甘やかされた子を立たせるのは、老いた牛を走らせるより難しい(親の甘茶が毒となる)4
「ほら、あっちになんかあるの見えるだろ?あれが王宮だよ」
俺が指さすのは万馬大道の先、ずーっと先にある、なんかうっすらと影のように見えるモノ、だ。
それに真っ先反応したのは、ヤクモじゃなかった。誰よりも早く俺に声を返したのは、通りすがりのお年寄り。それも、「これ!無礼な!」という叱責だ。
王宮は一番高い建物でも三階までしかないんで、遠ざかると「なんかある」程度になる。だが、まあ、やはり大都で王宮を「あれ」呼ばわりするのはいけなかった。
「あー、こほん。あちらに聳えるのが、アスラン王国の王宮だ。大王と后妃、太子の方々がお住まいになってらっしゃる」
「とりあえず、指さしたり、てきとーに言ったらダメなんだってわかったよ」
心なし、周囲の人々の視線が冷たい。「最近の若いもんは…」というお決まりのお叱りも聞こえてくる。
南北に大都を渡る万馬大道と、千羊大道が交わるこの地点…ジルチ広場は、まさに大都の中心地だ。
大都は俯瞰すれば長方形なんで、地理的には中心ではないけれど、賑やかで店が多く、人がたくさんいるところ…と言えば、ジルチ広場の名を出さない人はいない、と思う。
大回廊市場がある周辺や、高等学校や専門学校が多く、活気と新しいものに溢れるエリン地区なんかも負けていないけれど、大都の中心と言えば、やっぱりここだろう。
ジルチ広場の名の由来は、当然ながら五代大王ジルチだ。けれど、名前以外に彼を現すようなものは何もない。
本当は、ど真ん中にでっかい石像なり銅像なりを建てよう…と言う話が合ったんだそうだけれど、六代大王…つまり、ひいばあちゃんが「お父様は、そんなものがあったら行軍の妨げになるとおっしゃるわ」と反対し、それもそうかと立ち消えた。
でも、銅像がなくてもジルチ王の名をアスラン人は永遠に忘れないだろうし、彼の偉業が霞むわけでもない。
「ファン!屋台がたくさんある!腹が減ったぞ!」
「これから飯食いに行くんだから、我慢しなさい!」
ジルチ広場は広場と言うだけに、交差点であると言うだけじゃなく、中心部は公園になっている。
イントルだけじゃなく、様々な木々が植えられ、池が造られ、今は枯れてしまっているけれど、草地が広がる。
まあ、いざと言う時にはここに防衛陣を築けるようと、遮蔽物と水源を用意してあるわけだが。
今は何せ、非常時でも何でもないからな。無数の屋台が立ち並び、食べ物に飲み物、玩具や各地のお土産などを売っている。
それに混じって大道芸人が自慢の技を披露し、楽器を抱えた歌い手が北風に歌を乗せ、観客の目や耳を楽しませていた。
「そのお店は、ここから遠いのですか?」
「そんなでもないですよ。俺たちの定宿から冒険者ギルドまでくらい」
そう答えてから、いや、ロットさんはうちの宿の場所知らなかったよな、と思い至ったけれど、ヤクモが「じゃあすぐだね!」と補完してくれたので、まあ、伝わっただろう。
俺たちが今いるのは、東門からジルチ広場を結ぶ鉄道馬車の駅から出た地点。
鈴屋に行くには、まず千羊大道を横断する必要がある。
「とっとと行こうぜ」
いうなり、クロムはするすると渡って行ってしまった。広場を迂回するように道が続いているから、このあたりじゃ馬も車も速度を落とすとは言え、通行を止めることもない見事な横断だ。
一人で行っちゃうってのが論外だがな!
「あれはマネしないようにね。そこに橋があるから、橋渡ろう」
「一応、やっちゃったって顔しているから、あんまり怒らないであげてね」
ナナイが苦笑しながらクロムを指差す。誰もついてきていないのを見て、確かに一瞬そんな顔をした。すぐに、不機嫌そうな顔で取り繕ったけれど。
これで悪態を吐くようなら拳骨だけど、さすがに大丈夫だろう。たぶん。きっと。
だから、ナナイにはそのつもりはないと伝える。
「あ、クロム、なんか話しかけられてるよ。ケンカになんない?」
「ええ?」
慌てて視線をナナイからクロムに戻すと、確かにクロムに話しかけ、その肩をバンバン叩く人がいた。
道を挟んでも、クロムの全身に「あ゛?!」と言う気配が満ちるのがわかる。
「あー…いや、あれは、大丈夫だ。問題ない。まあ、とにかくあっち行こう」
「う?そなの?万死に値するやんない?」
「ファンが叩かれているわけではないから、如何にクロムが阿呆でもやらんだろう!」
放っておいても問題はないけれど、ここで立ち止まっているのも迷惑だしな。
駅のすぐ横にあった歩道橋を渡り、「ちょい先行ってるぞ」と皆に声をかけて小走りに急ぐ。
クロムの肩をバンバンと叩いていた人物が、駆け寄る俺に気付いて手を挙げた。
「ファンの兄貴!帰ってきてたんだな!」
「今日、大都に入ったところだよ」
帽子の下で、如何にも人のよさそうな顔が笑み崩れている。
その顔を見るのは一年ぶり…いや、もっとか。記憶にあるのと変わらな…くはないな。なんか…嵩が増してない?
「おい、見ろよファン。こいつ、腹になんか仕込んでるぞ」
「混じりけなしの腹肉だよ!!」
「ズージェン、クロムより二歳年上なだけだったよなあ?腹が出るには早すぎないか?」
「いや、ね?嫁と同じ気分を味わいたくて?」
「頼んでないわよ!もう!」
怒っているけれど笑った声がして、とことこと女性が歩み寄ってくる。そのお腹は確かに膨らんでいた。けれど、詰まっているのは腹肉じゃない。
「ヤオタオ!久しぶり!その、おめでとうと言って良いんだよな?」
「お久しぶりです!ファン兄さん!ええ、年が明けたらあたしのお腹はへっこみますけれど、この人のお腹はずっとこのまま!」
「どうやったらこんなに溜め込めるんだよ。マジで。まあ、ヤオ。おめでとさん」
「ありがと。クロム」
「二人とも挨拶すんのはいいけどよお、俺の腹叩きながらすんなや」
大げさに腹を震わせるズージェンに笑っていると、ヤクモ達が追いついてきた。
「クロムが…普通に会話している、だと…?」
「あ゛!?」
「あー、この二人は、俺やクロムの幼馴染だ。ズージェンとヤオタオ夫妻。ヤオタオの両親がカーラン料理屋を営んでいて、ズージェンはそこの調理師。美味いんだけれど、カーラン料理の中でも辛さが特徴のフォナン料理がメインだから、ちょーっと気軽に紹介できないな」
「辛くねぇフォナン料理なんざ、価値がないからな!って言うか、ファンの兄貴。こちらの方々は?ずいぶんとまあ、別嬪さん揃いだが。まさか、兄貴のいい人…なわけねぇか!」
「俺の方はいるけどな」
これ以上ないくらいのドヤ顔で、クロムはナナイの隣に立つ。吃驚した顔で見上げるナナイの目の周りが染めたように赤くなった。
うん。今ここに、バルト陛下がいなくて良かったな、クロム。
「え、ええ!?おいおい、お嬢さん!クロムはやめとき?茄子は食わねえし、豆腐も嫌がるんだぜ!?」
「まあまあ!クロムの!?あらまあ~!」
ズージェンは手と首を振り、ヤオタオは目を輝かせてずずいとナナイに迫る。
「じゃあ、あなたがナナイちゃんね!クロム、ガキのころから『大人になったら、騎士になってナナイをよめにするんだ!』って言ってたもんね!」
「ちょ、おま!!ガキの頃の話は禁じ手だろうが!」
「いいじゃないさあ。そんなドヤ顔晒してんだから」
「はーい、そこまで。ナナイが困ってる」
一応割って入り、ガラテアさんの方にそっとナナイを押し出した。まあ、毬を見つけた子猫みたいな顔で、コニーさんたちが囲みだしたから、危機を脱したとはいいがたいかもしれないが。
「ナナイは俺の妹みたいなもんでな。で、こっちの二人は弟みたいなもん」
「弟みたいなもんの、ユーシンだ!ファンの叔母の夫の妹の息子だ!」
「えっと、全然血とかのつながりはないけど、弟みたいなもんの、ヤクモです」
「こちらは、アステリアのアスター大神殿の神官さんたちで、里帰りついでに案内してきたんだよ」
「辛いの平気なら、ぜひうちに!」
「あれ、そちらのお二人は、鈴屋さんで見かけたね?」
