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鳥には羽根 魚には鱗  作者: 阿古あおや
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甘やかされた子を立たせるのは、老いた牛を走らせるより難しい(親の甘茶が毒となる)6

 「ふー…一年ぶり、だなあ」


 俺の前にあるのは、紅鴉が織り込まれた毛織物。

 自室と廊下を隔てる境目だ。


 「入らないのか?」


 促すクロムは、少し落ち着かない様子だ。何せ、廊下こっち側から俺の部屋に入るの、初めてだもんな。


 もちろん、俺の部屋に来ること自体は全然初めてじゃない。

 部屋には鈴屋に繋がる転移陣があるし、外に出る時はいつも露台バルコニーから直接出て行っていたから、こうして正門をくぐり、廊下を渡り、階段を登って、またもや廊下を歩いてくるのが、初めてなんだ。


 なんでまたそんなお行儀の悪い事をしていたかと言えば、小門から出れば招いていない客に絡まれる可能性もあったから。

 そして何より、兄貴がそうしろと命じていたからだ。


 いざと言う時、弟を護り、脱出できる経路を頭と体に叩き込んでおけ。


 その言いつけをクロムはきちんと守り…正門から出たり入ったりがめんどくさかったと言うのも絶対にあるけれど…俺の部屋から外へ出る道を、五通りくらい見つけている。

 

 「どしたの?ファン」

 「あれか!なんだ!あれだ!考えまくる?なのか!」

 「…もしかして、感慨深いって言いたい?」

 「たぶんそれだ!」


 一年ぶりとは言え、自分の部屋に入るのは別に感慨深くもなんともないけどさ。

 

 「…ちょっと、怖くて」

 「こわい?」

 「何せ、一年も留守にしてたからな」

 「お掃除くらい、してくれたんじゃないのう?」

 「だからだよ」


 当然ながら、俺の部屋には貴重な書籍や標本がたくさんある。

 いや…たくさんあった、になっている、かもしれない。

怖い。確かめるのが。確定してしまうのが!


 「母さんがこれ幸いと、本や標本を捨ててないかと…」

 「なら、なおさらさっさと確かめればいいだろうが」

 「見てなければ、捨てられてない可能性は残るだろお!?」

 「捨てられてたら、見てなくてももうないんだから、同じことじゃない?」


 うう、しかし、ここでウダウダしてても仕方ないし、一応、部屋からはみ出さなければ捨てないことになっているしな。

 それにしても、何故世の中の母親と言うのは、子供の私物を捨てたがるのだろうか。


 まあ、母さんの場合は、単純に虫が嫌いだから、なんだけど。


 「信じてるよ、母さん…!」


 今もまだ、親父と兄貴説教中だが。

 なお、足は母さんの指示で自分で洗った。やっぱり、自分で洗う方がスッキリする。人に洗ってもらうのは、気恥ずかしいしさ。


 分厚いけれど軽い毛織物を捲り、中へと進む。


 サライ離宮やフフホト離宮と同じく、まずは護衛の騎士や侍従官が控える間だ。

 ただ、広さが倍以上に広く、向かって右が護衛騎士、左が侍従官が控える小部屋になっている。

 

 不吉な予想にざわめく鼓動を抑えきれないまま、まずは騎士の間に入るための幕を捲った。


 「ああ…!」


 そこに広がっていたのは、みっしりと本が詰まった本棚。


 「良かったあああ!無事だああ!あ、標本!標本は!」


 侍従官の間だった小部屋には、標本を保管している。駆け込むように入ると、一年前と変わらない光景。


 「ねーねー、ここって、そういう風に使うお部屋?」

 「ンなわけないだろ」

 「だよねぃ…」


 この部屋に住んでいるのは俺なんだから、どう使ったっていいじゃん!

 向かいの部屋や両脇は、護衛騎士や侍従官が詰めているわけだしさ~。何も、こんな狭いところで何するでもなく待機してなくても良いと思うんだよね。


 何より、この部屋は完全に俺の私室だ。


 なんかしら、この紅鴉宮にお客様をお招きして…今現在、ユーシンとヤクモと言うお客様がいるのは目を逸らしておく…「ナランハルの部屋」にいらっしゃって貰う場合には、それ用の部屋が他にある。

 そっちはちゃんと、騎士と護衛艦の控えの間、本と標本で埋まってないし。


 …滅多にないから、使わない時は夏なら冬のもの、冬なら夏のものをしまっておく場所になっちゃっているけど。


 なんにせよ、良かった良かった。母さんも暇じゃないから、標本箱の中身だけ捨ててるとかそういうことはないだろうし、この一年の最大の懸念が解消されたな。


 「まあ、予想通りの部屋だが、入ってくれ」

 「こっちのお部屋見れば、だいたいわかるよねぃ…」

 「期待は裏切らないよな。悪い意味で」


 散々な言われようだ…。


 (元)控えの間を抜け、衝立を迂回し、最初のそれよりも薄く、軽くなった幕を捲って進めば、見慣れ住み慣れた俺の部屋。


 書架が整然と並んで部屋の半分を占めているのは、その予想通りの光景だろう。

 だが、それだけじゃない。


 露台があり、硝子がはめられた窓がある側。

 そちらには、「財布から消えた銀貨、家の中に増えた満足」っていう売り文句でおなじみ、ホユルショボー商会の絨毯が敷かれ、寝転がれるクッションや座布団が適当に置かれている。

 

 限界まで本棚を詰めたら、座る場所なくなっちゃうからな。居住空間も備えてるぞ。

 年々、狭くなってきているという指摘も受けてはいるけども。


 「恐ろしいくらい、変わらないな…」


 つかつかと部屋に入り、クロムは「ヒトを堕落させる」クッションに腰を下ろした。中にはふわっふわの綿がこれでもかと詰まり、座った人間を受け止める。

 そのまま分厚い座布団にもなれば、横たわって身体を預けて堕落もできるという代物で、青いのがクロムの、茶色いのが俺のだ。

 ちなみに、ホユルショボー商会で小銀貨三十枚から四十枚ほど。クロムの青いやつは限定色で四十八枚した。


 「ヤクモも座るなら、これ貸すぞ」


 俺の茶色いのと、十三枚の差がある意味が分からないが、クロムがあれをナナイ以外に使わせてくれるとは思えないし。

 興味深そうにしているヤクモを手招いて、もふもふとクッションを叩くと、大きく頷いて寄ってきた。


 「ユーシンのは、今出すな」

 「自分で出そう!あそこに入っていたな!」


 部屋の一角にある納戸を遠慮なく開けると、ユーシンは緑色のクッションを引っ張り出した。これはお客さん用にと買ったものだけれど、もっぱらユーシンが使っている。


 「ファンは?」

 「俺はこれ使うから」


 示して見せたのは、円型の分厚い座布団。握り拳二個分はある厚みは、俺が腰を下ろしても変わらない。硬い綿を羊の毛で包んだものが詰められていて、こちらは小銀貨二十五枚だ。


