甘やかされた子を立たせるのは、老いた牛を走らせるより難しい(親の甘茶が毒となる)3
大都の歴史は、アスラン王国よりも古くに遡ることが出来る。
その歴史は、ファンたちの遠い祖先…ヤルクト氏族が、この地で祭りを行っていたことにはじまる。
当時からヤルクト氏族は遊牧の民だ。
あちらこちらに散らばる氏族は年に一度、この地に集う。そして天に地に、自分たちを見守る雷帝に感謝を捧げるのが習わしだった。
その時、人々は石をひとつこの地に持ち込む。一生に一度、七歳になり、「こども」から「氏族の一員」に成長した時、その証として。
長い年月をかけて石は積まれ、石塔となり、目印となった。
ヤルクト氏族たちはその石に先祖の魂が宿ると信じ、語りかけ、新たな家族を紹介し、ともに楽しもうと歌い踊る。
しかし、カーラン皇国の台頭により、ヤルクト氏族は北のタタル高原へと追いやられ、先祖の魂が宿る石塔に近付くことも、新たな石を加えることもできなくなってしまう。
それでも、ヤルクトの民は先祖と繋がる石塔を忘れることはなかった。
石塔に参ることは、ヤルクト氏族の悲願となり、代を重ね、石塔に石を置いたものが誰一人いなくなっても、その存在は親から子へと語り継がれていった。
子供が七歳になれば石を拾わせ、一生肌身離さず持ち歩き、命尽きる時は、氏族の誰かへと託す。
いつかあの場所へ重ねてほしい、と。
いつか、あの場所へ。
そう願い続けて百年以上。
託す間もなく皆殺しにされ、草原に還った石も数千個以上あっただろう。
その石の数よりもヤルクト氏族の人数は少なくなり、族長家すらほんの数人までになったとき、雷帝は一人の英雄をこの地に呼び寄せた。
その英雄の子である開祖クロウハ・カガンは、ヤルクト氏族の悲願を叶えた。
カーラン皇国に臣従する氏族を打ち破り、追い払い、石塔の地を奪還したのだ。
石塔は無残に崩れ、石は散々に散らばってしまっていたが、でも確かに、この地は特別な場所に間違いはない。
辛うじて三百人ほど生き残っていたヤルクトの民たちは、受け継いできた石を重ね、祝歌を歌い、石に宿る魂を慰め、雷帝に感謝を捧げ…クロウハ・カガンに「血が絶えるまで」忠誠を誓った。
ただ、開祖自身はアスラン王となってからも定住はせず、ひたすらに戦の中に住まい、行政はすべて行宮にて執り行った。
大都が王都としての役割を持ち、アスランの中心としての機能を持ち始めるのは、二代大王シャナの時代になってからである。
彼は王太子のころから、今のままではそう遠からず、アスランは国として成り立たず、再び強国に飲み込まれるであろうと予想していた。
今のアスランは、クロウハ・カガンと言う英雄一人の国だ。
だが、どれほどの英雄であろうと、いつかは死ぬ。
父が若く、その光が翳らないうちに、どうにかしなければならない。
涙ながらに石を重ねる人々から、また心の拠り所を喪わせるような事になってはいけない。
その為には、やはり都を建設するべきだ。
拠点を築き、石塔を集まる場所から守る場所へと変える。
そう考えた彼は、雷帝が異界より呼び寄せ、父の覇道を助けた英傑、ウー・グィに相談した。
ウー・グィは将としても有能だったが、同時に優れた政治家である。
政治に関しては「面倒くさい」で眉を寄せるだけのクロウハ・カガンを上手く動かし、国として機能させ始めたのは彼の手腕だ。
彼は都を定めることに賛成はしたが、同時にいくつかの問題点をシャナに示した。
まず、ひとつは食料だ。
遊牧ならば、草がなくなればある場所まで移動すればいい。
だが、街を築くのならそうはいかない。遊牧以外に食料を得る方法を確保しなければならない。
次に、この地の難点だ。
天然の要害といえるものは、決して大きくはない川がいくつか流れているだけ。その川も気まぐれに場所を変える。あてにはできないどころか、水が尽きれば都市は終わる。
守るに難く、攻めるに易い地に都を築くとなれば、安全地帯を確保しなければならない。
井戸を掘り、水路を引き、大きく城壁で囲い、さらに周囲に敵対しうる勢力を置かない。常に最強であることが、最大の防衛力になるだろう。つまりは、軍費が嵩む。
そして、都市を築くのであれば、遊牧民と幕屋の集まりと言うわけにはいかない。
道を造り、家を建て、人を呼び、増やさねば。
だが、その技術もなにもかも、遊牧民であるヤルクト氏族にはなかった。
それでも、アスランを国として百年千年の後にも存在するようにするためには、為さねばならない。
幸い…というか、クロウハ・カガンは次々に周辺氏族や国を攻め滅ぼし、その捕虜の数は凄まじい。
そしてその中には、知識階級や技術者も多く混じっていた。
シャナは彼らを厚遇し、それ以外の捕虜たちにも、「都の建設に加われば、この地に住むことも故郷に戻ることも許す」と宣言した。
捕虜になるという事は奴隷になるという事ではあったが、シャナはあえてそうせず、アスランの民として捕虜を扱った。
この、後の世に「二代名君」「慈愛王」と謳われるシャナの政策が、現在まで続く出身地、民族を気にしないというアスランの気風に繋がっていく。
幾たびか反乱は起きたものの、大都はゆっくりと、だが確実に築かれていった。
そしてそれと同時にシャナが行ったのは、交易の開始である。
食料がない、育てられないのなら、豊富にある地から運べばよいのだ。
特に、祖父が切望し、父が祖父の霊に捧げるために探し回っている「米」。それは、カーランの南部や、メルハ諸国の一部で栽培されているらしい。
それに、クロウハ・カガンが攻め落とした地域は、すべて遊牧しかできない草原ではない。農耕を行っている地も当然含まれていた。
そういった場所から、都の人間が飢えないほどに食料を運ぶとしたら、陸運だけでは難しい。
これは、宰相となったウー・グィが、元居た世界で住んでいたのが水郷であったからこそ出た発想だろう。