ヤオタオが視線を向けているのは、シドとガラテアさんだ。家が近所だけあって、二人はよく鈴屋にやってくる。食堂を営んでいようと…いや、だからこそ、他所の味は食べたくなるもんだからな。
「あー、うん。色々あって、旅の道連れになってくれたんだ」
「おお、そうか。あ、ちょいと兄貴、クロム。いいか?」
「ん?」
ぐい、と俺とクロムを引き寄せる。なんだろう。出産祝いの話だろうか。
「…できるだけ早く、うちに来てほしいんだ…。ナランハル」
小さな、けれど硬い声。
ズージェンは、俺がどこの誰だか知っている。奴隷商人に拉致されて、俺が助けに行った子供の一人だから。
けれど、だからと言って二太子に何か頼むことなんて、今まで一度もなかった
幼馴染の兄貴分がナランハルだったからと言って、それを利用するなんてことを絶対にない。腹を膨らませているのは脂肪だけじゃなく、矜持も漢気もたっぷり詰まっている。そんな奴だ。
そのズージェンが、硬い声でナランハルを呼ぶ。
「…わかった。明日、時間をつくる。一度店が閉まる、後三刻過ぎの方が良いか?」
「ありがたい」
ぱ、と俺たちを引き寄せていた手を放し、ズージェンは顔全体に人懐っこい笑みを浮かべる。
けれど、細めれた双眸には、隠しきれない影があった。
「明日、まずクロムのうちに行く。そのあと、行こう」
「おう。あいつら連れていくのか?」
「そのつもりだ。ユーシンとナナイに、先生たちも会いたいだろうしな」
「御意」
こくりとクロムが頷き、俺たちの打ち合わせも終了する。
クロムをもっと実家でゆっくりさせてやりたかったけれど…友人の、おそらく切実な頼みを無視できるような奴じゃない。
「じゃあな、ファン兄貴。クロム。あんたらはちゃんと食べに来てくれよ!」
「わかってるって!まっすぐ店に帰るのか?」
「ああ。今日は休業なもんで、ヤオが動けなくなる前に、ちっと、赤子の物を買いにさ」
「いっぱい買っちゃった」
見れば、ズージェンの背には腹に負けずに膨らんだ背嚢がある。おそらくその中は、産着やら小さな小さな靴下やらでいっぱいになっているのだろう。
「出産祝い、店に行くとき持っていくよ。さて、クロム。ちょっと馬車捕まえてきてくれ」
「おう」
広場の端には、客待ちの馬車が停まっている。次から次へと客を乗せて出発していくが、同じように帰っても来るから、途切れることはない。
クロムは難なく、馬車を連れて戻ってきた。
「荷物も多いし、寒いんだから歩いて帰るのはやめとけ。まずはこの馬車代、祝いと思って受け取ってくれよ」
「ファン兄さん…ありがとうございます」
ここから二人の家までの距離なら、小銀貨十枚から十二枚ってところだけれど、安全運転してほしいし、あまり飛ばされたくないんで、十五枚手渡す。
「おつりは不要だ。安全に送り届けてくれ」
「お任せを!」
馭者はほくほく顔で馬車の扉を開き、まずはヤオタオに手を貸して乗り込ませる。続いてズージェンが窮屈そうに収まった。
「ありがとな。兄貴」
「気にすんな。じゃあ、またな!」
俺とクロムをみるズージェンの目は縋るようで、抱えている困難はずいぶんとでかいものだと知れた。
ズージェンは俺の事を「ファンの兄貴!」と慕ってくれているが、ズージェン自身、幼馴染のなかでは兄貴分だ。
面倒見がよく、いつも冷静で頭も回る。奴隷商人に攫われた時も、泣かずにもっと小さな子を励まし続けていたそうだ。
そのズージェンが、「ナランハルの手を借りる」と言う自ら禁じた手段を使わざるを得ない、なら。
「貴族がらみか何かか」
「その可能性が高いなあ」
法の下にアスランの民は皆平等と言ったところで、動かせる力の差というものはある。
だが、その力に酔っ払って良い気になっている奴が困難の種なら、もっと強い力でぶん殴るのが手っ取り早い。
ズージェンがそうしなければならないと判断したような手合いなら、よほどひどく酩酊している輩だろう。
遠慮なく、ぶっ飛ばして差し上げればいい。
「いやあ、思わぬ再会だったな。皆、待たせてごめん」
「いえいえ。問題ありませんよ」
そう言ってくれるとありがたい。さて、赤くなっているナナイの顔が寒さで白くなる前に、そしてユーシンが空腹のあまり野生に戻る前に、足を進めよう。
…今はまだ、考えても仕方がないし。
それに、祖母ちゃんの教えだ。
腹が減っているときに、難しいことは考えない方が良いってね。
***
「このあたり、何のお店~?」
「高い建物が、おおいですねえ…」
俺たちが歩いているのは、万馬大道から無数に伸びる道の一つだ。
フフホトでは大通りと言って過言ではない規模の道だけれど、大都では「五十二東路」と番号の名をふられる規模の道になる。
ちゃんと車道と歩道がわかれているから、歩いていて危ないという事もない。
「この辺の建物は、いろんな店が各階に入ってるって感じかな。例えば、この建物なら、一階は靴屋、二階は服、三階には茶店が入っている」
すぐ横の建物を示しながら説明する。女の子たちの視線は、硝子の向こうに並べられた色とりどりの靴に釘付けだ。
冬の始まりだというのに、外から見える位置に飾られているのは、どう見ても春が来てから履く靴で、色どりも淡い色合いのものが多い。
「この辺はね、高いお店が多いんだよね」
「つか、この辺の店はもっと年食ってから来るような店ばっかだ」
「お値段書いてないの、怖いねぃ」
ジルチ広場周辺は、高級店が集中している。俺もこの辺の店に一人で入れと言われたら、勇気ある撤退を選ぶ。
外套を脱いで親衛隊の騎士服を見せればともかく、今の旅装じゃ入ろうとしたらやんわり追い出されるけどね。
「若い娘向けの店ではないな。見たいのなら、鈴屋から少し先にある商店街の方が良い」
「お姉さま、いったことあるんですか?」
「大都は冬がとことん寒く、夏の昼は熱い。季節に合った服を買いそろえる必要があったからな」
「うわー、行ってみたーい!」
「やれやれ、帰りの荷物はとんでもないことになりそうですね」
ロットさんが苦笑するけれど、大都の服はちゃんと選べばアステリアより安くて質も良い。
特に革製品と毛織物は、アステリアの半額以下だから、買って帰っても損はないと思うんだ。
「良いじゃないですか。なんなら、馬車をもう一台用意してもいい」
「まあ、買い物が少なかったら、大司祭がもっと無駄遣いしてこいって怒りそうですからね。けれど、ちゃんとアステリアでも着られる服にしなさいね」
「あー、それは悩みどころ、ですよね!」
「西方式の服も売っているから、そういうところで買ったらいいんじゃないかな」
ナナイが指さすのは、まさしく西方式の服の専門店。
鮮やかな赤い色のドレスが、店頭に咲き誇るように飾られている。
「ちゃんと、もっと安いお店もあるよね?クロム」
「ああ。普通にあるぞ。なんか素朴系とやらで流行ってるらしいし」
「素朴系?」
「よくわからんが、田舎の村娘って感じにまとめるらしい」
「へえ~」
たぶん、朝読んでいた雑誌の知識なんだろう。
俺は勿論、流行とかにものすごく疎いから、何が何やらわからないけどな。
「母さんが、皆と服買いに行くの楽しみにしてたから、一回くらいつきあってあげてくれるかな。娘欲しかったのに、生まれたの息子だけだったから、女の子の服を選びたいんだって」
「むしろ、良いんでしょうか…お忙しいんじゃ?」
「忙しいのも、やりたくて忙しいのと、やりたくないけどやらなくちゃいけなくて忙しいのと、やりたくないしやらなくてもいいけど、暇があると突っ込まれて忙しくなる…ってのがあるからね」
そんな話をしながら歩くことしばし。
道を三回ほどわたり、二回ほど曲がると、建物の様子が変わりだしてくる。
身も蓋もない言い方をすれば、高級感がなくなって、ぐっと庶民的になってくる。
まず、硝子窓の面積が減る。そして、商店なら入口の戸が大きく開け放たれ、商品がむき出しになり、店員が大声で呼び込みをする。