 「ふわああ…沈むぅ…」

 「寝る前に、外套とか脱ぎなさい。って言うか、着替えるか。ユーシンの服なら、ヤクモも着れるかな」

 「ちょーっと折ればだいじょーぶ、かなあ。っていうか、ユーシンの服あるの?」

 「クロムのもあるぞ」


 せっかく腰を下ろしたけれど、よいこらせと立ち上がって納戸へ向かう。目当てはその中にある、羊の革で造られた収納箱。

 中身は、ユーシンの服だ。家の中で寛いで着る服、街中に出て行ける服に寝巻まで三着ずつくらい入っている。

 それを引っ張り出し、ユーシンに渡すと、とてとてとヤクモの前まで運んで行った。

 

 「クロムも自分の出して着替えろよ」

 「ん」


 緩慢に立ち上がり、奥にある寝室の入り口へと足を進める。俺の服も寝室だからな。着替えたい。

 騎士服は、当然ながら着心地とかは二の次三の次。丈夫で洗濯してもよれないのを一番二番で造られているから、寛ぐ時に着るには向いていないからな。


 「外套やらを掛けておくところ、あっちにあるから。着替えたら持ってくるんだぞ」

 「わかったー!って、言ったそばからポイしないの!!」

 「いつもこうだぞ!」


 まあ、ヤクモが何とかしてくれるだろう。うん。

 

 クロムに続いて寝室に入ると、こちらも記憶と寸分違わない。

 中央に置かれた、特に何の特徴もない寝台。

 服が吊るされた衣文掛けと、その横の収納箱。寝台に寝転んで本を読むとき、お茶や何かを置くのにちょうどいい小さな卓。


 強いて相違点を挙げるなら、服には覆いが掛けられていることか。むき出しにしていると、埃塗れになっちゃうしな。


 「服、買わないとな」

 「サライで買ってなかったか…?」

 「あれは旅装だ。去年の服じゃ、もうダセェし。ちょうど年末だから、安くなるだろ」

 「来年帰ってきたときには、またダサいって着ない…とか、やるなよ?」

 「来年の流行り次第だな」


 クロムの箱から引っ張り出したのは、柔らかい綿の袷と、紐で腰回りの太さを調整するズボン。俺が自分の箱から引っ張り出したのも、似たような服だ。

 ただ、俺のはクロムに言わせると「絶対に家の中だけ、しかも家族以外には着ているのを見せたくない服」なんだそうだ。そう違わないと思うんだけどなあ?色の差?

 これにざっくりと編まれた毛糸の帯を巻く。お腹、冷やすのは良くないからね。

 

 とは言え、部屋の中は温熱の魔導具がそこかしこに置いてあるから暖かい。

 絨毯の下にも陣があるんで、上着や靴下はいらないから、履いていた太い毛糸で編まれた靴と不織布の靴下はしばらくお役御免だ。


 「やっぱり、王子様のへやっぽくないねぃ」

 「逆に王子様の部屋ってどんなんなんだ?」

 「もーちょっと、キラキラしてるんじゃない?服、そこに掛けちゃっていいのぅ?」

 「洗濯するものは、横の籠なー」

 「はーい」


 ヤクモが着ているのは、ストンと長い裾と袖の服だ。すっぽりとかぶり、胸元の紐を組紐で造られたボタンに引っ掛けて止める。帯は巻かない。

 履くズボンはちょっとモコモコした暖かいやつで、キリクの一般的な寝巻兼部屋着である。

 寝るときは、この上に綿を入れ、毛皮を内側に張った袷を着て、丸まって寝るのがキリク・クトラ流。


 俺たちは何かあったとき、身の回りに置いてある大事なもの…特に、小さな子供とか…を素早く包んで持ち出せるようにするため、掛布団を使う。

 けれど、アスランよりさらに寒いアーナプルナ山中は、布団に包まるくらいじゃ寒くて寝付けない。

  

 冬はさらに寝る時用の毛糸の帽子を被り、手袋をし、長い裾を絞って服を繭のようにして眠る。

 家族でひとつの寝台に固まり、子供を大人が挟んで寒気から守って夜を過ごす…んだけれど、なんであんなにユーシンは寝相が悪いのか。


 まあ、そうしなくても眠れるほど、恵まれた環境で育った王子だからってのはあるけどさ。

 双子のユーナンはちょっと寝返りうつくらいで、あんな大移動しないのになあ。


 「この服、暖かいねぃ」

 「だろう!それが一番暖かいやつだ!」 

 「アラルトスゴン商会の服は、安くて機能的でいいよな」

 「その分、見た目がアレだがな」

 

 そんなに変かなあ?クロムの言う「ダサい」の基準がどこにあるかいまいちわからん。


 「今、ユーシンとヤクモの部屋を準備中なわけだけれど、今晩寝るまでには使用できるようになると思う。寝るのはそっちで寝るか?たぶん、王子様の部屋っぽく仕上げてくれてるぞ」

 「興味はあるけど、落ち着かなさそうだねぃ」

 「なら、俺の部屋で一緒に寝るか!」

 「いつもみたいに、俺の部屋に集まって寝ても良いけどな」

 「え~…馬鹿の寝息うるせぇし。部屋で寝かそうぜ」

 