そして大運河の開削が始まり、そのために送り込まれた捕虜たちは、一定区間を掘り切ると周辺の土地が与えられたため、新しい村や町が次々に建設されていく。
家を造るための土は、運河を掘り進めれば手に入る。開削のためにと与えられた牛や馬もいた。
開削開始から十二年。開祖クロウハ・カガンが世を去る三年前に大運河は開通し、ソリル内海と大都は、まだ細い道ではあったが、繋がった。
この開通により人と物の行き来は激増した。北の羊毛が南へ運ばれ、南の穀物が北へとやってくる。
勢いのある、生まれたばかりの国で一旗揚げんとやってくる人材も続々と集まり、そして。
クロウハ・カガンの死後八年。
空位だったアスラン王の座に、二代大王としてシャナが座り。
大都の名を、高らかに集まった民に宣言したのだった。
***
どこの国や町の城門もそうであるように、大都の南東門を潜った先には、広場があった。
ただ、今まで訪れた場所と違うのは、広場が街の規模に比べて狭い、という事だろう。
大きめの隊商が入れば、占拠してしまいそうな広さだ。むしろ、広い幅を持つ道…と考えた方が正解なのかもしれない。
「立ち止まらず、先へ進んでね~」
ファンの声に、慌ててヤクモ達は足を動かした。先頭を往くファンは、まっすぐに進まずに右手側へと進んでいく。
「この門から入る人は、他国からやってくるとか、他の町から初めて大都に来るって人じゃないからな。入ったらすぐに目的地に進んで行っちゃうから、門前広場があまり必要ないんだ」
「荷の改めもありませんものね…」
「そういう事です。出る人も、出発直前に最終点検を~なんてやるような人はほとんどいないし」
その説明に頷きながら周りを見れば、なるほど門から入る者も、門へと進む者も、迷いや気負いがない。
これから始まる長旅に気を引き締める…と言う様子はなく、日常を淡々とこなしているという気配だ。
そうでない者もいるが、長旅に備える旅装ではない。
ファンの言っていた、「大都の外を覗きに行く小旅行」を楽しむ人々なのだろう。笑いはしゃぎながら小さな旗を持つ先導者の後について、門の外へと踏み出していく。
「でも、俺たちはそうじゃないからね。ちょっと脇によって、改めて大都を眺めまわしてください」
「さっさと先に進もうぜ。めんどくせぇな…これだからおのぼりさんは」
「いいじゃないか。本来なら東門から船で入るから、ゆっくり眺めることが出来たんだしさ」
主従のやり取りは、「おのぼりさん」たちの耳を素通りし、消えていく。
足元がどこまでも石畳に覆われているのは勿論、道はまっすぐに進み、馬車や馬が通る道と人が通る道、更には進行方向で分けられている。
その道の両側に並ぶ建物は、他の街と同じ煉瓦で造られており、三階建て以下の物を探す方が難しい。
当たり前のように窓には硝子が嵌り、冬の昼の光に白く輝いていた。
そして、その道を歩き、建物に出入りする人の数。
大都の人口だけで、アステリア全体の人の数よりも多い、と言う事は、ここに至るまでに全員聞いていた。
サライやラスヤントにて、大勢の人が行き交うのも見た。
だが、それは国境や港湾という特殊な条件によるものである…という思い込みがあったことを、突き付けられる。
この場所も、門から入ってすぐという、人通りの多い条件はある。
だが、まっすぐに伸びる道の先、そこから繋がる通りや路地からも人は無尽蔵に現れ、通り過ぎていく。
広場周辺にいるのは商人や旅人が多いのだとしても、その先に行き交う人々が纏う衣服は旅装に見えない。
防寒はしているものの、どこかその服装は軽い。
それは、今までの町で見た人々に共通していて、つまりは「この地の住人」なのだと知れた。
ただ、違う点もある。
それを、うまくヤクモ達は言語にできなかったが、思いついたままを表せば「なんか、オシャレ」となるだろう。
防寒や動きやすさと言った実用性だけではない。色合いや飾りの有無もそうだが、着こなし方も他の街とはどこか違うように見えた。
ヤクモ達の視線の先を進む男性は、おそらく貧しくて体型に見合う服が買えないのではない…と思える。
身に纏う、ぎりぎり尻を隠す丈の外套には艶を消した銀の飾りがちりばめられ、首元や袖口にあしらわれた毛皮は、アスランで一番安い羊の毛皮ではない。
だが、袖口は手首まで隠せておらず、薄手の手袋も防寒具としては心もとなく見えた。
下半身もズボンは踝までの長さしかなく、ファンたちがやっているように、ブーツの中に裾を入れて外気を遮断するようになっていない。
室内履きのような薄い布靴を履き、スタスタと歩いていく。若干早足なのは、元々そういう歩き方なのか、やはり寒いのかはわからないが。
確かに寒そうではあるが、長身で手足の長い男性に、その服装は良く似合っていた。
大都の街並みに悪目立ちすることもなく、周囲も特に注目していない。早足のまま建物の中に入っていく。
道に沿ってみっしりと並ぶ建物は、様々な色に彩られていた。
サライのような原色を叩きつけた色ではなく、落ち着いた色が多い。
目に痛いような赤や黄に塗られた建物ももちろんあるが、悪目立ちすることもなく溶け込んでいる。
敷き詰められた石畳も、どうやら馬車や馬が走る道と、人が歩く道で色が分かれているようだ。
その色のせいか、緑が枯れ、寒風が吹き抜ける季節だというのに、どんよりと重い冬特有の空気はない。
たくさんの人や動物が行き交い、生活している…その日常が生み出す活気が、この「大都」と言う街をむらなく覆っているように思えた。
「この辺なら邪魔にならないから。質問受け付けるよ~」
ファンが一行を先導したのは、広場の端…と言っていいのだろうか、とにかく、人の流れから外れた場所だ。
その長身の先には、林がある。さらにその先に見えるのは、城壁か。
つまり、東の城壁に沿って林がある…そんな造りになっているようだ。
よくよく見れば、林の中央には小川が流れている。その流れに沿って、ぶらぶらと歩いている人もいた。