食堂なら、瀟洒なテーブルが丈夫が取り柄の武骨な机になったり、座敷に敷かれた絨毯が元の色合いがわからないほどに使いこまれたものになったり。
そして道行く人々の服装も、よそ行きから普段着になっていた。
うん。落ち着く。やっぱり、あの辺はなんかあれだ。結界的なものがある。俺一人なら、早足で抜けるところだ。
「もうすぐだぞ」
「この辺、食べ物屋さん多いんだねぃ」
「ああ。ここらの店の七割くらいは、食堂だからな」
「同じような造りの建物が多いですね」
「お、するどい。この辺の建物は、十年位前に一斉に建てられたものなんだよ。建てられたって言うか、改築されたって言った方がより正確かな」
十年前。つまり、草原から大都へと、俺たちが住まいを移した頃。
「どこだかの田舎貴族が、ここいらに屋敷構えてたんだが、反乱企てて一族郎党皆殺し、屋敷やらなんやらは国に没収されて、今みたいな食堂街になったって話だ」
「反乱…ですか」
「アスランの貴族は、征服した土地の王族だからね。七代から八代に王位が継承された時、まあ、わりかし反乱が頻発した」
恐ろしい妖魔である『老いた鴉』と称される祖父ちゃんに対し、出奔してあちこち放浪したうえに、ああいうノリな人である親父は、わりかし甘く見られていた。
まあ…実は、それ自体、祖父ちゃんと親父が仕掛けた罠だったりしたわけだけど。
実際、祖父ちゃんが母さんと兄貴を見て、「処分するべき対象」から「自慢の嫁と孫」になるまで、親父と祖父ちゃんの仲は凄まじく悪く、今でも仲良しかと言えば絶対にそんなことはない程度の関係だ。
だけど、二人ともアスラン王だから。
この国を統治し、安定させ、繁栄させるためには、殺意のこもった笑顔で手を取り合うくらいはする。
要は、七代に比べて八代は甘い。戦には強いが、政治には関心がない。好き放題やっても、気付かない…と、そんな情報をあちこちの貴族連中に流し、それに乗っかった連中は、「反乱を企てた」「国法に背き、違法な税の取り立てを行った」「禁制品を扱った」…等々、心当たりが在ったりなかったりする罪を宣告されたのだ。
その時点で恐れ入って、大人しく助命嘆願を行い、領地や統治権の返上を行うならそれでよし、従えるかと反乱を起こすなら、軍を差し向けて叩き潰す。
褒められたやり方では絶対にない。それで無駄に血が流れ、人が死んだのは事実だ。
なんでそんなことをしたのかと言えば、八代大王とその太子の権威を上げるため…端的に言えば、目的はそれしかない。
逆らうものには容赦しない、八代大王もその太子も、戦上手である…という宣伝のために、無理矢理傷口を広げて膿をおしだしたようなもんだ。
無理に手を出さなくても、傷口を広げずに膿を出す方法はとれた。ゆっくりとその権威を剥ぎ取り、ただ名前だけを持つ無力な存在にすることもできた。
けど、その時間をかけたことで、国内は勿論、潜在的な敵国であるカーランやメルハ諸国のちょっかいを招いた可能性は、否めない。
その結果、もっと大きな戦になって、さらに多くの血が流れたかもしれない。少なくとも、祖父ちゃんと親父はそうなることを危ぶんだ。
強い王が国を治めている。それを見せつけることで守れる平和もある。
俺も兄貴も、初陣はそうした反乱の鎮圧だった。
初めて大都の南門から軍を率いて出立する前、親父は俺に「こんな戦が初陣で、ごめん…」とものすごく哀しい顔をして謝った。たぶん、兄貴にも同じ謝罪をしただろう。
そのことで、親父を恨んだりはしていないけどね。戦に良いも悪いもないし。
戦なんて、ないのが一番だ。
そして、もしやらなきゃならないなら、もっとも小規模に。被害も流れる血も最小に抑えられれば…将の名誉なんてものは、考慮に入れる必要もないだろう。
「ここらに住んでた田舎貴族は、田舎者のくせにやりたい放題だったらしくてな。本拠地で反乱が起きたと同時に屋敷も制圧されたんだが、引き摺りだされた奴らに向けて、投石と罵声が止まなかったらしいぜ」
「悪いやつだったのぅ?」
「多少は尾鰭がついてるだろうがな。かなり阿漕な高利貸しをやってたそうだ。国にも、商工会にも無断でな。借用書が火にくべられた時にゃ、千人以上が泣いて喜んだってよ」
俺もその光景を見たわけじゃないが、それは真実だ。
借金を返せず、先祖伝来の品を取り上げられた人、本拠地に送られて農奴となった人、辱められ売られた人…どれほどの人が、恨みと憎しみを抱えていたか、わからない。
「それで、広大な屋敷や使用人の住居、その他色々を、改築したりなんなりして、国がここで商売する人を募集したんだ。異国の料理を出す店や、こだわりの宿みたいな、ちょっと他と違う区画にするって」
実はそれ、祖母ちゃんたちがやってきたから、土地と家を渡したくて悩んだ末に思い付いた理屈付けなんだけれど。
けど、その構想は上手く嵌った。
ちょっとばかり血なまぐさい歴史をもってしまったこの一角には、世界各地の料理を出す店が並ぶ。
特に名高いのが鈴屋と、メルハ南部料理の名店である獅子の窯、北海料理と言えばここ!な、赤毛の髭亭の三軒だ。
食通なら、この地区…アムッタイ地区には必ず足を運ぶべしと、旅行指南書にも記載されるくらい、食堂街として有名になっている。
「もとの貴族の屋敷の半分はそんな感じで店や宿になっていて、もう半分は一般向けの住居になっているんだ。クロムの家も、その中の一つだよ」
「あ、あんな感じのおうちだよ」
ナナイが指さしたのは、三階建ての建物だ。
「なんか…お庭が、すごい区切られてるね」
「玄関も、いっぱい…ある?」
「おっきな家が、縦に分割されてて、それぞれ違う家になってるって言うのかな…そんな感じになってるんだよ。クロム、やっぱり地下と一階は、おじ様の蔵書でいっぱいになっているの?」
「俺の部屋も、埋まっているかもだな」
なんでクロム、俺を見るの?
まあ、俺が先生と同じ立場で、息子が独立して出てったら、「少しだけ…」と言いながら半年くらいで部屋を本で占拠しそうだけれど。
「クロムの家は、一階に厨房と食堂と書斎、二階に居間とご夫妻の寝室、三階に物置とクロムの部屋って割り振りだね。ああいうタイプの家では、蔵書の量以外は一般的な配置だな」
「クロムの部屋は、何か服とかいっぱいある!」
「普通だ普通。お前みたいに、どこ行くにも同じ服なんて俺の美意識が許さん」
「何を言うか!似たような服ばかりであろう!」
「全然ちげーよ!色が一緒なら同じ服って思ってんだろお前は!」
「お前らのそのじゃれ合いはノルマかなんかなの?」
まあ、ユーシンが野生に戻らないならいいだろう。
きゃっきゃとはしゃぎながらクロムと蹴りの応酬をしていたユーシンが、不意に視線を前に戻した。
つられてそちらを見ると、なんだか三人ほど、放り投げられてダイナミック退店をしている人々が、いた。
何、今の?
「…おい、今の連中、鈴屋から飛び出してこなかったか?」
「あー、うん、そうだな」
クロムの言う通り、もう少し先…その連中が飛び出してきたあたりには、鈴屋がある。
道行く人々がなんだなんだと集まりだし、歩道に叩きつけられた三人組を遠巻きに見ていた。
「ちょっと、急ごう。ごめん、ヤクモ!ロットさんたちとゆっくり来てくれ!」
「う、うん!わかった!」
俺が指示を出すより早く、ユーシンと…ライデン姉弟が駆けだしている。
二人は鈴屋に下宿しているわけだから、何かあったなら駆けつけたくもなるだろう。ユーシンは単に…早く飯食いたいとかかも知れないが。
ちょっとばかり走ると、すぐに集まってきていた人たちに阻まれた。好奇心が強く、物見高いのはアスラン人の特性だ。つまり、野次馬根性が発達している。
それでも、起き上がって肩を怒らせる三人組と、そいつらに相対する人物の姿を見ることは、鷹の目を使わなくてもできた。
「うちはね、客じゃないヤツに食わせる飯はないの。さっさと失せな」
「な、なんだと!!」
三人組は結構身なりも良いし、食い逃げじゃないように見える。はて、なんでまた、祖母ちゃんの逆鱗に触れてるんだ?