 ものすごく嫌そうな顔をしない。ユーシンは毛ほども気にしてないけれど。


 「クロムのお部屋はないのぅ?」

 「俺は守護者だぞ。主の側で守らんでどうする」

 「あそこから入る続きの部屋が、クロムの部屋っぽくなってるよ」


 寝室の横、本来なら衣裳部屋である続きの間だ。

 でも、俺の服なんてここに置いてあるだけで十分だし。


 「寝台といくつか私物が置いてる程度だがな」

 「服はここに置いてあるしなあ」


 鍛錬で使うための木製の武器や皮甲に、なんか買ったはいいけれど、結構邪魔になってきたものなんかが置かれている。

 手足に着けて生活するだけで鍛えられる腕輪足輪とか、びよーんと伸ばして身体を鍛えるものとか、つつくとおしゃべりする魔導人形とか。


 「まあ、それは後で考えるとして。今は寛いでくれ。ファン・ナランハル・アスラン。友の来訪を、心より歓迎する」


 そろそろ、侍従官が飲み物と摘まむものを運んできてくれるだろうし。

 夕飯まで、グダグダと過ごすのもいいじゃないか。


 「わーい、ありがとう~」

 「どういたしまして。ヤクモは親父も認めた客だからな。何憚ることなくのんびりしてくれ」

 「…いい気になりやがったら潰すからな?」

 「どーしてお前はそういう…」


 クロムのこれは、むしろ習性と認識するべきなのか。ヤクモが「おモテになる族」をみるとぐぎぎ…って鳴くのと同じで。

 そんなことを考えながら寝室を出ると、侍従官の入室許可を願う声がした。


 とは言え、ここで「いいよー」以外の返答はない、と心得ているのが紅鴉宮うちの侍従官や女官である。返答する前に、布がめくれる音がして、薬缶を下げた侍従官が…


 「…何やってるの?親父、兄貴?」

 「お茶を持ってきたんだよ!」

 「菓子もあるぞ!弟よ!」


 二人の後ろから、「止めたんですけどね?」って顔をした侍従官が続く。

 うん…ごめんね?聞き分けのない父と兄で。

 

 「母さんにまた怒られるよ?」

 「ソウジュちゃん、ニルちゃんと一緒に、ナナイちゃんの服を見立てるのに忙しいから!」

 「うむ。お話の途中だったが、商人が来たと報せがあってな。お戻りになられた」

 「だから、お父さんたちも晩御飯までここにいまーす!」

 

 わーい、と手を挙げる親父。うむうむと頷きながら距離を詰めてくる兄貴。

 近いよ。めっちゃ近いよ。


 曖昧な笑みを浮かべる俺や、はっきりと無表情になったクロムとは逆に、ユーシンは輝くような笑みを顔全体に浮かべた。次にいう台詞、わかっちゃったな。


 「ならば手合わせしよう!陛下!トール!」


 やっぱり。

 ユーシンを見慣れている俺達でも「うあ…」と思うような眩さだが、さすがに兄貴は気にしない。

 ぷるぷるっと首を振って、さらに俺との距離を詰めてくる。だから、近いって。抱き着くって言うより、めり込んでくる。兄貴型の痣が出来たらどうしよう。 


 「今は弟を補充するのに忙しい。しばし待て…それと、クロム。忘れておらぬよな?」

 「何をだよ」

 「星龍宮の屋上に来いと言う話だが、まあいい。ここで確かめる」

 「俺にお構いなく。忙しいんだろ、いろいろと」

 

 ふるふると首を振るクロムに、兄貴はにっこりと…はたから見れば、実に麗しい笑みを向けた。ユーシンに対抗しているってわけじゃないと思うけど。

 

 「安心しろ。夕餉に差し支えることすらない」


***


 「部屋着に着替えたっつーのに…」

 「また着替えればよい!」


 月が登りはじめた冬の空気は、ぴんと張って痛いくらいに寒い。

 見物の俺たちも部屋着を防寒用重視の外出着に着替え、帽子に首巻、外套の上からさらにマントを羽織って万全の体勢だ。でも寒い。


 「お父さんも手を出したいけど、今日は我慢しておくね!だから、クロム君もユーシン君もこの一戦に全部を賭けちゃいなさい!」

 「承知いたした!けど、陛下!陛下ともまた手合わせしたい!」

 「いーよ~。やろうやろう」

 「よし!」


 嬉しそうに気合いを入れるユーシンは、今日着ていた服から外套と帽子首巻を取り払った格好だ。

 つまり、毛織物で造られた着物チュパに、いつもの革の防具。手に持つのも、馴染みの長槍。模擬専用の木製の槍や、穂先が綿で出来たやつじゃない。

 

 「くっそ寒い…」


 文句を言いつつも、クロムは身体を軽く動かし、ほぐしている。

 月と星の灯り、そして魔導燈を反射して、鋼青の双眸が、その瞳を囲む白目が、青白く光っているように見えた。


 まるで、狩りを前に、荒く息を吐く若い狼のように。


 「俺から先でよいか!」

 「どちらでもよい。負けたい方から掛かってこい」


 兄貴はと言えば、防具は何も身に着けず、外套もきっちり着込んでいる。

 中はたぶんさっきまでと同じ部屋着だ。母さんが買ってきた、兎の顔が百個くらいあつまって、大きな兎になっている模様が編みこまれたやつ。


 俺も同じの貰ったんだけれど、サイズが合わなかったんだよねー。だから、兄貴にあげたんだよねー。色違いになるし。

 …その色違いの方は、星龍宮の宝物庫に入っているという恐ろしい話を聞いたけれど、確かめる勇気が俺にはない。

 

 そんな装備だけれど、手にするのは模造刀ではなく、『月下落霜』の銘を持つ愛刀。

 当然、お互いまともに攻撃を受ければ怪我をするし、場合によっては死ぬ。


 「あのさあ、ファン…武器、あれって危なくないのぅ?」

 「危ないか危なくないかでいえば、間違いなく危ないな」

 

 ヤクモの言いたいことはよくわかる。俺だって、やろうとしているのがこの三人じゃなきゃ、絶対に止める。

 

 「だいじょーぶだよ!ヤクモ君!」

 

 笑みと共に、親父は白い息を吐き出した。


 「トール君と刃を交えるのに、本気でやらないって選択肢はないからね!武器も含めて!殺す気で行かなきゃ、勝ち目なんて端からないよ!」


 本気で殺す気で、全力を出し切って。

 それでも、その龍の尾に触れるかどうか。


 そして、兄貴も模造刀を使わないのは、二人に対する敬意だ。

 正直、兄貴ならその辺の木の枝を振っても勝てると思うけれど、ある程度は本気で行くという意思表示だ。

 

 「私がトール君の立場でも、同じように槍を構えるよ!穂先に鞘はつけるけどね!」

 「陛下の槍、必ずや抜かせて見せましょう!この一戦にて!」

 「楽しみにしとくさ~!」


 親父の言葉に、ユーシンは得たり、と頷く。

 紅鴉宮の前庭…と言うか、何も手を加えていない草原に立つ兄貴の前に、進み出る。


 「それじゃあ…はじめ~!」


 親父の少々気の抜けた合図に、まず動いたのはユーシン。

 

 我が家に伝わる、異界から大祖が齎したクラマという剣技は、特に決まった型があるわけでも、当然ながらなんかこう、技名を叫びながら振るとすごい威力になったりする必殺技があるわけじゃない。