「ねぃねぃ、ファン。なんでいきなり木が生えてんの?」
「ないよりあった方が良いじゃないか。この辺はほとんど木が生えない土壌だから、維持するの大変なんだぞ」
「あの…それだけ、なんですか?」
ロットの質問に、ファンはあっさりと頷きを返した。
「いざ大都を閉ざして防衛戦!となったときに、燃料にするって意味もありますけれどね。この植えられている木は、イントルの木が多いんです。春になると一斉に花が咲いて、そりゃあもう、美しい光景なんですよ」
「アスラン人はイントルが咲くと、蜜蜂のように大騒ぎをするものな!」
「仕方ない。大祖が伝えた詩のひとつに、『イントルがなければ、春の心配ごとはひとつ減る』って言う意味のがあるくらいなんだからさ」
「詩、なんですか?」
詩にしてはずいぶんと短いし、端的だ。不思議そうにタバサの口から漏れ出た疑問に、先ほどとは逆に、ファンの首は横に振られた。
「ちゃんともっと長いよ。西方語にするの難しいけれど…『春が来れば蕾を探し、咲けばいつ酒を買うか悩み、散れば悲しみが心を覆う。イントルよ、お前が居らねば、春は心穏やかであろうに』みたいな感じかな」
「ちょっと情緒惑わされすぎじゃない~?」
ヤクモの感想は声に出さなくても全員の気持ちの代弁だったのだろう。ユーシンも大きく頷き、シドの苦笑は肯定を現している。
「それくらい、アスラン人にとっては大事な花なんだ。だから、そこかしこに植樹して育てる。そのためだけに、開祖も二代大王もカーラン人の庭師を大量に連れてきたし、今じゃイントルの木を植え育てることに関しては、アスランが世界で一番の技術を持っていると思うよ」
「ま、大都で暮らしてねぇ田舎者にはわからん情緒だよな」
「クロムも、イントルより花見で食う食べ物に情緒を掻き回されてるだろ~」
「大事だろ?だからどこもかしこも、花見の時期なるといろんな食い物売り出すんだし」
「まあ、それは否めないな」
「否めないんだ…」
その時のアスラン人…特に大都に住まう人々の浮き立つ感情は、どれほど筆舌を尽くしても伝えることは難しいだろう。
街全体がそわそわと浮足立ち、花を愛でるのは勿論、準備できる精いっぱいの物を携えて、金持ちも貧乏人も全力でイントルが咲く短い「春」を楽しむ。
「すっごくきれいなんですよね!サライで言ってたお花でしょ?」
「そうそう。うわーっと咲いて、吹雪のように散るんだよ」
「見てみたいなあ…」
うっとりと枯れ木を眺める少女たちの目には、どんなイントルの花が見えているのだろう。
だが、満開のイントルはその想像の花より、絶対に美しいとファンは内心胸を張った。
「次に大都に来るときは、春に来たらいいさ」
「そうだよ!みんな、また来ようよ!」
ファンとナナイに言葉に、少女たちははしゃぎながら頷いた。長旅とは言え、たどり着けない距離ではない。
頑張ってお金をためて、次は、イントルの花咲くころに。
その約束が果たされるよう、いくらでも手も伝手も使おうと、内心に呟く。
何より、自分だって今年のイントルの花を見ていない。アスラン人にとって、由々しき事態だ。
「ねーねーファン~。きれーなお花も、見ながら食べる御馳走も気になるけどさ。その前に、いっこきいていい?」
「いっこと言わず、何個でもどうぞ」
「あのさ、あの出っ張り、なにー?」
ヤクモが指さすのは、言葉通り「でっぱり」だ。
地面からにょっきりと、二本並んで出っ張っている。
それは大きくゆっくりとした弧を描いて曲がり、両端は建物の中に消えて行く。
「あのおうち、扉がないよ?」
その建物は、そっくり同じような造りの棟が二軒、牧場をはさんで並んでいる。牧場には大きな馬が二頭、のんびりと午後を過ごしていた。
この辺りの建物にしては珍しく二階建てで、一階部分には壁に大きく出入口が穿たれ、本来ならその空間を塞ぐ扉はない。
見れば、反対側にも同じような口があり、そちらも遮るものは何もなく、同じように出っ張りが遥か先まで並んでいることが見て取れた。
建物と言うより、それは規模も造りも、城門の様だった。
「あれは…金属、ですね」
ロットも不思議そうに首を捻りながら、謎の出っ張りについて考察を述べた。
その考察のとおり、鈍い光沢はでっぱりが木や陶器などではなく、金属でできていることを主張している。
「そうです。ちょっと特殊な、錆びにくい鋼でできています」
「だからさあ、何に使うの~?」
「これだから田舎者は…まあ、見てりゃいいだろ」
「ぜったい、ぜーったい、クロムも一番最初に見た時、わかんなかったでしょ!!何いばってんのさー!」
「あはは、さすがにそれは俺も知らないなあ。まあでも、確かに、実際見たほうが早い。幸い、もうすぐ来るみたいだし。シド、馬預かるな。乗ってくんだろ?」
「ああ」
ファンに手綱を手渡し、シドは向かって右側の建物に向き直った。
その会話から、どうやらこれから来るものは、乗り物らしいという事はわかるが、それとこの鋼の出っ張りの関係は分からない。
ヤクモは文句を言おうと口を開きかけたが、遠くから「フゥオオオー」と、不思議な音がして口を閉じる。
それは、アスランに来て何度か聞いたことがあった。正確に言えば違う音だが、同じ系統の、おそらく同じ楽器から吹き出される音。
なんとなくだけれど、答えが近付いてきている気がして、文句は綺麗に飲み込んだ。
「あの音が聞こえたら気を付けてくれ。到着か接近を告げる、角笛の音だから」
シドが見ている右手の建物に向けて歩みを進める者はいなかった。だが、逆側…左側の建物から、ぞろぞろと人が出てくる。
行商人らしい人もいれば、同じ服を着た役人らしい連れ合いもいる。共通点は特になく、建物から出てくると三々五々、あちこちに散っていった。
「あ…!馬車?」
再び角笛の音が響き、左手の建物から姿を現したのは、一頭の馬が牽く馬車だった。
馬は、牧場で寛いでいるのと同じく、アスラン馬にしては大きい。
