドヤ顔」

 「安心しろ。お前の分まで俺が食ってやる」

 「食べるよ!!べつにお腹くるしかったりはしないもん!」

 「俺もだ!!」

 「俺も、それなりに動きやすい。負けはせんぞ」

 

 わちゃわちゃといつものやり取りと繰り広げる仲間たちを、ファンは「不安しかない」と言いたげな顔で見ている。

 

 黄天餐館に訪問と「釣り」の協力を求めたところ、飛びつくように「是非!」と返答された。

 主人からは神か何かのように拝まれ、縋りつかれたと、交渉に行ったマルコがぼやく程、いろいろと限界だったようだ。


 店の評判の回復は勿論、心底切実な願いである。

 だが、それを上回るほどに、守護者を名乗る三人を呼び込んだとして、小カーラン中から白い目で見られているらしい。


 黄天餐館も被害者であることは誰もが承知してはいるが、だがそれでも、王族の訪問と言う名誉につられたのが悪いと、怒りの矛先が向けられるのも仕方がないことだろう。


 二太子とその賓客をもてなし、なおかつあの狼藉者を捕らえる手助けをする…それは、黄天餐館からすれば起死回生の一手だ。

 大々的な宣伝はできないが、人の口から噂と言う宣言を止めることはできない。

 小カーラン中の憎悪を集めている狼藉者を、人気の二太子が懲らしめた。その舞台となり、実は協力もしていたという「事実」は、北風よりも早く強く、小カーラン中に吹き渡る。


 「えーと、一応作戦おさらいな。俺たちは飯を食う。標的がやってきたら、いったん外で騎士たちが止める。で、出て行ってちょっとでも悪態吐いたら不敬罪でそのまま捕縛」

 「一人くらい、見せしめにしようぜ」

 「その必要はないと思うけれど。どうせ全員…だし」

 「俺の気がスッキリする」

 「まあ、臨機応変かつ柔軟な対応で…」

 「つまり、てきとーにってことだねぃ」


 商品の略奪や、店の破壊なら弁償させて本人たちはどこかの雷帝神殿へ放り込んで済ませることもできただろうが、すでにその一線は超えている。


 守護者がその立場を利用して暴虐を尽くすのであれば、正すのは主の役目だ。

 だから、本来ならばファンが手を出すのは、はっきりと横暴だ。弟にどれだけ恨まれ、憎まれても、文句は言えない。


 だが、そうであったとしても。

 守護者の誇りを穢す行為を、黙って見てはいられない。


 クロムを含む守護者たちが、どれだけその称号を名乗ることに誇りを感じているか、主であるファンは良く知っている。

 守護者の称号は、好き放題振舞うための免罪符でも、後ろに王族がいることを誇示する看板でもない。


 おのれの一生を主に捧げると言う、狂気に近い決意の証だ。

 その決意を嘲笑し、汚泥を塗りたくるような行為を許せるはずがない。


 「よし、じゃあ、行くか。大丈夫。移動中はほら、外套とかでめかしこんでるの隠れるし…って言うか、ヤクモとシドは馬車な」

 「そうさせてもらう。服装がどうとかと言うより、親衛隊の騎行に混じるのは恥を晒して回るようなものだ」

 「う、そだね。落馬したりしたら、めっちゃ恥ずかしいねぃ」


 同行する騎士は一隊十名。さらに、マルコとジルカミシュが同行する。

 無爪紅鴉旗を掲げていくわけではないが、親衛隊が集まり、誰かを護衛しているようならば、当然大都の住人たちは察する。

 小カーランに近付くころには、二太子を一目見ようと群衆が集まってきていても可笑しくはない。


 その衆目の中、拙い馬術を晒すのは、後で思い返せば死にたくなる醜態だ。

 まして、周りは騎馬の名手しかいないのだから。


 「おいしーご飯だけ、食べられたらいいんだけどなぁ」

 「同感だ」


 ヤクモの愚痴にシドが深く頷く。

 その頷きに、マルコの準備ができたかと問う声が続き。


 覚悟を決めて、ヤクモはこれまた高価そうな外套を羽織った。

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