 むしろ、決まった型や攻め方がないのが、極意と言ってもいいのかもしれない。

 俺はさっぱり身につけられなかったから、想像でしかないけれどね。


 通常、戦う時の動きと言うのは最小限にするもの。大きく動けば隙もできるし、疲れる。

 相手を大きく動かし、自分は最低限の動きに抑えるのは、基本だ。


 けれど、クラマはそうじゃない。

 一気に懐に飛び込み、更に跳躍して死角に潜り込む。壁やなんかを蹴って空中に飛び上がり、翻弄する。

 一度惑わされれば、まともに打ち合う事すらできずに斬られて終わるだろう。


 惑わされる前に、一撃を。

 それが、ユーシンの出した答えで、おそらく正しい。


 夜の光を集め、槍が白銀の軌跡を闇に描く。

 十分すぎるほどの速度を乗せた、刺突。


 だが、それを迎え撃ったのは、鋼の歌。

 

 月明かりに、火花を添えて。

 兄貴が、嬉しそうに微笑んでいるのが見えた。


 風すら貫く一突きを、いつの間にか抜き放っていた刀で滑らし、体制を戻そうとするユーシンを巻き込むように、くるりと回る。


 「くはっ!!」


 地面に叩きつけられて、ユーシンが白い呼気と共に胃液を吐いた。

 それを兄貴が、腹の上に片膝を乗せて見下ろしている。


 「俺にはよくわかんなかったんだけど、ヤクモ、見えた?」

 「た、ぶん」


 目を見開き、顔の周りを荒い息で真っ白に染めながら、ヤクモは何度も頷いた。


 「えとね、ユーシンの攻撃が流された…?あと、トールさんの膝がユーシンのお腹にはいって、そのまま、クルンって回って、足払いして、地べたに叩きつけられた…かんじ?」

 「おー、良く見えたねえ!その通りだよ!」


 ほんの一瞬の攻防。

 ユーシンは何とか戦う体勢に戻ろうと藻掻き、けれど…起き上がることが出来ず、咳込む。足に叩き込まれた一撃も、相当な威力だったみたいだな。

 

 「良い一撃だった」


 腹からどいて、背中に手を回し、起き上がらせる。

 一瞬ユーシンの顔が歪んだのは、痛みからではないだろう。


 「まったく。一年で伸びすぎだ。模造刀だったならば、切り落とされていたぞ」

 

 ぽんぽん、とユーシンの頭を撫で、苦笑する兄貴の言葉に嘘はない…と思う。

 刀を握っていた右手を振っているのは、流した際の衝撃がそうしたくなるほど、強烈だったからだ。


 「…ぉれ、は…」

 「喋らなくていい。悔しかろう。ユーシン。もう少しは届くと、そう思っていたのだろう。だが、俺にも兄としての矜持があってな。そうやすやすと、届かせるわけにはいかぬ」


 ゆっくりと立ち上がった兄貴は、ぷらぷらと振って衝撃を逃がしていた手を、座り込んだままのユーシンに差し出した。

 

 「だから、精進せよ。そして、登ってこい。俺の首に手が届く場所まで」

 「…!!!」


 声を出すのを止めて、ユーシンは口を引き締め、大きく頷き。

 兄貴の手を取って、立ち上がった。


 「ユーシン、だいじょぶ…?」


 こちらへ戻ってくるユーシンに言葉はない。

 ただ、天色の双眸からぽろぽろと涙をこぼしながら、口許を震わせて歩み寄る。


 「負けるとわかってても、もう少しどうにかできるって思ってたよね」

 

 けれど、実際には、たった一撃。

 繰り出せたのも、兄貴が繰り出したのも。


 「でもねえ。トール君もすっごく驚いているよ。君に打ち込んだ一撃、本気だったもの。ちゃんと手加減したし~みたいなこと言ってたけど、ユーシン君の中身が無事なのは、君が咄嗟に自分からトール君の攻撃に合わせて動いたからだねえ」

 

 涙を溢れさせながら、ユーシンは親父を見上げる。

 無言の、けれど強い問いかけ。本当にそうなのかと、自分はあの星龍を慌てさせるほどの一撃を放てたのかと問う視線に、親父は笑って大きく頷いた。


 その光景を、兄貴がちょっと複雑な顔で見て…咳払いした。


 「…父上。先ほども申した通り、俺にも兄としての矜持がですね…」

 「私、褒めて伸ばす方なんだ~。それにそのほうが、トール君焦って、追いつかれないようにもっともっと強くなるでしょ?」

 「…返答を、控えさせていただきます」


 どうやら図星のようで。

 

 「ユーシン君とやる時、楽しみにしててね」

 「…は、い!」


 声が掠れているのは、受けた一撃の余韻か、顔を濡らす涙のせいか。

 どっちにしろ、涙が凍ると顔が凍傷になるから、拭いてやらんと。


 手拭いを取り出して顔を拭いてやると、ついでに鼻もかまれた。…いや、洗濯するからいいけどさあ。

 同じように手拭いを取り出していたヤクモが、「やんなくてよかった」みたいな顔をして引っ込めていった。


 「さ、次はクロム君だねぇ!頑張って!」

 「殺す気で行きます」


 クロムの顔に表情はなく、ただ、冬の月のように冴え冴えとした闘志だけが、双眸に宿っている。

 ユーシンの惨敗を見てもその闘志に翳りはなく、「やるだけ無駄だ」とか言うような諦めは一切混じっていない。


 「ユーシンは分かるけど…クロムまで…」

 「これは、手合わせだけど、違う意味もあるからさ」

 「違う意味?」

 「特にクロムにはね」


 兄貴は、クロムにとって主の兄とか、次代アスラン王とか…そういうものの前に、師だ。

 この一年で、どれだけ強くなれたのか。

 それを、クロムは兄貴に見せたい。


 負けるのは当たり前。

 兄貴は、天賦の才とそれを最大に伸ばせる環境を生まれ持ち、十三の年から現在の二十八歳まで、一年間一度も戦場に立たなかったことはないほどに、実戦経験を積んでいる。


 才能と環境と実戦経験に勝る相手に勝つには、奇跡を祈るしかない。

 そして、そんな神頼み(ひとまかせ)は、クロムの最も嫌う行為だ。


 負けるのは、当たり前。殺す気で掛かっても、勝てるはずはない。

 けれど、全力で挑み、ぶつかって。


 強くなったなと、認めてもらいたい。


 悔し泣きしていても、ユーシンも根っこは同じだ。

 この一戦、手合わせではあるけれど、鍛錬の為じゃあ、ない。


 クロムとユーシン、二人から兄貴へ叩きつける、全力の「ただいま!」だ。


 ざ、ざ、と土を踏みしめ、クロムは兄貴と約十歩の距離を隔てて向かい合う。

 十歩。二人にとっては、すでに間合いの中だ。

 