鬣は綺麗に編まれており、軛も牽く車も、鮮やかな色に塗られ、飾りが点けられていた。
牽く車は小さく、馭者が一人乗っているだけである。
そこに乗るのだろうか、かなり狭いけれど…と首を捻ったヤクモ達は、続いて建物の中から現れた光景…目を丸くした。
馭者の乗る車の後ろに続くのは、アスランでは珍しい箱型の客車。だが、これも小さい。
壁面には大きな窓があるようで、馭者と同じ外套を着込み、飾りのついた帽子を被った青年が、硝子のはまっていない窓から身を乗り出し、先を見ている。
そこまでは、驚くほどの事はない。
ヤクモ達の目を丸くさせたのは、その後ろに続く存在である。
現れたのは、大きな客車。
こちらもアスラン式の馬車ではなく、西方式の客車になっている。一輌で、大神殿の馬車の四倍はあるだろう。本来なら、四頭立て以上の馬車にするような大きさだ。しかも、それが二輌。
一頭の馬が牽けるような重さではない。
だが、車を牽いて歩む馬は、重さを苦にした様子など欠片もなかった。
「馬車の車輪を見てごらん。出っ張りに車輪の溝が嵌っているだろ?こうすると、滑らかに車輪が動いて速度が上がるんだ」
「え、え、え、でもさあ!あのお馬、めちゃくちゃ力持ちさんなの!?つるーって動くだけじゃ無理じゃない!?あれ動かすの!」
「もちろん、馬の力で動いているんじゃないよ」
馬車は速度を落としながらカーブに差しかかり、ゆっくりと曲がる。やはり馬が苦痛を感じている様子はない。
「馬車が牽いているのは、馭者の乗っている車だけ。それより後ろは、魔導機関で動いているんだ」
「アスランって、ほんとふつーにそーゆーの使うよねぃ…」
「便利なものは何でも使っちまおう!がアスランのやり方さ」
じっと馬車を見守っていると、若い女性らの注目を浴びていることに気付いたらしい馭者と、その後ろに乗っている乗務員が手を挙げて挨拶してくる。
…いち早く少女たちより前に進み出た親衛隊騎士らが、手どころか全身を振りながら挨拶し返したが。
「あの…そしたら、なんで、馬にもひかせるんですか?」
その光景に顔と腹筋を活用し、なんとか礼儀正しい表情を保つことに成功したタバサが、疑問を口にした。
「魔導機関はなかなか制御が難しい。出力を誤ると途中で魔晶石の充填が必要になっちゃったりね。制御する側もそれなりに魔導機関の術式を理解できなきゃならないし。そうなると、乗務員になれる人材が限られてくる」
魔力を充填した魔晶石を使うとは言え、操縦する側もやはり魔導士であることが望ましい。
魔導士であり、さらに制御ができ、なおかつ速度を上げる落とす…と言った運転技術があるものとなると、相当な狭き門だ。
「なんで、制御自体は先頭の馬車がやっているんだよ。二台目の客車に魔導機関が積み込まれていて、『前の馬車の車輪と同じ動きをする』って言う術式で動いている。後ろの客車を引いて動かしているのは、二台目の車だけなんだ」
馬車の運転なら、乗馬と同じく当たり前にできるのが遊牧民だ。そして遊牧民でなくとも、魔導機関を制御するよりもはるかに習熟に人を選ばず、時間もかからない。
「万が一、馬が暴走した場合は、二台目に乗っている乗務員が魔導機関を停止させる。停止だけなら、誰にでもできるからね」
「あー!よく見たら、最初の馬車と、その後ろ、繋がってない!」
「繋げる必要はないからな」
馬車はあくまで先導だけの役割であり、実際に車を牽く必要ない。むしろ、緊急停止した際に突然超重量が馬体にかかり、致命傷を与える可能性がある。
「この鉄道馬車を先導する馬は、アスラン北部が原産の馬で、アスラン馬より見てわかる通り、ずっと大きい。で、この先導馬になることはものすごーく名誉なことだから、誰か一頭引退するってなると、最低百頭くらいは応募してくるよ」
「へ、へえ~!!」
ファンの説明はその後、馬車道の下はわざと舗装せずに砂利を敷いていること、その上に木の板を配置し、軌条に掛かる重量を分散させていることなどに及んだが、当然ながら誰も聞いていなかった。
ごとごとと進んでいく鉄道馬車。
そのアスランを象徴するかのような存在に目を、心を奪われている。
「若様、ちっといいっすか?」
「で、この鉄道馬車が出来たのは今から八十…なんだ?」
「なんか皆乗ってみたそうだし、馬や馬車は俺たちが連れてくんで、乗ってたらいいんじゃないすか?」
「ファン、ぼく乗ってみたい!!運賃、高いなら、ぼくの取り分からさっぴいていいから!」
きらきらと輝く目に見挙げられて、ファンは反射的に頷いた。
それが熟考の末の結論ではないことは分かっていたが、「やったあ!」と大げさに喜んで見せて、この後の方針を強制決定させられるくらいには、ヤクモはファンの扱いに慣れている。
「良いではないか!俺は屋根の席が良いぞ!」
「屋根にも席あるのぅ?」
「屋根の席のが安いが、あんな夏は日差しで死にそうになるわ、冬はクソ寒いわな席に座るのは、余程の貧乏人だけだ」
「俺たちは金に困っているわけじゃないんだから、中の席にしようよ」
「外の方が好きなのだが!まあ、いいだろう!」
確かに、右手の建物に向かっていく馬車の屋根には、囲いがあるし登るための階段が張り付いている。しかし、それ以外は何もないように見えた。
大都は雨が少ないとは言うが、快適な場所ではないだろう。
実際、そこに座るのは、クロムの言った「余程の貧乏人」と言う立場の人々なのは間違っていない。
服を洗濯することも、着替えることもできず、風呂にもろくに入れないような人々を隔離するための場所でもあるのだ。
「あとヤクモ、鉄道馬車に乗るために必要な金は、アスランの他のどの乗り物より安い。国が運営してるしな」
「そなの!?」
「城門から城門、もしくは王宮に向かうための乗り物だし、途中で降りられないからな。ちょっと使い勝手が悪い。その代わり、早いけど」
「おい、乗るならとっとと乗ろうぜ。いっちまうぞ」
「そうだな…で、お前ら、鈴屋の場所、わかるの?」