そう。三人組を見据え、腕を組んで立つ女性こそ、俺の祖母であるフヨウ祖母ちゃんだ。
顔立ちを見れば、母さんと兄貴の血縁者であることは一目瞭然。並べば、母と姉弟に見えるだろう。
そこに俺と親父を入れると、わけわかんなくなるけど。
何せ、祖母ちゃんはもう六十をとっくに越しているけれど、なんなら親父より若く見える。
母さんの家系…つまり、祖母ちゃん方の血筋は、童顔かつ妖精症なのだ。
そんなフヨウ祖母ちゃんは夫であるユエジャン祖父ちゃん以外には、自他ともに厳しい人ではある。が、なんの意味もなく客を外に放り投げたりはしない。
「お、俺たちは、騎士だぞ!」
「で?うちの孫も騎士やってるわよ」
「うちの孫もやってるぞー」
ひょい、と祖母ちゃんの後ろから出てきたのは、リンドウ大伯母さん。祖母ちゃんの姉だ。
祖母ちゃんが気の強そうな美人なら、大伯母さんは優しく、包容力のありそうな美人と言えるだろう。二人並ぶと、間違いなく姉妹とわかるが、だいぶんタイプが違うように見える。
が、実際のところ、怒らせてはいけないのは、圧倒的に大伯母さんだ。
これはもう、鈴屋の掟というか、我が家にも普及している絶対の法である。もし俺が大伯母さんを怒らせたら、母さんは一瞬で俺を見捨てて保身に走ると思う。
そもそも、理不尽に怒るような人じゃないしね。二人とも。怒らせたなら、そうしたやつが悪い。
なもんで、たぶん祖母ちゃんに放り出された三人組が悪い事をしたんだろう。
「くそ!食堂のババアごときが!」
吠えた男の手が、腰につるされた剣に伸びる。この寒いのに外套を着ていないのは、羽織る間もなく退店させられたからか。それとも、ピカピカの剣を見せびらかしたいからか。
往来で剣を抜くなんて、余程の事がないと許される行為じゃない。あいつらが本当に騎士かどうかはわからないが、間違いなく脅しだろう。
けど、脅しだろうとなんだろうと。
「抜くなら、俺が相手になるが?」
その手首を握りしめ、うっすらと微笑むユーシン。
アイツ、腹減って余計にブチ切れてやがんな、とクロムがぼそりと呟いた。
「あ、あ、ぎゃ、い、いて、いてえええ!!」
「斬られればもっと痛い。そうしようとしたのではないか?」
握りしめていた腕を振り、ユーシンは喚く男を再び地面に密着させた。
悲鳴は上がったが、駆け寄った仲間に助け起こされた男は、呻くだけでのたうちまわったりはしていない。なんで、骨は折れていないと思う…たぶん。
囲む人垣から歓声が飛ぶ。鈴屋の女将に追い出された自称騎士の輩と、顔だけで身分の証明になる絶世の美形じゃあ、どっちを味方するかは悩むまでもない。
「おー!ユーシンじゃないか!帰ってきたのかー!丼食べるかー!」
「ばば様!久方ぶりだ!勿論食う!たくさん食う!」
冷たい炎の様な微笑みは、一転して満開の笑みに変わる。もし、アイツに尻尾があれば、風が起きるほど振り回されているな。
「コイツだけじゃない。俺たちも相手だ」
「ちょうど三人になるしな」
なおも何か吠えようとする自称騎士らの前に、ライデン姉弟も立ち塞がる。再び歓声が上がった。
その中には「おおお!ガラテアちゃんだ!!」「シド様~!」なんて黄色い声も混じっている。二人とも、顔が売れているなあ。
「で、どうすんだこの状況」
「一応、アイツらが騎士だという事を信じてみよう。クロム、ちょっと外套の前を開けてもらって良いか?」
「なるほどな」
ニヤリと笑って、クロムは人垣を搔き分け進む。
腕の動きから、頼んだ通り外套の前を開けているようだ。
「あんたら、所属はどこだ」
権力濫用を目論んだ関係で、俺もクロムも、外套の下は騎士服。
紅鴉親衛隊の、騎士服だ。
通常、アスラン軍の騎士服は、枯草の色に染まっている。自身が負傷した時、どこから出血しているのかわかるように、血の染みが目立つ色になっているわけだ。
対して、親衛隊の騎士服は名を冠する神獣にちなんだ色となる。
紅鴉親衛隊なら、黒を基調に赤を入れるというように。
外套の下から現れたのは、その黒と赤で構成された騎士服。
その意味が分からない騎士はいない。
「俺は紅鴉親衛隊所属のクロム。もう一度聞く。どこの所属だ?」
さらに、親衛隊騎士は他の騎士よりも階級は上になる。
アスラン全土の騎士兵士から、特に精鋭が選抜されて構成されるのが親衛隊だ。
百人長以下の相手なら、膝を折る必要は勿論、拳を胸につける軍礼すら免除されるくらい、他の騎士より一段高い。
「あ…く…くそ!どけ!!」
一人が吠えて人垣を割り、三人は逃走していった。ちらりと俺を見たクロムとユーシンが「追うか?」と問うてくるが、首を振っておく。
そんなことより、暖かいものでも食べたほうが有意義だ。
祖母ちゃんの視線が、俺に向く。
それに応えて、軽く手を挙げて振った。
「は、スイマセン、ちょっと通してくださいね~」
前を塞ぐ人に謝りつつ、数歩先へ。
「祖母ちゃん、大伯母さん。ただいま」
「アンタね、帰ってくるならそう言いなさいよ!たいしたもん用意してないじゃない!」
「おー!ファンもやっぱり一緒かあー!元気そうだなー!」
大伯母さんが寄ってきて、俺の首巻をぐいとずらし、顔を見てくる。
「うん!肌艶も良いし、痩せてない。ちゃんと食ってたなー」
「そりゃもう」
「ほら、早く店はいんなさい!ガラテアちゃんもシド君も、皆、なかなか帰ってこないって心配してたわよ」
「トールから追加の仕事について聞いていませんか?」
「聞いたけどなー。もうちょっと早いかと思ってた。大運河の事故のせいかー」
「あら、他にも連れの子いるのね?奥座敷あいてるから、連れていきなさい。ちょっと、女の子多いわ!まさか…」
「ないです」
ないです、と答えながら…なんでだろう。なんでか、俺の眼球は突然独立した意志を持ったように、ガラテアさんの方を、見る。
「あら♪」
高音に跳ね上がった祖母ちゃんの声に、俺が眼球の支配権を取り戻した。びゃっと視線をもとの位置に戻すと、にんまーりと笑う顔にぶつかる。
「はいはい、いないのね。そういうことにしといてあげるわー♪」
「なんか、すげー棒読みじゃない?」
しかし、これ以上この話題に言及するのは危険だ。
何せ、祖母ちゃんと母さんの間に隠し事は基本なく、祖母ちゃんは祖国であるヒタカミにいた頃、戦術家として名を馳せた傭兵軍団長だったらしいし。
俺のあずかり知らない所で、話が進んでしまう気がする。
俺の中に自覚した温度を、何と呼んでいいのか…まだ、分類はできていない。
けど、それに名をつけるのは、俺自身でありたいと思う。
だから…戦で勝利を収めるように、駒を進められるのは、嫌だ。
「ま、きばんなさい。あんまりにも情けないと判断したら、動くわよ」
「肝に銘じるよ…」
にっかりと笑って、祖母ちゃんは鈴屋の入り口に降ろされた幕を潜っていく。
とりあえず、執行猶予はもらえたらしい。
祖母ちゃん続き、幕を捲り、中へと進む。
「おー!若あ!お帰りい!」
「クロムちゃんも!意外と元気そうねえ!」
「ガラテアちゃん、シドちゃん、お疲れ様ー!」
途端に降りそそぐ、暖かい声。
「ただいま!」
鈴屋の、みんな。
鈴屋を経営しているのは祖母ちゃん達だけれど、働いているのは一族だけじゃない。
同じようにヒタカミからトンクーへ、そしてアスランへと渡ってきた人たちだ。
ヒタカミは長く続いた戦乱が終わり、ほぼ統一されたらしいんだけれど、それによってヒタカミに住んでいることが出来なくなったのが、大伯母さん達だ。
そのまま留まれば、親父が即位する際に粛清された貴族たちのように、なんだかんだと難癖をつけられ、反乱へと追い込まれ、滅ぼされる…それが分かったからこそ、大伯母さん達は祖国を捨てた。
それで、それよりも前にいろいろと「やらかして」故郷を飛び出した祖母ちゃんを頼り…そのころ、祖母ちゃんはトンクーでやっぱり傭兵長をやっていたそうな…海を渡り、トンクーに根を下ろした。
それがどうしてアスランに…と言うのは、親父と母さんがトンクーからほぼ駆け落ちしたせいなんだけれど、まあ、それはヤクモ達に聞かれたら答えよう。
鈴屋は、例の貴族の本屋敷をまるっと改造して造られている。
幕を潜ると、そこはいわゆる大広間だった場所で、通路を挟んで左手側が座敷になり、右手側には長机が配置され、樽や箱が椅子代わりになっている。
長机は、ささっと飯を食って出ていく人用の席だ。
基本的に食事が終われば、さっさと追い出される。忙しい時間帯が終わると、常連さんらがのんべんだらりとしていることもあるけれどね。
座敷はゆったりと食事を楽しむ人のための場所で、ここに座るだけで銀貨三枚の席代がかかる。
それを高いと思うか、当然と思うかは人それぞれだろう。
毎日来る常連さんらは長机にいることが多く、何日かに一度とか、月に数回な常連さんは座敷にって感じで住み分けられている。
時間が中途半端に遅いせいか、そんな常連さんの姿はなかった。
昼に来る人々は、たいてい開店と同時に来て、本格的に混む前に出ていくし、夜に腰を据える人は日の出ている間はやってこない。
そんな大広間をずんずんと進み、渡り廊下へと続く扉を潜る。
大広間を囲むように、定員二十人くらいから数人までの部屋がいくつもあり、予約して貸切ることもできる。今はどこも空いているみたいだ。時間も中途半端だしね。
「みんなも、鈴屋来たことないんだっけ?」
きょろきょろとはしていないけれど、興味深そうにあちこち見ている女官たちに声をかけると、しばし間が空いてから頷かれた。