 師匠と弟子。修める剣技は同じもの。

 ただ、クロムは左手に盾を持ち、刀ではなく剣を構える。


 「はっじめ~!」


 親父の声が夜風に舞う。けれど、二人は動かない。

 静かに、ただ、白い息を散らせながら、向き合う。


 二人の間の空気に触れれば、りん、と音を立てて崩れる。

 そんな幻想すら抱いてしまうような。

 

 じゃり、とクロムの靴底が音を立てた。

 次の瞬間、二人の間の距離は、消えて失せる。


 仕掛けたのは、クロム。

 一呼吸で距離を詰め、剣の間合いに入った刹那、再度跳躍して視界の外へと回り込む。


 だが、それを兄貴は初めからわかっていたように。

 身を捻りながら抜刀し、その動きのまま、剣の柄でクロムを追う。


 「『盾』よ!」

 「!」


 光が、あふれた。

 光の盾がクロムの前方に出現し、兄貴の攻撃を受け、止める。


 「え、あれいいのぉ?」

 「使うなとは言ってないしなあ」

 「トールに挑むのだ。全部ださなくては意味がない」


 まだ少しぐすぐす言っているユーシンは、クロムを咎めない。 

 

 「うんうん。クロム君、使いこなせるようになってるね!でもやっぱり、額割れるの?」

 「『盾』くらいなら、ちょっと赤くなるくらいだね」


 『砦』まで使えば即座に割れるけど。

 とは言え、出し続けていれば耐え切れなくなる。


 「良いぞ!よく即『盾』を使うという判断をした!」

 

 兄貴が褒めてくれているけれど、クロムにそれを受け止める余裕はない。

 歯を食いしばり、全身の力を使って兄貴を押し戻そうとしている。


 兄貴は小柄だし細く見えるけれど、もちろん非力じゃない。

 今振るっている愛刀だって、柄と鍔以外はすべて鋼でできているし、兄貴の弓は俺の弓よりずっと強い。


 クロムが渾身の力を振り絞っても、兄貴はびくともせず。

 少しでも余裕があれば悪態の一つも付きたいところだろうけれど、僅かでも力を抜けば、すぐに押し切られて体勢を崩される。

 

 「!」


 不意に、その均衡が崩れた。

 兄貴がふわりと舞うように後ろへ下がる。


 その動きに、クロムは良くついて行った。前のめりに体勢を崩すことなく、同じように一歩後ろへ下がり、『盾』を構えなおす。


 刹那。

 銀の光が、はしる。


 それが兄貴によって振りぬかれた刀の一閃だと気付いたときには、すでに刀は鞘に納められ。


 クロムの盾が、『盾』ごと両断されていた。


 「『盾』の御業は確かに強力だ。だが、魔力を込めてやれば斬れる。まあ、できるのははて、何人いるか知らんが」

 「…化け物め」

 「よく言われる」


 後ろ姿でわからないけれど、多分兄貴は相当ドヤ顔を晒していると思う。


 「だが、判断は良かった!それに敬意を表そう!」


 クロムの足元が、光る。

 陣だ。おそらく、押し合いをしているときに、仕込んだんだろう。そういうことが出来ちゃう人だから。


 青白い光が、クロムの膝くらいまで弾けた。

 避けることもできずに食らったクロムが、ぐらりと身体を揺らす。


 威力は当然ながら、ものすごく低く抑えられている。

 けれど、雷撃の魔導は食らえばしばらく体の自由が奪われ、無力化してしまう。

 

 「…っ!!」


 けれど、倒れながら兄貴を見るクロムの双眸は。

 まだ、諦めて、いない。


 震える手が剣を伸ばし、兄貴を目指し。

 うまく動かない口が、聞き取れない声を発する。


 けれど、その声は…確かに届いた。

 クロムを見守る、騎士神に。


 「っと!!」


 蒼い光で形作られた剣が、伸びる。

 それは兄貴の頬をかすめ、僅かに髪を散らした。


 「『剣』の御業か!うむ。よく、その状態から繰り出したな!」


 地面に倒れ伏したクロムは、視線だけでありったけの罵詈雑言を兄貴に叩きつけている。時折びくりと痙攣しているのは、体内を雷撃の余韻が駆け抜けているからだろう。


 「兄貴、さすがに大人げなくない?」


 クロムに駆け寄り、抱えおこす。足の裏、火傷してなきゃいいけれど。


 「全力にはそれなりに応えるのが礼儀だぞ?弟よ」

 「まあ、そうだけどさあ」

 「しかし、クロム。お前も強くなったな。以前のお前ならば、あそこで『盾』を使う判断が出来ず、仕留められていた」

 「…」


 クロムはまだ答えられない。口は半開きのまま戦慄いているけれど、言葉が出せるほど回復はしていないみたいだ。


 「お前たち、本当に強くなった。この一年、実り多きものであったようだな」


 二人とも…特にクロムにとって、実戦経験を積めたというのは、大きかったと思う。ユーシンも、戦の敵軍(今まで戦ってきた相手)とは違うものだったし。


 「そりゃ、自慢の守護者スレン仲間パーティだしね。ヤクモも強いよ」

 「ヤクモ君は、目がとってもいいね!来年には、三人でトール君に挑戦かな!」

 「う…できるかなあ…でも、頑張ります!」


 来年。来年の末ごろか。

 その時、俺たちは、どうしているだろう。


 まあ、一番ありそうなのは、今とあまり変わんないってことだな。

 誰一人欠けることもなく。

 兄貴に挑む三人を、親父の横で手汗かいて見ていそうで。

 

 一番ありえそうで。

 一番、そうなっていてほしい未来。


 今はそれを、他愛のない約束にしよう。


***

 

 「どうだ?ヤクモ、おかしなところはないか?」

 「だ、いじょーぶ、だけど、なんか…なんか、グルグルするぅ…」

 「魔力酔いというやつだうぇぇ」

 「きったねぇな!!俺の服でゲロッたあとの口拭くな!!」


 狭い部屋に、いつも通りの騒ぎが満ちる。


 足元の転移陣から光が失せ、放出されていた魔力が消えた。

 残るのは、俺とフラフラしているヤクモ、持ってきた盥にウェっとして、外套の裾で口を吹くユーシンと、それに激怒しているクロムのみ。


 「う~、なんとか、治ってきたぽい」

 「慣れもあるからな」

 「ほんとにここ、もう、鈴屋さん、なの?」


 ヤクモが見渡すのは、特に家具も何もない空き部屋である。

 王宮から毎回、兵の目を盗んで脱出するのは不可能に近いし、色々と申し訳ない。

 なんで、ここ鈴屋に街へ出る用の転移陣が設置されているというわけだ。

 