「行ったことはありませんが、有名店っすからね。聞きながら行きますよ」
騎士たちの返答にファンは頷き、同時に外套のポケットからメモ帳と鉛筆を取り出して、さらさらと何か書きつけていく。
「これ、簡単な地図と住所」
「うっす!てか、若様、鉛筆そろそろ新しいの買ったら?」
「アステリアじゃ売ってなくてなあ。でも、まだ鞘をつければいけるから!」
「まあ、いいっすけど。じゃあ、また後で、お気をつけて!」
「おう!寄り道せず来いよ!鈴屋の食事は、ほんっと―に旨いから!」
「どちゃくそに楽しみにしとります!」
騎士たちに手綱を預け、ファンは「じゃ、いこう!」と一同を促して歩き出した。途中、馬車道を横切るとき、皆の視線は自然とそこに注がれる。
物珍しいのもあったが、砂利と木の板と鋼鉄の軌条で構成された馬車道は、非常に歩きにくい。よそ見をしているといろいろなものに足を取られて転びそうだ。
「ナナイ、手を」
「だいじょーぶだよ…っとうわ!?」
「こういう時は素直に頼ってくれ。足は捻ってないか?」
「うん、ちょっと、つまずいただけ…」
クロムの腕にしがみ付くような格好で馬車道を渡り切ったナナイに、友人たちはにやにやと笑って眺めている。
それを「その手があったか」と言う顔で頷くガラテア、更にそんな姉を「…」と何か言いたそうな、しかし言葉が出ない弟の姿があった。
「あそこで金を払って、先に進むんだ」
建物の中に入ると、すぐ横に人が座る台があった。絨毯に座布団を敷き、三人ほど揃いの服を来た職員が座っている。
「十五人超えているから…団体割引で行けるな!」
「そんなのあるんだ」
「ああ。一人分ただになる!」
「でしたらなおさら、此方に支払わせてくださいね。これは、私たちの新たな経験に支払うお金です」
ファンが何か言う前にロットが進み出て、財布を懐から引っ張り出した。一番近くにいた職員の女性が、一行の人数を数えて料金を口にする。
「小銀貨二十一枚になります」
「一人小銀貨一枚なんですか…」
なんとなくアスランの物価についてわかってきていたが、ファンの言った通り確かに安い。
そこらの茶店で一番安い茶を頼んだ程度の値段だ。ただ、アステリア人からすれば、十分に味と色がついた茶を小銀貨一枚で飲めるというのは、信じられないほど安いが。
差し出された更に小銀貨を並べると、女性はにっこり笑って「どうぞ」と先へ進むことを促した。
建物の中は窓にはまったガラスが通す冬の陽ざしと、天井から下げられた魔導燈の灯りで十分に明るい。
床は石畳で舗装され、壁の横には料金所と同じような絨毯の敷かれた台があり、馬車をそこで待つこともできるようだ。
反対側、客車が泊まる位置に合わせて、煉瓦で組まれた台がある。こちらは座って休むための物ではなく、客車に乗り込むための物なのは、誘導係の手招きで知れた。
「さすがにこの時間は客がいないな。一輌貸し切りになりそうだ」
「はしゃぎまくるお上りさんの同類に見られたくないんだが」
「良いじゃないか。後ろの車両に誘導されてるな。さ、皆、乗って乗って!」
「うん!」
誘導係とファンの声に従って、ヤクモが真っ先に車両へと乗り込む。
内部も見た目通りに西方式だ。広く、天井が高い。ファンが立っても頭をぶつけないほどに。
靴を脱いで絨毯の上に座る方式ではなく、狭い通路を挟み、腰掛けるのにちょうどよさそうな高さの木の台が、一定の間隔で並んでいる。
台の上には羊の毛皮が敷かれ、今までたくさんの人々の尻で圧縮されてきたのだろう。ぺたんこになっていた。
「二十人までしか座れないから、俺とクロムは立ち乗りな。あと、アスラン人は右側に座ってね」
「かまわん」
「俺が上に行ってもいいぞ!」
「もう、下の席で金払っちゃったし。大人しくシドと座ってなさい」
ファンが言い聞かせると同時に、ガタン、と大きく客車が揺れ、動き出す。他に乗客は乗ってこなかったようで、貸し切り状態だ。
「わ…早い!」
よく磨かれたガラス窓に、張り付くようにして外を見ていたエルディーンが歓声を上げる。上げた直後に大きすぎた声を恥じるように口を押えたが、視線はそのままだ。
馬が走るのとさして変わらない速度で、景色が流れていく。
向かって右手側には林、左手側には、大都の街が広がる。ファンがその光景をすでに見ているであろうアスラン人とユーシンを右側に配置した理由は明らかだ。
ただ、それに気付けるほど余裕があったのは、右側に座ったアスラン人だけである。
「ふわ、ふああああ!!」
窓の外に広がる光景は、今まで通ってきたアスランの街並みからすれば、想像できないものではない。
だが、サライやフフホトは少し大通りから離れれば、人々が住まう平屋の家屋があり、でこぼこと石畳が崩れた道があり、畑や家畜小屋があり、アステリアと大きく変わるほどではなかった。
ラスヤントも滞在がもう少し伸びれば、アスランの大都市と言うものがどんなものか、もう少し心の準備ができたかもしれないが、慌ただしく通り過ぎてしまっただけだ。
だが、今、窓の外に広がる光景は。
街が、途切れない。
大通りだけではなく、小さな路地も通り過ぎていく。
だが、そこに並んでいるのは、変わらない「街」。
高い建物が並び、多くの人々が行き交う街が途切れず続いていく。
その光景は、恐怖すら覚えるほどだ。
「…大都に住む人だけで、アステリア人全てを合わせたよりも多い、とは聞いたことがありましたが…」
ロットの声も、上擦っている。
「もうしわけない。誇張かと、思っていました」
「まあ、実際見ないと、ぴんと来ないですよねえ」
聞いただけ、読んだだけの知識で、想像がつくはずもない。
一つの国よりも多くの人が住んでいる街など。
西方とは違う神学が学べると聞いて、ロットはアスランについて書かれた文献を読み漁っていた。
だが、その記述はどれも誇張したものである、そう思っていたのも事実だ。