「はい。大都には何度か赴きましたが…」
「そっか。じゃあ、注文は弁当で良いかな」
「お任せいたします。とても楽しみですわ」
後から追いついてくる騎士たちも、同じく弁当でいいだろう。
「みんなも、お任せでいい?」
「はーい!だいじょーぶでーす!」
「すっごいたのしみでーす!」
コニーさんとマリーさんが、元気よく返答してくれる。他の子たちも、うんうんと頷いて顔を期待に輝かせていた。
「ヤクモはどうする?」
「ぼくも同じのにしよーかな。ユーシンはユーシン丼ってのだよね。ファンはどーするのぅ?」
「とりあえず、海の魚料理食いたいなあ」
「…海って、そんな近くだっけ?」
「大都には、ウハイフンゲル近辺で水揚げされた魚介類が、転移陣で送られてくるからな。安くはないけれど、食べられるよ」
大運河にも普通に魚いるしな。こっちは淡水魚だが。
「きっとソウジュも、今晩は魚料理用意して待ってるだろうから、ちょっとつまむ程度にしときなさい?」
「ああ、それはありそう」
俺の好物である鰯の煮つけとか、鯵の揚げ物とか、張り切って用意してくれてそうだ。
「あんたらのは適当に大皿で持っていくわ。汁物は、蕪のすまし汁と烏賊つみれ汁が出せるけど、どっちにしとく?」
「悩むなあ…」
烏賊は…出されたら、間違いなく「いかってなに?」って話になるよな。
俺からすると、烏賊の姿を見たときに抱く感想は「美味そう」が真っ先に来るけれど、初めて見る人が食べ物と認識する形をしては…いないな。
「蕪の方にしようか。温まりそうだし」
「肉ははいってないんすか?」
クロムの質問に、祖母ちゃんは「変わんないわねえ」と苦笑して、頷いた。
「鶏肉が入っているわよ」
「んじゃそっちで。烏賊は焼いてある方が好きだしな」
「俺は煮ても焼いても好きだ!腹が減った!」
「すぐ出すから、いい子で待ってなさい」
あの部屋使ってと指差して、祖母ちゃんは踵を返して立ち去った。
貸し切りできる部屋の中では、一番広い部屋だ。入口で靴を脱ぎ、横の靴箱に入れるようにみんなに伝えて、さっさと部屋に上がった。まずは食う場所を整えないとな。
部屋は最大収容人数二十人少々。絨毯が敷かれ、座布団が置かれ、そして中央にででんと、布団をかぶせたでかい机が置いてある。
高さは俺の膝より低い。続いて入ってきたヤクモ達が、少し戸惑っているのが伝わってきた。
まあ、パッと見た目、すんごい食べにくそうだしな。と言うか、机ってわかんないもんな。なんか布団を被せられた箱?がある…とか、やたら四角い布団だな、とか思っているのかも。
戸惑わせておくのも気が引けるが、料理が来る前に準備をしなきゃいけないし、ちょっと待っててな~。
「クロム、端っこ持ってくれ」
「おう」
部屋の壁に立てかけられていた、机に載せるための天板を持ち上げる。布団の上に直接料理を乗せるようなお行儀の悪い事はしないから、安心してくれ。
「う?この前に座るの?」
「こうするのだ!」
俺とクロムが運んだ天板を机の上に設置し終わると同時に、ユーシンがしゅたっと腰を下ろし、布団をまくり上げる。
「ここに穴がある!そこに足を入れる!」
「う?う?」
「穴って言うか…まあ、穴か。とりあえず、座って足を降ろしてみ?」
おっかなびっくり腰を下ろし、座布団に尻を落ち着かせて、ヤクモはユーシンに倣って布団を捲った。
近くで見て、探るように足を入れて、何を言われていたのか分かったんだろう。怪訝そうだった顔に、笑みが戻る。
とりあえず落ち着いたところわるいが、更にちょっと驚かせよう。
実は、天板を置くのは料理を置く場所を作るだけじゃないんだ。
「あ、床が椅子って考えたらいいんだね…って、なんか、暖かい!?」
「本当だ…すごく、暖かい…これ、布団をかぶせているからってだけじゃ、ないですよね?」
「下に敷いてある絨毯に、『温熱』の陣が構築されてるんですよ。暖かい熱は上に上がるから、それを布団で外に逃がさないようにするんです」
天板にも陣があって、陣と陣が向き合うと発動する仕組みだ。布団を隔てても、ちゃんと反応する。
「ま、魔導具…なんですか?」
「大都は寒いので、一般的な魔導具ですね。さっき通ってきた座敷席の絨毯も同じものですよ。あっちは段差がないんで、こういう風にはできませんが」
もともと、こうした魔導具の制作は、旧カリフタン王国で発展したものだ。
ただ、カリフタンの魔導具が行為魔導士向けのものとなっていったのに対し、アスランの魔導具は「誰でも使える」事に重点が置かれて開発されている。
例えば、カリフタンの王族が冬の寒さをしのぐ魔導具として、身に着ければ周りに暖かい空気の層を発生させる指輪…なんてのがあったらしい。
もちろん、発動中は魔力をガンガン消費するわけだから、魔導士じゃなきゃただの指輪にしかならない。下手したら、強制的に魔力を吸い出されて衰弱死する。
アスランの魔導具は、基本的に魔晶石をはめ込んで使うものだから、魔力がなかろうが誰にでも使える。
値段も、冒険者が魔導具と聞いて想像する魔剣や魔鎧なんかと比べものにならないほど安い。
温熱陣つき絨毯なら、小さいものなら小銀貨五十枚程度。懐に入れて使う「ぽかぽか懐炉」なら、動物を模したふわふわカバー付きで小銀貨十枚前後だ。
もっとも、国外への持ち出しにはかなりの税金がかかるんで、後でみんなに注意しておかなきゃね。
魔晶石の魔力が切れたら、何の意味もないし。
「アスランには、迷宮がない…のですよね?魔導具の材料は、迷宮からしか取れないのでは?」
「ああ、売っているような魔導具には、迷宮産の魔晶石じゃなく、人造魔晶石が使われているんです。内包している魔力量は少ないけれど、充填して再利用できるから、いろんなところで売っていますよ」
「え~、じゃあ、魔剣とかできちゃうのぅ!?ぼく、欲しいかも!」
「お前は大根でも振り回してろよ」
大根振り回すヤクモに背中を預けたいのか、お前は。
「残念ながら、人造魔晶石を剣に組み込んだところで、なんか光る剣ができるのが精いっぱいだ。そういうがっかり系のおもしろ道具も売ってるっちゃ売ってるけど、欲しいの?」
「すんごくいらない」
天然魔晶石と人造魔晶石の魔力量の差は、猛吹雪と猫のくしゃみくらいの差があるからな。
まあ、買おうと思えば魔剣だろうとなんだろうと買えてしまうのが大都と言う街ではあるが。
「ヤクモの剣、駄目になっちゃったからなあ。新しいの買わないと」
「大根でいいんじゃね?ジュローさんに言えば、一本くらいくれるだろ」
「食べ物で遊んだって思われたら、お前の頭に鍬がぶち込まれるぞ?」
ジュローさんとは、リンドウ伯母さんの旦那さんで、鈴屋の奥庭を耕し菜園を造っている。とれる量は少ないけれど、美味しい野菜だ。
くださいと言えば普通にくれるが、食べるため以外で利用したことが分かれば、畑の肥やしとして埋められるだろう。
大伯父さんに限らず、ヒタカミ人はご飯を粗末に扱うと鬼と化すし、その血は俺にも流れている。いくらクロムでも、拳骨だけじゃ済まさないからな。
「うー…魔剣はほしーけど、やっぱり、今のぼくじゃあ、魔剣に悪いよねぃ。でも、剣はほしーので、どうにかしてね。ファン」
「この機に槍を振るうという手もあるぞ!ヤクモ!」
「槍かあ…ちょこーっとユーシンに習ってるけど、どーなのかなあ」
「せっかくだし、士官学校見学に行くとき、向いている武器を探してみるか?」
あそこなら、先生方が寄ってたかって助言をしてくれるだろう。
そう提言してみると、反応はヤクモからじゃなく、少し離れた…エルディーンさんと、レイブラッド卿から激しめに起こった。
立ち上がろうとして、机の縁に腿をぶつけたらしい。痛そう…。
「エリー、だいじょうぶ!?」
「だ、大丈夫…ごめんなさい、大きな音を立ててしまったわ…っ」
涙目になっているけれど、本当に大丈夫だろうか。
レイブラッド卿は、さすがにもう少し冷静と言うか、痛そうにしていない。我慢しているのかもしれないけれど。
「もし…もし、よろしければ、同道をお許しいただけませんか…?」
「わたし、私も!!」
痛そうではないけれど、まるで縋りつくような必死さがある。何か発言しようとしたクロムの頬を摘まんで黙らせ、頷いて見せた。
「いいですよ。もちろん」
「…!…ありがとう、ございます!」
見学は申し込めば誰でもできるから、そんなに感謝されるほどの事でもないんだけれど…と思ったが、通常は申し込みから見学まで半年くらいはかかることを考えたら、一応、特典付きな感じになるか。
いつ頃行きますかね~と考えていると、ユーシンが凄まじい速さで入口に視線を向けた。
「はいはいー!お待ちどうさまー!」
布をまくり上げ入ってきたのは、肉の揚げもの。
ユーシン丼を構成する二つの主役…というか、これと米のみで構成されてるのがユーシン丼だが…のひとつである。
もちろん、そのまま食べても美味い。美味いに決まっている。
「お弁当はもうちょい待っててね~。まずはこれでも摘まみなさいって」
机にどんどんと三つ置かれた大皿には、あふれんばかりに肉の揚げものが乗っかっていた。小皿と箸が入った籠も置かれたので、端からまわしていく。
「へいへい!もちろんコイツもあるんだぜ!」
俺とクロム、ガラテアさんとシドの前にそれぞれ大きな薬缶が置かれ、女官たちの前にも、それよりは小さい薬缶が設置された。
もちろん、中身は…麦酒だろう!