 もともと、大都にはいくつか王宮と繋がる転移陣が設けられている。

 もちろん、その転移陣を通れるのは一部の人のみ。緊急脱出用だったり、密偵が報告のために使ったりと、決して遊びに行くためのものじゃない。

 転移陣は開通させるのも維持するのも大変だからね。


 それなのに、鈴屋に遊びに行く用の転移陣があるのは、兄貴と言う規格外の魔導士のおかげだ。

 歴代の王族の中でも、兄貴みたいに瞬時に作成したり、ぱぱっと構築して止めなければ半永久的に稼働する…なんて真似ができる人はいない。

 

 ヤクモが転移陣の利用を可能かどうかは、手合わせ後に兄貴に頼んで見てもらった。


 転移陣は適性が全くないと最悪死ぬ。

 幸い、ヤクモは問題なしと出たんで、今日さっそく使ってみたわけだ。


 ただ、魔力で満ちた筒の中を潜り抜けるようなものなんで、影響を受けて吐いたり眩暈をおこしたりする、いわゆる「魔力酔い」になるときはなる。

 ユーシンはもう何十回と転移陣を通っているけれど、毎回こうなるしな。

 

 完膚なきまでに負けたとは言え、それは想定の範囲内。

 ああすればよかった、もう少しこうできたんじゃないかって後悔もあるだろうけれど、それよりも「兄貴をちょっとは焦らせた」って事がじわじわと効いてきたみたいだ。

 

 夕飯をもりもり食い、床に着くなり爆睡し、翌朝、家畜の世話の為に夜明け前に俺が目を覚ますと、もう二人とも着替え終わっていた。

 そのまま、紅鴉親衛隊訓練に参加し、新兵なら食べるのに苦労するような量の朝食を平らげ、現在もこの様子である。


 「じゃ、デブんち行くか」


 クロムは膝から下に妙な模様を作っているし、ユーシンも腹と足にでかい痣ができている。けれど、約束を違えるわけにはいかないし、二人ともじっとしていられないんだろう。

 そんなわけで、ズージェンの「ナランハルへの頼み事」を聞くため、王宮を出た。


 俺がもらえた「ゆっくり休みなね~」って期間は三日間だけだし。

 問題解決は、急がなきゃな。

 

 「ぼくらも一緒に行っちゃっていいのぅ?」

 「場合によっては、席を外してもらうかも」


 逆に、二太子に頼みたいような事なら、他国の王子がいたほうがいい案件かもしれない。

 例えば、威張り腐って迷惑を掛けているどっかの貴族なんかが、「たまたま」通りかかったキリク王国のユーシン殿下や、シラミネ王国のヤクモ殿下に無礼を働いた、とかね。

 そんなことされたら、厳しく取り締まらないわけにはいかないなーって感じで、やりやすくなる。

 

 俺に無礼を働いたら、下手すると一族郎党に咎が及んじゃうからね。

 それが妥当ならそうするけれど、不出来な子弟のせいでまっとうに生きている人に迷惑が掛かってしまうのはよろしくない。


 「心得た!」

 「あー…くっそ、きったねえ…」

 「クロムの性根よりはだいぶんマシだ!」


 本日クロムが着ているのは、軍支給の外套じゃなく、サライでちゃっかりパーティ資金で購入した私物だ。なんで余計に腹が立つらしい。

 

 「鈴屋で洗濯を頼んでおくか?」

 「そうする。サモンの部屋行って、適当な外套とってくるわ」

 

 宿屋なので、鈴屋には契約している洗濯屋さんもいる。外套一枚なら、急ぎでお願いしても銀貨二枚程度だろう。

 …鈴屋の洗濯場借りて、俺が洗うかな。それなら無料ただだし。

 

 「言っとくが、お前が洗うのはなしだからな」

 「…なぜ?」

 「外套はちゃんと洗濯屋に頼まねぇと、型崩れするからだよ」


 それくらい気にしなくても良いと思うんだけど、反論は許されなさそうだったんで黙っておいた。


 「っていうかさ、そのサモン?さんの部屋に勝手に行って、勝手に持ってきちゃっていいの?」

 「クロムとサモンは幼馴染で、家も近いからそっちゅうお互いの部屋に泊まったりしてたから、着替えが普通に置いてあるんだよ」

 「腐れ縁だ腐れ縁」


 そんなことをわちゃわちゃと言いあいながら、廊下へ続く扉を開ける。

 転移陣は宿の奥、離れとして建てられている棟の一室だ。当然ながら、この棟に一般のお客さんが泊ることはない。

 他の部屋は普通に泊ることもできるから、たまに俺も泊まったりしていた。

 