どこかで、「遊牧民の興した国が、歴史あるアステリアよりも栄えているなどありえない」と、そう蔑視していたことを、否定しきれない。
今、こうして、ある文献に「世界の都」と記述された街を見て…ロットは、むしろ読み漁った文献は、控えめであったという事を知った。
「道には常に百の人馬の姿があり」…百どころではない。どうやって数えたらいいのか、わからないほどだ。
「商店の窓にはことごとく硝子が嵌る」…商店だけ?いや違う。ありとあらゆる窓には、当たり前のように硝子が嵌っている。
「建物の屋根を見ることはできない。すべての建物は見上げねばならず、その天井がどうなっているかは想像するしかない」…いや、そういった三階建て、四階建ての建物すら見下ろすような高層建築が、ちらほらと見える。そこに登れば、大都を見下ろすことはできるだろう。
その建物の屋根は、見ることは叶わないが。
「これが…これが、『大いなる都』、なのですね!」
「まだ、片隅ですよ。南東門から東門にかけての一帯は、わりと静かな一角ですから」
「これで!?」
「おいおい、この程度でビビってちゃ、万馬大道なんか見たら小便漏らすんじゃねぇか?」
「もらさないよう!…たぶん…いや、絶対!ぜったい、恥ずかしいじゃん!」
「大丈夫だ、ヤクモ!どうせクロムも初陣では漏らしていた!小便どころか、糞まで出したかもしれん!」
「ねぇよ!!」
「っていうか、漏らさないよ!!漏らすの前提にしないで!」
そのやり取りに笑いは起こったが、もしかしたら…と誰もが思っただろう。
この光景でさえ、「わりと静かな一角」であるならば。
今、出てきた万馬大道とやらに差しかかれば、いったいどんな光景が広がっているのか。
「ウィル、勉強のおさらいだ。アスラン、アスク…そして、我らが女神アスターと、『アス』とつく名は多い。この意味は?」
「え。え、ええっと!!」
硝子窓にへばりついていたウィルは、突然の試験に大いに慌てた。だが、それで「うっざーな、それどころじゃねぇんだよ」などとクロムのような事は言わない。頬に手を当て、回答を脳裏から発掘する。
「あ、あの!『アス』は古代の言葉で、名前を、ええと、その、その…つ、強くするもの、です!」
「え、そなの?アスランとアスター様って、関係あったの?おんなじ意味なの?」
「あるっちゃあるって感じだし、同じ意味かと言えばそうでもない。ヤクモ、女神アスターの兄神は、なんて神か覚えてるか?」
「う?雷帝様なんでしょ?サライにわたるとき、ファン、そういってなかった?」
「じゃあ、質問を変えよう。大神殿なんかで、兄神として雷帝リューティンが祀られているのを見たことがあるか?」
「ないなあ…」
主神に家族親族、はたまた配偶者とされる神がいた場合、その神も祀られていることは珍しくはない。
アステリアでも、地母神ニーメの神殿に、息子である薬草の神カーナを祀った一角があったのを、ヤクモはぼんやりと思い出した。
逆に、魔法薬屋であるナナイの店には、カーナの小さな神像が安置された棚があり、ニーメの神像も一緒に置かれていた。
「あの、あの時も疑問に思ったのですが、アスター様の兄神様は、アスダール様ではないのでしょうか?」
「そ、それ、私も不思議でした!裁きの神、アスダール様の他に、雷帝様…がいらっしゃる、のでしょうか?」
「あー。そいえばさあ、アステリアで雷帝様のこと、ぜんぜん聞かないよねぃ。アスター様のおにーさんなら、もっと有名になってそうだけど」
「そんことはない。君たち、今、まさに雷帝リューティンについて語ったじゃないか」
ロットの言葉に、タバサとミミは目を丸くした。その反応に、ファンとロットは目を見合わせて、少し笑う。
知らないことを教えるというのは、多少学者の気質があれば、知らないことを知るに匹敵するほどの楽しさだ。
「裁きの神、アスダール。かの男神こそ、雷帝リューティンの別名だよ」
「ええ、そうなのですか?!」
「えー、知らなかったあ!」
クロムが小さく「なにドヤついてんだか…」と呟いたのは、自分の主に対してか、大神官に対してか。その声は馬車の車輪が生み出す音に紛れて、一番近くにいたファンの耳にすら届かなかったが。
「アスター様の『ター』は、女性を意味する。『ダール』は男性だ。そして、『アス』は続く言葉を強調する。この場合、高貴、優しい、美しい…そういったところかな。女神アスターだから、神々しいとか、そういった意味も含むね」
「決まっているわけじゃないんですか」
「そうそう。アスランなら、『ラン』は狼の意味だから、大きいとか強いとか、賢いとか…それと、恐ろしいなんて意味もあるよ。つまり、『アスラン』で強大で賢く、恐ろしい狼…みたいな意味だ」
「質問っ!じゃあ、『アスク』は?」
「『ク』は都、大きな都市を現す。つまり、『とてつもなく大きな都』…そういう意味ですよね?ファンさん」
ロットは一応ファンに正解を確認したが、例えファンが頷かなくても、誰もがその言葉に納得していただろう。
角笛の音が鳴り響き、ゆっくりと鉄道馬車は減速していく。
建物が途切れ、広場にでた…そう、左側の窓に張り付く「おのぼりさん」たちは思った。だが。
「いったん降りて乗り換えだ。ここが、大都を東西に奔る大通り、『千羊大道』だよ」
***
アスランの通りは、ひたすらにまっすぐ、街を貫いている。
アステリア王都イシリスは南北東西の大通りを除けば、道は曲がり入り組み、万が一の防衛戦に備えた造りになっているが、アスランの街…特に大都に、「曲道」というものは存在しない。
まっすぐで平坦な道を戦場としたとき、世界で最も強いのはアスラン騎兵だ。防衛戦に備えるというのなら、騎兵が縦横無尽に駆けることが出来る大通りを多く造ることになる。
そもそも、大都は城壁を破られることを前提とした造りをしていない。
城門を閉ざし、城壁から援護をしつつ、大都の外に広がる草原で敵を蹂躙する…と言うのが、大都防衛戦の想定だ。