「外できっちり冷やしたからね!キンキンだよ!」
「お酒飲めないかたはこっちね~。冷たいほうじ茶よ」
「ほうじちゃ?」
「茶葉を焙じて…ええと、油とかを使わず、強火で煎って、香ばしさをだしたお茶だよ。甘みも苦みもなくて、さっぱりしてる。鈴屋だと、食事のお供についてくるんだ。ユーシンとヤクモはこっちだし、ナナイたちもお茶だよな。…ロットさん、どうします?」
我ながら、悪魔のような笑みと言われても仕方がない表情を顔に浮かべ、苦悶する大神官に問う。
これから大先輩の神殿に尋ねるのに…しかも昼間なのに飲酒していいのか。けど、揚げ物に麦酒って、どうしようもなく合うんだよなあ。
「一杯…ええ、そうです!一杯だけは!ああ、アスターよ!あなたの信徒の意思が脆弱であること、どうかお叱りください!」
「マーさんは普通に昼酒かっくらいますけどね」
薬缶から冷たい麦酒を素焼きのコップに注ぎ、ロットさんにまわす。俺の口からでた常連さんの名前に、料理を運んできた番頭さんが首を傾げた。
「ん?マーさんのお客さんなの?」
「そうだよ。アステリアの大神殿から、遥々ここまで旅してきたんだ」
「ええ~!あのおじさんにねえ。じゃあ、ご飯終わったら、連れてってあげよか?」
「いや、俺らの受けた仕事だし…」
「お願いできますか?」
コップを両手で捧げ持ちつつ、ロットさんが言い放つ。
う、そんなに麦酒の誘惑、ムカつきました?
「いえ、そうではないですよ。なんて試練をとは思いましたが」
俺の内心を読み取ったロットさんが、笑って首を振る。
「ここから、マックロラン師の神殿まで、そう遠くはないのですよね?」
「お隣の区だし、万馬大道からここまでと同じくらいかなー」
「でしたら、そう危険もないでしょう。ファンさんたちは、どうぞ家路を辿ってください」
「そ、そうですよ!ご両親も、お兄さんも、お待ちしていますよ!」
ウィルも大きく頷いて、紅潮した顔を笑みで飾る。
「冒険者の仕事として、最後まで護衛を…とファンさんなら思われるでしょうが、ここまで十分良くしていただきましたし、マックロラン師にファンさんの身分を話すとなると…まず、私から一度、説明したほうがよろしいかなと」
「マーさん、酔って若にうざ絡みとかしてたもんねえ」
確かに、散々酔っては「年取るとねぇっ!三十こえるとねぇっ!寝ると疲れるとか、あるんだよぉぉ!!」とか言いながら絡みついてた相手が、アスランの二太子だといきなり聞いたら、あまり愉快な気分にはなれないな。
「良いじゃねぇか。仕事はここまでで」
「クロム…」
「お前が俺に休暇をとれって言ったのと、同じことだろ?」
麦酒を呷り、肉の揚げものに箸を伸ばしながら、クロムが賛成する。
肉汁溢れる逸品を咀嚼し、再び麦酒を飲み込んで、しばし天井に視線を彷徨わせ、嘆息し…そして、俺をじろりと見た。
「最後まで護衛するのが冒険者の矜持だと抜かすなら、俺も今日はお前の部屋までお前を送る。それが、守護者の矜持だ」
「でもなあ…」
「でももだってもねぇよ。つか、やっぱり休暇は明日からだ。そう決めた」
二個目を口に放り込み、ますます俺を見る目を鋭くさせる。頬を食い物で膨らませて言っても、迫力はないけどさ。
「いいじゃないか。連れて帰ってやれよ」
新しい声とともに、布がめくれる。
「あ…」
そこから姿を現した人物に、俺もクロムも、大きく目を見開く。
一年前とは違い、短くなった鈍色の髪。角度によっては紫にも見える、少し色素の薄い黒い瞳。
「マシロ!」
「お前、動いて良いのかよ!!」
「一年前でも寝たきりじゃなかったろうが。ほれ、お待ち」
どん、と置かれた肉と米で構成された料理を、ユーシンは食い入るように見つめた。
こんなふうに見つめられたい女性は星の数ほど良そうだけれど、残念ながら天色の双眸が熱を帯びて見つめるのは、食事と手合わせの相手だけだ。
「イダムよ、ターラよ、照覧あれ…!ヘルカよ、ウルカよ、俺をこの天地に降ろしたこと、感謝いたす…!」
「あ、ちゃんとお祈りした」
よっぽど、食いたかったんだなあ。最初に運ばれてきた肉の揚げ物には箸を伸ばさなかったし。ものすごい凝視してたけど。
「シドとガラテアもこれで良いだろ?」
「ああ」
「問題ない」
ライデン姉弟の前にも、同じ丼が置かれた。
ユーシンのは丼というか鉢だったけど、二人の前に置かれたのは普通の大きさの丼だ。
「あと、クロムもな」
ゆったりした長袖から伸びた手首も手も、士官学校に通っていたころより…つまり、俺たちの記憶に一番しっかり刻まれているマシロより、細い。
九死に一生を得たとは言え、やっぱり…その影響は、今もまだ残っている。
「うー、すっごい美味しい!美味しいです!」
「そりゃよかった」
にこりと笑う顔は、「鈴屋の看板息子」と謳われた顔と相違ない。表情が引き攣る様子も、視線がぶれている感じもない。
良かった…そういう後遺症はいきなり出ることもあるけれど、負傷から三年過ぎて何もないなら…問題ないだろう。
「弁当ももうすぐ持ってくるから、待っててくれ」
「う?ねぇファン。このひとが、マシロさん?ココ君が言ってたひと」
「ココが私のことを?なんて言ってたんだ?」
「ええと、鍛冶師になるって…」
マシロは少し視線を逸らし、それから再びヤクモに戻して頷いた。
「ああ、その通り。今日は休みだから、こうして実家で働かされているけれどね」
「…体は、大丈夫なのかよ?」
「鍛冶って言っても、鉄を打ち、鋼を鍛えるわけじゃない。武具や防具の簡単な直しや調整のほうだ。鍛冶師と言うより、研師だな。そこまで体力や腕力がなくなっちまったし」
「そうか…ココは、お前に剣を打ってもらえ的なことを言っていたけど」
「ココは、私が完全に治るって信じてくれてるからな」
「そっか…」
けど、生きるか死ぬか、命が助かっても、日常生活に支障が出るんじゃないかって言われていたころに比べたら、ずっといい。
よかった。あの時、傷口を晒して横たわるマシロを見た時の衝撃は、今でもはっきり覚えている。
無理に身体を動かし、騎士になって、またあんな無残な姿になるよりは…。
そんなふうに思っていることは、絶対に口には出せないけれど。
クロムほど強い願いではなかったにせよ、騎士になるのはマシロの夢だった。
それが打ち砕かれても、「生きているだけいいじゃないか」と言うのは…傲慢に過ぎる。
いくら俺が神様に、「傲慢で強欲」をお墨付きをもらっていても、口に出さない、出せない欲求だってあるのだ。
「どうせまた来るんだろ?これから夜の仕込みで忙しい。無事帰還の祝いは、別の日でいいよな」
「もちろん」
「それじゃ、またな。お、ナナイ。挨拶遅れてすまない。ますます綺麗になったな。かわいいお友達もできたようだし、色々と聞きたいことはあるが…」
「お久しぶりです。マシロさん。うん、その時、ゆっくり…」
ナナイの記憶にあるマシロは、騎士に相応しい体格の青年だ。
一回り小さくなってしまったような、今のマシロに少し戸惑っている。
マシロはその戸惑いを気にも留めず、笑って部屋から出て行った。その寸前、シドとこつんと拳を打ち合わせる。
シドと仲いいんだなあ。下宿しているって言ってたし、年も同じくらいだもんな。その様子を少し微笑んでガラテアさんが見ているのも、なんか、良いことだと思う。
お互い弟想い、姉想いの姉弟なのに、なんでこう、姉の一挙一動に防御態勢をとる弟になっているんだか。