 廊下を通り、玄関から外に出る。昼とは言え寒いんで、庭には誰もいない。

 宿の受付に行って、クロムの外套渡してこよう。


 「外套頼んでおくから、服とっておいで。見てて寒い」

 「そうするわ」


 肩を竦め、クロムは駆け足で庭を走り抜けていった。宿と食堂を隔てる壁に手を掛け、ひょい、と乗り越えて向こう側へ消える。


 「ユーシン、ひとの服でげー拭いちゃダメだよ?」

 「うむ。そうだな!余計に口が汚れたかもしれん!俺の口もクロム並みに汚くなったら、ユーナンに叱られてしまう!」


 そう言ってカラカラ笑うユーシンに反省の色はない。とりあえず拳骨一発落としておくべきか。まあ、クロム以外にはやらないから、いいか。


 宿の受付にいたのは、幸い顔見知りだった。事情を話して手渡すと、笑いながら受け取ってくれる。お金は洗い終わった品物と引き換えだ。

 さすがにクロムに払わせるのはかわいそうだし、ユーシンの財布から出させよう。


 やり取りを終えて外に出ると、飯処と宿屋を繋ぐ扉から、ちょうどクロムが出てくるところだった。

 見覚えのある外套を羽織るクロムの後ろから、シドの長身もついて出てくる。


 「お、シド。昨日は久しぶりの自宅だろ。ゆっくり休めたか?」

 「皆が帰還の祝いだと飲み会を催しくれて、寝たのは夜が明けるちょっと前だ。ついさっきまで寝ていたが」


 苦笑しつつも、その顔に疲れた様子はない。昼まで寝てたのなら、寝不足ってわけでもないだろうしね。


 「やっぱり、自分の部屋と言うのは良いものだな。帰ってきたという気になる」


 故郷セスを出て、追手から逃れる暮らしだったシドにとって、鈴屋にある部屋はようやく手に入れた「自分の部屋」だ。

 うん、ただいまを言える場所って言うのは、必要だよな。


 「何処かへ行くのか?」

 「幼馴染に来てほしいって頼まれてね。シドも暇ならくる?」

 「…行っていいものなのか?」

 「人手がいる話かもしれないから。まあ、あっちに難色を示されたら、三人で周りの店でも見ててくれ。カーラン系の店が集まっている一角だから、楽しめると思うよ」 


 飯屋は、昼の営業を終えていったん閉めてるけれど、雑貨や服を売る店や、軽食お菓子の店は開いている。茶店もいっぱいあるしね。


 「わかった。上着と財布を取ってくる…剣も、いる話か?」

 「場合によっては」

 「心得た」


 待つことしばし。昨日までと同じ外套を纏ってきたシドの背に、長剣はない。

 ん?と首を傾げた俺たちに向け、シドは外套の前を開ける。腰のベルトに、小剣が固定されていた。


 「市街地だと、バスタードソードは邪魔になりかねない。こっちでも、余程の相手以外にはどうにかできる…つもりだ」

 「成程な。どこにでもクッソ邪魔くせぇ槍持ってくる馬鹿とは大違いだ」

 「俺はたとえ木々生い茂る森の中でも槍を振るえるから、問題ないのだ!」

 「でも確かに槍持って店見て回るのも邪魔だろ。ククリも持ってきてるんだし、預けていく?」


 俺の提案にユーシンはほんの少し考えこみ、頷いた。


 「そうだな!槍を持っていると、饅頭をひとつしか持てないし、クロムが奪いに来た時に思わぬ不覚をとるやもしれぬ!」

 「取らねぇよ。お前の食いかけとか。拷問かなんかかよ、それ」

 「決まりだな。もっかい宿の受付行くから、ユーシンも一緒に来なさい」

 「うむ!」


 再度顔を出した俺に、受付さんは少し驚いていたけれど、要件を話すと快く槍を預かってくれた。一応渡してくれた預かり証は、俺が持っておこう。

 

 ズージェンの家である桃華菜館は、鈴屋から道を二本渡った先に在る。

 カーラン料理の店は多いけれど、とにかく辛いのが特徴のフォナン料理はあまりなく、まして本場の辛さそのものの店は、大都でもここくらいなものだろう。


 もちろん、頼めば辛さは控えめにしてくれるし、食べられないような料理じゃない。食べているときは涙目になりつつ、しばらくして「あ、食べたいな…」と思い出すんだよな。


 本場の味を求めてくるフォナン出身の人々や、噂の激辛料理に挑まんとする辛党、そして普通の常連さんで店はいつでも賑わっている。

 俺が初めて行ったときには、卓三つだけの小さな店だったけれど、今では二十を越える卓が並べられるほど大きく、広くなった。


 人も十人以上雇っているし、通いの料理人もいる。けれど、店主である親爺さんもズージェンも、変わらず汗を垂らしながら包丁を振るい、鍋を回す。そんな店だ。


 「おい、デブ。まだ焼き豚になってないか?」


 出入口には「準備中」の札がかかっていたけれど、クロムは構わず開けて中へと踏み込む。

 掃除をしていた従業員さんらが、困った顔をしながらこちらを見ていた。


 「あーっと、俺らはズージェンの友人で、アイツと会う約束をしていたんだけど」

 「ああ、若旦那の」


 一番近くにいたおにいちゃんが、ホッとした顔をして頷いた。迷惑な客だと思ったんだろうなあ。ごめんね。


 従業員さんに呼ばれて、奥の厨房からズージェンが出てきた。


 「来てくれたか!ありがとさん!」

 「約束したからな。あ、これ、お祝い」


 肩掛けにしていた鞄から、昨日悩みに悩んで決めた品を没収され、代わりに母さんに渡されたお祝いを取り出す。

 丁寧にまかれた絹布と綿布だ。布を止めるのに使っている紐も絹糸で編まれ、魔除けの印を刻んだ翡翠の玉を通してある。


 「おいおい、こんないいもの貰っちまって…」

 「俺は子供向けの図鑑が良いと思ったんだけどね」

 「そりゃ気が早すぎるってもんだよ、兄貴!字が読めるまで、あと何年かかるんだ!」

 

 え~…そんなに笑うとこかなあ?

 まあ、この反応を見るに、図鑑はやめておいて正解だったようだ。クロムが俺を見る目も呆れてるしな。


 「こいつはヤオに渡しておくよ。兄貴たちはこっちへ…」

 「俺たちはどうする!ともにいても良いか!」


 ズージェンの視線が、ユーシン達で止まる。昨日自己紹介はしたから、俺の連れだという事は分かっているだろう。

 同時に、昨日のユーシンの名乗り…俺の叔母の夫の妹の息子、という部分を思い出したようだ。

 俺のおばは、二人。

 

 一人は、母さんの双子の姉で、カーランの将軍に嫁いでいる。

 そしてもう一人は、親父の妹。先代のナランハル。


 「じゃあ、一緒に話を聞いて貰っちまおうかな」


 しばしの躊躇いの後、ズージェンは頷いた。

 ふくよかな頬が、微かに震えている。


 「聞く耳は多い方が良い…って言うもんな」


 ズージェンの後について行くと、向かったのは店から繋がる、ズージェン一家が住んでいる家の方だった。

 顔を出したヤオに、ズージェンが祝いの布を見せる。


 「わあ!綺麗な色…!イントルの色ね!」

 「男の子でも、小さいうちは似合う色だからって母さんが」

 「ありがとう、ファン兄さん!うふふ、これで産着を作るわ!この綿布も手触りが良いなあ~。これは顔を拭くための布にしよう!」

 「おいおい、もっといいものにしようぜ?」

 「だって、赤ちゃんには最高にいいものを用意したいじゃない!」

 「顔を拭く布、質が良くないと肌が荒れるみたいだし、ぜひ使ってよ」

 「はい!」


 ヤオの顔は、お腹と同じく幸せにはちきれそうだ。幼い時からこの二人を知っている身としては、実に嬉しい。

 