五代大王ジルチが祖母であり伯母である四代大王を討つために大都に迫った時ですら、市街戦は起こらなかった。
その後百年。
軍が攻め寄せ、戦の風が迫ったことすら、大都の日々にない。
百年の平和によって育まれた繁栄を見るのならば、大都を東西に貫く千羊大道に赴くのが、一番手っ取り早いだろう。
大運河を通って運ばれてくる物や人は東門から入り、この通りに流れ込む。
逆に、東門から出てアスラン全土やカーラン、メルハへと運ばれていく万物も、この道を通る。
中央には鉄道馬車が走る軌条があり、その隣には騎乗して駆けることが出来る道、さらにその隣には馬車や牛車、駱駝車が通る道があり、一番外側に広い歩道が設けられていた。
それは、アスランの他の道…今まで通ってきた南東門から東門へと至る道である、イシダジブ通りも変わらない。
違うのは、その規模だ。
「アスランの南北東西の大道は、騎兵百騎が横に並んで行軍できる広さ…って定められていてね。まあ、南北の万馬大道は、真ん中に緑地帯があるから、もっと広いんだけど」
馬車の中から見ても…乗り換えのために、駅舎から出て眺めても、「千羊大道」はどこまでも続く広場にしか、見えなかった。
その広場にすら見える道を埋め尽くし、無数の人が、馬が、牛が、駱駝が歩いて…あるいは、駆けていく。
行き交う人々の肌や髪の色、身に纏う衣服は様々だ。西方人とわかる一団もいれば、見たこともない模様の毛皮を巻き付けた、どこの国から来たのか見当もつかない人々もいる。
そういった旅人だけではない。
胡服を着ていても、顔立ちや肌の色であきらかに異国の出身だと思われる人々が、ごく普通に歩いている。
旅装ではないから、大都に住んでいるのだろう。きょろきょろと辺りを見回すこともなく、時折吹き抜ける風に首を竦めながらも、迷うことなく進んでいく。
そして、その道の両側には、今までのアスランの街と同じく、びっしりと建物が並んでいた。
だが、よく見ると、商店には必ずあるはずの看板がない建物もたくさんある。そういった建物からも人が出入りしていたが、何かを買いにきたり、売りに来た…と言う様子ではなさそうだ。
視線の向きや、「何のお店かなあ」と言う声に、ファンは疑問を察知した。そのうちの一軒を指差しながら、口を開く。
「大都は見ての通り大きな街だ。そして、交易の国アスランの中心でもある。ここまで大きくなってくると、育てたり作ったり買ってきたものを自分で売るより、商品を買い付けて、売る店に卸すって言う商売をしている人も多いんだ。それ専用の商会もたっくさんある」
「え~、でも、そしたら、作る人とか、損しちゃいません?自分で売った方が、高く売れそう…」
「それはあるね。けど、作って売る側としても『必ず売れる』って言うのはでかい。売れなければ、仲買人が損を被るからね」
「つまり、銀貨五枚で売れるものがあったとして、銀貨四枚で売った方が、全く売れないより良いって事ですか?」
「そう。まあ、実際にはもっと複雑で、間にもっと人が絡むんだけれどね」
ファンは勿論、王子としてそうした金とモノの流れについて学んできてはいる。
だが、実際に携わったことはなく、細かいところまで質問されてもあやふやな答えしか出せない。
だが、「そーゆーもんなんだよ」で済ませるには、皆の目には「なんでなんで!?」という光が満ちている。
その「知りたい」という欲求に応えない…と言うのは、学者であるファンには難しい話だ。
幸い、次の馬車は角笛の音すらしていないし、東門発着の鉄道馬車の本数は多い。駅舎に移動しながら、説明する時間もある。
「例えば、ヤクモがオオトカゲを狩る仕事をしているとする。狩ったオオトカゲを売ると、小銀貨十枚になるとしよう」
「小銀貨十枚だと、ちっさい奴だねぃ」
「うん。でも、そのオオトカゲを十枚で売るには、皮を綺麗にはいで肉を切り分け、牙や爪もきちんと外して…とやらなきゃいけないし、近くの村じゃ買ってくれるのは肉だけで、せいぜい小銀貨六枚くらいにしかならないし、村中を売り歩かなきゃならない」
実際には、オオトカゲは農村部ほど需要がある。肉だけではない。皮、爪、牙、骨…すべてだ。売りに行って、いらないと首を振られることはまずない。
だが、これはあくまで例え話だ。ヤクモにもわかっているから、ふんふんと頷いて聞いている。
「ここで仲買人の登場だ。仲買人は、小銀貨九枚で買ってくれる。しかも、解体しなくていいし、買い付けにも来てくれる。つまり、ヤクモは小銀貨一枚損をするけれど、解体と売りに行く手間を省ける。すぐ次を狩りに行くこともできるし、そもそも多めに狩ってもいい」
「持ってってくれるし、絶対買ってくれるなら、そうするよねぃ」
「だろ?で、仲買人はこのオオトカゲを肉屋に小銀貨十一枚で売る」
「お肉屋さん、直接ぼくのところに…って、そっか。お肉屋さんは、買いに行く手間を省けるんだね」
「そう。それにせっかく店を休んで行ったのに、オオトカゲがとれてなかった…なんてこともない」
解体や売買にかかる時間を省けるのと、支払う小銀貨の数を天秤にかけ、時間を惜しむものが多いからこそ成り立つ商売だ。
冒険者がオオトカゲを狩り、そのままギルドや近くの村で売れるような環境では、けっしてうまくいかないだろう。
大都は大きな街だから…とファンは説明を始めたが、それ以前にアスランの領土と商業圏の広大さが前提の商いなのだ。
「で、肉屋は解体する。そこでまた、仲買人が解体された肉や革、爪や牙とそれぞれ必要なものを買い付けに来て、それらを売る店に売るってわけだ」
「お肉屋さんは直接売らないのぅ?」
「売る店もあるよ。けど、肉屋じゃ肉以外は売らないし、客が買わなくて売れ残った…なんて可能性もあるわけだ。だから、大抵のそういう仕入れ業者は、さらに店舗を持っている店に卸す。料理屋や宿屋も買い付けに来たりするしな」
「うー…こんがらがってきた…」