「ナナイ、今の人って…」
「マシロさん。ファンの母方のはとこなんだよ」
「じゃあ、王子様ってわけじゃないんだ!」
「すっごい、王子様っぽかったのにねえ!」
「アスラン王家の血は…引いてないよね?ファン」
「ないよ。母方の…だし」
うちの血を引いていたら、王子様っぽくならないような気がする。
そうか…マシロを見た第一印象は「王子様」か。
まあ、よく女の子がマシロ目当てに鈴屋にきたりしてたからな。
「ぐぎぎ…おモテになる族がまたひとり…」
「ほ、ほらヤクモ!弁当来たぞー!食べようなー!」
「俺はおかわりだ!」
「はやいよ!!」
空っぽに…米粒ひとつ、肉の欠片すらも見当たらない鉢を掲げ持つユーシンに、ぐぎぎるのも忘れてヤクモがツッコむ。
「はいはい、今、次の揚げてるからねー」
「美味かった!実に美味かった!!」
本当に味わっているのかと疑問に思うような速度だったが、まあ、ユーシンだしな。
俺も王子らしくないとか、王族詐欺とか言われるが、ユーシンの方が見た目詐欺だと思う。
「わあ、綺麗!」
「素敵…まるで星空みたい…」
幸い、みんなユーシンにはすっかり慣れたようで、見た目との落差に反応することもなく、運ばれてきた弁当箱に注目していた。
ヒタカミでは本来、外で食べるものである弁当だが、ここ鈴屋では乗せる器にも、盛り付けにもこだわり、箱ひとつの中で展開させるフルコースだ。
今回の器は黒漆に螺鈿細工を施した、瀟洒な重箱。
螺鈿で描かれているのは、雪花模様。冬の器だな。
「こうやって、蓋を取って…」
「こう?うわ!」
被せられた蓋を外すと、ぎっしりと料理が詰まっている。
南瓜のあんかけ団子に、黒枸杞の甘露煮、人参と小豆の煮つけ、蓮根の肉挟み上げに、魚の照り焼き。それに、薄く焼いた玉子焼きで、たぶん味付きごはんを包んだもの…。
全体的に、黄色っぽく丸い。
ああ、そうか。蓋に描かれた雪花といい、冬至が近いからか。
「アスランやカーランでは、冬至に黄色くて丸いものを食べるんだ」
「う?そなの?」
「昼が一番短くなるから、黄色くて丸いものを太陽に見立てて、日の光を食べて補うってことでな」
「まだちょっと早いけどね~。若、いろいろ練習がんばって♡と言う思いを込めてだよお」
「は…はは…ガンバリマス…」
二年やってないからなあ。気が重いけれど、去年は祖父ちゃんに無理させたんだし、頑張らないとな~。
「はーい、おつゆも持ってきたよ~」
重箱と同じく黒漆が塗られた椀の中には、小さな蕪が丸々一個と、いかにもプリッとした鶏肉が一片入っていた。
他に具はなく、限りなく透明に澄んだ汁の中に、まるで満月とそれにかかる雲のように蕪と鶏肉が寄り添っている。
お弁当も、お汁も、当然ながら全員無言になって食べた後、誰からともなく笑いだすほど美味かった。
全ての料理が魚系じゃなく、鶏や茸でとった出汁を使っているのは、魚の出汁に慣れないヤクモ達への配慮だろう。
すっごい美味かった!と厨房にいるであろう親戚同然の鈴屋の厨師たちに挨拶に行きたいくらいだが、マシロが夜の仕込みが忙しいと言っていたし、実際、客が引けた後だってやることは山のようにある。
顔を出さないマシロの両親や、俺の祖父ちゃん、伯父さんや従兄妹たちは、今はいないのかもしれないしな。
いるけど「ま、いっか。ファンだし」ってスルーされているわけじゃないと…信じたい。信じるよ?
だから、改めて挨拶にこよう。鈴屋に足を向けるための理由にもなるからね。
アスランにおいて、旅から帰ってきて親戚に挨拶しないのは、ものすごい無礼なことだ。
「まだ親戚全員に顔見て挨拶していないから!」と言えば、仕事を抱えた文官たちも、少しは待っていてくれるだろう。
うん…。それも、信じる…。
曇天から垣間見える僅かな星明りとて、光は光。
信じればきっと、闇夜を照らす灯となる…はずだ。
***
その後、親衛隊騎士たちを待たず、俺たちは鈴屋を出発した。
ロットさんたちは鈴屋で一番手が空いた人が案内してくれることになり、「また後で!」と軽く挨拶をして鈴屋に残してきた。
エルディーンさんとレイブラッドさんは一回神殿に赴き、これからどうするか相談するらしい。
とりあえず、当面の拠点として、お宿鈴屋に彼女たちの部屋を確保した。
騎士たちと女官たちの部屋、それからナナイ用の部屋も、一緒に取っておく。
飯処鈴屋と違い、お宿鈴屋の方は完全予約制で、紹介者がいなければ予約も取れない。予約も満室にすることはないから、いきなりでも部屋はとれる。
まあ、予約なしでも確保できたのは、コネっていう武器を最大に利用したからではあるけれど。
王宮まで行くのは、ジルチ広場まで戻り、鉄道馬車に乗って王宮前まで行くのが一番早い。
馬は鈴屋で預かってもらって、明日、ズージェンの話を聞きに来るときに引き取りに来ることにした。
本当は、鈴屋と王宮を結ぶ転移陣があるんで、それを使うのが最も早い方法なんだけれど、ヤクモが転移に対して適性があるかわからないからな。
ユーシンみたいに酔ってしばらく床に転がっている程度ならまだいいけれど、最悪死ぬから、確認してから出ないと怖くて使えない。
兄貴に頼めば調べてくれるから、全員確認しておこう。問題なければ、帰りはサライまで一気に飛べるしね。
転移陣については、ヤクモには何も言っていない。クロムでさえ、「お前がいなきゃ一瞬だったのによ」とは言わない。
そう。結局、クロムは一緒にいる。
こうなったら、帰れと言っても無視して付いてくるだろうし、アスランの騎士として、守護者として、初めての任務完遂を成し遂げさせるのも、確かに主の務めだ。
書類上、クロムはもう完全に紅鴉親衛隊騎士なんだけれど、正式な任官式もやってないしなあ。守護者の儀式の前に、やってやりたい。
本来なら、士官学校の卒業式の中に組み込まれているんだけれどね。クロム、その前に俺について出てきちゃったからな。
「はわあああああ…」
鉄道馬車を降り、駅から出て進む王宮前広場。
ジルチ広場よりは狭いけれど、半円形の広場には屋台や植樹などは何もなく、ただ広い空間が広がり、常に十人隊が五組、巡回を行っている。
広場に沿って立ち並ぶ建物も、買い物ができるような店はない。基本的に文武官の住居や官公庁であり、オシャレな茶店も、雰囲気のいい飯屋もない。
けれど、王宮前広場には常に人々がやってくる。
目的はただ一つ、アスラン王宮を眺めるためだ。
大きく口を開け、驚愕とも感嘆ともつかない声を漏らすヤクモを、クロムは満足げに見ている。
この反応を見たいってのもあって、転移陣を使わなかったわけだけれど…クロムも、同じ気持ちだったらしい。
「広いだろ?」
「広すぎだよ!!この先、ずっと王宮なんでしょ!?」
「大都の四分の一は王宮だからな」
何せ、王宮内に家畜を放牧する草原があるくらいだし。
とは言え、そこは後宮の一部。当然ながら、ここからでは見えない。
「広いよねえ…僕も久しぶりに王宮を外から見るけど、ほんと…」
強さを増してきた風に目を細めながら、ナナイも感心したように、呆れたように呟く。
「もし、アステリアの聖王宮が同じくらいの広さだったら、仕事をさぼって逃げる父さんを捕まえるの、大変だろうな」
「うちの親父じゃあるまいし、バルト陛下はそんな事しないだろ」
「ファンはね、父さんを買いかぶりすぎ。ただでさえ、三日に一度は僕の店に顔出しに来るんだよ?当然さぼるさ」