 「奥で、義父おやっさんも一緒に、ちっと相談あるからさ」

 「ああ、お父さん、いそいそ茶器抱えて入って行ってたね」

 「男だけの相談な!お前は部屋で温かくしてろよ!」 

 「はいはい。ふふ、服何作るか、お母さんと相談しよ」


 こういう時、ヤオも、ヤオのお母さんも、「何の用だ」としつこく聞いたりしない。夫たちに興味がないんじゃなく、信頼しているからだろう。


 「じゃあ、ファン兄さん、クロムに、お客さん方。ごゆっくりね!」

 「おう。ちょっとデブの腹から脂肪揉みだしといてやるよ」

 「あはは、よろしく!」


 布を抱え、ヤオは弾むような足取りで階段を登っていく。ズージェンはそれをはらはらと見守っていたが、登り切ったのを見て、俺たちに向き直った。


 「絶対、あの布、めちゃくそに高価だよな?」

 「后妃が献上されたもんだぞ?」

 「ひええ…うちの子、そんな代物で涎拭くのか…」

 「いいんじゃないか?箪笥の奥で眠っているより、赤ちゃんの涎拭いた方が布も本望だろうし」 


 まあ、母さんから渡される時、「あーあ、自分の孫に服縫ってあげたいな~」ってさんざん言われたけど。

 母さん。モノには順序ってもんがある。まずは兄貴だろう。


 ズージェンに通されたのは、中庭に面した部屋だった。アスラン式じゃなくカーラン式に、卓と椅子が置かれてる。

 赤紫色の光沢をもつ年代物の卓は、前にズージェンが言っていた、ご先祖様が牛に載せて持って逃げたという婿入り道具だろう。


 「無理とご無礼、まずはお詫びいたします」


 椅子に座らず、親爺さんが床に平伏して迎える。慌ててズージェンが抱き起した。


 「義父さん、ファン兄貴にそれはいけねえ。焦って自分も平伏しちまう」

 「し、しないぞ!?」

 「膝つきかけた奴が行っても説得力ねぇな」


 なんとか親爺さんを椅子に座らせ、俺たちも思い思いに腰を下ろす。椅子の数は四つしかなかったんで、ズージェンが他の部屋から丸椅子を持ってきた。


 部屋はなかなか広く、でっかい男が複数いても窮屈さは感じない。

 火鉢型の魔導具のおかげで暖かいので、外套は脱いで膝に置くことにした。


 「とりあえず、最近義父さんが凝っている茶でも飲んでくれ」

 「ありがたい。外は空気がカラカラだからな。喉渇いてたよ」


 小さく平べったい急須は、赤土の色をしている。カーランの高名な磁器だな。茶を一度入れておく茶海も同じものだ。

 そこから注がれる杯は、掌で握りこめるほど小さい。紙のように薄く、雪のように白い杯に、柔らかな緑の茶が注がれていった。


 しばし、茶を含んでその香りとぬくもりを楽しむ。すこし冷ましてある茶は、乾燥した咥内と咽喉を潤してくれた。


 「…で、どうした?」


 二太子への頼みごとがしずらいなら、俺から話を向けたほうがやりやすいだろう。

 視線と声で問うと、ズージェンが杯から口を離し、意を決して開いた。


 「桃花菜館の本家は、小カーランにあるんだ。つっても、飯屋じゃないが」

 「もとは、肉屋なんでさ」

 「そうだったんだ」


 それでこの店の肉料理は、質に対してえらく安いんだなあ。

 ふんふんと頷いていると、話は続いた。


 「で、な。その本家から聞いたんだが…ここ半年ばかり、小カーランで暴れている連中がいる」

 「…小カーランで?」


 小カーラン。大都の中にある、カーランからの移住者が集まっている、名の通り小さなカーラン皇国だ。まあ、皇王はいないけど。

 かつて、そこは治外法権の地となり、最終的には軍が入ってアスラン国籍を持たないもの、持っていても犯罪を犯したものを処刑、もしくはカーランへと引き渡した。

 

 そんな場所だから、アスランも常に目を光らせているし、同じことが起きないようにと、自警団が組織されて協力している。

 成功した商人や、小カーラン出身の将軍高官でも、あそこで自分の一族を好き放題させておくなんてことは、あり得ない。

 まして、「余所者」が大きな顔をできる場所でもない。


 もちろん、普通に暮らしている人の目や耳に届かない場所では、どんな無法がのさばっているか、想像に難くないけれどね。

 

 「暴れているって言うのは、そこったら中に喧嘩吹っ掛けてるとか、そういう程度じゃないんだな?」

 「金を払わないのは当然で、店を壊す、因縁つけて殴る蹴る…」


 ズージェンの眉間に皺が寄る。


 「…そして、こないだ、昼間っから娘がな、やられた。そんで、助けようとした人が…殺された」

 「…間違いないのか」

 「ああ。なんたって、その助けようとした人は…義父さんの従弟だ。葬式に出た」

 「それで、犯人は?」

 「手が出せねぇのさ」


 ズージェンの肩に、親爺さんが手を掛けて首を振る。それ以上言うな、そう伝えるように。

 けれど、ここまで聞いて「そっか、じゃあ帰るな」とも言えない。


 余程の相手でもない限り、そこまで非道を働けば捕縛されて裁かれる。

 女性を凌辱したうえに、助けに入った人まで殺したのなら、袖の下で減刑されてたとしても、棒打ちの上に鉱山奴隷か汚泥掬い。通常は死罪だ。


 それでも、いわゆる「上の方の人」なら、その罪をなかったことにしてしまうのも、不可能じゃあない。

 アスランの法は雨の如く平等だけれど、上の方は雨を避ける方法や道具をたくさん持っている。


 とは言え、あまり好き放題やらせていれば、いずれ雷帝の指が咎人を指す。

 まして、カーラン人は同郷出身者を一族と見做すし、面子を何よりも大事にするからな。縄張りを荒されて大人しく諦めるという選択肢は、基本ない。


 アスランの高官には小カーラン出身者も多くいるし、あの場所で好き放題に振舞うという事は、燃え盛る家の中で、酒を飲んで寝こけているようなもんだ。

 燃え尽きた家の中から死体が見つかっても、死因が毒殺か刺殺か絞殺か…はたまた、あらゆる拷問を受けた上での死か、わからないしね。


 「犯人は?」


 それでも、犯人に手が出せないというのなら。

 相手は、相当な地位にいる。


 「三太子サルンバル

 「…!」

 「三太子の守護者(サルンバル・スレン)。そう名乗っている連中さ」

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