「要は、オオトカゲの肉が欲しいって人と、オオトカゲを狩る人を結ぶ商売の人がいるってことだ。こういう通りにある商会の事務所に行って注文すれば、それだけで現物が届けられる」
「何のお店かと思ったら、そういったお仕事をしている商会のお店なのですか…」
「うん。商品自体は全くその店になくて、書類と金銭のやり取りだけってのがね、この大都には無数にある。いや、他の街にもあるんだけど、大都ほどじゃないな」
語る本人も微妙にあやふやな説明は、どれだけ理解されたかはわからない。ただ、アステリアにはない商売があるという事は、知識として受け取ったようだ。
「ファンのおばあちゃんちは、西門の側にあるのぅ?」
そして、ヤクモは興味を喪ったらしい。口にしたのは、全く別の事である。
「いや、違うよ」
「でもさ、あの馬車乗ったら、他の門に着くんでしょ?」
「東門から出発する鉄道馬車は、万馬大道が終着点だ。西門に行くなら、一回万馬大道を横切って、反対側の駅に行かなきゃだな」
「そなんだ」
「さっき言ったろ?馬車鉄道は微妙に使い勝手が悪いって。ばあちゃんちは、東西南北の大道が交差するジルチ広場から、ちょっと行ったところにあるんで、そこまでいければ問題ないけどね」
もっとこまめに停車する乗合馬車や、ヤクモ達がラスヤントで乗ったような馬車もあるが、値段は鉄道馬車より高い。乗合馬車でも小銀貨三枚は必要になる。
それを大した出費ではないと考えて支払えるのが、大都の経済状況なのだが、そこまで説明する必要はないだろうと判断し、ファンは駅舎を指差した。
「って事で、行こう」
東門駅は南東門駅よりもずっと混みあっていた。別れて乗るよりは、少し見送ってみんなで乗ろうと、間もなく出発する馬車には乗らないと誘導係に告げる。
そのやり取りをしているうちに、次の馬車が駅に入ってきた。
魔導機関で牽かれる車両は、先ほどより多い四輌になっている。そのうちの先頭車輌に、誘導係が乗り込むようにと示す。
「あ、あの、道に橋が架かっているのですね!」
「地元民はうまーく馬も馬車も避けてわたるけど、皆は必ず橋わたってね」
その呼吸は、大都で数年暮らさないと身につかない。ファンの言葉に、ライデン姉弟も深く頷く。
「私たちも、大道を渡る必要があれば、橋を渡る」
「なんであんなに、すり抜けられるのかわけがわからん…」
「なんとなーく、騎手や馭者に合図送って渡るんだけど、そこはまあ、カンと言うか、コツと言うか…」
とにかく、マネしない方が良いらしい。少女たちは顔を見合わせ、こっくりと頷きあった。
「って言うか、案内役を誰かに頼まないとなあ」
「ファンさん、お忙しいですものね」
「なんとか時間を造るけどね。仕事と祭りの練習だけしていたら、気が狂うし」
「クロムは暇なんじゃないのぅ?」
「暇じゃねーよ。…たぶん」
今すぐには思いつかないが、やることはそれなりにあるだろう。
だが、それ以前に「おのぼりさん」の面倒を付きっ切りで見るのはごめんだ。そう、クロムの顔に書いてある。
「俺や姉さんが…と言っても、俺たちもそこまで大都に詳しくはないしな」
「うむ。せいぜいが鈴屋周辺程度だ」
大都にやってきて一年たつとはいえ、暮らしを確立させ、慣れるのにいっぱいいっぱいで、遊びに行く場所や観光に赴くような場所に心当たりはライデン姉弟どちらにもない。
「まあ、二、三日はゆっくりして、旅の疲れを癒した方が良いだろうし、おいおい考えよう」
「ヤクモたちは、ナラ…ファンのうちに泊まるの?」
「連れて帰ってこいって、言われてるしな~。あ、そうだ。みんなも最低一回は、招待させてくれ。母さんから厳命されてる」
「あのね、ファン。ぼくも今日はファンのうち行くけど、何日かしたら、鈴屋に泊まっちゃ、駄目かなあ?エリーと相談したんだけどさ、ぼくら神官じゃないから、神殿にお世話になるのも悪いし」
座席に腰を下ろしながら、おずおずとナナイが申し出る。
王宮にはナナイの部屋もあるが、やはり堅苦しいし、友人の側にいたほうが楽しいのだろう。
その気持ちは痛いほどわかる。ファンとて仕事がなければ鈴屋に居候して、自由に大都を闊歩したいのだ。
「いいんじゃないか?まあ、もしかしたら母さんが入りびたるかもだが…」
「おばさまにとって、実家だもんね…」
年末が差し迫るこの時期、ソウジュも決して暇ではないはずだが、それでも夫や息子たちに比べれば仕事の量は少ない。
后妃の主な仕事は後宮の取り仕切りだ。新年を迎えるために新たに購入するもの、入れ替えに払い下げるもの、廃棄するものを選別したり、侍従官や女官の人事を決定する。
だからこの時期は、なんとか王宮付きになりたい希望者からの付け届けやら、ここぞとばかりに売り込んでくる商会の謳い文句をあしらうのが、后妃の年末行事というもの。
そして後宮で行われる、他の夫人と太子が住まう宮に招待されての宴席や、后妃主催の催しなども仕事の一部である。
もちろん、愉快なことはほとんどない。后妃と第五夫人を除く夫人との不仲は、大都の民ならず、アスラン人なら丸く着ぶくれした子供でも知っているような事実だ。
そんな面倒くさい仕事が多いこの時期。心労からか后妃はよく体調が優れなくなる。…そして鈴屋には、嫁いでいった女将の娘が年末だからと帰省して、料理を作る手伝いなどをしているのだ。
当然、その息子も一緒にやってきて、兄は調理を、弟は配膳などを担当する。
「鈴屋ならクロムの家も近いし、気軽に遊びに行けるしな」
「あのね、皆!クロムのご両親は、ぼくの両親と親戚なの!だから、親戚の家に挨拶に行けるって意味だからね!」
「え~、何も言ってないじゃない?」
「ねー」
顔を見合わせて笑う友人たちを、ナナイは「むー!」と鳴きながらぽこぽこと叩いたが、叩きながら、すねた顔は笑み崩れていく。
少女たちの笑い声は、窓から差し込む午後の陽光のように明るく。
その声のように、明るく平穏に年が明けることをファンは内心に祈った。
そうはならないであろうことを、どこかで予感しながら。