もっともな反論に無言で頷き、両手を挙げる。勝った!と笑った後、ナナイは再びアスラン王宮へと視線を戻した。
見えるのは、まず延々と続く壁。
大都を囲む城壁と同じ厚さをもつ外壁は、王宮を護る最後の砦に相応しい。
広場からその門…応天門に至るには、北海の水を引いて張り巡らされた堀を渡らなくてはならず、そのための橋は、ひとつしかない。
とは言え、橋自体が大道と同じ幅を持っているし、橋と言うかそこだけ堀にせず残した地を補強したものなんで、渡りだして横を覗き込むまで、堀の存在自体に気付かない人も多い。
応天門を潜って先に進めば、そこは塀に囲まれた広場になっている。
塀の外側は、練兵場や各史台の庁などなどになっていて、毎朝と夕方は通勤してくる人々でごったがえす。
その広場から先が、限られたものしか足を踏み入れることはできない、本来の意味での王宮だ。
閉じられた門…大和門の前には、常に歩兵騎兵合わせて二十人が待機し、強行突破を試みようとするならば、警告もなしに討ち取られる。
門の内側に行くことができる文官や騎士でも、大和門の両脇にある小門からの出入りとなり、こっちは日の出から日没まで開けっぱなしだ。
なにせ、門の先に行く人々だけで、千人以上になるからなあ。見えないけれど、この時間だって結構な出入りがある。
ヤクモと同じように大きく口を開いて王宮を見ている人たちは、応天門から先にすらいかない。開けられていても、用もなく立ち入るようなところじゃないからだ。
それでも、わざわざ足を運び、王宮を眺め、時に手を合わせてその場に跪く。
俺たちのすぐ傍でも、親子と思われる老夫婦と中年夫婦が、膝をついて「大王陛下、万歳申し上げる…おかげさまで、毎日平穏無事にすごしております…」と呟いていた。
この信頼を、感謝を、裏切っちゃいけないよなあ。
王宮に向ける視線が憎しみと怒りにならないように。それはきっと、黄金の血のもとに生まれた俺たちの責務だろう。
ただの赤い血を「黄金の血」と称えられるのは、ご先祖様がすごかったってだけじゃなく、自身の行動で裏付けて行かないと。
「さあ!参ろう!ここでいつまでも眺めていても致し方あるまい!」
「まあ、そうだな。とりあえず、小門で通行証と騎士服見せて、中に…って、おい、ユーシン!?」
ユーシンはずんずんと歩いていく。そのあまりにも堂々たる前進っぷりに、巡回する兵が足を止めて注目しはじめた。
一応、普段、ユーシンは全身に漲る闘志というか、覇気と言うか…そういったモノを抑えている。
けれど、今のユーシンは。
これから一騎打ちにでも臨むかのように。
僅かでも戦いの場に身を置いたものであれば、気付かずにはいられない。横っ面をひっぱたくようなその覇気を…撒き散らしている。
「なるほど…ま、馬鹿は馬鹿なりに考えてるって事だな」
硬質な無表情を湛えていたクロムの顔に、不敵な笑みが広がった。
「なあ、ファン。お前はなんだ」
「え…」
鋼青の双眸が、強い光を帯び、じっと俺を見つめる。
「ファン・ナランハル・アスランだろう。大アスランの二太子。どこに出しても恥ずかしくない…いや、たまに恥ずかしいときもあるが、俺の主だ」
「え、たまに恥ずかしいの?」
「虫けらだの、キノコだのに現を抜かしているときは、まあ。その俺の主が、自分のうちに帰るのに、こそこそしてどうするんだよ」
胸を張り、堂々と門を潜れ。
ただ、家路を辿るだけなのだから。
そう、クロムの鋼青の瞳は訴える。
ユーシンも…同じ、思いなんだろう。だから、わざと目立つように先を往く。
「そうだ!クロムは下種だが、忠誠心だけはまっとうだ!そして、今は珍しく正しい心を持っている!」
「うるせぇ馬鹿!俺はいつだって正しい!」
「絶対にそんなことはない!ヤクモとナナイにも聞いてみろ!」
「お前ら、人んちの前で騒がない!」
急に話を振られたヤクモとナナイも困っているだろ。
「まったく…そういうのは、うちに戻ってからやれ。紅鴉宮でなら、どんだけ騒いでも良いから」
「ファン、そういうこと言っちゃうと、本当にやるよぅ?こいつら…」
「こいつらにも分別とかいうものがあることを、俺は信じます」
まあ、本当に度が過ぎて騒いだら、拳骨すればいいし。
それは、いつもと変わらない。
髪を隠し、寒さから頭を守っていた帽子を外す。
ちゃんと巻いたりせずに髪を突っ込んでいたから、押さえつけるもののなくなった髪は、北風に踊るように広がった。
すぐ近くで跪いていたご一家が、息をのむ気配がする。
そりゃまあ、朝日の髪と満月の瞳を持つものが、どういうものか…王宮を拝みに来るような人に、わからないわけがない。
「うむ!それでよい!」
「なんでお前が偉そうにドヤんだよ」
「偉いからだ!少なくとも、クロムよりは偉いぞ!なにせ、心根が腐っていない!野菜もちゃんと食べるし、進んで片付けの手伝いもする!」
「あ゛あ゛!?それで偉いなら、その辺のガキのほうがお前よりも偉いだろうよ。お前と違って、ちゃあんと脳みそ使ってるんだからな!」
「クロム。おそらく戻ればトールがお前の腕を試すと思うが、その前にお前の命が今日この時まででないかどうか、試してみるか!!」
「だーかーらー、人んちの前で騒ぐな!」
ごんごんと拳骨を落とし、じゃれ合いを止める。
ほら、巡回中の兵たちが、すごい困ってるじゃないか。お仕事の邪魔をしてはいけません!
二人は一瞬険悪な視線を交わし合った後、どちらからともなくニヤリと笑い。
示し合わせたように、俺の前に立つ。
クロムは左拳を胸に着け、右手を腰の後ろに。
ユーシンは槍を引き寄せ、柄を両手で握り。
ともに、主からの命を待つ仕草だ。
「よし、帰ろう」
「御意」
「問題ないとは思うが、クロム、先頭に。ユーシン、殿に。ヤクモ、ナナイの警護を頼む。ナナイも、うちに帰れば俺の妹も同然の、公主様だからな」
「うんっ…じゃなくて、是!!」
士官学校の授業で見せるような、お手本のような反転をして、クロムが歩き始めた。
無爪紅鴉旗を掲げていきたいくらいだろうが、その旗はクロムの背で、『紅鴉の爪』を包む鞘となっている。
くたびれはてた旅装ではないけれど、華美でも豪奢でも、なんなら高価そうでもない外套に、使い古した背嚢。
髪はぼさぼさで、装飾品の類だってほとんど身に着けていない。
身分を示す無爪紅鴉旗も、サリンド紋旗も掲げず、共の騎士もなく、一緒にいるのは仲間と妹分と…守護者だけ。
それでも、俺は、俺だ。
ファン・ナランハル・アスランだ。
仕事の邪魔になるんじゃないかとか、大騒ぎになって目立つの嫌だとか、そういうのは、ちょっと横に置いておこう。
堂々と歩き、応天門を潜る。巡回する兵士たちが声を掛けられず、遠巻きについてくる。
下手に誰何したら、不敬罪の恐れありだからな。かといって名乗りもしていないのに平伏するのも変だし。
応天門の先では、書類を持って移動中の文官や、訓練を終えて自分の府に戻る将兵が、驚いた顔でこちらを見ている。
大和門を護る兵は、さすがに驚いているだけではなく、糸でつられたように整列し、槍を垂直に立てて左胸に拳を当てた。
「開門せよ」
一番後ろから、ユーシンのよく通る声が放たれる。
クロムの背が一瞬ぴくりとしたのは、自分が言いたかったからだろうか。
この先をユーシンに言わせると、本当に俺んちで大喧嘩しそうだ。
だから、ユーシンが次の声を発するために息を吸い込んでいる間に、口を開く。
「ファン・ナランハル・アスラン。ただいま帰還した」




